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「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
三つ巴状態の中に紛れ込んだ豪炎寺は、無言で睨み合う彼らの間でひっそりと内心でため息を吐いた。
最近は定番になりつつ部室での昼食だが、ここまで気詰まりな雰囲気は初めてだ。
目の前に座る風丸と一之瀬の無言の視線が隣に座る鬼道へ突き刺さり、見開かれた瞳から発される尋常じゃない鋭さのそれを鬼道は華麗にスルーした。
片手に箸、片手に弁当箱を握り締めた豪炎寺は、一向に進まない食事に、この場にいない二人が早く帰ってくるよう密かに祈る。
基本的に物事は自分ひとりで対処しようとする自分にとって、誰かを頭から頼る展開は珍しいが、それでも助けを求めずに居られなかった。
「チョリーッス!ジュース買出し部隊、ただいま帰還しました!」
「ったく、円堂は買い過ぎ、貰い過ぎだっての。どうすんのよ、この菓子の差し入れ。またマネージャーに叱られるぞ」
「ええー?これは我が家の食料へ備蓄されるんだよ。な、一哉?」
「守、遅い。早くこっちに来て座って」
「円堂は俺と一之瀬の間だ。土門は鬼道の隣。お前らを待ってたら腹が減った。早く座ってくれ」
「あれ?まだ飯食ってなかったのか?いっつも先に食ってんじゃん」
「今日は待ちたい気分だったの。ほら、守早く」
ぺしぺしと自分の隣の空いた椅子を叩く一之瀬に苦笑した円堂が、ジュースを両手に持って近づく。
彼女からジュースを受け取った風丸が机の上にそれを並べ、土門は苦笑しながら両手一杯に抱えた菓子を机に置いた。
そしてそのまま自然と一之瀬の手が伸び円堂に触れようとした瞬間、隣から腕が伸ばされたのを豪炎寺はしっかりと目撃した。
「姉さんは、俺の隣だ」
ぺしりと一之瀬の手を弾いた鬼道は、涼しい顔で円堂の腕を掴むと引っ張った。
おろ?と変な声を上げてバランスを崩した円堂に、またか、と痛む頭を抱えたくなる。
ぽん、と後ろから肩に手を置かれ、振り向けば眉を下げて笑う土門と目が合った。
「教室でもこんな感じなのか?」
「いーや。教室では極力関わらないようにしてる。タイプが違うから、集まる友人も違うしな」
「円堂が居るとこうなるのか」
「そうそう。勘弁して欲しいぜ、ホント」
肩を竦めた土門は、心底疲れたようにため息を吐いた。
若干やつれたように見える姿に、豪炎寺は苦笑する。
そして同時に、心底彼らと同じクラスじゃなくて良かったと感じた。
先日の千羽山との試合で雷門に転校してきた鬼道は、よりによって彼を嫌いと断言した一之瀬と同じクラスになった。
間に入るのは可哀想に苦労性な土門で、まさしく中間管理職さながら板ばさみ状態になっている。
飄々としていながらも他人の感情の機微に聡い彼ならではの気遣いは、鬼道と一之瀬によりすり減らされている一方だ。
千羽山戦で鬼道と雷門サッカー部の面々との溝は少しずつ埋まり始めてるのは、ある意味この対立のお陰でそれどころじゃなくなっているからかもしれない。
そこに風丸も交えれば三つ巴が完成し、あからさまに円堂に好意を抱く彼らの間に入ろうという物好きはいなくなり小さなことへの拘りも減った。
良かったのはこのライバル心ゆえの向上心で切磋琢磨を地で行く彼らのお陰で、最近は部活の練習も熱が篭ったことくらいだろうか。
この三つ巴を始めは仲裁していた染岡も今では苦々しく距離を取るだけで、反鬼道意識を抱いていた半田も、イメージの違う彼に苦笑しか浮かばないらしい。
ちなみに間に挟まれている円堂はどうしているかと言えば、本人は渦中の人物であるくせにマイペースを崩さず、現在も左右から引っ張られるのをそのままに空いている方の手でパックの牛乳を掴むと飲み始めた。
呆れるほどマイペースな彼女の度胸を分けてもらいたいくらいだ。
風丸と一之瀬は彼女の服を掴み、鬼道は腕を掴んで引っ張っている。
どう考えてもぐらぐらと揺れる体は飲み物を飲むにはバランスが悪いだろうに、器用に体勢を整える彼女は全く苦にせずパックを空けた。
「お前らも食わないと部活に響くぞー」
「・・・俺たちはこの状況の中、お前みたいにぱくぱく食えるほど肝が座ってないの」
「お前は気にならないのか、円堂?」
「えー?土門も豪炎寺もそんなんじゃ持たないぞ。こんなんは小鳥の囀りとでも思ってりゃいいの」
「って言われてもな。何処が小鳥の囀り?」
「ピーチクパーチク雀みたいじゃない?」
はははっと笑って毒舌を吐いた円堂に、土門が引きつった笑みを見せた。
懸命にも肯定も否定もしなかった彼は、苦笑すると部活の壁に凭れてポケットからパックのジュースを取り出す。
ちゅるちゅるとジュースを飲み始めた土門に、豪炎寺も弁当箱へもう一度箸を伸ばした。
ちなみに円堂はその間にも自身の弁当箱から手作りのサンドウィッチを取り出して租借を始めている。
卵サンドとハムサンドはボリュームもあって美味しそうだった。
「守は俺の隣!」
「いや、姉さんは俺の隣だ」
「鬼道。円堂はもう厳密にはお前の姉じゃない。よって、お前は遠慮しろ」
「名前や血だけが絆じゃない。姉さんは、俺の姉さんだ」
「・・・シスコンも大概にしろ、ゴーグル野郎」
「そうだ。ただの兄弟なら、将来の兄に遠慮しろ」
「誰が将来の兄だ。ふざけるな。俺は絶対に認めない。大体俺たちには血の繋がりはないと言っているだろう。俺だって立場はお前らと変わらない」
どんどんとヒートアップしている彼らから離れるべく、弁当箱と円堂が買ってきたジュースを手に取り豪炎寺は席を立った。
そのまま避難している土門の横に並ぶと、深く重いため息を吐き出した。
「・・・どうしてあいつはあの状況で普通に弁当が食べれるんだ?」
「さあな。でもなんとなく慣れて見えるのがあれだな。流し方が尋常じゃないくらいに上手い」
「ああ。スルースキルが半端ないな」
どこから取り出したのか、おにぎりを食べ始めた土門に、弁当からウィンナーを取りつつ同意する。
行儀は悪いが、これが一番落ち着いた食事が摂れた。
ぱくぱくと弁当を口に入れつつ改めて光景を眺めれば、色々と赤裸々になり始めた発言の中、一切の動揺もなく彼女は最後のサンドウィッチへ手を伸ばした。
熱くなる一之瀬や風丸と反し、どこまでも滔々とした鬼道が言い争う様は最早恒例となりつつあった。
「てか、お前らも喧嘩してないで昼飯食わないと時間なくなるぞ」
「守は黙ってて!」
「そうだ。円堂は黙っててくれ!」
「───姉さんに対してなんて言い草だ。大体お前らは姉さんに対して馴れ馴れしいんだ。どうして俺ですら別居しているのに、一之瀬が姉さんと暮らしてるんだ?」
「それは俺も疑問だった。アメリカから帰国して住む場所がなければ土門の家に下宿すればいいだろう?何で態々まも姉の家に居るんだ?」
「俺はいいんだよ。なんてったって、守の特別だからね」
気がつけば三つ巴は形を変え、鬼道と風丸がタッグを組み一之瀬が責められている。
だが責められる張本人はにっと笑うと円堂の首に両腕を巻きつけて抱きついた。
おっ?と声を上げてバランスを崩した彼女は、寄りかかるように一之瀬へもたれかかる。
すると残りの二人が気色ばんで表情を思い切り歪めた。
再び勢いを取り戻した三人に、豪炎寺と土門は顔を合わせて息を吐き出した。
喧嘩するほど仲がいい。
そんな諺が思い起こされ、存外に苦労性な二人は惨状に疲れを覚えずに居られなかった。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
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片手に箸、片手に弁当箱を握り締めた豪炎寺は、一向に進まない食事に、この場にいない二人が早く帰ってくるよう密かに祈る。
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「円堂は俺と一之瀬の間だ。土門は鬼道の隣。お前らを待ってたら腹が減った。早く座ってくれ」
「あれ?まだ飯食ってなかったのか?いっつも先に食ってんじゃん」
「今日は待ちたい気分だったの。ほら、守早く」
ぺしぺしと自分の隣の空いた椅子を叩く一之瀬に苦笑した円堂が、ジュースを両手に持って近づく。
彼女からジュースを受け取った風丸が机の上にそれを並べ、土門は苦笑しながら両手一杯に抱えた菓子を机に置いた。
そしてそのまま自然と一之瀬の手が伸び円堂に触れようとした瞬間、隣から腕が伸ばされたのを豪炎寺はしっかりと目撃した。
「姉さんは、俺の隣だ」
ぺしりと一之瀬の手を弾いた鬼道は、涼しい顔で円堂の腕を掴むと引っ張った。
おろ?と変な声を上げてバランスを崩した円堂に、またか、と痛む頭を抱えたくなる。
ぽん、と後ろから肩に手を置かれ、振り向けば眉を下げて笑う土門と目が合った。
「教室でもこんな感じなのか?」
「いーや。教室では極力関わらないようにしてる。タイプが違うから、集まる友人も違うしな」
「円堂が居るとこうなるのか」
「そうそう。勘弁して欲しいぜ、ホント」
肩を竦めた土門は、心底疲れたようにため息を吐いた。
若干やつれたように見える姿に、豪炎寺は苦笑する。
そして同時に、心底彼らと同じクラスじゃなくて良かったと感じた。
先日の千羽山との試合で雷門に転校してきた鬼道は、よりによって彼を嫌いと断言した一之瀬と同じクラスになった。
間に入るのは可哀想に苦労性な土門で、まさしく中間管理職さながら板ばさみ状態になっている。
飄々としていながらも他人の感情の機微に聡い彼ならではの気遣いは、鬼道と一之瀬によりすり減らされている一方だ。
千羽山戦で鬼道と雷門サッカー部の面々との溝は少しずつ埋まり始めてるのは、ある意味この対立のお陰でそれどころじゃなくなっているからかもしれない。
そこに風丸も交えれば三つ巴が完成し、あからさまに円堂に好意を抱く彼らの間に入ろうという物好きはいなくなり小さなことへの拘りも減った。
良かったのはこのライバル心ゆえの向上心で切磋琢磨を地で行く彼らのお陰で、最近は部活の練習も熱が篭ったことくらいだろうか。
この三つ巴を始めは仲裁していた染岡も今では苦々しく距離を取るだけで、反鬼道意識を抱いていた半田も、イメージの違う彼に苦笑しか浮かばないらしい。
ちなみに間に挟まれている円堂はどうしているかと言えば、本人は渦中の人物であるくせにマイペースを崩さず、現在も左右から引っ張られるのをそのままに空いている方の手でパックの牛乳を掴むと飲み始めた。
呆れるほどマイペースな彼女の度胸を分けてもらいたいくらいだ。
風丸と一之瀬は彼女の服を掴み、鬼道は腕を掴んで引っ張っている。
どう考えてもぐらぐらと揺れる体は飲み物を飲むにはバランスが悪いだろうに、器用に体勢を整える彼女は全く苦にせずパックを空けた。
「お前らも食わないと部活に響くぞー」
「・・・俺たちはこの状況の中、お前みたいにぱくぱく食えるほど肝が座ってないの」
「お前は気にならないのか、円堂?」
「えー?土門も豪炎寺もそんなんじゃ持たないぞ。こんなんは小鳥の囀りとでも思ってりゃいいの」
「って言われてもな。何処が小鳥の囀り?」
「ピーチクパーチク雀みたいじゃない?」
はははっと笑って毒舌を吐いた円堂に、土門が引きつった笑みを見せた。
懸命にも肯定も否定もしなかった彼は、苦笑すると部活の壁に凭れてポケットからパックのジュースを取り出す。
ちゅるちゅるとジュースを飲み始めた土門に、豪炎寺も弁当箱へもう一度箸を伸ばした。
ちなみに円堂はその間にも自身の弁当箱から手作りのサンドウィッチを取り出して租借を始めている。
卵サンドとハムサンドはボリュームもあって美味しそうだった。
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「そうだ。円堂は黙っててくれ!」
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「それは俺も疑問だった。アメリカから帰国して住む場所がなければ土門の家に下宿すればいいだろう?何で態々まも姉の家に居るんだ?」
「俺はいいんだよ。なんてったって、守の特別だからね」
気がつけば三つ巴は形を変え、鬼道と風丸がタッグを組み一之瀬が責められている。
だが責められる張本人はにっと笑うと円堂の首に両腕を巻きつけて抱きついた。
おっ?と声を上げてバランスを崩した彼女は、寄りかかるように一之瀬へもたれかかる。
すると残りの二人が気色ばんで表情を思い切り歪めた。
再び勢いを取り戻した三人に、豪炎寺と土門は顔を合わせて息を吐き出した。
喧嘩するほど仲がいい。
そんな諺が思い起こされ、存外に苦労性な二人は惨状に疲れを覚えずに居られなかった。
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少年の初恋は、遡ること十年近く前になる。
曇ることが多い空を見上げて、瞬く星に目を細めながら彼は目的のものを探した。
月明かりに負けることなく存在する星は、今日もほとんど変わらぬ位置に存在する。
地球の地軸を伸ばしたほぼ直線状にある星の名前は『北極星』。
少年が追いつつける相手を思い出させる、嫌な星。
迷える旅人の道標とし古来から存在する星は、夜の闇に埋もれず自身の位置を高く知らせた。
「君は今、何処にいるんだ」
吐く息が空気に触れた瞬間白く濁る。
イギリスは肌を刺す寒さが特徴的な国だ。
彼は世界を股に掛けた海賊の勇敢な血を受け継ぎ、女王の騎士として高い誇りを持つ。
女性は敬うもので、紳士としてエスコートすべき存在。
部屋に直通するベランダから空を見上げる少年にもその志は根付いており、基盤となって現在の自分があると自認する。
女性には優しくあれ。常に紳士として誇り高くあれ。
しかしながら唯一この心を素直に曝け出せない相手が居て、何も言わずに姿を消したその人に不本意ながらも心は奪われたまま。
視線を室内に戻すと、置かれたピアノへ足を向ける。
黒光りする姿が艶やかなそれは、少年が心奪われた少女のために取り寄せた一品だった。
残念ながらこのピアノが使用されたのは十年近い時間でもたった数度。片手で数えれる回数だけ。
それでも少年には、少女が触れたピアノは特別。
手入れされた鍵盤に指を置くと、流れるように音を紡ぎだす。
優しく柔らかなメロディは、少年にとって想い入れの深い曲。
「勝手なものだ。君はいつだって私のことなど考えてくれない。───これほど、私は君だけを考えているというのに」
出会いは運命だと信じてる。
再会は宿命だと信じている。
諦めるのは選択肢になく、忘れる気などさらさらにない。
瞼を閉じてピアノを奏でる。
僅かにも記憶を薄れさせないために。覚えている自分を実感するために。
少年が日本で開かれたパーティーに顔を出したのは、主催者に対し父が今後とも長く取引をする相手だろうと予想したからだ。
自分の代だけではなく、将来は息子である少年にも影響があると判断し、顔合わせも兼ねてパーティーへ連れて行かれた。
世界的に財界に幅を利かせるのは相手も自分も同じで、だからこそ顔見知りも幾人もいた。
そんな彼らによると、取引相手には子供がおらず、つい先日養子を引き取ったばかりらしい。
口かさないものは高貴な血筋に混じる異端と罵ったが、その半面いい子供を引き取ったと賞賛する者もいる。
同じ対象でも見る者により判断に差があるのは理解できるが、あまりにも分かれる反応に少年は首を傾げた。
彼自身は血統を重んじるが、血筋だけが全てと思っているわけではない。
血筋がどうであれ優秀な人間は優秀で、実力主義の世界で生き延びるには血統だけでは不十分だ。
事実少年は幼い頃から帝王学を学び、財閥のトップに立つものとして努力を欠かしたことはない。
立場に胡坐を掻けば足元を掬われるのは自分自身で、居場所を失うのは抱えている社員だ。
話を聞いているだけでもほのかに見える人間性に、どう付き合っていくか笑顔を浮かべながらも内心で判断しつつ情報を整理していると、不意に会場がざわめいた。
モーゼの十戒のように人が割れ、現れた先には鬼道財閥の現総帥と、彼に手を繋がれた華奢な少女。
真っ白なシフォンドレスに身を包み、長い栗色の髪を揺らして歩く姿は、視線が集まっているのに気づいているだろうに至極堂々としていた。
変に媚びることも怯えることもなくあくまで自然体で、胸を張り顎を引いて前を真っ直ぐに見て軽く微笑んでいる。
取り立てて美人ではないが、どこか愛嬌があり愛くるしい顔つきの少女は、誰にも不可侵の凛とした空気を纏っていた。
微笑みを浮かべた大人同士の会話が始まり、父親の後ろに控えて邪魔にならないように立つ。
同じように立つ少女は、もしかしたら英語が理解できないのかもしれない。
何を言われてもにこにこと笑顔を絶やさず、たまに日本語で父親から話しかけられて頷いている。
少女と反して少年は日本語がわからない。
何を話しているか訝しく思う感情すら隠して笑顔でいると、鬼道が会場の奥を指差し、頷いた少女が一礼するとその場を離れた。
『今からあの子に余興をさせましょう』
『余興・・・ですか?』
『はい。親馬鹿と言われると思うのですが、父親である私から見てもあの子はあらゆる才能を秘めておりましてな。今から見せるのはその一環です』
『ほう。あちらにはピアノがあったように記憶しておりますが、ならばピアノでの余興ですか』
『その通りです。先ほどまでプロに演奏してもらっておりましたが、あの子の演奏も中々どうして。まだピアノを始めてから一月にもなりませんが、大したものです』
『一月・・・?そうすると、本当に始めたばかりですな。プロの後に演奏させて宜しいのか?』
『ええ』
同じくピアノを嗜む身として言わせてもらえれば、高々一月の修練でこの場でお披露目をするのは早過ぎる。
一月と言えばまだ覚えているのは基礎程度だろう。
それなのに主催するパーティーだからと披露させるのは親馬鹿として過ぎる。
ことによっては自分の顔が潰れるのに、と皮肉な考えを抱きながら父の選んだ取引相手を眺めれば、その視線の意味を理解しているように彼は微笑んだ。
あまりにも自信たっぷりな様子に瞬きをし、視線を会場の奥にやる。
気がつけば水を打ったように会場は静まり返っていた。
そんな中でもやはり自然体で動く少女に瞠目する。
空気が読めないのかよほど肝が据わっているか。
どちらかは知れないが、どちらだとしてもある意味凄い。
そうして流れ出た音に、信じられないと頭を振った。
奏でた曲は、つい先ほどまでプロの奏者が演奏していた『愛の夢』。
情感たっぷりに響くそれは、信じられないほどに上手い。
微かな余韻、指の運び、音の雰囲気、どれをとってもプロに劣らず、むしろ。
『・・・嘘だろう?』
無意識について出た言葉は、彼女の技術への賞賛。
そして同時に空虚な音への恐怖でもある。
少女はピアノを始めて一月とは信じられない技術があり、流れるような音の奔流は素晴らしいの一言に尽きる。
今この場で音楽評論家が居たとしても絶賛するに違いない、アマチュアとは思えない演奏。
だが少年が『信じられなかった』のは、その演奏がとても聞き覚えのあるものだったことに対してだ。
彼女の演奏はまるで、そう、つい先ほどまで演奏していたプロを録音したようなものだった。
美しい旋律には彼女の感情は欠片も篭められておらず、優しげな愛の調べは全く心に響かない。
それでも惹き付けられる何かがあり、少年は呆然と口を開けた。
演奏が終わり掛けられる声に笑顔を向けながらこちらを向かう少女に、こくりと喉を鳴らす。
あの音を聞いた後ではこの笑顔は仮面にしか見えない。
送られる拍手に笑顔で如才なく対応し、こちらへ歩を向けた少女は常に背筋を伸ばしていた。
居てもたっても居られずに少女へ向かい歩を向ければ、丁度同年代の顔見知りに彼女は囲われたところだった。
『猿でも一芸に秀でますのね』
『名門鬼道家も血筋の知れぬ輩を取り入れるなんて・・・』
『しかもこの場に姿を現しながら言葉すら理解できないなんてありえませんわ。本当にお猿さんみたい』
コロコロと鈴を転がしたような声で笑い声を上げる少女たちは、一見すると美しい容貌をしている。
だがその愛らしい声で語られる内容は醜悪で、周りの大人からすれば談笑しているようにしか見えないよう計算された仕草に少年はマナー違反と知りつつ舌打ちした。
鋭く響いた音に慌てて顔を振り向かせた少女たちは、相手が誰か認めると作った笑顔の仮面を貼り付ける。
しかし少女たちから言葉が発される前に、少年は口を開いた。
『申し訳ないがレディたち、私はこちらのお嬢さんをエスコートしなければならないんだ。今日は君たちの相手が出来ない。さあ、レディ。こちらへ』
普段なら絶対にしない失礼な態度だと理解しつつ、困惑したように眉根を寄せる少女たちから視線を離し笑顔のままの彼女へ手を差し出す。
言葉が理解できずとも、仕草が伴えば理解できるだろうと考えての行動だったが、次の瞬間には少年の心遣いは打ち破られた。
『ふふふ。エスコートなんて光栄ですわ』
笑顔でドレスの端を持ち上げて礼をした少女は、滑らかなクイーンイングリッシュで返事をした。
まさか、と好き放題に言っていた少女たちの顔が青褪める。
彼女たちも名門と言われる家の出だが、鬼道家には遠く及ばない。
言葉が理解できないと思い込んでいたからこそ、好きに言っていたのだろう。
もし言い放ったそれを少女が父親に告げればただではすまない。
そんな思いもあり、なす術もなく立ち竦んだ。
少年はそれとは違い、ただ単純に驚いていた。
英語が話せるくせに、無言を通した少女は責められるべきマナー違反を犯している。
けれど利発な行動だと、判断せずに居られない。
言葉がわからない中で口にされた内容は、悪意があるものものないものも本心に近いだろう。
今この場で責めるような愚行をなさないのも、いずれ上に立つものとしては好ましい。
大人しく見えた少女のしたたかな行為に、呆然と目を丸くしていると、ころころと楽しげに口元に手を当てて微笑んだ。
長い髪を揺らして上品に笑うその姿は魅力的で見惚れてしまう。
容姿だけならこの顔見知りの少女達の方が美しい。
栗色の髪の彼女は美しいというより愛らしい顔立ちで、けれども内面からの輝きが滲み出るような笑顔は少年の心を鷲掴みにした。
どくり、と鼓動が高鳴り、色白な肌が赤く染まる。
差し出した手に手袋をつけた掌が重なると、無意識の内に覚えこんだ行動を体が取った。
小幅で歩く少女に歩幅を合わせ、ゆっくりと歩みを進める。
エスコートは口から出たでまかせだったが、父親たちの元へついたとしても、この手を放したくなくなっていた。
『ありがとうございます』
『・・・何がでしょうか、レディ』
『先ほどのことですわ。エスコートのお約束もしてませんでしたのに。父たちに頼まれたわけでもないでしょう?お嬢様方に囲われて少々困っておりましたもの』
『女性が困っているのを助けるのは紳士の嗜みです。気になさらないで下さい』
『ふふふふ』
楽しそうにくすくすと笑う少女に、少年は釘付けにる。
先ほどのからっぽな音から考えられないくらい豊かな表情は、一つ一つが鮮明で。
頭半分は低い位置にある瞳がきらきらと輝く様に心が奪われた。
『先ほどの演奏は』
『え?』
『随分と美しい音色でした。ピアノを始めて一月に満たないとは本当ですか?』
『ええ。素人の演奏では皆様のお耳汚しになると父には言ったのですが、父はどうも娘に甘くって・・・』
『いえ、とても素人とは思えないほど完成された音でした。そう。まるで、先刻演奏されたばかりのプロと比べても遜色がないほどに』
遠まわしにあなたの音じゃないと告げれば、困ったように眉を下げた少女は淡く笑った。
こんなことを言うつもりはなかったのに、気がつけ口をついて出た疑問は止まらない。
困らせたいわけじゃない。それでも口は勝手に動く。
『私は猿真似しか出来ませんの。ご不快になられたのでしたら、謝ります』
『不快になどなっていません。ただ』
『ただ?』
小首を傾げた少女に、少年は言葉に詰まる。
困窮する意思と反して、それでもするりと言葉は出た。
『あなたの音を』
『私の音?』
『・・・あなた自身の音を、聞いてみたいと。そう、思っただけです』
空虚で美しいだけの音色。
ガラスで繊細に作り上げられた工芸品のような音は、綺麗なだけに物悲しい。
少女らしさを上げるとすれば、空虚な部分だけなんて、そんなの絶対に勿体無い。
口にして、気がついた。嫌が応にも気づいてしまった。
自分の心がどれだけ彼女へ傾いてしまっているか、どれだけ少女を欲しているか。
隠れている真実を暴きたいと思うほどに、少女自身へ焦がれているのを。
気がつけば呆気なく想いは心の深い部分に落ちていて、笑顔の癖に笑っていない少女自身を得たいと希求した。
『どうかなさいました?』
『いえ、大丈夫です。・・・レディ、一つお願いをしても?』
『え?』
『次にお会いした際にもピアノを奏でていただけませんか?他の誰かの音ではなく、あなた自身の音が聞きたいのです』
驚きで見開かれた栗色の瞳を覗きこむと、少年は甘く微笑んだ。
瞼を閉じれば鮮やかに思い出せる記憶は、残念ながら美しいばかりではない。
儚げで繊細に見えた少女はその実とてもがさつで豪快で、繊細さの欠片もない剛毅な人だった。
夢破れた瞬間の絶望は果てしなく、それでも意地で追い続けた唯一の少女。
少年が甘くなりきれない。ただ一人の特別な女性は、姿を消して二年になる。
それでも軽やかに『愛の夢』を奏でながら少年は笑う。
いつか必ずけろっとした顔で現れるだろう少女を想って。
心に浮かべるだけで音が蕩けるほどに、恋した少女の無事を祈って。
「精々首を洗って待っているんだな、守。私は君を逃す気はない」
自分でも嫌になるくらい甘ったるい声で囁けば、口の悪い彼女の声が聞こえた気がした。
曇ることが多い空を見上げて、瞬く星に目を細めながら彼は目的のものを探した。
月明かりに負けることなく存在する星は、今日もほとんど変わらぬ位置に存在する。
地球の地軸を伸ばしたほぼ直線状にある星の名前は『北極星』。
少年が追いつつける相手を思い出させる、嫌な星。
迷える旅人の道標とし古来から存在する星は、夜の闇に埋もれず自身の位置を高く知らせた。
「君は今、何処にいるんだ」
吐く息が空気に触れた瞬間白く濁る。
イギリスは肌を刺す寒さが特徴的な国だ。
彼は世界を股に掛けた海賊の勇敢な血を受け継ぎ、女王の騎士として高い誇りを持つ。
女性は敬うもので、紳士としてエスコートすべき存在。
部屋に直通するベランダから空を見上げる少年にもその志は根付いており、基盤となって現在の自分があると自認する。
女性には優しくあれ。常に紳士として誇り高くあれ。
しかしながら唯一この心を素直に曝け出せない相手が居て、何も言わずに姿を消したその人に不本意ながらも心は奪われたまま。
視線を室内に戻すと、置かれたピアノへ足を向ける。
黒光りする姿が艶やかなそれは、少年が心奪われた少女のために取り寄せた一品だった。
残念ながらこのピアノが使用されたのは十年近い時間でもたった数度。片手で数えれる回数だけ。
それでも少年には、少女が触れたピアノは特別。
手入れされた鍵盤に指を置くと、流れるように音を紡ぎだす。
優しく柔らかなメロディは、少年にとって想い入れの深い曲。
「勝手なものだ。君はいつだって私のことなど考えてくれない。───これほど、私は君だけを考えているというのに」
出会いは運命だと信じてる。
再会は宿命だと信じている。
諦めるのは選択肢になく、忘れる気などさらさらにない。
瞼を閉じてピアノを奏でる。
僅かにも記憶を薄れさせないために。覚えている自分を実感するために。
少年が日本で開かれたパーティーに顔を出したのは、主催者に対し父が今後とも長く取引をする相手だろうと予想したからだ。
自分の代だけではなく、将来は息子である少年にも影響があると判断し、顔合わせも兼ねてパーティーへ連れて行かれた。
世界的に財界に幅を利かせるのは相手も自分も同じで、だからこそ顔見知りも幾人もいた。
そんな彼らによると、取引相手には子供がおらず、つい先日養子を引き取ったばかりらしい。
口かさないものは高貴な血筋に混じる異端と罵ったが、その半面いい子供を引き取ったと賞賛する者もいる。
同じ対象でも見る者により判断に差があるのは理解できるが、あまりにも分かれる反応に少年は首を傾げた。
彼自身は血統を重んじるが、血筋だけが全てと思っているわけではない。
血筋がどうであれ優秀な人間は優秀で、実力主義の世界で生き延びるには血統だけでは不十分だ。
事実少年は幼い頃から帝王学を学び、財閥のトップに立つものとして努力を欠かしたことはない。
立場に胡坐を掻けば足元を掬われるのは自分自身で、居場所を失うのは抱えている社員だ。
話を聞いているだけでもほのかに見える人間性に、どう付き合っていくか笑顔を浮かべながらも内心で判断しつつ情報を整理していると、不意に会場がざわめいた。
モーゼの十戒のように人が割れ、現れた先には鬼道財閥の現総帥と、彼に手を繋がれた華奢な少女。
真っ白なシフォンドレスに身を包み、長い栗色の髪を揺らして歩く姿は、視線が集まっているのに気づいているだろうに至極堂々としていた。
変に媚びることも怯えることもなくあくまで自然体で、胸を張り顎を引いて前を真っ直ぐに見て軽く微笑んでいる。
取り立てて美人ではないが、どこか愛嬌があり愛くるしい顔つきの少女は、誰にも不可侵の凛とした空気を纏っていた。
微笑みを浮かべた大人同士の会話が始まり、父親の後ろに控えて邪魔にならないように立つ。
同じように立つ少女は、もしかしたら英語が理解できないのかもしれない。
何を言われてもにこにこと笑顔を絶やさず、たまに日本語で父親から話しかけられて頷いている。
少女と反して少年は日本語がわからない。
何を話しているか訝しく思う感情すら隠して笑顔でいると、鬼道が会場の奥を指差し、頷いた少女が一礼するとその場を離れた。
『今からあの子に余興をさせましょう』
『余興・・・ですか?』
『はい。親馬鹿と言われると思うのですが、父親である私から見てもあの子はあらゆる才能を秘めておりましてな。今から見せるのはその一環です』
『ほう。あちらにはピアノがあったように記憶しておりますが、ならばピアノでの余興ですか』
『その通りです。先ほどまでプロに演奏してもらっておりましたが、あの子の演奏も中々どうして。まだピアノを始めてから一月にもなりませんが、大したものです』
『一月・・・?そうすると、本当に始めたばかりですな。プロの後に演奏させて宜しいのか?』
『ええ』
同じくピアノを嗜む身として言わせてもらえれば、高々一月の修練でこの場でお披露目をするのは早過ぎる。
一月と言えばまだ覚えているのは基礎程度だろう。
それなのに主催するパーティーだからと披露させるのは親馬鹿として過ぎる。
ことによっては自分の顔が潰れるのに、と皮肉な考えを抱きながら父の選んだ取引相手を眺めれば、その視線の意味を理解しているように彼は微笑んだ。
あまりにも自信たっぷりな様子に瞬きをし、視線を会場の奥にやる。
気がつけば水を打ったように会場は静まり返っていた。
そんな中でもやはり自然体で動く少女に瞠目する。
空気が読めないのかよほど肝が据わっているか。
どちらかは知れないが、どちらだとしてもある意味凄い。
そうして流れ出た音に、信じられないと頭を振った。
奏でた曲は、つい先ほどまでプロの奏者が演奏していた『愛の夢』。
情感たっぷりに響くそれは、信じられないほどに上手い。
微かな余韻、指の運び、音の雰囲気、どれをとってもプロに劣らず、むしろ。
『・・・嘘だろう?』
無意識について出た言葉は、彼女の技術への賞賛。
そして同時に空虚な音への恐怖でもある。
少女はピアノを始めて一月とは信じられない技術があり、流れるような音の奔流は素晴らしいの一言に尽きる。
今この場で音楽評論家が居たとしても絶賛するに違いない、アマチュアとは思えない演奏。
だが少年が『信じられなかった』のは、その演奏がとても聞き覚えのあるものだったことに対してだ。
彼女の演奏はまるで、そう、つい先ほどまで演奏していたプロを録音したようなものだった。
美しい旋律には彼女の感情は欠片も篭められておらず、優しげな愛の調べは全く心に響かない。
それでも惹き付けられる何かがあり、少年は呆然と口を開けた。
演奏が終わり掛けられる声に笑顔を向けながらこちらを向かう少女に、こくりと喉を鳴らす。
あの音を聞いた後ではこの笑顔は仮面にしか見えない。
送られる拍手に笑顔で如才なく対応し、こちらへ歩を向けた少女は常に背筋を伸ばしていた。
居てもたっても居られずに少女へ向かい歩を向ければ、丁度同年代の顔見知りに彼女は囲われたところだった。
『猿でも一芸に秀でますのね』
『名門鬼道家も血筋の知れぬ輩を取り入れるなんて・・・』
『しかもこの場に姿を現しながら言葉すら理解できないなんてありえませんわ。本当にお猿さんみたい』
コロコロと鈴を転がしたような声で笑い声を上げる少女たちは、一見すると美しい容貌をしている。
だがその愛らしい声で語られる内容は醜悪で、周りの大人からすれば談笑しているようにしか見えないよう計算された仕草に少年はマナー違反と知りつつ舌打ちした。
鋭く響いた音に慌てて顔を振り向かせた少女たちは、相手が誰か認めると作った笑顔の仮面を貼り付ける。
しかし少女たちから言葉が発される前に、少年は口を開いた。
『申し訳ないがレディたち、私はこちらのお嬢さんをエスコートしなければならないんだ。今日は君たちの相手が出来ない。さあ、レディ。こちらへ』
普段なら絶対にしない失礼な態度だと理解しつつ、困惑したように眉根を寄せる少女たちから視線を離し笑顔のままの彼女へ手を差し出す。
言葉が理解できずとも、仕草が伴えば理解できるだろうと考えての行動だったが、次の瞬間には少年の心遣いは打ち破られた。
『ふふふ。エスコートなんて光栄ですわ』
笑顔でドレスの端を持ち上げて礼をした少女は、滑らかなクイーンイングリッシュで返事をした。
まさか、と好き放題に言っていた少女たちの顔が青褪める。
彼女たちも名門と言われる家の出だが、鬼道家には遠く及ばない。
言葉が理解できないと思い込んでいたからこそ、好きに言っていたのだろう。
もし言い放ったそれを少女が父親に告げればただではすまない。
そんな思いもあり、なす術もなく立ち竦んだ。
少年はそれとは違い、ただ単純に驚いていた。
英語が話せるくせに、無言を通した少女は責められるべきマナー違反を犯している。
けれど利発な行動だと、判断せずに居られない。
言葉がわからない中で口にされた内容は、悪意があるものものないものも本心に近いだろう。
今この場で責めるような愚行をなさないのも、いずれ上に立つものとしては好ましい。
大人しく見えた少女のしたたかな行為に、呆然と目を丸くしていると、ころころと楽しげに口元に手を当てて微笑んだ。
長い髪を揺らして上品に笑うその姿は魅力的で見惚れてしまう。
容姿だけならこの顔見知りの少女達の方が美しい。
栗色の髪の彼女は美しいというより愛らしい顔立ちで、けれども内面からの輝きが滲み出るような笑顔は少年の心を鷲掴みにした。
どくり、と鼓動が高鳴り、色白な肌が赤く染まる。
差し出した手に手袋をつけた掌が重なると、無意識の内に覚えこんだ行動を体が取った。
小幅で歩く少女に歩幅を合わせ、ゆっくりと歩みを進める。
エスコートは口から出たでまかせだったが、父親たちの元へついたとしても、この手を放したくなくなっていた。
『ありがとうございます』
『・・・何がでしょうか、レディ』
『先ほどのことですわ。エスコートのお約束もしてませんでしたのに。父たちに頼まれたわけでもないでしょう?お嬢様方に囲われて少々困っておりましたもの』
『女性が困っているのを助けるのは紳士の嗜みです。気になさらないで下さい』
『ふふふふ』
楽しそうにくすくすと笑う少女に、少年は釘付けにる。
先ほどのからっぽな音から考えられないくらい豊かな表情は、一つ一つが鮮明で。
頭半分は低い位置にある瞳がきらきらと輝く様に心が奪われた。
『先ほどの演奏は』
『え?』
『随分と美しい音色でした。ピアノを始めて一月に満たないとは本当ですか?』
『ええ。素人の演奏では皆様のお耳汚しになると父には言ったのですが、父はどうも娘に甘くって・・・』
『いえ、とても素人とは思えないほど完成された音でした。そう。まるで、先刻演奏されたばかりのプロと比べても遜色がないほどに』
遠まわしにあなたの音じゃないと告げれば、困ったように眉を下げた少女は淡く笑った。
こんなことを言うつもりはなかったのに、気がつけ口をついて出た疑問は止まらない。
困らせたいわけじゃない。それでも口は勝手に動く。
『私は猿真似しか出来ませんの。ご不快になられたのでしたら、謝ります』
『不快になどなっていません。ただ』
『ただ?』
小首を傾げた少女に、少年は言葉に詰まる。
困窮する意思と反して、それでもするりと言葉は出た。
『あなたの音を』
『私の音?』
『・・・あなた自身の音を、聞いてみたいと。そう、思っただけです』
空虚で美しいだけの音色。
ガラスで繊細に作り上げられた工芸品のような音は、綺麗なだけに物悲しい。
少女らしさを上げるとすれば、空虚な部分だけなんて、そんなの絶対に勿体無い。
口にして、気がついた。嫌が応にも気づいてしまった。
自分の心がどれだけ彼女へ傾いてしまっているか、どれだけ少女を欲しているか。
隠れている真実を暴きたいと思うほどに、少女自身へ焦がれているのを。
気がつけば呆気なく想いは心の深い部分に落ちていて、笑顔の癖に笑っていない少女自身を得たいと希求した。
『どうかなさいました?』
『いえ、大丈夫です。・・・レディ、一つお願いをしても?』
『え?』
『次にお会いした際にもピアノを奏でていただけませんか?他の誰かの音ではなく、あなた自身の音が聞きたいのです』
驚きで見開かれた栗色の瞳を覗きこむと、少年は甘く微笑んだ。
瞼を閉じれば鮮やかに思い出せる記憶は、残念ながら美しいばかりではない。
儚げで繊細に見えた少女はその実とてもがさつで豪快で、繊細さの欠片もない剛毅な人だった。
夢破れた瞬間の絶望は果てしなく、それでも意地で追い続けた唯一の少女。
少年が甘くなりきれない。ただ一人の特別な女性は、姿を消して二年になる。
それでも軽やかに『愛の夢』を奏でながら少年は笑う。
いつか必ずけろっとした顔で現れるだろう少女を想って。
心に浮かべるだけで音が蕩けるほどに、恋した少女の無事を祈って。
「精々首を洗って待っているんだな、守。私は君を逃す気はない」
自分でも嫌になるくらい甘ったるい声で囁けば、口の悪い彼女の声が聞こえた気がした。
ボールに飛びつこうとした円堂の動きが一瞬鈍る。
狙い済ましたように指先を掠めてボールがゴールの中に入り、土門はひっそりと眉根を寄せた。
傍に居たからこそ感じた違和感。
彼女は全力でボールを取りに行き失敗した。そこは欠片も疑ってない。
だが失敗の仕方こそが土門の中に残った。
苦悶の表情を浮かべ身を縮めて、届くはずのボールを逃したように見えたのだ。
「キャプテン、大丈夫っすか!?」
「おう。ごめん、皆。一点取られた」
「まだ時間はある!俺たちの力を合わせれば点を取り返すチャンスはあるさ。なぁ、皆!」
風丸の言葉に、全員が頷いた。
それを円堂から少し離れた場所で眺めながら苦い思いを飲み下す。
今までのプレイを見ていた限り、この一点は大きすぎた。
仲間を信じていないのではない。
円堂を筆頭に纏まる雷門サッカー部は結束力も含めて最高に信頼できる相手だ。
だが冷静に判断すると、風丸の言葉には頷けようはずがなかった。
メンバーを考えると、円堂と豪炎寺と並び土門もサッカー経験は長い。
様々な戦局を乗り越えてきただけに、今の雷門はいつもの輝きがないのは判っていた。
きっと円堂と豪炎寺もそうだ。
だから円堂は何も言わずに苦笑して、豪炎寺は厳しい表情で俯いた。
豪炎寺にしても円堂にしても負ける気はないだろう。勿論、土門もない。
自らを鼓舞する仲間から視線を逸らすと、ベンチメンバーから僅かに距離を開けて座るその人を見た。
膝の上で拳を握り、何かを堪えるように唇を噛み締める鬼道は、自分たちの連携が上手くいっていないこともその理由もお見通しだろう。
帝国でプレイしてまず驚いたのは彼の洞察力と、理論的な思考による戦略の組み立て方。
もどかしげに自分たちを見詰める鬼道なら、この場に居るもう一人を除いて今のチームを立て直す実力があるはずだ。
それぞれのポジションへ散った仲間を見送り、ホイッスルが鳴る僅かな間に土門は円堂に問いかけた。
「円堂。───この試合、今のままなら俺たちは負けるな」
「何?もう諦めモードなわけ?」
「諦めてるわけじゃない。負けたくないし、全力でプレイする」
「それならポジションに戻れよ。諦めずにプレイするのが雷門のサッカーだろ」
「諦めずに!・・・諦めずにプレイすれば勝てる試合ばかりじゃない。今の俺たちは何かが空回りしてる。仲間を信頼し、全力でプレイしていても歯車が全く噛み合ってない。お前ならその理由も、解決法も判るんじゃないか?」
問い詰めれば、苦笑した円堂はひょいと肩を竦めた。
無言の肯定に眉間の皺を増やし渋い表情をすると、困ったように眉尻を下げる。
「あのな、土門。俺は何だ?」
「お前は円堂だろ?」
唐突な問いかけに意味が判らず首を傾げると、そういう意味じゃねぇよと小さな子供を見るような顔で微笑まれた。
「俺はゴールキーパーだ。キーパーは基本的にゴールを守るもんだ。腰に力を溜めて、全力で打ち込まれるシュートを受け止める。この場所を守るのが俺の役目だ」
「そりゃ、判ってる。キーパーはゴールを守るもんだって、小学生だって知ってるさ」
「ならお前の言う解決法を俺が試すのは無理だって理解しろ。俺はお前らがどうして噛み合わないか判ってる。どうすれば最良か、それすらきっちりと理解できる。けどな、俺はこの場所を長く離れられない。ここぞと言うとき攻めあがるのと、お前らと同じ位置で指示し続けるのとは違うんだ。俺はもうミッドフィルダーじゃない。お前らと並走して、指示し続けることは出来ないんだ」
ある意味では理に適った言葉だが、土門は納得しきれずにいた。
『鬼道守』であった円堂を知ってしまったからこその不満に、ぶつけるのは間違っていると理性が告げる。
だがあの輝きを目にする前と後では、彼女への印象も違ってしまった。
ミッドフィルダーとして走る姿は同じプレイヤーとして憧れずに居られなかった。
フィールドを空から見下ろすような的確な指示に、絶妙な個人技、そして仲間との一体感と信頼感。
彼女一人が居るだけでチームは輝きを増し、絶対の自信を持って前を見据えていた。
帝国戦で影山が教えてくれた内容が本当なら、今彼女がプレイしているのは奇跡なのだろう。
サッカーを愛するからこそ努力して、意地を通してフィールドに立っている。
土門では想像も及ばないような不幸は、きっと同じような不遇を得た一之瀬にしか理解出来まい。
それでも、どうして、と思ってしまう。
何故彼女はよりによって以前の自分を捨てて、キーパーになってしまったのだろうか、と。
「気づいてるのは、お前と豪炎寺とあと一人だけか。けど、前半をプレイしきれば皆も認めれるはずだ」
「何を?」
「勝つために必要なパズルのピースを、見つけれてないってことにさ」
くすくすと楽しげに微笑んだ彼女が肩を竦めると同時に、試合再開のホイッスルが響く。
意味を理解しきれない助言に頭を悩ませる間に前半が終了し、まもなく自分たち以外の意外すぎるもう一人を知った。
「・・・俺と・・・鬼道さんを、入れ替えてください」
震える拳を真っ白になるまで握り締め、泣き出す一歩寸前のように声を揺らした宍戸に、土門は目を丸くする。
土門としては、まさかの相手で発言だった。
悔しいと全身で訴えながら、それでも言い切った宍戸に半田と染岡が詰め寄る。
「何言ってんだよ、宍戸!俺たちはこのままで大丈夫だ!」
「そうだ、宍戸!後半に俺が絶対に点を入れてやる。だからっ」
「それじゃ駄目なんです!!先輩たちだってわかってるでしょう!?今の雷門のサッカーは、俺たちの『最高』じゃないって!!」
普段はどちらかと言えば大人しい後輩の絶叫に身を引いた二人を睨み、そのまま宍戸はメンバー全員へ視線をやった。
「俺だって悔しいですっ!怪我もしてないのに、自分のポジションを代わってくれなんて頼みたくない!俺だって雷門の一員です。試合に出たいし、一緒に皆とプレイしたい。でもそれ以上に───絶対に、負けたくない!!俺はまだ皆とプレイしたい。皆と一緒に優勝したいんです・・・っ」
涙腺が決壊したように涙を零す宍戸に、半田や染岡はもとより他のメンバーも口を噤む。
心からの言葉は、彼の本気をダイレクトに伝え仲間たちの言葉を奪った。
そんな中でも少し離れた場所で様子を眺めていた円堂は、ベンチの壁に持たせていた背を離すと組んでいた腕を解く。
そしてそのまま座っている鬼道の前に行くと、俯きがちの彼に声を掛けた。
「だとよ。どうする有人?」
「俺は」
「お前はどうしたい?どうすべきだと、考える?」
静かな問いかけに奥歯を噛み締めた鬼道は、意を決したように頷くとベントから立ち上がった。
「俺を試合に出させてくれ。俺なら、お前らがかみ合わない原因も、その解決法も出せる。・・・頼む」
「っ・・・俺はあいつに頼るくらいなら負けた方がいい!!」
「半田」
「俺たちのサッカーは、雷門のサッカーだ!!鬼道なんかに頼らなくても、俺たちはやれる!!」
声を上げた半田に、仲間たちは沈黙した。
皆判ってるのだ。このままでは勝てないと。
半田にしてもそうだろう。意地になって折れるタイミングを見失っているだけ。
どうすればいいと問いかける視線が円堂へと集中し、嘆息した彼女は肩を竦めると笑った。
「なら、負けるか。中途半端で不完全燃焼な惨めなプレイがお前の言う『雷門のサッカー』なら、それで負けても悔いはないだろ」
優しげにすら感じられる微笑で告げられた内容は、心を抉るような的確な言葉だった。
声を失った半田や雷門の面々を眺めると、不思議そうに小首を傾げる。
確信犯だろうにいっそ無邪気に見える姿に、土門はごくりと唾を飲み込んだ。
「『限りのある回数』の中、俺は絶対に悔いの残る試合をしたくない。宍戸だってそうだ。だから、下げたくない頭を下げて、悔しい思いを飲み込んで、それでも勝つために有人に頼んだ。何故か判るか?後悔したくないからだ。自分だけじゃなく皆を考えて出した結果がそれで、最良だと考えたからだ。だが、怪我もしてないのに自分より実力があるプレイヤーに頭を下げて頼み込んだ宍戸の気持ちすら踏み躙って、負けを選ぶのも一つの選択だろう」
話は終わりだ、とばかりに手を打った円堂はそのままフィールドへ向かう。
背を向けた円堂はこちらを振り返りもしない。
見放されたのだと、言葉よりも有限に教える姿に、先日の鬼道の絶望が理解できた。
「どうした?行かないのか?」
「・・・俺が鬼道を選ばなかったから、お前は怒ったのか?」
「怒る?俺が?半田が有人を選ばなかったくらいで?はは、馬鹿言うなよ。言ったろ?お前らが嫌なら俺は『鬼道有人』はいらないって。信じる気がない相手を入れても今より最悪になるだけだしな」
「けど、現にお前はっ」
「───俺が怒ったというのなら、自分たちのプレイをする気もなく、意地だけで宍戸の想いも踏み躙り負けを選んだお前に対してだ。仲間を信じるサッカー。諦めないサッカーが雷門のサッカーだと俺は思ってた」
「けど、鬼道は仲間じゃない!」
「そうか。なら仕方ないな。実際有人がやった行為は褒められたもんじゃないしこずるい手だと思うが、それでもサッカーを好きな人間なら仲間になる要素はあると俺は思ってた」
残念だ、と一言だけ呟いた人は、そのまま自身のポジションへと戻っていった。
雷門ゴールへと向かう円堂を見送る雷門の面々に沈黙が広がり、中でも半田は納得できないと首を振る。
一歩離れた場所からその光景を見ていた土門は、進み出ると鬼道の前へと立った。
「鬼道さん」
「・・・土門」
「俺からもお願いします。試合に、出てください」
「土門!?」
宍戸の横に並んで頭を下げた土門に、染岡が声を上げる。
だが聞こえないフリをして頭を下げ続けた。
「お願いします、鬼道さん。今の雷門に決定的に足りないものがあるとしたら、場を読み指示を出す司令塔だ。俺は、負けたくない。こんなところで終りたくない。勝つことが全てじゃないと知ってるが、もっと俺は、こいつらと、上まで行きたいんです。もっともっとフットボールフロンティアというこの場所で、プレイしたいんです」
「・・・土門」
「俺からも頼む、鬼道。俺は負けないと誓った。そのためにはお前の力が必要で、お前が居ないと果たせない」
「豪炎寺」
「皆だって判ってるだろう。この試合、俺たちは何かが噛み合ってない。俺たちの最大の特徴であるチームワークは全く活かせてない。空回りしてばかりで、パス一つ繋がらない。思い出せ。一切手を抜いてないこの試合で、一度でもゴール前までボールを運べたか?土門や壁山を見てみろ。傷だらけで泥だらけだ。それだけ激しい攻防をゴール前で繰り広げられてるというのに、フォワードの俺たちはほぼ無傷。これを見て、なんとも思わないのか?」
下げていた頭を上げて仲間を見れば、沈痛な表情で彼らは黙り込んでいた。
「けど、俺たちが点を取れば」
「冷静になれ、染岡。今の俺たちは点を取る以前の問題だ。それを理解してるから、宍戸が頭を下げてくれた。他の誰のためでもなく、『俺たちの』ためにだ。こいつが自分から言い出してくれなかったら、俺が言っていただろう」
「仲間を信じられないって言うのかよ!?」
「そうじゃない。だが、勝つためには、鬼道の司令塔としての能力が必要なだけだ。これが俺たちの本気のサッカーなら、まだ負けても納得できる。けど違うだろう?俺たちの本気のサッカーはこんなものじゃないはずだ。それを誰より知ってるのは、共に苦楽を共にした俺たち自身のはずだろう?」
苛立つでもなく、叫ぶでもなく、淡々とした口調で告げる豪炎寺は、事実だけを述べていた。
それ故に言葉は心の奥深くへ届き反論の言葉は一つとして出ない。
沈黙が場を支配し、初めて口を開かなかった一之瀬が声を発した。
「俺は鬼道有人が嫌いだ」
唐突な発言に、言われた当の本人はもとより雷門の仲間も目を瞬く。
きっとその中でも特に驚いたのは、昔から一之瀬を知る土門と木野だろう。
二人とも子供の頃からの付き合いで、彼が誰かの前で誰かの悪口を言うタイプでないと知っているだけに驚きもひとしおだ。
目をまん丸にして一之瀬を見れば、不遜な発言をしたくせに本人は堂々と腕を組んで真っ直ぐに鬼道を射抜いていた。
視線は偽りなく苛立ちを露にし、顰められた眉の間には皺が幾つも寄っていた。
あからさま過ぎる嫌悪感に、土門の方がはらはらとしてしまう。
呆然としている鬼道に体を向けると、彼は言葉を続けた。
「『弟』ってだけで無条件に守に愛される君が嫌いだ。それを当たり前と捉えていて、依存するだけ依存する君が嫌いだ。半田みたいな生ぬるい感情でなく、君という存在が嫌いだ」
「一之瀬?」
「それでも、守が認める君の実力を俺も認めるよ。自分たちのサッカーをする前に負けるくらいなら、君の力を利用する。皆だって、負けたくないだろ?」
「俺は、俺たちは・・・」
「半田や染岡、それに皆の心に引っかかってるのは、鬼道が守の弟だって事実だ。けどサッカーに関しては、守は身内だからって贔屓はしないよ。そんなに甘い人じゃないからね。鬼道が来たからって、守は変わらないよ。───だから安心して鬼道を利用すればいい。潰すくらいの勢いで、利用してやればいいんだ」
実力を認めると言う一之瀬の言葉には随分と険が篭っていた。
独占欲が強い彼の心情が透けて見え、土門は眉を下げて苦く笑う。
あれほど傍に居ても彼はまだ足りないらしく、何をしなくとも特別な地位を得ている鬼道に当たりは強い。
だが、彼の一言で周りの空気が変わった。
言葉を変えれば豪炎寺や土門が言った内容と同じことを言っていたが、一之瀬が告げれば印象は全く違う。
『利用する』とは聞こえが悪いが、先ほどの円堂と同じような詐欺の手口に近い状態で鬼道を入れろを言っているようなものだった。
「もうすぐ試合は始まるよ。俺は勝ちたい。豪炎寺や土門、宍戸だってそうだ。皆はどうなんだ?守が言うとおりに負けるのか?」
静かな問いかけに、顔を見合わせた仲間たちは一つの決断を下した。
狙い済ましたように指先を掠めてボールがゴールの中に入り、土門はひっそりと眉根を寄せた。
傍に居たからこそ感じた違和感。
彼女は全力でボールを取りに行き失敗した。そこは欠片も疑ってない。
だが失敗の仕方こそが土門の中に残った。
苦悶の表情を浮かべ身を縮めて、届くはずのボールを逃したように見えたのだ。
「キャプテン、大丈夫っすか!?」
「おう。ごめん、皆。一点取られた」
「まだ時間はある!俺たちの力を合わせれば点を取り返すチャンスはあるさ。なぁ、皆!」
風丸の言葉に、全員が頷いた。
それを円堂から少し離れた場所で眺めながら苦い思いを飲み下す。
今までのプレイを見ていた限り、この一点は大きすぎた。
仲間を信じていないのではない。
円堂を筆頭に纏まる雷門サッカー部は結束力も含めて最高に信頼できる相手だ。
だが冷静に判断すると、風丸の言葉には頷けようはずがなかった。
メンバーを考えると、円堂と豪炎寺と並び土門もサッカー経験は長い。
様々な戦局を乗り越えてきただけに、今の雷門はいつもの輝きがないのは判っていた。
きっと円堂と豪炎寺もそうだ。
だから円堂は何も言わずに苦笑して、豪炎寺は厳しい表情で俯いた。
豪炎寺にしても円堂にしても負ける気はないだろう。勿論、土門もない。
自らを鼓舞する仲間から視線を逸らすと、ベンチメンバーから僅かに距離を開けて座るその人を見た。
膝の上で拳を握り、何かを堪えるように唇を噛み締める鬼道は、自分たちの連携が上手くいっていないこともその理由もお見通しだろう。
帝国でプレイしてまず驚いたのは彼の洞察力と、理論的な思考による戦略の組み立て方。
もどかしげに自分たちを見詰める鬼道なら、この場に居るもう一人を除いて今のチームを立て直す実力があるはずだ。
それぞれのポジションへ散った仲間を見送り、ホイッスルが鳴る僅かな間に土門は円堂に問いかけた。
「円堂。───この試合、今のままなら俺たちは負けるな」
「何?もう諦めモードなわけ?」
「諦めてるわけじゃない。負けたくないし、全力でプレイする」
「それならポジションに戻れよ。諦めずにプレイするのが雷門のサッカーだろ」
「諦めずに!・・・諦めずにプレイすれば勝てる試合ばかりじゃない。今の俺たちは何かが空回りしてる。仲間を信頼し、全力でプレイしていても歯車が全く噛み合ってない。お前ならその理由も、解決法も判るんじゃないか?」
問い詰めれば、苦笑した円堂はひょいと肩を竦めた。
無言の肯定に眉間の皺を増やし渋い表情をすると、困ったように眉尻を下げる。
「あのな、土門。俺は何だ?」
「お前は円堂だろ?」
唐突な問いかけに意味が判らず首を傾げると、そういう意味じゃねぇよと小さな子供を見るような顔で微笑まれた。
「俺はゴールキーパーだ。キーパーは基本的にゴールを守るもんだ。腰に力を溜めて、全力で打ち込まれるシュートを受け止める。この場所を守るのが俺の役目だ」
「そりゃ、判ってる。キーパーはゴールを守るもんだって、小学生だって知ってるさ」
「ならお前の言う解決法を俺が試すのは無理だって理解しろ。俺はお前らがどうして噛み合わないか判ってる。どうすれば最良か、それすらきっちりと理解できる。けどな、俺はこの場所を長く離れられない。ここぞと言うとき攻めあがるのと、お前らと同じ位置で指示し続けるのとは違うんだ。俺はもうミッドフィルダーじゃない。お前らと並走して、指示し続けることは出来ないんだ」
ある意味では理に適った言葉だが、土門は納得しきれずにいた。
『鬼道守』であった円堂を知ってしまったからこその不満に、ぶつけるのは間違っていると理性が告げる。
だがあの輝きを目にする前と後では、彼女への印象も違ってしまった。
ミッドフィルダーとして走る姿は同じプレイヤーとして憧れずに居られなかった。
フィールドを空から見下ろすような的確な指示に、絶妙な個人技、そして仲間との一体感と信頼感。
彼女一人が居るだけでチームは輝きを増し、絶対の自信を持って前を見据えていた。
帝国戦で影山が教えてくれた内容が本当なら、今彼女がプレイしているのは奇跡なのだろう。
サッカーを愛するからこそ努力して、意地を通してフィールドに立っている。
土門では想像も及ばないような不幸は、きっと同じような不遇を得た一之瀬にしか理解出来まい。
それでも、どうして、と思ってしまう。
何故彼女はよりによって以前の自分を捨てて、キーパーになってしまったのだろうか、と。
「気づいてるのは、お前と豪炎寺とあと一人だけか。けど、前半をプレイしきれば皆も認めれるはずだ」
「何を?」
「勝つために必要なパズルのピースを、見つけれてないってことにさ」
くすくすと楽しげに微笑んだ彼女が肩を竦めると同時に、試合再開のホイッスルが響く。
意味を理解しきれない助言に頭を悩ませる間に前半が終了し、まもなく自分たち以外の意外すぎるもう一人を知った。
「・・・俺と・・・鬼道さんを、入れ替えてください」
震える拳を真っ白になるまで握り締め、泣き出す一歩寸前のように声を揺らした宍戸に、土門は目を丸くする。
土門としては、まさかの相手で発言だった。
悔しいと全身で訴えながら、それでも言い切った宍戸に半田と染岡が詰め寄る。
「何言ってんだよ、宍戸!俺たちはこのままで大丈夫だ!」
「そうだ、宍戸!後半に俺が絶対に点を入れてやる。だからっ」
「それじゃ駄目なんです!!先輩たちだってわかってるでしょう!?今の雷門のサッカーは、俺たちの『最高』じゃないって!!」
普段はどちらかと言えば大人しい後輩の絶叫に身を引いた二人を睨み、そのまま宍戸はメンバー全員へ視線をやった。
「俺だって悔しいですっ!怪我もしてないのに、自分のポジションを代わってくれなんて頼みたくない!俺だって雷門の一員です。試合に出たいし、一緒に皆とプレイしたい。でもそれ以上に───絶対に、負けたくない!!俺はまだ皆とプレイしたい。皆と一緒に優勝したいんです・・・っ」
涙腺が決壊したように涙を零す宍戸に、半田や染岡はもとより他のメンバーも口を噤む。
心からの言葉は、彼の本気をダイレクトに伝え仲間たちの言葉を奪った。
そんな中でも少し離れた場所で様子を眺めていた円堂は、ベンチの壁に持たせていた背を離すと組んでいた腕を解く。
そしてそのまま座っている鬼道の前に行くと、俯きがちの彼に声を掛けた。
「だとよ。どうする有人?」
「俺は」
「お前はどうしたい?どうすべきだと、考える?」
静かな問いかけに奥歯を噛み締めた鬼道は、意を決したように頷くとベントから立ち上がった。
「俺を試合に出させてくれ。俺なら、お前らがかみ合わない原因も、その解決法も出せる。・・・頼む」
「っ・・・俺はあいつに頼るくらいなら負けた方がいい!!」
「半田」
「俺たちのサッカーは、雷門のサッカーだ!!鬼道なんかに頼らなくても、俺たちはやれる!!」
声を上げた半田に、仲間たちは沈黙した。
皆判ってるのだ。このままでは勝てないと。
半田にしてもそうだろう。意地になって折れるタイミングを見失っているだけ。
どうすればいいと問いかける視線が円堂へと集中し、嘆息した彼女は肩を竦めると笑った。
「なら、負けるか。中途半端で不完全燃焼な惨めなプレイがお前の言う『雷門のサッカー』なら、それで負けても悔いはないだろ」
優しげにすら感じられる微笑で告げられた内容は、心を抉るような的確な言葉だった。
声を失った半田や雷門の面々を眺めると、不思議そうに小首を傾げる。
確信犯だろうにいっそ無邪気に見える姿に、土門はごくりと唾を飲み込んだ。
「『限りのある回数』の中、俺は絶対に悔いの残る試合をしたくない。宍戸だってそうだ。だから、下げたくない頭を下げて、悔しい思いを飲み込んで、それでも勝つために有人に頼んだ。何故か判るか?後悔したくないからだ。自分だけじゃなく皆を考えて出した結果がそれで、最良だと考えたからだ。だが、怪我もしてないのに自分より実力があるプレイヤーに頭を下げて頼み込んだ宍戸の気持ちすら踏み躙って、負けを選ぶのも一つの選択だろう」
話は終わりだ、とばかりに手を打った円堂はそのままフィールドへ向かう。
背を向けた円堂はこちらを振り返りもしない。
見放されたのだと、言葉よりも有限に教える姿に、先日の鬼道の絶望が理解できた。
「どうした?行かないのか?」
「・・・俺が鬼道を選ばなかったから、お前は怒ったのか?」
「怒る?俺が?半田が有人を選ばなかったくらいで?はは、馬鹿言うなよ。言ったろ?お前らが嫌なら俺は『鬼道有人』はいらないって。信じる気がない相手を入れても今より最悪になるだけだしな」
「けど、現にお前はっ」
「───俺が怒ったというのなら、自分たちのプレイをする気もなく、意地だけで宍戸の想いも踏み躙り負けを選んだお前に対してだ。仲間を信じるサッカー。諦めないサッカーが雷門のサッカーだと俺は思ってた」
「けど、鬼道は仲間じゃない!」
「そうか。なら仕方ないな。実際有人がやった行為は褒められたもんじゃないしこずるい手だと思うが、それでもサッカーを好きな人間なら仲間になる要素はあると俺は思ってた」
残念だ、と一言だけ呟いた人は、そのまま自身のポジションへと戻っていった。
雷門ゴールへと向かう円堂を見送る雷門の面々に沈黙が広がり、中でも半田は納得できないと首を振る。
一歩離れた場所からその光景を見ていた土門は、進み出ると鬼道の前へと立った。
「鬼道さん」
「・・・土門」
「俺からもお願いします。試合に、出てください」
「土門!?」
宍戸の横に並んで頭を下げた土門に、染岡が声を上げる。
だが聞こえないフリをして頭を下げ続けた。
「お願いします、鬼道さん。今の雷門に決定的に足りないものがあるとしたら、場を読み指示を出す司令塔だ。俺は、負けたくない。こんなところで終りたくない。勝つことが全てじゃないと知ってるが、もっと俺は、こいつらと、上まで行きたいんです。もっともっとフットボールフロンティアというこの場所で、プレイしたいんです」
「・・・土門」
「俺からも頼む、鬼道。俺は負けないと誓った。そのためにはお前の力が必要で、お前が居ないと果たせない」
「豪炎寺」
「皆だって判ってるだろう。この試合、俺たちは何かが噛み合ってない。俺たちの最大の特徴であるチームワークは全く活かせてない。空回りしてばかりで、パス一つ繋がらない。思い出せ。一切手を抜いてないこの試合で、一度でもゴール前までボールを運べたか?土門や壁山を見てみろ。傷だらけで泥だらけだ。それだけ激しい攻防をゴール前で繰り広げられてるというのに、フォワードの俺たちはほぼ無傷。これを見て、なんとも思わないのか?」
下げていた頭を上げて仲間を見れば、沈痛な表情で彼らは黙り込んでいた。
「けど、俺たちが点を取れば」
「冷静になれ、染岡。今の俺たちは点を取る以前の問題だ。それを理解してるから、宍戸が頭を下げてくれた。他の誰のためでもなく、『俺たちの』ためにだ。こいつが自分から言い出してくれなかったら、俺が言っていただろう」
「仲間を信じられないって言うのかよ!?」
「そうじゃない。だが、勝つためには、鬼道の司令塔としての能力が必要なだけだ。これが俺たちの本気のサッカーなら、まだ負けても納得できる。けど違うだろう?俺たちの本気のサッカーはこんなものじゃないはずだ。それを誰より知ってるのは、共に苦楽を共にした俺たち自身のはずだろう?」
苛立つでもなく、叫ぶでもなく、淡々とした口調で告げる豪炎寺は、事実だけを述べていた。
それ故に言葉は心の奥深くへ届き反論の言葉は一つとして出ない。
沈黙が場を支配し、初めて口を開かなかった一之瀬が声を発した。
「俺は鬼道有人が嫌いだ」
唐突な発言に、言われた当の本人はもとより雷門の仲間も目を瞬く。
きっとその中でも特に驚いたのは、昔から一之瀬を知る土門と木野だろう。
二人とも子供の頃からの付き合いで、彼が誰かの前で誰かの悪口を言うタイプでないと知っているだけに驚きもひとしおだ。
目をまん丸にして一之瀬を見れば、不遜な発言をしたくせに本人は堂々と腕を組んで真っ直ぐに鬼道を射抜いていた。
視線は偽りなく苛立ちを露にし、顰められた眉の間には皺が幾つも寄っていた。
あからさま過ぎる嫌悪感に、土門の方がはらはらとしてしまう。
呆然としている鬼道に体を向けると、彼は言葉を続けた。
「『弟』ってだけで無条件に守に愛される君が嫌いだ。それを当たり前と捉えていて、依存するだけ依存する君が嫌いだ。半田みたいな生ぬるい感情でなく、君という存在が嫌いだ」
「一之瀬?」
「それでも、守が認める君の実力を俺も認めるよ。自分たちのサッカーをする前に負けるくらいなら、君の力を利用する。皆だって、負けたくないだろ?」
「俺は、俺たちは・・・」
「半田や染岡、それに皆の心に引っかかってるのは、鬼道が守の弟だって事実だ。けどサッカーに関しては、守は身内だからって贔屓はしないよ。そんなに甘い人じゃないからね。鬼道が来たからって、守は変わらないよ。───だから安心して鬼道を利用すればいい。潰すくらいの勢いで、利用してやればいいんだ」
実力を認めると言う一之瀬の言葉には随分と険が篭っていた。
独占欲が強い彼の心情が透けて見え、土門は眉を下げて苦く笑う。
あれほど傍に居ても彼はまだ足りないらしく、何をしなくとも特別な地位を得ている鬼道に当たりは強い。
だが、彼の一言で周りの空気が変わった。
言葉を変えれば豪炎寺や土門が言った内容と同じことを言っていたが、一之瀬が告げれば印象は全く違う。
『利用する』とは聞こえが悪いが、先ほどの円堂と同じような詐欺の手口に近い状態で鬼道を入れろを言っているようなものだった。
「もうすぐ試合は始まるよ。俺は勝ちたい。豪炎寺や土門、宍戸だってそうだ。皆はどうなんだ?守が言うとおりに負けるのか?」
静かな問いかけに、顔を見合わせた仲間たちは一つの決断を下した。
「鬼道が弟だから入れるって、そう言うのかよっ!?」
ベンチに響いた声に、腕を組んだ円堂は静かな眼差しを半田へ向けた。
多大に非難の含まれるそれに顔色一つどころか眉一つ動かさずに享受する。
ここが全国試合のベンチであるとか、仲間からの非難の視線なども一切物怖じせずに真っ向から受けた少女は、嘆息すると背をもたせていた壁から体を浮かした。
「俺は別に許容したわけじゃない」
「言い訳か?」
「いいや。本音だ」
ちらりと視線を持ち上げて時計を確認した円堂は、そのまま仲間を一人一人見た。
その様子にもベンチに座っている響木は何も言わない。
ただ沈黙を通し、円堂を弁護する真似をしなければ、同じように責めることもしない。
彼女に半田が食って掛かるのは理由がある。
全国大会二戦目、それが始まる寸前になり、彼女の弟であった『鬼道有人』が雷門へ転入すると告げられたからだ。
理由は聞いてないが、そのままサッカー部に入部する気だと教えられ、半田が怒りを爆発させた。
何故、よりによって今なのかと。
まもなく始まる全国大会の二戦目。
自分たちが勝ち取った栄誉であり、強いからと外部の人間を引き入れるのかと。
知っている事実を教えてもらえなかった。
まるで───自分たちを信用していないように感じられたのだろう。
だが甘んじて怒りを受けた彼女は、迷いのない瞳を向けてきた。
「おかげさまで弟と呼べる関係には戻った。昔みたいに兄弟としては暮らす気はないが、弟だと思ってる」
「なら」
「けど、それとこれとは別だ。身内贔屓で引き入れようと思わない。だから、俺は今話した」
「どういう意味だ?」
微笑みに近い表情を見せた円堂に半田が息を呑む。
視線だけを響木に向けた彼女は、緩く首を振る。
「俺はお前らが嫌なら『鬼道有人』は必要ないと思ってる」
「・・・円堂?」
「だってそうだろ?どんな想いを抱えようと、勝負は勝負。負けは負けだ。負けたくないと望むチームはいないわけない。抱える想いだって大なり小なりあるに決まってる。それをどうだ?あいつのやろうとしてることは、全てを覆す行動だ。勝ったチームに転入してプレイする。大義名分は関係ないな、それは自己満足を得るための自分勝手な行為に過ぎない。フェアじゃないだろ。───なぁ、響木監督」
「・・・俺の判断に文句があったか?」
「そうですね。なかったら、あいつが来る前に言葉にしませんよ」
「だが、来るかどうか判らないだろうが」
「本気で言ってますか?」
黙り込んだ響木を責めるでもなく囁いた言葉だったが、彼は苦々しい表情を浮かべる。
「・・・もしかして、響木監督もご存知だったんですか?」
「───まあな」
緩やかな肯定に、仲間の雰囲気が毛羽立った。
先ほど円堂が『有人が雷門に転入した』と告げたときより動揺は酷かったかもしれない。
信じられないと首を振りながらの染岡の囁きは、部員全員の心の叫びだっただろう。
信頼していた監督は、自分たちに黙って新たに帝国イレブンのメンバー、それもキャプテンを仲間に入れようとしていたのだ。
豪炎寺と土門の強張る顔に一之瀬は小さく笑い、円堂の隣に並んだ。
それまで成り行きを静観していたのは、彼女なら大丈夫だと知っていたからだ。
手助け無用とばかりに挑戦的な瞳で見られれば、言葉がなくともわかってしまう。
そう、判ってしまえる位置が一之瀬と円堂の距離。
それが誇らしく、また同時にもどかしいと言えば、アメリカ帰りの親友は渋い顔をするのだろう。
一之瀬の位置を土門が羨み、またどういう目で見ているか正確に理解しているから悟れる。
けれど譲る気はない。
土門が知らない頃から自分はずっと『マモル』を見てきたのだ。
簡単に代わってやれる位置じゃない。
肩に手を置いて視線で見れば、こちらに向け一瞬だけ口角を上げた彼女はすぐに笑みを消した。
「監督。俺はね、あいつは雷門に居なくてもいいと思ってる」
「・・・円堂、それをお前が言うのか」
「言いますよ。あいつが『弟』だからこそ、余計にね。俺の立場じゃ何を言っても仲間の反感を買うのはわかってる。けど、何も言わないのはフェアじゃない。ついでに言えば俺がやりたいサッカーは個人の戦力が特出してればいいってもんでもない。『仲間とプレイするサッカー』。それが俺の目指すものだ」
「欺瞞でしかないな。お前たちの力だけでは次の試合勝ち抜けるか判らん」
「判ってないですね、監督。それはあなたが口にしていい言葉じゃない。俺たちのサッカーの一番の強み、皆忘れてないか?」
「・・・どういうことだ?」
首を傾げた豪炎寺に、楽しくて仕方ないとばかりに円堂は笑った。
いっそ無邪気に見える子供っぽい笑みなのに、どこか隙がない凛とした微笑み。
まるで昔イタリアの地でサッカーをしていた最中みたいな表情に、一之瀬の背中をぞくぞくとしたものが駆け抜ける。
凛とした強さと危うげな色気。
彼女の本質を表したような油断ならない空気がとても好きだった。
平然と腕を組んでいる彼女の肩に腕を乗せると、顔がぐっと近寄る。
けれど一之瀬の仕草など目に入らないと意識すらしてくれない人は、ざわめく仲間を無視して豪炎寺だけを見ていた。
そのまま一人一人へ視線をずらし、確認するように瞳を覗く。
全員を一瞥し、思い切り破顔した。
「判らないか?俺たちの一番の強みは個人技でも最高の必殺技でもない。仲間を信じて諦めない心。仲間が居たからこそ俺たちは強くなれた。サッカーは一人でプレイできない。絶対に仲間は必要なんだ。俺は仲間と最高のプレイをしたい。だからこそ、仲間の意思を尊重する」
「円堂、お前・・・もしかして、弟の鬼道より俺たちを取るって言うのか?」
「当然だろ。『今』、俺が一緒にプレイする仲間はお前らだ。俺自身は有人がどうと言うよりサッカーが好きな奴なら誰だろうと一緒にプレイするのは構わない。だがそれは俺自身の個人的な感情でしかない。1足す1が2になるのは数学だけだ。人間に当てはまるものはない」
「言葉の意味を判っているのか、円堂」
「判ってますよ。今の雷門に有人が来てもマイナスにしかならないだろうってことはね。それならむしろ入れない方がいい。俺が優先すべきは俺の仲間だ。───聞こえたか、有人」
『え!?』
雷門のメンバーが異口同音で驚愕したのに、一之瀬は笑った。
薄々もう来てるのではないかと思っていたのだ。
彼女の話だと彼はとても律儀な性格をしている。
時間前行動は当然だろうし、だからこそわざとあのタイミングで話を始めたのだろう。
『鬼道有人』の覚悟を知るために。
そして『雷門サッカー部』の本意を見極めるために。
彼女は否と言えば絶対に通さない。
有限実行を当たり前にする人で、そんなところも好ましいと思っていた。
非難がましい眼差しを向けてくる音無に笑いかける堂々とした姿に惚れ直す。
か弱いだけの守ってやらなくてはいけない人ではなく、気を緩めれば置いていかれる。
一之瀬が憧れた人は、そんな凄い人だった。
「さて、どうする?雷門の面々はお前をすぐには受け入れられないらしい。俺は仲間を優先する。勿論、響木監督の言葉には従うが、俺だけが従ってもいいプレイは出来ないだろうな」
「・・・はい。判ってます。あなたが仲間を優先するだろうと、俺は知ってます。あなたのサッカーの根本は昔からそれですから。むしろ安心したといってもいいでしょう。俺の憧れたあなたは、そうじゃなければいけない」
「偉そうな態度だな、負けたくせに」
「絡まないの、一哉。お前だって同じ立場なら似たような行動するだろ」
「どうだろうね」
睨み据える鬼道の視線を真っ向から受けて、ひょいと肩を竦めた。
二年間離れていたくせに、まるで自分こそが一番彼女を知っていると言わんばかりの姿にイラつく。
何もかもを理解してるとばかりに胸を張って語るなと、叫びだしたい衝動に駆られ、不意に温もりを感じた。
視線をやれば肩に置いた腕に円堂の手が添えられており、淡い苦笑と共に宥められてるのに気がついた。
小さな子供を見るような眼差しに唇を尖らせると、腕に添えられた手を握った。
伝わる温もりにあっという間に落ち着きを取り戻す自分をどうかと思うけれど、安心してしまうから仕方ない。
鬼道の視線が益々厳しくなるが、無視して円堂に笑顔を向けた。
「それで、どうするの皆?俺は別にどっちでもいいぞ。有人は確かに凄い戦力だ。ゲームメイクの才能はぴか一で状況を観察する力は秀でている。それに何より、あの帝国の鬼道有人が恥辱に塗れ、後ろ指を差されるのを覚悟の上でここまで来た。ライバルに頭を下げて仲間に入れてくれって来る覚悟は、一蹴する内容じゃないとは思う。けどそれは俺の個人的意見。だから、お前らの意見を聞きたい」
「・・・・・・」
「今すぐこの場を去れと言うか、それとも少し考えるか。さて、どうする?」
微笑んで問いかける人は本当にずるい。
自分が酷く突き放せば、仲間がどう動くか知っている。
それが嘘じゃなく本心だから、だから余計に説得力があり仲間も自ら選択する。
少なくとも、同じサッカーを志す人間として、徹底的に突き放せる奴はこの場に居ない。
仲間に入れろと言うのではなく、考えるかと問うのは酷い。
これでは一之瀬が反対しても、仲間はあからさまな拒絶はしない。
「・・・守の馬鹿」
「馬鹿で結構。お前を変えたくないんだよ」
「馬鹿、バーカ!」
たった一言で自分を納得させる彼女が嫌いだ。
それなのに。
「俺は、鬼道有人はキライだ」
「そーかい」
「守のそういうとこもキライ」
「そーかい。俺は一哉が好きだよ」
「・・・・・・・・・俺もだ」
結局流されてしまうのだけれど、もうこれは経験の差と諦めるしかないだろう。
それとも性格の差と言うべきだろうか。
自分だって簡単に乗りこなせるような性格をしてないはずなのに、と悔しく思うけど。
一つ嘆息すると、握った手に力を篭める。
結局、惚れた弱みと諦めるしかないのだろう。
ベンチに響いた声に、腕を組んだ円堂は静かな眼差しを半田へ向けた。
多大に非難の含まれるそれに顔色一つどころか眉一つ動かさずに享受する。
ここが全国試合のベンチであるとか、仲間からの非難の視線なども一切物怖じせずに真っ向から受けた少女は、嘆息すると背をもたせていた壁から体を浮かした。
「俺は別に許容したわけじゃない」
「言い訳か?」
「いいや。本音だ」
ちらりと視線を持ち上げて時計を確認した円堂は、そのまま仲間を一人一人見た。
その様子にもベンチに座っている響木は何も言わない。
ただ沈黙を通し、円堂を弁護する真似をしなければ、同じように責めることもしない。
彼女に半田が食って掛かるのは理由がある。
全国大会二戦目、それが始まる寸前になり、彼女の弟であった『鬼道有人』が雷門へ転入すると告げられたからだ。
理由は聞いてないが、そのままサッカー部に入部する気だと教えられ、半田が怒りを爆発させた。
何故、よりによって今なのかと。
まもなく始まる全国大会の二戦目。
自分たちが勝ち取った栄誉であり、強いからと外部の人間を引き入れるのかと。
知っている事実を教えてもらえなかった。
まるで───自分たちを信用していないように感じられたのだろう。
だが甘んじて怒りを受けた彼女は、迷いのない瞳を向けてきた。
「おかげさまで弟と呼べる関係には戻った。昔みたいに兄弟としては暮らす気はないが、弟だと思ってる」
「なら」
「けど、それとこれとは別だ。身内贔屓で引き入れようと思わない。だから、俺は今話した」
「どういう意味だ?」
微笑みに近い表情を見せた円堂に半田が息を呑む。
視線だけを響木に向けた彼女は、緩く首を振る。
「俺はお前らが嫌なら『鬼道有人』は必要ないと思ってる」
「・・・円堂?」
「だってそうだろ?どんな想いを抱えようと、勝負は勝負。負けは負けだ。負けたくないと望むチームはいないわけない。抱える想いだって大なり小なりあるに決まってる。それをどうだ?あいつのやろうとしてることは、全てを覆す行動だ。勝ったチームに転入してプレイする。大義名分は関係ないな、それは自己満足を得るための自分勝手な行為に過ぎない。フェアじゃないだろ。───なぁ、響木監督」
「・・・俺の判断に文句があったか?」
「そうですね。なかったら、あいつが来る前に言葉にしませんよ」
「だが、来るかどうか判らないだろうが」
「本気で言ってますか?」
黙り込んだ響木を責めるでもなく囁いた言葉だったが、彼は苦々しい表情を浮かべる。
「・・・もしかして、響木監督もご存知だったんですか?」
「───まあな」
緩やかな肯定に、仲間の雰囲気が毛羽立った。
先ほど円堂が『有人が雷門に転入した』と告げたときより動揺は酷かったかもしれない。
信じられないと首を振りながらの染岡の囁きは、部員全員の心の叫びだっただろう。
信頼していた監督は、自分たちに黙って新たに帝国イレブンのメンバー、それもキャプテンを仲間に入れようとしていたのだ。
豪炎寺と土門の強張る顔に一之瀬は小さく笑い、円堂の隣に並んだ。
それまで成り行きを静観していたのは、彼女なら大丈夫だと知っていたからだ。
手助け無用とばかりに挑戦的な瞳で見られれば、言葉がなくともわかってしまう。
そう、判ってしまえる位置が一之瀬と円堂の距離。
それが誇らしく、また同時にもどかしいと言えば、アメリカ帰りの親友は渋い顔をするのだろう。
一之瀬の位置を土門が羨み、またどういう目で見ているか正確に理解しているから悟れる。
けれど譲る気はない。
土門が知らない頃から自分はずっと『マモル』を見てきたのだ。
簡単に代わってやれる位置じゃない。
肩に手を置いて視線で見れば、こちらに向け一瞬だけ口角を上げた彼女はすぐに笑みを消した。
「監督。俺はね、あいつは雷門に居なくてもいいと思ってる」
「・・・円堂、それをお前が言うのか」
「言いますよ。あいつが『弟』だからこそ、余計にね。俺の立場じゃ何を言っても仲間の反感を買うのはわかってる。けど、何も言わないのはフェアじゃない。ついでに言えば俺がやりたいサッカーは個人の戦力が特出してればいいってもんでもない。『仲間とプレイするサッカー』。それが俺の目指すものだ」
「欺瞞でしかないな。お前たちの力だけでは次の試合勝ち抜けるか判らん」
「判ってないですね、監督。それはあなたが口にしていい言葉じゃない。俺たちのサッカーの一番の強み、皆忘れてないか?」
「・・・どういうことだ?」
首を傾げた豪炎寺に、楽しくて仕方ないとばかりに円堂は笑った。
いっそ無邪気に見える子供っぽい笑みなのに、どこか隙がない凛とした微笑み。
まるで昔イタリアの地でサッカーをしていた最中みたいな表情に、一之瀬の背中をぞくぞくとしたものが駆け抜ける。
凛とした強さと危うげな色気。
彼女の本質を表したような油断ならない空気がとても好きだった。
平然と腕を組んでいる彼女の肩に腕を乗せると、顔がぐっと近寄る。
けれど一之瀬の仕草など目に入らないと意識すらしてくれない人は、ざわめく仲間を無視して豪炎寺だけを見ていた。
そのまま一人一人へ視線をずらし、確認するように瞳を覗く。
全員を一瞥し、思い切り破顔した。
「判らないか?俺たちの一番の強みは個人技でも最高の必殺技でもない。仲間を信じて諦めない心。仲間が居たからこそ俺たちは強くなれた。サッカーは一人でプレイできない。絶対に仲間は必要なんだ。俺は仲間と最高のプレイをしたい。だからこそ、仲間の意思を尊重する」
「円堂、お前・・・もしかして、弟の鬼道より俺たちを取るって言うのか?」
「当然だろ。『今』、俺が一緒にプレイする仲間はお前らだ。俺自身は有人がどうと言うよりサッカーが好きな奴なら誰だろうと一緒にプレイするのは構わない。だがそれは俺自身の個人的な感情でしかない。1足す1が2になるのは数学だけだ。人間に当てはまるものはない」
「言葉の意味を判っているのか、円堂」
「判ってますよ。今の雷門に有人が来てもマイナスにしかならないだろうってことはね。それならむしろ入れない方がいい。俺が優先すべきは俺の仲間だ。───聞こえたか、有人」
『え!?』
雷門のメンバーが異口同音で驚愕したのに、一之瀬は笑った。
薄々もう来てるのではないかと思っていたのだ。
彼女の話だと彼はとても律儀な性格をしている。
時間前行動は当然だろうし、だからこそわざとあのタイミングで話を始めたのだろう。
『鬼道有人』の覚悟を知るために。
そして『雷門サッカー部』の本意を見極めるために。
彼女は否と言えば絶対に通さない。
有限実行を当たり前にする人で、そんなところも好ましいと思っていた。
非難がましい眼差しを向けてくる音無に笑いかける堂々とした姿に惚れ直す。
か弱いだけの守ってやらなくてはいけない人ではなく、気を緩めれば置いていかれる。
一之瀬が憧れた人は、そんな凄い人だった。
「さて、どうする?雷門の面々はお前をすぐには受け入れられないらしい。俺は仲間を優先する。勿論、響木監督の言葉には従うが、俺だけが従ってもいいプレイは出来ないだろうな」
「・・・はい。判ってます。あなたが仲間を優先するだろうと、俺は知ってます。あなたのサッカーの根本は昔からそれですから。むしろ安心したといってもいいでしょう。俺の憧れたあなたは、そうじゃなければいけない」
「偉そうな態度だな、負けたくせに」
「絡まないの、一哉。お前だって同じ立場なら似たような行動するだろ」
「どうだろうね」
睨み据える鬼道の視線を真っ向から受けて、ひょいと肩を竦めた。
二年間離れていたくせに、まるで自分こそが一番彼女を知っていると言わんばかりの姿にイラつく。
何もかもを理解してるとばかりに胸を張って語るなと、叫びだしたい衝動に駆られ、不意に温もりを感じた。
視線をやれば肩に置いた腕に円堂の手が添えられており、淡い苦笑と共に宥められてるのに気がついた。
小さな子供を見るような眼差しに唇を尖らせると、腕に添えられた手を握った。
伝わる温もりにあっという間に落ち着きを取り戻す自分をどうかと思うけれど、安心してしまうから仕方ない。
鬼道の視線が益々厳しくなるが、無視して円堂に笑顔を向けた。
「それで、どうするの皆?俺は別にどっちでもいいぞ。有人は確かに凄い戦力だ。ゲームメイクの才能はぴか一で状況を観察する力は秀でている。それに何より、あの帝国の鬼道有人が恥辱に塗れ、後ろ指を差されるのを覚悟の上でここまで来た。ライバルに頭を下げて仲間に入れてくれって来る覚悟は、一蹴する内容じゃないとは思う。けどそれは俺の個人的意見。だから、お前らの意見を聞きたい」
「・・・・・・」
「今すぐこの場を去れと言うか、それとも少し考えるか。さて、どうする?」
微笑んで問いかける人は本当にずるい。
自分が酷く突き放せば、仲間がどう動くか知っている。
それが嘘じゃなく本心だから、だから余計に説得力があり仲間も自ら選択する。
少なくとも、同じサッカーを志す人間として、徹底的に突き放せる奴はこの場に居ない。
仲間に入れろと言うのではなく、考えるかと問うのは酷い。
これでは一之瀬が反対しても、仲間はあからさまな拒絶はしない。
「・・・守の馬鹿」
「馬鹿で結構。お前を変えたくないんだよ」
「馬鹿、バーカ!」
たった一言で自分を納得させる彼女が嫌いだ。
それなのに。
「俺は、鬼道有人はキライだ」
「そーかい」
「守のそういうとこもキライ」
「そーかい。俺は一哉が好きだよ」
「・・・・・・・・・俺もだ」
結局流されてしまうのだけれど、もうこれは経験の差と諦めるしかないだろう。
それとも性格の差と言うべきだろうか。
自分だって簡単に乗りこなせるような性格をしてないはずなのに、と悔しく思うけど。
一つ嘆息すると、握った手に力を篭める。
結局、惚れた弱みと諦めるしかないのだろう。
初めてその動きを映像で見た瞬間、息を忘れるくらいに興奮した。
生まれ持った体のバネ、研ぎ澄まされた感覚によるボールコントロール、フィールドを上から眺めているような的確な指示、どんな状況でも絶対に諦めない負けん気の強い瞳。
オレンジ色のバンダナの上で長い栗色の髪をツインテールにし首にゴーグルを下げて、男子で構成されているイタリアチームに一人女子として試合に参加している彼女。
けれど誰よりも速く走り、誰よりも高く飛び、誰よりもボールを、そして試合の流れを見ている子。
自分と同い年くらいなのに、サッカー大国の第一線で活躍する少女は、とてもとても輝いていた。
「・・・凄い」
この映像は、イタリア国内のジュニアユースにすらならない年齢層の子供のプレイ状況を映したものだ。
将来有望とされる子供をピックアップし、深夜枠のサッカーの試合の隙間に組まれた特集だった。
勿論言語はイタリア。下に英語で字幕テロップが出ている。
今放映されている試合はイタリア全土でのジュニアユース未満の選手のもので、決勝リーグの試合の一つらしい。
幾度もアップでカットが入るのは二人。
『白い流星』のフィディオ・アルデナ。
『不屈のポラリス』のマモル・キドウ。
FWとMFの二人はポジションこそ違うが、他のプレイヤーと一線を画すという意味では同じだ。
個人技を駆使して攻め上がるフィディオを止めるのは、長い髪を文字通り馬の尻尾のように揺らしたマモル。
体全体でボールを操る彼が一瞬の隙をついて突破しようとした瞬間、にいっと笑った彼女はすれ違いざまに踵を使ってボールをトラップした。
唖然とするフィディオに親指を立ててそのままFWへダイレクトパスを上げると、その動きに合わせた相手がシュートを決める。
目の前で悔しげに唇を噛み締めるフィディオに何事か告げると、仲間の下へ駆け寄り飛びついて喜びを表した。
ダイジェストなので残りはカットされたが、結局そのシュートが決勝点になったらしく勝利インタビューはフィディオではなくマモルへと向けられた。
アップで映る顔はどう見ても日本人だが、交される言語はイタリア語。
人前に立つのに慣れているのか物怖じせずにライバルへの賛辞や、仲間への賞賛を伝える彼女は堂々としている。
日系なのだろうか、とテロップの内容を読み取りながら首を傾げると、最後の質問でありがちな言葉が向けられた。
この勝利を誰に伝えたいですか、と問われたそれに瞬きを繰り返した彼女は、それまでのすまし顔を変えて子供っぽい表情を浮かべた。
『有人、見てる?姉さんの勝利は有人へ捧げます。もうすぐに日本へ帰るから、あと少しだけいい子で待ってて』
ピースサインをしてウィンクしながら視線をカメラに向けた少女から発せられたのは紛れもなく日本語で、インタビュアーが戸惑うのも気にせずに手を振り『Ciao!』と笑ってそのまま仲間の下へと走っていってしまった。
その途中でフィディオに捕まり、仲良さげに笑いながら並んで歩く。
ライバル関係にあってもどうやら親しい間柄らしい二人に、ツキリと胸が痛んだ。
初めての感覚に首を傾げて服の上から胸を押さえる。
その間に画面は切り替わって、中継は試合へと戻った。
先ほどまであんなに興奮して続きを楽しみにしていた試合なのに、心は初めほど躍らない。
脳裏に浮かぶのは彼女のプレイと笑顔だけで、どうにも我慢できずに枕もとの携帯へ手を伸ばす。
この携帯はサッカーの練習で遅くなる一哉に連絡用として親が買い与えたもので、登録されている番号はチームの仲間やサッカー関連の人間のみだった。
深夜二時を越える時間をディスプレイで確認しながら、アドレス帳を操作して目的の人間を探す。
迷いなく通話ボタンを押すと、数コールの内に相手は出た。
「もしもし、マーク?」
「・・・どうしたんだ、こんな時間に」
「マーク、今日の試合録画するって言ってたろ?」
「はぁ?何なんだ唐突に?」
「だから、今流れてるイタリアの試合。見てないの?」
「いや、見てるからお前の電話にすぐに出れたんだが・・・」
「じゃあ、さっきのダイジェストも録画してただろ?俺に頂戴」
「何故?」
「見てたなら判るだろ!?俺たちと同じポジションの天才!」
「・・・マモル・キドウ。フィディオ・アルデナと並びイタリアで将来を嘱望されている稀代の天才。『不屈のポラリス』と二つ名を持ち、その意味は北極星が迷える旅人の導となったように、彼女自身が仲間の標として存在していることに由来している。どんな状況でも絶対に勝利を諦めない強固な意志を持ち、個人技もさることながらチームを使った戦略を得意とする司令塔」
滔々と携帯から流れる説明に、ぱちりと瞬きをした。
眠気はとうに吹っ飛んでいるが、脳に流れる情報の濃さに驚きを禁じえない。
「詳しいな、マーク」
「去年偶々イタリア戦の合間に今日と同じようにダイジェストで映像が流れていた。何でも去年からイタリアと日本を行き来してプレイしているらしい。たった一年でイタリア全土に名を広めた天才。ヨーロッパのサッカー雑誌にもたまに載っている」
「・・・・・・なんでそんなに詳しいんだ?」
「ファンだ」
「ファンか。そうか」
きっぱりと言い切られると何も突っ込めない。
あの普段から取り澄ました顔のマークがどんな表情で言っているのか興味はあるが、何となくいつもどおりな気もする。
そう言えば、ある一時期からマークは海外のサッカー雑誌を集めるようになっていた気がする。
本屋になければネットで買いあさり、親に頼んでHDDに録画できるプレイヤーまで購入していた。
DVDも生来の気質かきっちりとラベルを貼って保存していたが、こういう理由があったとは。
「ん?それなら、マークはマモル・キドウの映像、これ以外にも持ってるってこと?」
「・・・そうなるな」
「じゃ、それも頂戴」
「何を自然に言っている。やるわけないだろう」
「どうして?」
「ファンだからだ」
「・・・そうか」
潔すぎる。
むしろいっそ清々しい断言に、図らずとも頷いた。
けれど知ってしまったからには、一哉だって欲しい。
もっともっと彼女のサッカーを見たい。
全身で楽しいと訴えるプレイ。
同年代でありながら、遥かに自分を上回るテクニックに、周りを視る観察眼、そして誰をも惹き付けるカリスマ性。
肩を並べれるフィディオが羨ましくて仕方ない。
顔を近づけて笑い合える親密さが羨ましくて、その高みにあるテクニックを嫉む。
もっともっと、彼女を知りたい。
追いついて、肩を並べて、そして一緒にプレイしたい。
同じフィールドに立って同じ空気を吸って、高揚感を共有して、全身で楽しいと訴えるサッカーをしたい。
けれど、まずは。
「とりあえず今までの録画分は明日見に行くから宜しく。あ、晩御飯もお願いできる?」
「・・・」
「マークのことだからスクラップブックもあるんだろ?ちゃんと全部準備しておいてよ。徹夜覚悟で行くから」
「・・・・・・」
長い沈黙の末、マークから許可を貰うと、満足げに笑って携帯電話を閉じる。
気がつけば試合は終っていたが、それよりも明日得る情報に心は踊りいそいそとベッドに潜り込んだ。
翌日、マークの部屋に用意されたスクラップブックの美しさと、ネットなどから引き出された情報量の多さにさり気無く気に入った雑誌の切抜きを奪ったのだが。
練習中に笑顔で返せと強要するマークに背筋を奮わせたのは一哉だけでなく、巻き込まれたチームメイトは怒りの理由を言わない彼の逆鱗に触れないよう普段よりも厳しく練習に励んだ。
生まれ持った体のバネ、研ぎ澄まされた感覚によるボールコントロール、フィールドを上から眺めているような的確な指示、どんな状況でも絶対に諦めない負けん気の強い瞳。
オレンジ色のバンダナの上で長い栗色の髪をツインテールにし首にゴーグルを下げて、男子で構成されているイタリアチームに一人女子として試合に参加している彼女。
けれど誰よりも速く走り、誰よりも高く飛び、誰よりもボールを、そして試合の流れを見ている子。
自分と同い年くらいなのに、サッカー大国の第一線で活躍する少女は、とてもとても輝いていた。
「・・・凄い」
この映像は、イタリア国内のジュニアユースにすらならない年齢層の子供のプレイ状況を映したものだ。
将来有望とされる子供をピックアップし、深夜枠のサッカーの試合の隙間に組まれた特集だった。
勿論言語はイタリア。下に英語で字幕テロップが出ている。
今放映されている試合はイタリア全土でのジュニアユース未満の選手のもので、決勝リーグの試合の一つらしい。
幾度もアップでカットが入るのは二人。
『白い流星』のフィディオ・アルデナ。
『不屈のポラリス』のマモル・キドウ。
FWとMFの二人はポジションこそ違うが、他のプレイヤーと一線を画すという意味では同じだ。
個人技を駆使して攻め上がるフィディオを止めるのは、長い髪を文字通り馬の尻尾のように揺らしたマモル。
体全体でボールを操る彼が一瞬の隙をついて突破しようとした瞬間、にいっと笑った彼女はすれ違いざまに踵を使ってボールをトラップした。
唖然とするフィディオに親指を立ててそのままFWへダイレクトパスを上げると、その動きに合わせた相手がシュートを決める。
目の前で悔しげに唇を噛み締めるフィディオに何事か告げると、仲間の下へ駆け寄り飛びついて喜びを表した。
ダイジェストなので残りはカットされたが、結局そのシュートが決勝点になったらしく勝利インタビューはフィディオではなくマモルへと向けられた。
アップで映る顔はどう見ても日本人だが、交される言語はイタリア語。
人前に立つのに慣れているのか物怖じせずにライバルへの賛辞や、仲間への賞賛を伝える彼女は堂々としている。
日系なのだろうか、とテロップの内容を読み取りながら首を傾げると、最後の質問でありがちな言葉が向けられた。
この勝利を誰に伝えたいですか、と問われたそれに瞬きを繰り返した彼女は、それまでのすまし顔を変えて子供っぽい表情を浮かべた。
『有人、見てる?姉さんの勝利は有人へ捧げます。もうすぐに日本へ帰るから、あと少しだけいい子で待ってて』
ピースサインをしてウィンクしながら視線をカメラに向けた少女から発せられたのは紛れもなく日本語で、インタビュアーが戸惑うのも気にせずに手を振り『Ciao!』と笑ってそのまま仲間の下へと走っていってしまった。
その途中でフィディオに捕まり、仲良さげに笑いながら並んで歩く。
ライバル関係にあってもどうやら親しい間柄らしい二人に、ツキリと胸が痛んだ。
初めての感覚に首を傾げて服の上から胸を押さえる。
その間に画面は切り替わって、中継は試合へと戻った。
先ほどまであんなに興奮して続きを楽しみにしていた試合なのに、心は初めほど躍らない。
脳裏に浮かぶのは彼女のプレイと笑顔だけで、どうにも我慢できずに枕もとの携帯へ手を伸ばす。
この携帯はサッカーの練習で遅くなる一哉に連絡用として親が買い与えたもので、登録されている番号はチームの仲間やサッカー関連の人間のみだった。
深夜二時を越える時間をディスプレイで確認しながら、アドレス帳を操作して目的の人間を探す。
迷いなく通話ボタンを押すと、数コールの内に相手は出た。
「もしもし、マーク?」
「・・・どうしたんだ、こんな時間に」
「マーク、今日の試合録画するって言ってたろ?」
「はぁ?何なんだ唐突に?」
「だから、今流れてるイタリアの試合。見てないの?」
「いや、見てるからお前の電話にすぐに出れたんだが・・・」
「じゃあ、さっきのダイジェストも録画してただろ?俺に頂戴」
「何故?」
「見てたなら判るだろ!?俺たちと同じポジションの天才!」
「・・・マモル・キドウ。フィディオ・アルデナと並びイタリアで将来を嘱望されている稀代の天才。『不屈のポラリス』と二つ名を持ち、その意味は北極星が迷える旅人の導となったように、彼女自身が仲間の標として存在していることに由来している。どんな状況でも絶対に勝利を諦めない強固な意志を持ち、個人技もさることながらチームを使った戦略を得意とする司令塔」
滔々と携帯から流れる説明に、ぱちりと瞬きをした。
眠気はとうに吹っ飛んでいるが、脳に流れる情報の濃さに驚きを禁じえない。
「詳しいな、マーク」
「去年偶々イタリア戦の合間に今日と同じようにダイジェストで映像が流れていた。何でも去年からイタリアと日本を行き来してプレイしているらしい。たった一年でイタリア全土に名を広めた天才。ヨーロッパのサッカー雑誌にもたまに載っている」
「・・・・・・なんでそんなに詳しいんだ?」
「ファンだ」
「ファンか。そうか」
きっぱりと言い切られると何も突っ込めない。
あの普段から取り澄ました顔のマークがどんな表情で言っているのか興味はあるが、何となくいつもどおりな気もする。
そう言えば、ある一時期からマークは海外のサッカー雑誌を集めるようになっていた気がする。
本屋になければネットで買いあさり、親に頼んでHDDに録画できるプレイヤーまで購入していた。
DVDも生来の気質かきっちりとラベルを貼って保存していたが、こういう理由があったとは。
「ん?それなら、マークはマモル・キドウの映像、これ以外にも持ってるってこと?」
「・・・そうなるな」
「じゃ、それも頂戴」
「何を自然に言っている。やるわけないだろう」
「どうして?」
「ファンだからだ」
「・・・そうか」
潔すぎる。
むしろいっそ清々しい断言に、図らずとも頷いた。
けれど知ってしまったからには、一哉だって欲しい。
もっともっと彼女のサッカーを見たい。
全身で楽しいと訴えるプレイ。
同年代でありながら、遥かに自分を上回るテクニックに、周りを視る観察眼、そして誰をも惹き付けるカリスマ性。
肩を並べれるフィディオが羨ましくて仕方ない。
顔を近づけて笑い合える親密さが羨ましくて、その高みにあるテクニックを嫉む。
もっともっと、彼女を知りたい。
追いついて、肩を並べて、そして一緒にプレイしたい。
同じフィールドに立って同じ空気を吸って、高揚感を共有して、全身で楽しいと訴えるサッカーをしたい。
けれど、まずは。
「とりあえず今までの録画分は明日見に行くから宜しく。あ、晩御飯もお願いできる?」
「・・・」
「マークのことだからスクラップブックもあるんだろ?ちゃんと全部準備しておいてよ。徹夜覚悟で行くから」
「・・・・・・」
長い沈黙の末、マークから許可を貰うと、満足げに笑って携帯電話を閉じる。
気がつけば試合は終っていたが、それよりも明日得る情報に心は踊りいそいそとベッドに潜り込んだ。
翌日、マークの部屋に用意されたスクラップブックの美しさと、ネットなどから引き出された情報量の多さにさり気無く気に入った雑誌の切抜きを奪ったのだが。
練習中に笑顔で返せと強要するマークに背筋を奮わせたのは一哉だけでなく、巻き込まれたチームメイトは怒りの理由を言わない彼の逆鱗に触れないよう普段よりも厳しく練習に励んだ。
更新内容
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(06/28)
(04/07)
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(04/07)
(03/31)
(03/30)
(03/30)
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(03/25)
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(03/24)
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(03/23)
(03/14)
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(03/13)
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