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翌日がチーム練習のない土曜日。
守からメールを貰って誘われるままに彼女の家に足を踏み入れたフィディオは、執事の登場を待つでもなく自身で扉を開けた守が動きを止めたのにひょいと眉を上げた。
「どうかしたの、マモル?」
「どうかしたかっですって?ええ、そうですね、どうかしたと言えばそうですし、そうじゃないと言えばそうではありませんわね」
学校帰りなため未だにお嬢様モードの守は、こちらを向くと頬に手をあて小首を傾げる。
眉尻を下げて淡い苦笑を浮かべた彼女は、ノンフレームの眼鏡の奥の瞳を細め煌かせた。
ちらりと浮かんだ表情は複雑そうで、一体何があったのかと好奇心が胸を誘う。
我慢しきれずに玄関のノブを奪うとそのまま一気に開け放った。
「・・・・・・薔薇?」
「ええ、薔薇ですわね」
広いエントランスにぽつんと落ちた一輪の薔薇。
夕日の赤よりワインの赤に近いそれは、正式な名称は知らずとも美しく、端整に手を篭めて作られたものだと知れた。
がくの上から花だけを摘み取られたのだろう。可憐な花びらが白い床に散り、艶やかなコントラストを描いている。
「何で、薔薇」
「今日だからでしょうね」
「今日?今日、何かあったっけ?」
「ええ、一応。───どうやら私宛に来客があったようです」
嘆息しながら床へとしゃがみ込んだ守は、花弁が落ちきらないよう気をつけながら薔薇を己の掌に掬った。
そうしてポケットからハンカチを取り出しそっと乗せる。
「全く仕方ない方。これでは花も可哀想でしょうに」
リビングまでの道のりに点々と続く薔薇を拾いながら、呆れも含んだ息を吐き出す。
いつもならこの過程で数人の使用人とすれ違うはずなのに、今日に限っては一人も顔を合わせない。
守に忠実な老執事も、きっちりと仕事をこなすメイドたちも一体何処に消えてしまったのか。
呆れ交じりの表情で迷いなく進む彼女は何処に居いるか判っているようだが、今までにない不思議にフィディオは目を瞬かせた。
だがその驚きはリビングに入るまでで、足を踏み入れたそこで新たな驚きに塗りつぶされた。
日当たりのいい大きな窓が特徴的な居心地のいいリビングの、10人は軽く座れそうな大きなテーブル。
飾られた一輪挿しの花瓶には床に落ちていたものより淡い色合いのピンクの愛らしい薔薇が、そしてテーブルの上には所狭しと葉がついたままの真紅の薔薇が絨毯のように敷き詰められていた。
そんな中ポツリと一箇所だけ色が違う場所があり、近づけば青が混じった白いカードが置かれている。
思わず手を伸ばそうとし、横から伸びた手に静止された。
「マモル?」
「・・・これは一応私宛ですわ」
囁き、開いたカードには文章は何も書かれていない。
それでも明確に自分宛と断じた守は丁寧にカードを閉じると裏面を向けた。
そこに書かれた文字に、フィディオはひょいと眉を上げると口笛を鳴らす。
「Secret Admirerer?」
「日本人の感覚からすると、あまり忍んでいるようには見えませんけれども。───いらっしゃるのでしょう、エドガー様?」
「エドガー?」
小首を傾げて守が声を掛けた奥の部屋に通じるドアを見れば、ゆっくりと開いたそこから端正な顔をした長身の少年が顔を出す。
彼が来ていると知らなかったフィディオは素直に驚きを表現したが、隣の少女は呆れ混じりのため息を吐き出しただけだった。
ポーカーフェイスを気取りながらも目尻を淡く染め上げたエドガーは、守に向け微かに笑んだ。
「こんにちは、エドガー様。ご機嫌麗しゅうございます」
お嬢様モード特有のたおやかでお淑やかな仕草でスカートの端を掴み一礼をした守の動作は、流れるような洗練された上品なもので流石財閥の令嬢と言ったところだ。
しかしながら普段の守を知っているフィディオとしては、感心はしても今更上辺の態度に感慨を受けるでもない。
あくまで一般人のフィディオには上流階級のやりとりは少し面倒にも見えるが、エドガーと守のやり取りは彼ら自身の気品が浮き立つようで見ていて飽きるものじゃなかった。
一礼した守に軽く胸に手を添えて礼を返したエドガーは、彼女の手を取り甲に唇を落とす。
絵画の一枚のように絵になる二人は、視線を絡ませるとそのまま距離を置いた。
「一月近くぶりだな、マモル。健勝だったか?」
「はい、エドガー様。エドガー様こそお元気そうで何よりですわ」
「フィディオも、久しいな」
「はは、てっきり忘れられてるかと思ったよ。エドガーも相変わらだね」
「・・・どういう意味か聞きたくなる言い回しだが、今回は止めとこう」
守に見せた甘い笑みとは違い、愉快そうに口の端を持ち上げたエドガーが差し出した手を握るとフィディオも同じように笑みを返す。
以前はもう少しつんとしたイメージだったが、守を通じて随分と親しくなった。
フィディオとエドガーが世間話をしている内に手早くテーブルの上の薔薇をかき集めた守の合図で、どこからか現れた老執事が紅茶セットを持ってくる。
薔薇で膨らんだハンカチを彼に渡すと、自身は両手いっぱいに抱えた守は花瓶を用意するように伝えた。
「あの薔薇、君が用意したのかエドガー?」
「───何のことだ?」
「何って・・・」
「フィディオ様、今日が何の日かご存知?」
「今日?今日は2月14日、Festa degli innamoratiだけど?」
「そう。つまりはそういうことですわ」
「・・・全く判らないよ」
要領を得ない守に首を傾げる。
遠まわしな言い回しは彼女らしくないが、ある意味彼女らしい。
眉根を寄せたフィディオに苦笑した守は、用意された花瓶に薔薇をいけると片手を上げて合図して使用人たちを部屋から退出させた。
広いリビングから自分たち以外の人影が消えるのを待ち、ノンフレームの眼鏡を外す。
それをテーブルに置きこちらを向けば、もう彼女の雰囲気は一変していた。
「とりあえず、座れよフィディオ。エドガーも。うちの執事の紅茶は美味いぞ」
「そうだな。紅茶に関しては君よりも腕前は上だろう。もっとも、それも君がその気になればすぐに逆転するのだろうが」
「でも俺は紅茶じゃなくて珈琲派だからな。極める気もないし。それに、俺が美味い紅茶を飲みたいときはお前が淹れてくれるんだろう?」
「───全く、君という人は」
くつくつと喉奥で笑ったエドガーは招かれるままに席に腰を下ろし、彼に釣られフィディオも指定席としている椅子に座る。
すぐに上品な意匠のカップが置かれ、湯気が立つ琥珀色の飲み物はすっきりとした独特の芳香を運んだ。
給仕を終えた少女が腰掛けるのを見計らい、恥じらいを浮かべながらエドガーが何処からともなく小花柄の紙袋を差し出す。
「何?」
「私が作ったスコーンだ。良ければお茶請けにしてくれ」
「お前ね、そう言うのは座る前に言えよ。日本じゃ頂き物は出すのが礼儀なんだぞ」
「日本の礼儀など知らない。私は君へのプレゼントとして持ってきたんだ」
「───それもバレンタイン?」
「そんなわけなかろう」
「はいはい。皿に盛ってくるからちょっと待ってろ」
鋭い視線を向けたエドガーにひょいと肩を竦めた守は、嘆息すると席を立ち上がり部屋から出て行った。
皿が置いてあるキッチンはここじゃない別室にあるので、帰ってくるまでに紅茶も冷めてしまうだろう。
もっとも守は本人が言うとおりに紅茶通でもないので冷えた紅茶でも平然と飲み下す。
イギリス人らしく紅茶に五月蝿いエドガーがその様をじとりとした目で睨んでも全く意に介さない。
しかしながら今回の場合は彼が原因であるので流石にそんなに睨んだりもしないだろうけど。
そこまで考えて、当初の疑問を思い出し優雅に紅茶を啜る少年に視線を戻し口を開いた。
「それで、エドガー。この薔薇は結局君が用意したものじゃないのか?」
一輪挿しのピンクの薔薇と、新たな花瓶に豪奢に飾られた真紅の薔薇を指差し小首を傾げる。
紅茶のカップに口をつけたエドガーは、フィディオの言葉に顔を上げた。
「マモルがヒントも与えたし、お前も言っていただろう?」
「何を?」
「今日はイタリアで言うFesta degli innamoratiだ」
「だから?恋人たちの日は恋人同士が祝う日だろ?───それとも、許婚は恋人同士に入るのか?」
問いかけて胸のどこかがずきりと痛む。
風邪でも引いたのだろうかとセーターの上から心臓の上を掴むが、もう疼痛は失せていた。
気のせいかと再びエドガーに視線を戻すと、優雅に微笑んだ少年は人差し指を振りウィンクをした。
「そのイベントは世界に多く広まっているが、各国において特色が少しずつ違う。例えばイタリアでは恋人の日であるように、日本では女性から男性に愛を告白したり、親しい人間に義理を篭めてチョコを贈ったりもする。そして我が国イギリスでは、好いた相手に密かに想いを伝える日だ」
「密かに?」
「そうだ。直接愛を告白するのではなく、贈り主不明の相手から情熱的なプレゼントを渡されるのはミステリアスで驚きに満ちているだろう?」
「じゃあ、やっぱりあれはエドガーからなんだ。どうしてカードの宛名に名前を書かないで『あなたを密かに想う誰かより』ってしたの」
「名前を書くのはスマートじゃない。本来ならロマンチックな詩を添えたり、『Be my Valentine』とか『My Heart belongs to you』もしくは『SWALK』などと記入するのが一般的だ」
「SWALK?」
「『Sealed with a loving kiss』の略だ。ちなみに以前それを書いて贈ったのだが、英語を勉強中のユウトに詰め寄られマモルに笑顔で怒られたのでやめている」
納得いかないと眉根を寄せたエドガーは、それでも満足げだった。
イタリアのイベントが恋人限定なのが基本なのに対し、イギリスや日本は少し赴きは違っても好きな相手に想いを伝える日らしい。
そしてイギリスでは随分とロマンチックな日らしい。
女性に対しての扱いを考えると、ある意味らしいと言えばらしいけれど。
「それでマモルは相手が誰か判っても知らないフリをしたんだな」
ぽつりと呟いた言葉にエドガーが口角を持ち上げた。
きっと相手が誰か判っていても言わぬが花と言うのだろう。
「恋にはスリルがつきものだ」
訳知り顔で頷いた彼は、まさしく恋する少年だった。
初恋もまだのフィディオには時折彼が大人びて見える。
守は、彼の想いを一身に注がれる少女はどうなのだろう。
彼女は確かにエドガーに気を許しているが、溺愛する弟のようにあけすけに愛を注いでいない。
むしろどこか冷たく厳しさすら漂う態度をしているが、それすら特別と知っている自分は、一体何が納得し切れていないのだろう。
もやもやとする感情を嚥下出来ずに柳眉を顰めると、軽快なノックの後勢い良くドアが開いた。
「・・・マモル、もう少し品良く行動できないのか?」
エドガーの言葉に眉を吊り上げた守はわざとらしいまでにお淑やかにドアを閉めると、彼をぎろりと睨み付けた。
怒り心頭に発するとばかりにきりきりと苛立ちを露にする愛らしい顔は珍しく紅潮している。
一体何があったのかと先ほどまでのもやもやした感情も忘れて注視した。
「品良く行動できないのか、じゃねーよ!お前なんだよ、これ!」
「・・・スコーンだが?」
「スコーンだが?じゃない!お前この間手作りスコーンを有人に渡してたよな」
「ああ。君に作り方を教わり私が作ったものを謝礼代わりに渡した。君も見ていただろう?」
「お前、こんな劇物人の弟に渡してくれたのか!?ふざけるなよ!!」
「劇物?」
「さっき皿を取りに行ったとき、使用人に勧められて一口齧ったんだ。そしたらなんだ、このスコーン!じゃりっとしてぬめっとしてかさついた挙句に、口内の水分全部奪って激辛成分が支配したわ!お前日本人の美食文化舐めんじゃねえぞ!こんなのスコーンと認めるか!!人の弟になんてもの食わしてくれてんだ!」
流れるような罵倒にぱちりと瞬きをする。
口は悪いが寛容で気が長い守のあからさまな怒りを初めて見るフィディオはもとより、普段から少しばかり冷たい扱いを受けているエドガーも戸惑うように瞬きを繰り返す。
怒りで頬を赤らめたままの守が皿に綺麗に盛られたスコーンをエドガーに差し出すと、彼はゆるりと首を傾げて一口齧った。
「・・・普通のスコーンの味だが」
「嘘付け!それが普通なら全世界で普及しているスコーンに謝罪しろ!フィディオ、お前も何とか言ってくれ!」
「なんとかって言われても・・・じゃあ、俺も一口」
綺麗に焼けているスコーンを齧ると、なんとも言えない不快感が広がる。
中は生焼け外は見た目より遥かに乾燥し、子供の頃戯れで口にした砂のような食感だ。
口内の唾液が乾いたスポンジに奪われるよう水分を失くし、最後にはなんとも言えない刺激が下に広がった。
なんだろう。麻痺したように痺れる舌は、辛いというより痛い。
期待した眼差しを向けるエドガーを正面から見つめ、フィディオは評価を下した。
「これ、食べ物じゃないと思う」
「!!?」
ショックを受けた顔でよろめいたエドガーに、弟に劇物を食べさせたと詰め寄る守は容赦なかった。
それでも結局は最後までスコーンを食べきった守は律儀とでも言うべきか義理堅いと言うべきなのか。
何だかんだで優しい彼女の感情は、やはりフィディオには読みきれなかった。
とりあえず理解できたのは、目の前の端正な顔立ちの少年の味覚が、些か残念だという部分だけ確信は出来た。
守からメールを貰って誘われるままに彼女の家に足を踏み入れたフィディオは、執事の登場を待つでもなく自身で扉を開けた守が動きを止めたのにひょいと眉を上げた。
「どうかしたの、マモル?」
「どうかしたかっですって?ええ、そうですね、どうかしたと言えばそうですし、そうじゃないと言えばそうではありませんわね」
学校帰りなため未だにお嬢様モードの守は、こちらを向くと頬に手をあて小首を傾げる。
眉尻を下げて淡い苦笑を浮かべた彼女は、ノンフレームの眼鏡の奥の瞳を細め煌かせた。
ちらりと浮かんだ表情は複雑そうで、一体何があったのかと好奇心が胸を誘う。
我慢しきれずに玄関のノブを奪うとそのまま一気に開け放った。
「・・・・・・薔薇?」
「ええ、薔薇ですわね」
広いエントランスにぽつんと落ちた一輪の薔薇。
夕日の赤よりワインの赤に近いそれは、正式な名称は知らずとも美しく、端整に手を篭めて作られたものだと知れた。
がくの上から花だけを摘み取られたのだろう。可憐な花びらが白い床に散り、艶やかなコントラストを描いている。
「何で、薔薇」
「今日だからでしょうね」
「今日?今日、何かあったっけ?」
「ええ、一応。───どうやら私宛に来客があったようです」
嘆息しながら床へとしゃがみ込んだ守は、花弁が落ちきらないよう気をつけながら薔薇を己の掌に掬った。
そうしてポケットからハンカチを取り出しそっと乗せる。
「全く仕方ない方。これでは花も可哀想でしょうに」
リビングまでの道のりに点々と続く薔薇を拾いながら、呆れも含んだ息を吐き出す。
いつもならこの過程で数人の使用人とすれ違うはずなのに、今日に限っては一人も顔を合わせない。
守に忠実な老執事も、きっちりと仕事をこなすメイドたちも一体何処に消えてしまったのか。
呆れ交じりの表情で迷いなく進む彼女は何処に居いるか判っているようだが、今までにない不思議にフィディオは目を瞬かせた。
だがその驚きはリビングに入るまでで、足を踏み入れたそこで新たな驚きに塗りつぶされた。
日当たりのいい大きな窓が特徴的な居心地のいいリビングの、10人は軽く座れそうな大きなテーブル。
飾られた一輪挿しの花瓶には床に落ちていたものより淡い色合いのピンクの愛らしい薔薇が、そしてテーブルの上には所狭しと葉がついたままの真紅の薔薇が絨毯のように敷き詰められていた。
そんな中ポツリと一箇所だけ色が違う場所があり、近づけば青が混じった白いカードが置かれている。
思わず手を伸ばそうとし、横から伸びた手に静止された。
「マモル?」
「・・・これは一応私宛ですわ」
囁き、開いたカードには文章は何も書かれていない。
それでも明確に自分宛と断じた守は丁寧にカードを閉じると裏面を向けた。
そこに書かれた文字に、フィディオはひょいと眉を上げると口笛を鳴らす。
「Secret Admirerer?」
「日本人の感覚からすると、あまり忍んでいるようには見えませんけれども。───いらっしゃるのでしょう、エドガー様?」
「エドガー?」
小首を傾げて守が声を掛けた奥の部屋に通じるドアを見れば、ゆっくりと開いたそこから端正な顔をした長身の少年が顔を出す。
彼が来ていると知らなかったフィディオは素直に驚きを表現したが、隣の少女は呆れ混じりのため息を吐き出しただけだった。
ポーカーフェイスを気取りながらも目尻を淡く染め上げたエドガーは、守に向け微かに笑んだ。
「こんにちは、エドガー様。ご機嫌麗しゅうございます」
お嬢様モード特有のたおやかでお淑やかな仕草でスカートの端を掴み一礼をした守の動作は、流れるような洗練された上品なもので流石財閥の令嬢と言ったところだ。
しかしながら普段の守を知っているフィディオとしては、感心はしても今更上辺の態度に感慨を受けるでもない。
あくまで一般人のフィディオには上流階級のやりとりは少し面倒にも見えるが、エドガーと守のやり取りは彼ら自身の気品が浮き立つようで見ていて飽きるものじゃなかった。
一礼した守に軽く胸に手を添えて礼を返したエドガーは、彼女の手を取り甲に唇を落とす。
絵画の一枚のように絵になる二人は、視線を絡ませるとそのまま距離を置いた。
「一月近くぶりだな、マモル。健勝だったか?」
「はい、エドガー様。エドガー様こそお元気そうで何よりですわ」
「フィディオも、久しいな」
「はは、てっきり忘れられてるかと思ったよ。エドガーも相変わらだね」
「・・・どういう意味か聞きたくなる言い回しだが、今回は止めとこう」
守に見せた甘い笑みとは違い、愉快そうに口の端を持ち上げたエドガーが差し出した手を握るとフィディオも同じように笑みを返す。
以前はもう少しつんとしたイメージだったが、守を通じて随分と親しくなった。
フィディオとエドガーが世間話をしている内に手早くテーブルの上の薔薇をかき集めた守の合図で、どこからか現れた老執事が紅茶セットを持ってくる。
薔薇で膨らんだハンカチを彼に渡すと、自身は両手いっぱいに抱えた守は花瓶を用意するように伝えた。
「あの薔薇、君が用意したのかエドガー?」
「───何のことだ?」
「何って・・・」
「フィディオ様、今日が何の日かご存知?」
「今日?今日は2月14日、Festa degli innamoratiだけど?」
「そう。つまりはそういうことですわ」
「・・・全く判らないよ」
要領を得ない守に首を傾げる。
遠まわしな言い回しは彼女らしくないが、ある意味彼女らしい。
眉根を寄せたフィディオに苦笑した守は、用意された花瓶に薔薇をいけると片手を上げて合図して使用人たちを部屋から退出させた。
広いリビングから自分たち以外の人影が消えるのを待ち、ノンフレームの眼鏡を外す。
それをテーブルに置きこちらを向けば、もう彼女の雰囲気は一変していた。
「とりあえず、座れよフィディオ。エドガーも。うちの執事の紅茶は美味いぞ」
「そうだな。紅茶に関しては君よりも腕前は上だろう。もっとも、それも君がその気になればすぐに逆転するのだろうが」
「でも俺は紅茶じゃなくて珈琲派だからな。極める気もないし。それに、俺が美味い紅茶を飲みたいときはお前が淹れてくれるんだろう?」
「───全く、君という人は」
くつくつと喉奥で笑ったエドガーは招かれるままに席に腰を下ろし、彼に釣られフィディオも指定席としている椅子に座る。
すぐに上品な意匠のカップが置かれ、湯気が立つ琥珀色の飲み物はすっきりとした独特の芳香を運んだ。
給仕を終えた少女が腰掛けるのを見計らい、恥じらいを浮かべながらエドガーが何処からともなく小花柄の紙袋を差し出す。
「何?」
「私が作ったスコーンだ。良ければお茶請けにしてくれ」
「お前ね、そう言うのは座る前に言えよ。日本じゃ頂き物は出すのが礼儀なんだぞ」
「日本の礼儀など知らない。私は君へのプレゼントとして持ってきたんだ」
「───それもバレンタイン?」
「そんなわけなかろう」
「はいはい。皿に盛ってくるからちょっと待ってろ」
鋭い視線を向けたエドガーにひょいと肩を竦めた守は、嘆息すると席を立ち上がり部屋から出て行った。
皿が置いてあるキッチンはここじゃない別室にあるので、帰ってくるまでに紅茶も冷めてしまうだろう。
もっとも守は本人が言うとおりに紅茶通でもないので冷えた紅茶でも平然と飲み下す。
イギリス人らしく紅茶に五月蝿いエドガーがその様をじとりとした目で睨んでも全く意に介さない。
しかしながら今回の場合は彼が原因であるので流石にそんなに睨んだりもしないだろうけど。
そこまで考えて、当初の疑問を思い出し優雅に紅茶を啜る少年に視線を戻し口を開いた。
「それで、エドガー。この薔薇は結局君が用意したものじゃないのか?」
一輪挿しのピンクの薔薇と、新たな花瓶に豪奢に飾られた真紅の薔薇を指差し小首を傾げる。
紅茶のカップに口をつけたエドガーは、フィディオの言葉に顔を上げた。
「マモルがヒントも与えたし、お前も言っていただろう?」
「何を?」
「今日はイタリアで言うFesta degli innamoratiだ」
「だから?恋人たちの日は恋人同士が祝う日だろ?───それとも、許婚は恋人同士に入るのか?」
問いかけて胸のどこかがずきりと痛む。
風邪でも引いたのだろうかとセーターの上から心臓の上を掴むが、もう疼痛は失せていた。
気のせいかと再びエドガーに視線を戻すと、優雅に微笑んだ少年は人差し指を振りウィンクをした。
「そのイベントは世界に多く広まっているが、各国において特色が少しずつ違う。例えばイタリアでは恋人の日であるように、日本では女性から男性に愛を告白したり、親しい人間に義理を篭めてチョコを贈ったりもする。そして我が国イギリスでは、好いた相手に密かに想いを伝える日だ」
「密かに?」
「そうだ。直接愛を告白するのではなく、贈り主不明の相手から情熱的なプレゼントを渡されるのはミステリアスで驚きに満ちているだろう?」
「じゃあ、やっぱりあれはエドガーからなんだ。どうしてカードの宛名に名前を書かないで『あなたを密かに想う誰かより』ってしたの」
「名前を書くのはスマートじゃない。本来ならロマンチックな詩を添えたり、『Be my Valentine』とか『My Heart belongs to you』もしくは『SWALK』などと記入するのが一般的だ」
「SWALK?」
「『Sealed with a loving kiss』の略だ。ちなみに以前それを書いて贈ったのだが、英語を勉強中のユウトに詰め寄られマモルに笑顔で怒られたのでやめている」
納得いかないと眉根を寄せたエドガーは、それでも満足げだった。
イタリアのイベントが恋人限定なのが基本なのに対し、イギリスや日本は少し赴きは違っても好きな相手に想いを伝える日らしい。
そしてイギリスでは随分とロマンチックな日らしい。
女性に対しての扱いを考えると、ある意味らしいと言えばらしいけれど。
「それでマモルは相手が誰か判っても知らないフリをしたんだな」
ぽつりと呟いた言葉にエドガーが口角を持ち上げた。
きっと相手が誰か判っていても言わぬが花と言うのだろう。
「恋にはスリルがつきものだ」
訳知り顔で頷いた彼は、まさしく恋する少年だった。
初恋もまだのフィディオには時折彼が大人びて見える。
守は、彼の想いを一身に注がれる少女はどうなのだろう。
彼女は確かにエドガーに気を許しているが、溺愛する弟のようにあけすけに愛を注いでいない。
むしろどこか冷たく厳しさすら漂う態度をしているが、それすら特別と知っている自分は、一体何が納得し切れていないのだろう。
もやもやとする感情を嚥下出来ずに柳眉を顰めると、軽快なノックの後勢い良くドアが開いた。
「・・・マモル、もう少し品良く行動できないのか?」
エドガーの言葉に眉を吊り上げた守はわざとらしいまでにお淑やかにドアを閉めると、彼をぎろりと睨み付けた。
怒り心頭に発するとばかりにきりきりと苛立ちを露にする愛らしい顔は珍しく紅潮している。
一体何があったのかと先ほどまでのもやもやした感情も忘れて注視した。
「品良く行動できないのか、じゃねーよ!お前なんだよ、これ!」
「・・・スコーンだが?」
「スコーンだが?じゃない!お前この間手作りスコーンを有人に渡してたよな」
「ああ。君に作り方を教わり私が作ったものを謝礼代わりに渡した。君も見ていただろう?」
「お前、こんな劇物人の弟に渡してくれたのか!?ふざけるなよ!!」
「劇物?」
「さっき皿を取りに行ったとき、使用人に勧められて一口齧ったんだ。そしたらなんだ、このスコーン!じゃりっとしてぬめっとしてかさついた挙句に、口内の水分全部奪って激辛成分が支配したわ!お前日本人の美食文化舐めんじゃねえぞ!こんなのスコーンと認めるか!!人の弟になんてもの食わしてくれてんだ!」
流れるような罵倒にぱちりと瞬きをする。
口は悪いが寛容で気が長い守のあからさまな怒りを初めて見るフィディオはもとより、普段から少しばかり冷たい扱いを受けているエドガーも戸惑うように瞬きを繰り返す。
怒りで頬を赤らめたままの守が皿に綺麗に盛られたスコーンをエドガーに差し出すと、彼はゆるりと首を傾げて一口齧った。
「・・・普通のスコーンの味だが」
「嘘付け!それが普通なら全世界で普及しているスコーンに謝罪しろ!フィディオ、お前も何とか言ってくれ!」
「なんとかって言われても・・・じゃあ、俺も一口」
綺麗に焼けているスコーンを齧ると、なんとも言えない不快感が広がる。
中は生焼け外は見た目より遥かに乾燥し、子供の頃戯れで口にした砂のような食感だ。
口内の唾液が乾いたスポンジに奪われるよう水分を失くし、最後にはなんとも言えない刺激が下に広がった。
なんだろう。麻痺したように痺れる舌は、辛いというより痛い。
期待した眼差しを向けるエドガーを正面から見つめ、フィディオは評価を下した。
「これ、食べ物じゃないと思う」
「!!?」
ショックを受けた顔でよろめいたエドガーに、弟に劇物を食べさせたと詰め寄る守は容赦なかった。
それでも結局は最後までスコーンを食べきった守は律儀とでも言うべきか義理堅いと言うべきなのか。
何だかんだで優しい彼女の感情は、やはりフィディオには読みきれなかった。
とりあえず理解できたのは、目の前の端正な顔立ちの少年の味覚が、些か残念だという部分だけ確信は出来た。
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