×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
無欲な君 欲張りな僕より
--お題サイト:恋のお墓さまより--
認め難い屈辱感に、それを上回る飢餓感。
何故、と思うより先に、本能がそれを欲する。
伸びそうになる腕を堪えるために、空いている手で力を篭めて掴んだが、それでも尚持ち主の意思を無視して腕が疼いた。
その存在が苛立たしい。
その才能が嫉ましい。
その輝きが息苦しい。
その微笑みが鬱陶しい。
憎んで憎んで憎んでも憎みきれない、冥加の根本を叩き折った女。
それなのにどうしても欲し望み、輝きを取り戻して欲しいと心のどこかで願っていた。
自分より一回り以上小さい体。
柔らかな表情で気持ち良さそうに演奏を奏でる姿は、体の内から輝いている。
眩しくて直視できないのに、それでも瞳に収めねば気がすまない。
ゆるく弧を描く唇は、嬉しそうに緩んだまま、冥加とは正反対の音を奏でた。
涙が頬を伝う。
どうして、自分は彼女を捨てられないのか。
どうして、砕かれた心の欠片を彼女は手放してくれないのか。
どうして、いっそ全てを奪ってくれなかったのか。
どうして、対等に見てくれなかったのか。
どうして、繋がれたままで居たいと望むのか。
どうして、萎れた姿を見て心が痛むのか。
どうして、───彼女じゃなければいけないのか。
砕かれたのは、初めて持った異性への好意。
踏み躙られたのは、高い矜持を有していた自分の音楽性。
握り潰されたのは、芽生え始めていた恋心。
膨れ上がったのは、哀れみと同情をふんだんに含んだ相手への憎悪。
一度も忘れたことはない。
毎日毎日思い返し、面影が薄れたことはない。
憎んで憎んで憎んで憎んで、あまりに想い過ぎたために、想いは原型を留めなくなった。
舞台の上で演奏は佳境へ入る。
益々輝きを増すかなでに、悔しくて仕方がないのに、どうしてこんなに安堵しているのだ。
彼女を踏み越えて決別する気だったのに、輝きを取り戻した姿に、何故こんなに喜んでいるのだ。
技術的な面でなく、内から発する彼女の音楽性に激しく嫉妬しているのに、どうして届かないままでいてくれと望んでしまうのだ。
唇を噛み締めれば、鉄錆び臭い匂いが口内へ広がる。
だがそれを気にする余裕もなく、瞬きすら惜しんでただ一人を見詰めた。
「・・・小日向、かなで」
何度も何度も口にした、冥加のただ一人の特別。
心の奥深くに居場所を作り、追い出したくても追い出せなかった、ただ一人の女。
「どうして・・・」
胸が焼けそうだ。
想いは強すぎてぶつけるのを躊躇うほどで、それでも欲する心を留められない。
「どうして、お前はそんなに」
冥加が冬を象徴する怜悧な音を出すのなら、かなではこばる日和の午睡のような音を出す。
冥王との呼び名が相応しい自分と違い、暖かな日差しが似合う優しい音色。
心を包み込むその音は、いつだって冥加を惹きつけて止まない。
ああ、そうだ。
本当は、答えなんか判っていた。
本当に望んでいたのは、開放ではなく束縛。
今度こそ、抗いようがないほど、しっかりと掴んで欲しかった。
本当は、ずっと。ずっと、彼女の音に沿いたかった。
一心に見詰めていれば、視線に気付いたように瞼を開けた彼女がこちらを見る。
絡む視線に心臓が跳ね、ふわりと浮かべられた笑みに、心がぎゅうと握りこまれた。
この想いは、理性では押さえ込めない。
冥加玲士の、魂が欲しているのだ。
小日向かなでという存在を。
憎悪や嫌悪で押さえ込んでいた蓋を開ければ、溢れるのは恋心。
表裏一体の感情は、どちらも真実として存在していた。
「・・・どうして、お前は俺に笑いかけるんだ。あれほど、憎んでいると教えたのに」
もう、どうしようもない。
お手上げだ。
冥加玲士ともあろう男が、ただ一人の少女に踊らされている。
七年前を思わせる、否、七年前以上に輝く姿に、心を奪われないはずがないのだ。
負の感情を剥いでしまえば、残るのはヴェールに隠されていた柔らかい感情。
微笑む姿に釣られて、小さな笑みを浮かべる。
彼女は、昔と同じで、とても、とても美しい。
「どうするんだお前は」
無邪気に存在するかなでに、淡い苦笑を浮かべる。
負けを悟れば心は清々しいまでに晴れ渡った。
きっと自分は最初から───もう一度、この音楽が聞きたかっただけなのだろう。
捩れて曲がって真実が見えなくなっていたが、単純な望みはそれだけだったのかもしれない。
光り輝くかなでは、冥加にとって唯一だった。
特別で、大切な、ファム・ファタル。
もし、腕を伸ばしたなら、彼女は掴んでくれるだろうか。
握り返してくれるだろうか。
限りなく低い可能性だが、もし、それを叶えてくれるなら。
───今度こそ、その手を放しはしないと、誰にだって誓って見せるのに。
--お題サイト:恋のお墓さまより--
認め難い屈辱感に、それを上回る飢餓感。
何故、と思うより先に、本能がそれを欲する。
伸びそうになる腕を堪えるために、空いている手で力を篭めて掴んだが、それでも尚持ち主の意思を無視して腕が疼いた。
その存在が苛立たしい。
その才能が嫉ましい。
その輝きが息苦しい。
その微笑みが鬱陶しい。
憎んで憎んで憎んでも憎みきれない、冥加の根本を叩き折った女。
それなのにどうしても欲し望み、輝きを取り戻して欲しいと心のどこかで願っていた。
自分より一回り以上小さい体。
柔らかな表情で気持ち良さそうに演奏を奏でる姿は、体の内から輝いている。
眩しくて直視できないのに、それでも瞳に収めねば気がすまない。
ゆるく弧を描く唇は、嬉しそうに緩んだまま、冥加とは正反対の音を奏でた。
涙が頬を伝う。
どうして、自分は彼女を捨てられないのか。
どうして、砕かれた心の欠片を彼女は手放してくれないのか。
どうして、いっそ全てを奪ってくれなかったのか。
どうして、対等に見てくれなかったのか。
どうして、繋がれたままで居たいと望むのか。
どうして、萎れた姿を見て心が痛むのか。
どうして、───彼女じゃなければいけないのか。
砕かれたのは、初めて持った異性への好意。
踏み躙られたのは、高い矜持を有していた自分の音楽性。
握り潰されたのは、芽生え始めていた恋心。
膨れ上がったのは、哀れみと同情をふんだんに含んだ相手への憎悪。
一度も忘れたことはない。
毎日毎日思い返し、面影が薄れたことはない。
憎んで憎んで憎んで憎んで、あまりに想い過ぎたために、想いは原型を留めなくなった。
舞台の上で演奏は佳境へ入る。
益々輝きを増すかなでに、悔しくて仕方がないのに、どうしてこんなに安堵しているのだ。
彼女を踏み越えて決別する気だったのに、輝きを取り戻した姿に、何故こんなに喜んでいるのだ。
技術的な面でなく、内から発する彼女の音楽性に激しく嫉妬しているのに、どうして届かないままでいてくれと望んでしまうのだ。
唇を噛み締めれば、鉄錆び臭い匂いが口内へ広がる。
だがそれを気にする余裕もなく、瞬きすら惜しんでただ一人を見詰めた。
「・・・小日向、かなで」
何度も何度も口にした、冥加のただ一人の特別。
心の奥深くに居場所を作り、追い出したくても追い出せなかった、ただ一人の女。
「どうして・・・」
胸が焼けそうだ。
想いは強すぎてぶつけるのを躊躇うほどで、それでも欲する心を留められない。
「どうして、お前はそんなに」
冥加が冬を象徴する怜悧な音を出すのなら、かなではこばる日和の午睡のような音を出す。
冥王との呼び名が相応しい自分と違い、暖かな日差しが似合う優しい音色。
心を包み込むその音は、いつだって冥加を惹きつけて止まない。
ああ、そうだ。
本当は、答えなんか判っていた。
本当に望んでいたのは、開放ではなく束縛。
今度こそ、抗いようがないほど、しっかりと掴んで欲しかった。
本当は、ずっと。ずっと、彼女の音に沿いたかった。
一心に見詰めていれば、視線に気付いたように瞼を開けた彼女がこちらを見る。
絡む視線に心臓が跳ね、ふわりと浮かべられた笑みに、心がぎゅうと握りこまれた。
この想いは、理性では押さえ込めない。
冥加玲士の、魂が欲しているのだ。
小日向かなでという存在を。
憎悪や嫌悪で押さえ込んでいた蓋を開ければ、溢れるのは恋心。
表裏一体の感情は、どちらも真実として存在していた。
「・・・どうして、お前は俺に笑いかけるんだ。あれほど、憎んでいると教えたのに」
もう、どうしようもない。
お手上げだ。
冥加玲士ともあろう男が、ただ一人の少女に踊らされている。
七年前を思わせる、否、七年前以上に輝く姿に、心を奪われないはずがないのだ。
負の感情を剥いでしまえば、残るのはヴェールに隠されていた柔らかい感情。
微笑む姿に釣られて、小さな笑みを浮かべる。
彼女は、昔と同じで、とても、とても美しい。
「どうするんだお前は」
無邪気に存在するかなでに、淡い苦笑を浮かべる。
負けを悟れば心は清々しいまでに晴れ渡った。
きっと自分は最初から───もう一度、この音楽が聞きたかっただけなのだろう。
捩れて曲がって真実が見えなくなっていたが、単純な望みはそれだけだったのかもしれない。
光り輝くかなでは、冥加にとって唯一だった。
特別で、大切な、ファム・ファタル。
もし、腕を伸ばしたなら、彼女は掴んでくれるだろうか。
握り返してくれるだろうか。
限りなく低い可能性だが、もし、それを叶えてくれるなら。
───今度こそ、その手を放しはしないと、誰にだって誓って見せるのに。
PR
その音は酷く甘く優しいものなのに、どうしようもない違和感を感じて服の上から胸を掴む。
何故だろう。
包み込むような包容力に、暖かで柔らかな調べ。
慈しみを篭めた、まるで奏でる本人のように穏やかな音なのに、酷く───酷く、胸が苦しくなった。
壇上で曲を奏でるのは、学生時代にCDデビューを果たした実力者。
その癖それを鼻に掛けるでもなく、穏やかな笑顔を見せていたのに。
一体何が、こんなに怖いのだろう。
探れない原因に冷や汗が一筋流れる。
今にも弾けそうな何かを内包している音は、新の精神を針でつついた。
「相変わらず、怖い音を出すな」
「・・・え?」
ふと、隣を見れば何時の間にそこに居たのか、長い足を知らしめるように足を組んだ衛藤が淡い苦笑を浮かべていた。
他の誰もが聞き惚れている音楽に、渋面を浮かべて今にも耳を塞ぎそうだ。
「あの・・・」
「ん?」
「何で、そんな渋い顔してるんですか?」
包み隠さず疑問をぶつける。
舞台に立っているのは、隣に座る彼と同様世界に名を轟かすヴァイオリニスト。
優しく暖かな旋律が有名な、世界有数の腕を持つ人。
それなのに、同じ立場に立つ衛藤は、これ以上ないくらい顔を顰めて流れる音楽を聴いている。
隣で音を奏でる彼女は心地良さそうに弾いているのに、一体何が違うのだろう。
疑問符を浮かべると、衛藤は口の端を持ち上げた。
意地が悪く見えるのに、そんな表情がこの上なく似合う男だと、関係ないところで感心してしまった。
「言ったろ?俺にはあの人の音が怖い」
「───音が、怖い?」
「ああ。普通に聞いてると甘ったるくて優しく感じる音だが、本質は真逆。甘い音で惑わせて自分の下へ引きずり寄せる。手放さないとばかりに粘着質に絡みつく。上辺だけ優しげだが、酷く執着心が強い。・・・それが、俺には恐ろしい」
淡々と説明され、新にも恐怖の原因が何か判った。
口に出されて理解できた。
彼の、一見すると穏やかな表情で奏でられているその音は、恋に狂った男の出す音だった。
「俺は、あの人を尊敬してる。奏でる音楽は澄んでいて、あの人ならではの響きがある。優しくて暖かで柔らかく心地よい。けど、香穂子が絡むと別だ。酷く男らしい独占欲に満ちた音楽を、ごく稀に奏でる。俺は、その音が怖くて仕方ない」
口では怖いといいながら、それでも一切表情に恐怖を表さない衛藤に新は喉を鳴らした。
先ほどまで酷く渋い顔をしていたくせに、今の彼は奏でられる曲を聞きながら挑むように壇上の男を睨み付けていた。
唇は弧を描き、好戦的な笑みは彼にとても似合っている。
「忠告しといてやるよ、少年。普段からあからさまな男より、黙して語らぬ男の方が、恋敵として厄介な場合があるんだぜ」
「・・・はぁ」
「お前んとこの抜けてそうな部長なんかその典型だな。精々足元を掬われないようにしとけよ」
ちらり、と視線を向けた彼は、まるで少年のような無邪気な笑顔を浮かべた。
世界トップレベルの音楽家から受けた助言に、どう返せばいいか判らず、新は結局曖昧な笑みを浮かべて沈黙した。
肯定しても否定しそうも角が立ちそうなアドバイスだったが、とりあえず明日からもう少し視野を広げてみようと心の中で決めてみた。
何故だろう。
包み込むような包容力に、暖かで柔らかな調べ。
慈しみを篭めた、まるで奏でる本人のように穏やかな音なのに、酷く───酷く、胸が苦しくなった。
壇上で曲を奏でるのは、学生時代にCDデビューを果たした実力者。
その癖それを鼻に掛けるでもなく、穏やかな笑顔を見せていたのに。
一体何が、こんなに怖いのだろう。
探れない原因に冷や汗が一筋流れる。
今にも弾けそうな何かを内包している音は、新の精神を針でつついた。
「相変わらず、怖い音を出すな」
「・・・え?」
ふと、隣を見れば何時の間にそこに居たのか、長い足を知らしめるように足を組んだ衛藤が淡い苦笑を浮かべていた。
他の誰もが聞き惚れている音楽に、渋面を浮かべて今にも耳を塞ぎそうだ。
「あの・・・」
「ん?」
「何で、そんな渋い顔してるんですか?」
包み隠さず疑問をぶつける。
舞台に立っているのは、隣に座る彼と同様世界に名を轟かすヴァイオリニスト。
優しく暖かな旋律が有名な、世界有数の腕を持つ人。
それなのに、同じ立場に立つ衛藤は、これ以上ないくらい顔を顰めて流れる音楽を聴いている。
隣で音を奏でる彼女は心地良さそうに弾いているのに、一体何が違うのだろう。
疑問符を浮かべると、衛藤は口の端を持ち上げた。
意地が悪く見えるのに、そんな表情がこの上なく似合う男だと、関係ないところで感心してしまった。
「言ったろ?俺にはあの人の音が怖い」
「───音が、怖い?」
「ああ。普通に聞いてると甘ったるくて優しく感じる音だが、本質は真逆。甘い音で惑わせて自分の下へ引きずり寄せる。手放さないとばかりに粘着質に絡みつく。上辺だけ優しげだが、酷く執着心が強い。・・・それが、俺には恐ろしい」
淡々と説明され、新にも恐怖の原因が何か判った。
口に出されて理解できた。
彼の、一見すると穏やかな表情で奏でられているその音は、恋に狂った男の出す音だった。
「俺は、あの人を尊敬してる。奏でる音楽は澄んでいて、あの人ならではの響きがある。優しくて暖かで柔らかく心地よい。けど、香穂子が絡むと別だ。酷く男らしい独占欲に満ちた音楽を、ごく稀に奏でる。俺は、その音が怖くて仕方ない」
口では怖いといいながら、それでも一切表情に恐怖を表さない衛藤に新は喉を鳴らした。
先ほどまで酷く渋い顔をしていたくせに、今の彼は奏でられる曲を聞きながら挑むように壇上の男を睨み付けていた。
唇は弧を描き、好戦的な笑みは彼にとても似合っている。
「忠告しといてやるよ、少年。普段からあからさまな男より、黙して語らぬ男の方が、恋敵として厄介な場合があるんだぜ」
「・・・はぁ」
「お前んとこの抜けてそうな部長なんかその典型だな。精々足元を掬われないようにしとけよ」
ちらり、と視線を向けた彼は、まるで少年のような無邪気な笑顔を浮かべた。
世界トップレベルの音楽家から受けた助言に、どう返せばいいか判らず、新は結局曖昧な笑みを浮かべて沈黙した。
肯定しても否定しそうも角が立ちそうなアドバイスだったが、とりあえず明日からもう少し視野を広げてみようと心の中で決めてみた。
舞台から流れる甘いテノールは、プロだけあって流石なものだった。
伴奏がヴァイオリンのみと言うのも珍しく、土岐は気持ち良さそうに歌う男を眺める。
自分と少しだけ似た髪色をした男は、波打つ髪を後ろで一本に結んでいた。
男の色気が滲み出る年齢で、中年に差し掛かっているのだろうが、そんな言葉は似合わない。
少なくとも歌を歌っている男は随分と色っぽく艶やかだ。
「君が八木沢君の幼馴染?」
「ああ、俺は違います。あっちで星奏の理事長さんと話してるのがそう」
「ああ、そうなんだ。ごめんね。八木沢君には神南の生徒って聞いていたから、間違えちゃったみたいだ」
あははと爽やかな笑顔を見せた人は、確か八木沢の中学時代の恩師だった。確か、火原だったろうか。
八木沢ほど大人しくないが、タイプは違えど爽やか系だ。
八木沢を清純派の爽やか系とすれば、この男はワンコ系の爽やかさ。
新とタイプが似ているな、と笑顔の裏で観察する。
「俺に何か用ですか?」
「用・・・て程じゃないんだけどさ。君、小日向さん好きでしょう?」
「はぁ?」
「あれ?違った?柚木もそうだって言ってたし、絶対に当たりだと思ったんだけど」
へらり、と邪気がない笑顔を浮かべる彼は、見た目ほど素直じゃないのかもしれない。
警戒心を強めると、益々笑顔を深めた火原は土岐へ顔を近づけた。
「かなでちゃん、可愛いよね!小動物的可愛さって言うのかな?ぎゅって抱きしめてかいぐりしたくなる感じ」
「・・・本当にそれしたら訴えられますよ」
段々と敬語を使うのが面倒になってきた土岐の心を読んだかのように、敬語はなくていいよと朗らかに彼は笑った。
空気が読めないかと思ったら、AKYの方だったらしい。
面倒な相手に捕まったものだと思いながらため息を吐く。
「それで、訴えるのはかなでちゃん?それとも土岐君?」
「俺やなくてもここにいる誰かが絶対にすると思うけど?俺は先にすることがあるし」
「すること?」
「あんたを殴らんといかんやろ。本気で好きでもないくせに、好奇心だけで手を出すのはやめてんか。あんただって日野さんに興味本位で手を出したら報復するやろ」
「ははは」
『是』とも『否』とも答えずに、ただ静かに笑った火原は視線を舞台に向ける。
人の観察をするのが好きで、感情の機微に聡いはずの土岐にもその横顔から何を考えているか判らない。
見た目以上に厄介なのと関わったと己の不運に目元を指先で押さえると、隣の火原は小さく笑った。
「今舞台で歌ってる人さ、俺らが学生時代に先生だったんだ」
「あの金澤紘人が?」
「そう。毎日煙草吸ってさ、よれよれの白衣着て野球中継の話ばかりするやる気なしだったんだよ」
「へぇ」
伸び伸びと歌を歌う姿からは想像出来ない言葉に、目を見張り金澤を観察する。
男はまるで歌を歌うために生まれてきたと全身で表現せんばかりに、体を使って謳っていた。
曲目はアヴェ・マリア。
馴染みが深く、かなでも庭で弾いていた。
ゆったりと余裕を持ち、穏やかな声で響く音は、確かに彼の楽器に違いない。
自分たちが持つそれと同じくらいに魅力的で、よく鍛錬されたものだった。
「金やん、俺たちが卒業する年に外国に渡ったんだ」
「ああ・・・確か、喉を治しにやな。前に雑誌で読んだ」
雑誌で特集を組まれるほど有名な男は、そんな過去を感じさせない。
歌を歌うのが楽しいと、歌を歌うのは幸せだと、気持ち良さそうにしている。
こんな顔をして謳うくせに、よく歌と離れていられたものだ。
全身で歌を愛していると、好きで仕方ないと訴えているくせに。
「きっと金やんが歌を取り戻す切欠になったのは香穂ちゃんだと思う」
「へぇ」
「ああ、興味ないか」
「そうやな。それ自体にはあんまり興味ないわ。でも、あの人の切欠が日野さんだったとして、それを欠片も感じさせない態度には興味ある」
「辛口だね、土岐君は」
「あんただって相当なもんやろ」
気付きたいわけじゃなかったが、気付いてしまった。
にこにこしてるようでいて、彼は少しも笑っていない。
その目は真っ直ぐに日野に向けられているのに、好意と呼ぶには歪だった。
「あんた、日野さんが好きなんやないの?」
「どうして?」
「あんたの目、好きな人を見る眼やない。愛しくて可愛くて大切でどうしようもない、そんな誰かを見る眼と違う」
「・・・そう、かな。そうかもしれないね」
無作法な言葉に少し目を丸くした彼は、ついで淡く苦笑した。
それは苦笑だけれど、きっと彼が始めて見せた本当の笑顔で、だからこそ渋い顔になった。
「俺はかなでちゃんが好きや。千秋や八木沢君たちも同じ感情を持っとるって知っとうても引けん。俺の心に無遠慮に土足で入り込んで、すっかり居座った天然娘に、本気で恋しとうよ」
「・・・そう」
「あんたは?あんたは、日野さんをどう思っとうの?好きやから見とるんと違うの?好きやから追いかけとるんと違うの?好きやからここに居るんと違うの?」
火原を見たら無性に苛々した。
それは無理やりに押し殺そうとする感情を抱え、鬱屈した態度を取っているからで、その癖土岐を眩しいものでも見るような顔をするからだ。
押し込めるなら押し込める。
きっちりと隠し切ればいい。
事実、舞台で歌っている男は、日野への恋情の欠片も見せない。
金澤の本心は、この場の誰にも悟れない。
それが金澤の愛し方なのだとしたら、随分と不器用だと思う。
けれど何も言わない愛の形は、自分には真似出来ないが全否定する気もない。
「俺はね」
「・・・」
「俺はもう、香穂ちゃんを好きなのか判らないんだ。もうずっと、何年も想っている内に形は歪んで原型を留めなくなった。柚木や志水君みたいに甘やかに楽器を謳わせれない。土浦みたいに情熱を捧げるのも出来ない。桐也君みたいに同じ立場で対等に居られない。金やんみたいに全部隠して笑ってられない。長く、長く想いすぎた所為で、純粋な感情はもうなくなっちゃった」
泣きそうな顔で笑った火原に、土岐は顔を歪めた。
これもまた一つの恋の形であると知り、その切なさに悲しくなった。
伴奏がヴァイオリンのみと言うのも珍しく、土岐は気持ち良さそうに歌う男を眺める。
自分と少しだけ似た髪色をした男は、波打つ髪を後ろで一本に結んでいた。
男の色気が滲み出る年齢で、中年に差し掛かっているのだろうが、そんな言葉は似合わない。
少なくとも歌を歌っている男は随分と色っぽく艶やかだ。
「君が八木沢君の幼馴染?」
「ああ、俺は違います。あっちで星奏の理事長さんと話してるのがそう」
「ああ、そうなんだ。ごめんね。八木沢君には神南の生徒って聞いていたから、間違えちゃったみたいだ」
あははと爽やかな笑顔を見せた人は、確か八木沢の中学時代の恩師だった。確か、火原だったろうか。
八木沢ほど大人しくないが、タイプは違えど爽やか系だ。
八木沢を清純派の爽やか系とすれば、この男はワンコ系の爽やかさ。
新とタイプが似ているな、と笑顔の裏で観察する。
「俺に何か用ですか?」
「用・・・て程じゃないんだけどさ。君、小日向さん好きでしょう?」
「はぁ?」
「あれ?違った?柚木もそうだって言ってたし、絶対に当たりだと思ったんだけど」
へらり、と邪気がない笑顔を浮かべる彼は、見た目ほど素直じゃないのかもしれない。
警戒心を強めると、益々笑顔を深めた火原は土岐へ顔を近づけた。
「かなでちゃん、可愛いよね!小動物的可愛さって言うのかな?ぎゅって抱きしめてかいぐりしたくなる感じ」
「・・・本当にそれしたら訴えられますよ」
段々と敬語を使うのが面倒になってきた土岐の心を読んだかのように、敬語はなくていいよと朗らかに彼は笑った。
空気が読めないかと思ったら、AKYの方だったらしい。
面倒な相手に捕まったものだと思いながらため息を吐く。
「それで、訴えるのはかなでちゃん?それとも土岐君?」
「俺やなくてもここにいる誰かが絶対にすると思うけど?俺は先にすることがあるし」
「すること?」
「あんたを殴らんといかんやろ。本気で好きでもないくせに、好奇心だけで手を出すのはやめてんか。あんただって日野さんに興味本位で手を出したら報復するやろ」
「ははは」
『是』とも『否』とも答えずに、ただ静かに笑った火原は視線を舞台に向ける。
人の観察をするのが好きで、感情の機微に聡いはずの土岐にもその横顔から何を考えているか判らない。
見た目以上に厄介なのと関わったと己の不運に目元を指先で押さえると、隣の火原は小さく笑った。
「今舞台で歌ってる人さ、俺らが学生時代に先生だったんだ」
「あの金澤紘人が?」
「そう。毎日煙草吸ってさ、よれよれの白衣着て野球中継の話ばかりするやる気なしだったんだよ」
「へぇ」
伸び伸びと歌を歌う姿からは想像出来ない言葉に、目を見張り金澤を観察する。
男はまるで歌を歌うために生まれてきたと全身で表現せんばかりに、体を使って謳っていた。
曲目はアヴェ・マリア。
馴染みが深く、かなでも庭で弾いていた。
ゆったりと余裕を持ち、穏やかな声で響く音は、確かに彼の楽器に違いない。
自分たちが持つそれと同じくらいに魅力的で、よく鍛錬されたものだった。
「金やん、俺たちが卒業する年に外国に渡ったんだ」
「ああ・・・確か、喉を治しにやな。前に雑誌で読んだ」
雑誌で特集を組まれるほど有名な男は、そんな過去を感じさせない。
歌を歌うのが楽しいと、歌を歌うのは幸せだと、気持ち良さそうにしている。
こんな顔をして謳うくせに、よく歌と離れていられたものだ。
全身で歌を愛していると、好きで仕方ないと訴えているくせに。
「きっと金やんが歌を取り戻す切欠になったのは香穂ちゃんだと思う」
「へぇ」
「ああ、興味ないか」
「そうやな。それ自体にはあんまり興味ないわ。でも、あの人の切欠が日野さんだったとして、それを欠片も感じさせない態度には興味ある」
「辛口だね、土岐君は」
「あんただって相当なもんやろ」
気付きたいわけじゃなかったが、気付いてしまった。
にこにこしてるようでいて、彼は少しも笑っていない。
その目は真っ直ぐに日野に向けられているのに、好意と呼ぶには歪だった。
「あんた、日野さんが好きなんやないの?」
「どうして?」
「あんたの目、好きな人を見る眼やない。愛しくて可愛くて大切でどうしようもない、そんな誰かを見る眼と違う」
「・・・そう、かな。そうかもしれないね」
無作法な言葉に少し目を丸くした彼は、ついで淡く苦笑した。
それは苦笑だけれど、きっと彼が始めて見せた本当の笑顔で、だからこそ渋い顔になった。
「俺はかなでちゃんが好きや。千秋や八木沢君たちも同じ感情を持っとるって知っとうても引けん。俺の心に無遠慮に土足で入り込んで、すっかり居座った天然娘に、本気で恋しとうよ」
「・・・そう」
「あんたは?あんたは、日野さんをどう思っとうの?好きやから見とるんと違うの?好きやから追いかけとるんと違うの?好きやからここに居るんと違うの?」
火原を見たら無性に苛々した。
それは無理やりに押し殺そうとする感情を抱え、鬱屈した態度を取っているからで、その癖土岐を眩しいものでも見るような顔をするからだ。
押し込めるなら押し込める。
きっちりと隠し切ればいい。
事実、舞台で歌っている男は、日野への恋情の欠片も見せない。
金澤の本心は、この場の誰にも悟れない。
それが金澤の愛し方なのだとしたら、随分と不器用だと思う。
けれど何も言わない愛の形は、自分には真似出来ないが全否定する気もない。
「俺はね」
「・・・」
「俺はもう、香穂ちゃんを好きなのか判らないんだ。もうずっと、何年も想っている内に形は歪んで原型を留めなくなった。柚木や志水君みたいに甘やかに楽器を謳わせれない。土浦みたいに情熱を捧げるのも出来ない。桐也君みたいに同じ立場で対等に居られない。金やんみたいに全部隠して笑ってられない。長く、長く想いすぎた所為で、純粋な感情はもうなくなっちゃった」
泣きそうな顔で笑った火原に、土岐は顔を歪めた。
これもまた一つの恋の形であると知り、その切なさに悲しくなった。
奏でられる音の響きに背筋がぞくぞくとした。
その曲は東金にとってよく聞き覚えがあるものであり、春先からずっと引き込んでいた曲でもあった。
アレンジは違うし曲調も違う。
背筋を昇る怖気は底知れない迫力があり、とても自分が奏でた曲と同じとは思えなかった。
こくり、と自然と喉がなる。
壇上に立つ二人は息が合ったテンポでそれぞれの音を引き立てる。
同じヴァイオリンを弾いてるからこそ弾き手の実力差が顕著に現れるはずだが、全く似ていない音を講堂に響かせる彼らの実力は甲乙つけがたいほど素晴らしい。
そして認め難いと考えるのすら驕りであると、自身の根本を叩き折られそうなくらいに、高校生では実力があるはずの東金の音とは全く違った。
好戦的な光を瞳に宿した衛藤と、どこまでも澄んだ色をした瞳の日野。
個性は違うが、紛れもなく彼らは世界のトップに立つ演奏者達だった。
「───彼らの演奏はどうだね、東金君」
「っ!?」
いつの間にか引き込まれていたらしく、唐突に声を掛けられ無様にも体を揺らす。
視線だけやれば、この場において唯一スーツ姿で居た大人の男が静かな瞳でこちらを眺めていた。
東金は、彼が誰であるか知っていた。
少し癖のある黒髪に、冷酷にも見える丹精に整った顔立ち。
出来る男として有名な、星奏学院の理事長吉羅。
長い足を組んで静かに耳を澄ませる様子は絵になる大人の男だった。
「・・・大したものだと、思います」
「そうか」
目上の人間に対する敬語を使いつつ、渋々と認めた言葉に吉羅は小さく笑う。
馬鹿にされたと感じるのは被害妄想か、それとも自身の言い方が悪いと認めているからか。
些か居心地が悪くなって視線を逸らすと、離れた場所で音に聞き入るかなでが目に入り、少しだけ苛立ちが増す。
今壇上で演奏している曲は、先ほど二人が演奏した曲とは違うが、今回の大会で東金が演奏した曲だった。
底知れぬ迫力と、何処か狂喜を思わせる死への旋律。
自分たちの演奏も決して悪くなかった。けれど、この曲は『悪くない』どころではない。
何が違うか明確に口に出来ないのに、とにかく根本にある『何か』が決定的に違った。
壇上に立つ二人は、華やかな男と、派手さはないのにそんな彼に自然と並ぶ女の姿。
二人ともお互いの演奏を知り尽くし、そしてどこをどう補えば自分たちの音がよりよくなるかを判っている。
部外者である東金がそう感じるくらい、呼吸をするのと同じくらいの自然さで彼らは音を響かせた。
そう言えば、と思い出す。
新進気鋭と名を馳せる彼らは同じ学校を卒業し、幾度も海外遠征と共にしていたと雑誌で読んだ。
公私含め親しい間柄であるのは間違いなく、もしかしたら、音が惹き合う理由もそこにあるかもしれない、などと野暮なことが頭を巡る。
「すみませんでした」
「・・・どうした?」
「俺は、彼女の演奏を聞きもしないで貶した。彼女は俺よりも優れた弾き手であるにも関わらず、それを判断するチャンスすら与えなかった。フェアとは呼べない態度です」
「まあ、あの場合は仕方なかっただろう。あいつが先走って日野さんの準備すら待たなかったのだから。音楽に対して誠実ではなかったと思うから彼女も反論しなかった」
「・・・それでも、彼女の所為ではなかった筈です」
「それを気にする女性なら、今また誘われて君たちの前で演奏していないさ」
小さく笑った彼を見て、もしかしたら、とある思いが脳裏に浮かぶ。
彼女を見詰める吉羅の視線を注意深く観察し、徐々に確信を深めていった。
酷く静かで冷静な眼差し。
感情を読み取らせない大人な人だと思うのに、ふとした瞬間彼の瞳に熱が過ぎる。
それはきっと、そういう意味なのだろう。
他人の恋愛ごとに口を突っ込む趣味はないが、あまりの意外性に内心で驚く。
そして視線は自然と自分の想い人へと向かった。
きらきらと瞳を輝かせ日野の演奏を耳にするかなでは、彼女のファンを自称した時と同じ笑顔を讃えている。
憧れ、羨望、尊敬。眩しげに目を細め目尻を赤く染めきらきらしい眼差しを向ける彼女は、まるで恋する乙女のようで、そう考えて相手が女性だというのに嫉妬する自分の狭量さに苦笑する。
「この選曲はあてつけではなく賞賛だろう。君たちの演奏をあいつは気に入り、だからこそ彼女との最高の演奏を目の前で奏でて見せた。遠まわしでわかりにくい好意だが、受け取ってやってくれたまえ」
「・・・はい」
「ああ、だが。当然彼女に対する失言への意趣返しだろう。実力差を明確にし、プライドを叩き折ろうとするとは・・・まだまだ子供だな」
「・・・・・・」
それを当て付けと言わずして何という。
喉元まで出掛かった言葉を気力で飲み干すと、東金はやや引きつった表情で隣の男を見た。
静かな微笑みだと思っていたものが、実は全く笑っていなかったのだと気付き、一枚も二枚も上手を行く大人に、子供らしく苦笑した。
目上の男だと思い敬語を使ったが、彼になら本当の意味でそれを使ってしまいそうだった。
その曲は東金にとってよく聞き覚えがあるものであり、春先からずっと引き込んでいた曲でもあった。
アレンジは違うし曲調も違う。
背筋を昇る怖気は底知れない迫力があり、とても自分が奏でた曲と同じとは思えなかった。
こくり、と自然と喉がなる。
壇上に立つ二人は息が合ったテンポでそれぞれの音を引き立てる。
同じヴァイオリンを弾いてるからこそ弾き手の実力差が顕著に現れるはずだが、全く似ていない音を講堂に響かせる彼らの実力は甲乙つけがたいほど素晴らしい。
そして認め難いと考えるのすら驕りであると、自身の根本を叩き折られそうなくらいに、高校生では実力があるはずの東金の音とは全く違った。
好戦的な光を瞳に宿した衛藤と、どこまでも澄んだ色をした瞳の日野。
個性は違うが、紛れもなく彼らは世界のトップに立つ演奏者達だった。
「───彼らの演奏はどうだね、東金君」
「っ!?」
いつの間にか引き込まれていたらしく、唐突に声を掛けられ無様にも体を揺らす。
視線だけやれば、この場において唯一スーツ姿で居た大人の男が静かな瞳でこちらを眺めていた。
東金は、彼が誰であるか知っていた。
少し癖のある黒髪に、冷酷にも見える丹精に整った顔立ち。
出来る男として有名な、星奏学院の理事長吉羅。
長い足を組んで静かに耳を澄ませる様子は絵になる大人の男だった。
「・・・大したものだと、思います」
「そうか」
目上の人間に対する敬語を使いつつ、渋々と認めた言葉に吉羅は小さく笑う。
馬鹿にされたと感じるのは被害妄想か、それとも自身の言い方が悪いと認めているからか。
些か居心地が悪くなって視線を逸らすと、離れた場所で音に聞き入るかなでが目に入り、少しだけ苛立ちが増す。
今壇上で演奏している曲は、先ほど二人が演奏した曲とは違うが、今回の大会で東金が演奏した曲だった。
底知れぬ迫力と、何処か狂喜を思わせる死への旋律。
自分たちの演奏も決して悪くなかった。けれど、この曲は『悪くない』どころではない。
何が違うか明確に口に出来ないのに、とにかく根本にある『何か』が決定的に違った。
壇上に立つ二人は、華やかな男と、派手さはないのにそんな彼に自然と並ぶ女の姿。
二人ともお互いの演奏を知り尽くし、そしてどこをどう補えば自分たちの音がよりよくなるかを判っている。
部外者である東金がそう感じるくらい、呼吸をするのと同じくらいの自然さで彼らは音を響かせた。
そう言えば、と思い出す。
新進気鋭と名を馳せる彼らは同じ学校を卒業し、幾度も海外遠征と共にしていたと雑誌で読んだ。
公私含め親しい間柄であるのは間違いなく、もしかしたら、音が惹き合う理由もそこにあるかもしれない、などと野暮なことが頭を巡る。
「すみませんでした」
「・・・どうした?」
「俺は、彼女の演奏を聞きもしないで貶した。彼女は俺よりも優れた弾き手であるにも関わらず、それを判断するチャンスすら与えなかった。フェアとは呼べない態度です」
「まあ、あの場合は仕方なかっただろう。あいつが先走って日野さんの準備すら待たなかったのだから。音楽に対して誠実ではなかったと思うから彼女も反論しなかった」
「・・・それでも、彼女の所為ではなかった筈です」
「それを気にする女性なら、今また誘われて君たちの前で演奏していないさ」
小さく笑った彼を見て、もしかしたら、とある思いが脳裏に浮かぶ。
彼女を見詰める吉羅の視線を注意深く観察し、徐々に確信を深めていった。
酷く静かで冷静な眼差し。
感情を読み取らせない大人な人だと思うのに、ふとした瞬間彼の瞳に熱が過ぎる。
それはきっと、そういう意味なのだろう。
他人の恋愛ごとに口を突っ込む趣味はないが、あまりの意外性に内心で驚く。
そして視線は自然と自分の想い人へと向かった。
きらきらと瞳を輝かせ日野の演奏を耳にするかなでは、彼女のファンを自称した時と同じ笑顔を讃えている。
憧れ、羨望、尊敬。眩しげに目を細め目尻を赤く染めきらきらしい眼差しを向ける彼女は、まるで恋する乙女のようで、そう考えて相手が女性だというのに嫉妬する自分の狭量さに苦笑する。
「この選曲はあてつけではなく賞賛だろう。君たちの演奏をあいつは気に入り、だからこそ彼女との最高の演奏を目の前で奏でて見せた。遠まわしでわかりにくい好意だが、受け取ってやってくれたまえ」
「・・・はい」
「ああ、だが。当然彼女に対する失言への意趣返しだろう。実力差を明確にし、プライドを叩き折ろうとするとは・・・まだまだ子供だな」
「・・・・・・」
それを当て付けと言わずして何という。
喉元まで出掛かった言葉を気力で飲み干すと、東金はやや引きつった表情で隣の男を見た。
静かな微笑みだと思っていたものが、実は全く笑っていなかったのだと気付き、一枚も二枚も上手を行く大人に、子供らしく苦笑した。
目上の男だと思い敬語を使ったが、彼になら本当の意味でそれを使ってしまいそうだった。
その曲は一風変わった合奏で奏でられた。
何が変わっているかというと、本来なら伴奏であるはずのピアノと、堂々としたヴァイオリンが二人とも主旋律を奏でていたのだ。
しかし別にくどい印象はなく、どころかぴったりと息の合った内容は賞賛に値する。
力強く繊細なピアノ。伸びやかで自由なヴァイオリン。
軽やかに飛び回るヴァイオリンを、ピアノの音が追いかける。
楽しげに、けれど時には切なげに。
狂おしく優しく、そして時には一歩引いて。
きっとこれが彼の思いなんだろうと、音を聞きながら大地は目を細める。
優しいだけじゃなく、強引で強気。
今まで聞いてきた音の中でも、この音が一番大地をひきつけた。
見た感じ淡々としているように見えたのに、この情熱的な部分は憧れる。
「相変わらずだなぁ、土浦は。言葉は素っ気無いくせに、嫌になるくらい情熱的だ」
「・・・葵さん」
いつの間に隣に居たのかと、驚きで目を見開きながら隣を見れば、にこり、と若くして役職つきの彼は内心を読み取らせない。
ポーカーフェイスが得意な大地ですらその足元に及ばないと認めるほど、彼は食えない男だった。
そして幼い頃から実家の関係で知る彼を兄と慕う大地は、とても彼を尊敬している。
兄として、男として。
彼が高校時代にはもう付き合いがあったので、大地はしっかり知っていた。
彼が一途に目の前で演奏を続ける彼女に惚れ続けていることを。
立場的にも見た目的にも魅力溢れる彼には誘惑が多いはずだが、彼の心が動くことは微塵もない。
この何年かの間、一人も女がいなかったとは思わないが、彼の心は欠片も彼女以外を求めてないだろうと、大地は『知って』いた。
そして、彼と自分が、似ているだろうことも。
「聞いてよ、あの音。腹立たしいほどいい音だよね」
「俺は普段の彼の音をさほど知らないですし、さっきも十分良いと思ったけれど、きっと耳がいい葵さんが言うなら本当にいい音なんだろうね」
「嫌になるくらいだよ。あの曲、土浦が一番大事にしてる曲なんだ。好みは別の癖に。・・・どうしてか判る?」
「日野さんに関連する内容ですか?」
「そう。あの曲、星奏の学内コンクールの最終セレクションで二人が演奏した曲なんだって。むかつくよね」
笑顔で放たれた言葉は、背筋がぞくりとくるくらいに恐ろしい。
自分はよく彼に似ているといわれたが、本当にそうだろうかと首を傾げる。
正直、彼みたいに自分を使い分けれていると思わないし、どう考えても経験の差から来る圧力の違いが壁となって立ちはだかっている。
日野の音を理想とし、今でも追いかけ続けている加地は、彼女に何を求めているのか。
そして彼と自分が近いなら、自分はかなでに何を求めているのか。
考え込むでもなく、答えは一つで、淡く苦笑する。
「───葵さんは」
「ん?」
「相変わらず日野さんが好きですよね」
幼い時分、一度だけ彼女と会ったことがある。
公園でヴァイオリンを弾いていた彼女の近くに居た加地を、見たことがある。
何かラインを引かれたように、離れた場所で彼女を見詰める加地の目は、今と変わらず熱の篭った熱いもの。
流れるピアノの音と変わらず、熱く狂おしく切なく焦がれるものだったのに、それでも彼は彼女の隣に居なかった。
その理由を、きっとこの場にいる仲間の中で唯一自分だけが明確に知っている。
茶化すように告げた一言に、端整な顔を綻ばせた加地は照れたように笑った。
「好きだよ。───自分でも、どうしようもないくらいに。彼女は、僕の理想だから」
普段は冷酷なまでに現実主義者の加地が、少年のように微笑む姿は稀なのだと彼女は知っているだろうか。
「土浦の音にも苦しいほど嫉妬する。彼女の音も彼女自身も独占したい。束縛して、僕の傍だけにいて欲しい。僕のために音楽を奏でて欲しい。いい年なのに、子供みたいな青臭い恋を続けてる」
ピアノの音が激しさを増す。
逃げるヴァイオリンを負うように、その手を伸ばし捕まえようとするように。
瞼を閉じれば今も思い出す、あの秋の日の思いで。
あの日演奏する彼女の隣に居たのは、ピアノを奏でる彼でも、彼女の音に焦がれ続ける彼でもなかった。
幼い日の楽しげな演奏が耳に蘇る。
隣に座る加地は、先ほどまで口にしていた言葉が全て嘘のように満足気に音に聞き惚れていた。
もし。
もし本当に自分と彼が似ているなら、かなでには早々に諦めてもらいたいことが一つある。
例え彼女が誰かのものになったとしても、自分は一生彼女を諦めないだろう。
その執着心は、どうしようもないなと。
自分の想いを『青い』と呆気なく称した、大人の彼に倣えるよう、早く大人になりたいと望んだ。
何が変わっているかというと、本来なら伴奏であるはずのピアノと、堂々としたヴァイオリンが二人とも主旋律を奏でていたのだ。
しかし別にくどい印象はなく、どころかぴったりと息の合った内容は賞賛に値する。
力強く繊細なピアノ。伸びやかで自由なヴァイオリン。
軽やかに飛び回るヴァイオリンを、ピアノの音が追いかける。
楽しげに、けれど時には切なげに。
狂おしく優しく、そして時には一歩引いて。
きっとこれが彼の思いなんだろうと、音を聞きながら大地は目を細める。
優しいだけじゃなく、強引で強気。
今まで聞いてきた音の中でも、この音が一番大地をひきつけた。
見た感じ淡々としているように見えたのに、この情熱的な部分は憧れる。
「相変わらずだなぁ、土浦は。言葉は素っ気無いくせに、嫌になるくらい情熱的だ」
「・・・葵さん」
いつの間に隣に居たのかと、驚きで目を見開きながら隣を見れば、にこり、と若くして役職つきの彼は内心を読み取らせない。
ポーカーフェイスが得意な大地ですらその足元に及ばないと認めるほど、彼は食えない男だった。
そして幼い頃から実家の関係で知る彼を兄と慕う大地は、とても彼を尊敬している。
兄として、男として。
彼が高校時代にはもう付き合いがあったので、大地はしっかり知っていた。
彼が一途に目の前で演奏を続ける彼女に惚れ続けていることを。
立場的にも見た目的にも魅力溢れる彼には誘惑が多いはずだが、彼の心が動くことは微塵もない。
この何年かの間、一人も女がいなかったとは思わないが、彼の心は欠片も彼女以外を求めてないだろうと、大地は『知って』いた。
そして、彼と自分が、似ているだろうことも。
「聞いてよ、あの音。腹立たしいほどいい音だよね」
「俺は普段の彼の音をさほど知らないですし、さっきも十分良いと思ったけれど、きっと耳がいい葵さんが言うなら本当にいい音なんだろうね」
「嫌になるくらいだよ。あの曲、土浦が一番大事にしてる曲なんだ。好みは別の癖に。・・・どうしてか判る?」
「日野さんに関連する内容ですか?」
「そう。あの曲、星奏の学内コンクールの最終セレクションで二人が演奏した曲なんだって。むかつくよね」
笑顔で放たれた言葉は、背筋がぞくりとくるくらいに恐ろしい。
自分はよく彼に似ているといわれたが、本当にそうだろうかと首を傾げる。
正直、彼みたいに自分を使い分けれていると思わないし、どう考えても経験の差から来る圧力の違いが壁となって立ちはだかっている。
日野の音を理想とし、今でも追いかけ続けている加地は、彼女に何を求めているのか。
そして彼と自分が近いなら、自分はかなでに何を求めているのか。
考え込むでもなく、答えは一つで、淡く苦笑する。
「───葵さんは」
「ん?」
「相変わらず日野さんが好きですよね」
幼い時分、一度だけ彼女と会ったことがある。
公園でヴァイオリンを弾いていた彼女の近くに居た加地を、見たことがある。
何かラインを引かれたように、離れた場所で彼女を見詰める加地の目は、今と変わらず熱の篭った熱いもの。
流れるピアノの音と変わらず、熱く狂おしく切なく焦がれるものだったのに、それでも彼は彼女の隣に居なかった。
その理由を、きっとこの場にいる仲間の中で唯一自分だけが明確に知っている。
茶化すように告げた一言に、端整な顔を綻ばせた加地は照れたように笑った。
「好きだよ。───自分でも、どうしようもないくらいに。彼女は、僕の理想だから」
普段は冷酷なまでに現実主義者の加地が、少年のように微笑む姿は稀なのだと彼女は知っているだろうか。
「土浦の音にも苦しいほど嫉妬する。彼女の音も彼女自身も独占したい。束縛して、僕の傍だけにいて欲しい。僕のために音楽を奏でて欲しい。いい年なのに、子供みたいな青臭い恋を続けてる」
ピアノの音が激しさを増す。
逃げるヴァイオリンを負うように、その手を伸ばし捕まえようとするように。
瞼を閉じれば今も思い出す、あの秋の日の思いで。
あの日演奏する彼女の隣に居たのは、ピアノを奏でる彼でも、彼女の音に焦がれ続ける彼でもなかった。
幼い日の楽しげな演奏が耳に蘇る。
隣に座る加地は、先ほどまで口にしていた言葉が全て嘘のように満足気に音に聞き惚れていた。
もし。
もし本当に自分と彼が似ているなら、かなでには早々に諦めてもらいたいことが一つある。
例え彼女が誰かのものになったとしても、自分は一生彼女を諦めないだろう。
その執着心は、どうしようもないなと。
自分の想いを『青い』と呆気なく称した、大人の彼に倣えるよう、早く大人になりたいと望んだ。
更新内容
|
(06/28)
(04/07)
(04/07)
(04/07)
(03/31)
(03/30)
(03/30)
(03/30)
(03/30)
(03/25)
(03/25)
(03/25)
(03/25)
(03/24)
(03/24)
(03/24)
(03/23)
(03/14)
(03/14)
(03/13)
(03/13)
(03/13)
(03/11)
(03/10)
(03/08)
カテゴリー
|
リンク
|
フリーエリア
|