忍者ブログ
初回の方は必ずTOPの注意事項をご確認ください。 本家はPCサイトで、こちらはSSSのみとなります。
Calendar
<< 2025/06 >>
SMTWTFS
1234 567
891011 121314
15161718 192021
22232425 262728
2930
Recent Entry
Recent Comment
Category
8   9   10   11   12   13   14   15   16   17   18  
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

かりかりかりと静かな部室にシャープペンの走る音がする。
雨により部活中止の連絡が入ったので、部室の中は静かなものだ。
ゆったりした空気は久々で、鬼道の胸を甘く締め上げる。
トタンを叩く雨音すら極上のクラシックに匹敵するBGMで、目の前で分厚い本を捲る姿は一枚の絵画のようだった。

懐かしさすら覚える光景に、すっと目を細める。
昔、まだ彼女が鬼道の家に住んでいる頃、良く勉強を見てもらっていた。
普段は家庭教師に学んでいたが、姉が日本にいる間はいつでも彼女に勉強をみてもらっていた。
利発な姉はともすれば家庭教師より余程上手に勉強を教えてくれて、姉を独占できる唯一の手段である勉強はお陰で好きになれた。
彼女が勉強してる姿は一度として目にしたことはないが、全国模試でも常に一位で、一度覚えたことを忘れない彼女は神童として扱われてた。


「・・・どうかしたか、有人。わからない問題でもあったか?」


いつの間にかまじまじと見詰めすぎていたのだろう。
本から顔を上げた円堂と視線が正面から絡み、こくりと喉を鳴らす。
らしくなく動揺してしまうのは、相手が円堂だから。
昔はノンフレームの眼鏡だったが、今は黒縁のお洒落眼鏡の奥から栗色の大きな瞳が覗いている。
太めのフレームだけで印象は随分と変わり、夢破れてからも儚げな雰囲気の姉を好んでいた幼馴染を思い出し、この姿を見せてやりたいと意地悪く笑った。
もっともそれは本心ではなく、どんな姿でも愛しい人をライバルに晒す気はなかったけれど。
じっとこちらを眺めながら小首を傾げて返事を待つ円堂に口を開きかけた瞬間、最近では通例になる邪魔が入った。


「守、俺ここが判んない」


横から顔を出して甘えるように円堂にすりつく一之瀬の姿に、鬼道はぎりぎりと奥歯を噛み締める。
帰国子女である彼はどうしてか姉と同居しているらしいが、鬼道には未だにそれは承服しかねた。
何しろ鬼道自身は姉が何処に住んでいるかすら知らないのだ。
父からもたらされた限りある情報の一つに、目付け役として一之瀬一哉の名前が入っていたときの衝撃は忘れられない。

聞くところによると、彼はアメリカ時代の円堂の恩人らしい。
廃人同様に無気力になった彼女にもう一度サッカーをさせ、そして笑顔を取り戻させた。
彼女の過去を知りつつそれでも現在の姿に失望せずに一心に慕い、裏表ない態度に彼を信頼した父が直々に円堂の目付けを頼んだそうだが、そんなのは納得できない。
以前ならともかく今はもう完全とは言えなくとも姉との関係は随分と緩和されていた。
どうせなら鬼道自身が彼女と同居した方がずっとずっと安心できるはずだ。

けれどそれを訴えれば父は苦い顔をして許可をくれなかった。
否、正確には『守がいいと言うなら』と許可をくれたが、姉は未だに在宅の許可どころか自宅のありかすら教えてくれない。
思い余って後を付けようとしたら、そんなことしたら絶交だと言い渡された。
一之瀬と並んで帰る姿を震える拳を握り締め怒りに堪えていたら、横から豪炎寺に慰められた。
一瞬だけ心が慰められたが、あいつも円堂の自宅を知っていると言われた瞬間から一切の慰めは不要だと手を振り払ったのは記憶に新しい。
やっぱり受け入れてもらえないのだろうかと落ち込んでいると、何処からともなく現れた妹に慰められた。
それがまた一層情けない気分だと嘆息すると、『いざとなったら泣き落としだよ』と拳を握って宣言された。
妹がどうやって自分のところへ円堂を送り出したか思い出したが、それをしても動いてくれないだろう姉の厳しさを知ってるだけに苦笑しか浮かばない。
今では学校の限られた時間をなるべく傍に居ることで何とか心を慰めているが、その内絶対に家に向かうと心に決めていた。
そしてそうなったとき、一番のお邪魔虫は目の前の一之瀬だろうと確信している。
一之瀬自身も鬼道を嫌いだと断言したが、彼の実力を認めつつも鬼道も彼が好きじゃない。
特に、今みたいに甘える姿を見ると、怒りを堪えるだけで精一杯だった。


「・・・姉さんは俺に聞いたんだ、一之瀬」
「何で未だに姉さんて呼んでるんだよ。守はもう鬼道の姉じゃないだろ」
「苗字が違っても姉さんは姉さんだ。公私は分けて事情を知ってる人間の前以外では口にしてないんだ、放っておいてくれ」
「放っておけないね。俺は守が大事だ。今の守の生活を、お前なんかに乱して欲しくない」
「俺が姉さんの邪魔になると言いたいのか?」
「それ以外にどう聞こえるって言うんだ?」


可愛らしい顔をしているくせに、欧米仕込のはっきりした態度で睨む一之瀬に舌打ちする。
どんなときでも冷静であれ。
そう教えられてきたが、鬼道とて逆鱗はある。
触れられれば理性など消失し、怒りで全身が支配される。
未熟だと思うがこればかりはどうしようもない。
もう子供の頃から刷り込まれた条件反射なのだから。


「俺は姉さんを傷つけたりしない」
「どうだか。───守のこと、何も知らないくせに」
「・・・お前こそ。姉さんのこと、何も知らないくせに」


ぎらぎらとした目をする彼から一切視線を逸らさぬままに睨み返した。
彼は鬼道が知らないこの二年間の円堂を知っている。
けど同じように、この二年間以外の過去を彼は知らない。
円堂に対する情報は鬼道の方がずっと上で、ずっとずっと知っている。
一触即発とばかりに睨み合っていると、呆れたような声で仲裁が入った。


「はいはい、もうやめ。ったく、お前らは本当に相性が悪いな~。これが試合に影響しないのが心底不思議だ、俺は」
「俺も円堂の言葉に納得。そもそも二人と円堂に教えを請うてるけど、円堂ってそんなに勉強できるの?帰国子女の一之瀬はともかく、鬼道さんなんて勉強教わる必要ないだろ」
「・・・何言ってるの、土門。守はダブってるけど、勉強はむちゃくちゃ出来るよ」
「そうだ。姉さんは鬼道の長子だ。何をしても一番を取れと言われる生活をしていたんだぞ?俺なんか足元にも及ばない知識量だし、基本的に何でも出来る。料理、裁縫、ダンス、音楽、武芸、語学、日舞にお茶やお花も何でもござれだ」
「───マジ?」
「マジだぞ、土門。前も言ったろ?俺って見た目よりお嬢様」


一之瀬と鬼道の言葉を円堂が肯定すれば、今まで息すら殺すように自分の勉強を進めていた土門は驚きで目を丸めた。
一応転校生の鬼道と、帰国子女である二人のために開かれた勉強会だが、土門が発言したのは一時間経って始めてだ。
人の感情の機微に聡い彼が遠慮していたのに気づくと恥じ入るばかりだが、それでも目の前のあからさまなライバルに牙を剥かずにいられない。
漸く普通の空気に戻ったことに安堵したらしい彼に苦笑すると、一瞬だけ視線を一之瀬に送ってから円堂を見た。


「姉さん、俺は古典が少し苦手なんで教えてもらえますか?」
「古典なら俺も苦手。帰国子女だから」


もう一度空気を立て直そうとしたところで、また絶妙の邪魔を入れた一之瀬を睨む。
その様子を眺めて呆れたと苦笑した円堂は肩を竦めると土門を見た。


「なら、お前も同条件だな、土門。確か、お前んとこも俺のとこと担当教師は同じだったよな?課題のプリント出てるだろ。教えてやるからノート広げてみ」
「っ、ああ。ありがと、円堂」


頷いた土門は鞄からプリントとノートを取り出した。
一之瀬と睨み合いながらも、同じようにプリントとノートを取り出す。
円堂もプリントを手に持つと、そのまま文章を一通り長し読みして解説を始めた。

久し振りに受ける姉の授業は相変わらず判り易く、するすると入る内容に土門は次の授業を予約していた。


「姉さん」
「ん?」
「今度は二人きりで教えてください」


一之瀬と土門が話してる隙に耳元で囁けば、苦笑した円堂は否とも是とも言わずにプリントを振った。
けれど曖昧に誤魔化されてなるものか、と彼女の手を取ると無理やりに小指を絡める。


「約束です」


にこり、と微笑めば仕方ないな、と苦笑された。
弟としての経験は、今でもやっぱり活かされていて、その様子を見た土門は存外に甘え上手な鬼道に感心し、一之瀬は頬を膨らませて不服をあらわにした。

拍手[6回]

PR
『会わせたい子がいます』


守と知り合ってから早三ヶ月。季節はずれの転入生としてフィディオの生活圏から僅かに離れた金持ち学校へ編入した彼女からメールが入り、小首を傾げた。
季節は夏本番へと移り、日差しは益々強くなる。
自室の窓から外を覗けば、ノースリーブで歩く女性の姿と目が合って、知らないけれど笑顔で手を振っておいた。

今は日本へ帰っている守がイタリアへ来るのは、確か今週の日曜日。
来月は日本の学校が夏休みに入るから二ヶ月連続で居られると笑っていたのを覚えている。
しょっちゅう会えるわけではないが、それでも頻繁にメールの遣り取りをしている二人は中々良好な関係を築いていた。
電車で大体往復2時間の距離に互いの住処があるので、月に4、5回は会って練習したり遊んだりしている。

しかしながらサッカーの試合をしたのは最初の一回だけ。
ぎりぎりのラインで北と南に分かれてしまったフィディオと守は、大きいサッカーの公式戦でも顔を合わすチャンスは少なかった。
それでも『マモル・キドウ』の名前は順調に南イタリアのサッカー少年の間では広まりつつあった。

その才能から女でありながら男子と公式にプレイすることを許可された天才。
フィールドの中でも一際高い技術力と、決して諦めない強い精神力を併せ持つ司令塔。
最悪の場面でも彼女の一言があればチームは何度でも向かうと言われる強いカリスマ性。
始めは女として侮っていた相手も一回でも試合をすれば彼女の凄さを理解し、新しく立ち上げたばかりのはずだが、彼女の所属するチームはたった三ヶ月で北のサッカーチームのトップグループに仲間入りしてしまった。

先日学校に遊びに来た守と携帯とパソコンのアドレス交換をしたフィディオは、今や長年の親友のように彼女と付き合っている。
なのでイタリアと日本を行き来して生活する特異な環境なども本人の口から教えてもらっていたが。


「でも、会わせたい奴がいるなんて初耳だ」


日常であった出来事や、サッカーの試合での反省点。果てはテストの点数まで話していたがこの展開は初めてだ。
もしかすると、日本の友人が休みにあわせて遊びに来るのだろうか。
きっと守が会わせたいと言うくらいだからとても親しい間柄なのだろう。


「約束の日付は・・・再来週か」


再来週は夏休みだ。イタリアの夏は長い。
チームのサッカー合宿もあるし、守と二人で遊ぶ約束だって沢山している。


「早く、来ないかな」


指折り数えてカレンダーを確認したフィディオは、満面の笑みを浮かべていた。





「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」


先ほどから思い切り威圧感溢れる空気でこちらを睨みつけてくる少年に、フィディオは重く深いため息を落とした。
きちんとした身なりの少年はフィディオよりも頭一つ分はゆうに高く、端正な顔立ちは職人が誂えた彫像のように整っている。
肩を越す青緑色の髪を白いリボンで緩く一本に纏め、左で分けられた前髪が右目をしっかりと隠していた。
だからと言って視線の鋭さが衰えるでもなく、むしろ突き刺さるようだ。
沈黙が痛い。否、視線が痛い。
先ほど守が退席してから一言も口を利かない少年に、フィディオは引きつった笑みを浮かべた。


「あの」
「・・・何か?」
「いえ、何でも・・・」


勇気を振り絞って声を掛けたものの、すぐに撃沈してしまう。
取り付く島もない、とはこのことだ。
何が気に入らないのか知らないが、執事が入れた紅茶を眉間に皺を寄せて、まるで苦い薬でも飲むように口にする少年に苦笑した。
とても同じ年とは思えない落ち着きようだが、機嫌はよくないらしい。

少年の名前は、エドガー・バルチナス。
あの世界的に有名なイギリスのバルチナス財閥の跡取り息子らしい。
本来ならただのサッカー少年であるフィディオと顔を合わせるような階級の人間ではないのだが、守曰く彼は幼馴染らしい。
いかめしい顔つきを崩さないエドガーと、いつだって楽しそうにしている守と良く付き合いが続くな、と思ったが、口に出せばただではすまなそうなので代わりに白いカップにそっと口をつけた。

今日は守の招きにより、彼女の家にお邪魔していた。
イタリアでの守の家は高級マンションの最上階のフロア丸々で、実家の物件だからお金は要らないと笑っていたけれどそれすら驚く一等地に建っている。
5階建てで屋上付きのそこは広々としており風通しも良かった。
普段良く入るリビングには品の良い家具と壮大な景色の描かれた絵画が特徴的で、ベランダにはテーブルセットも置いてある。
片隅には弾かれているのは見たことがないがグランドピアノも鎮座していて、防音設備もしっかりしているらしい。
手入れされた観葉植物もそこかしこに置かれ、窓から差し込む光も豊富な部屋は華美ではない心休まる空間になっていた。

───目の前の少年が居なければ、だが。

幾度も通っているはずの家だがここまで気疲れするのは初めてだ。
初回のときですらこんな無駄に緊張しなかった。
ぴりぴりした空気のエドガーのお陰でお茶の味すらわからない。ここで不味いものを出されたことがないので勿体無いと吐きたくなるため息を飲み込むと、この場に居ない親友に早く帰ってきてくれと心から祈った。

すると。


「遅くなってごめんなさい。今、戻りました」


腰を越える長い髪を今日は緩く三つ網にした守が、淡い色合いのワンピースを纏い現れた。
ピンクを基調にしたそれは穏やかに微笑む少女に良く似合っており、本来のガサツとも言える性格を隠している。
ノンフレームの眼鏡の奥の輝きだけが本質を表しており、相変わらずだなとフィディオは笑った。


「遅いよ、マモル」
「ふふふ、少し説得に時間がかかってしまって」
「説得?」
「ええ。会わせたい子が居るとメールしたでしょう?」


両サイドに残した髪が首を傾げるのに合わせて頬にかかる。それを自然な仕草で直した少女は、どう見ても大人しげな愛らしい少女だ。
顔立ちではなく雰囲気から内面の輝きが滲み出る不思議な人は、その独特の魅力を誰より自分が理解してる。
見られるのに慣れた少女は立ち振舞いも仕草も堂々としたものだ。
ついでに度胸も一級品。
先ほどから獰猛な獣さながらに牙を剥かんとする少年の視線を一身に浴びているのに、はらはらするフィディオとは反対に守は全くのガン無視だ。
その存在すら空気としか感じてないような涼やかさはいっそ見習いたいくらいだが、一生無理な気もした。
雰囲気は穏やかだが随分と手厳しい。


「でも、もうエドガーさんは紹介してもらったよ?」
「呼び捨てで構わない」
「・・・ありがとうございます」


同じ年だと紹介されても敬語以外は許されない気がして、つい丁寧な口調で話してしまう。
するとその様子を見て部屋に居るメイドとは別に、背後に専属の執事を従えた守は笑みを深めた。


「ふふふふ。エドガー様は今日は『たまたま』イタリアにいらしたんです。お約束頂いてないんですけど、お忙しい中合間を縫って『態々』私の顔を見に来てくださったんですって」


お嬢様らしく口元に手を当てて軽やかな声で笑っているが、本心が聞こえるようだった。
曰く『アポなしで急に顔出しやがった、こちらの予定も聞かない奴』と言いたいのだろう。
笑顔の後ろに般若が見える。
心なしかつい今しがたまで威圧感MAXだったエドガーの顔が引きつり、青褪めた顔から冷や汗が流れ出した。
もしかしたらこの少年も素の守を知っているのかもしれない。

ここの家に遊びに来るようになって気がついたが、彼女の使用人たちはサッカーをしているときの守は作られた姿だと考えていた。
巧妙に守が素の姿と普段過ごしている姿を入れ替えているからこそ起こる勘違いだが、どうやらサッカーをする際には男子に囲まれているので虚勢を張っていると思い込んでいるらしい。
使用人すらあちらを仮の姿と思い込んでいるのに対し、エドガーの反応は全く違う。
もしかしたら思うよりもずっと彼らの関係は親しいのかも知れない。
小首を傾げて力関係を見学していると、ふわりと花も恥らうような笑顔を向けられた。


「私が紹介したいのは、私が世界で一番愛している子です」
「世界で一番・・・愛してる?」
「ええ。どうやらあの子も待ちきれなくて来てしまったみたいですし、紹介はこちらでしましょうか。有人、入ってらっしゃい」
『・・・はい、姉さん』
「??」


現れたのは特徴的なドレッドヘアに釣り上がり気味のルビーレッドの瞳をした美少年。
意志が強そうな眉に、警戒心も露な眼差しでこちらを見詰める彼は、守を守ろうとするかのように横に並んだ。
エドガーとはまた違った綺麗な顔立ちの少年は、エドガーを一瞥してからフィディオの瞳をじっと見詰める。
多分同年代だろうが、どうやら彼はイタリア語を話せない。
ラフでありながら高そうな格好をした少年は、黒のパンツの線に合わせて手を置いた。


「ハジめまして、鬼道有人・・・ユウト・キドウでス。姉がいつモお世話になってます」


滑らかとは言いがたいイタリア語で子供らしくなく丁寧な言葉が発せられる。
『姉』と守を指して言ったが、顔立ちは全く似ていない。
しかしながらサッカーをしているとき以外に見せない嬉しそうな柔らかな表情を浮かべる守の反応から、彼らが紛れもなく兄弟であると悟った。
きっちりと腰を曲げて頭を下げた弟の頭を誇らしげに撫でると日本語で何か告げる。
それに嬉しげに笑った有人は、きっと褒められたのだろう。
守の手をきゅっと握ると頬を赤らめて目を細める。
心を許しきって甘える姿は言外に彼がどれだけ守を頼りにしてるか、また彼女を慕っているかを知らせた。


「この子はまだイタリア語はリスニングしか出来ないんです。あと、童話程度なら読めるくらいでまだまだ未熟なんですけど、でもこの年齢なら大したものでしょう?」
「ああ。俺はイタリア語以外なら英語しか出来ないし、本当に凄いと思うよ」
「もし何か話したければ英語なら有人も話せます。でも、この夏休み中に日常会話は覚えたいと言っているので、出来れば顔を合わせたときはイタリア語をなるべく使ってやってくださいな」
「うん。じゃ、折角だし俺も日本語を覚えるよ。マモル、教えてくれる?」
「それは構わないけですけれど、突然どうして?」
「その方がスキンシップ取れて仲良くなれるでしょ?それに、いつかマモルの国に遊びに行った時、二人きりでデートしたいしね」


ぱちり、とウィンクしたらエドガーの視線と、ついでに有人の視線が突き刺さった。
エドガーはともかくどうして有人までと首を傾げるが、そう言えば言葉は理解できるのだったと思い出す。
ならば、と右手を彼に差し出した。


「俺の名前はフィディオ・アルデナ。君のお姉さんとはいいお付き合いをさせてもらってます。これからきっと君とも長い付き合いになると思うから、宜しくね」
「っ!!?」


笑顔を浮かべれば、有人は息を呑んで眉を吊り上げた。
怒りを露にした彼にフィディオは戸惑う。
誘い出した右手は、自分より小さい子供とは思えないほど力強く握られて、きゅっと眉根を寄せた。
曖昧な言葉が彼に尋常ならざる警戒心を抱かせたなど、この時にはまだ想像すらしていなかった。

ちなみに忘れられたがしっかりとその場に居たエドガーが下したフィディオに対する評価は、その数年後に彼本人の口から語られたが最悪の一言に尽きたと言う。

拍手[4回]

通い慣れた病室のドアに手を掛けたところで豪炎寺は動きを止めた。
普段は看護師しか入らないはずの室内から他人の気配を感じたからだ。
一年間毎日通っているのでこの時間に回診はないと知っている。
そうなれば必然的にここに向かう人間は限定されて自然と体が強張った。
豪炎寺以外でここに訪れるのは、身内である父と家政婦のフクくらいで、その内の父は現在はまだ仕事中であり、フクは先ほど家で別れたばかりだ。
そうなると消去法で中に居るのは他人となり、妹への心配から眉がきりきりと釣りあがった。

何しろ妹の夕香は去年故意に起こされた可能性が高い事故で今尚意識を取り戻せていない。
もしかしたら、全国大会で快勝中の雷門を阻むための影山の刺客かもしれないと考えれば自然と怒りも沸いて来る。
苦労して感情を制御しながら音を立てぬように静かにドアを僅かに開けて中を覗けば、思いも寄らぬ来訪者に瞳を丸めた。

開けられたカーテンから差し込む夕日に赤く照らされた横顔は、つい先ほどまで見ていたものだった。
栗色の特徴的な髪にオレンジのバンダナ、顔には黒縁の眼鏡を掛けたその人は雷門中学のジャージを着ている。
鞄も肩から提げているので、どうやらまだ家にも帰っていないらしい。

警戒心が脱力感に変わると、集中しすぎていた所為で一時聞こえなくなっていた声が耳に届いた。


『Volevo un gatto nero nero nero
 mi hai dato un gatto bianco
 ed io non ci sto piu
 Volevo un gatto nero nero nero
 siccome sei un bugiardo con te non gioco piu』


聞いたことがある旋律は、理解できない言語で歌われる。
豪炎寺が理解できる日本語でも、ましてや中学で習っている英語でもないそれに首を傾げると唐突に歌が止まった。


「いつまでそこに居るつもりだ、豪炎寺?」
「・・・気づいていたのか」
「まあな。もっとも気がついていたのは気配だけで、誰かまではわからなかったぞ。単にカマを掛けただけだ」


さらりと教えた円堂はいつもどおりの笑顔をこちらに向けた。
最近気がついたのだがこれは彼女特有のポーカーフェイスだ。
全くの無表情よりも感情を読み難くしつつ、その上で自身が引いた一線には誰も入れないと決めているように感じる。
それは穿った妄想でしかないかもしれないが、何故か確信があった。
時折無性に問い詰めたくなる衝動に駆られるが、何を知りたいのか、何を暴きたいと望んでいるのか、それは豪炎寺自身も理解していない。
だからこそもどかしく思うのだが、いつだって円堂の笑顔に最終的には誤魔化されてしまっていた。


「どうかしたのか?」
「いや、なんでもない。───それより、お前こそどうしたんだ?こんなところに何か用事か?」
「病院に入院している友達の部屋ですることなんて見舞い以外にないだろ。これ、見舞い品。ありきたりで悪いけど、飾ってやってくれ」


手渡されたのは可憐な花束だ。淡い桃色や黄色を使った可愛らしいそれは、まるで夕香自身を表しているようで、差し出された好意を遠慮なく受け取る。
丁度花瓶に挿していた花を明日にでも入れ替えようと思っていたところだ。
タイミングのいい差し入れに、自然と豪炎寺の表情も綻んだ。


「ありがとう。夕香も喜ぶと思う」
「そうか?そりゃ良かった。けど、どうせなら本人にお礼を言ってもらいたかったな」


淡い苦笑を浮かべた円堂は、指先を妹に伸ばすと前髪に触れた。
優しい触れ方は彼女にも弟が居るからかもしれない。
暫くその光景を黙ってみていた豪炎寺は、ふと以前から聞いてみたいと思っていた疑問を口にした。


「そう言えば」
「ん?」
「円堂はいつ夕香と知り合ったんだ?俺はお前を知らないが、お前は俺を知っていただろう?それと関係してるのか?」


問いかけると、唐突な質問に大きな瞳で瞬きを繰り返した円堂は破顔した。
楽しそうな笑みを浮かべると、そのまま視線を夕香へ移す。
昔を思い起こすように瞳を細めふっくらとした唇を開いた。


「俺が夕香ちゃんと知り合ったのは、三年近く前だな」
「・・・すると、俺はまだ小学五年生の時か?」
「そ。小学生サッカーの全国大会を見に行ったとき、迷子だった夕香ちゃんに会ったんだ。おっきな目をうるうるさせて『おにいちゃん、おにいちゃん』ってそりゃもう可愛かったんだぜ」


円堂の言葉に豪炎寺も昔を思い出す。
そう言えば二回目の全国大会出場の時、準決勝で妹が迷子になったことがあった。
試合の前でミーティングをしていた豪炎寺は後で知らされたのだが、そのときの両親の慌てようは凄かったらしい。
何しろ夕香はまだ本当に幼子で、迷子になったときの待ち合わせ場所も決めてなかった。
放送をしてもらっても全く反応はなく、途方にくれていたときに親切な子供に連れて来て貰ったと聞いた。


「あれが、円堂だったのか。それならば俺は兄としてお前に礼を言わなければならないな」
「はは、俺も人事じゃないからな。可愛い弟が迷子になってれば誰かに助けてもらいたいし、自分がしてもらいたいことをしただけだ。それに夕香ちゃんの兄貴がお前だってことで、色々と教えてもらったしな」
「色々?」
「内容は秘密だ。夕香ちゃんと俺だけの、内緒だからな」


唇に人差し指を当ててコケティッシュな笑みを浮かべる。
そして視線を妹へ向けて寂しそうに瞳を細めた彼女に、自分が思うよりもずっと親しかったのかもしれないと気がついた。


「日本に帰ってきたら一杯遊ぼうって約束してたのにな」
「円堂・・・」
「ごめんな、豪炎寺」


突然の謝罪に緩く首を振った。
眉を下げて微笑む円堂は悲しんでいた。
口にしていないが、きっと彼女は知っている。誰が、妹をこうしたのか。
だからこそ、謝罪をしたのだろう。
何も悪くないはずの円堂が、彼女自身が師と仰いだ相手の代わりとして。

けれど豪炎寺だって理解している。
円堂は確かに影山の弟子だが、この事故には何も関わっていない。
むしろ彼自身が言っていたように影山の色に染まった部分は全く見つけれず、だからこそ憎むなどお門違いだと思っていた。


「円堂が謝る必要は何もない。だが、もし罪悪感を拭いきれないと言うのなら、一つ約束して欲しい」
「・・・何をだ?」
「妹が・・・夕香が目を覚ましたら、約束したとおりに遊んでやってくれないか?きっと、喜ぶと思う」


痛みを堪えるように一瞬だけ顔を顰めて、そして彼女はいつも通りに笑った。
変な反応に違和感を感じて眉間に皺を寄せると、問い詰めるより先に円堂が口を開く。


「そいや、お前さっき俺が歌ってた曲知ってる?」
「・・・いいや。旋律は聞いたことはあるが、言葉が判らなかった」


唐突な質問に戸惑いながらも答えると、円堂はもう一度先ほどのフレーズを口にする。
しかし何度聞いても判らないものは判らなくて首を傾げると、ウィンクしながら答えを教えてくれた。


「『Volevo un gatto nero』。日本で言うなら『黒猫のタンゴ』だな」
「『黒猫のタンゴ』?日本で言うなら、と言ったな?その歌はどこの歌なんだ?」
「イタリアだよ。これは元々イタリアのFilastrocca、───って言っても判らないか。つまりはこれはイタリアの童謡なんだ。日本語の歌詞ほど可愛くないが、旋律とテンポを気に入ってるんだ」
「そんなに歌詞の内容が違うのか?」
「おう。日本語の歌とは違って、まあ我儘な餓鬼の歌だな。もっとも、人によって捉え方は違うだろうけど。日本の歌詞は随分と可愛い歌詞になってるけど、イタリアのは『黒猫が欲しかったのにっ!』って憤ってる。面白いよな」
「何が」
「同じ歌でもこんなに解釈の仕方が違うってことだ。人種による視点の差は興味をそそる」


小難しいことを言う円堂に、豪炎寺は肩を竦めた。
言いたいことはなんとなく判る気もするが、たかが歌詞の違いでそこまで感銘を受けるのは凄い。

時折感じるが、もしかしたら彼女は途方もなく頭がいいのかもしれない。
テストでは常に平均点だし秀でた部分は何も見せないが、もしかして頭がいい馬鹿なのだろうか。
考えてみれば何事もそつなくこなしているし、適度に力を抜きながら全てを飄々と終らせている気がする。
授業だって毎回出席するわけじゃないし、いかにも好きそうなのに意外だが体育などほとんどサボってばかりだ。
けれど最終的にレポート提出や補習の課題もテストもクリアしているし、要領がいいことだけははっきりしている。
鬼道家の養子だけあってどうやらお嬢様らしい嗜みも一通りこなせる様だし、何よりあの鬼道が憧れる相手だ。
能ある鷹が爪を隠しているだけの状態かもしれない。

ぐるぐると思考のドツボにはまった豪炎寺は、苦笑する円堂の柔らかな眼差しに気づかない。
優しく小さな子供を見詰めるような瞳には、微かな寂寥と苦しみが宿っていた。

約束を与えなかった円堂に気がついたのは、これからもっと後になってだった。

拍手[7回]

「こんにちは」


ふんわりとした声音で掛けられた言葉に、フィディオは瞬きを繰り返す。
目の前にはノースリーブの白いワンピースに麦藁帽子を被った華奢な少女の姿。
薄手のカーディガンはレースが透けていて、上品な様子がとても似合っていた。
腰元まで伸びる優しい栗色の髪は少し癖が入り内側に巻いていて、緩い風が吹くたびに髪が頬に触れている。
それを白魚のような指で耳に掛けると、眼鏡の奥で瞳を細めて笑った。
取り立てて美人ではないが、穏やかで柔らかな雰囲気の少女だった。
凛としているのに存在が儚げで、庇護欲を掻き立てる。
ふっくらとした頬と大きな瞳。愛くるしい笑顔を控えめに浮かべた少女に、フィディオは小首を傾げた。
初めて見(まみ)える少女のはずなのに、何故か少女に見覚えがある気がしたのだ。


「こんにちは」


校門の前で声を掛けてきた少女に、営業スマイルを浮かべて答えた。
子供ながらサッカー少年として地元では有名なフィディオには、ファンと称した少女たちが居る。
愛想笑いやファンサービスは身に染み付いていて、性格上女の子の相手も苦にならない。
人好きする笑顔を浮かべれば大抵の女の子は頬を赤らめるなりなんなりした反応を返したが、フィディオに会いに来たらしい少女はそれでも笑みを深める以上の反応を見せない。
ニコニコとしている少女の後ろから、執事服を着た初老の男性が近寄り何事かを耳打ちした。
いかにも只者じゃない所作の彼の後ろには、イタリアでも有名な高級車があり、運転手つきのそれに少女の出自のよさを感じた。


「ご無沙汰しています、フィディオ様。私を覚えていてくださっているでしょうか」
「え?」


突然な言葉に驚く。
目の前のいかにもお嬢様な少女にフィディオは全く覚えがない。
上品な振る舞いも、口元に手を当ててころころと笑うような人種にも知り合いはいない。
明るく柔らかで華奢でお淑やかな、美人ではないけど愛らしい人。
知らないはずなのにそう断言できないのは、きらきらと輝いてこちらを見詰める栗色の瞳に覚えがある気がしたからだ。

つい最近、この輝きを目にした。
好奇心一杯に光り、誰より魅力的で面白いと感じた───・・・。


「・・・マモル?」
「ふふふ、正解ですわ。さすがフィディオ様。会いに来た甲斐がありました」
「どうしたんだ、その格好。それに、話し方。本当に君か?」
「あら、これは妙なことを仰りますわね。私は私以外の何者にもなり得ませんわ。でも良かった。気がついてもらえなければ、悲しみで儚くなっていたかもしれませんもの」


うふふふと小首を傾げる姿に違和感はなく、だから一層不思議に感じた。
先日会った『マモル』という少女はボーイッシュで飾らない子供だったのに、今目の前に居るのは海岸沿いの瀟洒な家が似合いそうなお嬢様。
どちらも『マモル』だと言うが、イメージは重ならない。


「・・・そう言えば、『猫を被ってもいい』とか何とか言ってたな。それが君の被ってる猫?」
「あらあら、何のことでしょう?私はいつでも変わりませんわ」


スカートの端を指先で摘むと、流れるような動きで深々と頭を下げた。
顔だけ上げて挑むように真っ直ぐに伸びた視線だけが先日の少女の名残を感じさせ、フィディオは苦笑して肩を竦める。
驚きをすぐに収めたフィディオに満足したらしく、猫のように瞳を三日月にした守は一見すると無邪気な様子を見せた。


「今日はこの後ご予定はあります?」
「今日?今日は、チームの練習はないからいつもの場所で自主トレくらいかな。どうしてさ?」
「お時間があるようでしたら、私と交友を深めませんかとお誘いに参りました。先日お付き合いいただいたお礼もしておりませんし、お話もしたかったものですから」
「つまり、友達になろうってこと?」
「いいえ」


問いかけをすれば、守は心底楽しげに笑った。
友好的な態度をしているくせに、きっぱりと否定され眉間に皺が寄る。


「もう、私たちはお友達でしょう?」
「・・・・・・」


疑問系でありながらも断定する言葉に、フィディオは苦笑した。
その表情すら愉快そうに眺めた少女は、淡く色づく唇にしなやかな指先を当てる。
決められたポーズのように絵になる仕草に見惚れかけ、慌てて首を振った。


「そうではなく、『ライバル』としてあなたを知りたいと思いましたの。私はこれから12になるまで一月ずつ交互でイタリアと日本で暮らします。サッカー留学の前段階ですわ。時が来るまで、きっと私の一番のライバルはあなたであり続ける。だから、知りたいと思いました。サッカー選手としてだけでなく、ただのフィディオ・アルデナを。あなたはどうです?私には興味の欠片も持てませんでした?」


何もかもを見透かすような瞳で問いかけられ、フィディオは鮮やかに笑った。
それは疑問にすらならないものだ。

先日の試合で、目の前の少女はその実力を周囲に知らしめた。
サッカー留学の前段階と言っているが、それでも一年もあればイタリア全土に少女の名は轟くだろう。
男子に混ざりながらも影に埋もれるどころか誰よりも輝き続け、圧倒的な実力を示したプレイヤー。
圧倒的な個人技に上空から監視してるような全体を見る目、さらに人を惹き付けるカリスマ性に鮮やかな統率力。
どれをとっても一級品で、先日のフィディオたち相手の試合が初戦とは信じられない団結力を誇った守の率いるチーム。
新進気鋭とは彼女のためにある言葉で、その『ライバル』に認定されるのはとても誇らしい。

何しろ目の前の人は、同じサッカーを志すものなら羨まずにいられない天賦の才を持っている。
MFとしてプレイしていたが、FWとしても相当な実力を発揮することは想像に難くない。
追い詰められる感覚は精神をすり減らしたが、それよりも何より対等以上の存在に心が躍った。
女の子でも、『マモル・キドウ』は紛れもなく超一流のプレイヤーになる才能がある。

今はまだ敵対していたいと言った少女の気持ちがわかるくらいにその才能に惚れこんで、同時にいつかプレイしたいと望むほどに少女のプレイに憧れた。


「君に興味が沸かないはずがないよ。プレイヤーとしても」


一旦言葉を区切ると、あの日と同じように右手を差し出した。
ウィンクして微笑めば、守も返してくる。
がっちりと握られた手を上下に振り、フィディオは甘く囁いた。


「女の子としても、ね。君はとても魅力的だ」
「ふふふ、フィディオ様はお上手ね。でも、嬉しいですわ。私にとってもあなたはとても魅力的ですもの」


繋がれた手を引かれ、逆らわずについていく。
豪奢な車のドアを潜れば、そこは彼女の住む世界への入り口だった。

拍手[4回]

注:オリジナル技が発動してます。大丈夫な方のみお進みください。




出逢いはいつだって突然だ。
フィディオが人生で一番最高の相棒と出遭った時も、その例に漏れることはなく何の前触れもないものだった。


暖かな海風が頬を擽る季節。海沿いの道をサッカーボールを操りながら駆け抜ける。
白い石で舗装された道は思わぬ方向へボール跳ねさせるが、それをいかに上手く操りスピードを維持するかがフィディオの腕の見せ所だ。
思わぬタイミングですり抜けようとするボールを操れば、気がつけば両脇には露店の集まる場所へと来ていた。
店の準備をしている大人たちは子供の頃から同じように駆けるフィディオと顔見知りばかりで、陽気に声を掛けてくれる。


「おはよう、フィディオ!」
「おはよう、おばさん!」
「今日も練習かい?」
「ああ!再来週、新しく出来たばかりのチームと対戦するんだ。ばんばん点を入れて勝つから応援宜しくね!」
「はははは、相手チームも運がないな。フィディオのチームはここらじゃ負けだしだからな」
「次も期待してるよ、フィディオ!」
「任せてくれよ!」


露店の間を少しだけスピードを緩めて大人たちへ手を振ると、投げキッスを送ってそのまままた背中を向ける。
南イタリアへ注ぐ日差しは暖かい、と言うより少し暑く、吹き抜ける潮風に目を細めた。
白い道が途切れた先には、少しだけ開けた空き地がある。丁度フィールドの半面ほどの敷地には芝生はなく土がむき出しだが、幼少の砌から使っている場所は愛着もあり知り尽くしている。
大きな木には幾つものタイヤが連なるように吊るされ、端には砂利を敷き詰めたエリアもあった。
一面にあるコンクリートの壁にはところどころ剝がれた白ペンキでかかれたゴール。そして消せないボールの後。
この場所はフィディオの起源であり、サッカーを始めてから幾年もたったが今も変わらぬ特別だった。

日当たりも良く海岸がすぐ近くにあるが、入り組んでいる道を幾つも曲がらなければ辿り着かないそこはフィディオだけの宝物だった。
そのはずだった。


「・・・女の子?」


栗色の髪を二つで分けて目に鮮やかなオレンジ色のバンダナを巻き、首にゴーグルを下げた少女がそこに居た。
デフォルメされたキャラクターが印字された黒地のフード付きパーカーに同色のデニムのハーフパンツ。さらに靴もスニーカーとどちらかと言えばボーイッシュな格好の少女は、凛と伸びた背筋に垢抜けした空気を醸し出していて、どこか人と違う雰囲気を漂わせていた。
白いイヤホンが形のいい耳から伸び、手が入っているポケットへと繋がっている。
顔は丁度逆光でわからない。だが何故かその口元が緩んだのだけははっきりと感じられた。

一際強い潮風が吹き、ボールが転がる。
しまったと思うよりも先にころころと進んだボールは、手作りのゴールを見ていた少女の足もとへと転がった。
こつり、と踵に当たる音がした気がした。実際は距離を考えるとそんなこと有り得ないのに。

足に伝わる感触に気づいた少女がこちらを振り返る。
くりっとした大きなどんぐり眼とふくふくの頬が特徴的な子は、フィディオを認めるとにこりと微笑んだ。
それはイタリアの太陽のように輝かしく、カラッとした魅力的な笑顔だった。
性格と顔とサッカーのお陰で女の子に慣れているフィディオからすれば、少女は可愛かったが特別な美人ではない。
けれど内面から滲み出る独特の魅力があり、緩く持ち上げた口角から見て取れた隠しきれない含みに好奇心がそそられる。
栗色の瞳をこちらに向ける少女は一見すると愛くるしい笑顔を見せているが、それだけじゃないと訴える本能にフィディオは従った。
そう、気分はまるで羊の皮を被った狼の前にいるようだ。


「こんにちは」


顔立ちからするとアジア系の少女に言葉が通じるか判らなかったが、単なる日系イタリア人かもしれない。
ここら辺で見ない顔なのに変わりはないが、友達になりたいと心から思った。
近寄り右手を差し出すと、意味を理解してくれたらしい少女も耳に嵌めていたイヤホンを取ってから右手を差し出してくれる。
どうやら言葉は通じるらしい。
それに内心で安堵しながら、相手の警戒心を緩めると知っている笑顔を浮かべると同じように少女も笑う。


「こんにちは。これは君のボール?」
「そう。・・・俺の名前はフィディオ・アルデナ。君は?」
「俺?俺の名前は鬼道守。ああ、こっち流に言うならマモル・キドウか。宜しくな」


きゅっと握った手は同じくらいの大きさで、身長はフィディオの方が僅かに低い。
だが近づいて判ったその情報よりも、見かけを裏切る口調にこそ驚いて瞳を丸めると、栗色の眼が悪戯っぽく光った。
当たる角度により虹彩の色が変わるそれに見惚れると、見られるのに慣れているらしい守はそのまま肩を竦める。


「言葉遣いはこれが素なんだ。猫を被っても良かったけど、お前とはこれから長い付き合いになりそうだし、面白そうだったからやめた」
「どういう意味だ?」
「俺、実はお前のこと知ってたんだ。と言っても、イタリアへ来たのはつい一週間前だし、別にストーカーってわけはない。ついでに住んでるのもこの町と離れてる」
「それなのに俺との付き合いが長くなるって言うのか?」
「ああ。なあ、折角だし俺と遊ばないか?今日は時間あるんだ」
「遊ぶって、何をして?ここには女の子と遊ぶものなんてないよ」
「あるだろ、これが」
「ボール?」
「そう。な、フィディオ。サッカーやろうぜ!」


くつくつと喉を震わせて笑った守は、踵を使ってボールを蹴り上げると器用に頭の上で静止させる。
一見簡単にやってのけたが、それがどれだけ難しい技術かフィディオは知っており目を見開いた。
フィディオの驚きがつぼにはまったのか面白そうに目を細めた守は、ぴたりと止めていたボールを頭から下ろすとリフティングを始める。
頭、腿、踵、足の甲、背中、踝、そしてさらに全身のバネを利用して踊るように動く守の技術は素晴らしく、もしかするとフィディオより上かもしれなかった。
少なくとも、申し訳ないがチームメイトの誰よりもボール捌きは上手いと断言できた。
腿に乗せたボールを足を伸ばして流れるように甲まで滑らし、そのまま放り投げるように足のバネを使ってゴールへシュートを放ち、響きのいい音を立てて当たったそれは計算されたように守の手の中に戻る。


「ど?女だからって舐めてもらっちゃ困るね。なあ、新進気鋭の選手さん」
「・・・君は何者だ?」
「単なるサッカー好きの少女だよ。だからサッカーが上手い奴や同じようにサッカーが好きな奴が居るとつい声を掛けたくなっちゃうわけ」
「じゃあ、ここで態々俺を待ってたのか?」
「そうだよ。折角イタリアに来たんだ。上手い奴と遊びたいって思うだろ?」


手に持っていたボールを放り投げるとそのまま寄越されたダイレクトパスをゴールへ向けてシュートする。
まだ未完成の必殺技『オーディンソード』。
完成すれば神の名を冠したとおりの威力を誇るはずだが、途中で勢いを失くしたそれは白い線をすれすれに越えた部分に当たり弾かれた。


「それ、何?」
「俺の新しい必殺技。ずっと練習してるんだけどさ、上手くいかないんだ」
「へぇ、そりゃ凄いな。溜め込んだ気をボールにぶつけて勢いを閉じ込めて放つ。完成すればスピード、威力共に類をみないようなものになりそうだな」
「本気でそう思う?」
「ああ。GKじゃなくて良かったと思える程度にはな」


茶化しながらも真剣な色を瞳に宿した守の賞賛に嬉しくなる。
まだまだ完成には程遠いが、それでも技を褒められて嬉しくないはずがない。
腕を組んで考えこむようにしていた守は、もし良かったら、と前置きをして提案した。


「マンツーだけど、実戦形式で試してみないか?ルールは単純。ボールを奪ってゴールするだけ。ただし奪ったボールは必ず10秒口に出してカウントしてからじゃないとゴールしてはいけない」
「どうしてだ?」
「そうしないと、すぐにゴールが決めれちゃうからさ」


そうか、と言葉に納得したが、このときは真の意味を理解してなかった。
ただ単純に互いの攻守交替への距離が近いと不利になるのだろうと思いこんでいたが、それが過ちだと気づくのはそれからもう少し経ってからで、今のフィディオには知りようがない。
パーカーを脱いでTシャツ姿になると、守はにっと笑った。


「お前が必殺技を見せてくれたから、先に俺も自分の未完成の技を披露するよ」
「へぇ・・・君にも必殺技が?」
「ああ。一応シュート技。ボールくれるか?」


少しセンターラインよりへ走って距離を空けた守が手を振るのに頷くと、走るスピードを見て力をコントロールしながらパスを渡した。
スピードを一切緩めずにボールをドリブルして進んだ守は徐に右手の親指と人差し指で輪を作ると唇に挟む。
高らかに指笛が鳴ると地面からオレンジ色をしたペンギンが半円を描くように五羽順番に顔を出した。
ゴールを見据えた守の動きに合わせまるでロケットのように天空へ飛び上がった彼らは、滑空しながら降嫁する。


「分身ペンギン」


言葉を溜めた守の姿がペンギンの前方へも出現する。
笛を吹いた本人を含めると三人に増えた守は、ペンギンと共に流れたボールへ向かい両サイドからシュート体勢に入る。
その姿はアニメで見た日本の『忍者』の分身の術のようで、フィディオは瞳を輝かせた。


「ブレイク!!」


掛け声と共にシュートが繰り出される。
地面すれすれに滑空したペンギンが一列に並び、嘴を突き出してボールを押した。
勢いも回転力もあり、ペンギン一羽ごとに力も増す。
しかし。


「っ、惜しい!!」


僅かに上に反れたボールは白いゴール線を越し、壁に跡を残して弾かれた。
いつの間にか彼女の姿は一人に戻り、あーあとため息を吐きながら頭を掻いている。
苦い笑みを浮かべた守は跳ね返ったボールを拾うとフィディオの元へ戻ってきた。


「マモルのシュートこそ凄いじゃないか!」
「けど、まだ未完成なんだよな~。失敗する理由は判ってんだけど、補正が難しくってさ」
「理由が判ってる?どんな理由なんだい?」
「コントロールとタイミングの悪さ、だよ。ボールが分身した俺の間に入ってシュートするじゃんか。多分そのタイミングがずれてて、ついでに扱うペンギンの嘴がボールに当たる角度もまずいんだと思う。同じ箇所に圧を掛けて飛ばしたいんだけど、どうにもずれるんだよな。理想は無回転のボールを押し出す形なんだ」
「・・・凄いな。マモルはFWなのか?」
「いーや、MF」
「勿体無い。あれほどの実力なら、FWでも十分、いいや、男子と混ざっても負けないだろうに」


心底残念だと首を振るフィディオは、もし同じ性別ならばと考えずに居られない。
どうしたって公式戦では力量差が出てしまうので異性とプレイするのは難しい。
年齢が上がるほど開く差は、いつかこの才能も埋めてしまうのだろう。
こんなに凄い実力を持つプレイヤーを同年代で見るのは初めてで、だからこそ悔しく思ってしまう。


「君が男なら、一緒のチームでプレイ出来たのにな」
「それはないな」
「どうしてだい?俺とプレイするのは嫌?」
「ああ。───お前くらい凄い選手と初めから同じチームなんて勿体無さ過ぎるぜ。仲間としてプレイするのはこの先でもいい。けど、ダイレクトにお前の力を感じるには違うチームの方がいいだろ?」
「そういう考え方もあるだろうけど、でもやっぱり俺は君とプレイしたかったよ。君のサッカーは俺を惹き付ける。君は違うのかい?」
「内緒だ。女は秘密が多いほど魅惑的らしいぜ?」
「・・・ずるいの」


面白くないと年相応の顔で唇を尖らせると、守は楽しそうに笑った。

その後夕日が沈むまで一緒にサッカーをプレイしたフィディオは、守の連絡先を聞かずに分かれた。
何故か知らないが、このミステリアスな少女とは再び顔を合わせる気がし、その心を信じたかったのだ。
次があれば、その次もある。ある種の願掛けにも近い想いは、彼の予想よりも遥かに早く叶えられた。


「よ、フィディオ!先日ぶり」


にこり、と笑顔を浮かべた少女は、二本の指を揃えて指を動かすとイタリア男のようにウィンクを決めた。
あの日と違いオレンジ色のバンダナできっちりと一本に結われたポニーテールと、あの日と同じ首から下げられたゴーグル。
ぴんと背を伸ばして独特の雰囲気で相手方のチームの一員として立っていた守は、悪戯が成功した子供みたいに楽しそうだ。
新しく設立されたばかりのチームの男子に混じる唯一の紅一点に唖然としていると、隣からチームメイトが耳打ちしてきた。


「あいつ、日本からサッカー留学してきたらしい。女子だけど実力が秀で過ぎていて相手にならないから、特例で公式でも男子の試合に出れるようになったって奴だ。けどその実力は未知数だし、どうせ噂だけだ。今日もばんばん点を取って勝って行こうぜ」


暢気に告げられた言葉に、フィディオはとても頷けなかった。
数ヶ月ぶりに与えられた敗北は、今まで経験した中で一番悔しくて、一番清々しかった。

拍手[3回]

フリーエリア
Template & Icon by kura07 / Photo by Abundant Shine
Powered by [PR]
/ 忍者ブログ