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「ねえねえ、冬姫ちゃん」
「ん?何?」
去年試行錯誤して作った柔道部。
その一人目の後輩の声に、部屋を掃除していた手を休めて振り返る。
親友の一人に言わせればレッサーパンダ似の彼は、最近になって漸く部活をサボらなくなってきた。
夏休みも間近の季節、これから練習に集中する時期なのでそれはとてもありがたい。
人を惹き付ける魅力のある旬平に釣られ、見学の人数はぽつぽつと増えて来ている。
それは柔道部を確立させるべく悲願をいつの間にか持っていた冬姫にとって歓迎すべきことだった。
きょろきょろと好奇心に満ちた瞳が特徴的なこの後輩は、少しばかりませた部分があるが憎めない可愛さもある。
年下扱いすると拗ねるところが年下らしく、冬姫も、そしてもう一人の柔道部員の嵐も、彼を弟のように可愛がっていた。
旬平自身も冬姫と嵐によく懐き、今ではたまに一緒に遊びに行くくらいまで仲がいい。
柔道部内でも好奇心旺盛な彼は、きっと新しい噂でも手に入れたのだろう。
全身で聞いて聞いてと訴えている。
ちらり、と視線をもう一人の部員へと向ければ、彼は一直線に雑巾掛けをしている最中で、集中しているのかこちらにまだ気づいていない。
生温い暑さに耐え切れず、最近はずっと窓と入り口を開放しているが、それは些細な抵抗に過ぎず、彼の額からは絶え間なく汗が流れる。
それを確認すると、小さな声でどうしたのと問いかけた。
「あのね、冬姫ちゃん。この学校にいる桜井兄妹って知ってる?」
とても聞き覚えのある名前に、ぱちぱちと目を瞬かせる。
それをどうとったのか、旬平はにっと悪戯っぽく微笑んだ。
「実はね、あの桜井兄弟の幼馴染がこの学校にいるんだけど、知ってた?」
「・・・うん、まぁ。それって割と有名だよね?一年生は知らなかったの?」
「んー・・・桜井兄弟の存在は有名なんだけどさ。そうじゃなくて、実は幼馴染がいるって話。こっちは一年にまで噂が回ったのは割りと最近。何でもあの桜井兄弟は幼馴染を滅茶苦茶大事にしてるらしくってさ。目に入れても痛くない特別扱いなんだって。年下だろうと年上だろうと近づく男はつるし上げ。すっげーよな」
「・・・まぁ、確かに」
心当たりがないでもない。
冬姫の幼馴染は極端に過保護なところがあり、自分たちのテリトリーの中で構おうとするきらいがある。
彼らが袋ネズミかカンガルーであれば、確実に冬姫をポケットに仕舞いこんで連れ歩くだろう。
構いたがりな琉夏は当然に、あれでいてお兄ちゃん気質の抜けない心配性な琥一も絶対に。
「んでね、一年の間で今その幼馴染がどんな人間かって噂が立ってるんだ」
「それはまた・・・」
随分と下らない。
喉奥で言葉を何とか飲み込む。
それを知ってどうするのだろうと思うが、好奇心など理由がないものだろう。
呆れ混じれの眼差しを向ければ、ひょい、と彼は肩を竦める。
「冬樹ちゃんは知ってる?」
「───・・・・・・おい」
きらきらしい眼差しを向けた彼の肩を、ぽん、と嵐が叩く。
可哀想なくらい体をびくつかせた旬平は、恐る恐る振り返った。
ちなみに彼とは違い冬姫に驚きはない。
旬平の背後から静かに怒りを滲ませた嵐が近づいて来るのは見えていたし、彼が本気で怒ってるわけではないと知っているから。
伊達に一年以上ほぼ毎日一緒に部活をしていたのではない。
二人きりの柔道部を支えるために得た感覚は伊達じゃないのだ。
だが未だに嵐の人となりを理解し切れていない旬平の額からは、絶え間なく汗が流れ落ちる。
少し可哀想なくらい怯えている旬平に助け舟を出すか否か。
迷っている間に、第三の選択肢が差し出された。
「冬姫」
開け放しになっているドアの外から聞き慣れた声がして、条件反射で振り返る。
そこには想像通りの二人組みが並んで立っており、自然と微笑みが浮かぶ。
「琉夏君、琥一君」
「よう、冬姫」
「そろそろ部活も終わりだろ?一緒に帰ろう」
「うん。───でも、まだもう少し。雑巾掛けが終わったらゴミを捨てて戸締りをしなきゃ」
「判った。じゃあ俺が持ってってやる。ルカ、お前はこっちを手伝え」
「了解。冬姫、俺にも雑巾頂戴」
「手伝ってくれるの?」
「うん。代わりに、今度おにぎり作って。俺、冬姫のおにぎり大好き」
「はいはい。じゃあ、琥一君のはサンドイッチだね。三人で遊園地に行こうか?」
「いいね。じゃあ、コウの予定も聞いておく」
にこり、と微笑んだ琉夏は、手渡された雑巾を持つとさっさと仕事を始める。
彼の視線は他の二人には向かず、ただ一人冬姫だけを見ていた。
先ほどまでいた琥一も同じであったことに気がつくと、思わず苦笑してしまう。
一年生にも噂が流れるだろう過保護ぶりだ。
手早く雑巾掛けをする琉夏を尻目に、旬平が呆然とその光景を眺める。
口を開いた間抜け面の彼の肩を、嵐がぽんと叩いた。
「一年生は知らないかもしれないが、冬姫が桜井兄弟の幼馴染って言うのは二年生以上には有名な話だ。お前もこれから先柔道部にいる限りは付き合いがあるだろうから覚えとけよ」
「・・・何を?」
「俺が冬姫と柔道部を立ち上げた翌日に、あいつら二人で乗り込んできたんだ。『冬姫の努力を無駄にするなら、いつでも道場破りする』ってさ。全く、過保護な兄弟だよな」
「・・・本当に、すみません」
呆れるでもなく怒るでもなく、淡々とした口調が耳に痛い。
そんなことをしていたなんて初耳だが、聞いても彼らならやるだろうとむしろ納得だ。
一年以上経って新たに知る事実は肩身が狭すぎる。
「気にするな。あいつらがああなのは入学式から知ってる」
「・・・そうですか」
もう、どこを気にしていいか判らない慰めに、眉を下げて苦笑した。
ああ、蝉の声が聞こえる。
「ん?何?」
去年試行錯誤して作った柔道部。
その一人目の後輩の声に、部屋を掃除していた手を休めて振り返る。
親友の一人に言わせればレッサーパンダ似の彼は、最近になって漸く部活をサボらなくなってきた。
夏休みも間近の季節、これから練習に集中する時期なのでそれはとてもありがたい。
人を惹き付ける魅力のある旬平に釣られ、見学の人数はぽつぽつと増えて来ている。
それは柔道部を確立させるべく悲願をいつの間にか持っていた冬姫にとって歓迎すべきことだった。
きょろきょろと好奇心に満ちた瞳が特徴的なこの後輩は、少しばかりませた部分があるが憎めない可愛さもある。
年下扱いすると拗ねるところが年下らしく、冬姫も、そしてもう一人の柔道部員の嵐も、彼を弟のように可愛がっていた。
旬平自身も冬姫と嵐によく懐き、今ではたまに一緒に遊びに行くくらいまで仲がいい。
柔道部内でも好奇心旺盛な彼は、きっと新しい噂でも手に入れたのだろう。
全身で聞いて聞いてと訴えている。
ちらり、と視線をもう一人の部員へと向ければ、彼は一直線に雑巾掛けをしている最中で、集中しているのかこちらにまだ気づいていない。
生温い暑さに耐え切れず、最近はずっと窓と入り口を開放しているが、それは些細な抵抗に過ぎず、彼の額からは絶え間なく汗が流れる。
それを確認すると、小さな声でどうしたのと問いかけた。
「あのね、冬姫ちゃん。この学校にいる桜井兄妹って知ってる?」
とても聞き覚えのある名前に、ぱちぱちと目を瞬かせる。
それをどうとったのか、旬平はにっと悪戯っぽく微笑んだ。
「実はね、あの桜井兄弟の幼馴染がこの学校にいるんだけど、知ってた?」
「・・・うん、まぁ。それって割と有名だよね?一年生は知らなかったの?」
「んー・・・桜井兄弟の存在は有名なんだけどさ。そうじゃなくて、実は幼馴染がいるって話。こっちは一年にまで噂が回ったのは割りと最近。何でもあの桜井兄弟は幼馴染を滅茶苦茶大事にしてるらしくってさ。目に入れても痛くない特別扱いなんだって。年下だろうと年上だろうと近づく男はつるし上げ。すっげーよな」
「・・・まぁ、確かに」
心当たりがないでもない。
冬姫の幼馴染は極端に過保護なところがあり、自分たちのテリトリーの中で構おうとするきらいがある。
彼らが袋ネズミかカンガルーであれば、確実に冬姫をポケットに仕舞いこんで連れ歩くだろう。
構いたがりな琉夏は当然に、あれでいてお兄ちゃん気質の抜けない心配性な琥一も絶対に。
「んでね、一年の間で今その幼馴染がどんな人間かって噂が立ってるんだ」
「それはまた・・・」
随分と下らない。
喉奥で言葉を何とか飲み込む。
それを知ってどうするのだろうと思うが、好奇心など理由がないものだろう。
呆れ混じれの眼差しを向ければ、ひょい、と彼は肩を竦める。
「冬樹ちゃんは知ってる?」
「───・・・・・・おい」
きらきらしい眼差しを向けた彼の肩を、ぽん、と嵐が叩く。
可哀想なくらい体をびくつかせた旬平は、恐る恐る振り返った。
ちなみに彼とは違い冬姫に驚きはない。
旬平の背後から静かに怒りを滲ませた嵐が近づいて来るのは見えていたし、彼が本気で怒ってるわけではないと知っているから。
伊達に一年以上ほぼ毎日一緒に部活をしていたのではない。
二人きりの柔道部を支えるために得た感覚は伊達じゃないのだ。
だが未だに嵐の人となりを理解し切れていない旬平の額からは、絶え間なく汗が流れ落ちる。
少し可哀想なくらい怯えている旬平に助け舟を出すか否か。
迷っている間に、第三の選択肢が差し出された。
「冬姫」
開け放しになっているドアの外から聞き慣れた声がして、条件反射で振り返る。
そこには想像通りの二人組みが並んで立っており、自然と微笑みが浮かぶ。
「琉夏君、琥一君」
「よう、冬姫」
「そろそろ部活も終わりだろ?一緒に帰ろう」
「うん。───でも、まだもう少し。雑巾掛けが終わったらゴミを捨てて戸締りをしなきゃ」
「判った。じゃあ俺が持ってってやる。ルカ、お前はこっちを手伝え」
「了解。冬姫、俺にも雑巾頂戴」
「手伝ってくれるの?」
「うん。代わりに、今度おにぎり作って。俺、冬姫のおにぎり大好き」
「はいはい。じゃあ、琥一君のはサンドイッチだね。三人で遊園地に行こうか?」
「いいね。じゃあ、コウの予定も聞いておく」
にこり、と微笑んだ琉夏は、手渡された雑巾を持つとさっさと仕事を始める。
彼の視線は他の二人には向かず、ただ一人冬姫だけを見ていた。
先ほどまでいた琥一も同じであったことに気がつくと、思わず苦笑してしまう。
一年生にも噂が流れるだろう過保護ぶりだ。
手早く雑巾掛けをする琉夏を尻目に、旬平が呆然とその光景を眺める。
口を開いた間抜け面の彼の肩を、嵐がぽんと叩いた。
「一年生は知らないかもしれないが、冬姫が桜井兄弟の幼馴染って言うのは二年生以上には有名な話だ。お前もこれから先柔道部にいる限りは付き合いがあるだろうから覚えとけよ」
「・・・何を?」
「俺が冬姫と柔道部を立ち上げた翌日に、あいつら二人で乗り込んできたんだ。『冬姫の努力を無駄にするなら、いつでも道場破りする』ってさ。全く、過保護な兄弟だよな」
「・・・本当に、すみません」
呆れるでもなく怒るでもなく、淡々とした口調が耳に痛い。
そんなことをしていたなんて初耳だが、聞いても彼らならやるだろうとむしろ納得だ。
一年以上経って新たに知る事実は肩身が狭すぎる。
「気にするな。あいつらがああなのは入学式から知ってる」
「・・・そうですか」
もう、どこを気にしていいか判らない慰めに、眉を下げて苦笑した。
ああ、蝉の声が聞こえる。
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「なぁ、コウ」
病室の窓から夕焼けを見送る琉夏が、ここではない何処かに意識を飛ばしつつ口を開く。
琥一に話しかけているくせに、彼は自分の反応など欠片も求めていない。むしろそれは独り言に近いかもしれない。
呼びかけておいて黙り込んだ弟をじっと見詰める。
今の彼は、地に足がついていないように見え、少しだけ心配だった。
それもこれも原因はハッキリしている。
琉夏が定まらない目で遠くを見るのも、自分の心が何故か波打ち落ち着かないのも、一人の少女の所為だった。
大迫から聞いたらしく、学校をサボってまで見舞いに来た冬姫。
琉夏も琥一も教えるつもりはなかったので、彼女の登場に心底驚いた。
知った彼女が心配するのは目に見えていたし、傷だらけでお説教は勘弁してもらいたかったが、それも仕方ないと睨みつけてくる大きな黒みがかった瞳に覚悟を決めたのに、冬姫は想像していなかった行動に出た。
涙腺が決壊したように、大粒の涙をぼろぼろと零すという暴挙に出たのだ。
涙を拭こうと伸ばした腕は拒絶され、泣いてる彼女をただ見ているだけしか出来ないのには心底参った。
それこそ殴られてあちこち痛む体より、心の方が締め付けられるように痛かった。
一緒に映画を見たり、本を読んでいて泣いたりするのは幾度も見てきたけれど、泣かせたのは初めてだった。
華奢な体を縮めて泣き顔を隠さず、唇を微かに噛み締めてそれでも堪えきれないと涙を零す生き物が、愛しくて仕方なかった。
溢れる感情に蓋は出来ず、泣いてる彼女が恋しかった。
「俺さ、凄い酷い奴だ」
もう、何も言わないかと思えるくらい間を空けて、琉夏がポツリと呟いた。
どうやら話は先ほどから続いているらしく、窓の外を見たままだった弟は、琥一へと視線を向けた。
夕日に照らされた表情は今にも泣き出しそうで、なのに切なく喜びを湛えていた。
「俺、冬姫が泣いてくれて、可哀想だと思ったのに、悪いと心から思ったのに、でも凄く嬉しかった。───俺たちのために泣いてくれるのが、嬉しくて仕方なかったんだ」
敬謙なクリスチャンが懺悔するときはきっとこんな顔をしているのかもしれない。
琉夏は、涙を零さず泣いている。
琥一は、黙ってそれを眺めた。
「俺はやったことに後悔してない。何度選択肢があっても何度だって同じことを選ぶ。───でも、もう冬姫は絶対にあんな顔で泣かせたりしない」
ベッドの上で足を伸ばし、病院用のパジャマの胸をぎゅっと掴んだ。
神ではなく、仏でもなく、きっとそれは、冬姫にだけ向けた宣誓に違いない。
静かに決意を固めた琉夏に、琥一も頷いた。
「ああ。・・・俺もだ」
悲しみと苦しさで顔を一杯にして、静かに涙を零した彼女へ琥一も懺悔する。
彼とて弟と同じだった。
切ないと悲しいと疼く胸の奥では、自分たちのために涙を零す少女への歓喜が紛れもなく存在していた。
琉夏と同じように夕日を見詰める。
きっと彼女はそろそろ家に着いた頃だろう。
その頬を涙が濡らしていないか、それだけがとても心配だった。
病室の窓から夕焼けを見送る琉夏が、ここではない何処かに意識を飛ばしつつ口を開く。
琥一に話しかけているくせに、彼は自分の反応など欠片も求めていない。むしろそれは独り言に近いかもしれない。
呼びかけておいて黙り込んだ弟をじっと見詰める。
今の彼は、地に足がついていないように見え、少しだけ心配だった。
それもこれも原因はハッキリしている。
琉夏が定まらない目で遠くを見るのも、自分の心が何故か波打ち落ち着かないのも、一人の少女の所為だった。
大迫から聞いたらしく、学校をサボってまで見舞いに来た冬姫。
琉夏も琥一も教えるつもりはなかったので、彼女の登場に心底驚いた。
知った彼女が心配するのは目に見えていたし、傷だらけでお説教は勘弁してもらいたかったが、それも仕方ないと睨みつけてくる大きな黒みがかった瞳に覚悟を決めたのに、冬姫は想像していなかった行動に出た。
涙腺が決壊したように、大粒の涙をぼろぼろと零すという暴挙に出たのだ。
涙を拭こうと伸ばした腕は拒絶され、泣いてる彼女をただ見ているだけしか出来ないのには心底参った。
それこそ殴られてあちこち痛む体より、心の方が締め付けられるように痛かった。
一緒に映画を見たり、本を読んでいて泣いたりするのは幾度も見てきたけれど、泣かせたのは初めてだった。
華奢な体を縮めて泣き顔を隠さず、唇を微かに噛み締めてそれでも堪えきれないと涙を零す生き物が、愛しくて仕方なかった。
溢れる感情に蓋は出来ず、泣いてる彼女が恋しかった。
「俺さ、凄い酷い奴だ」
もう、何も言わないかと思えるくらい間を空けて、琉夏がポツリと呟いた。
どうやら話は先ほどから続いているらしく、窓の外を見たままだった弟は、琥一へと視線を向けた。
夕日に照らされた表情は今にも泣き出しそうで、なのに切なく喜びを湛えていた。
「俺、冬姫が泣いてくれて、可哀想だと思ったのに、悪いと心から思ったのに、でも凄く嬉しかった。───俺たちのために泣いてくれるのが、嬉しくて仕方なかったんだ」
敬謙なクリスチャンが懺悔するときはきっとこんな顔をしているのかもしれない。
琉夏は、涙を零さず泣いている。
琥一は、黙ってそれを眺めた。
「俺はやったことに後悔してない。何度選択肢があっても何度だって同じことを選ぶ。───でも、もう冬姫は絶対にあんな顔で泣かせたりしない」
ベッドの上で足を伸ばし、病院用のパジャマの胸をぎゅっと掴んだ。
神ではなく、仏でもなく、きっとそれは、冬姫にだけ向けた宣誓に違いない。
静かに決意を固めた琉夏に、琥一も頷いた。
「ああ。・・・俺もだ」
悲しみと苦しさで顔を一杯にして、静かに涙を零した彼女へ琥一も懺悔する。
彼とて弟と同じだった。
切ないと悲しいと疼く胸の奥では、自分たちのために涙を零す少女への歓喜が紛れもなく存在していた。
琉夏と同じように夕日を見詰める。
きっと彼女はそろそろ家に着いた頃だろう。
その頬を涙が濡らしていないか、それだけがとても心配だった。
大きな黒目がちの瞳が潤むのに昔から弱かった。
今、長い睫毛に彩られた瞳は涙を湛え、ほろほろと零れ落ちていく。
大粒の涙が頬を伝い、コンクリートへと痕を作った。
静かに涙を流す少女を、琉夏と琥一は呆然と眺める。
彼女が泣いているのを見たのは初めてではないが、彼女を泣かせるのは初めてだった。
言い合いをしても、喧嘩をしても、いつも、どんな時も、泣きそうになっても泣かない女だったから、こんな涙腺が崩壊したように泣き濡らすと思っていなかったのだ。
「・・・冬姫?」
無意識に呟いたらしい琥一が、彼女へと腕を伸ばすも、身を捩って避けられた。
慰められるどころか触れられることすら拒絶する彼女の涙は止まらない。
どうにかして止めなければと思うのに、どうすれば泣き止むのか見当がつかなかった。
これがどうでもいい女なら、適当なことを言って簡単に泣き止ませるれるのに、何故彼女だと上手く行かないのだろう。
その理由は単純であり明確だが、それでももどかしい気持ちはなくならない。
声を殺し華奢な体を縮めて泣く姿に、胸が切なく締め付けられた。
「泣かないで、冬姫」
腕を伸ばそうとして、出来ないのに気がついた。
片方は包帯でつるされ、片方は松葉杖を持っている。
琥一は琉夏ほど酷くないけど、拒絶されたのに躊躇して腕を伸ばす勇気がもてないらしい。
いつもよりも深く刻まれた眉間の皺に、困ったように眇められた瞳。
兄の情けない姿は、琉夏と鏡写しのものだ。
「冬姫」
「・・・泣くな、冬姫」
手を差し伸べたいけど出来なくて、月並みな言葉を二人で繰り返す。
けれど首を振った彼女は、距離を置いたままただ涙を零した。
体よりも心が痛む切ない泣き方。
苦しい、悲しいと心が啼く。
「・・・お願いだから」
何分経ったか判らない頃、涙を止めぬまま漸く唇を開いた冬姫は、真っ直ぐな眼差しで兄弟を見た。
「お願いだから、無茶をしないで」
つっかえつっかえに告げられる言葉。
嗚咽交じりのそれは、哀れなほどに震えている。
言葉の意味を理解すると、琉夏は琥一を見上げた。
同じように見下ろしていた琥一と視線が合い、もう一度冬姫へ視線を戻す。
最後と決めてかかった与太高とのいざこざ。
受けた傷は少なくなかったけれど、これで落ち着くなら儲けものだと安易に考えていた。
それはきっと琥一も同じだろう。
彼も琉夏も、殴られている最中、小さく歌を口ずさむほど心には余裕があったのだから。
これが終われば、冬姫に心配をかけなくて済むと思っていた。
実際、先を考えれば、やった事に後悔はない。
それなのに、傷ついた二人を見て、冬姫はほろほろと涙を零す。
傷つかないで、無茶をしないで、と。
そんな人間、両親以外に誰もいなかった。
無茶をするのが桜井兄弟で、それに憧れてると告げる馬鹿もいたくらいだった。
なのに、高校になって初めて病院へ通わねばならぬほどの大怪我をした時、彼らの幼馴染は身も世もなく泣きじゃくる。
耐え切れないと肩を震わせ、泣き顔を隠すこともせずに。
「もう、無茶はしねぇよ」
「約束する。俺も、コウも」
「だから」
「頼むから」
『泣くな』
自分たちの声が聞こえているはずなのに、冬姫はただ涙を流す。
幼馴染が流す涙を罪深いほど嬉しいと感じる自分が、心から哀しい。
今、長い睫毛に彩られた瞳は涙を湛え、ほろほろと零れ落ちていく。
大粒の涙が頬を伝い、コンクリートへと痕を作った。
静かに涙を流す少女を、琉夏と琥一は呆然と眺める。
彼女が泣いているのを見たのは初めてではないが、彼女を泣かせるのは初めてだった。
言い合いをしても、喧嘩をしても、いつも、どんな時も、泣きそうになっても泣かない女だったから、こんな涙腺が崩壊したように泣き濡らすと思っていなかったのだ。
「・・・冬姫?」
無意識に呟いたらしい琥一が、彼女へと腕を伸ばすも、身を捩って避けられた。
慰められるどころか触れられることすら拒絶する彼女の涙は止まらない。
どうにかして止めなければと思うのに、どうすれば泣き止むのか見当がつかなかった。
これがどうでもいい女なら、適当なことを言って簡単に泣き止ませるれるのに、何故彼女だと上手く行かないのだろう。
その理由は単純であり明確だが、それでももどかしい気持ちはなくならない。
声を殺し華奢な体を縮めて泣く姿に、胸が切なく締め付けられた。
「泣かないで、冬姫」
腕を伸ばそうとして、出来ないのに気がついた。
片方は包帯でつるされ、片方は松葉杖を持っている。
琥一は琉夏ほど酷くないけど、拒絶されたのに躊躇して腕を伸ばす勇気がもてないらしい。
いつもよりも深く刻まれた眉間の皺に、困ったように眇められた瞳。
兄の情けない姿は、琉夏と鏡写しのものだ。
「冬姫」
「・・・泣くな、冬姫」
手を差し伸べたいけど出来なくて、月並みな言葉を二人で繰り返す。
けれど首を振った彼女は、距離を置いたままただ涙を零した。
体よりも心が痛む切ない泣き方。
苦しい、悲しいと心が啼く。
「・・・お願いだから」
何分経ったか判らない頃、涙を止めぬまま漸く唇を開いた冬姫は、真っ直ぐな眼差しで兄弟を見た。
「お願いだから、無茶をしないで」
つっかえつっかえに告げられる言葉。
嗚咽交じりのそれは、哀れなほどに震えている。
言葉の意味を理解すると、琉夏は琥一を見上げた。
同じように見下ろしていた琥一と視線が合い、もう一度冬姫へ視線を戻す。
最後と決めてかかった与太高とのいざこざ。
受けた傷は少なくなかったけれど、これで落ち着くなら儲けものだと安易に考えていた。
それはきっと琥一も同じだろう。
彼も琉夏も、殴られている最中、小さく歌を口ずさむほど心には余裕があったのだから。
これが終われば、冬姫に心配をかけなくて済むと思っていた。
実際、先を考えれば、やった事に後悔はない。
それなのに、傷ついた二人を見て、冬姫はほろほろと涙を零す。
傷つかないで、無茶をしないで、と。
そんな人間、両親以外に誰もいなかった。
無茶をするのが桜井兄弟で、それに憧れてると告げる馬鹿もいたくらいだった。
なのに、高校になって初めて病院へ通わねばならぬほどの大怪我をした時、彼らの幼馴染は身も世もなく泣きじゃくる。
耐え切れないと肩を震わせ、泣き顔を隠すこともせずに。
「もう、無茶はしねぇよ」
「約束する。俺も、コウも」
「だから」
「頼むから」
『泣くな』
自分たちの声が聞こえているはずなのに、冬姫はただ涙を流す。
幼馴染が流す涙を罪深いほど嬉しいと感じる自分が、心から哀しい。
「・・・やめてよ!」
聞こえた声に琥一に向いていた視線を彷徨わせる。
一流大学の校門の壁に凭れていた琥一は、不機嫌そうに眉を寄せた。そうすると、髪型も相俟ってちょっと一般人には見えない。
普段なら笑ってやるところだが、琉夏もきっと人のことを言えない顔になっているに違いない。
「やめてって言ってるでしょ!」
今度は先程よりももう少しはっきりと聞こえた。
声の主には嫌というほど心当たりがあり、こんな風に荒げている場面を幾度か見たことがあるので状況はすぐに把握できた。
だが把握できたからといって慣れるわけではない。苛立ち舌打すると、壁から背を離した琥一が先に動いた。
ちらり、と視線を寄越してきた彼に小さく頷くと、ポケットに手を入れて歩く。少しだけ気だるげに、けど雰囲気は険悪に。ここら辺は昔取った杵柄で簡単に行えた。
見据える先には一人の華奢な女性と、彼女を囲う数人の男。
いかにもチャラ男系の奴らに、頭は良くても馬鹿な奴はやっぱりいるんだなとどこか冷静な頭で考えた。
今日の冬姫の装いは女の子らしいガーリーな装いだ。きっと大学の構内で勉強している彼女は、知的で大人しい美女に見えたことだろう。
だがその中身は意外と苛烈で意地っ張りであると、琉夏も琥一も知っている。
ナンパも嫌いだし、そもそも見知らぬ人間に馴れ馴れしくされるのも嫌いな冬姫だ。今の表情だって嫌悪をあれだけ前面に出しているのに、男たちは何故気がつかないのだろう。
冬姫に触れる男たちにも、それを見て見ぬ振りして通り過ぎる人達にも苛立ちを抱きながら琉夏は歩を進めた。
隣に立つ琥一は先ほどから一切口を開いていないが、隣に居る琉夏にまで怒気が伝わってきて、止まれるかな?とちらりと脳裏に過ぎったが、手段を考える前に冬姫の傍までついてしまった。
男たちに体を向けている冬姫は、まだこちらに気づいていない。
「だから、私には予定があるの。幼馴染と一緒にご飯を食べに行くんだから!」
「なら、その幼馴染も一緒でいいって」
「そうそう。そっちの方が合コンも盛り上がるだろうしー」
「・・・だってさ、コウ。どうする?」
「そうだな。もちろん、テメェらの奢りなんだろうな?」
「・・・え?」
振り返ろうとした冬姫の肩に腕を置き、所有を主張する。琥一の長い腕は、彼女の腰へと回っていた。
冬姫を見てニヤニヤと笑っていた男たちは、漸く二人の存在に気がついたらしく、大きく目を見開いている。
間抜け面、とぼそりと呟けば、元々見れたもんじゃねえだろと即効で帰ってきて、そうだねと肩を竦めた。
「琉夏君、琥一君」
首を逸らして顔を上げた冬姫が、琉夏と琥一を認めてホッと息を漏らした。
腕に掛かる重さが増し、身を預けた冬姫を護るように二人は前に出る。
すると怯えたように男たちは一歩後ろへ下がると、震える声を発した。
「・・・も、もしかして桜井兄弟?」
「桜井兄弟?何だそれ?」
「有名なのか?」
「知らないなら黙ってろよ!」
「え?桜井兄弟って、あの桜井兄弟?」
ぼそぼそと聞こえる声に、にんまりと笑う。悪名を知っていた輩が居てくれてとても嬉しい。これで簡単に厄介払いが出来る。
視線だけで隣を見れば、同じような表情をした兄と目が合った。それだけで意思疎通が出来、結論は簡単に出る。
「桜井兄弟がどれを言ってんのかしらねぇが、ピアスの桜井兄弟なら俺らだな」
「今となったら少しばかり恥ずかしい呼び名だけどね。───前より大人しくなったつもりだったけど、大切な幼馴染に手を出されたら昔のヤンチャ時代が懐かしくなってくるな。ねぇ、コウ」
「そうだな。俺ら、自分のもんに手を出されるの嫌いだしなぁ」
ゆったりとした口調でわざとらしく告げる。腕の中の冬姫の体がぴくり、と震えたがそれ以上の反応はなかった。
聡い彼女はどういうつもりでの発言か悟ってくれたようだが、それでもきっとあとで怒られるかもしれない。何しろ、今の発言で彼女へアプローチをかける男は激減したに違いないから。
自分たちとしてはいい虫除けだと思うが、大学で彼氏を作るつもりだったのなら諦めてもらうしかない。もっとも、そんな暴挙は最初から許す気はないけど。
「どうする?ルカ」
「どうしようか?」
「すすすす、すんませんでした!」
自分たちを知っていたらしい一人の男が回れ右をして駆け出す。それを唖然と見送った残りのメンバーも、その勢いに釣られてわれ先にと走り出した。
「うーわ。蜘蛛の子を散らしたみたいだな。コウが怖い顔をするからだ」
「何言ってやがる。お前だって相当だったろうが」
追い払われた悪い虫を眺めていると、不意に腕に激痛が走った。
「いてぇ!」
「イタっ」
兄も同じタイミングで声を発し、視線を落とせば腕の上に小さな白い掌。ぎゅぎゅと抓られる腕に、情けなく眉を下げる。
「腕、放して。まだギャラリーは居るんだよ」
「判ってるって。ねぇ、コウ」
「おう。だから、やってんだ」
「もう!二人とも」
ぷくっと頬を膨らませて口癖を出した幼馴染に、痛む腕をそのままにクスクスと笑う。変わらないこの子がとても愛しい。
他の誰かに譲るなど、一切考えられないほどに。
「怒るなよ、冬姫。飯、食いに行くんだろう?」
「今日はバイキングだから食べ放題だよ。ソフトクリーム自分で作れるんだって。凄くない?」
「それは凄いけど。・・・でも、このままじゃ歩けないよ」
「そうか?」
「そうかな?」
「そうだよ!もう、早く放して」
ぎろり、と睨みつけられてこれ以上機嫌が悪くならない内にと、渋々手を放す。
慌てて距離を取った冬姫が周りを見渡せば、数人のギャラリーはすぐさま散った。きっと週末の休みを挟んだ月曜日には、噂は尾ひれをつけて出回っているに違いない。
眉間に皺を寄せてため息を吐いた冬姫は、恨めしそうな視線を向けてくるが口笛を吹いて視線を逸らす。
もう一度ため息が聞こえ視線を戻すと、仕方がないと艶やかな苦笑を見せた冬姫は二人の手をきゅっと握った。
「な!?」
自分から無意識にするならともかく、相手からの接触に弱い琥一が声を上げ手を引こうとするが、寸前で動きが止まる。
強面を赤く染め、どうしたものかと眉を下げる姿は、言ってしまうと可愛らしい。
琉夏は琥一よりももう少し素直だったので、握られた手をすぐさま握り返した。
「助けてくれてありがとう。二人とも、王子様みたいだったよ」
悪戯っぽく告げられ、琥一は目を伏せ、琉夏は笑った。
二人の大事なお姫様を真ん中にして、手を繋いで歩くのはとても気分がいいものだった。
聞こえた声に琥一に向いていた視線を彷徨わせる。
一流大学の校門の壁に凭れていた琥一は、不機嫌そうに眉を寄せた。そうすると、髪型も相俟ってちょっと一般人には見えない。
普段なら笑ってやるところだが、琉夏もきっと人のことを言えない顔になっているに違いない。
「やめてって言ってるでしょ!」
今度は先程よりももう少しはっきりと聞こえた。
声の主には嫌というほど心当たりがあり、こんな風に荒げている場面を幾度か見たことがあるので状況はすぐに把握できた。
だが把握できたからといって慣れるわけではない。苛立ち舌打すると、壁から背を離した琥一が先に動いた。
ちらり、と視線を寄越してきた彼に小さく頷くと、ポケットに手を入れて歩く。少しだけ気だるげに、けど雰囲気は険悪に。ここら辺は昔取った杵柄で簡単に行えた。
見据える先には一人の華奢な女性と、彼女を囲う数人の男。
いかにもチャラ男系の奴らに、頭は良くても馬鹿な奴はやっぱりいるんだなとどこか冷静な頭で考えた。
今日の冬姫の装いは女の子らしいガーリーな装いだ。きっと大学の構内で勉強している彼女は、知的で大人しい美女に見えたことだろう。
だがその中身は意外と苛烈で意地っ張りであると、琉夏も琥一も知っている。
ナンパも嫌いだし、そもそも見知らぬ人間に馴れ馴れしくされるのも嫌いな冬姫だ。今の表情だって嫌悪をあれだけ前面に出しているのに、男たちは何故気がつかないのだろう。
冬姫に触れる男たちにも、それを見て見ぬ振りして通り過ぎる人達にも苛立ちを抱きながら琉夏は歩を進めた。
隣に立つ琥一は先ほどから一切口を開いていないが、隣に居る琉夏にまで怒気が伝わってきて、止まれるかな?とちらりと脳裏に過ぎったが、手段を考える前に冬姫の傍までついてしまった。
男たちに体を向けている冬姫は、まだこちらに気づいていない。
「だから、私には予定があるの。幼馴染と一緒にご飯を食べに行くんだから!」
「なら、その幼馴染も一緒でいいって」
「そうそう。そっちの方が合コンも盛り上がるだろうしー」
「・・・だってさ、コウ。どうする?」
「そうだな。もちろん、テメェらの奢りなんだろうな?」
「・・・え?」
振り返ろうとした冬姫の肩に腕を置き、所有を主張する。琥一の長い腕は、彼女の腰へと回っていた。
冬姫を見てニヤニヤと笑っていた男たちは、漸く二人の存在に気がついたらしく、大きく目を見開いている。
間抜け面、とぼそりと呟けば、元々見れたもんじゃねえだろと即効で帰ってきて、そうだねと肩を竦めた。
「琉夏君、琥一君」
首を逸らして顔を上げた冬姫が、琉夏と琥一を認めてホッと息を漏らした。
腕に掛かる重さが増し、身を預けた冬姫を護るように二人は前に出る。
すると怯えたように男たちは一歩後ろへ下がると、震える声を発した。
「・・・も、もしかして桜井兄弟?」
「桜井兄弟?何だそれ?」
「有名なのか?」
「知らないなら黙ってろよ!」
「え?桜井兄弟って、あの桜井兄弟?」
ぼそぼそと聞こえる声に、にんまりと笑う。悪名を知っていた輩が居てくれてとても嬉しい。これで簡単に厄介払いが出来る。
視線だけで隣を見れば、同じような表情をした兄と目が合った。それだけで意思疎通が出来、結論は簡単に出る。
「桜井兄弟がどれを言ってんのかしらねぇが、ピアスの桜井兄弟なら俺らだな」
「今となったら少しばかり恥ずかしい呼び名だけどね。───前より大人しくなったつもりだったけど、大切な幼馴染に手を出されたら昔のヤンチャ時代が懐かしくなってくるな。ねぇ、コウ」
「そうだな。俺ら、自分のもんに手を出されるの嫌いだしなぁ」
ゆったりとした口調でわざとらしく告げる。腕の中の冬姫の体がぴくり、と震えたがそれ以上の反応はなかった。
聡い彼女はどういうつもりでの発言か悟ってくれたようだが、それでもきっとあとで怒られるかもしれない。何しろ、今の発言で彼女へアプローチをかける男は激減したに違いないから。
自分たちとしてはいい虫除けだと思うが、大学で彼氏を作るつもりだったのなら諦めてもらうしかない。もっとも、そんな暴挙は最初から許す気はないけど。
「どうする?ルカ」
「どうしようか?」
「すすすす、すんませんでした!」
自分たちを知っていたらしい一人の男が回れ右をして駆け出す。それを唖然と見送った残りのメンバーも、その勢いに釣られてわれ先にと走り出した。
「うーわ。蜘蛛の子を散らしたみたいだな。コウが怖い顔をするからだ」
「何言ってやがる。お前だって相当だったろうが」
追い払われた悪い虫を眺めていると、不意に腕に激痛が走った。
「いてぇ!」
「イタっ」
兄も同じタイミングで声を発し、視線を落とせば腕の上に小さな白い掌。ぎゅぎゅと抓られる腕に、情けなく眉を下げる。
「腕、放して。まだギャラリーは居るんだよ」
「判ってるって。ねぇ、コウ」
「おう。だから、やってんだ」
「もう!二人とも」
ぷくっと頬を膨らませて口癖を出した幼馴染に、痛む腕をそのままにクスクスと笑う。変わらないこの子がとても愛しい。
他の誰かに譲るなど、一切考えられないほどに。
「怒るなよ、冬姫。飯、食いに行くんだろう?」
「今日はバイキングだから食べ放題だよ。ソフトクリーム自分で作れるんだって。凄くない?」
「それは凄いけど。・・・でも、このままじゃ歩けないよ」
「そうか?」
「そうかな?」
「そうだよ!もう、早く放して」
ぎろり、と睨みつけられてこれ以上機嫌が悪くならない内にと、渋々手を放す。
慌てて距離を取った冬姫が周りを見渡せば、数人のギャラリーはすぐさま散った。きっと週末の休みを挟んだ月曜日には、噂は尾ひれをつけて出回っているに違いない。
眉間に皺を寄せてため息を吐いた冬姫は、恨めしそうな視線を向けてくるが口笛を吹いて視線を逸らす。
もう一度ため息が聞こえ視線を戻すと、仕方がないと艶やかな苦笑を見せた冬姫は二人の手をきゅっと握った。
「な!?」
自分から無意識にするならともかく、相手からの接触に弱い琥一が声を上げ手を引こうとするが、寸前で動きが止まる。
強面を赤く染め、どうしたものかと眉を下げる姿は、言ってしまうと可愛らしい。
琉夏は琥一よりももう少し素直だったので、握られた手をすぐさま握り返した。
「助けてくれてありがとう。二人とも、王子様みたいだったよ」
悪戯っぽく告げられ、琥一は目を伏せ、琉夏は笑った。
二人の大事なお姫様を真ん中にして、手を繋いで歩くのはとても気分がいいものだった。
いつもより少し遅い時間。
別に待ち合わせをしてるわけではないけれど、教会までの子供にとっては短くない距離を琥一は疾走していた。
約束なんてしていない。
家はそれほど遠くないけれど、学区が違う彼女とは学校が違うから、だから仕方ないと心の内で小さく呟く。それは誰に対する言い訳かわかっていたけれど、琥一は敢えて目を瞑る。
幾つかの曲がり角を曲がれば、漸く目的地が見えてきた。
上下する肩を落ち着けさせるために足を止め深呼吸を繰り返す。額から滲み出る汗を拭うと、秘密の入り口へと足を踏み入れた。
サクラソウの季節も終わってしまったその場所は、瑞々しい緑が広がる。さくさくと音を立てて分け入ると、小さな花が咲き乱れる場所に少女は一人ぽつんと座り込んでいた。
「おい」
「!コウ君!」
一人で花を摘んでいた少女───冬姫は、顔を上げると嬉しそうにぱっと顔を輝かせて微笑む。
学校ではガキ大将である琥一を見てこんなに全開な笑顔を向けてくる女はいないから比較できないが、こんなに綺麗に笑う少女はおそらくクラス内にはいないだろう。
大人しく綺麗な顔をした琉夏と二人で並ぶと、まるで人形のように可愛らしい。以前冬姫をつれて家に帰った際、母親がまあまあと頬を染めてカメラを持参する程度には、しっくりと来ている。
そこまで考えて何となく苦々しい気持ちになり、舌打すると冬姫へと距離を詰めた。
「今日は、ルカは来ないんだ」
「・・・?どうして?」
「ルカは風邪を引いたんだ。今、家で母さんが面倒見てる。俺は、移るといけないからって家を追い出された」
「そう」
悲しそうに冬姫の眉が下がる。
それを見て琥一は掌を握り締めた。
判っているはずだった。冬姫は琉夏と遊ぶのが好きで、琥一はそのおまけに過ぎない。
誰にも執着しない琉夏が唯一傍にと望む相手。伸ばされた手を冬姫はいつも躊躇なく掴んだ。
いつの間にか琥一と琉夏の間に入り込んでいた少女は、いつの間にか弟の特別になっていた。否、気づかなかっただけで、それは始めからそうだったのかもしれない。
きゅと唇を噛み締めると、近づいた距離から一歩離れる。
何となくこれ以上近づいてはいけない気がして、二歩、三歩と距離を置いた。
だがそんな琥一を不思議そうに眺めた冬姫は、こてりと首を傾げる。
「コウ君?」
「・・・だから、ここで待ってても、今日はルカは来ないからな」
「うん。判った。じゃあ、今日は二人で何しようか」
サクランボのようにぷくりと赤い唇から出た言葉に、琥一は目を見張った。
驚き動けないでいると焦れたのか、座っていた場所から立ち上がると、広げたばかりの距離を呆気なく縮められる。無くなっていくそれを黙ってみていた琥一は、自分よりもさらに小さな柔らかい掌に手を握られ、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。
女の子どころか男ですら怖がる琥一の手を掴んだ少女は、無邪気に微笑み優しく引っ張る。
迷いも躊躇いもない仕草に戸惑いを覚えたが、逆らうなんて出来なくて、他の人間に対してだったらあっさりと振り払えるはずの掌をじっと見詰めた。
「そうだ!ルカ君に花を持っていってあげようよ」
「花?」
「お見舞いの時には花を贈るものなんだよ。ねぇ、一緒に摘もう」
普段琥一がする遊びには耐えられなさそうな小さな体。
運動神経は悪くないが、少女はやはり自分とは違う生き物だった。
「ルカ君はどんな花が好きかな」
にこにこと微笑む冬姫からの話題は、いつもと変わらず琉夏のものだったけれど、それは当然で必要なことだった。
「───お前が贈るなら、何だっていいだろ」
握られた掌に少し力を入れて告げれば、丸い目を益々丸くした少女は、次いで大きく破顔した。
「ふふふ。私と、コウ君からなら、だよ」
仕方がないなと言わんばかりの表情で人差し指を振った冬姫の勝ち誇った顔に苦笑する。
ばぁかと言い指先で額を弾けば、恨めしそうに見上げられた。
小さな掌を握ったまま花を探す。
随分と暑くなった気温で、額に汗が滲んだ。
もうすぐ、夏が来る。
別に待ち合わせをしてるわけではないけれど、教会までの子供にとっては短くない距離を琥一は疾走していた。
約束なんてしていない。
家はそれほど遠くないけれど、学区が違う彼女とは学校が違うから、だから仕方ないと心の内で小さく呟く。それは誰に対する言い訳かわかっていたけれど、琥一は敢えて目を瞑る。
幾つかの曲がり角を曲がれば、漸く目的地が見えてきた。
上下する肩を落ち着けさせるために足を止め深呼吸を繰り返す。額から滲み出る汗を拭うと、秘密の入り口へと足を踏み入れた。
サクラソウの季節も終わってしまったその場所は、瑞々しい緑が広がる。さくさくと音を立てて分け入ると、小さな花が咲き乱れる場所に少女は一人ぽつんと座り込んでいた。
「おい」
「!コウ君!」
一人で花を摘んでいた少女───冬姫は、顔を上げると嬉しそうにぱっと顔を輝かせて微笑む。
学校ではガキ大将である琥一を見てこんなに全開な笑顔を向けてくる女はいないから比較できないが、こんなに綺麗に笑う少女はおそらくクラス内にはいないだろう。
大人しく綺麗な顔をした琉夏と二人で並ぶと、まるで人形のように可愛らしい。以前冬姫をつれて家に帰った際、母親がまあまあと頬を染めてカメラを持参する程度には、しっくりと来ている。
そこまで考えて何となく苦々しい気持ちになり、舌打すると冬姫へと距離を詰めた。
「今日は、ルカは来ないんだ」
「・・・?どうして?」
「ルカは風邪を引いたんだ。今、家で母さんが面倒見てる。俺は、移るといけないからって家を追い出された」
「そう」
悲しそうに冬姫の眉が下がる。
それを見て琥一は掌を握り締めた。
判っているはずだった。冬姫は琉夏と遊ぶのが好きで、琥一はそのおまけに過ぎない。
誰にも執着しない琉夏が唯一傍にと望む相手。伸ばされた手を冬姫はいつも躊躇なく掴んだ。
いつの間にか琥一と琉夏の間に入り込んでいた少女は、いつの間にか弟の特別になっていた。否、気づかなかっただけで、それは始めからそうだったのかもしれない。
きゅと唇を噛み締めると、近づいた距離から一歩離れる。
何となくこれ以上近づいてはいけない気がして、二歩、三歩と距離を置いた。
だがそんな琥一を不思議そうに眺めた冬姫は、こてりと首を傾げる。
「コウ君?」
「・・・だから、ここで待ってても、今日はルカは来ないからな」
「うん。判った。じゃあ、今日は二人で何しようか」
サクランボのようにぷくりと赤い唇から出た言葉に、琥一は目を見張った。
驚き動けないでいると焦れたのか、座っていた場所から立ち上がると、広げたばかりの距離を呆気なく縮められる。無くなっていくそれを黙ってみていた琥一は、自分よりもさらに小さな柔らかい掌に手を握られ、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。
女の子どころか男ですら怖がる琥一の手を掴んだ少女は、無邪気に微笑み優しく引っ張る。
迷いも躊躇いもない仕草に戸惑いを覚えたが、逆らうなんて出来なくて、他の人間に対してだったらあっさりと振り払えるはずの掌をじっと見詰めた。
「そうだ!ルカ君に花を持っていってあげようよ」
「花?」
「お見舞いの時には花を贈るものなんだよ。ねぇ、一緒に摘もう」
普段琥一がする遊びには耐えられなさそうな小さな体。
運動神経は悪くないが、少女はやはり自分とは違う生き物だった。
「ルカ君はどんな花が好きかな」
にこにこと微笑む冬姫からの話題は、いつもと変わらず琉夏のものだったけれど、それは当然で必要なことだった。
「───お前が贈るなら、何だっていいだろ」
握られた掌に少し力を入れて告げれば、丸い目を益々丸くした少女は、次いで大きく破顔した。
「ふふふ。私と、コウ君からなら、だよ」
仕方がないなと言わんばかりの表情で人差し指を振った冬姫の勝ち誇った顔に苦笑する。
ばぁかと言い指先で額を弾けば、恨めしそうに見上げられた。
小さな掌を握ったまま花を探す。
随分と暑くなった気温で、額に汗が滲んだ。
もうすぐ、夏が来る。
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