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その日、守はとてもご機嫌だった。
朝三時まで寝ずに弟と一緒のベッドで語り明かすほど上機嫌だった。
晴れ渡る空を見て、うーんと大きく伸びをする。
日が昇ってから少しの時間しか経ってないようだが、朝の練習には丁度いい時間だ。
「ほら、起きろ有人」
「ん・・・」
「寝坊したら遊園地行けないぞー」
「っ!?」
キングサイズのベッドの真ん中で眠っていた弟の耳元に囁くと、音が出るほどの勢いで上半身を起こした有人はぱちぱちと綺麗なルビーアイを瞬かせた。
寝起きのためドレッドヘアが若干乱れているのがまた可愛らしい。
パジャマ姿できょろきょろと周りを見渡した彼は、居るのが自分の部屋じゃないと気がつくときょとりとこちらを見上げてきた。
「おはよ、有人。俺は練習行ってくるからその間に自分の部屋に行って身支度整えておけよ」
「・・・俺も一緒に練習に行く。どれだけ上達したか、まだ見てもらってない」
「そ?んじゃ顔洗って着替えてから中庭に降りてきな。早くしないと一人でジョギングに行っちゃうぜ?」
「!?わかった!」
唐突に覚醒したらしい有人は、首が取れそうな勢いで頷くと守の部屋から自分の部屋へ通じるドアを潜る。
と思ったら、顔だけだしてこちらを覗いた。
どうしたのかと首を傾げると照れくさそうにはにかんで笑う。
「・・・おはよう、姉さん」
挨拶するためだけに戻ってきた弟に、可愛いなあと相貌を崩した。
スケジュールを調整して無理やりもぎ取った一日の休日は、どうにも楽しそうなものになりそうだった。
息が切れる。こんな全力で公の場を走るのは、鬼道の家に来てから初めてかもしれない。
上下する肩を深呼吸して宥めながら、ぎゅっと繋がれた手の先を見る。
そこには普段のお嬢様ルックではなく、サッカーをしているときのようなボーイッシュな格好をした姉が居て、視線に気づいたらしい彼女と眼が合った。
黒のフード付きのジャケットに、同色のジーパン。さらに有人とお揃いのキャップを被った守は、長い髪を隠している所為か少年のようだ。
色違いの赤いジャケットと黒のジーパンの組み合わせの有人は、一般人と同じような兄弟らしいお揃いの格好に面映くて笑った。
守も有人も鬼道の家に属するものとして普段はイメージに合った服装を着せられる。
特にお嬢様らしい格好を好む父親の趣味のお陰で守はほとんどが女の子らしいフェミニンなワンピースなどで過ごすことがほとんどだ。
サッカーをしている時以外はズボンなど穿く機会もほとんどないが、それにしては妙に着こなしているのが気になった。
突っ込んだところでかわされるのが判っているから敢えて問わないが、自分が知らない守がいると思うと少し悔しい。
逆に今目の前で笑っている守は、有人だけのものだからとても嬉しかった。
鬼道の家に来たばかりの時分は、いつだって守は傍に居てくれた。
亡くした両親を想い苦しいときも、離れた妹を想い涙を零すときも、鬼道家の息子として失敗してしまったときも、単純に寂しくて仕方ないときも、楽しいときも嬉しいときも、いつだって一緒に過ごしてくれた。
守が家に居てくれるときは家庭教師ではなく彼女が直々に勉強を教えてくれ、サッカーだって空いてる時間にみてくれた。
有人よりずっと先を歩いている人は、手を差し伸べればいつだって声なき声に気づいてくれる。
鬼道家という枠の中に居ても何処までも自由な人は、破天荒でもとても優しい。
「ははっ、やったな有人」
「ああ。やったな、姉さん」
にかっと笑う守に微笑み返す。
物心付いて初めて遊びに来た遊園地。
まるでパーティ会場のど真ん中のように人ごみの溢れる中、二人きりで手を繋ぐ。
鬼道家の子供として相応しくないが、同伴者として名乗りを上げた影山を振り切って得た自由に、腹の底から笑いがこみ上げた。
父に知られたらただじゃすまない。まだ子供の自分たちには必ず付き人が居て、それが当然なのに、公の場で二人で逃げてしまった。
普段なら絶対にしない暴挙だが、今はただただ楽しくて仕方ない。
入り口で貰ったパンフレットを開いて何処から行くか、どう攻略すれば一番効率がいいか、考えるのが楽しくて仕方ない。
年相応な子供らしい態度で話に相槌を打っていると、不意に姉が背負っていたリュックからカメラを二つ取り出した。
最新のデジカメでなく、昔良く売られていた使い捨てのカメラに、きょとりと目を瞬かせる。
覚えている限りだと確か守は去年の誕生日にどこぞの企業の社長から最新型のデジカメを受け取っていたはずだ。
なのに何故態々と問えば、破顔した彼女はあっさりと理由を教えてくれた。
「失敗するのもいい思い出になるだろ。気にいるまで撮りなおすのもいいだろうが、今この瞬間が二度と来ないのと同じで、やり直せないこれがいい」
「そういうものか?」
「そういうものだ。いいものを撮ろうって思えるだろ?ほれ、こっちは有人のね」
「・・・いつ買ったんだ、これは?」
「さっき、総帥が入園券買ってるときー」
言われてみれば、確かに。トイレに行きたいとお供をつけて少しの間姿を消していたのを思い出し、ぽんと手を打った。
抜け目がないと言うか、要領がいいと言うべきか。
判断に迷うところだが全く悪びれない様子は呆れるよりも感心してしまう。
受け取ったそれをまじまじと見れば、使い方を教えてくれた。
「最大容量は二十七枚。シャッターチャンスを逃すんじゃないぞ」
「判った」
生真面目に頷くと、いい子だと頭を撫でられた。
大好きな姉との二人きりの一日は、始まったばかりだった。
「よし、次はお化け屋敷行くぞ」
「・・・・・・」
にかっと真夏の太陽みたいな笑顔で言われ、ついに来たかと身を強張らせる。
絶対に外せないスポットとパンフレットのお勧め欄にあっただけあり、目の前に建つわざとぼろぼろに作られた建物にごくりと喉を鳴らした。
洋風ではなくテレビで見る時代劇に出てきそうな和風のそれは、何故か衝立の奥から髪を乱した日本人形が血を流してこちらを見ている。
つい一昨日までなら子供だましだと笑えただろうが、黄昏時の魔術か実際に目にするとインパクトが違った。
目玉にするだけあり異常に緻密な作りで、時折隅から顔を覗かす顔の焼け爛れた女のお化けも気味が悪い。
入りたくない、と思うのは昨日姉から聞いた話も絶対に影響していた。
お化け屋敷なんか子供だましで怖くない、と言い放った有人に、同じベッドで寝ていた守がとっておきの怪談を聞かせたのだ。
和洋折衷中華もござれと博識な彼女の知識を披露され、あまりに臨場感ある語りに聞き入った自分を殴り飛ばしたい。
せめてあの予備知識がなければ、ここまで恐怖を感じなかったろうに。
拳を握り締めて動かない有人に、にこりと微笑んだ守が手を差し伸べる。
「俺たちの順番が来たぞ」
「・・・・・・」
結局嫌だの一言が言えなくて、ジェットコースターやバイキング、コーヒーカップを上回る恐怖体験をさせられ軽いトラウマになったのは絶対に姉には言えない秘密だ。
散々声なき悲鳴を上げ続けて疲れきった有人を待っていたのは笑いをかみ殺したような歪な表情の守で、カメラにばっちりと顔を写される。
不貞腐れると軽い謝罪とソフトクリームが手渡され、甘ったるいそれに少しだけ気分が向上した。
普段の有人はそこまで甘いものが好きなわけじゃないが、場所が違うと味わいも違う。
チョコとバニラのミックスソフトを平らげているところもぱちりと収められ、軽く瞬きを繰り返した。
「時間的にも次で最後だな」
「・・・もうか?」
「そう。楽しい時間は終るのが早くて残念だな。でも限られた時間だからこそ一瞬一瞬が楽しいんだ。最後まで全力で楽しむぞ、有人」
強い瞳に見惚れてしまう。
幼い頃から有人の先を歩く守は、いつだって格好いい。
どんな苦境でも楽しみに変え、笑顔を保てる強い人だ。
容姿は飛びぬけた美人じゃないが、愛くるしい顔立ちは内面の輝きから美しさが滲み出る、そんな人。
明るくて豪快で奔放で優しくて器が大きくて、笑いながら洋々とずっと前を走るくせに、それでも気がつけば隣に居てくれる。
鬼道家の長子としての重圧なんて欠片も感じさせないで、器用になんだってこなして笑い続ける大きな人。
大好きで、自慢の最高の姉は有人を瞳に映して嬉しそうに微笑んだ。
「最後は定番の観覧車。一周五分だってさ」
「そうか。観覧車なんて初めてだ」
「初めてか。そりゃ楽しまなきゃ損だな」
「ああ」
誘う守に、ふうわりと微笑んだ。
彼女が居ない間は眉間に刻まれることが多い皺も、一緒なら浮かぶことはない。
一瞬、一瞬を特別にする守は、世界で一番の魔法使いだ。
どんなときでも有人に笑顔を与えてくれる、最高の。
「観覧車が終ったらさ、土産を買いに行こうな」
「土産・・・?」
「そう。父さんと総帥と、フィディオとエドガーとあと、チームメイトと」
「ああ」
「あと、お前の大事な妹に」
「・・・姉さん」
「いつか迎えに行くんだろう?その時に渡してやれよ。いっぱいいっぱい土産話も準備して、いっぱいいっぱい話さなきゃな」
当たり前の顔で頭を撫でる守に、不意に視界が潤んだ。
いつだって心の片隅に居る大切な妹。
名前を呼ぶことすら今では躊躇われる妹の話を唯一共有してくれる姉に、こくりと頷いた。
どんなに離れていても彼女が大丈夫といってくれるなら大丈夫だ。
妹と共に、また昔のように暮らす夢を笑わずにいてくれる守のためにも、いつか再会したときに胸を張って話せる思い出を作りたかった。
妹が貰われていった家庭は優しく温かな両親が作り出す一般家庭と聞いた。
きっと連絡一つしない兄を心配する彼女には、笑って話せる思い出こそが何より安堵させるだろうから。
いつか来るその日のために。
こちらを見詰める栗色の瞳に微笑み返すと、有人は彼女にしか見せない無防備な笑顔をみせた。
出来上がったアルバムはピンボケしたものも多数あったけれど、何より掛け替えのない宝物。
本当は途中から今日の二人きりの時間が全部仕組まれたものだったことや、部下が隠れて後をつけてきたこと、姉の携帯にGPSの機能が付いていて何処にいても居場所が知れることなどに気づいていたけれど、一生口にすることはないだろう。
作られた時間が特別だというのに、嘘はなかったのだから。
朝三時まで寝ずに弟と一緒のベッドで語り明かすほど上機嫌だった。
晴れ渡る空を見て、うーんと大きく伸びをする。
日が昇ってから少しの時間しか経ってないようだが、朝の練習には丁度いい時間だ。
「ほら、起きろ有人」
「ん・・・」
「寝坊したら遊園地行けないぞー」
「っ!?」
キングサイズのベッドの真ん中で眠っていた弟の耳元に囁くと、音が出るほどの勢いで上半身を起こした有人はぱちぱちと綺麗なルビーアイを瞬かせた。
寝起きのためドレッドヘアが若干乱れているのがまた可愛らしい。
パジャマ姿できょろきょろと周りを見渡した彼は、居るのが自分の部屋じゃないと気がつくときょとりとこちらを見上げてきた。
「おはよ、有人。俺は練習行ってくるからその間に自分の部屋に行って身支度整えておけよ」
「・・・俺も一緒に練習に行く。どれだけ上達したか、まだ見てもらってない」
「そ?んじゃ顔洗って着替えてから中庭に降りてきな。早くしないと一人でジョギングに行っちゃうぜ?」
「!?わかった!」
唐突に覚醒したらしい有人は、首が取れそうな勢いで頷くと守の部屋から自分の部屋へ通じるドアを潜る。
と思ったら、顔だけだしてこちらを覗いた。
どうしたのかと首を傾げると照れくさそうにはにかんで笑う。
「・・・おはよう、姉さん」
挨拶するためだけに戻ってきた弟に、可愛いなあと相貌を崩した。
スケジュールを調整して無理やりもぎ取った一日の休日は、どうにも楽しそうなものになりそうだった。
息が切れる。こんな全力で公の場を走るのは、鬼道の家に来てから初めてかもしれない。
上下する肩を深呼吸して宥めながら、ぎゅっと繋がれた手の先を見る。
そこには普段のお嬢様ルックではなく、サッカーをしているときのようなボーイッシュな格好をした姉が居て、視線に気づいたらしい彼女と眼が合った。
黒のフード付きのジャケットに、同色のジーパン。さらに有人とお揃いのキャップを被った守は、長い髪を隠している所為か少年のようだ。
色違いの赤いジャケットと黒のジーパンの組み合わせの有人は、一般人と同じような兄弟らしいお揃いの格好に面映くて笑った。
守も有人も鬼道の家に属するものとして普段はイメージに合った服装を着せられる。
特にお嬢様らしい格好を好む父親の趣味のお陰で守はほとんどが女の子らしいフェミニンなワンピースなどで過ごすことがほとんどだ。
サッカーをしている時以外はズボンなど穿く機会もほとんどないが、それにしては妙に着こなしているのが気になった。
突っ込んだところでかわされるのが判っているから敢えて問わないが、自分が知らない守がいると思うと少し悔しい。
逆に今目の前で笑っている守は、有人だけのものだからとても嬉しかった。
鬼道の家に来たばかりの時分は、いつだって守は傍に居てくれた。
亡くした両親を想い苦しいときも、離れた妹を想い涙を零すときも、鬼道家の息子として失敗してしまったときも、単純に寂しくて仕方ないときも、楽しいときも嬉しいときも、いつだって一緒に過ごしてくれた。
守が家に居てくれるときは家庭教師ではなく彼女が直々に勉強を教えてくれ、サッカーだって空いてる時間にみてくれた。
有人よりずっと先を歩いている人は、手を差し伸べればいつだって声なき声に気づいてくれる。
鬼道家という枠の中に居ても何処までも自由な人は、破天荒でもとても優しい。
「ははっ、やったな有人」
「ああ。やったな、姉さん」
にかっと笑う守に微笑み返す。
物心付いて初めて遊びに来た遊園地。
まるでパーティ会場のど真ん中のように人ごみの溢れる中、二人きりで手を繋ぐ。
鬼道家の子供として相応しくないが、同伴者として名乗りを上げた影山を振り切って得た自由に、腹の底から笑いがこみ上げた。
父に知られたらただじゃすまない。まだ子供の自分たちには必ず付き人が居て、それが当然なのに、公の場で二人で逃げてしまった。
普段なら絶対にしない暴挙だが、今はただただ楽しくて仕方ない。
入り口で貰ったパンフレットを開いて何処から行くか、どう攻略すれば一番効率がいいか、考えるのが楽しくて仕方ない。
年相応な子供らしい態度で話に相槌を打っていると、不意に姉が背負っていたリュックからカメラを二つ取り出した。
最新のデジカメでなく、昔良く売られていた使い捨てのカメラに、きょとりと目を瞬かせる。
覚えている限りだと確か守は去年の誕生日にどこぞの企業の社長から最新型のデジカメを受け取っていたはずだ。
なのに何故態々と問えば、破顔した彼女はあっさりと理由を教えてくれた。
「失敗するのもいい思い出になるだろ。気にいるまで撮りなおすのもいいだろうが、今この瞬間が二度と来ないのと同じで、やり直せないこれがいい」
「そういうものか?」
「そういうものだ。いいものを撮ろうって思えるだろ?ほれ、こっちは有人のね」
「・・・いつ買ったんだ、これは?」
「さっき、総帥が入園券買ってるときー」
言われてみれば、確かに。トイレに行きたいとお供をつけて少しの間姿を消していたのを思い出し、ぽんと手を打った。
抜け目がないと言うか、要領がいいと言うべきか。
判断に迷うところだが全く悪びれない様子は呆れるよりも感心してしまう。
受け取ったそれをまじまじと見れば、使い方を教えてくれた。
「最大容量は二十七枚。シャッターチャンスを逃すんじゃないぞ」
「判った」
生真面目に頷くと、いい子だと頭を撫でられた。
大好きな姉との二人きりの一日は、始まったばかりだった。
「よし、次はお化け屋敷行くぞ」
「・・・・・・」
にかっと真夏の太陽みたいな笑顔で言われ、ついに来たかと身を強張らせる。
絶対に外せないスポットとパンフレットのお勧め欄にあっただけあり、目の前に建つわざとぼろぼろに作られた建物にごくりと喉を鳴らした。
洋風ではなくテレビで見る時代劇に出てきそうな和風のそれは、何故か衝立の奥から髪を乱した日本人形が血を流してこちらを見ている。
つい一昨日までなら子供だましだと笑えただろうが、黄昏時の魔術か実際に目にするとインパクトが違った。
目玉にするだけあり異常に緻密な作りで、時折隅から顔を覗かす顔の焼け爛れた女のお化けも気味が悪い。
入りたくない、と思うのは昨日姉から聞いた話も絶対に影響していた。
お化け屋敷なんか子供だましで怖くない、と言い放った有人に、同じベッドで寝ていた守がとっておきの怪談を聞かせたのだ。
和洋折衷中華もござれと博識な彼女の知識を披露され、あまりに臨場感ある語りに聞き入った自分を殴り飛ばしたい。
せめてあの予備知識がなければ、ここまで恐怖を感じなかったろうに。
拳を握り締めて動かない有人に、にこりと微笑んだ守が手を差し伸べる。
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「・・・・・・」
結局嫌だの一言が言えなくて、ジェットコースターやバイキング、コーヒーカップを上回る恐怖体験をさせられ軽いトラウマになったのは絶対に姉には言えない秘密だ。
散々声なき悲鳴を上げ続けて疲れきった有人を待っていたのは笑いをかみ殺したような歪な表情の守で、カメラにばっちりと顔を写される。
不貞腐れると軽い謝罪とソフトクリームが手渡され、甘ったるいそれに少しだけ気分が向上した。
普段の有人はそこまで甘いものが好きなわけじゃないが、場所が違うと味わいも違う。
チョコとバニラのミックスソフトを平らげているところもぱちりと収められ、軽く瞬きを繰り返した。
「時間的にも次で最後だな」
「・・・もうか?」
「そう。楽しい時間は終るのが早くて残念だな。でも限られた時間だからこそ一瞬一瞬が楽しいんだ。最後まで全力で楽しむぞ、有人」
強い瞳に見惚れてしまう。
幼い頃から有人の先を歩く守は、いつだって格好いい。
どんな苦境でも楽しみに変え、笑顔を保てる強い人だ。
容姿は飛びぬけた美人じゃないが、愛くるしい顔立ちは内面の輝きから美しさが滲み出る、そんな人。
明るくて豪快で奔放で優しくて器が大きくて、笑いながら洋々とずっと前を走るくせに、それでも気がつけば隣に居てくれる。
鬼道家の長子としての重圧なんて欠片も感じさせないで、器用になんだってこなして笑い続ける大きな人。
大好きで、自慢の最高の姉は有人を瞳に映して嬉しそうに微笑んだ。
「最後は定番の観覧車。一周五分だってさ」
「そうか。観覧車なんて初めてだ」
「初めてか。そりゃ楽しまなきゃ損だな」
「ああ」
誘う守に、ふうわりと微笑んだ。
彼女が居ない間は眉間に刻まれることが多い皺も、一緒なら浮かぶことはない。
一瞬、一瞬を特別にする守は、世界で一番の魔法使いだ。
どんなときでも有人に笑顔を与えてくれる、最高の。
「観覧車が終ったらさ、土産を買いに行こうな」
「土産・・・?」
「そう。父さんと総帥と、フィディオとエドガーとあと、チームメイトと」
「ああ」
「あと、お前の大事な妹に」
「・・・姉さん」
「いつか迎えに行くんだろう?その時に渡してやれよ。いっぱいいっぱい土産話も準備して、いっぱいいっぱい話さなきゃな」
当たり前の顔で頭を撫でる守に、不意に視界が潤んだ。
いつだって心の片隅に居る大切な妹。
名前を呼ぶことすら今では躊躇われる妹の話を唯一共有してくれる姉に、こくりと頷いた。
どんなに離れていても彼女が大丈夫といってくれるなら大丈夫だ。
妹と共に、また昔のように暮らす夢を笑わずにいてくれる守のためにも、いつか再会したときに胸を張って話せる思い出を作りたかった。
妹が貰われていった家庭は優しく温かな両親が作り出す一般家庭と聞いた。
きっと連絡一つしない兄を心配する彼女には、笑って話せる思い出こそが何より安堵させるだろうから。
いつか来るその日のために。
こちらを見詰める栗色の瞳に微笑み返すと、有人は彼女にしか見せない無防備な笑顔をみせた。
出来上がったアルバムはピンボケしたものも多数あったけれど、何より掛け替えのない宝物。
本当は途中から今日の二人きりの時間が全部仕組まれたものだったことや、部下が隠れて後をつけてきたこと、姉の携帯にGPSの機能が付いていて何処にいても居場所が知れることなどに気づいていたけれど、一生口にすることはないだろう。
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「お、円堂。今日は一人なのか?」
「そ。漸くリカを巻いてきたところ」
「何だぁ?あいつ、まだお前の好みを探ってんのか?」
「まぁね。てか、もういい加減諦めればいいのにねぇ」
かかかっと笑う綱海の横を陣取ると、持っていたパンをテーブルに置く。
夕食を摂っていた綱海は、珍しい形のパンに目を丸くすると、好奇心で瞳を輝かせた。
奪われる前にさっさと食べてしまおうと口を開くと、一口齧る。
懐かしいイタリアのパンに目を細め租借し、羨ましそうに見ている綱海に笑った。
「それ、美味そうだな」
「美味いよ」
「一口くれよ」
「嫌だ。お前の一口は色々と想像できるから許可できない」
「えー?何ちっせぇこと言ってだよ、円堂!男なら海のように懐広くなれ」
「俺女だし。そして心はミジンコ並みに小さい」
「嘘!嘘だって、円堂様!どうかこの俺に一口お恵みあれっ」
「ふ・・・しょうがないな、綱海。食いかけを恵んでやろう」
「やりっ、サンキュ!・・・うま!これウマっ!何だこれ?」
「フォカッチャのサンドイッチ。美味いだろ?味わって食えよ~」
「おう!・・・てか、こんだけしかないのか?」
「あと三つある。しかしこれらは全て俺の腹の中に入る予定だ」
「三つあるんだろ?一個くれ」
「いやだ」
残りのパンをかけて綱海と争っていると、すぐ近くのテーブルから聞こえよがしにため息が吐かれた。
ちらり、と視線をやれば、呆れと苛立ちを混ぜたような視線を不動が向けている。
皿の上には数個のミニトマト。
それを食べるでもなく箸で転がしながら舌打ちした彼は、うんざりしているという想いを隠さぬまま元々悪い目つきを更に剣呑に細めた。
苛立ちを露にした不動に食堂に居た他の面々の視線も集まる。
先ほどまでは騒がしかったのに、気がつけば室内は静まり返っていた。
針を落としても音が響きそうな静寂の中、不動がトレイを押しのける。
隣で自分のトレイの上の野菜を突いていた綱海が柳眉を顰めたが、それでもすぐに動く気はないらしく何も言わずに様子を見ていた。
年下組みなら堪忍袋の緒が切れてもうとっくに噛み付いているのにさすが綱海と言ったところか。
笊の目は粗いが観察眼は割りとある彼に微笑みかけると、円堂は不動を見詰めた。
「つかよ、五月蝿いんだけど。食事くらい静かに取れないわけ?」
「悪いな、不動」
「悪いと思ってんなら静かにしろよ。この間から食事時にギャーギャー騒いで迷惑なんだけど」
「この間から?・・・ああ、リカのあれか。何、不動君。毎回律儀に聞いてたわけ?」
「別に聞きたくて聞いてたわけじゃねぇよ。お前の声が馬鹿五月蝿いから聞こえてくるんだ」
「へぇー」
にたり、と自分でも性質が悪いだろうと思える笑みを浮かべ、ライオンが身を起こすようにのったりと席から立ち上がる。
隣の綱海がほどほどにしとけよ、なんて呆れ交じりに忠告をしたがそれに返事はしなかった。
あれでいて察しがいい綱海は返事がないのが返事と理解するだろうと判っていたからこそ余計な手間を省いた円堂は、隣のテーブルまで歩くと不動の隣に立ちテーブルに手を置く。
ぐっと顔を近づければ、不動本人ではなく周りがざわめいた。
「どしたの、不動君。不機嫌じゃない」
「別に、俺はいつもこんな感じだ」
「でもこーんな顔してるぞ」
「ぶっ!!円堂、マジ似てるぞ!!」
眉間に皺を寄せて眼光鋭く睨み付けてきた円堂に、隣でご飯を食べていたはずの綱海が手を打って笑った。
彼には馬鹿うけしている物真似だが、他のイナズマジャパンのメンバーは静まり返っている。
息を潜めて動向を見守る彼らは、不動がこんな悪ふざけを許容するはずないと思っており、その考えは確かに当たっていた。
空気を読めないのか読む気がないのか判らない二人組みを前に、がたりとわざとらしく音を立てて不動が椅子から立ち上がる。
怒りで瞳をきらきらと輝かせる不動に、守はにへらと笑った。
「Che carino!」
鬼道以外はどこの言葉か理解できない言語で叫ぶと、子猫のように毛を逆立てる不動に飛び掛った。
殴り合いの喧嘩でも始まるのかと体を浮かしかけたメンバーは、次の円堂の行動にきょとんと目を丸くする。
隣でその様子をご飯を食べながら至近距離で観察する綱海と、言葉の意味が理解できた鬼道だけは驚きよりも呆れを多大に含んだ眼差しを向けていた。
もっとも、呆れにプラスして同情の色を浮かべる綱海とは違い、鬼道の眼差しに含まれていたのは嫉妬だったけれど。
それすら気づいていて敢えて無視する円堂は、すりすりすりと不動を抱きしめ頬を摺り寄せる。
まるでペットを溺愛する飼い主が親馬鹿ぶりを発揮しているような光景に、ぽかんとイナズマジャパンの面々は口を開けた。
「何だよ、妬いてんのか不動~。超可愛い!!」
「やめろ、放せ!抱きつくな、擦り寄るな、抱き込むな!!」
「心配しなくても俺は不動も大好きだ!」
「誰も心配なんかしてねえよ!気持ち悪いこと言うな!てか、顔近いんだよ!はーなーれーろー!!!」
「ふはははははは!この、ツンツンしちゃって、マジ愛いやつめ」
「こーのーくーそーおーんーなぁー!馬鹿力発揮してないで、とっととどっか行けぇ!」
まるでコントか何かのようだ。
嫌がる不動の体を嬉々として抱きしめる円堂は、ゴールキーパーの腕力を存分に発揮しているらしい。
どれだけもがいてもホールドは解けず、もがき続ける不動の顔だけが怒りや何やらで赤く染まる。
楽しんでるのは円堂だけで不動は全力で嫌がっていた。力みすぎて湯気が出るんじゃないかと見ている人間に思わせるほどに。
「円堂ー、そこそこで止めねえとお前のシンパが凄いことになってんぞー」
綱海が暢気な声で忠告を促すと、指先で一方を指した。
そこには鬼道、風丸、ヒロト、吹雪、立向居と仲間の中でも特に円堂に心酔しているメンバーがどす黒いオーラを背負って不動を睨み据えていた。
色々なものが浮き上がるほど恐ろしい光景だが、そんな中でも平静を保った円堂は、楽しそうに目を細めた。
「だってしょうがないじゃん。こいつが可愛いのがいけないんだ」
「っ、俺は可愛くねえ!!」
円堂以外の誰しもが納得するだろう叫びは、抱きしめる本人には通じなかった。
散々甚振られた後でさらに鬼道たちの呼び出しを受けた不動は、当分自分から円堂に関わろうとしなかったという。
もっとも彼が相手にしている人物は、少しばかり避けられる程度で引き下がる相手ではなかったことだけ特筆しておこう。
「そ。漸くリカを巻いてきたところ」
「何だぁ?あいつ、まだお前の好みを探ってんのか?」
「まぁね。てか、もういい加減諦めればいいのにねぇ」
かかかっと笑う綱海の横を陣取ると、持っていたパンをテーブルに置く。
夕食を摂っていた綱海は、珍しい形のパンに目を丸くすると、好奇心で瞳を輝かせた。
奪われる前にさっさと食べてしまおうと口を開くと、一口齧る。
懐かしいイタリアのパンに目を細め租借し、羨ましそうに見ている綱海に笑った。
「それ、美味そうだな」
「美味いよ」
「一口くれよ」
「嫌だ。お前の一口は色々と想像できるから許可できない」
「えー?何ちっせぇこと言ってだよ、円堂!男なら海のように懐広くなれ」
「俺女だし。そして心はミジンコ並みに小さい」
「嘘!嘘だって、円堂様!どうかこの俺に一口お恵みあれっ」
「ふ・・・しょうがないな、綱海。食いかけを恵んでやろう」
「やりっ、サンキュ!・・・うま!これウマっ!何だこれ?」
「フォカッチャのサンドイッチ。美味いだろ?味わって食えよ~」
「おう!・・・てか、こんだけしかないのか?」
「あと三つある。しかしこれらは全て俺の腹の中に入る予定だ」
「三つあるんだろ?一個くれ」
「いやだ」
残りのパンをかけて綱海と争っていると、すぐ近くのテーブルから聞こえよがしにため息が吐かれた。
ちらり、と視線をやれば、呆れと苛立ちを混ぜたような視線を不動が向けている。
皿の上には数個のミニトマト。
それを食べるでもなく箸で転がしながら舌打ちした彼は、うんざりしているという想いを隠さぬまま元々悪い目つきを更に剣呑に細めた。
苛立ちを露にした不動に食堂に居た他の面々の視線も集まる。
先ほどまでは騒がしかったのに、気がつけば室内は静まり返っていた。
針を落としても音が響きそうな静寂の中、不動がトレイを押しのける。
隣で自分のトレイの上の野菜を突いていた綱海が柳眉を顰めたが、それでもすぐに動く気はないらしく何も言わずに様子を見ていた。
年下組みなら堪忍袋の緒が切れてもうとっくに噛み付いているのにさすが綱海と言ったところか。
笊の目は粗いが観察眼は割りとある彼に微笑みかけると、円堂は不動を見詰めた。
「つかよ、五月蝿いんだけど。食事くらい静かに取れないわけ?」
「悪いな、不動」
「悪いと思ってんなら静かにしろよ。この間から食事時にギャーギャー騒いで迷惑なんだけど」
「この間から?・・・ああ、リカのあれか。何、不動君。毎回律儀に聞いてたわけ?」
「別に聞きたくて聞いてたわけじゃねぇよ。お前の声が馬鹿五月蝿いから聞こえてくるんだ」
「へぇー」
にたり、と自分でも性質が悪いだろうと思える笑みを浮かべ、ライオンが身を起こすようにのったりと席から立ち上がる。
隣の綱海がほどほどにしとけよ、なんて呆れ交じりに忠告をしたがそれに返事はしなかった。
あれでいて察しがいい綱海は返事がないのが返事と理解するだろうと判っていたからこそ余計な手間を省いた円堂は、隣のテーブルまで歩くと不動の隣に立ちテーブルに手を置く。
ぐっと顔を近づければ、不動本人ではなく周りがざわめいた。
「どしたの、不動君。不機嫌じゃない」
「別に、俺はいつもこんな感じだ」
「でもこーんな顔してるぞ」
「ぶっ!!円堂、マジ似てるぞ!!」
眉間に皺を寄せて眼光鋭く睨み付けてきた円堂に、隣でご飯を食べていたはずの綱海が手を打って笑った。
彼には馬鹿うけしている物真似だが、他のイナズマジャパンのメンバーは静まり返っている。
息を潜めて動向を見守る彼らは、不動がこんな悪ふざけを許容するはずないと思っており、その考えは確かに当たっていた。
空気を読めないのか読む気がないのか判らない二人組みを前に、がたりとわざとらしく音を立てて不動が椅子から立ち上がる。
怒りで瞳をきらきらと輝かせる不動に、守はにへらと笑った。
「Che carino!」
鬼道以外はどこの言葉か理解できない言語で叫ぶと、子猫のように毛を逆立てる不動に飛び掛った。
殴り合いの喧嘩でも始まるのかと体を浮かしかけたメンバーは、次の円堂の行動にきょとんと目を丸くする。
隣でその様子をご飯を食べながら至近距離で観察する綱海と、言葉の意味が理解できた鬼道だけは驚きよりも呆れを多大に含んだ眼差しを向けていた。
もっとも、呆れにプラスして同情の色を浮かべる綱海とは違い、鬼道の眼差しに含まれていたのは嫉妬だったけれど。
それすら気づいていて敢えて無視する円堂は、すりすりすりと不動を抱きしめ頬を摺り寄せる。
まるでペットを溺愛する飼い主が親馬鹿ぶりを発揮しているような光景に、ぽかんとイナズマジャパンの面々は口を開けた。
「何だよ、妬いてんのか不動~。超可愛い!!」
「やめろ、放せ!抱きつくな、擦り寄るな、抱き込むな!!」
「心配しなくても俺は不動も大好きだ!」
「誰も心配なんかしてねえよ!気持ち悪いこと言うな!てか、顔近いんだよ!はーなーれーろー!!!」
「ふはははははは!この、ツンツンしちゃって、マジ愛いやつめ」
「こーのーくーそーおーんーなぁー!馬鹿力発揮してないで、とっととどっか行けぇ!」
まるでコントか何かのようだ。
嫌がる不動の体を嬉々として抱きしめる円堂は、ゴールキーパーの腕力を存分に発揮しているらしい。
どれだけもがいてもホールドは解けず、もがき続ける不動の顔だけが怒りや何やらで赤く染まる。
楽しんでるのは円堂だけで不動は全力で嫌がっていた。力みすぎて湯気が出るんじゃないかと見ている人間に思わせるほどに。
「円堂ー、そこそこで止めねえとお前のシンパが凄いことになってんぞー」
綱海が暢気な声で忠告を促すと、指先で一方を指した。
そこには鬼道、風丸、ヒロト、吹雪、立向居と仲間の中でも特に円堂に心酔しているメンバーがどす黒いオーラを背負って不動を睨み据えていた。
色々なものが浮き上がるほど恐ろしい光景だが、そんな中でも平静を保った円堂は、楽しそうに目を細めた。
「だってしょうがないじゃん。こいつが可愛いのがいけないんだ」
「っ、俺は可愛くねえ!!」
円堂以外の誰しもが納得するだろう叫びは、抱きしめる本人には通じなかった。
散々甚振られた後でさらに鬼道たちの呼び出しを受けた不動は、当分自分から円堂に関わろうとしなかったという。
もっとも彼が相手にしている人物は、少しばかり避けられる程度で引き下がる相手ではなかったことだけ特筆しておこう。
目の前に引きずり出された男を見詰め、獲物を前にした獣のように瞳を細めて観察する。
両腕から部下に体を押さえ込まれる彼は恨めしげな眼差しを向け怨嗟の言葉を絶えず吐き続け、豪奢な椅子に座っているお陰で数段高い場所から見下ろす形になっている守は、こてりと無邪気な様子で小首を傾げた。
白いキャミソールの上にレースが見事な淡色の上着と黒いプリーツスカートを身に着けた少女は、下ろした髪の一部を蝶が細工された繊細なバレッタで止めている。
黙っていれば愛くるしい人形のようだが、中身はそんな可愛いものではない。
「うーん・・・これは予定外ですね」
口調こそ令嬢然としたものだが、この状況で普段どおりな姿こそ異色を放っていた。
毛足の長い絨毯が敷かれているため地べたに押し付けられるよりマシだろうが、守の前には彼女より数倍は人生を生きている大人が押さえ込まれてるのだ。
普通の子供なら動揺してもおかしくない光景に微塵の驚きも見せていない。
どころか誰よりも堂々としており、今この場を支配しているのが少女であると言外に知らしめていた。
守が顎に指を当てて考え込むように黙ったので、室内には押さえ込まれた男のうめき声しか聞こえない。
時折怒声が混じるがそれを一切無視していた守の思考は、こんこんと軽快にノックされた音により中断された。
相手が誰かわかっているので確認もせずに近くの部下に頷くと、心得たように頭を下げた部下はドアに手を掛けゆっくりと引く。
その先にいた相手は想像通りで、お嬢様でいるときの柔らかな微笑を浮かべた。
「エドガー様、いらっしゃいまし」
椅子から立ち上がり綺麗な礼をする。
それに対してきっちりと返礼したエドガーは、守と同じように数人の黒服を伴っていた。
室内の状況を視線でひと撫ですると、押さえ込まれる男の顔を確認してじとりと柳眉を顰める。
彼の表情に予想を確信に変え、口元を押さえると控えめに笑った。
「あら、やはりエドガー様のほうですか」
「そのようだな。マモルの協力をするつもりが、身内の恥が出たようだ」
「ふふふ、エドガー様にしては珍しいですね。いつもでしたらこのような輩を私に近づけるなどなさいませんのに」
「・・・ここ暫く、あることに熱中していたんだ。周囲を疎かにしたつもりはなかったが、まだまだ未熟だったということだな」
「私も同じですわ。イタリアへ留学できて、少々有頂天になり過ぎていたみたいですね」
出迎えるために近づいた守を椅子までエスコートすると、一つしかないそれに座らせる。
そうして自分は肘掛に手を付いて立ち、端麗な顔に苦々しい表情を浮かべた。
エドガーの顔を正面から見詰めた男の怒りで紅潮させていた顔がざっと青褪める。
慌てて英語で弁明を始めた彼を笑顔で眺めていると、怒りの矛先がこちらに向いた。
『東洋の小娘ごときが、我がバルチナス財閥の御曹司の許婚などおこがましい!』
クイーンズイングリッシュで喚いた男はエドガーと同じ白人だ。
金髪に綺麗なブルーアイをしているが、色合いはいいが瞳は濁っているので好みではなかった。
同じブルーアイでも海より濃いフィディオの瞳の方が好きだ。
彼の瞳は輝きが溢れてるし、この惨めな大人より遥かに澄んでいる。
大の大人に罵られつつも笑顔をキープする守は、背後でざわめく部下を片手を上げて抑えた。
この場に置いているのは父ではなく守に忠誠を誓ってくれた腹心の部下だ。
直々に選んだ相手で信頼におけるが、忠誠心が篤い故に主を馬鹿にされると怒り心頭に発する。
悪い癖だといつも嗜めているが、こんな子供でも二心なく仕えてくれるいい人たちだった。
警護も兼ねているので文武両道で容姿も秀でているあらゆる面において優秀な彼らの内、男の体を抑えている二人が何気ない顔で力を強めたらしい。
低く呻いて怨嗟の声を上げる男は、眉を顰めて顔を俯かせた。
その様子を黙って眺めていたエドガーは、守の隣からゆっくりと移動する。
出会った当初は短かった髪が背中の半ばくらいまで伸びているのに気づき、こっそりと苦笑した。
髪を結ぶリボンは去年の誕生日に公的にではなく私的にプレゼントした一品で、くたびれ始めてるそれにそろそろ新しいものを贈るかと思案する。
対峙するとツンデレ状態になるし子供のように意地を張る彼だが、守をとても大切にしてくれていた。
一体自分の何をそこまで気に入ったのか未だにわからないが執着はあちらからだ。
長く伸びた髪が何を意味するか理解しているので、強制的に額づく形になった男の未来に僅かばかり同情した。
『今、何と言った?』
『エドガー様には東洋人は似合いません。どうかお考え直しください』
『・・・私の許婚を侮辱するのか』
『目を覚ましてください、エドガー様!態々極東の小娘など選ばずとも、ヨーロッパにはバルチナス財閥の益になる娘は沢山いらっしゃ───』
『黙れ』
腕を組んだエドガーが、静かに命令を下した。
彼らしくない冷静さを欠いた声音に、椅子に掛けたまま様子を観察する。
いざとなれば止めに入るつもりだったが、彼がどう相手を断罪するか興味もあった。
もしかしたら短慮に暴力に走るかと思ったがどうやらそれはなさそうで、ふむ、と瞳を瞬かせる。
子供ながら修羅場慣れしているエドガーなのに、感情を乱され過ぎだなと冷静に判断した。
『私の許婚を冒涜にするのは、彼女を選んだ私を冒涜するのと同じだ』
『エドガー様!』
『君は私には必要ない。分家の人間だったと記憶するが、それなりの責任を取ってもらおう』
『私を見捨てるのですか!?お父上の代から長らく忠誠を誓い尽くしてきた私ではなく、そこの黄色い猿を選ぶとでも?』
『・・・次にもう一回でも彼女を侮辱する言葉を吐いてみろ。身内だからとただでは許さない』
低い声で怒りを露にしたエドガーに、男は身震いして黙り込んだ。
彼が手を上げたのを合図に守の部下が男を部屋から引きずり出していく。
エドガーは唯一守の部下に指示をする権限を持った男だ。彼の腹心の部下に守が命令をする権限を持っているように。
お互いが手足として使う部下の中でも選りすぐりの相手に対して権限を渡しあうのは、将来を見据えてのものに他ならない。
エドガーは守をお飾りにする気はないと言外に証明し、彼の行為を許容することで同意を示していた。
手を振って残りの部下も室内から追い出すと、怒りに体を震わせる彼の背中に触れる。
年相応に他人相手に憤怒を露にする姿など初めてかもしれない。
それが守のための怒りだというから笑ってしまう。
自分を律するのに長けたバルチナス財閥の御曹司が、唯一守のために感情を乱してくれるとすれば、それはとても光栄なのだろう。
少なくとも金持ち同士の義務でしかない結婚相手に対するものなら上等だ。
「冷静になれ、エドガー。俺のために怒る必要はない」
「私が怒るとすれば私のためだ。私が選んだ婚約者を馬鹿にされるなど我慢ならない」
「婚約者じゃなくて許婚な。───ったく、さっきのおっさんの言い分じゃないがお前ならもっと中身も見た目もいいの選び放題だろうに」
「マモル。例え君だとしても私が選んだ許婚を馬鹿にするのは許さない」
「はいはい。なんてったって初恋の相手だもんな?悪い悪い」
「マモルっ!!」
白皙の美貌を持つ故に、血が上れば東洋人よりも判りやすい。
顔を真っ赤にして怒るエドガーに、ふわりと微笑みかければすぐに鎮火した。
何を好んでと本当に思うが、人の趣味はそれぞれなのだから仕方ない。
大人しい女性好みのエドガーに合わせて淑やかな仕草で小首を傾げると柔らかな口調で本題を口にした。
「それにしても、困りましたわ。私が日本にいる間に膿みは出しておきたいですのに。可愛い弟を引っ掛けようとしたお馬鹿さんたちを一網打尽に片付けようと餌を撒きましたのに、エドガー様のお家騒動に巻き込まれるなんて」
「・・・わざとらし過ぎるぞマモル。君のことだ。罠は二重三重に張ってあるんだろう?」
「あれ?ばれてた?」
「当然だ。ある意味で君と一番近い位置にいるのは私で、君を一番理解できるのも私だ。それに私も情報くらい掴んでいる。最近君の名を騙りユウトを陥れようとしていた人間のリストだ」
「やっぱ、バルチナス財閥の方いもいたか?」
「そのようだ。───君にこれを渡すのは少々勇気が入ったが、放っておけば尚酷くなるのは判っているしな。眠っているライオンに手を出したのはこいつらだ。好きにすればいい。私からのプレゼントだ。これで先ほどの失態は帳消しにしてくれると嬉しい」
「どころかお釣りが来るぜ。俺の目が届かないと思い込んで有人に好き勝手吹き込む馬鹿が多くて困ってたんだ。鬼道関連の膿みを出せればいいと思っていたが、一月あればそっちはなんとでもなる。長い目で見ると俺の手が届かないこっちの情報のが遥かに価値がある。ありがとな、エドガー」
先ほどまでの作っていた笑顔ではなく、守本来の真夏の太陽のような明るいからっとした笑顔に、エドガーは苦笑した。
「君はどんな高価なプレゼントよりも、弟を護るための情報を喜ぶな。許婚としては複雑だ」
「当たり前だろ。立場上一生綺麗なままでなんか居られない。見たくないものを見なきゃいけないし、したくない処断だってしなきゃいけなくなる。ある程度はあいつが対応するのは妥当だが、護ってくれる盾を作ってない状況で立ち向かうには相手が悪い。周りを見る目を養い痛い目をみるのと、芽生え始めた新芽を踏み躙られるのでは大きく違うからな」
「───どちらにせよ、君という姉が居れば滅多なこともないだろうがな。何しろ自分の腹心の部下をユウトの周りに配置して情報は耐えぬようにしているし、君が選んだ人間なら優れているのだろう?」
「当然。可愛い弟だからな。いずれ独り立ちするにしても、急に手を放したりしないさ」
人形のような格好をして生身の人間として笑う守はエドガーにどう映ったか知れないが、彼は仕方ないと言わんばかりに嘆息すると肩を竦めた。
何だかんだ言いながら互いの地位を理解し合える彼は、きっと協力者と呼べる相手なのだろう。
並び立つ相手として信頼出来、恋愛感情は抱いてないが好意は持っている。
有人ほど特別じゃなくても、エドガーは守の特別な人間の一人だった。
もっとも、そんなことを言えばすぐにでも自分の屋敷で花嫁修業をさせそうな彼なので、調子付かせるようなことは口にする気はないけれど。
プレゼントとしてもらったデータは有効活用させてもらう気だ。
そこまで考えて、ふと思い立った。
「こんだけの情報貰ったなら、俺もお前にプレゼントの用意しなきゃな」
「私はそんな色気のないものはいやだぞ」
「何がいい?」
「・・・一日」
「ん?」
「たまには、邪魔が入らぬよう二人きりで過ごしたい。君のためにイギリスの屋敷にピアノを用意した」
「イギリスまで来いってか。───ま、いいか。普段なら真っ平ごめんと言うとこだけど、今度イタリアに帰る前に寄るからスケジュール教えておいてくれ。一日空ける」
「いいのか?」
「ああ」
満面の笑みで頷けば、ぱあっと音がしそうな勢いで珍しくも彼が素直に笑った。
目尻を赤く染めて喜ぶさまは、ある意味年相応だろう。
この程度で喜ぶのだから安いものだといいたいが、実はスケジュール調整がとても難しい身分にあるため彼の喜びも理解できる。
今日目的の膿みは出なかったがそれ以上の収穫を得たし、実は有人にあることないこと吹き込む馬鹿の見当も付いていた。
一月以内と長い目で見れば片付けるのに苦労する相手でもなく、お陰で今週の日曜に予定していた有人とのデートは満喫できそうだ。
恩師である影山に頼み込んで、彼を保護者代わりにして三人で出かけるが、弟がそれをどれだけ楽しみにしているか知っている。
鼻歌交じりの守に、同じく上機嫌のエドガーがにこりと微笑んだ。
後日、自分が来日しているにも関わらず、何も教えてもらえなかった上に弟と二人のプリクラを自慢され、この日の上機嫌が嘘のように激昂する羽目になるのだが、彼はまだそれを知らない。
両腕から部下に体を押さえ込まれる彼は恨めしげな眼差しを向け怨嗟の言葉を絶えず吐き続け、豪奢な椅子に座っているお陰で数段高い場所から見下ろす形になっている守は、こてりと無邪気な様子で小首を傾げた。
白いキャミソールの上にレースが見事な淡色の上着と黒いプリーツスカートを身に着けた少女は、下ろした髪の一部を蝶が細工された繊細なバレッタで止めている。
黙っていれば愛くるしい人形のようだが、中身はそんな可愛いものではない。
「うーん・・・これは予定外ですね」
口調こそ令嬢然としたものだが、この状況で普段どおりな姿こそ異色を放っていた。
毛足の長い絨毯が敷かれているため地べたに押し付けられるよりマシだろうが、守の前には彼女より数倍は人生を生きている大人が押さえ込まれてるのだ。
普通の子供なら動揺してもおかしくない光景に微塵の驚きも見せていない。
どころか誰よりも堂々としており、今この場を支配しているのが少女であると言外に知らしめていた。
守が顎に指を当てて考え込むように黙ったので、室内には押さえ込まれた男のうめき声しか聞こえない。
時折怒声が混じるがそれを一切無視していた守の思考は、こんこんと軽快にノックされた音により中断された。
相手が誰かわかっているので確認もせずに近くの部下に頷くと、心得たように頭を下げた部下はドアに手を掛けゆっくりと引く。
その先にいた相手は想像通りで、お嬢様でいるときの柔らかな微笑を浮かべた。
「エドガー様、いらっしゃいまし」
椅子から立ち上がり綺麗な礼をする。
それに対してきっちりと返礼したエドガーは、守と同じように数人の黒服を伴っていた。
室内の状況を視線でひと撫ですると、押さえ込まれる男の顔を確認してじとりと柳眉を顰める。
彼の表情に予想を確信に変え、口元を押さえると控えめに笑った。
「あら、やはりエドガー様のほうですか」
「そのようだな。マモルの協力をするつもりが、身内の恥が出たようだ」
「ふふふ、エドガー様にしては珍しいですね。いつもでしたらこのような輩を私に近づけるなどなさいませんのに」
「・・・ここ暫く、あることに熱中していたんだ。周囲を疎かにしたつもりはなかったが、まだまだ未熟だったということだな」
「私も同じですわ。イタリアへ留学できて、少々有頂天になり過ぎていたみたいですね」
出迎えるために近づいた守を椅子までエスコートすると、一つしかないそれに座らせる。
そうして自分は肘掛に手を付いて立ち、端麗な顔に苦々しい表情を浮かべた。
エドガーの顔を正面から見詰めた男の怒りで紅潮させていた顔がざっと青褪める。
慌てて英語で弁明を始めた彼を笑顔で眺めていると、怒りの矛先がこちらに向いた。
『東洋の小娘ごときが、我がバルチナス財閥の御曹司の許婚などおこがましい!』
クイーンズイングリッシュで喚いた男はエドガーと同じ白人だ。
金髪に綺麗なブルーアイをしているが、色合いはいいが瞳は濁っているので好みではなかった。
同じブルーアイでも海より濃いフィディオの瞳の方が好きだ。
彼の瞳は輝きが溢れてるし、この惨めな大人より遥かに澄んでいる。
大の大人に罵られつつも笑顔をキープする守は、背後でざわめく部下を片手を上げて抑えた。
この場に置いているのは父ではなく守に忠誠を誓ってくれた腹心の部下だ。
直々に選んだ相手で信頼におけるが、忠誠心が篤い故に主を馬鹿にされると怒り心頭に発する。
悪い癖だといつも嗜めているが、こんな子供でも二心なく仕えてくれるいい人たちだった。
警護も兼ねているので文武両道で容姿も秀でているあらゆる面において優秀な彼らの内、男の体を抑えている二人が何気ない顔で力を強めたらしい。
低く呻いて怨嗟の声を上げる男は、眉を顰めて顔を俯かせた。
その様子を黙って眺めていたエドガーは、守の隣からゆっくりと移動する。
出会った当初は短かった髪が背中の半ばくらいまで伸びているのに気づき、こっそりと苦笑した。
髪を結ぶリボンは去年の誕生日に公的にではなく私的にプレゼントした一品で、くたびれ始めてるそれにそろそろ新しいものを贈るかと思案する。
対峙するとツンデレ状態になるし子供のように意地を張る彼だが、守をとても大切にしてくれていた。
一体自分の何をそこまで気に入ったのか未だにわからないが執着はあちらからだ。
長く伸びた髪が何を意味するか理解しているので、強制的に額づく形になった男の未来に僅かばかり同情した。
『今、何と言った?』
『エドガー様には東洋人は似合いません。どうかお考え直しください』
『・・・私の許婚を侮辱するのか』
『目を覚ましてください、エドガー様!態々極東の小娘など選ばずとも、ヨーロッパにはバルチナス財閥の益になる娘は沢山いらっしゃ───』
『黙れ』
腕を組んだエドガーが、静かに命令を下した。
彼らしくない冷静さを欠いた声音に、椅子に掛けたまま様子を観察する。
いざとなれば止めに入るつもりだったが、彼がどう相手を断罪するか興味もあった。
もしかしたら短慮に暴力に走るかと思ったがどうやらそれはなさそうで、ふむ、と瞳を瞬かせる。
子供ながら修羅場慣れしているエドガーなのに、感情を乱され過ぎだなと冷静に判断した。
『私の許婚を冒涜にするのは、彼女を選んだ私を冒涜するのと同じだ』
『エドガー様!』
『君は私には必要ない。分家の人間だったと記憶するが、それなりの責任を取ってもらおう』
『私を見捨てるのですか!?お父上の代から長らく忠誠を誓い尽くしてきた私ではなく、そこの黄色い猿を選ぶとでも?』
『・・・次にもう一回でも彼女を侮辱する言葉を吐いてみろ。身内だからとただでは許さない』
低い声で怒りを露にしたエドガーに、男は身震いして黙り込んだ。
彼が手を上げたのを合図に守の部下が男を部屋から引きずり出していく。
エドガーは唯一守の部下に指示をする権限を持った男だ。彼の腹心の部下に守が命令をする権限を持っているように。
お互いが手足として使う部下の中でも選りすぐりの相手に対して権限を渡しあうのは、将来を見据えてのものに他ならない。
エドガーは守をお飾りにする気はないと言外に証明し、彼の行為を許容することで同意を示していた。
手を振って残りの部下も室内から追い出すと、怒りに体を震わせる彼の背中に触れる。
年相応に他人相手に憤怒を露にする姿など初めてかもしれない。
それが守のための怒りだというから笑ってしまう。
自分を律するのに長けたバルチナス財閥の御曹司が、唯一守のために感情を乱してくれるとすれば、それはとても光栄なのだろう。
少なくとも金持ち同士の義務でしかない結婚相手に対するものなら上等だ。
「冷静になれ、エドガー。俺のために怒る必要はない」
「私が怒るとすれば私のためだ。私が選んだ婚約者を馬鹿にされるなど我慢ならない」
「婚約者じゃなくて許婚な。───ったく、さっきのおっさんの言い分じゃないがお前ならもっと中身も見た目もいいの選び放題だろうに」
「マモル。例え君だとしても私が選んだ許婚を馬鹿にするのは許さない」
「はいはい。なんてったって初恋の相手だもんな?悪い悪い」
「マモルっ!!」
白皙の美貌を持つ故に、血が上れば東洋人よりも判りやすい。
顔を真っ赤にして怒るエドガーに、ふわりと微笑みかければすぐに鎮火した。
何を好んでと本当に思うが、人の趣味はそれぞれなのだから仕方ない。
大人しい女性好みのエドガーに合わせて淑やかな仕草で小首を傾げると柔らかな口調で本題を口にした。
「それにしても、困りましたわ。私が日本にいる間に膿みは出しておきたいですのに。可愛い弟を引っ掛けようとしたお馬鹿さんたちを一網打尽に片付けようと餌を撒きましたのに、エドガー様のお家騒動に巻き込まれるなんて」
「・・・わざとらし過ぎるぞマモル。君のことだ。罠は二重三重に張ってあるんだろう?」
「あれ?ばれてた?」
「当然だ。ある意味で君と一番近い位置にいるのは私で、君を一番理解できるのも私だ。それに私も情報くらい掴んでいる。最近君の名を騙りユウトを陥れようとしていた人間のリストだ」
「やっぱ、バルチナス財閥の方いもいたか?」
「そのようだ。───君にこれを渡すのは少々勇気が入ったが、放っておけば尚酷くなるのは判っているしな。眠っているライオンに手を出したのはこいつらだ。好きにすればいい。私からのプレゼントだ。これで先ほどの失態は帳消しにしてくれると嬉しい」
「どころかお釣りが来るぜ。俺の目が届かないと思い込んで有人に好き勝手吹き込む馬鹿が多くて困ってたんだ。鬼道関連の膿みを出せればいいと思っていたが、一月あればそっちはなんとでもなる。長い目で見ると俺の手が届かないこっちの情報のが遥かに価値がある。ありがとな、エドガー」
先ほどまでの作っていた笑顔ではなく、守本来の真夏の太陽のような明るいからっとした笑顔に、エドガーは苦笑した。
「君はどんな高価なプレゼントよりも、弟を護るための情報を喜ぶな。許婚としては複雑だ」
「当たり前だろ。立場上一生綺麗なままでなんか居られない。見たくないものを見なきゃいけないし、したくない処断だってしなきゃいけなくなる。ある程度はあいつが対応するのは妥当だが、護ってくれる盾を作ってない状況で立ち向かうには相手が悪い。周りを見る目を養い痛い目をみるのと、芽生え始めた新芽を踏み躙られるのでは大きく違うからな」
「───どちらにせよ、君という姉が居れば滅多なこともないだろうがな。何しろ自分の腹心の部下をユウトの周りに配置して情報は耐えぬようにしているし、君が選んだ人間なら優れているのだろう?」
「当然。可愛い弟だからな。いずれ独り立ちするにしても、急に手を放したりしないさ」
人形のような格好をして生身の人間として笑う守はエドガーにどう映ったか知れないが、彼は仕方ないと言わんばかりに嘆息すると肩を竦めた。
何だかんだ言いながら互いの地位を理解し合える彼は、きっと協力者と呼べる相手なのだろう。
並び立つ相手として信頼出来、恋愛感情は抱いてないが好意は持っている。
有人ほど特別じゃなくても、エドガーは守の特別な人間の一人だった。
もっとも、そんなことを言えばすぐにでも自分の屋敷で花嫁修業をさせそうな彼なので、調子付かせるようなことは口にする気はないけれど。
プレゼントとしてもらったデータは有効活用させてもらう気だ。
そこまで考えて、ふと思い立った。
「こんだけの情報貰ったなら、俺もお前にプレゼントの用意しなきゃな」
「私はそんな色気のないものはいやだぞ」
「何がいい?」
「・・・一日」
「ん?」
「たまには、邪魔が入らぬよう二人きりで過ごしたい。君のためにイギリスの屋敷にピアノを用意した」
「イギリスまで来いってか。───ま、いいか。普段なら真っ平ごめんと言うとこだけど、今度イタリアに帰る前に寄るからスケジュール教えておいてくれ。一日空ける」
「いいのか?」
「ああ」
満面の笑みで頷けば、ぱあっと音がしそうな勢いで珍しくも彼が素直に笑った。
目尻を赤く染めて喜ぶさまは、ある意味年相応だろう。
この程度で喜ぶのだから安いものだといいたいが、実はスケジュール調整がとても難しい身分にあるため彼の喜びも理解できる。
今日目的の膿みは出なかったがそれ以上の収穫を得たし、実は有人にあることないこと吹き込む馬鹿の見当も付いていた。
一月以内と長い目で見れば片付けるのに苦労する相手でもなく、お陰で今週の日曜に予定していた有人とのデートは満喫できそうだ。
恩師である影山に頼み込んで、彼を保護者代わりにして三人で出かけるが、弟がそれをどれだけ楽しみにしているか知っている。
鼻歌交じりの守に、同じく上機嫌のエドガーがにこりと微笑んだ。
後日、自分が来日しているにも関わらず、何も教えてもらえなかった上に弟と二人のプリクラを自慢され、この日の上機嫌が嘘のように激昂する羽目になるのだが、彼はまだそれを知らない。
「俺ってよくよく拾い物と縁があるのかな~」
近道して帰ろうとした先で見つけた存在に、円堂は頭を掻きながら嘆息した。
手にはコンビニの買い物袋。
月の光が微かに差し込むだけの裏道は、一本向こうにある本道と違い静まり返っていた。
ぼろ雑巾のようになり、動かないそれに近づくとしゃがみ込んで指先で突く。
呻き声は上げれども意識を取り戻さないそれに、仕方ないなと携帯を取り出した。
「もしもし、一哉?ちょっと助けてー」
気の抜けた声でヘルプコールをした円堂は、倒れ付す相手に視線をやり小首を傾げた。
「・・・だから、どうして守はこうすぐに拾ってくるんだよ」
「しょうがねえじゃん。拾ってくださいとばかりに行き倒れてるんだぜ?それとも行き倒れてる奴をそのまま放っておけって言うのか?」
「そうは言わないけど」
「まー、いざとなれば何とかするし、大丈夫だって」
「・・・守は楽観的だな」
「はは、まあね。んじゃ俺は夕飯作ってくるから、ちょっと待ってろ。今日は昨日から煮込んだデミグラスハンバーグだぞ!一哉には一個おまけしてやる」
「ホント!?俺、守のハンバーグ大好きだ!」
嬉しげな声が耳元で響き、たゆたうようにしていた意識が唐突に覚醒した。
ばっと音を立てる勢いで身を起こすと、驚き目を丸めた少年と視線が合う。
幼い輪郭をした少年をじっとりと睨み威嚇するように声を上げた。
「お前は誰だ」
広々とした空間。置かれているのは観葉植物とテレビと絨毯、そして背の低いテーブルとクッションのみのシンプルな部屋は、素っ気無いというより上品という言葉が似合う。
寝転んでいた何かに手を置くと、予想外の柔らかさにバランスを崩した。
慌てて身を起こしながら何かと見るとふっくらとした枕があり、固さの違いから自分が寝ていたのはソファの上だと気がつく。
黒を基調としたそれは随分と座り心地がよいもので、体に掛けられた布団は手触りもよかった。
徐々に自分の状況を理解し始めると、不意に頭上から声を掛けられた。
「お?お目覚めか?」
「・・・お前は」
「俺は円堂守。コンビニの帰りに道端で転がってるお前を見つけて、こいつに手伝ってもらって家まで連れてきたんだ。一応見える範囲の怪我は治療したけど、どうだ?体に違和感は?」
「・・・大丈夫だ」
「そっか。頭も殴られてるみたいだし、明日ちゃんと病院行けよ」
きょろりとした大きな栗色の瞳を向けた少女に、何故か素直に頷いた。
普段なら突っ張ってしまうはずなのだが、見知らぬ相手と言う気の緩みがあるのかもしれない。
円堂と名乗った少女は明らかに怪しい風体の自分を前にしてにこにこと太陽みたいな笑顔を見せた。
眩しいものを見るように目を眇めると、視界を遮るようにそれまで黙っていた少年がひょいと顔を出す。
「俺は一之瀬一哉。守のボーイフレンドで、同棲相手だ」
「っ、あ、ああ」
「あー、そいつの言うことは気にしないでくれな。本当にただの友達で、ついでに同居相手だから」
「は?」
「お前も本当に何とかの一つ覚えみたいなことするね、一哉」
「守がすぐ他の男を家に上げるのがいけないんだ」
「・・・人聞きが悪い。お前と俺の共通の友達しかあげてないだろうが」
会話の内容に驚いていると、疲れたように笑った円堂は一之瀬の頭を掌でぐしゃぐしゃに掻き混ぜた。
その手を両手で押さえて膨れっ面を晒す一之瀬は、渋い表情だが嫌がってはないらしい。
まるで子犬の戯れのような遣り取りに、つい小さく笑うと、急に動きを止めた二人は顔を見合わせた。
「見たか、一哉」
「うん、見た見た」
「・・・どうしたんだ?」
「いや、お前笑ったからさ。寝てるときもこーんな渋い顔してうんうん魘されてたもんな」
「そうそう。こーんな渋い顔してた」
二人揃ってぎゅっと眉間に皺を寄せる彼らに、つい噴出す。
今まで感じたことがない柔らかで賑々しい空気に、張り詰めていた心が和んだ。
笑いの発作がおさまると、きょとりと瞬きする彼らに向かって正座する。
不思議そうに手を見詰める彼らに、居住まいを正した。
「俺を助けてくれて感謝してる」
「あー・・・まあ、成り行きだけどな」
「俺の名前は飛鷹征矢。こう見えて中学二年生だ」
「なーんだ、俺たちと同じじゃん。老けてるからもっと上かと思った」
「こらっ、一哉!」
「守だって絶対に年上って言ってたじゃない。実際は守のが年上だったけど」
「え?」
どう見ても自分より幼い顔立ちの円堂を弾かれたように見詰めれば、少女は苦笑して頬を掻いた。
「一応、年は俺が上みたいだけど、学年は同じだから。一年ダブってんの、俺」
「・・・・・・」
罰が悪そうに眉を下げて教えられた真実に、飛鷹は益々驚く。
聞いてはいけないことを聞いてしまった気がして忙しなく視線を彷徨わせると、結局下を向いて俯いた。
「ま、気にするな。俺は気にしてないし」
「けど」
「いーっていいって。それより、お前腹へってないか?」
「腹?」
「今から我が家は晩御飯なんだけど、折角だし食ってけよ。三人分あるんだけど、今日は待ち人現れずって奴でさ。俺特製の煮込みハンバーグ、激ウマだぜ」
にっと笑った円堂が誘うと、隣の一之瀬も不承不承ではあるが頷いた。
「そんな迷惑掛けるわけには」
いかねえ、と続ける前に、腹が盛大に鳴ってしまう。
主人の意向を無視した体に羞恥を堪えて俯けば、一拍の間を置いてから大爆笑した二人は愉快そうに飛鷹の肩を叩いた。
「迷惑なんかじゃねえよ。きっちりと準備と片付け手伝ってもらうからな」
「ちなみに摂取量は一人四個までだ。食は細い方?」
「いや、そんなことは」
「ならいいね。守、付け合せは何?」
「ジャガイモが大量にあったからジャーマンポテトとポタージュスープ、あと海草サラダ。デザートは特製ベークドチーズケーキだ」
「やった!まもとな料理だ!ほら君───ええと、飛鷹だっけ?お皿の準備始めるから、こっちに来て」
戸惑いながらも誘う手に招かれて近寄れば、両側から伸ばされた手に腕を捕まれぐっと引き寄せられた。
こけないよう何とかバランスを保つと、顔を上げて円堂と一之瀬を見る。
普段、学校や近隣でこのような接し方をする相手が居ないので、優しい掌に戸惑いを隠せない。
怪我だらけで路上に倒れてる明らかに怪しい人間なのに、彼らは怖くないのだろうか。
眉間に皺を寄せて考えると、すっと白い指先がぐりぐりとそこを押した。
「若い内からそんな顔してると、癖になっちまうぞ」
自分の方がずっと幼い顔立ちの癖に、円堂はそう言って笑うと入念にセットされた飛鷹の頭をかき乱すように撫ぜた。
いつもなら髪のセットを乱されると怒りに駆られるのに、何故か彼女相手だと怒れない。
全く悪気のない無邪気な笑顔の所為か、それとも馬鹿にした部分が欠片もないからなのか。
理由は判らないが、不思議な雰囲気の少女は心の中にすとんと嫌味なく入り込んだ。
光を具現化したような子供たちは、あどけない表情で楽しそうに飛鷹を促す。
「お前の担当はご飯な。俺はハンバーグ、一哉はサラダと飲み物。デザートは全部終ってから、一服してからにしような」
「リョーカイ!ほら飛鷹、おしゃもはこっちだよ」
「使い終わったら茶碗の水につけといてくれよー。米粒がかぴかぴになるのやだから」
「あ、ああ」
言われるがままに手渡された茶碗にご飯をつぎつつ、エプロン姿の円堂の指示に従って背の低いテーブルに並べると、右手に持つトレイにはスープを、空いた片手にはコレでもかとばかりにハンバーグを山盛りにした大皿を持った円堂が来て、その後ろから飲み物とコップとサラダを乗せたトレイを両手に抱えた一之瀬が現れる。
こちらがハラハラするバランスで来た二人は、飛鷹の心配も他所にくっちゃべりながら前を見ないで歩いて器用に皿をテーブルに並べた。
ほうっと安堵の息を吐く自分を前に軽やかに皿を並べた二人は、さっさと座るとぱんと手を打ち鳴らす。
「飛鷹も早く座ってくれよ」
「お前はお誕生日席ね」
座布団代わりのクッションを引いてくれたので、勢いこんで腰を下ろす。
埃が舞わなかったかと不安になったが、舞う誇りすらない部屋だった。
「んじゃ、せーの!」
『いただきます!」
「・・・いただきます」
彼らの勢いに釣られて手を合わせると食事を始める。
取り合えず手元にあるスープを口にし、滑らかな口ざわりと深い味わいに目を見開いた。
フランス料理店にでも出てきそうなこの料理は普段なら絶対に口にしない種類だ。
和風好みの飛鷹が選ばないものだが。
「美味い」
「そか?なんならおかわりいっぱいあるからドンと食ってくれよー。ほれ、ハンバーグも食った食った」
「守のハンバーグ激ウマだよ!そこらのレストランより美味しいから!」
空いてる皿にハンバーグを取ってくれた円堂と、ハムスターか何かのように頬を膨らませた一之瀬が笑顔で促す。
渡された皿を見詰め、意を決してハンバーグを箸で割って口にすると、濃厚な肉とデミグラスソースが丁度いい塩梅で口内に広がった。
「・・・美味い」
本当に美味しいときには他に言葉が見つからないものらしい。
せっせとハンバーグを口にすると、あっという間になくなった。
笑顔で飛鷹の食欲を見ていた円堂は、にこにこと皿にハンバーグを追加する。
「こっちは中にチーズ入ってるやつ。こっちは牛肉100パーセントだ!」
「今食べたのは?」
「鶏肉。俺は鶏肉派。一哉は牛肉派。そしてチーズは二人の好物だ」
へらり、と笑う円堂に頷きながら食事は進む。
気がつけば気後れや気まずさなんてどこぞの空に飛んでいて、久し振りの感覚に自然な笑顔が終始浮かんでいた。
見知らぬ他人を家にあげた上に食事まで振舞う警戒心のなさに苦笑しつつすっかり馴染んでいる自分に驚きを隠せない。
泊まっていけばとの言葉は流石に辞退したが、お土産にチーズケーキまで貰ってしまった。
夜の帳が降りた町並みをゆったりと歩き、夢みたいな時間を振り返る。
一期一会と言うけれど、この縁はまたどこかで続く気がして、それを願っている自分に苦く笑った。
明るい光の下を歩く二人と、喧嘩ばかり繰り返す自分とで道が重なるはずもないのに。
近道して帰ろうとした先で見つけた存在に、円堂は頭を掻きながら嘆息した。
手にはコンビニの買い物袋。
月の光が微かに差し込むだけの裏道は、一本向こうにある本道と違い静まり返っていた。
ぼろ雑巾のようになり、動かないそれに近づくとしゃがみ込んで指先で突く。
呻き声は上げれども意識を取り戻さないそれに、仕方ないなと携帯を取り出した。
「もしもし、一哉?ちょっと助けてー」
気の抜けた声でヘルプコールをした円堂は、倒れ付す相手に視線をやり小首を傾げた。
「・・・だから、どうして守はこうすぐに拾ってくるんだよ」
「しょうがねえじゃん。拾ってくださいとばかりに行き倒れてるんだぜ?それとも行き倒れてる奴をそのまま放っておけって言うのか?」
「そうは言わないけど」
「まー、いざとなれば何とかするし、大丈夫だって」
「・・・守は楽観的だな」
「はは、まあね。んじゃ俺は夕飯作ってくるから、ちょっと待ってろ。今日は昨日から煮込んだデミグラスハンバーグだぞ!一哉には一個おまけしてやる」
「ホント!?俺、守のハンバーグ大好きだ!」
嬉しげな声が耳元で響き、たゆたうようにしていた意識が唐突に覚醒した。
ばっと音を立てる勢いで身を起こすと、驚き目を丸めた少年と視線が合う。
幼い輪郭をした少年をじっとりと睨み威嚇するように声を上げた。
「お前は誰だ」
広々とした空間。置かれているのは観葉植物とテレビと絨毯、そして背の低いテーブルとクッションのみのシンプルな部屋は、素っ気無いというより上品という言葉が似合う。
寝転んでいた何かに手を置くと、予想外の柔らかさにバランスを崩した。
慌てて身を起こしながら何かと見るとふっくらとした枕があり、固さの違いから自分が寝ていたのはソファの上だと気がつく。
黒を基調としたそれは随分と座り心地がよいもので、体に掛けられた布団は手触りもよかった。
徐々に自分の状況を理解し始めると、不意に頭上から声を掛けられた。
「お?お目覚めか?」
「・・・お前は」
「俺は円堂守。コンビニの帰りに道端で転がってるお前を見つけて、こいつに手伝ってもらって家まで連れてきたんだ。一応見える範囲の怪我は治療したけど、どうだ?体に違和感は?」
「・・・大丈夫だ」
「そっか。頭も殴られてるみたいだし、明日ちゃんと病院行けよ」
きょろりとした大きな栗色の瞳を向けた少女に、何故か素直に頷いた。
普段なら突っ張ってしまうはずなのだが、見知らぬ相手と言う気の緩みがあるのかもしれない。
円堂と名乗った少女は明らかに怪しい風体の自分を前にしてにこにこと太陽みたいな笑顔を見せた。
眩しいものを見るように目を眇めると、視界を遮るようにそれまで黙っていた少年がひょいと顔を出す。
「俺は一之瀬一哉。守のボーイフレンドで、同棲相手だ」
「っ、あ、ああ」
「あー、そいつの言うことは気にしないでくれな。本当にただの友達で、ついでに同居相手だから」
「は?」
「お前も本当に何とかの一つ覚えみたいなことするね、一哉」
「守がすぐ他の男を家に上げるのがいけないんだ」
「・・・人聞きが悪い。お前と俺の共通の友達しかあげてないだろうが」
会話の内容に驚いていると、疲れたように笑った円堂は一之瀬の頭を掌でぐしゃぐしゃに掻き混ぜた。
その手を両手で押さえて膨れっ面を晒す一之瀬は、渋い表情だが嫌がってはないらしい。
まるで子犬の戯れのような遣り取りに、つい小さく笑うと、急に動きを止めた二人は顔を見合わせた。
「見たか、一哉」
「うん、見た見た」
「・・・どうしたんだ?」
「いや、お前笑ったからさ。寝てるときもこーんな渋い顔してうんうん魘されてたもんな」
「そうそう。こーんな渋い顔してた」
二人揃ってぎゅっと眉間に皺を寄せる彼らに、つい噴出す。
今まで感じたことがない柔らかで賑々しい空気に、張り詰めていた心が和んだ。
笑いの発作がおさまると、きょとりと瞬きする彼らに向かって正座する。
不思議そうに手を見詰める彼らに、居住まいを正した。
「俺を助けてくれて感謝してる」
「あー・・・まあ、成り行きだけどな」
「俺の名前は飛鷹征矢。こう見えて中学二年生だ」
「なーんだ、俺たちと同じじゃん。老けてるからもっと上かと思った」
「こらっ、一哉!」
「守だって絶対に年上って言ってたじゃない。実際は守のが年上だったけど」
「え?」
どう見ても自分より幼い顔立ちの円堂を弾かれたように見詰めれば、少女は苦笑して頬を掻いた。
「一応、年は俺が上みたいだけど、学年は同じだから。一年ダブってんの、俺」
「・・・・・・」
罰が悪そうに眉を下げて教えられた真実に、飛鷹は益々驚く。
聞いてはいけないことを聞いてしまった気がして忙しなく視線を彷徨わせると、結局下を向いて俯いた。
「ま、気にするな。俺は気にしてないし」
「けど」
「いーっていいって。それより、お前腹へってないか?」
「腹?」
「今から我が家は晩御飯なんだけど、折角だし食ってけよ。三人分あるんだけど、今日は待ち人現れずって奴でさ。俺特製の煮込みハンバーグ、激ウマだぜ」
にっと笑った円堂が誘うと、隣の一之瀬も不承不承ではあるが頷いた。
「そんな迷惑掛けるわけには」
いかねえ、と続ける前に、腹が盛大に鳴ってしまう。
主人の意向を無視した体に羞恥を堪えて俯けば、一拍の間を置いてから大爆笑した二人は愉快そうに飛鷹の肩を叩いた。
「迷惑なんかじゃねえよ。きっちりと準備と片付け手伝ってもらうからな」
「ちなみに摂取量は一人四個までだ。食は細い方?」
「いや、そんなことは」
「ならいいね。守、付け合せは何?」
「ジャガイモが大量にあったからジャーマンポテトとポタージュスープ、あと海草サラダ。デザートは特製ベークドチーズケーキだ」
「やった!まもとな料理だ!ほら君───ええと、飛鷹だっけ?お皿の準備始めるから、こっちに来て」
戸惑いながらも誘う手に招かれて近寄れば、両側から伸ばされた手に腕を捕まれぐっと引き寄せられた。
こけないよう何とかバランスを保つと、顔を上げて円堂と一之瀬を見る。
普段、学校や近隣でこのような接し方をする相手が居ないので、優しい掌に戸惑いを隠せない。
怪我だらけで路上に倒れてる明らかに怪しい人間なのに、彼らは怖くないのだろうか。
眉間に皺を寄せて考えると、すっと白い指先がぐりぐりとそこを押した。
「若い内からそんな顔してると、癖になっちまうぞ」
自分の方がずっと幼い顔立ちの癖に、円堂はそう言って笑うと入念にセットされた飛鷹の頭をかき乱すように撫ぜた。
いつもなら髪のセットを乱されると怒りに駆られるのに、何故か彼女相手だと怒れない。
全く悪気のない無邪気な笑顔の所為か、それとも馬鹿にした部分が欠片もないからなのか。
理由は判らないが、不思議な雰囲気の少女は心の中にすとんと嫌味なく入り込んだ。
光を具現化したような子供たちは、あどけない表情で楽しそうに飛鷹を促す。
「お前の担当はご飯な。俺はハンバーグ、一哉はサラダと飲み物。デザートは全部終ってから、一服してからにしような」
「リョーカイ!ほら飛鷹、おしゃもはこっちだよ」
「使い終わったら茶碗の水につけといてくれよー。米粒がかぴかぴになるのやだから」
「あ、ああ」
言われるがままに手渡された茶碗にご飯をつぎつつ、エプロン姿の円堂の指示に従って背の低いテーブルに並べると、右手に持つトレイにはスープを、空いた片手にはコレでもかとばかりにハンバーグを山盛りにした大皿を持った円堂が来て、その後ろから飲み物とコップとサラダを乗せたトレイを両手に抱えた一之瀬が現れる。
こちらがハラハラするバランスで来た二人は、飛鷹の心配も他所にくっちゃべりながら前を見ないで歩いて器用に皿をテーブルに並べた。
ほうっと安堵の息を吐く自分を前に軽やかに皿を並べた二人は、さっさと座るとぱんと手を打ち鳴らす。
「飛鷹も早く座ってくれよ」
「お前はお誕生日席ね」
座布団代わりのクッションを引いてくれたので、勢いこんで腰を下ろす。
埃が舞わなかったかと不安になったが、舞う誇りすらない部屋だった。
「んじゃ、せーの!」
『いただきます!」
「・・・いただきます」
彼らの勢いに釣られて手を合わせると食事を始める。
取り合えず手元にあるスープを口にし、滑らかな口ざわりと深い味わいに目を見開いた。
フランス料理店にでも出てきそうなこの料理は普段なら絶対に口にしない種類だ。
和風好みの飛鷹が選ばないものだが。
「美味い」
「そか?なんならおかわりいっぱいあるからドンと食ってくれよー。ほれ、ハンバーグも食った食った」
「守のハンバーグ激ウマだよ!そこらのレストランより美味しいから!」
空いてる皿にハンバーグを取ってくれた円堂と、ハムスターか何かのように頬を膨らませた一之瀬が笑顔で促す。
渡された皿を見詰め、意を決してハンバーグを箸で割って口にすると、濃厚な肉とデミグラスソースが丁度いい塩梅で口内に広がった。
「・・・美味い」
本当に美味しいときには他に言葉が見つからないものらしい。
せっせとハンバーグを口にすると、あっという間になくなった。
笑顔で飛鷹の食欲を見ていた円堂は、にこにこと皿にハンバーグを追加する。
「こっちは中にチーズ入ってるやつ。こっちは牛肉100パーセントだ!」
「今食べたのは?」
「鶏肉。俺は鶏肉派。一哉は牛肉派。そしてチーズは二人の好物だ」
へらり、と笑う円堂に頷きながら食事は進む。
気がつけば気後れや気まずさなんてどこぞの空に飛んでいて、久し振りの感覚に自然な笑顔が終始浮かんでいた。
見知らぬ他人を家にあげた上に食事まで振舞う警戒心のなさに苦笑しつつすっかり馴染んでいる自分に驚きを隠せない。
泊まっていけばとの言葉は流石に辞退したが、お土産にチーズケーキまで貰ってしまった。
夜の帳が降りた町並みをゆったりと歩き、夢みたいな時間を振り返る。
一期一会と言うけれど、この縁はまたどこかで続く気がして、それを願っている自分に苦く笑った。
明るい光の下を歩く二人と、喧嘩ばかり繰り返す自分とで道が重なるはずもないのに。
「どーもんくん」
「あーそびましょっ」
「おわっ!!?」
どん、と背中に激しい衝撃を受け、土門はバランスを崩す。
たたらを踏みながらも顔面から地面にダイブするのだけは必死で堪えると、人を窮地へ追い込みながらも全く悪びれることなく笑っている二人を首を回して睨み付けた。
細いが身長がある土門の首にぶら下がるようにしてしがみ付く問題児は、案の定円堂と一之瀬で、締め付けられる首に敗北ししゃがみ込んだ。
すると遠慮を知らない彼らは背中にぼふんと覆いかぶさる。
一之瀬はともかく円堂の柔らかな感触に、普段つけているサポーターを外していると気がついて慌ててもう一度立ち上がりぐえっと惨めな声を漏らした。
「おー、良く締まるな」
「うんうん、動き回って元気だね」
「暢気な感想言い合ってないでさっさと手を放してくれ!特に円堂!お前、胸、胸!!」
「んー?胸がどうした、青少年?」
「胸が背中に当たってるんだよ!お前女の子なんだからちょっとは配慮してくれ!!」
恥を忍んで悲鳴に近い叫びを上げれば、一瞬黙り込んだ二人は爆笑した。
思わぬ反応に身じろぐ体を止めると、首を絞めるようにしていた二人が地面へ降りる。
にやにやと性質の悪い顔で笑う二人に、土門は一歩あとずさった。
「おいおい一之瀬君、聞いた?土門君の破廉恥な発言」
「聞いた聞いた。いやぁ、親友の彼がこんな発言するなんて、彼の成長に感動ですね」
「胸、胸と連呼するなんて、欲求不満なのかねぇ」
「本当だよねぇ。当たってたのは単なるメロンパンなのにねぇ」
口元を手で押さえながら、ご近所のおばちゃんたちがするヒソヒソ話のようにこれ見よがしにちらちらと視線を寄越しながらの会話に、土門の顔に徐々に血の気が上ってきた。
つまり、彼らの会話を整理すると、先ほどまで土門の背中に当たってたのは円堂の胸ではなく、メロンパンと言うことか。
それにしてはそれらしいものはないと注視してると、円堂がジャージの中に手を突っ込んでひょいとそれを取り出した。
「んなっ!!?」
両手に持ったそれは、確かにメロンパン。
しかし態々胸に詰める意味なんて見出せず、最初から引っ掛けるつもりだったのかと顔を真っ赤にして睨み付けると、してやったりと悪戯好きの二人は顔を見合わせた。
「俺の胸元でほかほかに温もったメロンパン。欲しい?」
「いるか!!」
笑いを堪えるようにして差し出されたそれを拒絶すると、そのまま袋を開けて齧り付いた。
もう一つを一之瀬に渡すと、彼も躊躇せずに袋を開けて齧り付く。
「一之瀬!?お前、何食べてんの!?」
「え?メロンパン」
「そうじゃなくて、どうして今それを普通の顔で食えるんだよ!?」
「だってこれ普通のパンだし」
「そうそう。やましい気持ちを持ってなければ、単なるパンだし」
「円堂っ!!」
「分厚いサポーターの上においてただけだし、別に温もってもないよコレ。変な妄想しなきゃな」
「うん。土門をからかうために仕込んだだけだし、食べなきゃ勿体無いしな」
可愛い顔してえげつい二人に顔を引きつらせると、多大に諦めを含んだため息を吐き出した。
一之瀬一人でも手に負えないのに、円堂まで加われば土門に勝ち目はない。
突然の合宿宣言で学校に泊まり気にたのだが、これが終るまであと何回引っ掛けられるだろうか。
夕食が終わって僅かな休憩を楽しんでいたはずなのに、どっと疲れを覚えて首を振った。
この場に彼女の過保護な弟と幼馴染が居なくてよかった。
抱きつかれるなんて現場を見られれば、言い訳を重ねても有罪判決が下ってしまう。
「それで?俺に何の用だ?」
「用事がなきゃ構っちゃいけないのか?」
「この場面で用もないのに構いに来る性格してないだろ」
円堂はアフロディのシュート程度なら止めれると断言した。
力強い宣言だったが、同時に彼の言葉を否定しなかった。
幾らシュートを止めても点を入れられなければ勝つことは出来ない。
この合宿は、彼女のためにと言うより、自分たちの基礎を上げるためのものと考えるのが妥当だった。
ならばこの場に円堂が居るのは不自然だ。
勝つための士気が向上している今、豪炎寺や鬼道のように後輩たちの指導に当たるのが普通だろうに、イナビカリ修練場に消えた彼らを追うでもなく一人グランドに佇んでいた土門の元へ来ている。
土門がここに居るのは懐かしい親友からメールを受けたからだが、もしかして休憩時間を早めて練習を再開するつもりだろうか。
小首を傾げた土門に、にこりと一見すると無邪気で可愛い笑顔を浮かべた円堂と一之瀬は、何処からともなくボールを取り出した。
「よう、土門。それと円堂に一之瀬も先日ぶり」
「こんばんは、西垣。突然の呼び出しなのに、承諾してくれてありがとな」
「やあ、西垣!いきなりごめんな」
「いいよ、どうせ暇してたしな。それにお前らの役に立てるなら、俺も嬉しいしな」
円堂と一之瀬と順に握手をした西垣は、夜の中でも判るほどにこりと笑った。
上下が揃ったスウェットで動きやすい格好をした待ち人の突然の行動に目を白黒させていると、種明かしするように円堂が口を開いた。
「実は俺が一哉に頼んで呼び出してもらったんだ。どうしても覚えたい技があったから、練習相手になって欲しくてな」
「覚えたい技?」
「俺たち三人の技って言ったらあれでしょ。『トライペガサス』だよ」
「『トライペガサス』だって!?けど、あの技は俺たちが苦労して編み出した技で、一朝一夕で覚えれるようなもんじゃないぞ?」
「だから西垣に来てもらったんだよ。理屈を云々講釈されるより、実物を見るのが一番早い」
頭の後ろで腕を組んだ円堂は、にひっと不思議な声で笑った。
確かに理屈を言うより実物を見た方が解釈は早いかもしれない。
だが幾ら幼い頃に編み出した技でも威力は本物だ。
彼女と一緒に技を決めたいと思う心と相反し、むくむくと負けん気が育っていく。
簡単に盗まれて堪るかと、土門の中のサッカー選手としての意地が顔を覗かせた。
「西垣はいいのか?」
「いいよ。俺たちで編み出した技が必要と言われるのは嫌じゃない。もっとも───本当に自分のものに出来るならだけどな」
にっと勝気な笑顔を見せた西垣に土門も頷いた。
一之瀬と円堂と三人で扱う必殺技が出来るのは嬉しいが、西垣の気持ちも一プレイヤーとしてよく判る。
とん、とボールを投げて寄越した円堂は、楽しげに手を叩いた。
「キーパーは必要か?」
「いいや、不要だ。明かりがないのがちょっと辛いけどね」
「暗闇は今回の課題において必須なもんでな。体で距離を覚えるのに闇は感覚を鋭くさせるから丁度いいんだ」
「そんなもんか?」
「そんなもんだよ。もっとも見るだけの立場だと少々辛いけどね。じゃ、始めてくれ」
片手を上げた円堂に、ボールから距離を均一に保つと二人の様子を窺う。
こくりと頷きあい、一之瀬の合図で一気にボールへと走りこんだ。
三人の力を一点で交差させると、気流により空高くボールが跳ね上がる。
渦巻く気の流れが空を翔る天馬へと姿を変え高らかに嘶いた。
『トライペガサス!!』
空に舞うボールに順に足を当て圧を掛ける。
三人の力を合わせて放たれたボールは、空気を裂いてゴールへ突き刺さる。
すたりと地面へ降りると、おおーと暢気な声で拍手する円堂が居た。
心なしか先ほどよりも笑顔が深まり楽しそうだ。
「超格好いいな~、その技。威力も迫力も凄いし、技が綺麗だ。三人の力を一点で交差させ練り上げた気でボールを上げる。天空へ跳ねたボールを、上から押さえつけるようにして順に力を溜め込み、一瞬の後同時に炸裂させる。空気を縫って進むボールはペガサスのごとく美しく壮麗だ。うん、いい技だな」
拍手しながら褒める円堂に、西垣が眉根を寄せた。
「たった一度でそこまで判ったのか?」
「───底知れないな」
唖然とする西垣に、土門が呻るように呟いた。
彼女がイタリアで天才として名を馳せているのは知っていたが、暗闇の中一度確認しただけの技をここまで解析されると思ってなかった。
全く驚いていない一之瀬と違い、彼女に関する情報は少ない。
『天才』の言葉でひと括りにしていたが、見せ付けられる才能に戦慄した。
「でもやっぱ一回じゃ駄目だな。悪い、もうちょっと見せてもらえるか?」
「うん、任せてよ。西垣、土門、準備はいいか?」
「・・・ああ」
「・・・いつでも、大丈夫だ」
ぐうっと喉を鳴らし、息を吐き出すとボールへ意識を集中させた。
ペガサスが夜空へ舞う。
青い白く輝く誇り高いその姿が、不死を語るフェニックスへと変化したのは月が中天を僅かに超えた時間帯だった。
「あーそびましょっ」
「おわっ!!?」
どん、と背中に激しい衝撃を受け、土門はバランスを崩す。
たたらを踏みながらも顔面から地面にダイブするのだけは必死で堪えると、人を窮地へ追い込みながらも全く悪びれることなく笑っている二人を首を回して睨み付けた。
細いが身長がある土門の首にぶら下がるようにしてしがみ付く問題児は、案の定円堂と一之瀬で、締め付けられる首に敗北ししゃがみ込んだ。
すると遠慮を知らない彼らは背中にぼふんと覆いかぶさる。
一之瀬はともかく円堂の柔らかな感触に、普段つけているサポーターを外していると気がついて慌ててもう一度立ち上がりぐえっと惨めな声を漏らした。
「おー、良く締まるな」
「うんうん、動き回って元気だね」
「暢気な感想言い合ってないでさっさと手を放してくれ!特に円堂!お前、胸、胸!!」
「んー?胸がどうした、青少年?」
「胸が背中に当たってるんだよ!お前女の子なんだからちょっとは配慮してくれ!!」
恥を忍んで悲鳴に近い叫びを上げれば、一瞬黙り込んだ二人は爆笑した。
思わぬ反応に身じろぐ体を止めると、首を絞めるようにしていた二人が地面へ降りる。
にやにやと性質の悪い顔で笑う二人に、土門は一歩あとずさった。
「おいおい一之瀬君、聞いた?土門君の破廉恥な発言」
「聞いた聞いた。いやぁ、親友の彼がこんな発言するなんて、彼の成長に感動ですね」
「胸、胸と連呼するなんて、欲求不満なのかねぇ」
「本当だよねぇ。当たってたのは単なるメロンパンなのにねぇ」
口元を手で押さえながら、ご近所のおばちゃんたちがするヒソヒソ話のようにこれ見よがしにちらちらと視線を寄越しながらの会話に、土門の顔に徐々に血の気が上ってきた。
つまり、彼らの会話を整理すると、先ほどまで土門の背中に当たってたのは円堂の胸ではなく、メロンパンと言うことか。
それにしてはそれらしいものはないと注視してると、円堂がジャージの中に手を突っ込んでひょいとそれを取り出した。
「んなっ!!?」
両手に持ったそれは、確かにメロンパン。
しかし態々胸に詰める意味なんて見出せず、最初から引っ掛けるつもりだったのかと顔を真っ赤にして睨み付けると、してやったりと悪戯好きの二人は顔を見合わせた。
「俺の胸元でほかほかに温もったメロンパン。欲しい?」
「いるか!!」
笑いを堪えるようにして差し出されたそれを拒絶すると、そのまま袋を開けて齧り付いた。
もう一つを一之瀬に渡すと、彼も躊躇せずに袋を開けて齧り付く。
「一之瀬!?お前、何食べてんの!?」
「え?メロンパン」
「そうじゃなくて、どうして今それを普通の顔で食えるんだよ!?」
「だってこれ普通のパンだし」
「そうそう。やましい気持ちを持ってなければ、単なるパンだし」
「円堂っ!!」
「分厚いサポーターの上においてただけだし、別に温もってもないよコレ。変な妄想しなきゃな」
「うん。土門をからかうために仕込んだだけだし、食べなきゃ勿体無いしな」
可愛い顔してえげつい二人に顔を引きつらせると、多大に諦めを含んだため息を吐き出した。
一之瀬一人でも手に負えないのに、円堂まで加われば土門に勝ち目はない。
突然の合宿宣言で学校に泊まり気にたのだが、これが終るまであと何回引っ掛けられるだろうか。
夕食が終わって僅かな休憩を楽しんでいたはずなのに、どっと疲れを覚えて首を振った。
この場に彼女の過保護な弟と幼馴染が居なくてよかった。
抱きつかれるなんて現場を見られれば、言い訳を重ねても有罪判決が下ってしまう。
「それで?俺に何の用だ?」
「用事がなきゃ構っちゃいけないのか?」
「この場面で用もないのに構いに来る性格してないだろ」
円堂はアフロディのシュート程度なら止めれると断言した。
力強い宣言だったが、同時に彼の言葉を否定しなかった。
幾らシュートを止めても点を入れられなければ勝つことは出来ない。
この合宿は、彼女のためにと言うより、自分たちの基礎を上げるためのものと考えるのが妥当だった。
ならばこの場に円堂が居るのは不自然だ。
勝つための士気が向上している今、豪炎寺や鬼道のように後輩たちの指導に当たるのが普通だろうに、イナビカリ修練場に消えた彼らを追うでもなく一人グランドに佇んでいた土門の元へ来ている。
土門がここに居るのは懐かしい親友からメールを受けたからだが、もしかして休憩時間を早めて練習を再開するつもりだろうか。
小首を傾げた土門に、にこりと一見すると無邪気で可愛い笑顔を浮かべた円堂と一之瀬は、何処からともなくボールを取り出した。
「よう、土門。それと円堂に一之瀬も先日ぶり」
「こんばんは、西垣。突然の呼び出しなのに、承諾してくれてありがとな」
「やあ、西垣!いきなりごめんな」
「いいよ、どうせ暇してたしな。それにお前らの役に立てるなら、俺も嬉しいしな」
円堂と一之瀬と順に握手をした西垣は、夜の中でも判るほどにこりと笑った。
上下が揃ったスウェットで動きやすい格好をした待ち人の突然の行動に目を白黒させていると、種明かしするように円堂が口を開いた。
「実は俺が一哉に頼んで呼び出してもらったんだ。どうしても覚えたい技があったから、練習相手になって欲しくてな」
「覚えたい技?」
「俺たち三人の技って言ったらあれでしょ。『トライペガサス』だよ」
「『トライペガサス』だって!?けど、あの技は俺たちが苦労して編み出した技で、一朝一夕で覚えれるようなもんじゃないぞ?」
「だから西垣に来てもらったんだよ。理屈を云々講釈されるより、実物を見るのが一番早い」
頭の後ろで腕を組んだ円堂は、にひっと不思議な声で笑った。
確かに理屈を言うより実物を見た方が解釈は早いかもしれない。
だが幾ら幼い頃に編み出した技でも威力は本物だ。
彼女と一緒に技を決めたいと思う心と相反し、むくむくと負けん気が育っていく。
簡単に盗まれて堪るかと、土門の中のサッカー選手としての意地が顔を覗かせた。
「西垣はいいのか?」
「いいよ。俺たちで編み出した技が必要と言われるのは嫌じゃない。もっとも───本当に自分のものに出来るならだけどな」
にっと勝気な笑顔を見せた西垣に土門も頷いた。
一之瀬と円堂と三人で扱う必殺技が出来るのは嬉しいが、西垣の気持ちも一プレイヤーとしてよく判る。
とん、とボールを投げて寄越した円堂は、楽しげに手を叩いた。
「キーパーは必要か?」
「いいや、不要だ。明かりがないのがちょっと辛いけどね」
「暗闇は今回の課題において必須なもんでな。体で距離を覚えるのに闇は感覚を鋭くさせるから丁度いいんだ」
「そんなもんか?」
「そんなもんだよ。もっとも見るだけの立場だと少々辛いけどね。じゃ、始めてくれ」
片手を上げた円堂に、ボールから距離を均一に保つと二人の様子を窺う。
こくりと頷きあい、一之瀬の合図で一気にボールへと走りこんだ。
三人の力を一点で交差させると、気流により空高くボールが跳ね上がる。
渦巻く気の流れが空を翔る天馬へと姿を変え高らかに嘶いた。
『トライペガサス!!』
空に舞うボールに順に足を当て圧を掛ける。
三人の力を合わせて放たれたボールは、空気を裂いてゴールへ突き刺さる。
すたりと地面へ降りると、おおーと暢気な声で拍手する円堂が居た。
心なしか先ほどよりも笑顔が深まり楽しそうだ。
「超格好いいな~、その技。威力も迫力も凄いし、技が綺麗だ。三人の力を一点で交差させ練り上げた気でボールを上げる。天空へ跳ねたボールを、上から押さえつけるようにして順に力を溜め込み、一瞬の後同時に炸裂させる。空気を縫って進むボールはペガサスのごとく美しく壮麗だ。うん、いい技だな」
拍手しながら褒める円堂に、西垣が眉根を寄せた。
「たった一度でそこまで判ったのか?」
「───底知れないな」
唖然とする西垣に、土門が呻るように呟いた。
彼女がイタリアで天才として名を馳せているのは知っていたが、暗闇の中一度確認しただけの技をここまで解析されると思ってなかった。
全く驚いていない一之瀬と違い、彼女に関する情報は少ない。
『天才』の言葉でひと括りにしていたが、見せ付けられる才能に戦慄した。
「でもやっぱ一回じゃ駄目だな。悪い、もうちょっと見せてもらえるか?」
「うん、任せてよ。西垣、土門、準備はいいか?」
「・・・ああ」
「・・・いつでも、大丈夫だ」
ぐうっと喉を鳴らし、息を吐き出すとボールへ意識を集中させた。
ペガサスが夜空へ舞う。
青い白く輝く誇り高いその姿が、不死を語るフェニックスへと変化したのは月が中天を僅かに超えた時間帯だった。
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