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「上だ、有人!!」
今まさに試合再開のホイッスルを審判が吹き鳴らそうとした瞬間、試合へ集中した意識を逸らすよう叫び声が聞こえた。
驚き咄嗟に上を見上げ、そこで見つけたものに体が凍りつく。
判っていたのに、どうして忘れてしまっていたのか。
ここ最近の影山の動向を見張り、調べ上げ警戒していたのは、こういった事態を予測していたからではないか。
雷門のサッカーに心動かされ、影山のサッカーを、行動を危ぶんでいたのではなかったのか。
センターサークルへ向けて容赦なく降り注ぐ鉄骨にぐっと唇を噛みしめ、全力でダッシュする。
そしてセンターライン付近に居た仲間に二人を体当たりして弾き飛ばし、来るべき衝撃へ体を強張らせた。
「諦めてんじゃねぇよ」
「っ!?」
聞こえた声に瞑っていた目を大きく見開く。
目の前に居た姿に息を呑み、構えるまもなく弾き飛ばされた。
「───!!?姉さん!!」
体を包む黄金色の掌に強引に押し出される感覚のまま地面に転がり、身を起こして正面を向く。
土煙の上がる中落ちてきた鉄骨は雷門側に多く落ちていたらしく、土煙で視界が取れない。
信じられなかった。
「円堂!」
「円堂!?」
「何故、自分からセンターサークルへ行ったんだ!俺たちに危険を促したのは、お前だろう!!」
この騒ぎの中でも怪我人一つでなかったらしい雷門イレブンの叫びが聞こえた。
どうやら『姉』は何らかの理由で影山の行動を予期し、仲間に危険を告げていたのだろう。
センターサークル付近以外には影響がなかったこちらとはちがい、雷門イレブンは全員がタッチライン付近まで非難している。
ならば何故、と尚更疑問が沸く。
どうして鬼道を助けたのか。
彼女は自分を押し出す瞬間、昔よく見た笑顔を浮かべていた。
甘ったれな『弟』に苦笑する、『姉』の表情をしていた。
『有人』を捨てたのに、どうして。
「く・・・くくく・・・はーっはっは!相変わらずだな、守!お前はいつだって弟のためなら何でもした。未だにその甘さは残っていたか!」
「・・・総・・・帥?」
「教えてやろう、鬼道。二年前、お前の姉であった『鬼道守』は交通事故に合い一月の間意識を取り戻さぬ重症に陥った。その間にお前の父である鬼道に最新の治療を受けれるよう渡米を促したのは私だ。意識を取り戻した守に待っていたのは、二度とサッカーは出来ないという宣告。そう、お前は努力などしなくとも、もうとうにお前の『姉』を超えていたのだ!」
「姉さんが・・・サッカーを、出来ない・・・?」
言われた言葉の意味が理解できなかった。
『有人』の姉の『守』は、サッカーをするために生まれてきたような人だ。
サッカーの神様に愛され、溢れんばかりの才能を有し、誰よりも早く、誰よりも凄く、誰よりもサッカーを愛していた。
その『守』が。
「二度と、サッカーが出来ない?」
「そうだ、鬼道!お前の姉『鬼道守』が居なくなってから、一度として探そうとしない父をおかしいと思わなかったのか?お前に何を言われても沈黙を通したその意味を考えようと思ったことは?仮にも鬼道の娘が居なくなり、周りが何もしなかったのに違和感を感じたことはないのか?お前はいつだって自分のことばかりだな、鬼道。守が居なくなった理由をお前に誰も教えなかったのは、守がサッカーを出来ないという事実にお前が傷つくのを防ぐためだ。誰よりも姉に憧れ近づこうと努力したお前を知る『守本人』が、お前に告げるなと、怨まれるのを承知で父に頼んだからだ。───お前は、いつだって守に護られてたんだよ、鬼道」
「っ!!?」
醜悪な笑顔を浮かべる恩師に、息が止まってしまえばいいのにと喉元を両手で押さえる。
今まで信じていた全てを根底から叩き割られたような衝撃を受けた。
嘘だと否定したいのに、理性がそれを拒絶する。
違和感は常に感じていた。
どうして鬼道家の娘が居なくなったのに財界の人間が騒がないのか。
どうしてあれほど娘を誇りに思っていた父は姉のことを口にしなくなったのか。
どうしてサッカーを愛する姉がサッカー界から去ったのか。
どうして必死に探したのに、二年もの間何の情報も得られなかったのか。
気がつけば全部辻褄は合う。
彼女自身が望み、父や周囲の人間が情報を操作し隠した真実。
「今回の『不幸な事故』に巻き込まれるなど、守もなんと運がないのか。ああ、違うな。自ら走りこんだのか。くくっ・・・必死の想いでリハビリしたのだろうに、本当に愚かな」
「───姉さんを」
「何だ?」
「姉さんを、愚弄するな!!」
「ほう?それをお前が言うのか?誰より守を憎んでいたのはお前だろう、鬼道。真実を知らず、周囲の優しさに甘え、守の苦しみも知らずに自分のことだけを考えて生きてきたお前が、今更『姉さん』と守を呼ぶ権利があるとでも?『鬼道守』は死んだ!鬼道有人、お前のために死んだのだ!!」
心底愉快だと高笑いする影山に一言も言い返せない。
自分は何も知らなかった。知ろうともしなかった。
ただ、彼女に捨てられたと思い込み、憎み怨むことで自我を保ってきた。
そうしなければ、彼女が居ないという現実に耐えられなかった。
だがそれは言い訳でしかない。影山が言うとおり、すべては自分の所為だ。
涙すら流せない絶望に、全身の力が抜けた。
「───っ!?」
「人の弟、苛めるの止めてくれよ」
「守!!?」
呻りを上げたボールが影山のすぐ傍のベンチを破壊すると同時に、冴え冴えとした声が響く。
土煙が晴れた場所で腕を組んで仁王立ちした存在は、鋭い眼差しで影山を睨み付けていた。
普段は明るい笑顔の印象が強いのに、珍しくも酷く怒りを滲ませた表情だ。
びりびりと肌を刺すような怒気に身を竦ませると、組んでいた腕を解いた。
オレンジ色のバンダナを無造作に掴むと手首に巻く。
額が切れたのか血が流れ顎へと伝って、瞳に入らないように右目を眇めていた。
「姉さん!?顔に傷が」
「そんなのどうでもいい。それより、言いたい放題言ってるその男を黙らせるのが先だ。───随分と好き勝手に言ってくれたな、影山。お前の言い草を聞くとまるで有人が俺の不幸の源みたいじゃないか」
「実際その通りだろう、守。私のお前はサッカー以外に執着を持たない強い子供だった。それがなんだ?玩具として与えた弟に執着し、お前は変わってしまった。私が作り上げた最高の作品のお前が、サッカーより他のものを優先させるなど」
「黙れ」
「黙らない。お前は昔に戻らねばならない。一途にサッカーだけを求め、サッカーだけを愛し、私の望みの上を行くお前に」
「黙れって言ってんだよ、クソ野郎」
低くドスを利かせた声を出した彼女は、鬼道を睨みつける影山の視線を遮るように二人の中間地点に入る。
もうほとんど身長も変わらないのに、自分を庇う背中は相変わらず大きく見えた。
何故、と思う。
彼女を憎み、恨み、呪い続けた鬼道を、どうして今になっても庇おうとするのか。
あれほど憎悪をぶつけられ、どうしてそれでも無防備に背中を晒すのか。
「『姉』が『弟』を護るのに理由なんて要らない。俺は有人の正義のヒーローなんだよ。ヒーローってのは最高に格好良くて最強に強いんだ。有人が居てくれたから俺は前より強くなれた。諦めようと思ったサッカーも続けれた。今の俺は昔よりも随分と劣る。それは俺だって認めるさ。けどな、諦める気はねぇよ。サッカーも、有人もな」
「───何故だ。何故お前は私に屈さない。私のサッカーに染まらない。私の・・・私の技術を誰よりも完璧に使いこなすのに、何故私を受け入れない!?」
「言ったろ?俺は俺にしか染まらない。俺は俺のサッカーをする。それはあなたの教えを受けた子供の頃から何も変わらない。・・・そろそろ、お迎えが来る時間だぜ、影山」
「迎え?」
「観念するんだな、影山。今の『不幸な事故』について、聞きたいことがある」
「お前は・・・」
「証拠不十分とは言わせないぞ。残念だが証人が居るんでな。それに、これもある」
「ボルトだと?」
「そこの円堂君が落ちていたものを提出してくれたんだ。天井に何か仕掛けられているかもしれないから、調べてくれとな。たっぷりと聞かせてもらうぞ、四十年分の全てをな」
にいっと笑う男に、鬼道も見覚えがあった。
帝国学園の試合のたびに幾度か顔を見せていた彼は、警察手帳を提示する。
手首に鎖をかけられた影山は大した抵抗もせずに微笑んだ。
視線は鬼道ではなく、真っ直ぐに彼女に向いていた。
そして初めて、彼が自分の最高傑作と豪語する彼女に歪んだ愛情を向けていたのだと気づく。
真っ向から影山の視線を受けても怯まずにいた人は、額から流れる血を無造作に拭ったらしい。
キーパーグローブに赤い血が付着して息を呑む。
背後の鬼道の動揺に気づいているのか居ないのか。
ゆったりとした声で、彼女は影山に呼びかけた。
「あなたには感謝している」
「・・・・・・」
「俺にサッカーをする場を与えてくれた。技術、経験、知識、そして共に闘う仲間を与えてくれた。何より───可愛い『弟』を与えてくれた。俺たちの道は二度と交わらない。だから最後に恩師であったあなたに、『最後のライン』をこの場で明かさなかったあなたに感謝を。今まで、ありがとうございました」
きっちりと姿勢を正して深々と頭を下げた彼女に、何か言いたげに影山が口を開く。
二、三度開け閉めして、結局言葉を捜せなかったらしくそのまま踵を返しフィールドから出て行った。
手錠を繋がれ連行されているというのに、凛と背筋を伸ばした彼は、どこか誇らしげにも見えた。
今まさに試合再開のホイッスルを審判が吹き鳴らそうとした瞬間、試合へ集中した意識を逸らすよう叫び声が聞こえた。
驚き咄嗟に上を見上げ、そこで見つけたものに体が凍りつく。
判っていたのに、どうして忘れてしまっていたのか。
ここ最近の影山の動向を見張り、調べ上げ警戒していたのは、こういった事態を予測していたからではないか。
雷門のサッカーに心動かされ、影山のサッカーを、行動を危ぶんでいたのではなかったのか。
センターサークルへ向けて容赦なく降り注ぐ鉄骨にぐっと唇を噛みしめ、全力でダッシュする。
そしてセンターライン付近に居た仲間に二人を体当たりして弾き飛ばし、来るべき衝撃へ体を強張らせた。
「諦めてんじゃねぇよ」
「っ!?」
聞こえた声に瞑っていた目を大きく見開く。
目の前に居た姿に息を呑み、構えるまもなく弾き飛ばされた。
「───!!?姉さん!!」
体を包む黄金色の掌に強引に押し出される感覚のまま地面に転がり、身を起こして正面を向く。
土煙の上がる中落ちてきた鉄骨は雷門側に多く落ちていたらしく、土煙で視界が取れない。
信じられなかった。
「円堂!」
「円堂!?」
「何故、自分からセンターサークルへ行ったんだ!俺たちに危険を促したのは、お前だろう!!」
この騒ぎの中でも怪我人一つでなかったらしい雷門イレブンの叫びが聞こえた。
どうやら『姉』は何らかの理由で影山の行動を予期し、仲間に危険を告げていたのだろう。
センターサークル付近以外には影響がなかったこちらとはちがい、雷門イレブンは全員がタッチライン付近まで非難している。
ならば何故、と尚更疑問が沸く。
どうして鬼道を助けたのか。
彼女は自分を押し出す瞬間、昔よく見た笑顔を浮かべていた。
甘ったれな『弟』に苦笑する、『姉』の表情をしていた。
『有人』を捨てたのに、どうして。
「く・・・くくく・・・はーっはっは!相変わらずだな、守!お前はいつだって弟のためなら何でもした。未だにその甘さは残っていたか!」
「・・・総・・・帥?」
「教えてやろう、鬼道。二年前、お前の姉であった『鬼道守』は交通事故に合い一月の間意識を取り戻さぬ重症に陥った。その間にお前の父である鬼道に最新の治療を受けれるよう渡米を促したのは私だ。意識を取り戻した守に待っていたのは、二度とサッカーは出来ないという宣告。そう、お前は努力などしなくとも、もうとうにお前の『姉』を超えていたのだ!」
「姉さんが・・・サッカーを、出来ない・・・?」
言われた言葉の意味が理解できなかった。
『有人』の姉の『守』は、サッカーをするために生まれてきたような人だ。
サッカーの神様に愛され、溢れんばかりの才能を有し、誰よりも早く、誰よりも凄く、誰よりもサッカーを愛していた。
その『守』が。
「二度と、サッカーが出来ない?」
「そうだ、鬼道!お前の姉『鬼道守』が居なくなってから、一度として探そうとしない父をおかしいと思わなかったのか?お前に何を言われても沈黙を通したその意味を考えようと思ったことは?仮にも鬼道の娘が居なくなり、周りが何もしなかったのに違和感を感じたことはないのか?お前はいつだって自分のことばかりだな、鬼道。守が居なくなった理由をお前に誰も教えなかったのは、守がサッカーを出来ないという事実にお前が傷つくのを防ぐためだ。誰よりも姉に憧れ近づこうと努力したお前を知る『守本人』が、お前に告げるなと、怨まれるのを承知で父に頼んだからだ。───お前は、いつだって守に護られてたんだよ、鬼道」
「っ!!?」
醜悪な笑顔を浮かべる恩師に、息が止まってしまえばいいのにと喉元を両手で押さえる。
今まで信じていた全てを根底から叩き割られたような衝撃を受けた。
嘘だと否定したいのに、理性がそれを拒絶する。
違和感は常に感じていた。
どうして鬼道家の娘が居なくなったのに財界の人間が騒がないのか。
どうしてあれほど娘を誇りに思っていた父は姉のことを口にしなくなったのか。
どうしてサッカーを愛する姉がサッカー界から去ったのか。
どうして必死に探したのに、二年もの間何の情報も得られなかったのか。
気がつけば全部辻褄は合う。
彼女自身が望み、父や周囲の人間が情報を操作し隠した真実。
「今回の『不幸な事故』に巻き込まれるなど、守もなんと運がないのか。ああ、違うな。自ら走りこんだのか。くくっ・・・必死の想いでリハビリしたのだろうに、本当に愚かな」
「───姉さんを」
「何だ?」
「姉さんを、愚弄するな!!」
「ほう?それをお前が言うのか?誰より守を憎んでいたのはお前だろう、鬼道。真実を知らず、周囲の優しさに甘え、守の苦しみも知らずに自分のことだけを考えて生きてきたお前が、今更『姉さん』と守を呼ぶ権利があるとでも?『鬼道守』は死んだ!鬼道有人、お前のために死んだのだ!!」
心底愉快だと高笑いする影山に一言も言い返せない。
自分は何も知らなかった。知ろうともしなかった。
ただ、彼女に捨てられたと思い込み、憎み怨むことで自我を保ってきた。
そうしなければ、彼女が居ないという現実に耐えられなかった。
だがそれは言い訳でしかない。影山が言うとおり、すべては自分の所為だ。
涙すら流せない絶望に、全身の力が抜けた。
「───っ!?」
「人の弟、苛めるの止めてくれよ」
「守!!?」
呻りを上げたボールが影山のすぐ傍のベンチを破壊すると同時に、冴え冴えとした声が響く。
土煙が晴れた場所で腕を組んで仁王立ちした存在は、鋭い眼差しで影山を睨み付けていた。
普段は明るい笑顔の印象が強いのに、珍しくも酷く怒りを滲ませた表情だ。
びりびりと肌を刺すような怒気に身を竦ませると、組んでいた腕を解いた。
オレンジ色のバンダナを無造作に掴むと手首に巻く。
額が切れたのか血が流れ顎へと伝って、瞳に入らないように右目を眇めていた。
「姉さん!?顔に傷が」
「そんなのどうでもいい。それより、言いたい放題言ってるその男を黙らせるのが先だ。───随分と好き勝手に言ってくれたな、影山。お前の言い草を聞くとまるで有人が俺の不幸の源みたいじゃないか」
「実際その通りだろう、守。私のお前はサッカー以外に執着を持たない強い子供だった。それがなんだ?玩具として与えた弟に執着し、お前は変わってしまった。私が作り上げた最高の作品のお前が、サッカーより他のものを優先させるなど」
「黙れ」
「黙らない。お前は昔に戻らねばならない。一途にサッカーだけを求め、サッカーだけを愛し、私の望みの上を行くお前に」
「黙れって言ってんだよ、クソ野郎」
低くドスを利かせた声を出した彼女は、鬼道を睨みつける影山の視線を遮るように二人の中間地点に入る。
もうほとんど身長も変わらないのに、自分を庇う背中は相変わらず大きく見えた。
何故、と思う。
彼女を憎み、恨み、呪い続けた鬼道を、どうして今になっても庇おうとするのか。
あれほど憎悪をぶつけられ、どうしてそれでも無防備に背中を晒すのか。
「『姉』が『弟』を護るのに理由なんて要らない。俺は有人の正義のヒーローなんだよ。ヒーローってのは最高に格好良くて最強に強いんだ。有人が居てくれたから俺は前より強くなれた。諦めようと思ったサッカーも続けれた。今の俺は昔よりも随分と劣る。それは俺だって認めるさ。けどな、諦める気はねぇよ。サッカーも、有人もな」
「───何故だ。何故お前は私に屈さない。私のサッカーに染まらない。私の・・・私の技術を誰よりも完璧に使いこなすのに、何故私を受け入れない!?」
「言ったろ?俺は俺にしか染まらない。俺は俺のサッカーをする。それはあなたの教えを受けた子供の頃から何も変わらない。・・・そろそろ、お迎えが来る時間だぜ、影山」
「迎え?」
「観念するんだな、影山。今の『不幸な事故』について、聞きたいことがある」
「お前は・・・」
「証拠不十分とは言わせないぞ。残念だが証人が居るんでな。それに、これもある」
「ボルトだと?」
「そこの円堂君が落ちていたものを提出してくれたんだ。天井に何か仕掛けられているかもしれないから、調べてくれとな。たっぷりと聞かせてもらうぞ、四十年分の全てをな」
にいっと笑う男に、鬼道も見覚えがあった。
帝国学園の試合のたびに幾度か顔を見せていた彼は、警察手帳を提示する。
手首に鎖をかけられた影山は大した抵抗もせずに微笑んだ。
視線は鬼道ではなく、真っ直ぐに彼女に向いていた。
そして初めて、彼が自分の最高傑作と豪語する彼女に歪んだ愛情を向けていたのだと気づく。
真っ向から影山の視線を受けても怯まずにいた人は、額から流れる血を無造作に拭ったらしい。
キーパーグローブに赤い血が付着して息を呑む。
背後の鬼道の動揺に気づいているのか居ないのか。
ゆったりとした声で、彼女は影山に呼びかけた。
「あなたには感謝している」
「・・・・・・」
「俺にサッカーをする場を与えてくれた。技術、経験、知識、そして共に闘う仲間を与えてくれた。何より───可愛い『弟』を与えてくれた。俺たちの道は二度と交わらない。だから最後に恩師であったあなたに、『最後のライン』をこの場で明かさなかったあなたに感謝を。今まで、ありがとうございました」
きっちりと姿勢を正して深々と頭を下げた彼女に、何か言いたげに影山が口を開く。
二、三度開け閉めして、結局言葉を捜せなかったらしくそのまま踵を返しフィールドから出て行った。
手錠を繋がれ連行されているというのに、凛と背筋を伸ばした彼は、どこか誇らしげにも見えた。
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「不動、俺お茶飲みたい。あ、茶葉はこの間買ってきた奴の中からで宜しく。ちなみに俺は先にミルク淹れる派だから」
「くそっ」
「さっきみたいな失敗は勘弁してくれよー。茶葉が浮いたままで茶漉しも使わずとか有り得ないから。ポットとミルクも温めたの使ってね。この間エドガーから貰った一式全部必要だから。それとも不動君は、紅茶の淹れ方も一から教えないと判んないかな?」
「うるせぇ!黙ってみてろ!紅茶くらい完璧に淹れてやる!ミルクティーなんて簡単だ!」
「渋すぎるのは勘弁な。茶葉はアッサムで宜しく。ダージリンとかは嫌だぞ」
「先に言え!もうダージリン使っちまっただろうが!」
「はぁ?茶葉の色見て判んなかったのか?ここにあるダージリンはストレート用だ。ミルクティーには味が濃い茶葉って相場が決まってるだろ」
「───っ、作ってやってんだから黙って飲め!」
ダンっと机を揺らす勢いでティーセットをお盆ごと机に下ろした不動の顔は屈辱で歪んでいる。
怒りで顔は紅潮し今にも湯気が出そうだ。
悔しげに唇を噛み締め、普段の余裕ぶった態度など何処かにかっ飛ばしたらしい彼は、ティーカップにポットから紅茶を注ぐ。
「我侭だなぁ、不動は。紅茶の淹れ方すら知らないんだから、仕方ないか」
「次は絶対完璧なのを淹れてやるよ!涙流して感動するようなレベルでな!」
「あっそ。じゃ、次はエスプレッソな。イタリアエリアでマキネッタでも買ってくるか。本場のみたいにクレマは立たないだろうけど、宿舎で楽しむには十分だし。豆とミルクも用意しなきゃな」
「何だよ、マキネッタとかクレマとか意味が判んねぇよ」
「勉強不足だな。そんなに俺に教えてもらいたいのか?『一週間何でも言う事聞く』って割りに、何も知らないじゃん。───それとも、俺に構って欲しいから知らないフリしてんの、不・動・君」
「!!!?・・・エスプレッソはいつ飲みたいんだ」
「そうだなぁ。イタリアエリアまで買い物に行く時間も考慮すると、明日の昼食後かな」
「豆やミルクは誰が用意する」
「マキネッタ買うついでに俺が買ってくる。エスプレッソの淹れ方講座も開いて欲しいか?」
「必要ない。俺は完璧にエスプレッソを淹れてやる!そん時になって吠え面を掻くなよ!」
「はいはい、精々頑張ってね」
「コーヒー豆のドリップくらい簡単だ!」
「エスプレッソはドリップ式じゃなくてエスプレッソ式だからな~。外で恥掻くから覚えておこうな」
「ぐっ・・・、明日には目にもの見せてやる!」
まるきり悪役のような台詞を吐き食堂から出て行った不動に、その場に居た面々は瞳を丸くした。
まさかあの不動が、円堂にお茶を淹れる場面を見るなんて思ってなかった。
というか、他の誰相手でも驚いただろう。
先ほども怒りながらも手際よくミルクティーを淹れると、そのまま円堂の元にきっちりと運んでいる。
怒鳴って出て行く前に全てをこなすとはある意味律儀だが、全く理解できない展開に驚愕を隠せない。
「───おい、不動の奴どうしたんだ?」
「どうして俺に聞く」
「不動のことはお前か円堂に聞くのが一番だろ?」
話を振られた鬼道は嫌そうな顔を隠しもせず円堂へと視線を向けた。
不動に淹れられた紅茶を口に含み、『四十点だな』と辛口の評価をしている姉は、いつも通り周囲の視線などお構い無しだ。
何処までもマイペースにわが道を歩き、ミルクが分離した紅茶を飲む。
彼女がさして紅茶に拘りのないのは知っているが、あれは中々酷い。
長年放置しておいた缶ジュースでもあるまいに、淹れたてでどうしてああなるのか。
嗜みとして一通りの手順を知る鬼道は、ひっそりと眉間の皺を深める。
「あのぉ」
「どうした壁山」
「実は俺、どうしてか知ってるっす」
「ほう」
「実は昼の休憩時間、俺と小暮と立向居と栗松で休憩室で話していたところに不動さんがやってきたっす」
「それでトランプしようって言われたんで一緒にトランプをしたでやんす」
「俺は反対したんだけどねー。立向居が親しくなるチャンスだからってごり押ししてきたんだ。そんでどうしてそうなったのか覚えてないけど、いつの間にか賭けババ抜きに変わっててさ。俺たち色々とぼったくられそうになってた訳」
「・・・そこに円堂さんが通りかかって、俺たちに代わって不動さんに勝負を持ちかけたんです。ポーカー勝負なんて俺たちは良く判らなかったんですけど、円堂さんも不動さんも慣れた手つきで勝負を始めて。それで何回かゲームを繰り返したところで、円堂さんが賭けを持ちかけたんです」
「それがこれでやんす」
栗松が懐から取り出したのは『誓約書』と書かれている藁半紙だった。
正式文書に乗っ取った形式のそれは、いざと言うとき裁判でも使えるような念の押しようで目を見張る。
日付、名前、拇印、さらに書かれた文章にざっと目を通すと、ふうと一つため息を吐いた。
「これは姉さんが教えた形式だな?」
「はい。円堂さんの分もあったんですが、勝敗が決した瞬間に破り捨てました」
「あの不動さん相手にきっちりと勝ち越して凄かったっす」
「うんうん、格好良かった!あいつの悔しそうな顔ったらなかったよね!うししししし!」
「ポーカーは心理戦じゃなくて何とか理論を唱える極めて学術的ななんたらって言ってたっす。難しくて俺には半分も理解できなかったっす」
「円堂さん自分は負けるはずがないって宣言してましたけど、本当はちょっと心配だったんです。いざとなればムゲン・ザ・ハンドで何とかしようと思ったんですけど、心配無用でした」
「───それはそうだろう。ポーカーで姉さんに勝とうなど無謀すぎる。俺でも遠慮したい。ポーカーは極めて数学的な論理を有するゲームだ。心理戦のみとの印象が強いが、それは素人判断だな。計算により勝率が算出でき、賭け時も引き時も選択できる。だがこれはあくまで、論理的にはと注釈が付くがな」
「どういう意味だ?」
爽やかな笑顔で黒いことを言う立向居に若干引きながら、当然な勝敗に頷く。
不思議そうにこちらを見ている豪炎寺にもポーカーの原理を説明してやろうと口を開いた。
「確率計算により勝率を算出するのは式さえ知っていれば誰にでも出来る。だが機械もなしに脳内でパターンを想定し弾き出すには相当な頭脳が必要だ。俺も幾度か姉さんにポーカーの相手をしてもらったことがあるが、未だに一度も勝てたことはない」
「鬼道さんがですか!?でも、不動さんは何回か勝ってましたよ?」
「それは『勝たせた』んだろう。心理戦略の一つだ。勝ちと負けを交互に繰り返していれば、先入観により対戦相手の実力を見誤る」
「でも円堂さんは確率なんとかって言ってたっすよ?」
「確率論戦略は心理戦略を行う上で望む要素だ。どちらが欠けてもポーカーには勝てない。奥が深いゲームなんだ」
「・・・はぁ、難しいっすねぇ」
「だが一応理解した。つまり不動は姉さんにカモられたんだな」
「え?」
「言っただろう?俺は姉さんに一度も勝てたためしはない、と。相手を立てる意味合い、もしくは戦略的理由以外で姉さんが負けたのは見たことない。プロ相手でも勝つような人だぞ。素人に毛が生えたような子供の賭けポーカーしか知らない不動じゃ姉さんには一生勝てないな」
「つまり、円堂は自分が確実に勝つと知った上で勝負したということか?」
「そうだろうな」
首を傾げた豪炎寺に頷けば、驚きも露に彼は視線を円堂へ向けた。
きっちりとポットに入った紅茶を全て飲み干したらしい円堂は、気がつけば何かをノートに書いている。
鬼道にも見覚えがあるそれは、不動のこの先を予感させるものだった。
「何書いてんだ、円堂?」
「んー?不動の紅茶チェックポイント。まず水をミネラルウォーター利用してる時点からアウトだけど、他にも色々と問題があってさ。折角だから紅茶の淹れ方仕込んでやろうと思って」
「不動に紅茶の淹れ方を?どうして」
「これから淹れる機会が増えるからだよ。はははっ、楽しみだな」
一人でサーフィンでもしていたのだろう。
食堂に姿を現したばかりの綱海が不思議そうに問いかけると、からからと笑って爽やかに円堂が答えた。
どう考えてもこれからも不動を顎で使う気満々の姉の発言に頭を抱えたくなった。
以前から薄々感じていたが、絶対に彼女は不動を気に入っている。
あんなに捩れて素直じゃなく性格の悪い男のどこがいいのか問いただしてやりたいが、聞いたところで納得は出来ないだろうから唇を噛み締めた。
「・・・もしかして円堂さん、定期的に対戦を組むつもりでしょうか?」
「だろうな。姉さんは不動みたいなタイプを構うのが好きなんだ。それに負けたままでは不動も簡単には引き下がらないだろう」
「円堂さん勇気あるっす。俺はとても構えないっす」
「円堂は器が大きいからな」
「いや、豪炎寺。そうじゃない。あれは嫌がっている相手を弄り回すのが好きなだけだ。抗う相手を構いたくなるらしい。全く解せない」
「嫌がって爪を立てる猫を構うのと同じってこと?」
「似て非なるものだろうが、そんなとこだろう」
「やっぱり円堂さんは凄いでやんす。色々な意味で尊敬するでやんす」
ありとあらゆる面で新たな尊敬を集める話題の人は、暢気にルーズリーフに文字を書きとめていく。
その光景が嘗ての自分との関係を髣髴とさせ、そう言えばポーカー勝負のたびに紅茶を淹れる腕が上がったのだと思い出した。
さすがに不動のように誓約書まで書かされなかったが、当時ポーカーとチェスの勝負を挑むたびにどちらが紅茶を淹れるかを賭けていた気がする。
思えばあれは姉なりの気の使い方だったのかもしれない。
滅多にないとはいえ大人相手に給仕する機械は幾度もあったし、茶葉や紅茶の種類による淹れ方の変化、抽出時間にブレンド方法と蓄えた知識は無駄にならなかった。
だが果たして不動相手にその技術は必要なのかと頭を捻る部分ではあるが。
円堂の思惑が判らず首を捻っていると、斜め前でがたりと音がした。
視線をやれば何か思いつめたような顔で立向居が立っている。
嫌な予感がする、とひっそりと眉根を寄せて行動を見守っていると、綱海と談笑しながらノートを纏める円堂の元へてくてくと歩いた。
「円堂さん!」
「ん?どうした、立向居?」
「俺と将棋で勝負してください!」
「・・・将棋?何でまた突然?」
「不動さんばかり相手にするのはずるいです!俺とも勝負して、同じ権利を賭けてください!」
「って言ってもなぁ。可愛い後輩をカモにするのは忍びないし。立向居は将棋が出来るのか?」
「はい!あと、囲碁も出来ます!」
さりげなく自分が勝つと遠まわしに言っている円堂に気づかず、立向居は拳を握って勢い込む。
そんな彼の様子を座ったまま眺めている仲間たちは、突然の行動に驚きつつも納得した。
「・・・随分と渋い趣味っすねぇ」
「爺くさいって正直に言ったら?うしししし」
「意外なようで納得の特技でやんす」
「立向居の雰囲気には似合ってるな」
「ああ。むしろ似合いすぎている」
雰囲気がおっとりしている立向居は、縁側でお茶を飲みながら将棋や囲碁をしていても違和感がない。
サッカー少年なのに汗臭いイメージが見た目にないからだろうか。
それとも年寄りに可愛がられるイメージがあるからかもしれない。
立向居の勢いに困ったように眉を下げた円堂は、ぽんと手を鳴らした。
「なら、チェスを覚えてみないか?囲碁や将棋が得意ならチェスも嵌ると思うぞ?」
「チェス・・・ですか?」
「丁度この間貰ったチェスセットがあるんだ。使ってないから貸してやるよ」
「でも俺、本当に何も知らなくて」
「大丈夫、俺が教えてやるから。戦術ゲームは戦略を整えるのにも有効だ。覚えて損はないだろう。そこの残りの一年坊」
『はい!?』
突然に呼びかけられ、彼らの背筋がぴんと伸びる。
色々と後ろめたい部分があるからだろうが、びくびくしながら円堂の様子を窺っていた。
そんな彼らの態度も意に介さず、彼女は笑顔を浮かべたまま続ける。
「お前らにも教えてやろうか?中学生でチェスが出来るってかっこいい響きだろ?」
「言われてみればそうっすね」
「ハイソなイメージがあるでやんす!」
「えー?そうか?」
「そうそう。二セットあるからまとめて教えてやる。豪炎寺と有人はどうする?」
「俺は久し振りに姉さんとポーカーがしたい」
「俺は別に・・・」
「それじゃ豪炎寺もポーカーな。覚えておくとサッカーにも応用が利くぞ。ルールはやっぱホールデムだな」
「ホールデム?」
「広域で楽しまれるポーカーの一つだ。テキサス・ホールデム。よくカジノで扱っているスタイルだな」
「そうか。サッカーに役立つなら頼む」
サッカーに役立つと聞き、素直に豪炎寺も頷いた。
豪炎寺なら頭もいいし鍛えれば鬼道のいい対戦相手になるだろう。
素直な彼は基本的に飲み込みもいいし何事に対してもセンスがある。
盛り上がる周囲に乗り遅れたと思ったのか、円堂の隣に居た綱海が彼女の肩に腕を伸ばすとその体を引き寄せた。
ぐっと近づく距離に鬼道の眉間の皺が三割り増しで深くなり、豪炎寺は静かに眉を跳ね上げる。
「おい円堂。どうして俺には声を掛けねえんだよ」
「綱海には向いてないだろ。賭けてもいいが絶対に飽きるね。代わりにフォカッチャの作り方教えてやるよ。料理は嫌いじゃないだろ?」
「フォカッチャって、この間のイタリアのパンか?」
「うん。美味い美味いって結局人の分を一枚半も奪ったあのパンだよ」
「そいりゃいいな!作り方を覚えりゃいつでも食えるしな!よし、土方も誘っておこう!」
「そんなら他に興味ありそうな奴にも声掛けといてくれ。時間は───そうだな、明日の昼に種を作っておいて、お前らが練習中に焼いといてやるよ!」
「マジか!この間の奴みたいにバーガー状にしといてくれよな!」
「よし、任せろ。代わりにカロリー計算は任せた」
「またぁ!?」
「美味いものを食うためのスポーツ選手の嗜みだろ。ちゃんと野菜とかのバランスも考えろよ」
うんざりとして机に上半身を項垂れた綱海に、少しだけ疳の虫も大人しくなる。
種類を豊富に作るならカロリー計算も中々手間になるだろう。
スポーツ選手には必須だが慣れるまで面倒なものだ。
「んじゃ、飲み物は不動任せだな。デミタス・・・はまぁいいか。どうせお前らエスプレッソ飲めないだろうし。ミルクティーの再テストだな」
「ええー?俺もエスプレッソ飲んでみたい!」
「小暮、身長伸びなくなるかもしれないぞ?」
「っ!?エスプレッソは身長伸びなくなるの?」
「まぁ、一口だけ俺のを分けてやるからそれで我慢な。絶対に飲み干せないから」
「・・・ラテにすればいいんじゃないんですか、姉さん。どうせミルクも買ってくるんでしょう?」
「そうだけどな。ま、次回の楽しみに持ち越してくれ」
苦笑した円堂にゴーグル越しに鬼道は目を細めた。
不動は初回はどうせ失敗すると見越しているのだろう。
エスプレッソは抽出時間も短いが慣れるまでコツがいる。
イタリア帰りの姉のために必死に練習した自分が一番良く知っている。
「それなら、俺がラテを淹れます」
「へ?有人が?」
「それならいでしょう?マキネッタは二つ、あとデミタスは俺の分もお願いします」
「・・・しょうがないなぁ。んじゃ、お前の分も用意してくるよ」
我侭を言う子供を宥めるように甘い調子で囁いた円堂が、鬼道の案に頷いた。
そして周りを見て微笑む。
「有人のラテは美味いぞ!明日はパンと一緒に豪勢に食べようぜ!」
『おう!!』
「何でこの俺がお前らの分まで紅茶淹れなきゃなんねえんだよ!!」
全く状況を知らされていなかった不動が、前日必死で資料を集めて頭に叩き込んだエスプレッソの淹れ方を円堂に披露しようとしたときに、初めて試食会が企画されていたのを知って絶叫する。
しかものうのうとそこに居るマネージャーには紅茶を用意しろ、なんて命令されて切れて側頭部まで真っ赤にして憤怒した。
だが怒りを向けられた円堂は不動の苛立ちを華麗にスルーすると、焼きたてのフォカッチャ片手ににこりと微笑む。
「不動君。君の一週間は俺に委ねられているのをお忘れなく。怨むならポーカーが弱い自分を怨むんだな」
「俺は弱くねぇ!」
「そんなこと言って、呆気なく俺の前に敗北したくせに。あー、負け犬の遠吠えって聞くのは心地いいなぁ」
「っ!!!円堂!お前に再戦を申し込む!あの誓約書の期限が切れた瞬間がお前の最後の時だ!」
「何処の三流悪役だよって突っ込みたくなる台詞だけど、いいぞ。その申し込み受けて立とう。申し込みはお前からだし方法は俺が選ぶ。・・・そうだな、ポーカーだと実力差がありすぎるから、チェスに変えるか。公式ルールに乗っ取ってプレイするから精々頑張るんだな」
「絶対に泣かせてやるからな!!」
地団太踏んで悔しがる不動に、円堂は頷いた。
その笑顔を隣で眺めていた鬼道は、姉の趣味の悪さにじとりと眉間の皺を深めた。
人心操作が得意な姉は、これを期に不動を周囲と馴染ませようとしたのだろうが、面白い気分にはならない。
怒り狂いながらも紅茶を淹れる準備を始める部分を気に入ってるのだろうと何となく察してしまい、やはりこいつは嫌いだとうんざりとした。
「くそっ」
「さっきみたいな失敗は勘弁してくれよー。茶葉が浮いたままで茶漉しも使わずとか有り得ないから。ポットとミルクも温めたの使ってね。この間エドガーから貰った一式全部必要だから。それとも不動君は、紅茶の淹れ方も一から教えないと判んないかな?」
「うるせぇ!黙ってみてろ!紅茶くらい完璧に淹れてやる!ミルクティーなんて簡単だ!」
「渋すぎるのは勘弁な。茶葉はアッサムで宜しく。ダージリンとかは嫌だぞ」
「先に言え!もうダージリン使っちまっただろうが!」
「はぁ?茶葉の色見て判んなかったのか?ここにあるダージリンはストレート用だ。ミルクティーには味が濃い茶葉って相場が決まってるだろ」
「───っ、作ってやってんだから黙って飲め!」
ダンっと机を揺らす勢いでティーセットをお盆ごと机に下ろした不動の顔は屈辱で歪んでいる。
怒りで顔は紅潮し今にも湯気が出そうだ。
悔しげに唇を噛み締め、普段の余裕ぶった態度など何処かにかっ飛ばしたらしい彼は、ティーカップにポットから紅茶を注ぐ。
「我侭だなぁ、不動は。紅茶の淹れ方すら知らないんだから、仕方ないか」
「次は絶対完璧なのを淹れてやるよ!涙流して感動するようなレベルでな!」
「あっそ。じゃ、次はエスプレッソな。イタリアエリアでマキネッタでも買ってくるか。本場のみたいにクレマは立たないだろうけど、宿舎で楽しむには十分だし。豆とミルクも用意しなきゃな」
「何だよ、マキネッタとかクレマとか意味が判んねぇよ」
「勉強不足だな。そんなに俺に教えてもらいたいのか?『一週間何でも言う事聞く』って割りに、何も知らないじゃん。───それとも、俺に構って欲しいから知らないフリしてんの、不・動・君」
「!!!?・・・エスプレッソはいつ飲みたいんだ」
「そうだなぁ。イタリアエリアまで買い物に行く時間も考慮すると、明日の昼食後かな」
「豆やミルクは誰が用意する」
「マキネッタ買うついでに俺が買ってくる。エスプレッソの淹れ方講座も開いて欲しいか?」
「必要ない。俺は完璧にエスプレッソを淹れてやる!そん時になって吠え面を掻くなよ!」
「はいはい、精々頑張ってね」
「コーヒー豆のドリップくらい簡単だ!」
「エスプレッソはドリップ式じゃなくてエスプレッソ式だからな~。外で恥掻くから覚えておこうな」
「ぐっ・・・、明日には目にもの見せてやる!」
まるきり悪役のような台詞を吐き食堂から出て行った不動に、その場に居た面々は瞳を丸くした。
まさかあの不動が、円堂にお茶を淹れる場面を見るなんて思ってなかった。
というか、他の誰相手でも驚いただろう。
先ほども怒りながらも手際よくミルクティーを淹れると、そのまま円堂の元にきっちりと運んでいる。
怒鳴って出て行く前に全てをこなすとはある意味律儀だが、全く理解できない展開に驚愕を隠せない。
「───おい、不動の奴どうしたんだ?」
「どうして俺に聞く」
「不動のことはお前か円堂に聞くのが一番だろ?」
話を振られた鬼道は嫌そうな顔を隠しもせず円堂へと視線を向けた。
不動に淹れられた紅茶を口に含み、『四十点だな』と辛口の評価をしている姉は、いつも通り周囲の視線などお構い無しだ。
何処までもマイペースにわが道を歩き、ミルクが分離した紅茶を飲む。
彼女がさして紅茶に拘りのないのは知っているが、あれは中々酷い。
長年放置しておいた缶ジュースでもあるまいに、淹れたてでどうしてああなるのか。
嗜みとして一通りの手順を知る鬼道は、ひっそりと眉間の皺を深める。
「あのぉ」
「どうした壁山」
「実は俺、どうしてか知ってるっす」
「ほう」
「実は昼の休憩時間、俺と小暮と立向居と栗松で休憩室で話していたところに不動さんがやってきたっす」
「それでトランプしようって言われたんで一緒にトランプをしたでやんす」
「俺は反対したんだけどねー。立向居が親しくなるチャンスだからってごり押ししてきたんだ。そんでどうしてそうなったのか覚えてないけど、いつの間にか賭けババ抜きに変わっててさ。俺たち色々とぼったくられそうになってた訳」
「・・・そこに円堂さんが通りかかって、俺たちに代わって不動さんに勝負を持ちかけたんです。ポーカー勝負なんて俺たちは良く判らなかったんですけど、円堂さんも不動さんも慣れた手つきで勝負を始めて。それで何回かゲームを繰り返したところで、円堂さんが賭けを持ちかけたんです」
「それがこれでやんす」
栗松が懐から取り出したのは『誓約書』と書かれている藁半紙だった。
正式文書に乗っ取った形式のそれは、いざと言うとき裁判でも使えるような念の押しようで目を見張る。
日付、名前、拇印、さらに書かれた文章にざっと目を通すと、ふうと一つため息を吐いた。
「これは姉さんが教えた形式だな?」
「はい。円堂さんの分もあったんですが、勝敗が決した瞬間に破り捨てました」
「あの不動さん相手にきっちりと勝ち越して凄かったっす」
「うんうん、格好良かった!あいつの悔しそうな顔ったらなかったよね!うししししし!」
「ポーカーは心理戦じゃなくて何とか理論を唱える極めて学術的ななんたらって言ってたっす。難しくて俺には半分も理解できなかったっす」
「円堂さん自分は負けるはずがないって宣言してましたけど、本当はちょっと心配だったんです。いざとなればムゲン・ザ・ハンドで何とかしようと思ったんですけど、心配無用でした」
「───それはそうだろう。ポーカーで姉さんに勝とうなど無謀すぎる。俺でも遠慮したい。ポーカーは極めて数学的な論理を有するゲームだ。心理戦のみとの印象が強いが、それは素人判断だな。計算により勝率が算出でき、賭け時も引き時も選択できる。だがこれはあくまで、論理的にはと注釈が付くがな」
「どういう意味だ?」
爽やかな笑顔で黒いことを言う立向居に若干引きながら、当然な勝敗に頷く。
不思議そうにこちらを見ている豪炎寺にもポーカーの原理を説明してやろうと口を開いた。
「確率計算により勝率を算出するのは式さえ知っていれば誰にでも出来る。だが機械もなしに脳内でパターンを想定し弾き出すには相当な頭脳が必要だ。俺も幾度か姉さんにポーカーの相手をしてもらったことがあるが、未だに一度も勝てたことはない」
「鬼道さんがですか!?でも、不動さんは何回か勝ってましたよ?」
「それは『勝たせた』んだろう。心理戦略の一つだ。勝ちと負けを交互に繰り返していれば、先入観により対戦相手の実力を見誤る」
「でも円堂さんは確率なんとかって言ってたっすよ?」
「確率論戦略は心理戦略を行う上で望む要素だ。どちらが欠けてもポーカーには勝てない。奥が深いゲームなんだ」
「・・・はぁ、難しいっすねぇ」
「だが一応理解した。つまり不動は姉さんにカモられたんだな」
「え?」
「言っただろう?俺は姉さんに一度も勝てたためしはない、と。相手を立てる意味合い、もしくは戦略的理由以外で姉さんが負けたのは見たことない。プロ相手でも勝つような人だぞ。素人に毛が生えたような子供の賭けポーカーしか知らない不動じゃ姉さんには一生勝てないな」
「つまり、円堂は自分が確実に勝つと知った上で勝負したということか?」
「そうだろうな」
首を傾げた豪炎寺に頷けば、驚きも露に彼は視線を円堂へ向けた。
きっちりとポットに入った紅茶を全て飲み干したらしい円堂は、気がつけば何かをノートに書いている。
鬼道にも見覚えがあるそれは、不動のこの先を予感させるものだった。
「何書いてんだ、円堂?」
「んー?不動の紅茶チェックポイント。まず水をミネラルウォーター利用してる時点からアウトだけど、他にも色々と問題があってさ。折角だから紅茶の淹れ方仕込んでやろうと思って」
「不動に紅茶の淹れ方を?どうして」
「これから淹れる機会が増えるからだよ。はははっ、楽しみだな」
一人でサーフィンでもしていたのだろう。
食堂に姿を現したばかりの綱海が不思議そうに問いかけると、からからと笑って爽やかに円堂が答えた。
どう考えてもこれからも不動を顎で使う気満々の姉の発言に頭を抱えたくなった。
以前から薄々感じていたが、絶対に彼女は不動を気に入っている。
あんなに捩れて素直じゃなく性格の悪い男のどこがいいのか問いただしてやりたいが、聞いたところで納得は出来ないだろうから唇を噛み締めた。
「・・・もしかして円堂さん、定期的に対戦を組むつもりでしょうか?」
「だろうな。姉さんは不動みたいなタイプを構うのが好きなんだ。それに負けたままでは不動も簡単には引き下がらないだろう」
「円堂さん勇気あるっす。俺はとても構えないっす」
「円堂は器が大きいからな」
「いや、豪炎寺。そうじゃない。あれは嫌がっている相手を弄り回すのが好きなだけだ。抗う相手を構いたくなるらしい。全く解せない」
「嫌がって爪を立てる猫を構うのと同じってこと?」
「似て非なるものだろうが、そんなとこだろう」
「やっぱり円堂さんは凄いでやんす。色々な意味で尊敬するでやんす」
ありとあらゆる面で新たな尊敬を集める話題の人は、暢気にルーズリーフに文字を書きとめていく。
その光景が嘗ての自分との関係を髣髴とさせ、そう言えばポーカー勝負のたびに紅茶を淹れる腕が上がったのだと思い出した。
さすがに不動のように誓約書まで書かされなかったが、当時ポーカーとチェスの勝負を挑むたびにどちらが紅茶を淹れるかを賭けていた気がする。
思えばあれは姉なりの気の使い方だったのかもしれない。
滅多にないとはいえ大人相手に給仕する機械は幾度もあったし、茶葉や紅茶の種類による淹れ方の変化、抽出時間にブレンド方法と蓄えた知識は無駄にならなかった。
だが果たして不動相手にその技術は必要なのかと頭を捻る部分ではあるが。
円堂の思惑が判らず首を捻っていると、斜め前でがたりと音がした。
視線をやれば何か思いつめたような顔で立向居が立っている。
嫌な予感がする、とひっそりと眉根を寄せて行動を見守っていると、綱海と談笑しながらノートを纏める円堂の元へてくてくと歩いた。
「円堂さん!」
「ん?どうした、立向居?」
「俺と将棋で勝負してください!」
「・・・将棋?何でまた突然?」
「不動さんばかり相手にするのはずるいです!俺とも勝負して、同じ権利を賭けてください!」
「って言ってもなぁ。可愛い後輩をカモにするのは忍びないし。立向居は将棋が出来るのか?」
「はい!あと、囲碁も出来ます!」
さりげなく自分が勝つと遠まわしに言っている円堂に気づかず、立向居は拳を握って勢い込む。
そんな彼の様子を座ったまま眺めている仲間たちは、突然の行動に驚きつつも納得した。
「・・・随分と渋い趣味っすねぇ」
「爺くさいって正直に言ったら?うしししし」
「意外なようで納得の特技でやんす」
「立向居の雰囲気には似合ってるな」
「ああ。むしろ似合いすぎている」
雰囲気がおっとりしている立向居は、縁側でお茶を飲みながら将棋や囲碁をしていても違和感がない。
サッカー少年なのに汗臭いイメージが見た目にないからだろうか。
それとも年寄りに可愛がられるイメージがあるからかもしれない。
立向居の勢いに困ったように眉を下げた円堂は、ぽんと手を鳴らした。
「なら、チェスを覚えてみないか?囲碁や将棋が得意ならチェスも嵌ると思うぞ?」
「チェス・・・ですか?」
「丁度この間貰ったチェスセットがあるんだ。使ってないから貸してやるよ」
「でも俺、本当に何も知らなくて」
「大丈夫、俺が教えてやるから。戦術ゲームは戦略を整えるのにも有効だ。覚えて損はないだろう。そこの残りの一年坊」
『はい!?』
突然に呼びかけられ、彼らの背筋がぴんと伸びる。
色々と後ろめたい部分があるからだろうが、びくびくしながら円堂の様子を窺っていた。
そんな彼らの態度も意に介さず、彼女は笑顔を浮かべたまま続ける。
「お前らにも教えてやろうか?中学生でチェスが出来るってかっこいい響きだろ?」
「言われてみればそうっすね」
「ハイソなイメージがあるでやんす!」
「えー?そうか?」
「そうそう。二セットあるからまとめて教えてやる。豪炎寺と有人はどうする?」
「俺は久し振りに姉さんとポーカーがしたい」
「俺は別に・・・」
「それじゃ豪炎寺もポーカーな。覚えておくとサッカーにも応用が利くぞ。ルールはやっぱホールデムだな」
「ホールデム?」
「広域で楽しまれるポーカーの一つだ。テキサス・ホールデム。よくカジノで扱っているスタイルだな」
「そうか。サッカーに役立つなら頼む」
サッカーに役立つと聞き、素直に豪炎寺も頷いた。
豪炎寺なら頭もいいし鍛えれば鬼道のいい対戦相手になるだろう。
素直な彼は基本的に飲み込みもいいし何事に対してもセンスがある。
盛り上がる周囲に乗り遅れたと思ったのか、円堂の隣に居た綱海が彼女の肩に腕を伸ばすとその体を引き寄せた。
ぐっと近づく距離に鬼道の眉間の皺が三割り増しで深くなり、豪炎寺は静かに眉を跳ね上げる。
「おい円堂。どうして俺には声を掛けねえんだよ」
「綱海には向いてないだろ。賭けてもいいが絶対に飽きるね。代わりにフォカッチャの作り方教えてやるよ。料理は嫌いじゃないだろ?」
「フォカッチャって、この間のイタリアのパンか?」
「うん。美味い美味いって結局人の分を一枚半も奪ったあのパンだよ」
「そいりゃいいな!作り方を覚えりゃいつでも食えるしな!よし、土方も誘っておこう!」
「そんなら他に興味ありそうな奴にも声掛けといてくれ。時間は───そうだな、明日の昼に種を作っておいて、お前らが練習中に焼いといてやるよ!」
「マジか!この間の奴みたいにバーガー状にしといてくれよな!」
「よし、任せろ。代わりにカロリー計算は任せた」
「またぁ!?」
「美味いものを食うためのスポーツ選手の嗜みだろ。ちゃんと野菜とかのバランスも考えろよ」
うんざりとして机に上半身を項垂れた綱海に、少しだけ疳の虫も大人しくなる。
種類を豊富に作るならカロリー計算も中々手間になるだろう。
スポーツ選手には必須だが慣れるまで面倒なものだ。
「んじゃ、飲み物は不動任せだな。デミタス・・・はまぁいいか。どうせお前らエスプレッソ飲めないだろうし。ミルクティーの再テストだな」
「ええー?俺もエスプレッソ飲んでみたい!」
「小暮、身長伸びなくなるかもしれないぞ?」
「っ!?エスプレッソは身長伸びなくなるの?」
「まぁ、一口だけ俺のを分けてやるからそれで我慢な。絶対に飲み干せないから」
「・・・ラテにすればいいんじゃないんですか、姉さん。どうせミルクも買ってくるんでしょう?」
「そうだけどな。ま、次回の楽しみに持ち越してくれ」
苦笑した円堂にゴーグル越しに鬼道は目を細めた。
不動は初回はどうせ失敗すると見越しているのだろう。
エスプレッソは抽出時間も短いが慣れるまでコツがいる。
イタリア帰りの姉のために必死に練習した自分が一番良く知っている。
「それなら、俺がラテを淹れます」
「へ?有人が?」
「それならいでしょう?マキネッタは二つ、あとデミタスは俺の分もお願いします」
「・・・しょうがないなぁ。んじゃ、お前の分も用意してくるよ」
我侭を言う子供を宥めるように甘い調子で囁いた円堂が、鬼道の案に頷いた。
そして周りを見て微笑む。
「有人のラテは美味いぞ!明日はパンと一緒に豪勢に食べようぜ!」
『おう!!』
「何でこの俺がお前らの分まで紅茶淹れなきゃなんねえんだよ!!」
全く状況を知らされていなかった不動が、前日必死で資料を集めて頭に叩き込んだエスプレッソの淹れ方を円堂に披露しようとしたときに、初めて試食会が企画されていたのを知って絶叫する。
しかものうのうとそこに居るマネージャーには紅茶を用意しろ、なんて命令されて切れて側頭部まで真っ赤にして憤怒した。
だが怒りを向けられた円堂は不動の苛立ちを華麗にスルーすると、焼きたてのフォカッチャ片手ににこりと微笑む。
「不動君。君の一週間は俺に委ねられているのをお忘れなく。怨むならポーカーが弱い自分を怨むんだな」
「俺は弱くねぇ!」
「そんなこと言って、呆気なく俺の前に敗北したくせに。あー、負け犬の遠吠えって聞くのは心地いいなぁ」
「っ!!!円堂!お前に再戦を申し込む!あの誓約書の期限が切れた瞬間がお前の最後の時だ!」
「何処の三流悪役だよって突っ込みたくなる台詞だけど、いいぞ。その申し込み受けて立とう。申し込みはお前からだし方法は俺が選ぶ。・・・そうだな、ポーカーだと実力差がありすぎるから、チェスに変えるか。公式ルールに乗っ取ってプレイするから精々頑張るんだな」
「絶対に泣かせてやるからな!!」
地団太踏んで悔しがる不動に、円堂は頷いた。
その笑顔を隣で眺めていた鬼道は、姉の趣味の悪さにじとりと眉間の皺を深めた。
人心操作が得意な姉は、これを期に不動を周囲と馴染ませようとしたのだろうが、面白い気分にはならない。
怒り狂いながらも紅茶を淹れる準備を始める部分を気に入ってるのだろうと何となく察してしまい、やはりこいつは嫌いだとうんざりとした。
ある日煎餅片手に歩いていたら、とても珍しい光景を目にした。
仲良しFFI一年メンバーと、いかにもそんな彼らとつるみそうにない不動の姿。
休憩所の中で真剣な顔をして顔を突き合わせている彼らは、どうやらトランプをしているようだった。
何でまたトランプ、と思いながらも好奇心のままに足を踏み入れる。
丸テーブルに左から壁山、栗松、立向居、小暮と並び、両隣から隙間を空けた部分に不動が足を組んで座っていた。
浮かんでいる笑顔はいかにも性質が悪いもので、何となく展開を読みながらも一応声を掛けてみる。
「何してるんだ?」
『キャプテン!』
「円堂さん!」
「・・・・・・」
動揺で呼び方が以前に戻っている面々と、元から名前呼びの立向居。
彼らは揃って顔を上げると、情けなくも瞳を潤ませた。
ちらりと机の上を覗けば、普段は壁山が所有しているお菓子の山が全て不動の元へと集まっている。
それどころかノートやサッカー雑誌、挙句の果てに『お掃除当番交代券』なるものや際どいところでは『パシリ券』なるものまである。
多大に呆れを含んだ半眼の眼差しでじとりと一年メンバーを眺めると、恥じ入るように俯いた立向居は小さくなり、壁山と栗松は胸の前で手を組んで泣きそうな顔になり、小暮は不機嫌そうな顔で視線を逸らした。
嘆息して不動を見れば、にやにやと悪役面して笑っている。
心持ち勝ち誇ったように胸を張っている姿は年相応と言えなくもないが、カモにするにしてもこれはやりすぎだろう。
「こんなとこで何してんの、不動君」
「見てわかんねえのか?トランプだよ、トランプ」
「賭けなんて監督に見つかったら何言われるかわかんないぞ?」
「知るかよ。大体金銭や命を賭けてるわけでもあるまいし、一々いい子ぶった発言をするな。それとも、お前がこいつらに代わって俺の相手をするか?」
「俺からも搾り取りたいわけ?貪欲だなぁ」
「普段から無駄に余裕ぶってるその面の皮剥がしてやるよ」
「はぁ・・・」
ちょっと立ち寄っただけなのだが、どうやら面倒に巻き込まれたらしい。
もっとも放置するにも縋るように見上げる可愛い後輩を見捨てるのも後味が悪いし、仕方無しに隣の空いていたテーブルの上に煎餅を置きちょいちょいと指先で拱く。
獰猛な獣が獲物を前に牙を剥く寸前のように剣呑な表情で嗤った不動は、のそりと体を起こすと円堂の前の椅子へ腰掛けた。
「言っておくが、俺はお前が相手でも手加減なんかしねぇぜ?きっちりと勝たせてもらう」
「ふーん。でも、俺が賭けれるのってこの一日限定五袋の醤油煎餅しかないぜ?ちなみにこれは朝五時から並んで買った」
「・・・よし。それならその煎餅でいい」
「えー?でも勿体無いしなぁ。一枚一枚でもいい?」
「どうせ全部巻き上げるから構わねぇよ」
「んでお前は何賭けるの?」
「そうだな・・・そいつらから巻き上げたもんでも賭けてやるよ」
「あっそう。ゲームの指定は俺でもいいの?」
「構わないぜ」
「じゃあポーカーな。ホールデムのルールは判るか?」
「当然」
「んじゃチップの代わりが手持ちのアイテムでいいか?リミット制限はどうする?」
「ノーリミットだ」
「・・・俺の煎餅こんだけだけど」
「煎餅がなくなれば一枚一服でも取ってやる」
「わお!不動君俺の体に興味があったんだ?不埒ー、エッチー、ついでにムッツリー」
「何とでも言え。最愛の姉のヌードショットを写メールしてやれば、鬼道はどうなるかな?」
「有人?いやぁ、青少年だし喜ぶんじゃない?───でも、俺のヌードは高くつくかもよ」
「っは、精々今の内に粋がっているんだな」
にいっと笑顔をかわす二人に、他の面々は泡を食う。
助けて欲しいと思ったが、まさか円堂にヌードなどさせるわけにはいかない。
年下であるが男として絶対に許せない暴挙だし、同時にそんなことさせたら確実に円堂を慕う人間から闇討ちにあう。
普段はしっかり者なのに円堂が絡むとダークな空気を纏う風丸や、クールで格好いいのに自分の想いに未だ気づかぬ若干天然が入ってる豪炎寺や、シスコンマックスの鬼道や、ストーカーじみた執着を持つ基山や他にも以外にネットワークの広い円堂の知人友人にボコられる。
確実に死亡フラグが立ってしまう。
それならまだ不動のパシリをした方が確実にマシだ。
早くも煎餅十枚の内三枚をなくした円堂に、そっと壁山が近づいた。
「その、俺たち不動さんの言われたとおりにするっすから、もういいっす」
「そうですよ、円堂さん!元はと言えば俺たちが安易に誘いに乗ったのがいけなかったんです!」
「あいつの思い通りになるのや嫌でやんすが、自業自得でやんす」
「そうだよ・・・俺たちなら我慢できるから、もういいよ」
しゅんとした顔で反省を露にする後輩に、円堂はくすりと笑った。
彼らはまだまだ精神的には幼いが、素直でとても可愛らしい。
近くにあった小暮の頭を撫でると、きょとりとした眼差しでこちらを見上げてきて益々笑みを深める。
「どうせここで降りるって言っても俺の負けだ。逃がしてくれないよな、不動君」
「当然だな、円堂ちゃん。逃げれると思うなよ」
連続で勝ち越して気分が良くなっているのか、にいっと口の端を持ち上げると機嫌よく笑顔を見せる。
どう見ても三流悪役の姿に笑いがこみ上げるが何とかぐっと堪えた。
ここで爆笑すれば折角機嫌よくゲームしている不動が剥れてしまう。
他のメンバーは不動と距離を置こうとするが、むしろ円堂からすればこの手のタイプは構いたくて仕方ない。
爪を立て牙を剥き出し警戒してますと全力で訴える姿に、こう、心がうずうずと疼くのだ。
絶対に噛まれると判っているが、野良猫を懐かせたいと望むのと同じだろうか。
嫌だと叫ぶ姿を見ながら腕にぎゅうぎゅうに抱きしめて構いたいのだ。
自分の思うとおりに動かすためにも勝たせて上げている円堂は、フォルドと呟くとカードを捨てる。
煎餅を更に二枚手に入れた不動は満足げに喉を鳴らす猫のようだ。
可愛いなぁと目を細める円堂は、鬼道が傍に居たなら趣味が悪いと嫌そうな顔で忠告されたに違いない。
残念ながらそこまで深く円堂の性格を理解しない一年生は、不安そうに眉を下げて瞳を潤ませた。
頭を撫でていた小暮に顔を近づけづと、紙とペンを用意して文書を作って欲しいと囁く。
大まかに内容を説明すると、目を丸くしていた彼はそれでも頷いて駆け出した。
「何だ?助っ人でも呼びに行ったのか?」
「まさか。お前と勝負するのに助っ人なんて要らないさ」
「───その余裕ぶった態度がむかつくって言ってんだよ」
「悪いな、これは性格だから今更直らないんだ」
息せきかけて戻ってきた小暮に頷くと、一年生たちは小暮に誘われ別のテーブルへ固まる。
その様子を横目で確認してからさらにもう一枚不動に煎餅を巻き上げられて肩を竦めた。
調子付く不動はにやにやとした笑みを常時浮かべ新たにカードを五枚手に取る。
ポーカーフェイスで役を眺めながら、淡々とした様子で口を開いた。
「ポーカー理論って知ってるか、不動君?」
「・・・何だそれは?」
「ハーバード大学の教授も共感し広めようとする理論だ。ポーカーを理解しない奴は一般的に心理戦と言われている部分だけを捉えるが、実際はそうじゃない。勿論それは間違いじゃないが、心理戦のみでは勝ち抜けないプラスアルファの要素がある」
「・・・・・・」
「ポーカーは極めて学術的なゲームだ。カードは五十二枚と限られ、俺とお前が今プレイしているホールデムはポケットは二枚、ボードは五枚の計七枚のカードから五枚を利用する」
「だからどうしたって言うんだ」
「つまり、だ。何が言いたいかというと、数式さえ知っていればどの役がどの程度の割合で完成するか、今俺が利用しているポケットは勝率がいかほどでどういうボードに有利か確立を算出出来るってことだ。少し前の映画でもあっただろう?あれと同じだ」
「だから、何が言いたいかって聞いてるんだよ!」
遠まわしな言い回しに我慢ならないとばかりに柳眉を吊り上げた不動は、カードを指先で弄びながら眺める。
何だかんだ言ってイカサマもせずに真っ向から勝負を挑むところが可愛い。
その気になれば不動ならイカサマくらいは出来そうだが、正々堂々と、と決めているのだろうか。
自分なら勝ちたい勝負で躊躇しないだろうなと想像できるので、ある種の真っ直ぐな理念は好ましくある。
彼は些か歪んでいるが基本的に勝利へ向かい努力する姿勢は真っ直ぐだ。
もっとも、イカサマはばれなければいいだけで、ばれたら下策でしかない。
技術を持つ人間はイカサマを見抜くのもお手の物だ。
円堂相手にその手の技を使わないのは、むしろ正しい。
不動がイカサマを利用しようとしたら、完膚なきまでに同じ手を出してやろうと決めていた。
ぎらぎらとした目で一直線に怒りをぶつける彼よりも、自分の方が余程性格が悪い。
クツクツと喉を震わせて笑いながら、一番端のカードを指先で触れる。
予想通りの役が手の中に揃っていて計算した勝率は悪くない。
「やれやれ。珍しく飲み込みが悪いな、不動。簡単なことだ。お前は俺に勝てない」
「何をっ!?」
「お前が得意なのは心理戦略、そして俺はプラスして確率論戦略も得意なんだ。ポーカーは心理戦だけじゃ勝てない、実に効率のいいゲームだよ。自分の計算を信じる俺はブラフに左右されず動ける。つまりベッドするタイミングも、フォルドするタイミングも心理状況に頼らず選べるってわけだ。今回のゲームでノーリミットに賛同したのは悪判断だったな」
「ふざけるな!あんな化け物じみた行為が出来る奴なんて映画の中だけだ!」
「そんじゃ試してみるか?」
「当然だ!余裕ぶった顔、ぼろぼろに歪めてやるよ」
「負けて後悔してもしらないからな」
「負けねえよ。だから後悔なんてしないね」
あらまぁ、熱くなっちゃって。
内心で笑いが止まらないが、怒りで状況を理解出来てない不動は身を乗り出さんばかりにして睨んで来る。
熱くなると冷静さを欠く部分は弟そっくりだが、腕を伸ばしてぐりぐりと撫で回したい衝動を何とか我慢した。
代わりに近寄ってきた小暮から頼んでいたものを受け取り、にいっと笑う。
ひらりと差し出された紙に訝しげに目を細めた不動は、警戒するように椅子に腰掛けて距離を取った。
「じゃ、これにサインして」
「何だそれ?」
「誓約書。さっき壁山と栗松に作ってもらった。ちゃんと正式文書の法的に考慮できる奴だ。勝つ自信があるならサイン出来るよな?」
「お前も同じ条件か?」
「当たり前だ。ほらペン」
「・・・拇印もか?」
「ああ。あ、これ濡れティッシュ。ほい、立向居預かっておいて」
「でも、円堂さん・・・万が一負けたら」
「大丈夫。俺を信じろって」
「・・・キャプテン」
「お前らの今のキャプテンは俺じゃないだろ。ほれほれ、大丈夫だからどんと腰掛けて状況を見守ってなさいって。ちなみに不動からあれらを巻き上げたら、お前らパシる権利は俺に移行するだけだから覚悟しとけよー」
「ええ!?取り返してくれるんじゃないの!?」
「奪われたものは取り返してやるよ。でも反省の念も篭めてきっちりと顎で使ってやるから覚悟しとけ」
「これじゃどっちを応援していいか判らないっす」
「どっちが勝っても俺たちに待ってるのはパシリでやんす」
「俺は円堂さんのためならそんな紙なくても何でもします!」
「それは立向居だけだよ。キャプテンは本当に容赦ないんだから」
自らの行動を嘆く彼らに微笑むと、サインを終えた紙を公平を期して栗松へ渡す。
煎餅袋の中身を全て確認し、にっと笑った。
先日響から譲り受けた近所の和菓子屋で五百円で買える商品は、実のところ限定商品でもなんでもないし対して執着も持ってない。
この程度の煎餅が欲しいのなら幾らでも譲ってやりたいが、勝ち誇って笑う彼に教えたときの態度も中々楽しみだ。
「さて、それじゃあゲームを続けようか」
勝利の女神の微笑みを受けながら、その一切を懐へ隠してカードをオープンした。
仲良しFFI一年メンバーと、いかにもそんな彼らとつるみそうにない不動の姿。
休憩所の中で真剣な顔をして顔を突き合わせている彼らは、どうやらトランプをしているようだった。
何でまたトランプ、と思いながらも好奇心のままに足を踏み入れる。
丸テーブルに左から壁山、栗松、立向居、小暮と並び、両隣から隙間を空けた部分に不動が足を組んで座っていた。
浮かんでいる笑顔はいかにも性質が悪いもので、何となく展開を読みながらも一応声を掛けてみる。
「何してるんだ?」
『キャプテン!』
「円堂さん!」
「・・・・・・」
動揺で呼び方が以前に戻っている面々と、元から名前呼びの立向居。
彼らは揃って顔を上げると、情けなくも瞳を潤ませた。
ちらりと机の上を覗けば、普段は壁山が所有しているお菓子の山が全て不動の元へと集まっている。
それどころかノートやサッカー雑誌、挙句の果てに『お掃除当番交代券』なるものや際どいところでは『パシリ券』なるものまである。
多大に呆れを含んだ半眼の眼差しでじとりと一年メンバーを眺めると、恥じ入るように俯いた立向居は小さくなり、壁山と栗松は胸の前で手を組んで泣きそうな顔になり、小暮は不機嫌そうな顔で視線を逸らした。
嘆息して不動を見れば、にやにやと悪役面して笑っている。
心持ち勝ち誇ったように胸を張っている姿は年相応と言えなくもないが、カモにするにしてもこれはやりすぎだろう。
「こんなとこで何してんの、不動君」
「見てわかんねえのか?トランプだよ、トランプ」
「賭けなんて監督に見つかったら何言われるかわかんないぞ?」
「知るかよ。大体金銭や命を賭けてるわけでもあるまいし、一々いい子ぶった発言をするな。それとも、お前がこいつらに代わって俺の相手をするか?」
「俺からも搾り取りたいわけ?貪欲だなぁ」
「普段から無駄に余裕ぶってるその面の皮剥がしてやるよ」
「はぁ・・・」
ちょっと立ち寄っただけなのだが、どうやら面倒に巻き込まれたらしい。
もっとも放置するにも縋るように見上げる可愛い後輩を見捨てるのも後味が悪いし、仕方無しに隣の空いていたテーブルの上に煎餅を置きちょいちょいと指先で拱く。
獰猛な獣が獲物を前に牙を剥く寸前のように剣呑な表情で嗤った不動は、のそりと体を起こすと円堂の前の椅子へ腰掛けた。
「言っておくが、俺はお前が相手でも手加減なんかしねぇぜ?きっちりと勝たせてもらう」
「ふーん。でも、俺が賭けれるのってこの一日限定五袋の醤油煎餅しかないぜ?ちなみにこれは朝五時から並んで買った」
「・・・よし。それならその煎餅でいい」
「えー?でも勿体無いしなぁ。一枚一枚でもいい?」
「どうせ全部巻き上げるから構わねぇよ」
「んでお前は何賭けるの?」
「そうだな・・・そいつらから巻き上げたもんでも賭けてやるよ」
「あっそう。ゲームの指定は俺でもいいの?」
「構わないぜ」
「じゃあポーカーな。ホールデムのルールは判るか?」
「当然」
「んじゃチップの代わりが手持ちのアイテムでいいか?リミット制限はどうする?」
「ノーリミットだ」
「・・・俺の煎餅こんだけだけど」
「煎餅がなくなれば一枚一服でも取ってやる」
「わお!不動君俺の体に興味があったんだ?不埒ー、エッチー、ついでにムッツリー」
「何とでも言え。最愛の姉のヌードショットを写メールしてやれば、鬼道はどうなるかな?」
「有人?いやぁ、青少年だし喜ぶんじゃない?───でも、俺のヌードは高くつくかもよ」
「っは、精々今の内に粋がっているんだな」
にいっと笑顔をかわす二人に、他の面々は泡を食う。
助けて欲しいと思ったが、まさか円堂にヌードなどさせるわけにはいかない。
年下であるが男として絶対に許せない暴挙だし、同時にそんなことさせたら確実に円堂を慕う人間から闇討ちにあう。
普段はしっかり者なのに円堂が絡むとダークな空気を纏う風丸や、クールで格好いいのに自分の想いに未だ気づかぬ若干天然が入ってる豪炎寺や、シスコンマックスの鬼道や、ストーカーじみた執着を持つ基山や他にも以外にネットワークの広い円堂の知人友人にボコられる。
確実に死亡フラグが立ってしまう。
それならまだ不動のパシリをした方が確実にマシだ。
早くも煎餅十枚の内三枚をなくした円堂に、そっと壁山が近づいた。
「その、俺たち不動さんの言われたとおりにするっすから、もういいっす」
「そうですよ、円堂さん!元はと言えば俺たちが安易に誘いに乗ったのがいけなかったんです!」
「あいつの思い通りになるのや嫌でやんすが、自業自得でやんす」
「そうだよ・・・俺たちなら我慢できるから、もういいよ」
しゅんとした顔で反省を露にする後輩に、円堂はくすりと笑った。
彼らはまだまだ精神的には幼いが、素直でとても可愛らしい。
近くにあった小暮の頭を撫でると、きょとりとした眼差しでこちらを見上げてきて益々笑みを深める。
「どうせここで降りるって言っても俺の負けだ。逃がしてくれないよな、不動君」
「当然だな、円堂ちゃん。逃げれると思うなよ」
連続で勝ち越して気分が良くなっているのか、にいっと口の端を持ち上げると機嫌よく笑顔を見せる。
どう見ても三流悪役の姿に笑いがこみ上げるが何とかぐっと堪えた。
ここで爆笑すれば折角機嫌よくゲームしている不動が剥れてしまう。
他のメンバーは不動と距離を置こうとするが、むしろ円堂からすればこの手のタイプは構いたくて仕方ない。
爪を立て牙を剥き出し警戒してますと全力で訴える姿に、こう、心がうずうずと疼くのだ。
絶対に噛まれると判っているが、野良猫を懐かせたいと望むのと同じだろうか。
嫌だと叫ぶ姿を見ながら腕にぎゅうぎゅうに抱きしめて構いたいのだ。
自分の思うとおりに動かすためにも勝たせて上げている円堂は、フォルドと呟くとカードを捨てる。
煎餅を更に二枚手に入れた不動は満足げに喉を鳴らす猫のようだ。
可愛いなぁと目を細める円堂は、鬼道が傍に居たなら趣味が悪いと嫌そうな顔で忠告されたに違いない。
残念ながらそこまで深く円堂の性格を理解しない一年生は、不安そうに眉を下げて瞳を潤ませた。
頭を撫でていた小暮に顔を近づけづと、紙とペンを用意して文書を作って欲しいと囁く。
大まかに内容を説明すると、目を丸くしていた彼はそれでも頷いて駆け出した。
「何だ?助っ人でも呼びに行ったのか?」
「まさか。お前と勝負するのに助っ人なんて要らないさ」
「───その余裕ぶった態度がむかつくって言ってんだよ」
「悪いな、これは性格だから今更直らないんだ」
息せきかけて戻ってきた小暮に頷くと、一年生たちは小暮に誘われ別のテーブルへ固まる。
その様子を横目で確認してからさらにもう一枚不動に煎餅を巻き上げられて肩を竦めた。
調子付く不動はにやにやとした笑みを常時浮かべ新たにカードを五枚手に取る。
ポーカーフェイスで役を眺めながら、淡々とした様子で口を開いた。
「ポーカー理論って知ってるか、不動君?」
「・・・何だそれは?」
「ハーバード大学の教授も共感し広めようとする理論だ。ポーカーを理解しない奴は一般的に心理戦と言われている部分だけを捉えるが、実際はそうじゃない。勿論それは間違いじゃないが、心理戦のみでは勝ち抜けないプラスアルファの要素がある」
「・・・・・・」
「ポーカーは極めて学術的なゲームだ。カードは五十二枚と限られ、俺とお前が今プレイしているホールデムはポケットは二枚、ボードは五枚の計七枚のカードから五枚を利用する」
「だからどうしたって言うんだ」
「つまり、だ。何が言いたいかというと、数式さえ知っていればどの役がどの程度の割合で完成するか、今俺が利用しているポケットは勝率がいかほどでどういうボードに有利か確立を算出出来るってことだ。少し前の映画でもあっただろう?あれと同じだ」
「だから、何が言いたいかって聞いてるんだよ!」
遠まわしな言い回しに我慢ならないとばかりに柳眉を吊り上げた不動は、カードを指先で弄びながら眺める。
何だかんだ言ってイカサマもせずに真っ向から勝負を挑むところが可愛い。
その気になれば不動ならイカサマくらいは出来そうだが、正々堂々と、と決めているのだろうか。
自分なら勝ちたい勝負で躊躇しないだろうなと想像できるので、ある種の真っ直ぐな理念は好ましくある。
彼は些か歪んでいるが基本的に勝利へ向かい努力する姿勢は真っ直ぐだ。
もっとも、イカサマはばれなければいいだけで、ばれたら下策でしかない。
技術を持つ人間はイカサマを見抜くのもお手の物だ。
円堂相手にその手の技を使わないのは、むしろ正しい。
不動がイカサマを利用しようとしたら、完膚なきまでに同じ手を出してやろうと決めていた。
ぎらぎらとした目で一直線に怒りをぶつける彼よりも、自分の方が余程性格が悪い。
クツクツと喉を震わせて笑いながら、一番端のカードを指先で触れる。
予想通りの役が手の中に揃っていて計算した勝率は悪くない。
「やれやれ。珍しく飲み込みが悪いな、不動。簡単なことだ。お前は俺に勝てない」
「何をっ!?」
「お前が得意なのは心理戦略、そして俺はプラスして確率論戦略も得意なんだ。ポーカーは心理戦だけじゃ勝てない、実に効率のいいゲームだよ。自分の計算を信じる俺はブラフに左右されず動ける。つまりベッドするタイミングも、フォルドするタイミングも心理状況に頼らず選べるってわけだ。今回のゲームでノーリミットに賛同したのは悪判断だったな」
「ふざけるな!あんな化け物じみた行為が出来る奴なんて映画の中だけだ!」
「そんじゃ試してみるか?」
「当然だ!余裕ぶった顔、ぼろぼろに歪めてやるよ」
「負けて後悔してもしらないからな」
「負けねえよ。だから後悔なんてしないね」
あらまぁ、熱くなっちゃって。
内心で笑いが止まらないが、怒りで状況を理解出来てない不動は身を乗り出さんばかりにして睨んで来る。
熱くなると冷静さを欠く部分は弟そっくりだが、腕を伸ばしてぐりぐりと撫で回したい衝動を何とか我慢した。
代わりに近寄ってきた小暮から頼んでいたものを受け取り、にいっと笑う。
ひらりと差し出された紙に訝しげに目を細めた不動は、警戒するように椅子に腰掛けて距離を取った。
「じゃ、これにサインして」
「何だそれ?」
「誓約書。さっき壁山と栗松に作ってもらった。ちゃんと正式文書の法的に考慮できる奴だ。勝つ自信があるならサイン出来るよな?」
「お前も同じ条件か?」
「当たり前だ。ほらペン」
「・・・拇印もか?」
「ああ。あ、これ濡れティッシュ。ほい、立向居預かっておいて」
「でも、円堂さん・・・万が一負けたら」
「大丈夫。俺を信じろって」
「・・・キャプテン」
「お前らの今のキャプテンは俺じゃないだろ。ほれほれ、大丈夫だからどんと腰掛けて状況を見守ってなさいって。ちなみに不動からあれらを巻き上げたら、お前らパシる権利は俺に移行するだけだから覚悟しとけよー」
「ええ!?取り返してくれるんじゃないの!?」
「奪われたものは取り返してやるよ。でも反省の念も篭めてきっちりと顎で使ってやるから覚悟しとけ」
「これじゃどっちを応援していいか判らないっす」
「どっちが勝っても俺たちに待ってるのはパシリでやんす」
「俺は円堂さんのためならそんな紙なくても何でもします!」
「それは立向居だけだよ。キャプテンは本当に容赦ないんだから」
自らの行動を嘆く彼らに微笑むと、サインを終えた紙を公平を期して栗松へ渡す。
煎餅袋の中身を全て確認し、にっと笑った。
先日響から譲り受けた近所の和菓子屋で五百円で買える商品は、実のところ限定商品でもなんでもないし対して執着も持ってない。
この程度の煎餅が欲しいのなら幾らでも譲ってやりたいが、勝ち誇って笑う彼に教えたときの態度も中々楽しみだ。
「さて、それじゃあゲームを続けようか」
勝利の女神の微笑みを受けながら、その一切を懐へ隠してカードをオープンした。
「お前って結構容赦ない性格してるよな」
隣で並んで歩く綱海の、無意識に出たとばかりに自然な言葉に、円堂はぱちりと一つ瞬きをした。
足が止まった円堂に気づくと、不思議そうに顔を傾げて彼も歩みを止めた。
現在綱海と円堂が居るのはライオコット島の滞在地のジャパンエリアではなく、そこから離れた場所にあるイギリスエリアだ。
バスを乗り継いで態々足を伸ばしたのは、偏に円堂が本場のスコーンと紅茶が欲しかったからであり、偶々サーフィン帰りだった綱海は好奇心でついてきた。
気心知れる友人が一緒に来たいと言うのなら特に断る理由もなく、そのまま行動を共にしたのだが。
「どうかしたのか?」
「いや、どうかしたのは俺じゃなくてお前だろ。どうしたんだよ、綱海?」
「何が」
「何がって・・・俺が容赦ない性格してるのは今更だろ?何を改めてんだ?」
「否定しないのか?」
「する要素がないからな」
スコーンの入った袋とと女の子へのお土産のトライフルを両手に持ち、ひょいと肩を竦める。
ちなみに綱海には紅茶缶とイギリスパン、そして近場の店で買ったグリルドポテトを持たせていた。
綱海が自分の意思で購入したのはグリルポテトだけで、他は全部円堂のチョイスだ。
紅茶缶は数種類選んだので宿舎で飲み比べをするのもいいかもしれない。
どちらかと言えば紅茶より珈琲派だが、やはりスコーンは紅茶に限る。
嵩張る袋は綱海の足に幾度も当たりがんがんと音を立てていたが、そのたびに聞こえる悲鳴は華麗にスルーしていた。
荷物持ちをさせた上に不満も完全無視している円堂を、容赦する性格だと言うならそれはある意味感心する。
そう口にすれば、綱海は呆れたとばかりに盛大に表情を崩して、これ見よがしにため息を吐き出した。
「そうじゃねえよ。まぁ、そっちも容赦ないと思うけどさ、そうじゃなくてお前の許容範囲って狭いよな」
「あはは、何言ってるんだよ綱海。俺ほど博愛主義な人間もいないだろ」
「そうそれ!博愛主義!───誰にでも好きって言ってるのに、そのくせ相手の好意を嫌うとこが微妙だっつってんだよ」
再び隣に並んでバス停への道を歩き出すと、上手いこと言うなと感心したように見下ろしてきた。
豪快な彼の性格は空気を読まないが存外に的を得ているから面倒だ。
僅かに笑みを深めた円堂に、嫌そうに眉間の皺を寄せた綱海は、漸くたどり着いたイギリスエリアにある停留場のベンチに腰掛けとんとんと隣を叩いた。
時刻表を確認するとバスが来るまで後十分。
それまでこの会話を続けるのかと思うと少し嫌気が襲うが、拒絶するほどでもない。
ま、いいか、と誘われるままに綱海の隣に腰掛けると、さりげなく荷物を奪われ手が空いた。
「・・・綱海。それトライフル入ってんだけど揺らすなよ」
「トライフルって?」
「さっき買ったケーキ。ほら、女の子のお土産にするって言っといたあれ」
「おお、あれか。うわ、じゃあこれだけ円堂が持て」
「はいはい。大雑把なお前じゃぐちゃぐちゃになるもんな」
「食ったら全部同じだけどな」
「そんなこと言ってる男はもてないぜ、綱海。男は気を使えてナンボだろ」
「けどよ、気を使ってもお前は俺を好きになんかならねぇだろ?」
「・・・ばーか。勿論、俺はお前が好きに決まってるだろ。じゃなきゃ一緒に行動しない」
「判ってんだろ?その好きじゃないって」
不意に普段のおちゃらけた雰囲気を消すと、真剣な眼差しを向ける。
瞳をすいっと細めるだけで綱海の纏う空気は一変する。
普段の鷹揚さが嘘のように、まるでライオンのオスのオンとオフの切り替えがされたように研ぎ澄まされた感覚が一直線に伸びてくる。
本音を探りたいと思ったときに見せる核心を探る鋭い眼差しも、そして理性よりも本能を主として冴える直感も彼を気に入る要素の一つだが、自分に向けられると厄介だった。
何しろ一度疑問を抱けば自分が納得するまで放してくれない。
綱海の言いたいことは説明されずとも判っている。
イナズマキャラバンに居るときから幾度も告白紛いの行為をされているし、それを冗談で流そうとする円堂に譲ってくれているのも知っている。
今回問い詰めようとした原因は一つしか思い浮かばず、厄介ごとをつれてきたイギリスのナイツオブクィーンのキャプテンには苛立ちを覚えた。
全く彼とは相性が悪いとしか思えない。
ここでの初対面で男扱いをした後に円堂の正体を知ると地味にツンデレな態度で世話を焼こうとする。
先ほどスコーンの購入先でのエドガーとの遣り取りは記憶に新しく、ついでにそのまま流してしまおうと思っていただけに掘り起されるのも今更だった。
真新しい異国のパン屋の雰囲気に好奇心一杯で遣り取りに気づいていないと思っていたが、目端が利く綱海はしっかりと見ていたらしい。
「で、エドガーとの遣り取り聞いてたのか?」
「まあな。でも英語だったから意味は判んなかった」
「ああ、お前英語駄目なの?」
「自慢じゃないが英語だけじゃない。現国と古典も苦手だ」
「・・・そうか。そうだな。日本語にも不便してるもんな。英語なんて無理だよな」
「余計なお世話だ!ってか話を逸らすなよ。意味は判んなくても雰囲気は察せれる。エドガーに言い寄られてたんだろ?」
「あれを言い寄ると言うのなら、世の中の紳士はお終いだな」
「違うのか?エドガーは円堂が好きだろ?」
「そうだな。だが口説き文句にしてはレベルが低い。ちなみに内容は教える気はないのであしからず」
「ちぇ。ちょっとは気になったんだけどな。だが、まあいい。お前の結論は見えてるし」
こちらに向けた視線に一瞬力を篭め、緩く口端を持ち上げる。
ざっくばらんな性格をしているが、存外に綱海は好戦的だ。
身内には甘いが敵には鋭い。兄貴肌と木野達は称していたが、どちらかと言うと動物の群れのボスが仲間の面倒を見ようとしている方がしっくりと来る気がした。
勿論本人はキャプテンは別の人間だと判っているので引くべき部分はきっちりと引く冷静さを持っているが、身内と認めた人間を守ろうとする際に見せる獰猛な雰囲気は兄貴などという生温いものではない。
綱海自身がそんな己の気性をどう認識しているか知らないが、彼の根が自分と似ていると感じるからこそ円堂は勝手に綱海に親近感を抱いていた。
もっとも、円堂はここまで無遠慮に他人の領域まで入り込もうとは思わない。
相手の領分に足を踏み入れるのは、相手の心に土足で踏み込むのに近い感覚がある。
綱海と円堂の最大の違いは、必要がないのに他人の領域に踏み込んでまで何かをなしたいと思うか、思わないかかもしれない。
好奇心だけで他人に踏み込みいらぬ何かを背負うのは真っ平ごめんだし、自分にその度量はないと理解している円堂は綱海より遥かに事なかれ主義だ。
周りに快楽主義だの刹那主義だの言われているが、彼らが思うよりずっと愉快犯的な要素は少ないと言っていい。
笑顔で居るのは踏み込まれたくないからだし、笑ってる方が拒絶するより楽に物事を流せる。
完璧な拒絶は軋轢を生み先に影響を与える場合もある。ならその後の利得も考えて動いた方が将来的に益になる。
損得のみで動くわけではないが、感情で揺れるのは嫌いだった。
綱海が『容赦ない』と責めている部分はそこだろう。
「お前の博愛主義ってさ、結局誰も好きじゃねえじゃん」
「そうでもないぞ?」
「───本気で好意を向ける相手は拒絶して、薄っぺらい吹けば飛ぶような好意は受け入れるのに?お前、自分に損得なしに向けられる好意を嫌悪してるじゃねぇか。好かれること事態が嫌いだもんな。まるで感情を持つ個として扱われるのが嫌だと言わんばかりに」
「・・・それでも例外はあるさ」
「弟は別格って?あいつが求めてるのもその『好き』じゃねえって判ってんのに?」
「それはあいつが勝手に望んでるだけだ。俺が勝手にあいつを特別だと認識してるのと同じだな」
「そういう意味だと、一之瀬と豪炎寺と風丸もお前は特別扱いしてるよな」
「一哉は協力者で、豪炎寺は俺と同じで、風丸は幼馴染だからな」
「それだけで特別扱いされてんなら、男としては同情するぜ。そんなら俺はその他大勢の一人の方がいい」
「俺は綱海も好きだけど?」
「お友達として?はっ、海の男を馬鹿にしてると痛い目を見るぞ」
「今現在痛い目を見てる気もするけどね」
「そりゃいい。お前みたいなのは時々しっぺ返しを食らわねえと判んなくなっちまうだろ。丁度いいじゃねえか」
「・・・俺も容赦ない性格してるけどさ、お前も周りが言うほど鷹揚じゃないよな。いい性格してるよ、ホント」
「お前のダチをやんならこうでもないと付き合いきれねえだろ。海の男は気性も激しいもんだ」
一歩間違えれば険悪にもなりかねなかったムードを忘れたようにカラカラと笑う綱海に苦笑する。
どうやら情緒不安定気味なのを見抜かれていたらしい。
気を抜いた瞬間にガツンと正気に返らせてくれる友人は貴重だ。
やはり綱海は器が大きい。無駄に大人びている自分と違い、その心は本当に海のようだ。
「俺は案外お前が思ってるよりずっとお前が好きだけどな」
「俺が欲しいのはその『好き』じゃねえよ。ま、向けられる好意はありがたくいただいとくけどなー」
「素直にありがとうって言えない奴って寂しいよね」
「素直に感情を吐露できないお前に言われたくねえよ」
正面を向いたまま視線だけで睨み合うと、次の瞬間には破顔した。
けらけらと大声で笑う二人に周囲の視線が突き刺さるが、ありがたいことにどちらも周りの目を気にするタイプでもない。
ひとしきり笑うと丁度いいタイミングでバスが来て、荷物を手に取り立ち上がった。
「宿舎に帰ったらサンドウィッチ作ってやるよ。この間フィディオからいい生ハム貰ったんだ」
「サンドウィッチか。俺は基本ご飯派だけど、たまにはいいな!」
「嵌るぜ、本場のサンドウィッチ。今日の気分はホットサンドだな」
「えー?常夏の島でホットサンドって暑くないか?」
「馬鹿、暑いときに暑いもんを食ってこそ日本人のグルメな舌が満足するんだろうが。言っとくけど、俺のホットサンドは激ウマだからな」
「んじゃお手並み拝見と行くか」
「当然お前も手伝うんだよ。絶対に匂い嗅ぎ付けてつまみ食いするやつらが来るからな」
「そうだな!あいつらも成長期だしな!よし、焼いて焼いて焼きまくるぜ!」
目の前で停留したバスに乗り込むと、隣同士に腰掛けて下らない話題で盛り上がる。
辛辣な言葉を吐いても、後を引かないから綱海が好きだ。
「帰ったらすぐカロリー計算だからな」
「えぇー?円堂がやってくれよ」
「働かざる者食うべからずだ。俺は同い年には容赦しない」
「・・・へぇへぇ、判りましたよ」
拗ねたように唇を尖らせた綱海に円堂はにっこりといい笑顔を向けた。
「やっぱお前は容赦ない性格してるよ」
隣で並んで歩く綱海の、無意識に出たとばかりに自然な言葉に、円堂はぱちりと一つ瞬きをした。
足が止まった円堂に気づくと、不思議そうに顔を傾げて彼も歩みを止めた。
現在綱海と円堂が居るのはライオコット島の滞在地のジャパンエリアではなく、そこから離れた場所にあるイギリスエリアだ。
バスを乗り継いで態々足を伸ばしたのは、偏に円堂が本場のスコーンと紅茶が欲しかったからであり、偶々サーフィン帰りだった綱海は好奇心でついてきた。
気心知れる友人が一緒に来たいと言うのなら特に断る理由もなく、そのまま行動を共にしたのだが。
「どうかしたのか?」
「いや、どうかしたのは俺じゃなくてお前だろ。どうしたんだよ、綱海?」
「何が」
「何がって・・・俺が容赦ない性格してるのは今更だろ?何を改めてんだ?」
「否定しないのか?」
「する要素がないからな」
スコーンの入った袋とと女の子へのお土産のトライフルを両手に持ち、ひょいと肩を竦める。
ちなみに綱海には紅茶缶とイギリスパン、そして近場の店で買ったグリルドポテトを持たせていた。
綱海が自分の意思で購入したのはグリルポテトだけで、他は全部円堂のチョイスだ。
紅茶缶は数種類選んだので宿舎で飲み比べをするのもいいかもしれない。
どちらかと言えば紅茶より珈琲派だが、やはりスコーンは紅茶に限る。
嵩張る袋は綱海の足に幾度も当たりがんがんと音を立てていたが、そのたびに聞こえる悲鳴は華麗にスルーしていた。
荷物持ちをさせた上に不満も完全無視している円堂を、容赦する性格だと言うならそれはある意味感心する。
そう口にすれば、綱海は呆れたとばかりに盛大に表情を崩して、これ見よがしにため息を吐き出した。
「そうじゃねえよ。まぁ、そっちも容赦ないと思うけどさ、そうじゃなくてお前の許容範囲って狭いよな」
「あはは、何言ってるんだよ綱海。俺ほど博愛主義な人間もいないだろ」
「そうそれ!博愛主義!───誰にでも好きって言ってるのに、そのくせ相手の好意を嫌うとこが微妙だっつってんだよ」
再び隣に並んでバス停への道を歩き出すと、上手いこと言うなと感心したように見下ろしてきた。
豪快な彼の性格は空気を読まないが存外に的を得ているから面倒だ。
僅かに笑みを深めた円堂に、嫌そうに眉間の皺を寄せた綱海は、漸くたどり着いたイギリスエリアにある停留場のベンチに腰掛けとんとんと隣を叩いた。
時刻表を確認するとバスが来るまで後十分。
それまでこの会話を続けるのかと思うと少し嫌気が襲うが、拒絶するほどでもない。
ま、いいか、と誘われるままに綱海の隣に腰掛けると、さりげなく荷物を奪われ手が空いた。
「・・・綱海。それトライフル入ってんだけど揺らすなよ」
「トライフルって?」
「さっき買ったケーキ。ほら、女の子のお土産にするって言っといたあれ」
「おお、あれか。うわ、じゃあこれだけ円堂が持て」
「はいはい。大雑把なお前じゃぐちゃぐちゃになるもんな」
「食ったら全部同じだけどな」
「そんなこと言ってる男はもてないぜ、綱海。男は気を使えてナンボだろ」
「けどよ、気を使ってもお前は俺を好きになんかならねぇだろ?」
「・・・ばーか。勿論、俺はお前が好きに決まってるだろ。じゃなきゃ一緒に行動しない」
「判ってんだろ?その好きじゃないって」
不意に普段のおちゃらけた雰囲気を消すと、真剣な眼差しを向ける。
瞳をすいっと細めるだけで綱海の纏う空気は一変する。
普段の鷹揚さが嘘のように、まるでライオンのオスのオンとオフの切り替えがされたように研ぎ澄まされた感覚が一直線に伸びてくる。
本音を探りたいと思ったときに見せる核心を探る鋭い眼差しも、そして理性よりも本能を主として冴える直感も彼を気に入る要素の一つだが、自分に向けられると厄介だった。
何しろ一度疑問を抱けば自分が納得するまで放してくれない。
綱海の言いたいことは説明されずとも判っている。
イナズマキャラバンに居るときから幾度も告白紛いの行為をされているし、それを冗談で流そうとする円堂に譲ってくれているのも知っている。
今回問い詰めようとした原因は一つしか思い浮かばず、厄介ごとをつれてきたイギリスのナイツオブクィーンのキャプテンには苛立ちを覚えた。
全く彼とは相性が悪いとしか思えない。
ここでの初対面で男扱いをした後に円堂の正体を知ると地味にツンデレな態度で世話を焼こうとする。
先ほどスコーンの購入先でのエドガーとの遣り取りは記憶に新しく、ついでにそのまま流してしまおうと思っていただけに掘り起されるのも今更だった。
真新しい異国のパン屋の雰囲気に好奇心一杯で遣り取りに気づいていないと思っていたが、目端が利く綱海はしっかりと見ていたらしい。
「で、エドガーとの遣り取り聞いてたのか?」
「まあな。でも英語だったから意味は判んなかった」
「ああ、お前英語駄目なの?」
「自慢じゃないが英語だけじゃない。現国と古典も苦手だ」
「・・・そうか。そうだな。日本語にも不便してるもんな。英語なんて無理だよな」
「余計なお世話だ!ってか話を逸らすなよ。意味は判んなくても雰囲気は察せれる。エドガーに言い寄られてたんだろ?」
「あれを言い寄ると言うのなら、世の中の紳士はお終いだな」
「違うのか?エドガーは円堂が好きだろ?」
「そうだな。だが口説き文句にしてはレベルが低い。ちなみに内容は教える気はないのであしからず」
「ちぇ。ちょっとは気になったんだけどな。だが、まあいい。お前の結論は見えてるし」
こちらに向けた視線に一瞬力を篭め、緩く口端を持ち上げる。
ざっくばらんな性格をしているが、存外に綱海は好戦的だ。
身内には甘いが敵には鋭い。兄貴肌と木野達は称していたが、どちらかと言うと動物の群れのボスが仲間の面倒を見ようとしている方がしっくりと来る気がした。
勿論本人はキャプテンは別の人間だと判っているので引くべき部分はきっちりと引く冷静さを持っているが、身内と認めた人間を守ろうとする際に見せる獰猛な雰囲気は兄貴などという生温いものではない。
綱海自身がそんな己の気性をどう認識しているか知らないが、彼の根が自分と似ていると感じるからこそ円堂は勝手に綱海に親近感を抱いていた。
もっとも、円堂はここまで無遠慮に他人の領域まで入り込もうとは思わない。
相手の領分に足を踏み入れるのは、相手の心に土足で踏み込むのに近い感覚がある。
綱海と円堂の最大の違いは、必要がないのに他人の領域に踏み込んでまで何かをなしたいと思うか、思わないかかもしれない。
好奇心だけで他人に踏み込みいらぬ何かを背負うのは真っ平ごめんだし、自分にその度量はないと理解している円堂は綱海より遥かに事なかれ主義だ。
周りに快楽主義だの刹那主義だの言われているが、彼らが思うよりずっと愉快犯的な要素は少ないと言っていい。
笑顔で居るのは踏み込まれたくないからだし、笑ってる方が拒絶するより楽に物事を流せる。
完璧な拒絶は軋轢を生み先に影響を与える場合もある。ならその後の利得も考えて動いた方が将来的に益になる。
損得のみで動くわけではないが、感情で揺れるのは嫌いだった。
綱海が『容赦ない』と責めている部分はそこだろう。
「お前の博愛主義ってさ、結局誰も好きじゃねえじゃん」
「そうでもないぞ?」
「───本気で好意を向ける相手は拒絶して、薄っぺらい吹けば飛ぶような好意は受け入れるのに?お前、自分に損得なしに向けられる好意を嫌悪してるじゃねぇか。好かれること事態が嫌いだもんな。まるで感情を持つ個として扱われるのが嫌だと言わんばかりに」
「・・・それでも例外はあるさ」
「弟は別格って?あいつが求めてるのもその『好き』じゃねえって判ってんのに?」
「それはあいつが勝手に望んでるだけだ。俺が勝手にあいつを特別だと認識してるのと同じだな」
「そういう意味だと、一之瀬と豪炎寺と風丸もお前は特別扱いしてるよな」
「一哉は協力者で、豪炎寺は俺と同じで、風丸は幼馴染だからな」
「それだけで特別扱いされてんなら、男としては同情するぜ。そんなら俺はその他大勢の一人の方がいい」
「俺は綱海も好きだけど?」
「お友達として?はっ、海の男を馬鹿にしてると痛い目を見るぞ」
「今現在痛い目を見てる気もするけどね」
「そりゃいい。お前みたいなのは時々しっぺ返しを食らわねえと判んなくなっちまうだろ。丁度いいじゃねえか」
「・・・俺も容赦ない性格してるけどさ、お前も周りが言うほど鷹揚じゃないよな。いい性格してるよ、ホント」
「お前のダチをやんならこうでもないと付き合いきれねえだろ。海の男は気性も激しいもんだ」
一歩間違えれば険悪にもなりかねなかったムードを忘れたようにカラカラと笑う綱海に苦笑する。
どうやら情緒不安定気味なのを見抜かれていたらしい。
気を抜いた瞬間にガツンと正気に返らせてくれる友人は貴重だ。
やはり綱海は器が大きい。無駄に大人びている自分と違い、その心は本当に海のようだ。
「俺は案外お前が思ってるよりずっとお前が好きだけどな」
「俺が欲しいのはその『好き』じゃねえよ。ま、向けられる好意はありがたくいただいとくけどなー」
「素直にありがとうって言えない奴って寂しいよね」
「素直に感情を吐露できないお前に言われたくねえよ」
正面を向いたまま視線だけで睨み合うと、次の瞬間には破顔した。
けらけらと大声で笑う二人に周囲の視線が突き刺さるが、ありがたいことにどちらも周りの目を気にするタイプでもない。
ひとしきり笑うと丁度いいタイミングでバスが来て、荷物を手に取り立ち上がった。
「宿舎に帰ったらサンドウィッチ作ってやるよ。この間フィディオからいい生ハム貰ったんだ」
「サンドウィッチか。俺は基本ご飯派だけど、たまにはいいな!」
「嵌るぜ、本場のサンドウィッチ。今日の気分はホットサンドだな」
「えー?常夏の島でホットサンドって暑くないか?」
「馬鹿、暑いときに暑いもんを食ってこそ日本人のグルメな舌が満足するんだろうが。言っとくけど、俺のホットサンドは激ウマだからな」
「んじゃお手並み拝見と行くか」
「当然お前も手伝うんだよ。絶対に匂い嗅ぎ付けてつまみ食いするやつらが来るからな」
「そうだな!あいつらも成長期だしな!よし、焼いて焼いて焼きまくるぜ!」
目の前で停留したバスに乗り込むと、隣同士に腰掛けて下らない話題で盛り上がる。
辛辣な言葉を吐いても、後を引かないから綱海が好きだ。
「帰ったらすぐカロリー計算だからな」
「えぇー?円堂がやってくれよ」
「働かざる者食うべからずだ。俺は同い年には容赦しない」
「・・・へぇへぇ、判りましたよ」
拗ねたように唇を尖らせた綱海に円堂はにっこりといい笑顔を向けた。
「やっぱお前は容赦ない性格してるよ」
「───影山」
気がつけば帝国サイドのベンチの前に、一人の男が立っていた。
襟首まできっちりと隠れる服を着た長身の男は、長く伸びた髪を一本で結んでいる。
過去の幻影が一瞬過ぎり、痛みを堪えるように奥歯を噛み締めた。
怒りで震えそうになる体を、拳を握ることで必死で耐え顎を引いて顔を上げる。
サングラス越しの視線がこちらに向いているのを感じ、精々ふてぶてしく笑って見せた。
「どうした、守?嘗てのように総帥と呼んではくれないのか?」
「相変わらず俺に執着しているみたいだね。でも残念。俺の守備範囲は年齢プラス一回り上までなんだ。条件を超える相手はイケメン以外は相手にしないようにしてんの。だから俺を自分のもの扱いは止めてくれ」
「お前は私の作品だ。天賦の才を持つ、私の最高傑作品。・・・だが、それももう過去になるがな」
「どういう意味だ」
「お前の弟、鬼道有人がお前を超えるということだ。二年間お前が以前の実力を取り戻そうとどれだけ努力したか知らんが、お前はお前自身の過去を越えられない。その可能性もない。ゴールキーパーを選んだのは少しでも体力を温存させるためだろうが、それも無駄だ。何よりお前の才能が一番活きるポジション、それはミッドフィルダー。私が育てた最高の作品のお前は、そのポジションで始めて真価を発揮する!」
「今の俺はあなたが覚えている俺じゃないんだ。俺は雷門のゴールキーパーだ。あなたが唯一正確に俺の実力を知らないポジションだよ。それに無駄かどうかはやってみないと判らない」
「相変わらず生意気なことだな。その程度のチームで実力を抑えつつプレイするのが楽しいか?お前のサッカーはもっと自由なものだったのではないか。フィールドの中で風を切り、勝気な戦略で敵を翻弄し蝶のように舞う。勝つための私の教えを全て無視して、それでも傲慢に勝ち続けたお前は何処に行った?誰もがお前に惹かれ誰もがお前とプレイしたいと望んだ。そのお前は何処に消えた?」
「何言ってんだよ。あなたが作り上げた天才の『鬼道守』は世界中の何処を探したっていないよ。あれ以上ない証拠を差し出してあげたじゃないか。ここに居るのは『円堂守』。あなたが憎み嫉み怨んだ男の孫だ」
「嘗てのお前は天才だった。何人にも執着せず、誰よりも貪欲に上を目指し下を見下ろして笑っていた。私が愛したのはサッカー以外に執着を持たなかった『鬼道守』だ。『円堂守』などという紛い物ではない。───二年前、自らサッカーに決別したお前が何処まで出来るか見てやろう。その体、抱えている爆弾は『一つではない』だろう?」
「関係ないね。俺のサッカーはあなたのサッカーと違う。俺がしたいサッカーは個人が秀でていれば出来るものじゃない。十一人揃って初めて出来るサッカーだ」
「詭弁だな。だが───それがお前だったな、守」
まるで愛しくて仕方ない相手を見詰めるように微笑んだ影山に瞳を眇める。
クツクツと喉を震わせ愉快だと言外に告げる男は、嘗ては恩師と慕った相手だった。
両親を失い他に肉親の無い円堂にサッカーを教えたのは影山だ。
戦略の立て方も技術も、基礎は全て彼に教えてもらった。
納得いかないことは容赦なく拒否してきたが、それでも彼の技の開発に協力したし盗める技術は全て盗んだ。
砂漠の砂が水を吸収するように、与えられた技術を吸収発展させた。
彼がいなければ現在の円堂は居ない。
憎んでいるが感謝している。
お陰で束の間とは言え色々な舞台に立てた。世界でも有数のプレイヤーとサッカーが出来た。
知識も経験も糧となり、同年代の中学生より遥かに広い世界を見てきた。
だが彼の色に染まる気はない。
根本が違いすぎるのだ、円堂と影山では。
『サッカーを愛する』から楽しい円堂。『サッカーを歪んだ形で愛する』から勝ち続ける影山。
「あなたの生涯の最高傑作は俺ですよ、『総帥』。死ぬ瞬間まであなたは俺という幻想から逃げれない」
「ほう?鬼道に成り代わるとでも言うつもりか?捨てるだけでは飽き足らず、今度は鬼道の居場所を奪うのか?」
にやり、と笑った影山は呆然と突っ立っていた鬼道を指差した。
大袈裟なまでに体を震わせた鬼道は、柳眉を吊り上げる。
「そんなことは・・・そんなことはさせない!俺はもうお前に何も奪わせはしない!絶対に・・・絶対に、だ!!」
影山に屈するということは、すなわち鬼道の将来を摘み取ると同意だ。
円堂としては端から影山の与えるものになど興味はなく、鬼道の位置に成り代わりたいという願望もない。
本来なら頼まれても近づきたい人種ではないし、出来れば二度と関わりたくない。
だが彼の傍には自分に捨てられたと思い込んでいる『有人』が居る。
憎まれても嫌われても、『守』は『有人』を愛している。
一方的にその手を放したが、彼を想わない日はなかった。
一番傍に居なくてはいけない時期に離れたことが一生の傷を残したなら、一生をかけて償おう。
何を購いにすることも厭わないから、彼から『有人』を奪い返さねばならない。
そうでなければ、彼の道を影山と切り離さなければ、勝つ執念に染まりきってしまったなら、もう二度と『有人』は日の当たる道を歩けない。
影山の意思のままに操られる人形となり、歪んだ感情でサッカーに向き合う傀儡となる。
それだけは許してはいけない。
勝手な都合で彼を手放した『守』こそが、責任を持って止めなくてはいけないのだ。
悲痛な声で叫んだ鬼道がマントを翻し帝国のベンチへと向かう。
その姿を見送って服の上から胸の部分を掴むと、深呼吸して背筋を伸ばした。
自分を奇異の眼差しで見詰める雷門中のメンバーを視線でひと撫でし、ひゅっと息を吸い込む。
「・・・円堂」
「ごめん、皆。そしてありがとう。雷門中のサッカー部だったから、俺はこの場所に立てている。俺は本当に、お前らとサッカーがやれて嬉しいんだ。サッカーは楽しいものだと思い出させてくれるお前らと、プレイ出来て嬉しいんだ」
「円堂」
影山の言うとおり、現在のこのチームでは円堂の実力は活かしきれない。
二年前のハンデを負った今でも差がありすぎる。
しかしそれは影山が丹精篭めて育てたらしい帝国の面々に対しても言える言葉だ。
もし万が一あのチームに入っても、円堂の本気のプレイに応えられる相手などいないだろう。
『鬼道守』が居た高みは、この程度の器に収まるものではないのだ。
『円堂守』は『鬼道守』の片鱗しか持っていないが、それでも彼らの上を行く実力を円堂は有している。
鬼道を前にした瞬間だけ僅かに実力を発揮したが、一之瀬と協力して打ったシュートも本来の威力の三分の一もない。
むしろ一之瀬の力を借りない自分一人のシュートの方が遥かな威力を持つものが打てただろう。
その気になれば帝国のプレイヤー程度なら一人でごぼう抜きも出来た。
彼らの中で一番の実力者であろう鬼道ですら、予想以上に実力はあったが想定内の枠を超えなかったのだから。
しかし円堂は一人でプレイする気はない。
『円堂守』の本気のプレイは雷門中サッカー部と協力して戦うことだ。
突出した個人技に全てを頼らせるのではなく、彼らは全員が一丸となって闘うことで個の能力を超える。著しい実力者は現在のこのチームでは障害にしかならず、むしろバランスを崩すだろう。
『守』の望むサッカーは、愛しているサッカーは、自分一人では出来ないのだ。
そして何より円堂の真の力を知り、彼らが潰れるさまは見たくなかった。
昔は相手の実力不足だと、潰れるならそれもまた一興と思っていたが、そんな心を変えてくれたのは弟の存在だった。
だから彼にも思い出して欲しい。
勝つため以外にも、大切なものがあるのだと。
このチームなら、そして鬼道を想う人間が居るあのチームなら、きっと彼に思い出させれる。
彼らの実力を全開まで引き出してプレイする。心を重ねて仲間とサッカーをする。
それが昔からの自分のプレイスタイル。
「昔の俺は鬼道の性を名乗っていた。あそこに居る『鬼道有人』は血の繋がらない兄弟だった。見ての通り俺はあいつに心の底から憎まれている。だか『姉』として、最後の役目を果たしたい。何も話さないで助けてくれって言うのは図々しいって判ってる。けど、頼む。どうか、鬼道の目を覚まさせるために今は力を貸してくれ」
こちらを見詰める仲間たちに深々と頭を下げる。
助けてもらえるなら土下座だって厭わない。
自分は一度サッカーを捨てた身だ。
それでものこのことこの場に帰ってくるほどに、執着があるのだ。
「・・・頭を上げろ、円堂」
「風丸」
「俺たちは誰もお前に利用されたなんて思っちゃいねぇよ」
「染岡」
「俺たちがここまでこれたのは、キャプテンがいたからっす。苦しい時でも辛い時でもキャプテンは俺たちを一回も見捨てたりしなかったっす」
「壁山」
「そうでやんす。だから今度は俺たちがキャプテンを支える番でやんす」
「栗松」
「でも、あとできちんと理由は聞かせてよね。そうじゃなきゃ納得しないから」
「マックス」
「まさか円堂が女の子とはね。だから一之瀬が気を使ってたわけだ」
「あはは、ごめんね皆。俺はこっちの方が見慣れてるんだ」
「邪心がだだもれだからてっきりそっちの道に行ったのかと思ったぜ。でも、漸く判った。こうなりゃ、協力するっきゃないでしょ。お前が俺を信じてくれたように、俺だってお前を信じるよ」
「土門」
顔を巡らせば残りのメンバーもにこりと微笑み、ぐっと親指を立ててきた。
懐かしい感覚。
まだフィールドを自由に駆け回れたときに、同じような仲間がいた。
『サッカーは楽しいものだ』と胸を張って言える、そんな仲間が。
『守』が『有人』に見せたいのは、思い出させたいのは、そんなサッカーなのだ。
「ありがとう」
『鬼道守』はヨーロッパ屈指の天才プレイヤーだった。
対して『円堂守』はその栄光の全てを失い、地べたから這い上がった存在でしかない。
嘗ての名声は今はもう手が届かぬ光の彼方に存在し、二度と立てない場所だと知っている。
毎日に絶望し、取り上げられた全てに涙を飲んだのも一度や二度ではない。
けれどある日唐突に気づいた。
世界の舞台に立てなくても、自分はサッカーが出来る場所があるのだと。
そして自分が弟のためとエゴを振りかざした結果に気づき、愕然とした。
何という恐ろしいことをしてしまったのか。何という愚かな真似をしてしまったのか、と。
無意識に掛けたリミッターを解除するのは、今の円堂には死刑宣告と同じだ。
自分の選んだ道の結末を覆すために、文字通り命を掛ける。
円陣を組んで、こちらに視線を向ける仲間に微笑む。
そしてゆっくりと口を開いた。
「前半に無理をした鬼道の負担を考えると、皇帝ペンギン2号は打ててあともう一発。それさえ凌げばこの試合、必ず勝てる」
「ああ」
「この試合が終わったら、全部話す。だから、頼む。この試合もう一点奪って絶対に勝ってくれ。ゴールは俺が割らせない」
「判った」
「信じてるぜ、キャプテン」
「雷門の守護神として、きちっと活躍してよね」
「そうそう。円堂はあくまでキーパー。俺たちも毎度期待してるわけじゃない」
「・・・サンキュ、皆。───後半は豪炎寺にボールを集めろ、勢いに乗って点を奪うぞ!俺たちは帝国に勝つ!!」
『おう!!』
円堂の実力の片鱗を見せつけても、円堂の力のみを頼りにしないと言い切る彼らが誇らしい。
実力の差があっても、彼らは対等な仲間だ。
組んでいた円陣から離れると、視線を感じて顔を上げる。
そして激しい憎悪を向ける鬼道と目が合い、少しだけ泣きたくなった。
振り切るようにこちらから視線を外し、離れた場所にぽつんと立っている音無へ近づく。
怯えた小動物のようにこちらを見上げた少女に、柔らかく微笑んだ。
「安心しろ、音無。俺たちがこの試合に勝っても帝国はフットボールフロンティアへの参加権は失わない」
「───どういうことですか?」
「勉強不足だな、マネージャー。前年度優勝校は特別枠があるんだよ。だからあいつの望みを挫く訳じゃない。ここで負けても、あいつはきっとお前を得るために優勝を目指す」
「どうして」
「ん?」
「どうして、私にそんなこと言うんです。私は円堂先輩に・・・キャプテンに酷いこと言ったのに」
「簡単だよ、音無。『有人』の妹は、俺にとっても特別だ。なんて言っても可愛い弟の大事な妹なんだからな。───お前の兄貴を取ってごめんな」
「っ・・・ごめんなさい。ごめんなさぃ、ごめんなさい!酷いこと言って、ごめんなさい!」
「泣くなよ。鬼道がお前に自分から全てを話すまで、その涙は取っておいてやってくれ。・・・俺なんかのために、泣いてくれてありがとな」
指先で零れ落ちる綺麗な雫を拭ってやる。
少女は自分と違ってとても綺麗だ。
この子なら、後悔しない。
『有人』が愛するこの少女になら、全てを渡してもきっと後悔しない。
胸の前で手を組み祈るように見詰める音無に微笑むと、首に掛けていたゴーグルとマントを外して渡す。
この行動が、真の意味での過去との決別の瞬間だった。
本当の敵は、『守』に誘われ顔を出した。
戦うべき相手を前に昂ぶる神経をぐっと抑える。
『どんな時でも冷静さを欠くな』
それは影山が最初に叩き込んだ基礎で基盤。
体中に絡みつくねちっこい視線に嘲笑を浮かべる。
高みの見物を気取っていれば良かったのに、のこのこと我慢しきれず同じ土俵に上がってくれた男に感謝を。
お陰様で『影山零治』という人間の有様を余すことなく見せてやれる。
先ほどピッチで確認した違和感は、円陣を組んだ際に仲間には伝えた。
彼がどのタイミングで何をするか、影山の性格を知る円堂には良く判る。
だが少しだけ心配も残った。
普段の冷静さを欠いている鬼道率いる帝国のチームはこの異変に気付いているのだろうか。
熱くなりすぎている鬼道に、円堂は緩く首を振った。
弟を助けるのは姉の役目。
以前は放棄したそれを、今度こそ果たせばいいだけだ。
間もなく吹かれる試合開始のホイッスルに、気を引き締めてピッチへ上がった。
気がつけば帝国サイドのベンチの前に、一人の男が立っていた。
襟首まできっちりと隠れる服を着た長身の男は、長く伸びた髪を一本で結んでいる。
過去の幻影が一瞬過ぎり、痛みを堪えるように奥歯を噛み締めた。
怒りで震えそうになる体を、拳を握ることで必死で耐え顎を引いて顔を上げる。
サングラス越しの視線がこちらに向いているのを感じ、精々ふてぶてしく笑って見せた。
「どうした、守?嘗てのように総帥と呼んではくれないのか?」
「相変わらず俺に執着しているみたいだね。でも残念。俺の守備範囲は年齢プラス一回り上までなんだ。条件を超える相手はイケメン以外は相手にしないようにしてんの。だから俺を自分のもの扱いは止めてくれ」
「お前は私の作品だ。天賦の才を持つ、私の最高傑作品。・・・だが、それももう過去になるがな」
「どういう意味だ」
「お前の弟、鬼道有人がお前を超えるということだ。二年間お前が以前の実力を取り戻そうとどれだけ努力したか知らんが、お前はお前自身の過去を越えられない。その可能性もない。ゴールキーパーを選んだのは少しでも体力を温存させるためだろうが、それも無駄だ。何よりお前の才能が一番活きるポジション、それはミッドフィルダー。私が育てた最高の作品のお前は、そのポジションで始めて真価を発揮する!」
「今の俺はあなたが覚えている俺じゃないんだ。俺は雷門のゴールキーパーだ。あなたが唯一正確に俺の実力を知らないポジションだよ。それに無駄かどうかはやってみないと判らない」
「相変わらず生意気なことだな。その程度のチームで実力を抑えつつプレイするのが楽しいか?お前のサッカーはもっと自由なものだったのではないか。フィールドの中で風を切り、勝気な戦略で敵を翻弄し蝶のように舞う。勝つための私の教えを全て無視して、それでも傲慢に勝ち続けたお前は何処に行った?誰もがお前に惹かれ誰もがお前とプレイしたいと望んだ。そのお前は何処に消えた?」
「何言ってんだよ。あなたが作り上げた天才の『鬼道守』は世界中の何処を探したっていないよ。あれ以上ない証拠を差し出してあげたじゃないか。ここに居るのは『円堂守』。あなたが憎み嫉み怨んだ男の孫だ」
「嘗てのお前は天才だった。何人にも執着せず、誰よりも貪欲に上を目指し下を見下ろして笑っていた。私が愛したのはサッカー以外に執着を持たなかった『鬼道守』だ。『円堂守』などという紛い物ではない。───二年前、自らサッカーに決別したお前が何処まで出来るか見てやろう。その体、抱えている爆弾は『一つではない』だろう?」
「関係ないね。俺のサッカーはあなたのサッカーと違う。俺がしたいサッカーは個人が秀でていれば出来るものじゃない。十一人揃って初めて出来るサッカーだ」
「詭弁だな。だが───それがお前だったな、守」
まるで愛しくて仕方ない相手を見詰めるように微笑んだ影山に瞳を眇める。
クツクツと喉を震わせ愉快だと言外に告げる男は、嘗ては恩師と慕った相手だった。
両親を失い他に肉親の無い円堂にサッカーを教えたのは影山だ。
戦略の立て方も技術も、基礎は全て彼に教えてもらった。
納得いかないことは容赦なく拒否してきたが、それでも彼の技の開発に協力したし盗める技術は全て盗んだ。
砂漠の砂が水を吸収するように、与えられた技術を吸収発展させた。
彼がいなければ現在の円堂は居ない。
憎んでいるが感謝している。
お陰で束の間とは言え色々な舞台に立てた。世界でも有数のプレイヤーとサッカーが出来た。
知識も経験も糧となり、同年代の中学生より遥かに広い世界を見てきた。
だが彼の色に染まる気はない。
根本が違いすぎるのだ、円堂と影山では。
『サッカーを愛する』から楽しい円堂。『サッカーを歪んだ形で愛する』から勝ち続ける影山。
「あなたの生涯の最高傑作は俺ですよ、『総帥』。死ぬ瞬間まであなたは俺という幻想から逃げれない」
「ほう?鬼道に成り代わるとでも言うつもりか?捨てるだけでは飽き足らず、今度は鬼道の居場所を奪うのか?」
にやり、と笑った影山は呆然と突っ立っていた鬼道を指差した。
大袈裟なまでに体を震わせた鬼道は、柳眉を吊り上げる。
「そんなことは・・・そんなことはさせない!俺はもうお前に何も奪わせはしない!絶対に・・・絶対に、だ!!」
影山に屈するということは、すなわち鬼道の将来を摘み取ると同意だ。
円堂としては端から影山の与えるものになど興味はなく、鬼道の位置に成り代わりたいという願望もない。
本来なら頼まれても近づきたい人種ではないし、出来れば二度と関わりたくない。
だが彼の傍には自分に捨てられたと思い込んでいる『有人』が居る。
憎まれても嫌われても、『守』は『有人』を愛している。
一方的にその手を放したが、彼を想わない日はなかった。
一番傍に居なくてはいけない時期に離れたことが一生の傷を残したなら、一生をかけて償おう。
何を購いにすることも厭わないから、彼から『有人』を奪い返さねばならない。
そうでなければ、彼の道を影山と切り離さなければ、勝つ執念に染まりきってしまったなら、もう二度と『有人』は日の当たる道を歩けない。
影山の意思のままに操られる人形となり、歪んだ感情でサッカーに向き合う傀儡となる。
それだけは許してはいけない。
勝手な都合で彼を手放した『守』こそが、責任を持って止めなくてはいけないのだ。
悲痛な声で叫んだ鬼道がマントを翻し帝国のベンチへと向かう。
その姿を見送って服の上から胸の部分を掴むと、深呼吸して背筋を伸ばした。
自分を奇異の眼差しで見詰める雷門中のメンバーを視線でひと撫でし、ひゅっと息を吸い込む。
「・・・円堂」
「ごめん、皆。そしてありがとう。雷門中のサッカー部だったから、俺はこの場所に立てている。俺は本当に、お前らとサッカーがやれて嬉しいんだ。サッカーは楽しいものだと思い出させてくれるお前らと、プレイ出来て嬉しいんだ」
「円堂」
影山の言うとおり、現在のこのチームでは円堂の実力は活かしきれない。
二年前のハンデを負った今でも差がありすぎる。
しかしそれは影山が丹精篭めて育てたらしい帝国の面々に対しても言える言葉だ。
もし万が一あのチームに入っても、円堂の本気のプレイに応えられる相手などいないだろう。
『鬼道守』が居た高みは、この程度の器に収まるものではないのだ。
『円堂守』は『鬼道守』の片鱗しか持っていないが、それでも彼らの上を行く実力を円堂は有している。
鬼道を前にした瞬間だけ僅かに実力を発揮したが、一之瀬と協力して打ったシュートも本来の威力の三分の一もない。
むしろ一之瀬の力を借りない自分一人のシュートの方が遥かな威力を持つものが打てただろう。
その気になれば帝国のプレイヤー程度なら一人でごぼう抜きも出来た。
彼らの中で一番の実力者であろう鬼道ですら、予想以上に実力はあったが想定内の枠を超えなかったのだから。
しかし円堂は一人でプレイする気はない。
『円堂守』の本気のプレイは雷門中サッカー部と協力して戦うことだ。
突出した個人技に全てを頼らせるのではなく、彼らは全員が一丸となって闘うことで個の能力を超える。著しい実力者は現在のこのチームでは障害にしかならず、むしろバランスを崩すだろう。
『守』の望むサッカーは、愛しているサッカーは、自分一人では出来ないのだ。
そして何より円堂の真の力を知り、彼らが潰れるさまは見たくなかった。
昔は相手の実力不足だと、潰れるならそれもまた一興と思っていたが、そんな心を変えてくれたのは弟の存在だった。
だから彼にも思い出して欲しい。
勝つため以外にも、大切なものがあるのだと。
このチームなら、そして鬼道を想う人間が居るあのチームなら、きっと彼に思い出させれる。
彼らの実力を全開まで引き出してプレイする。心を重ねて仲間とサッカーをする。
それが昔からの自分のプレイスタイル。
「昔の俺は鬼道の性を名乗っていた。あそこに居る『鬼道有人』は血の繋がらない兄弟だった。見ての通り俺はあいつに心の底から憎まれている。だか『姉』として、最後の役目を果たしたい。何も話さないで助けてくれって言うのは図々しいって判ってる。けど、頼む。どうか、鬼道の目を覚まさせるために今は力を貸してくれ」
こちらを見詰める仲間たちに深々と頭を下げる。
助けてもらえるなら土下座だって厭わない。
自分は一度サッカーを捨てた身だ。
それでものこのことこの場に帰ってくるほどに、執着があるのだ。
「・・・頭を上げろ、円堂」
「風丸」
「俺たちは誰もお前に利用されたなんて思っちゃいねぇよ」
「染岡」
「俺たちがここまでこれたのは、キャプテンがいたからっす。苦しい時でも辛い時でもキャプテンは俺たちを一回も見捨てたりしなかったっす」
「壁山」
「そうでやんす。だから今度は俺たちがキャプテンを支える番でやんす」
「栗松」
「でも、あとできちんと理由は聞かせてよね。そうじゃなきゃ納得しないから」
「マックス」
「まさか円堂が女の子とはね。だから一之瀬が気を使ってたわけだ」
「あはは、ごめんね皆。俺はこっちの方が見慣れてるんだ」
「邪心がだだもれだからてっきりそっちの道に行ったのかと思ったぜ。でも、漸く判った。こうなりゃ、協力するっきゃないでしょ。お前が俺を信じてくれたように、俺だってお前を信じるよ」
「土門」
顔を巡らせば残りのメンバーもにこりと微笑み、ぐっと親指を立ててきた。
懐かしい感覚。
まだフィールドを自由に駆け回れたときに、同じような仲間がいた。
『サッカーは楽しいものだ』と胸を張って言える、そんな仲間が。
『守』が『有人』に見せたいのは、思い出させたいのは、そんなサッカーなのだ。
「ありがとう」
『鬼道守』はヨーロッパ屈指の天才プレイヤーだった。
対して『円堂守』はその栄光の全てを失い、地べたから這い上がった存在でしかない。
嘗ての名声は今はもう手が届かぬ光の彼方に存在し、二度と立てない場所だと知っている。
毎日に絶望し、取り上げられた全てに涙を飲んだのも一度や二度ではない。
けれどある日唐突に気づいた。
世界の舞台に立てなくても、自分はサッカーが出来る場所があるのだと。
そして自分が弟のためとエゴを振りかざした結果に気づき、愕然とした。
何という恐ろしいことをしてしまったのか。何という愚かな真似をしてしまったのか、と。
無意識に掛けたリミッターを解除するのは、今の円堂には死刑宣告と同じだ。
自分の選んだ道の結末を覆すために、文字通り命を掛ける。
円陣を組んで、こちらに視線を向ける仲間に微笑む。
そしてゆっくりと口を開いた。
「前半に無理をした鬼道の負担を考えると、皇帝ペンギン2号は打ててあともう一発。それさえ凌げばこの試合、必ず勝てる」
「ああ」
「この試合が終わったら、全部話す。だから、頼む。この試合もう一点奪って絶対に勝ってくれ。ゴールは俺が割らせない」
「判った」
「信じてるぜ、キャプテン」
「雷門の守護神として、きちっと活躍してよね」
「そうそう。円堂はあくまでキーパー。俺たちも毎度期待してるわけじゃない」
「・・・サンキュ、皆。───後半は豪炎寺にボールを集めろ、勢いに乗って点を奪うぞ!俺たちは帝国に勝つ!!」
『おう!!』
円堂の実力の片鱗を見せつけても、円堂の力のみを頼りにしないと言い切る彼らが誇らしい。
実力の差があっても、彼らは対等な仲間だ。
組んでいた円陣から離れると、視線を感じて顔を上げる。
そして激しい憎悪を向ける鬼道と目が合い、少しだけ泣きたくなった。
振り切るようにこちらから視線を外し、離れた場所にぽつんと立っている音無へ近づく。
怯えた小動物のようにこちらを見上げた少女に、柔らかく微笑んだ。
「安心しろ、音無。俺たちがこの試合に勝っても帝国はフットボールフロンティアへの参加権は失わない」
「───どういうことですか?」
「勉強不足だな、マネージャー。前年度優勝校は特別枠があるんだよ。だからあいつの望みを挫く訳じゃない。ここで負けても、あいつはきっとお前を得るために優勝を目指す」
「どうして」
「ん?」
「どうして、私にそんなこと言うんです。私は円堂先輩に・・・キャプテンに酷いこと言ったのに」
「簡単だよ、音無。『有人』の妹は、俺にとっても特別だ。なんて言っても可愛い弟の大事な妹なんだからな。───お前の兄貴を取ってごめんな」
「っ・・・ごめんなさい。ごめんなさぃ、ごめんなさい!酷いこと言って、ごめんなさい!」
「泣くなよ。鬼道がお前に自分から全てを話すまで、その涙は取っておいてやってくれ。・・・俺なんかのために、泣いてくれてありがとな」
指先で零れ落ちる綺麗な雫を拭ってやる。
少女は自分と違ってとても綺麗だ。
この子なら、後悔しない。
『有人』が愛するこの少女になら、全てを渡してもきっと後悔しない。
胸の前で手を組み祈るように見詰める音無に微笑むと、首に掛けていたゴーグルとマントを外して渡す。
この行動が、真の意味での過去との決別の瞬間だった。
本当の敵は、『守』に誘われ顔を出した。
戦うべき相手を前に昂ぶる神経をぐっと抑える。
『どんな時でも冷静さを欠くな』
それは影山が最初に叩き込んだ基礎で基盤。
体中に絡みつくねちっこい視線に嘲笑を浮かべる。
高みの見物を気取っていれば良かったのに、のこのこと我慢しきれず同じ土俵に上がってくれた男に感謝を。
お陰様で『影山零治』という人間の有様を余すことなく見せてやれる。
先ほどピッチで確認した違和感は、円陣を組んだ際に仲間には伝えた。
彼がどのタイミングで何をするか、影山の性格を知る円堂には良く判る。
だが少しだけ心配も残った。
普段の冷静さを欠いている鬼道率いる帝国のチームはこの異変に気付いているのだろうか。
熱くなりすぎている鬼道に、円堂は緩く首を振った。
弟を助けるのは姉の役目。
以前は放棄したそれを、今度こそ果たせばいいだけだ。
間もなく吹かれる試合開始のホイッスルに、気を引き締めてピッチへ上がった。
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