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澄み渡る音を響かせるフルートが奏でるのは、とても重苦しい曲調。
重厚であり深みがあるが、苦渋すら感じる重さに火積はそっと眉根を寄せる。
演奏している男は腰元まで髪を伸ばした優男に見えるのに、どこからこんな腹に響く音を出すのだろうか。
この音は聞いているだけで胸が締め付けられる。
苦しくて切なくて悲しくて恋しい。

そう、恋しいのだ。

「───この音が気に入ったか?」
「え?」

いきなり声をかけられ、集中していた意識が途切れる。
声の主は隣に座っていた短髪の男で、唐突なことに目を瞬かせた。
先ほどピアノを弾いて見せたこの男───確か、土浦といった───は、今弾いているような火積好みの曲を弾く男だったはずだ。
彼の雰囲気にも似合い、違和感も感じなかった。

「俺は、この音が好きです」

苦しくて苦しくて、漸く想いを吐き出した───そんな、重い音。
けれどそれは火積好みで、恋しさを秘めたこの音はとても・・・自分の想いに重なった。

正直な感想を告げれば、少し苦笑した土浦は視線を舞台に戻す。

「この音、普段の柚木先輩なら出さないんだぜ?あの人が得意なのは、静かで清らかな雰囲気の曲だ」

あの人の、見た目どおりにな。

どこか苦々しく告げられた言葉は、納得がいくものだった。
先ほどまで奏でていた音は涼やかで軽やかで、彼自身みたいな音だったのだから。
だが、それなら何故、と疑問も沸く。
その曲調こそ彼の得意であるならば、何故正反対とも言える曲を彼女の隣で奏でているのだろうか。
もっと優しく美しい恋の音だってあるのだろうに。

そう、火積は鈍いといわれるが、ここまであからさまであればその曲に秘められた想いくらいは感じられる。
口に出して言うよりも、ずっと判りやすい『愛してる』の想い。
それは自分が使うにはまだ重たいけれど、彼にはとてもよく似合うのに。

疑問がそのまま顔に表れていたのだろうか。
判りにくいといわれる火積の表情を読んだ土浦は、情けなく眉を下げて笑った。
精悍な面立ちに似合わぬ表情に、微かに目を見開き驚きを表すと、男は益々笑みを深めた。

「先輩たちの音ってさ、割とあからさまだろ?隠してないし、隠す気もないから」
「・・・そうっすか」

自分にはまだそれは出来ないと、若干頬を染めながら頷く。

「香穂だってさ、知ってるんだぜ?先輩たちの気持ち」
「え?」
「俺たちがどんな想いをあいつに向けてるか、あいつはしっかり理解してる。だってそうだろ?素人にすら駄々漏れの感情だ。プロのあいつに隠せる訳がない」
「・・・・・・」

道理だ、と納得する。
そうだろう。
音楽に携わるプロが、こんな駄々漏れの感情に気づかないはずがない。
自分に向かう音を間違えるはずがない。

その言葉を胸に舞台にもう一度視線を上げるが、しかしながらヴァイオリンを奏でる彼女には火積の十分の一も動揺は見られず至って気持ち良さそうに曲を奏でるだけだった。
没頭している彼女の音は大層素晴らしく、さすが世界でもトップクラスの精鋭だと感心してしまう。
彼女に比べれば冥加の音ですらまだ素人だと断じれるほどに、その実力は圧倒的だ。

彼女の系統は、かなでと似ている気がする。
優しく柔らかくしなやかで強かだ。
彼女が音を奏でるたびに金色の何かが視界を覆うような気がして、疲れているのかと眉間を押さえる。
金色の光が彼女を祝福するように包んで見えるなんて、きっと気のせいに違いない。
そんな火積の様子を微笑してみていた土浦は、ゆっくりと口を開く。

「香穂は先輩たちの音が誰に向かってるか良く知ってる。それでも先輩たちの音に応えない。───何でか判るか?」
「・・・いいえ」
「あいつは、もう別の相手に恋してるからだよ」

切ない想いを隠さずに、焦がれるように日野を見詰める土浦を見て、火積は息を飲み込んだ。
その表情に、気づいてしまった。
目の前の、この男も、どうしようもないほど彼女に恋をしているのだろ。
息を呑む火積に少し笑って見せた土浦は、後悔はするなと一言告げた。

「香穂は、音楽に恋してる。それも一方通行じゃなく、両想いだ。見ろよ、あの音。ファータたちが喜んであいつを祝福してる」
「ファー・・・タ?」
「音楽の妖精だよ。あーあ・・・ったく、一度の恋愛で終わらせるんじゃなく、いい加減こっちも見ろっての!頑固者め!」

ふてくされたような声は、大人びた彼よりもむしろ自分たちにこそ相応しいものだろうに、何故か違和感は全くない。
拗ねた眼差しをそれでも一途に向ける土浦は、こちらをみないまま唇を開いた。

「お前は、精々後悔しないようにしろよ。逃した魚が大きかったと、後で気づいても後悔は先に立たないからな」

暗に言われた内容に、為す術もなく火積は赤面した。

拍手[20回]

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「火原の音はわかりやすいでしょ?」


甘く艶やかな色っぽい音を奏でる恩師のラッパに、耳まで顔を赤くして俯いていた八木沢は顔を上げた。
視線が絡んだのに気づくと、声の主はにこりと微笑む。
蓬生と同じくらいに長い髪をした麗人は、名高い柚木梓馬だ。
雑誌の特集で先日も登場していた、今を輝く有名人。
彼が楽器を嗜むのは知らなかったけれど、火原と親友関係という意外性の方がインパクトが大きかった。

顔を赤く染めたまま、八木沢はそろそろと頷く。
自分の音も恋をして変わったと自覚しているが、この音はそれ以上だ。
恥ずかしくて照れくさくて、今すぐ布団を被って叫びだしたいくらいに艶気がある。
元気溌剌といった火原の普段からは考えられない位に大人びた音。

まさか彼が、こんな恋の音を奏でるなんて、想像したこともなかった。


「火原の音、色っぽいでしょ?」
「・・・はい」
「普段は華やかな曲調を得意としてるくせにね。彼女に関してだけは、随分と艶やかな音も奏でられるんだよ」
「・・・・・・凄いですね」
「おや?火原みたいな音を出したいの?」
「いえ、その、・・・僕には、まだ早いと思いますけど、でも、いつかは、とは思います」


これ以上ないくらいに赤くなりながら告げると、目の前の綺麗な人は目を細めて笑った。
それは先ほどまで見せていた笑顔とどこか違う気がして、数度目を瞬くとまた笑みを深くする。


「君は火原の教え子だね」
「え?」
「彼に似てとても素直で可愛いって言ったんだよ」
「?」


意味を図りかねて首を傾げれば、彼は視線を八木沢から正面の女性に向ける。
その眼差しは直向で憧憬と焦燥を含んだもので、不意に気づいてしまった。
彼もまた、日野に焦がれる男の一人であることに。


「いつか君も、火原みたいな音を出す日が来るんだろうね。その音を捧げる相手は、そこの彼女なのかな?」
「え、えええ!?」


思わず大声が出てしまい、慌てて口を押さえる。
火原の音楽が丁度終わった後でよかった。
そうでなければ、折角この音を楽しんでいた彼女の顔が曇ってしまうし、同じく音を楽しんでいた彼らからきつい視線を向けられただろう。
顔を赤くしたまま目を白黒させる八木沢に向かい、柚木はにこりと微笑んだ。


「次は、僕が演奏しようかな」


長い髪を優雅に手で梳いた彼は、フルートを持って立ち上がる。
その姿にうっかり見惚れてしまい、何も返せぬままに流されたと気づいたとき、恥ずかしさに消えそうになった。

拍手[20回]

音楽とは、自分の感情を素直に表現する手段の一つだと悠人は思う。
それは今耳にしている音楽で、より一層確信できた。

目の前でチェロを奏でる人は、悠人にとって憧れの人だ。
否、チェロを扱う人間にとって彼に憧れるものは決して少なくないだろう。
作曲家として、チェリストとして、志水桂一は悠人の憧れだった。

今彼が弾いているのは、彼が作曲した曲だという。
彼と同年代の友人達は苦笑しながらその音を聞いているが、悠人は内心平静でいられなかった。
この曲は彼の未発表の曲なのに、悠人はそれを知っていたから。

オケ部で見つけたその曲は、チェロとヴァイオリンの二重奏だった。
甘く優しい弦の音。
いつかかなでと弾きたいと願っていたその曲を弾いたとき、自分はこれほど甘く楽器を歌わせることが出来るだろうか。

譜面で見た時も優しい音だと思ったが、実際に耳にすれば赤面せずに入られない甘い恋の曲だった。
ヴァイオリンの音に追随するチェロの音は、深く優しく柔らかい。
包み込む温かさと焦がれる強さを持つそれは、悠人には些か色気がありすぎた。

先ほど簡単に自己紹介した日野香穂子を、舞台に引きずり上げたのは強引な衛藤でも、気が強そうな土浦でも、子犬のような火原でもなく、テンポが独特な志水だった。
彼曰く、衛藤一人と音を合わせるのはずるい、たまには自分ともあわせて欲しい、と淡々とした、けれど逆らい難い調子で日野の腕を掴むと舞台へと上がった。
そして『僕の曲を奏でましょう』と微笑みかけると、足でリズムを取り徐にチェロを弾き始めた。
為すがままだった日野も、リズムを取られた拍子に咄嗟にヴァイオリンを構えると、そのまま志水の音に調子を合わせる。
曲名を言わずとも当たり前に同じ曲を奏でる彼らの息の合い方に感心すればいいのか、それとも以外と強引な志水に呆れればいいのか。
判断に迷うところだったが、惑いは長く続かなかった。
若くとも彼らは一流の音楽家で、その音はやはり引き込まれずにいられない魅力を持っていたから。

赤面しながら音を聞く悠人に、隣に座っていた人物がくすりと喉を鳴らす。
見上げれば、緩くウェーブした髪を一本で結んだ大人の男が、目を細めてこちらを見ていた。

「凄い赤い顔だな」
「・・・・・・放って置いてください」

笑いを含んだ声にぶっきらぼうに返してしまったのは照れがあるからだ。
金澤と名乗った彼の顔は雑誌でしか知らなかったが、確かオペラ歌手だったと記憶している。
幾年かの空白の時間を過ごした彼が返り咲いたのは、日野たちが有名になり始めてからで、彼ら目当てで買った雑誌に何回か出ている記事を読んだ。
面白おかしく書かれている経歴がどこまで本当か知らないが、少なくとも星奏学院の教師だったというのは本当だったらしい。
オペラにそれほど造詣は深くないが、甘いテノールは確かに聞き心地が良く、歌を歌ったら相当なものなのだろう。
甘い恋の歌もきっと美味く歌うだろう彼は、どこからどう見ても大人の男だ。
からかわれていると感じ、かっと頭に血が昇りそうになる。
だがそんな悠人を見て微笑ましそうにしたかれは、次には淡く苦笑した。

「あの音はお前さんにはまだ早いな。しっとりとして甘ったるい。志水が日野に向ける恋情そのものだ」
「・・・子供だとおっしゃりたいんですか?」
「子供の何がいけない?───俺は、お前さんの若さが羨ましい。昔も思ったが、今は特にな」
「・・・・・・」
「年寄りからの忠告だと思って聞いとけ。若さのままに突っ走るのも、悪くないと思うぞ。青い恋なんて子供の内にしか出来やしないさ。無駄に年を取ると身動きが取れなくなる。分別なんて糞喰らえ、と思ってもな」

苦く笑う彼の言葉は本音に聞こえた。
この甘い恋歌の中で、それはとても不思議な音を持ち悠人の胸へすとんと落ちる。

「胸に留めておきます」
「そうしとけ」

彼の向かう視線の先に居るのは、誰なのだろう。
少なくともこの言葉から恋しく想う人がいるのだろうと察せれたが、大人の彼から想い人までは判断できなかった。
金澤紘人。
声を失くしたオペラ歌手と呼ばれる相手に、悠人は初めて興味を抱いた。

拍手[23回]

夜中、酷い寝汗を掻いて目を覚ました。
 肩を上下させベッドサイドの目覚し時計を手に取り時間を確認する。
 デジタル時計の表示は午前三時。まだ眠ってから一時間も経っていない。

「何だったんだ」

 時計を力任せに握り、憤怒を篭め呟く。一時間の短い間に見たとは思えないくらい濃縮された夢だった。
 有り得ない内容で、夢なら夢らしくさっさと消えてしまえばいいのに何故か焼きついて離れない。

「ふざけるな。この俺があんな女に」

 夢で見た玲士そっくりの男は、女の後を追い自殺した。
 死に行く瞬間が生きた中で一番穏やかな心地など、どんなマゾだ。
 馬鹿馬鹿しく一考する価値すらない夢。しかも王子だ姫だと下らないオプションつき。

「何なんだ、あのリアリティのない夢は」

 童話のパロディーかと全力で突っ込みたいくらいに下らない夢だったが、リアリティがなくとも現実感はあった。
 現に鰐に噛み千切られた腕がまだ痺れている気がして数度振る。血が流れていないか確認してしまい、鋭く舌打ちした。
 夢の中の玲士は、大臣の息子だった。
 しかも絵に描いたような名家の出身で、将来を約束されレールが轢かれた人生を送りそれに満足していた。彼の目標は国を豊かにし守る事、そして。

「女を守るだと?しかも、あいつは───」

 彼が守りたいと思っていたもう一つは、彼が想い焦がれた存在。
 単純に愛してると一言で表せない複雑な感情を抱いていたが、根本は彼女へと焦がれる気持ち。玲士にとって最悪にも、その王女は随分と見知った顔をしていた。
 ずきずき痛む頭に手をやり深呼吸を繰り返す。
 どくどくと早鐘のように打っていた鼓動は少し落ちつきを取り戻し、玲士に冷静さを与える。
 夢の中で、玲士・・・否、別人であると信じる『彼』は、彼女の幼馴染だった。
 子供の頃から二人で過ごし、共にあるのを疑問視せず、お互いのいいところ悪いところ全てを理解し支え合えるいいパートナーだった。
 寛厚な彼女は可憐な容姿と華奢な身体を持ち、随分と鈍く運動神経はなかったが人に愛される才能を持っていた。
 夢の中の彼は国への理念を持ち、冷静な判断力と時に冷酷になれる部分があり、恐れられながらも尊敬されていた。
 彼らは二人で居るのに何の疑問もなく、彼の妹も含め随分と仲睦まじかった。特に幼い頃は身分の差を考えず、色々な事をして過ごしていた。
 年を経ても根本的な関係は変わらず、毎日毎日突拍子もない彼女に振りまわされ、彼は怒りながらも面倒を見て、妹はそれを楽しそうに微笑んでいた。
 変わらぬと信じていた日常が崩れたのは、彼女が縁談を結んでからだ。
 彼女が選んだのは栄えている帝国の跡取。第一王子である彼は、第一王女である彼女を望んだ。
 一国の王女と王子でも、彼らの関係は対等ではない。王子の国は大陸でも随一と言われる発展を遂げていて、国の発展を望むならまたとない縁談だった。
 それは、本当は彼だって判っていたのだ。
 彼が変わってしまったのは、尊敬していた彼の父の言葉が切欠だった。
 長年見ているだけで諦めていたあの存在が手に入るかもしれない。それは彼の強固な理性を崩し、選んでは行けない道を選択させた。
 国のためだと建前を翳し、彼の望みは一つだけ。

「愚かな」

 他に言葉はない。彼は愚かな男で、彼自身誰よりもそれを理解していた。
 国を考えるなら、縁談を受けた方がいいに決まっている。自国の文化は薄れても、技術や食料、そして大国の庇護を受けるとなればメリットが大きく、付きつけられた条件も悪いものではなかった。
 彼女はそれを理解していたから、選択したのだ。
 本当に国を想っていたのは、革命を起こした彼ではなく、自分を捧げる覚悟をしていた彼女の方だったのに。

「貴様は、そこまでして手に入れたかったのか」

 問いかけに答えはないけれど、玲士はその答えを知っていた。
 彼は彼女の選択を受け入れられなかった。それが全てだ。彼女の問いを否定できなかった、それは彼自身が理解していたからだ。どれだけ己が愚かであるか。
 彼は彼女を怨んでいた。
 国を第一と考え自分を捨てていくと感じたから。
 彼は彼女を憎んでいた。
 共に発展させると誓いを立てたのに、それを忘れてしまったと思ったから。
 彼は彼女を嫌っていた。
 いつだって彼を掻き乱し冷静な判断力を奪ったから。
 だが。

「貴様は愚かだ」

 彼は彼女を欲していた。
 太陽に焦がれる人のように。もしくは月が欲しいと泣く子供のように。
 彼の取った行動は浅はかで同意できない。愚の骨頂であり馬鹿だと唾棄すべき行為だ。
 だが全てを否定できないのは。

「俺も、同じだからと言うのか」

 玲士はかなでが憎い。玲士の音楽を否定し受け入れてくれなかった彼女が。そしてあれほど玲士が羨んだ音を捨て、ひっそりと表舞台から去った行為が。
 憎くて憎くて憎すぎて───今では憎んでいるのか愛してるのかも判らない。
 焦がれて欲して望んで願って。
 ただ、かなでだけが玲士を変えられ、狂おしいまでの強制力で玲士を支配する。

「貴様も同じだと言うのか」

 『月が綺麗ですね』と彼女の言葉を理解した瞬間、恨みや憎しみも確かにあるのに、彼を支配したのは紛れも無い歓喜。
 国を守るのを誇りとしていた自分を踏みにじり、道を違えさせた彼女を殺してしまいたいほど憎んでいたのに、他の男のものになると微笑んだ彼女を消し去りたいほど怨んでいたのに。
 たった一言で、彼女は彼を変えてしまった。

「俺は、違う。違うはずだ」

 耳鳴りがしきつく瞼を閉じる。
 神南との戦いで漸く元の音に近づいた彼女。玲士が憧れ一心に見詰めつづけた輝きをかなでは取り戻し始めていた。

「俺は違う」

 玲士が望むのはかなでとの別離。
 かなでの音を完膚なきまでに破壊して、奪われた欠片を取り戻すこと。
 彼のように繋がれたいなどと願っていない。望んでいないはずだ。
 時計の時間がまた刻まれる。
 訣別のときは数時間後に迫っていた。

拍手[7回]

ゆっくりと浮上する意識に蓬生はほっと胸を撫で下ろす。
 見たくないのに見ていた映像は徐々に薄れ、意識も自分のものであると把握できた。
 瞼越しに透ける光りを意識して、自分の意思で呼吸する。指先から確かめるように力を篭め、動かせるのを確信してから瞼を持ち上げた。
 そこは菩提樹寮の庭で、蓬生が居たのははお気に入りの昼寝ポイント。滅多に邪魔が入らず、尚且つ直射日光を避けられ風が吹くその場所は、この寮に来てから何度も利用していた。
 数度瞬きを繰り返し視力を取り戻せば、見上げた空は茜色に染まっている。時折黒い影が羽ばたき横切っていくのを目を細めて眺め、ふっと身体の力を抜いた。

「随分けったいな夢を見たなぁ」

 吐息と共に言葉を漏らす。
 身体の位置を調整し寝転びやすい体勢に変わると、頭の後ろに腕を指しこんだ。角度が変われば僅かに景色の見え方も変わる。ゆったりと流れる雲は心地よさそうで、羨ましいと呟いた。

「俺が見るにしては夢一杯の内容やったわ」

 いい年をして、と苦笑する。
 夢の中の蓬生は所謂『悪魔』と呼ばれる生き物で、笑えることに所在地は奈落。強大な力を持ち、それに伴う永い生を過ごしてきた彼は知識も余裕もたっぷりと持った、蝙蝠と酷似した大きな羽を持つ不思議な生き物だった。

「ファンタジーや」

 ぼそり、と呟き眉を寄せる。天使と悪魔が居て、ついでに魔法(らしきもの?)も使えた。意識を集中するだけでその場に居ながら遠くのものを感知できたり、結界を張って不要な者をシャットアウトしたり。
 けれどその夢は希望溢れる夢じゃなかった。

「ロミオとジュリエットより酷いわ」

 苦虫を百匹以上噛み潰したような口調で呟く。顎に手をやり、思い出そうとしなくともくっきりと脳に刻みこまれた記憶を回想した。
 蓬生は力ある悪魔だった。誰にも執着せず、享楽的で快楽主義。縛られず気ままに生きて、たまに暇なら天使の相手を片手間にこなす、そんなマイペースな悪魔だった。
 性格は何処か変わっていて、悪魔の癖に日光浴が嫌いじゃなく、境目と呼ばれる土地で悪魔にとって害悪にしかならない天上の光りを浴びて昼寝する豪胆な部分も持っていた。
 好奇心旺盛で興味があるものには手を出さずに居られない。けれど厭きっぽいので興味が尽きればすぐに捨てる、そんな自分勝手で子供っぽい部分も持ち合わせていた。少しだけ、自分と似ているかもしれない。
 その天使に興味を持ったのも好奇心からだった。彼女は幼く天使らしくないとろさを持ち、素直で面白かった。からかえばからかうほど反応するそれを、蓬生───否、『彼』は気に入った。
 壷に入るというものなのだろう。彼女の存在自体が彼の好奇心を刺激し、また構いたいと想わせる不思議な力を持っていた。
 幼く見えるのに力は強大。とろくさくても何処までも真っ直ぐ。ちょっと苛めれば固まって、彼が髪を引っ張っても頬を突付いても、彼の知るどの天使よりも美しい胡粉色の羽を弄繰り回しても中々硬直が解けなかった。驚いた小動物みたいな反応がまた彼の悪戯心を擽り、もっともっとと彼女を望ませた。
 彼の知る天使は取り澄ました端正な顔で人を踏みにじり、矜持ばかりが高く面白みのない存在だったが彼女だけは別だった。ころころ変わる表情も、人懐こい性格も、天使らしからぬもので気に入っていた。
 秘密の場所、と銘打ったその場所に、彼女はいつでも愛用の仕事道具を持ってきていた。それは彼女が季節を変えるのに必要なもので、奏でれば望み通りに四季を移ろわせた。
 柔らかな暖かい曲を奏でれば心地よい春に。鮮烈で刺激的な曲を奏でれば日差しの強い夏に。ゆったりとした穏やかな曲を奏でれば紅葉の秋に。冴え冴えと背筋が凍るような曲を奏でれば凛とした空気の冬に。
 彼女の心一つで季節は変わり、始めは操れなかった力もコントロールを覚え繊細な操作を覚えた。一本の木に春を、隣の木には冬を、といった風に同時に季節を変える方法も学んだ。学習能力の高い彼女は、努力かな性質もあり、たった一年で見違えるほど力の使い方が上手くなった。
 あの日、あの男が来るまで、彼は確かに楽しんでいた。
 日常が崩れるのは簡単だ。気に食わない男の来訪で彼の心は悪魔らしい色を取り戻した。即ち独占欲と執着心。奪われる前に束縛してしまえと、彼の心は囁いた。
 おかしな事に、その日まで彼は彼女をどうこうしたいと思っていなかった。ただ、二人きりの時間が特別で、その時間がずっと続けばいいと暢気にも考えていた。奪われるなど考えたこともなく、ついでに間抜けにも彼女には彼女の交友範囲があるのをうっかりと忘れていた。
 その男の存在は、彼にとっては寝耳に水で、油断していた心には刺激が強すぎた。構えてなかった分衝撃は強く、そしてそれが見知った相手であったのも余計に良くなかった。
 独占する方法はもとより持ち得ていた。彼は力が強い悪魔で、その手腕で今まで何人もの天使を堕としてきたのだから。彼が厭きるまでの短い時間を共に過ごした経験もあるので、どうやって面倒を見ればいいかも知っていた。
 力づくで邪魔な存在を捻じ伏せ、彼女へと力を注ぐ瞬間背筋を駆けたのは紛れもない快楽。自分の一部を強制的に注入し、自分のものへと創り変える。それは性欲を伴わない快感。真っ白なものを濁らすのは、震えるほどに楽しく愉しい。それは誰も踏み込んでいない雪に足跡をつけるのと似ているかもしれない。

「あかん。俺、才能あるかもしれんわ」

 綺麗なものを崩すのは面白い。それが自分のお気に入りで、且つ代えが利かない物なら尚更。額に手を当てると息を吐き出す。
 驚き丸くなった目も、微かに強張る身体も、強制的に変えられる苦痛に歪んだ表情も、唇を塞がれてる所為でくぐもっていた声も、何もかもが彼をそそった。
 この綺麗な生き物が自分の物になる。
 頭にあったのはその一点のみ。

「世の中は、上手く行かんもんやね」

 だが、彼の望みは叶わなかった。
 強大に見えた彼女の力。それは確かに元々のキャパシティもあったのだろうけど、実際は数多の天使のものだった。魂にまで掛かる神が施した呪縛。同僚であった彼らが、汚されない為にと施した呪い。
 幾重にも厳重に巻き付けられたそれは、数が多すぎて認知するには難しく、気づいたときには全てが遅かった。
 長時間外にいたから、という理由だけではなく顔を青くする。思い出してもなまじのホラー映画より薄気味悪い映像が脳裏に繰り返され、こみ上げる吐き気に口を覆った。
 彼が目にしたのは、お気に入りの彼女が解けて行く瞬間。平和な時代に生きる蓬生が目にするには刺激が強すぎたそれは、戦時中の核を受けた日本人がああだったのかもしれないと想像させた。
 髪が抜け、眼孔が剥き出しになり、皮膚は爛れ指から蕩け落ちる。美しく可憐だった面影はそこになく、何もする事が出来ない内に全てが消える。
 気がついたときには魂の片鱗すら見つけられなくなっていた。

「───俺は、あの天使が怒声を上げた気持ちも判る」

 彼は、何故あの時天使が堕ちたのか判っていなかったが、むしろそれが蓬生には不思議だ。天使は明らかに彼女に懸想していた。言っていたではないか。『博愛主義者の唯一の例外』だと。彼とて同じだったのに。そこまで考え嘆息する。
 否。彼は同じではなかった。
 彼は彼自身の感情を理解してなかった。『愛する』なんて単語、悪魔の辞書にはなかったに違いない。
 会えると思うだけで胸を躍らせるのも、そこに居るだけで気持ちが緩んだのも、一緒にある時間が代えの利かないものだったのも、全部その一言に集約できたはずなのに。自分と縁がないと思い込んでいた先入観から、彼は最後まで気づかなかった。

「嫌、違うか。彼は、最後の最後で気づいたんや」

 残留思念だけの身体もない姿になって、最後に最後にこう望んだ。『生きたい』と。もう一度だけ、彼女に会うために、生きたいと願った。それは悪魔にしては純粋で、混じり気がない必死の願い。神でもなく魔王でもなく、他の何かに祈りを捧げて。

「あれは、夢や」

 自分と酷似したもう一人を想い、蓬生は一粒の涙を零す。
 己の手で消滅させたと理解したのは、最後に消える僅かな時間。
 後悔が胸にせり上がり、同時に酷い満足感が巣食う。他の誰かではなく、自分が彼女を滅ぼしたと、独占できたと悦んだ。
 救い様のない馬鹿だ。自分の手を取ってくれずとも、他の誰の手も取らない彼女に嬉しいと思うなど。後追い自殺までしでかすなら、何故別の手段を考えられなかったのか。知らない、なんて理由にならない。彼の行動は何処までも自分勝手で、自分本意だ。

「ああ・・・嫌やな」

 何が嫌って、彼の気持ちがわかる自分か嫌だ。

「鳴かぬなら、殺してしまえ不如帰」

 有名な唄だ。自分はもっと気が長い方だと思っていたが、本来の性質にはこちらの方がしっくりとくる。
 消滅していく彼女を助けようとしなかったのは、手段がなかったからではなく───。

「あれ?蓬生さん?」

 聞こえてきた声に、現実へ変える。
 驚きに数度瞬きし回りを見渡せば、随分と闇の色が濃くなった庭に一つの華奢な影があった。
 右手に荷物を抱えた姿に蓬生は息を呑む。

「・・・小日向ちゃん?」
「はい。───おやすみでしたか?」
「嫌、起きとったよ。ちょうど目が覚めて涼しかったから風に当たってたんや」
「ああ、そうですね。日が暮れてきたし、風も昼に比べると随分涼しいですし。気持ちいいですもんね」

 柔らかな声。楽しげな口調は夢の中の人物と被る。
 見た目も全く同じその少女は、警戒心もなく蓬生へと近づいた。相変わらず色々と鈍そうだ。
 くすり、と笑う。
 やっぱり彼と自分は違う。

「なぁ、小日向ちゃん」
「はい?」
「こっちに来てや。ちょっと頭が痛いんよ。癒してくれる?」
「え?大丈夫ですか?部屋に入った方がいいんじゃ」
「ええの、ええの。小日向ちゃんが撫でてくれれば気分が和らぐから」
「私が、ですか?」

 きょとりと大きな目を瞬かせたかなでは、けれど促せばおずおずと小さな掌で蓬生の頭を撫でた。近づいた距離で彼女の香りが鼻を擽る。柑橘系のコロンをつけているらしく、少しだけ甘酸っぱい。
 伝わる体温に蓬生はゆっくりと身体の力を抜いた。
 かなでは彼女と違い、自分は彼とは違う。
 もう一度かみ締めるように考え息を吐き出す。

「───なぁ、小日向ちゃん」
「はい?」
「俺、ウサギになってしまいそうや」
「ウサギ?」
「小日向ちゃんが居ないと寂しくて死んでしまうかも。───せやから、俺を一人にせんといてね?」
「・・・ふふ、変な蓬生さん」
「変でもええわ。なぁ、返事は?」
「はい。蓬生さんが安心するまで、ずっとずっと傍に居ますよ」

 それはきっと蓬生が望む意味合いではないけれど、その言葉に酷く安堵する。

「俺は、あんたのようにならん」

 ぼそり、と呟くと温もりに目を閉じた。
 蓬生は彼と違い、この胸に巣食う感情を理解している。

「───俺は、あんたみたいにならん」

 いつか、彼女がこの腕から出ていってしまっても。
 夢の中の出来事を鮮明に思い出し、眉間に皺を刻んだ。
 満足そうに笑った彼が、脳裏からは消えなかった。

拍手[11回]

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