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零れる吐息は熱を持ち、黒目がちな瞳は僅かに潤む。
長い睫毛に彩られるその目が放つ魔力は著しく琉夏の思考を低下させ、誘蛾灯に引き寄せられる蛾のようにふらふらと引き寄せられる。
色白の頬が桜色に染まり、ぷっくりとした赤い唇がとても美味しそうだった。
近づけば確実に火傷すると判っていても、逆らうには魅力があり過ぎる。

「る、か・・・くん」

普段よりも掠れ、ハスキーになった声が色っぽく、喉がごくりと自然に鳴る。
我慢出来ずに足を踏み出し、伸ばされた自分よりも一回り以上小さな柔らかい手を握る。
すると、安心したように目を細め、嬉しげに彼女は微笑んだ。
ゆっくりと顔を近づけると、彼女の瞼も閉じていく。
互いの呼吸が掛かる距離に近づけば、果実の熟した甘い香がふんわりと漂った。




「って、何してんだお前は!」

側頭部に予期せぬ鈍い痛みが走り、同時に床に転がされる。
繋がれていた手は解かれ鈍痛だけが琉夏に残った。

頭を押さえて床を転がると、無慈悲に背中を踏み潰される。
ぐえっと蛙が潰れたときのような声を漏らした琉夏に、足を乗せた張本人である琥一は容赦なく力を入れた。

「病人相手に発情してんじゃねえよ!ちょっと目を放せばこれか、この馬鹿が!」

小声で怒鳴るという離れ業を披露する琥一を何とか首だけ回して見上げ、へらり、と邪気の無い笑みを浮かべる。
だがそれが気に障ったらしく、足に篭る力を増やされギブギブと掌で床を叩いた。

両手に土鍋と薬を飲む水を置いたトレイを抱えた琥一は、ふんと鼻息荒く息を吐き出すと、最後にもう一度琉夏を踏み潰し冬姫へと向き直る。
床に寝転んだままそれを見送った琉夏は、漸く開放された痛みにほうっと長い息を吐き出した。

「だってさ。冬姫色っぽいんだもん」
「色っぽいんだもん、じゃねえよ。苦しそうに眉根を寄せてるし、息だってこんだけ荒いじゃねえか。汗くらい拭ってやれよ」
「───他のとこも触ってよければやる」
「やめれ。もういい。お前には頼まねぇ。土鍋にかゆが入ってるから蓋開けて冷ませ」
「コウ、手が滑ったとかありがちなネタはやめろよ」
「お前じゃねえよ!!」

唾を飛ばしながら怒鳴る兄から器用に身を離すと、言われたとおりに土鍋の蓋を開け熱を冷ます。
ふうふうと吐息をかけながら琥一の動向を見守ると、一緒に持ってきた冷えたお絞りを手にし、少し躊躇した後顔を拭い始めた。
おっかなびっくり触る手つきは繊細で、見ていて少し面白い。
厳つい顔をした大男が華奢な美少女相手に気を使う様はなんだか甘酸っぱい感じだった。

冬姫の様子を見て僅かに顔を赤らめる兄に眉を寄せるものの、実際は琉夏はその手の内容に関して琥一以上に信じている相手は居ない。
琥一は琉夏と同じくらい冬姫にぞっこん惚れているので、彼女の同意がないと何も出来ないに違いないから。
その辺は要領がいい琉夏としては、もらえるなら貰っちゃえと考えてしまうので兄の方が硬派で堅物なのだろう。
くくくっと喉を鳴らして笑うと、そっと背後から琥一に忍び寄る。

「ねえ、コウ」
「あんだよ」
「こんな風にさ、息を荒げて頬を染めてる冬姫を見るとさ」
「?」
「───あの時を想像しちゃわない?」
「!!?っ、この馬鹿!」

一瞬で首から耳から顔全体を赤く染め上げた琥一は、振り向き様に手にしたお絞りを琉夏の顔に全力で投げつけると、視界を奪われた琉夏が動けずに居る内にその頭に拳を振り下ろした。
ごつん、と脳まで響くいい音がして、琉夏は無言で蹲る。

「いい加減にしろ、この下ネタ男」
「───コウだって言ってる意味すぐ判ったんだから同類だろ。むっつりめ」
「───っ、この!」

再び拳を振り上げた琥一の手を避けると、そのまま冬姫の顔を覗きこむ。

「冬姫、起きてる?」
「こんなに騒いでちゃ、眠れないよ」

囁きで問いかければ、うっすらと瞼が持ち上がった。
目元が桃色に染まって、やはり何とも色っぽい。
正直に反応してしまいそうな己の野生を何とか宥めると、土鍋をトレイごと手にして正座した膝に置く。

「おかゆあるよ。俺が食べさせてあげる。薬飲むために、少しでも食べて」
「うん」

苦しげな息の元、微笑みらしきものを浮かべた冬姫に、琉夏は眉を下げた。
色っぽい冬姫もたまにはいいが、やはり普段の晴れやかな笑顔が好きだ。

「俺の元気を分けてあげるから、早く元気になって。そんで、コウと三人で遊びに行こう」
「・・・うん」
「それまではゆっくりと休むこったな。治るまでは傍に居てやる」
「うん」

いつの間にか隣に座った琥一が苦笑しながら前髪を掻き上げてやれば、子供みたいな無邪気な笑顔を彼女は浮かべた。
不意打ちなそれに二人はぐっと息を呑む。
そして互いに赤くなった顔を見合わせると、そっと小さく笑った。

シックでありながらもそこかしこに女の子らしさが漂う部屋は、三人だけの箱庭だった。
小さな棚の上に飾られた三人の写真が、満面の笑みでこちらを見ていた。

拍手[9回]

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目の前に聳え立つ───まさしくそんな形容が似合う───男の姿に、旬平は年甲斐もなく泣きたくなった。
平均身長はきっちりとある旬平よりも頭一つ分は優に高い男は、名前につく獣のように鋭い眼光を向けてくる。
己の運の無さを嘆きたいが、その隙も与えてくれない彼はなんと無慈悲であるか。
思えば今日は朝からツキが良すぎたのだ。
絶対遅刻だとチャイムと同時に教室に駆け込めば、担任は職員会議で遅れてきた。
課題のプリントをやり忘れた授業は自習になり、昼ごはんは購買限定の人気パン。
人生ってプラスマイナスゼロと言うけど、あれは本当なんだ。

真っ白になった頭のどこか冷静な部分で下らない思考が渦巻く。
どこぞのボクシング漫画の主人公のように真っ白な灰になり燃え尽きそうな心持ちで居る彼は、間違いなく今日最高の不幸に見舞われていた。

どうして今日に限ってHR終了と同時に走って部室に来てしまったのか。
どうして今日に限ってあの先輩二人組みはまだ来てないのか。
どうして鍵が閉まってるはずの部室に人がいるのか。
どうしてその相手が、よりにもよって桜井兄弟の、兄なのか。

回転の速い頭をフル稼働させているのに、どうすればいいのか全く判らない。
いっそ灰になってしまいたい。
そんな支離滅裂な考えで居ると、ついに目の前の巨体が動いた。

「おい」
「・・・ははははいぃっ!?」

声が裏返った。
ありえない返答だが気にする余地もなく背筋を伸ばし、指先までピンと張り体の横にびたりとつける。
もしかしたら寝起きなのだろうか。
低音が掠れ色っぽかった。

「テメェ、誰だ」
「一年の新名旬平です!」

答えたらやばいと思う心と裏腹に口は勝手に自己申告。
どうか覚えないで下さいと心から祈りつつ、平伏しそうな勢いで九十度にお辞儀する。
ここまでの最敬礼、今までの人生で早々したことがない。

先日、かの有名な桜井兄弟の幼馴染が冬姫であるのを発見したが、それは旬平にとって嬉しい事実ではなかった。
部室の掃除を手伝ってもらえても、気になる彼女にアタックを掛ける前の弊害として大きすぎる壁である。
そう言えばあの日弟の琉夏は部室の掃除をしていたので旬平の顔を覚えてるかもしれないが、兄の琥一はゴミ捨てへとさっさと踵を返していたので覚えていないのかもしれない。
それならそれで一生擦れ違いたかった。
零れ落ちそうになる涙を噛み殺し旬平はひっそりと息を吐き出した。

「お前、ここで何してる」
「お、俺は」

じとり、と低くなった声に折ったままの体から冷や汗が噴出す。
警戒心露な様子に突っ込みたい。
俺は柔道部員で、あんた部外者だろうと。
だが自分に正直な唇はぴったりとくっつき開く様子を見せない。
どれ位時間が経ったのだろうか。
不意に、空気が揺れ威圧感が霧散した。

何が起こったのかと首を上げると、先ほどまでの威嚇する獣さながら恐ろしい表情をしていた男は、眉を下げ決まり悪そうに首筋を掻いていた。
旬平からすると背後、男からすると正面を極力見ないようにしている姿に、背後に誰かいるのかと考え、直感でそれが誰か判った。

ぱぁ、と思考が明るくなる。
きらきらと目を輝かせ振り返れば、そこには想像通りの人物が居て。
今の旬平には勇者にも等しいその人は、細い腰に手を当ててむんと胸を張っていた。

「冬樹ちゃん!」
「───冬姫『ちゃん』?」

警告するように発せられた低い声。
けれど最早恐れぬに足らずだ。
脱兎の勢いで踵を返すと、冬姫の後ろに回りこみ少女をきゅっと抱きしめた。
正面に居る男を見ないために、瞼は閉じる。
ほうと深く息を吐き出せば、柔らかな掌が宥めるように頭に降って来て、深くにもじわりと目元が潤む。
だが泣かない、だって男の子だもん。

「琥一君。柔道部の部室で何してるの?」
「何って」
「さっき、大迫先生に聞いたんだけど、授業サボったんだってね。まさか、ここで時間を潰したとか言わないよね?」
「あー・・・」

先ほどまで虎か狼かというくらいに物騒な気配を放っていたはずの彼は、牙を抜かれた獣のようだ。
眉を下げ弱りきった様子で視線を彷徨わせている。

華奢でいかにも女の子な冬姫が巨漢で強面な桜井兄弟の兄を黙らせる様子は、冗談みたいな光景だ。
力関係が如実で、嘘みたいな本当だった。

「旬平君は柔道部の貴重な戦力なんだよ」
「・・・何だ。新入生、入部してたのか?」
「この間も居たじゃない。琉夏君と一緒に部室の掃除手伝ってくれたとき」
「あー・・・、そう、だっけか?」
「そうだよ。だから、変に怯えさせないで。───もう、琉夏君といい琥一君といい、ちょっと過保護だよ」
「お前が警戒心皆無なんだよ。俺らの隙を縫おうとする馬鹿どもは多いんだからな」
「そこが過保護なんだってば。私なんかに目を留める人は居ないってば」
「・・・・・・」

何かを言い返す代わりに、琥一は深く深く息を吐き出した。
眉間に刻まれた皺が彼の苦悩を物語っており、能天気な反応が彼女の自分を知らなさ具合を物語っていた。
重々しいそれに思わず同情する。
実際旬平が知る限りでも彼女目当てで部活に顔を出す男は、二桁は下らないのだから。

だが男たちの苦悶を気づこうともしない罪な少女は、鞄を漁ると出した紙の束を琥一へと差し出した。
眉を跳ね上げた男に向かい、にこりと微笑む。

「大迫先生からのプレゼントだよ。明日までに提出だって。出来なければ一週間補習。じゃなきゃ出席誤魔化してくれないってさ」
「げぇ、マジかよ。これ、何教科あるんだ?」
「主要三教科分。───今日、嵐くんの相手してくれるなら、手伝いに行ってあげてもいいよ」
「・・・夕食もつけろ」
「図々しくない?でも、いいか。じゃ、契約締結」

にこり、と微笑んだ冬姫は凄い。
あの桜井兄弟相手に怯むどころか優位に立っている。
頭の上に置かれた手に気持ち良さそうに目を細める姿は、飼い主に可愛がられる猫みたいで可愛らしい。
よく笑う冬姫だが、気の緩んだこの笑顔は初めてな気がした。

「あれ?二人とももう来てたのか。───ん?桜井琥一?」
「おう」
「今日は参加してくれるのか?」
「まぁな」
「助かる。───ああ、そうだ。正式な紹介はまだだったな。こいつは新名旬平。柔道部期待のホープだ」
「ああ、さっき聞いた」
「新名。こっちは桜井琥一。たまに練習に混じるけど仲良くしろ」
「・・・・・・誠心誠意努力します」

淡々と紹介する嵐を、やっぱり凄いと尊敬する。
彼もあの桜井兄弟の片割れを前に、少しも気負わず自然体だった。
そして何となく馴染んでいる様子の琥一にも驚きを隠せない。どうやら飛び入り参加は初めてではないらしい。

油断しているところで、ぎろり、と視線を向けられびっと体が固まる。
唇の端だけを持ち上げるにたりとしたニヒルな笑い方は、とてもよく似合ったが残念にも悪役そのものにしか見えなかった。

「宜しくな?」

聞くだけだと友好的なのに、何故か険が込められている気がして。
格好悪いと判りながらも、冬姫の後ろでふるりと体を震わせた。

拍手[10回]

張り出された紙を見て、知らず感嘆の息が零れる。
学年分全員の名前と点数が容赦なく張り出されたそれの、下から数えた方が早い位置に自分の名前はあり、対照的に幼馴染の名前は一番上にさんさんと輝いていた。
オール100点に近い点数を取った彼女の頭の中を一度覗いてみてみたい。

「凄いなぁ」

間抜けにも口を開けたまま呟いたら、だな、と控えめな同意が返る。
隣に並ぶ兄も、琉夏とほとんど変わらぬ位置に名前があって、毎回テストごとに上下が入れ替わったりするけれど、中の下なのは変わらない。

「てかよ、あいついつ勉強してんだ?」
「だよな。勉強してるの見たことない。授業で集中して全部頭に入れるタイプ?」
「いいえ。バンビはああ見えて予習復習を地道に続けるタイプよ」

割り込んだ声に視線を彷徨わせ、不意に気づいて顔を下に下げる。
普段よりも首を鋭角に曲げ、漸く視線が絡んだ。

「いつから居たの、みーちゃん」
「ちゃん付けは止めて。ついさっきよ」

不愉快そうに眉を顰めた少女は、冬姫よりも小柄で華奢だ。
肩を僅かに越す程度に伸ばされた髪がトレードマークのみよは、見かけよりも随分と肝が据わっていた。
少なくとも、桜井兄弟が揃っていても怯まずに声を掛けれる程度には、そこらに居る男よりも豪胆である。

ぎろり、と琉夏よりも頭一つ分以上高い場所から琥一がみよを見下ろす。
本人凄んでいる気はないのだろうが、顰められた顔は客観的に見て怖い。
だがそんな琥一の眼差しにも怯まずみよは口を開く。

「バイトに部活。あなたちとのデート。全部こなしても成績が下がらないのは努力してるからよ」
「ま、そうだろうな。冬姫は努力家だから」
「んなこた、俺も知ってる」
「単純に凄いな。時間があっても俺たちは勉強しようってならない。精々試験前に一夜漬けくらいだ。な、コウ」
「ああ。赤を取らなきゃ上々だ」
「そこがバンビとあなたたちの違い。バンビは向上心が強い。まるで、誰かに頼るのを厭うように、全部を自分でやりたがる。動きが止まれば呼吸できない回遊魚みたい」
「───・・・は」

表情を変えないみよの言葉に琉夏は目を丸くする。
確かに冬姫は何でも自分でこなそうとする自尊心の強い部分があるが、全く甘えないわけではない。
自分に何が出来るかを的確に考え判断し、琥一や琉夏に頼ることも多々ある。

けれど、よくよく考えると、冬姫は確かに回遊魚のように動き回っていた。
勉強も部活もバイトも手を抜かず、どちらかと言わなくとも頼りにされる側だった。

「バンビが何かあって最初に頼るのはあなたち兄弟よ。私やカレンや、他にも頼って欲しいと願う人間は幾らでもいるのに。無防備に甘えるのはあなたたちだけ」

無表情に見えたみよは、眉間に皺を刻むと唇を噛み締める。
それは酷く詰まらなそうにしてる子供とそっくりな仕草で、感情の機微がなさそうに見える彼女も、やはりただの女子高生なんだと感じさせた。

ちらり、と視線を琥一に向けると、そっぽを向いた彼は指先で首筋を掻いている。
よく見ると浅黒い肌が僅かに赤く染まっていて、琉夏は思わず苦笑してしまった。

「あなたたちはバンビの止まり木。世間の評価がどうだろうと彼女には関係ないわ。───忘れないで」

言いたいことだけ告げて背を向けたみよは、紛れもなく冬姫の親友だった。
彼女を想い理解する、一生に数人しか出来ない特別な友達。
それが嬉しくて、琉夏はくすくすと微笑んだ。

「俺たち、冬姫の止まり木だって」
「───ああ」
「それってさ、何かいいな。回遊魚のように動き回らないと気がすまない冬姫が、俺たちのとこだけで休むのって特別な感じ」
「事実、特別なんだろ」

ぽそり、と呟かれた琥一の声は何処か誇らしげで、うんと頷く。
学校内外で悪名高い桜井兄弟でも、頑張りすぎる彼女の止まり木になれる。
それは酷く特別な気がして、とてもとても嬉しかった。

拍手[10回]

黒目がちの大きな瞳が少しだけ潤む。
その姿を見て琥一は歯軋りをして彼女の前で血を流しながらふら付く男を睨み付けた。
薄暗く視界の利かない場所は身動きすらままならない。
小さく呻く琉夏の声に、冬姫の体がびくりと震えた。
恨み辛みを篭めた視線は怨念が宿り、反射的に腕を伸ばして彼女を庇う。
琥一より一回り以上小さな体は、すっぽりと収まる。

「こう、いちくん」

たどたどしい発音で呼ばれた名は、自分のものではないようだった。
護らなければ、と琥一の中の本能が叫ぶ。
父性と庇護欲が掻き立てられ小さな白い手をしっかりと握り、安堵させるよう笑いかけた。
その仕草は、普段の琥一が見たら悶絶しそうなくらい格好よかった。




「・・・てかさ、二人とも大げさだし」

漸く終わった悪夢の時間。
ふるふると震える冬姫を気遣いつつ歩いていた琥一は、その発言の主であるKYな弟をギロリと睨み付けた。

「あぁん?」

威嚇する声が自然と普段よりも低音を這う。
その理由は簡単で、冬姫がこうなったのも自分があんな目にあったのも、全ては能天気極まりない琉夏の所為だからだ。
苛立ちに引きつる琥一の顔を見ても琉夏は取り立てて慌てない。
兄弟として育ったのだから当然かもしれないが、それがさらに琥一の苛立ちを呷った。

子ウサギのように怯える冬姫を見て彼は何も感じないのか。
否、琥一とは遙かかけ離れた感性を持つ琉夏のことだ。
『怯える冬姫も可愛い・・・』などと戯けた考えを抱いたに違いない。
それを肯定するように、未だ震える冬姫を見る琉夏の眼は、桃色のオーラを垂れ流しだ。
不埒な目で見るなと、ぶん殴ってしまいたいほどに。

「誰の所為でこんな目に合ったと思ってる」

唸るような声に、琉夏は飄々と肩を竦める。

「俺?」
「判ってんなら、お前にどうこう言う権利はねぇって気づけ」

冬姫を自分の背後に隠しながら告げれば、心外だとばかりに彼は頬を膨らませた。
綺麗な顔立ちに幼げな仕草。
見るものが見れば垂涎の的かもしれないが、生憎今更琥一の心は動かない。
良くも悪くも見慣れた顔だ。
美醜を考えれば明らかに見るに耐える顔でも、間違っても男に目を奪われる感性は持ち合わせていなかった。

怒りを募らせる琥一を前に、琉夏は唇を窄め訴える。

「でもさ。これ、ただのホラー映画じゃん」

それが重大な問題なんだよ!!

声に出せない分心の中で大きく突っ込んだ琥一は、益々眉を吊り上げる。

冬姫はお化け関係が嫌いだ。
遊園地のお化け屋敷程度なら行こうかと言っても、間違ってもホラー映画を見たいと言い出すタイプではないし、琥一も秘密にしてるが彼女と大体同じ感覚だ。
琉夏には知られていないし、冬姫にも黙っているが、お化けだの妖怪だのスプラッターだの大嫌いだ。
血を見ても平気な性質であるから喧嘩は平気だが、それとこれとは別問題だ。
だが繊細そうな顔をして、全く大雑把な弟に琥一の気持ちが伝わる日はきっと来ないだろう。
隠したいのだからそれでいいはずだけど、時折声を大にして叫びたい。

お前、少しは空気読め、と。

今回は自分以上に怯える冬姫を宥めるので一杯でセーフだったが、これが二人きりだったらと想像したくも無い。
それ以前に映画館に男二人なんて寒い状況はありえないだろうけど。

未だにダメージが大きいらしい冬姫は、普段の気丈な雰囲気から一転し護ってやらねばと強く思わせる。
普段でも良くそう思うのだが、怯えて震える様子は彼女を可憐でひ弱に見せ、着ている清楚な服装から一層同情心が膨らむ。
元々容姿は良いとこのお嬢様風の冬姫だ。
子供の頃は本当にお姫様かもしれないと疑ったほどの美貌の持ち主は、昔憧れた正義のヒーローのヒロインにぴったりだった。
そう、琥一は今ヒーローにならなくてはいけなかった。
悪気全くなしの、悪の権化を前にして。

「でも、俺別の映画も見たい」
「・・・今度はなんだ」
「ゾンビがスリラー踊る感じのB級ホラー。超受ける」
「受けねぇよ!!」

唾を飛ばす勢いでがなり立てるが暖簾に腕押しとばかりに流された。
珍しく映画を見に行きたいと言う琉夏に、何も疑わずついて来た自分が恨めしい。
この場所がホラー専門のマイナー映画館と知ってれば、絶対にそんな愚行を起こさなかったのに。

血管が千切れんばかりに叫ぶ琥一に琉夏はにたり、と唇を持ち上げた。
瞬間警戒警報が脳裏に鳴り響く。
こんな顔をした琉夏は、いいことをしたためしがない。

「コウ、怖いの?」

挑発するような声音。
判りきってるのに反射的に応じそうになった自分を何とか宥める。
ここで乗ったら全てがおしまいだ。

ぺろりと乾いた唇を舐め湿らせる。
眉間の皺が深くなるのを自覚し、額に青筋が浮いてるだろうことも自覚した。
だが右手を握る小さな掌の力が強まるのに、深く瞼を閉じて怒りを納める。
深呼吸を繰り返すと、敗北発言とも取られかねない言葉をそっと舌に乗せた。

「ああ、怖いね。だから俺らはもう帰る」

きょとりと目を見開いた弟に笑いかけると、つながれたままの手を引き踵を返す。
縋りつくように強められたそれに勇気付けられ、さっさと足を速めた。

「ありがとう」

今にも消えそうな声で囁かれ、目を丸くする。
そしてくすぐったさに思わず微笑んだ。

「言ったろ。俺もこえぇんだよ」
「うん。・・・私も、凄く怖かった」

歩調を緩めると隣に並んだ冬姫がおずおずと顔を上げ、ぎこちない笑顔を浮かべた。
儚げな笑みは可哀想だが愛らしく、たまにはプライドを曲げるのも悪くないと思わせた。

結局寂しくなった琉夏は、すぐに二人を追いかけ三人でまた別の映画を観に行くことにしたのだが。
意識せずに繋いだままだった手を不貞腐れた顔で指摘され、火傷したように慌てて琥一が放したのは、携帯でその姿を激写された後だった。

拍手[9回]

いつも通りにHR後の部活動、がらりと開けた扉の中にはいつもと違う光景が広がっていた。
鞄を肩から提げた状態で、新品の部室の入り口でぱちぱちと目を瞬かせる。

普段から人気のない部室は、マネージャーと嵐二人きりの聖域だった。
なので冬姫が畳の上で正座しているのは良く判る。
だが判らないのはその状況だ。

「───何、やってるんだ?」

こてりと首を傾げ、判らないなら聞いてしまえと素直に疑問を発すると、その最要因は綺麗な顔を嵐に向けた。

「何って。道場破り?」
「はぁ?」

長い髪を揺らして応えた桜井兄弟の弟は、すぐさま後ろからぱしりと叩かれ首を竦めた。
彼の背後で櫛を持った冬姫は不愉快そうに眉を顰めている。
人当たりはよくとも噂を知っている人間からして、彼にこんな態度が取れる存在は少ないに違いない。

「馬鹿なこと言わないの。柔道は嵐くんにとって大事なんだから」
「冬姫にとっても?」
「私にとっても。この柔道部にどれだけ思いいれあるか知ってるでしょ」

そう言って出来たばかりの柔道部の部室を眺める彼女の視線は何処までも柔らかく優しい。
それが嬉しくて嵐の表情も自然と綻ぶ。
彼女が言う通り柔道部は嵐の聖域であり、二人の努力の成果だ。
嵐一人で成し遂げたものではなく、影に日向にルールも知らなかった柔道を勉強し支えてくれた冬姫の存在があってこそのもの。

自分の直感を信じてスカウトした時の冬姫の様子を今でも覚えている。
突拍子もない嵐の言葉に目を丸くした彼女は、考えさせて欲しいと応えた。
すぐに断られてもおかしくない状況だと誰よりも嵐が知っていたのに、瞳を真っ直ぐに覗きこんだ彼女は大した面識もない自分相手に微笑みかけた。
それまでチラシを配った誰も嵐の目を見なかったのに、その時漸く気がついた。
真剣に取り合ってくれたのは、きっと彼女だけだったと思う。
だから嵐は彼女が良いと思った。他の誰でもなく、彼女が一緒に居てくれたら良いと。
断られてもしつこく付きまとう気満々だったが、冬姫は三日間悩んだ後、『是』と返答をくれた。
高校に入って一月足らず。一番嬉しい出来事だった。

それから二人三脚で進めた部活動。筋トレメインだったが木を相手に投げ技の練習もした。
不足な練習は多いけれど、充足感は常にある。
性別は超えた相棒だと、彼女を心から信じている。

だからこそ、嵐は不思議に思う。
桜井兄弟が冬姫に多大な関心を抱いているのは、同級生の中で知らないものが居ないくらい広まっているが、彼らが積極的に嵐に接触した事はない。
一、二度琥一の方とは一緒に筋トレをしたことはあるが、それも例外中の例外で冬姫が関連していた。
ならば、とここで初めて思い至る。
琉夏がこの場に居るのも、冬姫が関係するのかもしれない。

大人しくしない弟をたしなめる姉の表情で琉夏を宥めた冬姫は、再び彼の背後に回って櫛を動かしている。
よくよく見てみれば、肩を超える髪を一本に結わえている最中らしい。
じっと見詰めすぎたのか、目が合ってしまった。
ゴムでなく紐で髪を結ばれた彼は、綺麗な顔に性質の悪い笑みを浮かべる。

「頼まれたんだ」
「は?」
「冬姫に、不二山の相手して欲しいって。俺、お前と体格が似てるから」

はい出来上がり、と小さく微笑んだ冬姫は、状況に戸惑っている嵐ににこりと笑いかけた。

「受身や筋トレも大事だけど、やっぱり人相手の乱取りもしたいでしょ?今日は琉夏君バイト休みだし」
「冬姫の手料理と交換条件に引き受けた。今夜はカレーとホットケーキだ」
「・・・それって食い合わせどうなんだ?」
「ははは・・・琉夏君、こう見えてお子様舌なんだ」

苦笑して琉夏の頭に手を置いた冬姫は、ねーと琉夏と仲良く頷く。
その姿は、幼馴染というよりも。

「・・・言っとくけど、組み手になったら手加減できないかもしれないぞ」

頭に浮かんだ言葉に、何故か不愉快になった嵐は唇を尖らせた。
そして自分の部室であるのに遠慮して敷居を跨いでいなかったのに気がつくと、スニーカーを脱ぎ畳に上がる。
そんな嵐の様子を見て、琉夏は楽しげに笑った。

「大丈夫。俺、痛いの平気だから。それよりも、手とか足が出たらごめん。俺、専門空手だから」

へらりと笑った彼は、嵐をじっと見詰めた。
こくり、と喉を鳴らして視線を強くする。
今気がついたが、彼の目は欠片も笑っていない。

嵐は予備の胴着を彼に放った。

「怪我してもしらないぞ」
「そっちも」

ふふふと笑った彼は、やはり噂通りの桜井兄弟の片割れだった。
笑顔の裏で爪を研いだ獣が潜んでいる。
油断ならない存在に、嵐はひっそりと笑った。

「マネージャー」
「はい」
「練習メニューの用意頼む」
「はい!」

嵐の声に呼応し立ち上がった冬姫は、さっと用意してある机の方へ走っていった。
残された琉夏は、その背中を見送ると嵐から受け取った胴着を片手に立ち上がる。


その日の練習は男の意地のぶつかり合いになり、冬姫が強制的にストップをかけるまで両者一歩も引かなかった。
満足いく厳しい練習内容に、嵐が次を頼んだのは当然予測できる未来だった。

拍手[11回]

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