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【閑話休題】
「・・・・・・」
「・・・おいクソチャイナ。起きろィ」
「・・・・・・」
「あ。あんなところに空飛ぶアンパンヒーローが」
「んなぁに!?何処ヨ?何処アルネ!?助けて、アソパソマーン!ここに腹を空かせた美少女がいますヨー」
「いますヨー、じゃねェよ。何空に向かって思いきし両手振ってやがんでィ。いい年して恥ずかしくねェのかィ?」
「羞恥心じゃ腹は膨らまないアル。何処にいるのー?アソパソマーン!」
「止めろ」
すぱん、と頭を叩かれて首が傾く。遠慮のない力にいらっと来た。唇を尖らせて眼鏡越しに睨み上げれば、体操服姿の男は腰に手を当てて偉そうに胸を逸らした。今日の体育はサッカーだ。先ほどまで女子の歓声を二分していた内の一人は、相変わらずのポーカーフェイスで神楽を見下ろす。
「お前、見学とはいえ一応授業中だろィ。堂々と鼾かいて寝てんじゃねェよ」
「だって暇だったアル。お日様ポカポカ、風はそよそよ。体感温度は適温で、丁度良く背中には大きな木。絶好のシチュエーションアル」
「こっちが額に汗して運動してるっつうのに暢気なもんだねィ。羨ましくって涙が出ちまう」
「おう、泣け泣け。声嗄れるまで泣け青少年。そうして大人になっていくアル」
「お前誰だよ」
呆れを隠さない眼差しを向けてきた沖田に肩を竦める。心地よいが少しだけ太陽が強すぎる。こんな日差しで運動すれば、神楽は倒れてしまうだろう。男女混合の授業で普段なら彼と対戦するが、今日の日差しは分が悪い。沖田とてそれくらい判ってるだろうに。
「とにかく。いつまでも寝てんじゃねェよ。今から俺が活躍する様子、しっかりと目に焼き付けな」
びしり、と指を指した男に、人を指すなんて何事ネ頬を膨らます。怒る神楽を全く気にせず、沖田はさっさと背中を向けた。遠くなるそれがグランドに立つ頃、試合開始のホイッスルが鳴る。その音が消える前に、神楽の意識はまた沈んだ。
「・・・・・・」
「・・・おいクソチャイナ。起きろィ」
「・・・・・・」
「あ。あんなところに空飛ぶアンパンヒーローが」
「んなぁに!?何処ヨ?何処アルネ!?助けて、アソパソマーン!ここに腹を空かせた美少女がいますヨー」
「いますヨー、じゃねェよ。何空に向かって思いきし両手振ってやがんでィ。いい年して恥ずかしくねェのかィ?」
「羞恥心じゃ腹は膨らまないアル。何処にいるのー?アソパソマーン!」
「止めろ」
すぱん、と頭を叩かれて首が傾く。遠慮のない力にいらっと来た。唇を尖らせて眼鏡越しに睨み上げれば、体操服姿の男は腰に手を当てて偉そうに胸を逸らした。今日の体育はサッカーだ。先ほどまで女子の歓声を二分していた内の一人は、相変わらずのポーカーフェイスで神楽を見下ろす。
「お前、見学とはいえ一応授業中だろィ。堂々と鼾かいて寝てんじゃねェよ」
「だって暇だったアル。お日様ポカポカ、風はそよそよ。体感温度は適温で、丁度良く背中には大きな木。絶好のシチュエーションアル」
「こっちが額に汗して運動してるっつうのに暢気なもんだねィ。羨ましくって涙が出ちまう」
「おう、泣け泣け。声嗄れるまで泣け青少年。そうして大人になっていくアル」
「お前誰だよ」
呆れを隠さない眼差しを向けてきた沖田に肩を竦める。心地よいが少しだけ太陽が強すぎる。こんな日差しで運動すれば、神楽は倒れてしまうだろう。男女混合の授業で普段なら彼と対戦するが、今日の日差しは分が悪い。沖田とてそれくらい判ってるだろうに。
「とにかく。いつまでも寝てんじゃねェよ。今から俺が活躍する様子、しっかりと目に焼き付けな」
びしり、と指を指した男に、人を指すなんて何事ネ頬を膨らます。怒る神楽を全く気にせず、沖田はさっさと背中を向けた。遠くなるそれがグランドに立つ頃、試合開始のホイッスルが鳴る。その音が消える前に、神楽の意識はまた沈んだ。
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■真選組&神楽
傘を片手に、構えを取る。半身になり重心は低く足をすり足で動かした。力も大事だがどちらかといえば自分はスピード勝負のタイプだ。遠心力は速度に応じて強くなる。ならば元々力のある神楽の動きに、スピードが加われば天下無双の覇者となる。
神楽は自分の特性をよく知っていた。理解しているからこそ、どのように動けばいいのかシュミレーション出来る。それは生まれ持った天賦の才であり経験では生まれない感覚でもある。絶対的勝算を胸に、それでも逃げ出そうとする足を叱咤した。
「──一人で、やるつもりなんですかィ?」
見慣れた金茶の髪の男が刀の柄に手を掛ける。真っ黒な腹の色を感じさせない綺麗な瞳はすでに瞳孔が開き、紅潮した目尻が彼の興奮を伝えてきた。くつり、と愉快そうに喉を震わせると、躊躇なく抜刀し、抜き身の刀身が月光に光る。彼に迷いも惑いも一切ないらしく、本気で斬ると殺気が溢れた。
唇を歪める。今更震えだしそうな体に、笑いが漏れそうだ。
「当然アル。お前らみたいな雑魚、私一人で十分ネ。財布の中身は補充してきたアルか?」
「生憎、この間アイマスクを買っちまったんで財布の中はすっからかんでさァ。土方さんはどうですかィ?」
「オレも、マヨネーズの特売があったもんで、給料日までマヨネーズで食いつないでる状態だ。残念ながら金は持ってねぇなァ」
「はっはっは。二人とも貧乏人だな!オレなんかお妙さんが預金全額下ろして来いっつったから財布の中身はパンパンだぞ」
「──あんた、貢君扱いじゃねぇか。それでいいのか?」
「何言ってるんだトシ!これは、お妙さんがオレに少しでも束縛して欲しいという愛情の裏返し──」
「ストーカーは黙ってろヨ。お前の想いはゲーム出るたびに姫を攫うクッパと同じくらいに報われないアル。愛が重すぎるアル」
「重いとか言うなァァァァ。オレの愛は人より少しだけねちっこいだけだ!」
下らない軽口を交し合いながらも、彼らの間から緊張は解かれない。それもそのはず。今や彼らは完全な敵同士で、はっきりとした線引きは出来ていた。
神楽は万事屋で働いていた無害なチャイナ娘ではなく、何人もの幕府の人間を殺害した殺人犯。例え相手が生きている価値のない屑だったとしても、見逃すには神楽は手を汚しすぎたし顔が知られすぎていた。
山崎が拾ってきた情報通りに神楽は港に一人でいた。まるで、真選組が到着するのを待つように。ただ、一人で黒のチャイナ服を身に纏い、最大の武器である傘をクルクルとまわして遊んでいた。その仕草は幼げで、頼りなく儚いものであるのに、誰の助けも必要とせず背中で全てを拒絶している。闇に融け入るチャイナドレスは、まるで喪服のようだった。
桃色の髪に整った容姿。大きな青い瞳は相変わらず澄んでおり、少し痩せた印象はあるが愛らしさに相違は無い。白い肌に黒い衣服は映えるのに、以前の彼女を知っていただけにどうしても違和感が拭い去れない。そこ居るのは太陽が似合った溌剌とした少女でなく、月光が似合う静かな一人の天人だった。
「変態の愛なんてどうでもいいネ」
「お前から話を振ったんだろうが」
「──ケツの穴がちっちゃい男アル。お前、痔を隠し持ってるんダロ?」
「オレは痔じゃねェェェェェ!」
「うわッ、土方さん、えんがちょ。近寄らないで下せェ。痔が移っちまいまさァ」
「だから違うって言ってンだろォォォォ!!」
淡々と繰り返された軽口の応酬が、終わりを告げたのは唐突だった。揶揄する沖田の発言に土方の視線が自分から逸れた瞬間、神楽は一息に距離を詰めた。
「!?」
呆れるほどのスピードに真選組が目を見張る。だが動けずに居るなら好都合。これ以上やりやすい相手は居ない。動きの遅れた土方の脇腹を目掛け、右手に構えた傘を容赦なく振るう。
「グゥッ・・・」
悲鳴を堪えたのはさすがというべきか。先日、高杉から受けた傷はまだ治っていないだろう。あれほどの重傷を完治させるには人間の体は惰弱すぎ、ついで言えば脆弱すぎる。脆く砕き壊すのも容易。現に土方は、ただの一撃で地に伏し悶絶している。斬ってもいないのに彼の周りに血が滴っているのは、先日の傷が開いたからだろう。
ふっと唇を上げ、そのままの勢いに乗り舞うように周りの隊士たちに仕掛けた。
誰も彼も一撃。なんて簡単な『作業』なのか。以前と違い殺さないよう加減をしていないお陰で、全員が致命傷の傷を負っているが片付けるスピードは比べ物にならない。阿修羅の如き一方的な強さ。これは戦闘ではなく、虐待に近い。それほどに力の差は歴然とし、赤子の手を捻るように次々と倒れ伏していく。
瞬く間に隊士の半分がやられ、近藤は眉間に皺を刻んだ。神楽が強いのは知っていたが、甘く見ていたとしか言いようがない。
「──アンタ、変わりましたねィ」
「ッ」
必殺の勢いで繰り出した傘を止められ、相手を睨んだ。やはり、と言うべきだろうか。鍔迫り合う神楽の傘を止めたのは、真選組随一の腕を持つ沖田総悟で、楽しそうに唇を歪ませた彼は、神楽の目を見て囁いた。
「以前のアンタなら、話してる途中に手を出すなんてセコイ真似してこなかった。アンタ、随分と余裕がなさそうだ」
一撃二撃と刀と傘を合わせる。天賦の才を持つ二人のやり合いは常人が手を出すにはあまりにも速く、手を出した瞬間には敵も味方もなく致命傷を負うのはすぐに判る。一見すれば斬撃を繰り出す沖田が押しているかに見えたが、全てを躱す神楽の表情は変わらない。どころか神速のそれを受けても息も上がらず傷一つ負っていなかった。
ごくり、と喉を鳴らす。下手に手を出せば沖田の方が裁ききれずに怪我をしてしまうだろう。今まで得た経験からその推測を導き出し、近藤は額に汗を浮かべた。背筋をぞくぞくとしたものが駆け抜ける。実践を謳う自分たちの剣は、あの幼さを拭いきれない少女に劣る。
それを判らない沖田ではないだろうに、彼の刀が止まる事は無い。どころか益々速度を増し、火花を散らして足を踏み込む。白熱する戦いに誰もが息を呑んで見守る中、けれど当の本人は光る眼差しをただ一人に向けていた。
「それに」
笑って沖田は競り合う刀から無造作に力を抜く。均衡を保っていた力が急に失せ、傘に乗せていた力の分だけバランスが崩れた。沖田総悟は、その隙を見逃すような甘い相手ではなかった。
しまったと思う間もなく右腿が熱くなる。貫かれたと知ったのは、刀が抜かれてからだった。赤く染まった刀身に小さく舌打をする。苛立った神楽の様子を見て、沖田はぺろりとそれを舐めた。
「──随分と弱くなったようだ。そんなんで、よくオレたちの前に姿を現せたなァ。オレたちも舐められたもんでさァ」
容赦なく次の攻撃を浴びせ沖田は笑った。慌てて避けるが先ほどまでと違い、モーションは大きくなる。着地した瞬間腿から血が吹き出崩れそうになるのを踏ん張り堪えた。清々しいほどの笑顔を向ける青年に、罪悪感など欠片も見当たらない。どころか目の前の獲物を傷つけることが出来、心底嬉しそうに上機嫌だ。
まるで、お気に入りのおもちゃを壊す子供のようだと考えて胸糞が悪くなった。彼は、晋助に少しだけ似ている。ふっと息を吐き出し痛みを意識の外に押しやると、そのまま傘を構えなおした。振りかぶるフリをして動きを変えた沖田ににっと笑う。彼がその意味を理解して表情を変えた時にはもう遅い。柄の部分に隠してあるボタンを押せば。
「ッ」
破裂音とともに沖田は吹っ飛んだ。
「油断大敵アルヨ。これだから、単細胞生物は嫌いアル」
両足と脇腹を至近距離で打たれた沖田は立ち上がることすら出来ない。無様にもがく姿にまだ意識を失わないかともう一度傘を向けようとした瞬間。
「総悟ォォォォ」
近藤の悲痛な声が響いた。だが、神楽にはその声も届かない。沖田を倒したことで士気を失った隊士は脆く、呆気ないほど弱かった。それとも比較する対象が悪すぎるだろうか。ゆるやかに唇が弧を描き、顔についた血を舐め取る。
近藤との距離を詰める間にも彼の盾になろうとした別の隊士を倒していく。近藤へと辿り着いたとき、他に立っていた人間は誰も居なくなった。
「チャイナさん」
「・・・・・・」
近藤は、沖田を抱きしめ周りで倒れている自分の部下を見て手を握り締めた。そっと沖田を地面に横たえると、己の刀に手をやりゆっくりと立ち上がる。神楽を見る目に迷いはなく、そこに普段のおちゃらけた男は居なかった。
「こいつらはな、オレの家族みたいなもんなんだ」
隙がない。初めて素の近藤を見た気がした。彼の体から立ち昇る気迫が白く見えるようだ。殺気は神楽に負けず劣らず強い。いつもとは別人の姿に、知らず口角が上がった。
「オレにとって特別なんだ。仲間、なんだよ」
目は怒っているのに、それでも哀しい笑顔を見せた男は正眼に刀を構えた。不意に銀時の言葉を思い出す。昔、彼は近藤を強いと言ったことがあった。本気になれば、オレには勝てなくてもあいつらを子分にしてることに疑問が湧かない程度には強いだろうよ、と。その時には銀時の言葉は理解できなかった。認めたくないが神楽の中で真選組最強は沖田総悟であり、彼以上に近藤が強いと思えなかったから。だが今ならわかる。匂い立つような殺気はぴりぴりと肌を刺激して止まない。
真選組は沖田が最強だと聞いていたし、神楽自身も判断していた。だが、目の前の男も負けず劣らずの腕前だろう。傘を構えなおそうと、腕を持ち上げる。
「オレはアンタを斬る」
声は間近で聞こえた。瞬きして目の前を見れば、血が吹き出て彼が汚れて。胸を袈裟切りされたのだと吹き出る血を眺め判断する。少しだけ意識がくらくらし、どうやら出血多量で貧血になりかかっているらしい。体の傷がすぐに癒えても、流れる血の生成は追いつかない。先日受けた銃痕もまだ治りきっていないくらいだ。万全の体調とは言いがたい。動こうとする意思に反して、体は思うように脳の指令に従わない。もたもたと体制を立て直している内に、今度は腕の腱を切られた。だらり、と腕が垂れ下がり動きが一気に鈍くなる。ぶらぶら揺れるそれを視界に入れ、ふっと笑った。
「お前、強いアルな」
気がつけば場違いな声が出た。素直に相手を賞賛し、左腕が動けば拍手もしていたかもしれない。傘を持つ手はもう武器を握り締めていなかった。その握力すらなくなってしまったらしい。脳がくらくらする。先日よりも酷い頭痛に目がかすんだ。どうやら本格的に不味い事態だ。
「すまねぇな、チャイナさん」
銀光が目をついた。右胸を刀が貫く。鈍い感覚が全身に響き、咽喉元まで競りあがってきたそれを、逆らう事無く吐き出した。おびただしい量の血が、地面に零れる。
鉄錆びの匂いが充満し、足を踏み出せばびちゃりと音がした。左腕は垂れ下がり胸からは動くたびに出血する。裂かれたチャイナ服はぼろ布に近く、白い肌は赤に塗れた。神楽のその姿を見て、目の前の男が目を瞑る。銀時と同じで心優しいこの男は、きっと自分の姿を直視できなかったのだろう。武装警察真選組のトップともあろう男の、無防備な仕草に神楽は微笑む。
それは、その場には不似合いなほど優しい笑み。
「──悪いアル、ゴリラ」
「!?」
彼の瞳が開かれる前に、右の腕が彼の腹を突き破った。自身の腹に突き刺された手を眺めた男は、驚くように目を見張る。神楽が無手なので油断していたのだろう。いや、もしかしたらそれ以上にこの姿に同情し動けなかったのかもしれない。どちらにせよ、幾つもの修羅場を潜って来た近藤らしくない油断は、彼と神楽の立場を逆転させるに足るものだった。倒れる姿はスローモーションのようにゆっくりと映ったが実際には瞬き一つ分の時間だろう。
「っハ、ハッ、ハッ、ハッ」
倒れ伏し動かなくなった近藤を眺め肩で息をする。さすがに、武装警察真選組の名は伊達じゃない。完全な体で相手をしてもきっと負傷はしていただろう。血が噴き出ると困るので、刀を腹に突き刺したまましゃがみ込む。動くたびに角度を帰る刀身に眉を顰め何とか体制を整えた。体中が痛まない箇所はなく、血が脈打つたびに傷自体が意思を持ったように鼓動した。いかに夜兎の体が回復力に優れていると言っても、これは癒えるのに時間がかかりそうだ。少しずつ意識が暗くなってきた。それでも僅かな休憩の後、何とか立ち上がると目の前に不意に影が掛かる。視線を向けなくともそれが誰かは判っていた。
「──これで、お前は後戻りできねぇぜ?これだけやったら、もうアイツもお前に手を伸ばさない。お前は、オレの隣以外に居場所はなくなった」
何かに酔うような酷く上機嫌な声が聞こえた。肩で息をする神楽には、余力は無かったがそれでも何とか口を開く。
「・・・煩いアル、このクソボケ。お前の、感情も、ゴリラと同じで、重すぎる、アル」
途切れ途切れになりながら悪態を吐いた。視界が定まらず、気配はわかるのに彼の姿がはっきりと目に映らない。ぼやけた影はゆったりと佇み、嗅覚が血の匂い以外を知らせる。嫌いな香に眉を寄せれば、クッと笑った気配がした。
「・・・ん・・・ちゃ・・・」
出血のため意識が薄れる。神楽を繋ぎ止めていた痛みもただその熱さのみを伝え苦痛は消えた。意識がなくなる瞬間、囁いた名はやはり誰にも届かず消えた。
傘を片手に、構えを取る。半身になり重心は低く足をすり足で動かした。力も大事だがどちらかといえば自分はスピード勝負のタイプだ。遠心力は速度に応じて強くなる。ならば元々力のある神楽の動きに、スピードが加われば天下無双の覇者となる。
神楽は自分の特性をよく知っていた。理解しているからこそ、どのように動けばいいのかシュミレーション出来る。それは生まれ持った天賦の才であり経験では生まれない感覚でもある。絶対的勝算を胸に、それでも逃げ出そうとする足を叱咤した。
「──一人で、やるつもりなんですかィ?」
見慣れた金茶の髪の男が刀の柄に手を掛ける。真っ黒な腹の色を感じさせない綺麗な瞳はすでに瞳孔が開き、紅潮した目尻が彼の興奮を伝えてきた。くつり、と愉快そうに喉を震わせると、躊躇なく抜刀し、抜き身の刀身が月光に光る。彼に迷いも惑いも一切ないらしく、本気で斬ると殺気が溢れた。
唇を歪める。今更震えだしそうな体に、笑いが漏れそうだ。
「当然アル。お前らみたいな雑魚、私一人で十分ネ。財布の中身は補充してきたアルか?」
「生憎、この間アイマスクを買っちまったんで財布の中はすっからかんでさァ。土方さんはどうですかィ?」
「オレも、マヨネーズの特売があったもんで、給料日までマヨネーズで食いつないでる状態だ。残念ながら金は持ってねぇなァ」
「はっはっは。二人とも貧乏人だな!オレなんかお妙さんが預金全額下ろして来いっつったから財布の中身はパンパンだぞ」
「──あんた、貢君扱いじゃねぇか。それでいいのか?」
「何言ってるんだトシ!これは、お妙さんがオレに少しでも束縛して欲しいという愛情の裏返し──」
「ストーカーは黙ってろヨ。お前の想いはゲーム出るたびに姫を攫うクッパと同じくらいに報われないアル。愛が重すぎるアル」
「重いとか言うなァァァァ。オレの愛は人より少しだけねちっこいだけだ!」
下らない軽口を交し合いながらも、彼らの間から緊張は解かれない。それもそのはず。今や彼らは完全な敵同士で、はっきりとした線引きは出来ていた。
神楽は万事屋で働いていた無害なチャイナ娘ではなく、何人もの幕府の人間を殺害した殺人犯。例え相手が生きている価値のない屑だったとしても、見逃すには神楽は手を汚しすぎたし顔が知られすぎていた。
山崎が拾ってきた情報通りに神楽は港に一人でいた。まるで、真選組が到着するのを待つように。ただ、一人で黒のチャイナ服を身に纏い、最大の武器である傘をクルクルとまわして遊んでいた。その仕草は幼げで、頼りなく儚いものであるのに、誰の助けも必要とせず背中で全てを拒絶している。闇に融け入るチャイナドレスは、まるで喪服のようだった。
桃色の髪に整った容姿。大きな青い瞳は相変わらず澄んでおり、少し痩せた印象はあるが愛らしさに相違は無い。白い肌に黒い衣服は映えるのに、以前の彼女を知っていただけにどうしても違和感が拭い去れない。そこ居るのは太陽が似合った溌剌とした少女でなく、月光が似合う静かな一人の天人だった。
「変態の愛なんてどうでもいいネ」
「お前から話を振ったんだろうが」
「──ケツの穴がちっちゃい男アル。お前、痔を隠し持ってるんダロ?」
「オレは痔じゃねェェェェェ!」
「うわッ、土方さん、えんがちょ。近寄らないで下せェ。痔が移っちまいまさァ」
「だから違うって言ってンだろォォォォ!!」
淡々と繰り返された軽口の応酬が、終わりを告げたのは唐突だった。揶揄する沖田の発言に土方の視線が自分から逸れた瞬間、神楽は一息に距離を詰めた。
「!?」
呆れるほどのスピードに真選組が目を見張る。だが動けずに居るなら好都合。これ以上やりやすい相手は居ない。動きの遅れた土方の脇腹を目掛け、右手に構えた傘を容赦なく振るう。
「グゥッ・・・」
悲鳴を堪えたのはさすがというべきか。先日、高杉から受けた傷はまだ治っていないだろう。あれほどの重傷を完治させるには人間の体は惰弱すぎ、ついで言えば脆弱すぎる。脆く砕き壊すのも容易。現に土方は、ただの一撃で地に伏し悶絶している。斬ってもいないのに彼の周りに血が滴っているのは、先日の傷が開いたからだろう。
ふっと唇を上げ、そのままの勢いに乗り舞うように周りの隊士たちに仕掛けた。
誰も彼も一撃。なんて簡単な『作業』なのか。以前と違い殺さないよう加減をしていないお陰で、全員が致命傷の傷を負っているが片付けるスピードは比べ物にならない。阿修羅の如き一方的な強さ。これは戦闘ではなく、虐待に近い。それほどに力の差は歴然とし、赤子の手を捻るように次々と倒れ伏していく。
瞬く間に隊士の半分がやられ、近藤は眉間に皺を刻んだ。神楽が強いのは知っていたが、甘く見ていたとしか言いようがない。
「──アンタ、変わりましたねィ」
「ッ」
必殺の勢いで繰り出した傘を止められ、相手を睨んだ。やはり、と言うべきだろうか。鍔迫り合う神楽の傘を止めたのは、真選組随一の腕を持つ沖田総悟で、楽しそうに唇を歪ませた彼は、神楽の目を見て囁いた。
「以前のアンタなら、話してる途中に手を出すなんてセコイ真似してこなかった。アンタ、随分と余裕がなさそうだ」
一撃二撃と刀と傘を合わせる。天賦の才を持つ二人のやり合いは常人が手を出すにはあまりにも速く、手を出した瞬間には敵も味方もなく致命傷を負うのはすぐに判る。一見すれば斬撃を繰り出す沖田が押しているかに見えたが、全てを躱す神楽の表情は変わらない。どころか神速のそれを受けても息も上がらず傷一つ負っていなかった。
ごくり、と喉を鳴らす。下手に手を出せば沖田の方が裁ききれずに怪我をしてしまうだろう。今まで得た経験からその推測を導き出し、近藤は額に汗を浮かべた。背筋をぞくぞくとしたものが駆け抜ける。実践を謳う自分たちの剣は、あの幼さを拭いきれない少女に劣る。
それを判らない沖田ではないだろうに、彼の刀が止まる事は無い。どころか益々速度を増し、火花を散らして足を踏み込む。白熱する戦いに誰もが息を呑んで見守る中、けれど当の本人は光る眼差しをただ一人に向けていた。
「それに」
笑って沖田は競り合う刀から無造作に力を抜く。均衡を保っていた力が急に失せ、傘に乗せていた力の分だけバランスが崩れた。沖田総悟は、その隙を見逃すような甘い相手ではなかった。
しまったと思う間もなく右腿が熱くなる。貫かれたと知ったのは、刀が抜かれてからだった。赤く染まった刀身に小さく舌打をする。苛立った神楽の様子を見て、沖田はぺろりとそれを舐めた。
「──随分と弱くなったようだ。そんなんで、よくオレたちの前に姿を現せたなァ。オレたちも舐められたもんでさァ」
容赦なく次の攻撃を浴びせ沖田は笑った。慌てて避けるが先ほどまでと違い、モーションは大きくなる。着地した瞬間腿から血が吹き出崩れそうになるのを踏ん張り堪えた。清々しいほどの笑顔を向ける青年に、罪悪感など欠片も見当たらない。どころか目の前の獲物を傷つけることが出来、心底嬉しそうに上機嫌だ。
まるで、お気に入りのおもちゃを壊す子供のようだと考えて胸糞が悪くなった。彼は、晋助に少しだけ似ている。ふっと息を吐き出し痛みを意識の外に押しやると、そのまま傘を構えなおした。振りかぶるフリをして動きを変えた沖田ににっと笑う。彼がその意味を理解して表情を変えた時にはもう遅い。柄の部分に隠してあるボタンを押せば。
「ッ」
破裂音とともに沖田は吹っ飛んだ。
「油断大敵アルヨ。これだから、単細胞生物は嫌いアル」
両足と脇腹を至近距離で打たれた沖田は立ち上がることすら出来ない。無様にもがく姿にまだ意識を失わないかともう一度傘を向けようとした瞬間。
「総悟ォォォォ」
近藤の悲痛な声が響いた。だが、神楽にはその声も届かない。沖田を倒したことで士気を失った隊士は脆く、呆気ないほど弱かった。それとも比較する対象が悪すぎるだろうか。ゆるやかに唇が弧を描き、顔についた血を舐め取る。
近藤との距離を詰める間にも彼の盾になろうとした別の隊士を倒していく。近藤へと辿り着いたとき、他に立っていた人間は誰も居なくなった。
「チャイナさん」
「・・・・・・」
近藤は、沖田を抱きしめ周りで倒れている自分の部下を見て手を握り締めた。そっと沖田を地面に横たえると、己の刀に手をやりゆっくりと立ち上がる。神楽を見る目に迷いはなく、そこに普段のおちゃらけた男は居なかった。
「こいつらはな、オレの家族みたいなもんなんだ」
隙がない。初めて素の近藤を見た気がした。彼の体から立ち昇る気迫が白く見えるようだ。殺気は神楽に負けず劣らず強い。いつもとは別人の姿に、知らず口角が上がった。
「オレにとって特別なんだ。仲間、なんだよ」
目は怒っているのに、それでも哀しい笑顔を見せた男は正眼に刀を構えた。不意に銀時の言葉を思い出す。昔、彼は近藤を強いと言ったことがあった。本気になれば、オレには勝てなくてもあいつらを子分にしてることに疑問が湧かない程度には強いだろうよ、と。その時には銀時の言葉は理解できなかった。認めたくないが神楽の中で真選組最強は沖田総悟であり、彼以上に近藤が強いと思えなかったから。だが今ならわかる。匂い立つような殺気はぴりぴりと肌を刺激して止まない。
真選組は沖田が最強だと聞いていたし、神楽自身も判断していた。だが、目の前の男も負けず劣らずの腕前だろう。傘を構えなおそうと、腕を持ち上げる。
「オレはアンタを斬る」
声は間近で聞こえた。瞬きして目の前を見れば、血が吹き出て彼が汚れて。胸を袈裟切りされたのだと吹き出る血を眺め判断する。少しだけ意識がくらくらし、どうやら出血多量で貧血になりかかっているらしい。体の傷がすぐに癒えても、流れる血の生成は追いつかない。先日受けた銃痕もまだ治りきっていないくらいだ。万全の体調とは言いがたい。動こうとする意思に反して、体は思うように脳の指令に従わない。もたもたと体制を立て直している内に、今度は腕の腱を切られた。だらり、と腕が垂れ下がり動きが一気に鈍くなる。ぶらぶら揺れるそれを視界に入れ、ふっと笑った。
「お前、強いアルな」
気がつけば場違いな声が出た。素直に相手を賞賛し、左腕が動けば拍手もしていたかもしれない。傘を持つ手はもう武器を握り締めていなかった。その握力すらなくなってしまったらしい。脳がくらくらする。先日よりも酷い頭痛に目がかすんだ。どうやら本格的に不味い事態だ。
「すまねぇな、チャイナさん」
銀光が目をついた。右胸を刀が貫く。鈍い感覚が全身に響き、咽喉元まで競りあがってきたそれを、逆らう事無く吐き出した。おびただしい量の血が、地面に零れる。
鉄錆びの匂いが充満し、足を踏み出せばびちゃりと音がした。左腕は垂れ下がり胸からは動くたびに出血する。裂かれたチャイナ服はぼろ布に近く、白い肌は赤に塗れた。神楽のその姿を見て、目の前の男が目を瞑る。銀時と同じで心優しいこの男は、きっと自分の姿を直視できなかったのだろう。武装警察真選組のトップともあろう男の、無防備な仕草に神楽は微笑む。
それは、その場には不似合いなほど優しい笑み。
「──悪いアル、ゴリラ」
「!?」
彼の瞳が開かれる前に、右の腕が彼の腹を突き破った。自身の腹に突き刺された手を眺めた男は、驚くように目を見張る。神楽が無手なので油断していたのだろう。いや、もしかしたらそれ以上にこの姿に同情し動けなかったのかもしれない。どちらにせよ、幾つもの修羅場を潜って来た近藤らしくない油断は、彼と神楽の立場を逆転させるに足るものだった。倒れる姿はスローモーションのようにゆっくりと映ったが実際には瞬き一つ分の時間だろう。
「っハ、ハッ、ハッ、ハッ」
倒れ伏し動かなくなった近藤を眺め肩で息をする。さすがに、武装警察真選組の名は伊達じゃない。完全な体で相手をしてもきっと負傷はしていただろう。血が噴き出ると困るので、刀を腹に突き刺したまましゃがみ込む。動くたびに角度を帰る刀身に眉を顰め何とか体制を整えた。体中が痛まない箇所はなく、血が脈打つたびに傷自体が意思を持ったように鼓動した。いかに夜兎の体が回復力に優れていると言っても、これは癒えるのに時間がかかりそうだ。少しずつ意識が暗くなってきた。それでも僅かな休憩の後、何とか立ち上がると目の前に不意に影が掛かる。視線を向けなくともそれが誰かは判っていた。
「──これで、お前は後戻りできねぇぜ?これだけやったら、もうアイツもお前に手を伸ばさない。お前は、オレの隣以外に居場所はなくなった」
何かに酔うような酷く上機嫌な声が聞こえた。肩で息をする神楽には、余力は無かったがそれでも何とか口を開く。
「・・・煩いアル、このクソボケ。お前の、感情も、ゴリラと同じで、重すぎる、アル」
途切れ途切れになりながら悪態を吐いた。視界が定まらず、気配はわかるのに彼の姿がはっきりと目に映らない。ぼやけた影はゆったりと佇み、嗅覚が血の匂い以外を知らせる。嫌いな香に眉を寄せれば、クッと笑った気配がした。
「・・・ん・・・ちゃ・・・」
出血のため意識が薄れる。神楽を繋ぎ止めていた痛みもただその熱さのみを伝え苦痛は消えた。意識がなくなる瞬間、囁いた名はやはり誰にも届かず消えた。
■高杉&神楽
「随分と派手にやられたもんだな。──酢昆布食うか、じゃじゃ馬姫?」
聞こえた声に、ゆっくりと瞼を持ち上げた。ぼんやりとした視界に映ったのは白い天井。背中に当たる硬い感触は安物のベッドかとあたりを付けた。数度瞬きを繰り返し、意識を浮上させていく。
聞こえた声は、ここ数ヶ月で随分と耳に馴染んだもので、それに安堵の息を吐く。どうやら最悪の事態は避けられたらしい自分の悪運にふつふつと笑いがこみ上げたが、その震動が傷に触りくっと息を詰まらせた。
ゆるりと視線だけを動かすと、包帯を巻いた隻眼と目が合う。にいっと、口が裂けるんじゃないかと思わせる笑みを見せた男は、機嫌がいいのか悪いのか判断しかねた。
「死に損ねたな、神楽ァ」
死にかけた鼠をいたぶる猫のような眼差しで神楽をねっとりと眺める。視線に形があったらそれは随分と粘着質なものになっただろう。上品な女物の衣を粋に着こなし、胸元から出した煙管を吹かして紫煙を吐き出す。色の滲んだ白いカーテンよりも白い煙が神楽の上を漂った。それを神楽が厭うているのを知りつつの行為に、じっとりと眉を寄せる。神楽の拒絶を判ってるだろうに、性質の悪い笑みを浮かべた男はさらに息を吸い込んだ。美味そうに吸う意味が判らないが、止めるつもりはないと理解すると睨みつけるのも止める。無駄な体力は残っておらず、疲れることはしたくなかった。
ツキン、と体の奥が痛んだような気がしたが、最後に覚えている時よりは随分と上等な体の具合にベッドに投げ出していた手を胸の辺りまで持ち上げる。握って開いてを数度繰り返すと、手に感覚がゆっくりと戻ってきた。どうやら夜兎の優秀な肉体は神楽の意思に忠実に働いているらしい。
瞬きすらしないで体の様子を確かめた神楽は、無造作に上半身を起こす。痛みは消えてなくとも十分に我慢の範囲内で、意識の外に切り捨てられた。
「ここは何処アルか?」
「オレの隠れ家の一つだよ。ウサギが一人で遊びに出かけて帰ってこないから散歩がてら探しに行ったらぐったりとしてたからな」
「──放っておけば良かったアル」
「そう言うと思ったぜ。だから助けてやったんだ」
「嫌がらせアルか?」
「そうだ。お前は、助けられたくもなかったのに、よりにもよってこのオレに助けられたんだ」
「・・・ありがとう、とでも言って欲しいのカ?弱っているお姫様を助けるのは下郎の役目アル。私に触れただけでもありがたく思えヨ」
「お前こそ、天下の高杉晋助にお姫様抱っこなんてされたんだ。子々孫々まで崇め奉れ」
「ケッ。寝言は寝てから言えヨ、片目」
心底嫌そうな顔をして神楽はベッドから降りた。どのような治療を施したのかは判らないが、いつの間にか着替えていた白い襦袢を捲れば体の傷は桃色の肉が盛り上がりすっかりと塞がっている。大きくは無いが形の良い乳房から細く滑らかな腰の曲線に到るまで数箇所ある傷に新たな一つが追加されたが、全く気にならない。にたにたとだらしない表情で神楽の裸を眺める男と同じくらいには。
夜兎の特色である日に焼けない真白な肌。染み一つ無いそこに刻まれた傷跡は、どれもこれも夜兎の能力をもってしても回復し切れなかった深手だ。女の体に傷なんて、と思うような感傷はとうに捨てた。そんな甘い考えで復讐は成り立たない。
下着姿の体を隠す事もなく神楽は高杉の前に立った。視線を隠さず舐めるように神楽の肢体を見つめた高杉は、口角を上げ喜悦を示す。女性として完成されてない未成熟なそれを、愉しそうに眺める男に神楽は眉根を寄せた。
「何ジロジロ見てんだヨ。ただで見るなんて百年早いネ。私の肌が見たけりゃ、ラーメン10杯持って来いヨ。ちなみに全部大盛りで頼むアル」
「・・・腹、減ってんのか?」
「当然ネ。今が何時か知らないけど、腹時計は正確に時を刻んでいるアル」
言い切った神楽に、高杉は楽しそうに咽喉を鳴らした。
「はッ・・・まあ、いい。メシ食いに連れてってやるよ。ああ、服は着ろよ?そんなカッコじゃ猥褻物陳列罪で捕まるからな」
「ああん?どういう意味だコルァ?私の肌を見たならセクハラで周りが先に捕まるアル」
低い声で返しながらも、神楽は律義にベッド脇に置いてあった服を手に取った。喪服を思い起こさせるような真新しい黒のチャイナ服は相変わらず神楽の体にピッタリだ。スリットが長めに入り、動けば下着が見えそうだったが、少し眉根を寄せるだけで抵抗せずに身につけた。
チャイナ服に着替えると、それまで黙っていた晋助は煙を舌で弄び吐き出すとゆったりと唇を持ち上げた。怠惰な獣が獲物を見つけたときのように、獰猛で剣呑な微笑。産毛も逆立つその笑みに、けれど無表情で神楽は真っ直ぐと視線を返す。
「神楽」
「・・・何アルか?」
「あれだけのチャンスをモノに出来なかったんだ。──お前、ペナルティ決定な」
「・・・・・・」
先程までと同じ口調で、格段に楽しそうに高杉は口にした。悪戯を思いついた子供のような笑顔は幼げですらあるが、その内容は想像していた通りで苦虫を噛み潰した気分になる。遊び半分で告げられたペナルティの言葉の重みに気づかない神楽ではない。
桜色の唇をかみ締めた神楽は、それでも反論せず無言で傍に置いてあった傘に手を伸ばした。
「随分と派手にやられたもんだな。──酢昆布食うか、じゃじゃ馬姫?」
聞こえた声に、ゆっくりと瞼を持ち上げた。ぼんやりとした視界に映ったのは白い天井。背中に当たる硬い感触は安物のベッドかとあたりを付けた。数度瞬きを繰り返し、意識を浮上させていく。
聞こえた声は、ここ数ヶ月で随分と耳に馴染んだもので、それに安堵の息を吐く。どうやら最悪の事態は避けられたらしい自分の悪運にふつふつと笑いがこみ上げたが、その震動が傷に触りくっと息を詰まらせた。
ゆるりと視線だけを動かすと、包帯を巻いた隻眼と目が合う。にいっと、口が裂けるんじゃないかと思わせる笑みを見せた男は、機嫌がいいのか悪いのか判断しかねた。
「死に損ねたな、神楽ァ」
死にかけた鼠をいたぶる猫のような眼差しで神楽をねっとりと眺める。視線に形があったらそれは随分と粘着質なものになっただろう。上品な女物の衣を粋に着こなし、胸元から出した煙管を吹かして紫煙を吐き出す。色の滲んだ白いカーテンよりも白い煙が神楽の上を漂った。それを神楽が厭うているのを知りつつの行為に、じっとりと眉を寄せる。神楽の拒絶を判ってるだろうに、性質の悪い笑みを浮かべた男はさらに息を吸い込んだ。美味そうに吸う意味が判らないが、止めるつもりはないと理解すると睨みつけるのも止める。無駄な体力は残っておらず、疲れることはしたくなかった。
ツキン、と体の奥が痛んだような気がしたが、最後に覚えている時よりは随分と上等な体の具合にベッドに投げ出していた手を胸の辺りまで持ち上げる。握って開いてを数度繰り返すと、手に感覚がゆっくりと戻ってきた。どうやら夜兎の優秀な肉体は神楽の意思に忠実に働いているらしい。
瞬きすらしないで体の様子を確かめた神楽は、無造作に上半身を起こす。痛みは消えてなくとも十分に我慢の範囲内で、意識の外に切り捨てられた。
「ここは何処アルか?」
「オレの隠れ家の一つだよ。ウサギが一人で遊びに出かけて帰ってこないから散歩がてら探しに行ったらぐったりとしてたからな」
「──放っておけば良かったアル」
「そう言うと思ったぜ。だから助けてやったんだ」
「嫌がらせアルか?」
「そうだ。お前は、助けられたくもなかったのに、よりにもよってこのオレに助けられたんだ」
「・・・ありがとう、とでも言って欲しいのカ?弱っているお姫様を助けるのは下郎の役目アル。私に触れただけでもありがたく思えヨ」
「お前こそ、天下の高杉晋助にお姫様抱っこなんてされたんだ。子々孫々まで崇め奉れ」
「ケッ。寝言は寝てから言えヨ、片目」
心底嫌そうな顔をして神楽はベッドから降りた。どのような治療を施したのかは判らないが、いつの間にか着替えていた白い襦袢を捲れば体の傷は桃色の肉が盛り上がりすっかりと塞がっている。大きくは無いが形の良い乳房から細く滑らかな腰の曲線に到るまで数箇所ある傷に新たな一つが追加されたが、全く気にならない。にたにたとだらしない表情で神楽の裸を眺める男と同じくらいには。
夜兎の特色である日に焼けない真白な肌。染み一つ無いそこに刻まれた傷跡は、どれもこれも夜兎の能力をもってしても回復し切れなかった深手だ。女の体に傷なんて、と思うような感傷はとうに捨てた。そんな甘い考えで復讐は成り立たない。
下着姿の体を隠す事もなく神楽は高杉の前に立った。視線を隠さず舐めるように神楽の肢体を見つめた高杉は、口角を上げ喜悦を示す。女性として完成されてない未成熟なそれを、愉しそうに眺める男に神楽は眉根を寄せた。
「何ジロジロ見てんだヨ。ただで見るなんて百年早いネ。私の肌が見たけりゃ、ラーメン10杯持って来いヨ。ちなみに全部大盛りで頼むアル」
「・・・腹、減ってんのか?」
「当然ネ。今が何時か知らないけど、腹時計は正確に時を刻んでいるアル」
言い切った神楽に、高杉は楽しそうに咽喉を鳴らした。
「はッ・・・まあ、いい。メシ食いに連れてってやるよ。ああ、服は着ろよ?そんなカッコじゃ猥褻物陳列罪で捕まるからな」
「ああん?どういう意味だコルァ?私の肌を見たならセクハラで周りが先に捕まるアル」
低い声で返しながらも、神楽は律義にベッド脇に置いてあった服を手に取った。喪服を思い起こさせるような真新しい黒のチャイナ服は相変わらず神楽の体にピッタリだ。スリットが長めに入り、動けば下着が見えそうだったが、少し眉根を寄せるだけで抵抗せずに身につけた。
チャイナ服に着替えると、それまで黙っていた晋助は煙を舌で弄び吐き出すとゆったりと唇を持ち上げた。怠惰な獣が獲物を見つけたときのように、獰猛で剣呑な微笑。産毛も逆立つその笑みに、けれど無表情で神楽は真っ直ぐと視線を返す。
「神楽」
「・・・何アルか?」
「あれだけのチャンスをモノに出来なかったんだ。──お前、ペナルティ決定な」
「・・・・・・」
先程までと同じ口調で、格段に楽しそうに高杉は口にした。悪戯を思いついた子供のような笑顔は幼げですらあるが、その内容は想像していた通りで苦虫を噛み潰した気分になる。遊び半分で告げられたペナルティの言葉の重みに気づかない神楽ではない。
桜色の唇をかみ締めた神楽は、それでも反論せず無言で傍に置いてあった傘に手を伸ばした。
■将軍&神楽
振り上げた腕を下ろすだけで事は足りた。それだけで、目の前の無力な人間は事切れるだろう事を経験上知っていた。躊躇などする訳がないと思っていた。目の前で、彼の命令で──自分の父親は、殺されたのだから。
『・・・・・・月が綺麗だな』
天守閣に登った神楽は、何気ない言葉に返事をした。
『そうアルネ』
淡々とした、感情の篭っていない声。彼との会合はもう何度目か覚えていなかった。初めて二人きりで話したのは、父親が殺された夜だった。以前会った事のある青年は、相変わらず感情の読めない表情で、淡々とした声音で神楽に声をかけて来た。無視できるはずのそれに言葉を返したのは、気まぐれに他ならない。
極上の衣を纏い、極上の教育を受け、極上の食に埋もれ、極上の暮らしを営む。それが、彼──将軍だった。
神楽は彼のことを知らなかった。父を殺した男。江戸の象徴。知っている情報はそれだけで、それ以上はない。神楽の父を殺す命令を与えた男が、神楽の父に直接手を下したわけではない。それでも彼の指示で父は死んだ。
初めて二人きりで会った日に何をしたかは、あまり覚えていない。しかと耳にしたはずの彼の言葉も、視界に映っていた彼の姿さえも、彼がどんな表情でどんな感情を含んでいたのかも。ただ、今と変わらず熱の篭らない声で話しかけてきたのを覚えている。
天守閣の上に胡座をかいていた神楽に、彼は当たり前に声をかけた。まるで自分がそこにいるのを知っていたかのように。待ち受けていたかのようなタイミングで、。何も映さない表情からは彼の感情は読み取れず、その意図を計れない。
それまで神楽は前に一度だけ会った時の、もっさりブリーフのイメージしかなかった。興味も関心も無く、このまま通り過ぎていく人間。固体として意識していたかどうかすらも怪しい。自分にとって意味のある存在ではなく、ただ通り過ぎていく背景のような人。
その認識を改めたわけではないが、父の死後神楽は何度も彼に会いに来た。おかしなことに理由は復讐するためではなく、ただ話をしたかったから。
雨の日に。
晴れた日に。
風の強い日に。
気が向いた時、決まって深夜の12時に彼女は天守閣に登る。神楽が出向いた日には、彼はいつもそこにいた。ぽつん、と。世界中に信頼できる人間はいないとでも言うように、ただ一人供を付けることすらせずに。
殺す事はたやすい筈だった。神楽が傘を一閃させればそれだけで彼は命を落とす。それは造作もなく甘い誘惑。一度も心が動かなかったかと問われれば、否だ。直接でなくとも彼は父を殺した人間。ふとした瞬間に殺意は芽生える。世間話にもならない話の最中であったり、部下を語る表情であったり、唯一の肉親である妹の話題であったり。硬い中にも見受けられる柔らかな雰囲気に苛立ったのは、数少なくない。
だが、手を出したのは一度きり。高杉の命令が出たあの時だけだった。
いつもと同じように黒のチャイナドレスを身に着けた彼女は、天守閣で彼を待った。思えば、この数ヶ月の会合で初めて彼を待った。いつもの時間よりも一時間早く空に駆け、闇に紛れるのは造作も無い。もし──もし、嘗ての最強と名高いお庭番集がいれば、まだ話も違っただろうに。
口の端を持ち上げ、月を見上げて息を気配を存在を殺し。ただ、獲物が現れるのを只管に。
『・・・珍しいことがあるものだ』
遅れて現れた彼は、いつものように神楽を視界に入れず正面だけを向いていた。
『何がアルか?』
『先に来ている』
誰が、とは問わなくてもわかる。だが、少しだけその言葉に驚いた。
『・・・月が、綺麗だな』
感嘆を含めた声に、つられるように月を見た。青白く光る月は、神楽の一番好きな色。
『そうアルネ』
思わず素直に返事をすると、下でくぐもった声が聞こえた。それが笑い声だったと認識し、驚きと同時に眉をしかめて意識を集中する。
『・・・どうしたアルか?』
『いや。初めて此処で会った時も同じ台詞を言っていた』
『・・・・・・』
『少しだけ、懐かしくなっただけだ』
無防備すぎる背中を見せ、将軍は呟く。縁に手を乗せ、彼は月を見上げた。手に入らぬものに焦がれるような眼差しは、寂寥感に溢れていた。初めて見る表情に眉が寄る。今更、今更躊躇う理由などないはずなのに。
『・・・・・・殺すか?』
前置きのない言葉だった。驚く事も無くそれを受け止める。気がついていることも知っていた。彼の瞳は何も映してないようで、きちんと見るべきものを見ている。江戸のシンボルにして最高の傀儡。それでも目は開き耳は聞こえ感情はある。
『殺すアル』
神楽が誰かを判っていても、彼はいつも無防備だった。背を向け、隙だらけの格好で神楽を誘っていた。初めはそれが油断させる為の手かと思っていたのだけれど、違うと気がついたのは割りと最近だ。彼は、ずっと『待って』いた。
ジャンプ一つで身を立て直すと、足元の瓦が小さく音を立てた。不安定な天守閣の上、半身になると傘を構える。瞬き一つで感情を消し、迷いや惑いは振り払う。己で決断し、実行したいと望んだ。もうこの手は、洗っても落ちないほどに赤に濡れている。
躊躇う事無く天守閣から飛び降りると、将軍がいる場所に一息で距離を縮める。傘を引き振りかぶる。だがその瞬間、スローモーションのように振り返った彼と目が合った。
『!?』
その顔に浮かぶ表情に、神楽の手は一瞬ぶれた。
彼は、そう、悲しそうな顔で、それでも少しだけ幸せそうに微笑んでいた。
『グハァっ!!!!』
悲鳴はそれほどの大きさではなかった。だが、それは致命的なミスだった。彼の声に気がついたお庭番が、何処からとも無く現れる。手裏剣を避けつつ、彼を楯に取ろうかと視線をさまよわせた。血の海に倒れこんだ彼は、それでも神楽を見上げていた。視線が絡んだのは一瞬。硬く瞼を瞑り、振り切るために息を吐き出す。握っていた傘の柄を、強く、強く掴んだ。
決断は一瞬だった。その場で身を翻し、城の最上階から飛び降りる。人間ならひとたまりもないだろうが、神楽は夜兎だ。宙で体制を直しつつ、所々に足を着け減速する。手近な屋根に着地し、気が緩んだ瞬間を狙われた。
着地から足を伸ばし飛び上がろうとした時の、無防備になった体に熱が走る。撃たれたのだと理解できたが足を止めるつもりはなかった。此処で捕まるわけには行かない。意識を切り替え逃げると決めたら後は楽だ。只管に、前だけを向いて走り去る。
──この日の為に、高杉が様々な場所でテロを起こしている事を思い出したのは、歌舞伎町に差し掛かった直後だった。
あの日と似た月を見上げ、神楽は一人静かに佇む。彼女はこれから高杉の課したペナルティを一人で請け負わなくてはならなかった。
殺戮目標であった男は、きっと一命を取り留めたに違いない。月を見上げる神楽には、今でも将軍を殺せなかった理由はつかめない。
振り上げた腕を下ろすだけで事は足りた。それだけで、目の前の無力な人間は事切れるだろう事を経験上知っていた。躊躇などする訳がないと思っていた。目の前で、彼の命令で──自分の父親は、殺されたのだから。
『・・・・・・月が綺麗だな』
天守閣に登った神楽は、何気ない言葉に返事をした。
『そうアルネ』
淡々とした、感情の篭っていない声。彼との会合はもう何度目か覚えていなかった。初めて二人きりで話したのは、父親が殺された夜だった。以前会った事のある青年は、相変わらず感情の読めない表情で、淡々とした声音で神楽に声をかけて来た。無視できるはずのそれに言葉を返したのは、気まぐれに他ならない。
極上の衣を纏い、極上の教育を受け、極上の食に埋もれ、極上の暮らしを営む。それが、彼──将軍だった。
神楽は彼のことを知らなかった。父を殺した男。江戸の象徴。知っている情報はそれだけで、それ以上はない。神楽の父を殺す命令を与えた男が、神楽の父に直接手を下したわけではない。それでも彼の指示で父は死んだ。
初めて二人きりで会った日に何をしたかは、あまり覚えていない。しかと耳にしたはずの彼の言葉も、視界に映っていた彼の姿さえも、彼がどんな表情でどんな感情を含んでいたのかも。ただ、今と変わらず熱の篭らない声で話しかけてきたのを覚えている。
天守閣の上に胡座をかいていた神楽に、彼は当たり前に声をかけた。まるで自分がそこにいるのを知っていたかのように。待ち受けていたかのようなタイミングで、。何も映さない表情からは彼の感情は読み取れず、その意図を計れない。
それまで神楽は前に一度だけ会った時の、もっさりブリーフのイメージしかなかった。興味も関心も無く、このまま通り過ぎていく人間。固体として意識していたかどうかすらも怪しい。自分にとって意味のある存在ではなく、ただ通り過ぎていく背景のような人。
その認識を改めたわけではないが、父の死後神楽は何度も彼に会いに来た。おかしなことに理由は復讐するためではなく、ただ話をしたかったから。
雨の日に。
晴れた日に。
風の強い日に。
気が向いた時、決まって深夜の12時に彼女は天守閣に登る。神楽が出向いた日には、彼はいつもそこにいた。ぽつん、と。世界中に信頼できる人間はいないとでも言うように、ただ一人供を付けることすらせずに。
殺す事はたやすい筈だった。神楽が傘を一閃させればそれだけで彼は命を落とす。それは造作もなく甘い誘惑。一度も心が動かなかったかと問われれば、否だ。直接でなくとも彼は父を殺した人間。ふとした瞬間に殺意は芽生える。世間話にもならない話の最中であったり、部下を語る表情であったり、唯一の肉親である妹の話題であったり。硬い中にも見受けられる柔らかな雰囲気に苛立ったのは、数少なくない。
だが、手を出したのは一度きり。高杉の命令が出たあの時だけだった。
いつもと同じように黒のチャイナドレスを身に着けた彼女は、天守閣で彼を待った。思えば、この数ヶ月の会合で初めて彼を待った。いつもの時間よりも一時間早く空に駆け、闇に紛れるのは造作も無い。もし──もし、嘗ての最強と名高いお庭番集がいれば、まだ話も違っただろうに。
口の端を持ち上げ、月を見上げて息を気配を存在を殺し。ただ、獲物が現れるのを只管に。
『・・・珍しいことがあるものだ』
遅れて現れた彼は、いつものように神楽を視界に入れず正面だけを向いていた。
『何がアルか?』
『先に来ている』
誰が、とは問わなくてもわかる。だが、少しだけその言葉に驚いた。
『・・・月が、綺麗だな』
感嘆を含めた声に、つられるように月を見た。青白く光る月は、神楽の一番好きな色。
『そうアルネ』
思わず素直に返事をすると、下でくぐもった声が聞こえた。それが笑い声だったと認識し、驚きと同時に眉をしかめて意識を集中する。
『・・・どうしたアルか?』
『いや。初めて此処で会った時も同じ台詞を言っていた』
『・・・・・・』
『少しだけ、懐かしくなっただけだ』
無防備すぎる背中を見せ、将軍は呟く。縁に手を乗せ、彼は月を見上げた。手に入らぬものに焦がれるような眼差しは、寂寥感に溢れていた。初めて見る表情に眉が寄る。今更、今更躊躇う理由などないはずなのに。
『・・・・・・殺すか?』
前置きのない言葉だった。驚く事も無くそれを受け止める。気がついていることも知っていた。彼の瞳は何も映してないようで、きちんと見るべきものを見ている。江戸のシンボルにして最高の傀儡。それでも目は開き耳は聞こえ感情はある。
『殺すアル』
神楽が誰かを判っていても、彼はいつも無防備だった。背を向け、隙だらけの格好で神楽を誘っていた。初めはそれが油断させる為の手かと思っていたのだけれど、違うと気がついたのは割りと最近だ。彼は、ずっと『待って』いた。
ジャンプ一つで身を立て直すと、足元の瓦が小さく音を立てた。不安定な天守閣の上、半身になると傘を構える。瞬き一つで感情を消し、迷いや惑いは振り払う。己で決断し、実行したいと望んだ。もうこの手は、洗っても落ちないほどに赤に濡れている。
躊躇う事無く天守閣から飛び降りると、将軍がいる場所に一息で距離を縮める。傘を引き振りかぶる。だがその瞬間、スローモーションのように振り返った彼と目が合った。
『!?』
その顔に浮かぶ表情に、神楽の手は一瞬ぶれた。
彼は、そう、悲しそうな顔で、それでも少しだけ幸せそうに微笑んでいた。
『グハァっ!!!!』
悲鳴はそれほどの大きさではなかった。だが、それは致命的なミスだった。彼の声に気がついたお庭番が、何処からとも無く現れる。手裏剣を避けつつ、彼を楯に取ろうかと視線をさまよわせた。血の海に倒れこんだ彼は、それでも神楽を見上げていた。視線が絡んだのは一瞬。硬く瞼を瞑り、振り切るために息を吐き出す。握っていた傘の柄を、強く、強く掴んだ。
決断は一瞬だった。その場で身を翻し、城の最上階から飛び降りる。人間ならひとたまりもないだろうが、神楽は夜兎だ。宙で体制を直しつつ、所々に足を着け減速する。手近な屋根に着地し、気が緩んだ瞬間を狙われた。
着地から足を伸ばし飛び上がろうとした時の、無防備になった体に熱が走る。撃たれたのだと理解できたが足を止めるつもりはなかった。此処で捕まるわけには行かない。意識を切り替え逃げると決めたら後は楽だ。只管に、前だけを向いて走り去る。
──この日の為に、高杉が様々な場所でテロを起こしている事を思い出したのは、歌舞伎町に差し掛かった直後だった。
あの日と似た月を見上げ、神楽は一人静かに佇む。彼女はこれから高杉の課したペナルティを一人で請け負わなくてはならなかった。
殺戮目標であった男は、きっと一命を取り留めたに違いない。月を見上げる神楽には、今でも将軍を殺せなかった理由はつかめない。
■神楽独白
「ケホっ」
咳と同時に血が流れ出た。これは、内臓までやられていると直感的に感じた。痛い。
イクスパンディングブレット。
頭の中で単語が浮かんだ。体を貫通する目的ではなく、体内で変形する種類の弾だ。ソフトポイント弾でも打ち込まれたらしい。体の中で異物感でごろごろする感覚が絶えず沸き、同時に激痛が走る。治そうとする夜兎としての性質と、それを阻止する弾丸のおかげで痛みは一向に引かない。随分と趣味の良い物を持っているものだ。クッと皮肉気に口角が上がる。この弾は夜兎である神楽に致命傷を与えるに相応しい威力を誇る。すぐに殺すには到らずとも、体の中に無数の針を差し込まれ抉られるような感覚は耐えがたく叫びだしたい気持ちに駆られる。唇を噛み締めることでそれを堪えると、痛みを吐き出す擬似行為として深く息を吐き出した。
ドジるつもりはなかったのに、最後の最後で甘さが出た自分に嫌気が差す。妙が引き返してくれてよかった。あそこから先に進んだら、いくら近藤とはいえ生身の人間に妙が守れるとは思えない。近藤なら命を捨ててまで妙を助けようとするだろうが、それは彼女が悲しむ。それでは本末転倒だ。妙の体は守れても、心は何一つ守れない。
いつも笑顔の裏に感情を隠す妙は、中々本心を見せることはない。だからこそ、近藤という男は貴重なのだ。怒りにせよ罵倒にせよ負の感情であれなんであれ、妙にあそこまでの百面相をさせることが出来る相手など、彼と後二人しか知らない。その二人を思い浮かべ、神楽は笑った。
重い足を引きずり、蛞蝓のように血の跡を残しながらゆっくりと歩く。飄々として死んだ魚の目をした銀髪の男に、メガネのダサい生真面目少年。思い出すだけで心が温かくなるような、そんな居場所をくれた二人組み。泣いて笑って怒って叫んで。それほど遠いことではないのに、もう随分と昔に感じる。それでもこの温かい感情が色褪せることはなく、神楽を神楽たらしめた。
彼らがいれば大丈夫だろうと、神楽は笑う。妙にとって、自分も大切な人間の一人だなんて欠片も思っていない笑顔で。自分の感想が自己満足の上で成り立つものだと意識的に考えないようにして。
脇腹を押さえて、はっと息を吐く。黒い衣服は血を見えにくくするが、独特の匂いはどんどんと酷くなる。鉄錆び臭いそれは地面にも落ち染みを作っているのだろう。本当に、何という失態か。苛立ち一つ舌打をする。もう、傘を支えにしなければ歩くことすらままならない。
妙との会合を思い、風下に立っていて良かったと安堵する。これだけの血の量は闇に隠すには難しく、布で巻いただけの応急処置ではやはり僅かな時間しか持たない。
「──これは、マジでやばいアルな」
自分の命が消えるかもしれないのに、彼女は異様なまでに冷静だった。死ぬ事すら一つの通過点としてしか捕らえておらず、己の死が廻りに影響を及ぼすのを思いつかない、そんな声。
何時もの無表情。傷の痛みは酷く、額に冷や汗すら滲むのに神楽は一切の表情を消した。必死の思いで傘を支えに川沿いに歩き、橋の下で力尽きる。何とか潜り込んだ橋の袂に背を預け、ずるずるとしゃがみ込んだ。
ズクン、ズクンと心臓の鼓動に合わせ痛みが全身に広がる。
(──絶好のチャンスだったアルのにな)
瞳を閉じた。灼熱のこてを当てられたように、肌が発熱し空気に触れるだけで痛みを訴える。それを何とか堪えゆっくりと呼吸を繰り返した。
もし、あの男を・・・自分の父を殺した男を目にしたら、躊躇いもなく殺せると思っていた。それ位、憎しみは強かった。それなのに気がつけばこの様だ。己を嘲ることすら出来ず、甘さを痛感し絶望する。
うっすらと閉じていた瞳を開ける。残された力を振り絞り見上げた空には、月すらも神楽を見放して煌々と光る星しかなかった。
「ケホっ」
咳と同時に血が流れ出た。これは、内臓までやられていると直感的に感じた。痛い。
イクスパンディングブレット。
頭の中で単語が浮かんだ。体を貫通する目的ではなく、体内で変形する種類の弾だ。ソフトポイント弾でも打ち込まれたらしい。体の中で異物感でごろごろする感覚が絶えず沸き、同時に激痛が走る。治そうとする夜兎としての性質と、それを阻止する弾丸のおかげで痛みは一向に引かない。随分と趣味の良い物を持っているものだ。クッと皮肉気に口角が上がる。この弾は夜兎である神楽に致命傷を与えるに相応しい威力を誇る。すぐに殺すには到らずとも、体の中に無数の針を差し込まれ抉られるような感覚は耐えがたく叫びだしたい気持ちに駆られる。唇を噛み締めることでそれを堪えると、痛みを吐き出す擬似行為として深く息を吐き出した。
ドジるつもりはなかったのに、最後の最後で甘さが出た自分に嫌気が差す。妙が引き返してくれてよかった。あそこから先に進んだら、いくら近藤とはいえ生身の人間に妙が守れるとは思えない。近藤なら命を捨ててまで妙を助けようとするだろうが、それは彼女が悲しむ。それでは本末転倒だ。妙の体は守れても、心は何一つ守れない。
いつも笑顔の裏に感情を隠す妙は、中々本心を見せることはない。だからこそ、近藤という男は貴重なのだ。怒りにせよ罵倒にせよ負の感情であれなんであれ、妙にあそこまでの百面相をさせることが出来る相手など、彼と後二人しか知らない。その二人を思い浮かべ、神楽は笑った。
重い足を引きずり、蛞蝓のように血の跡を残しながらゆっくりと歩く。飄々として死んだ魚の目をした銀髪の男に、メガネのダサい生真面目少年。思い出すだけで心が温かくなるような、そんな居場所をくれた二人組み。泣いて笑って怒って叫んで。それほど遠いことではないのに、もう随分と昔に感じる。それでもこの温かい感情が色褪せることはなく、神楽を神楽たらしめた。
彼らがいれば大丈夫だろうと、神楽は笑う。妙にとって、自分も大切な人間の一人だなんて欠片も思っていない笑顔で。自分の感想が自己満足の上で成り立つものだと意識的に考えないようにして。
脇腹を押さえて、はっと息を吐く。黒い衣服は血を見えにくくするが、独特の匂いはどんどんと酷くなる。鉄錆び臭いそれは地面にも落ち染みを作っているのだろう。本当に、何という失態か。苛立ち一つ舌打をする。もう、傘を支えにしなければ歩くことすらままならない。
妙との会合を思い、風下に立っていて良かったと安堵する。これだけの血の量は闇に隠すには難しく、布で巻いただけの応急処置ではやはり僅かな時間しか持たない。
「──これは、マジでやばいアルな」
自分の命が消えるかもしれないのに、彼女は異様なまでに冷静だった。死ぬ事すら一つの通過点としてしか捕らえておらず、己の死が廻りに影響を及ぼすのを思いつかない、そんな声。
何時もの無表情。傷の痛みは酷く、額に冷や汗すら滲むのに神楽は一切の表情を消した。必死の思いで傘を支えに川沿いに歩き、橋の下で力尽きる。何とか潜り込んだ橋の袂に背を預け、ずるずるとしゃがみ込んだ。
ズクン、ズクンと心臓の鼓動に合わせ痛みが全身に広がる。
(──絶好のチャンスだったアルのにな)
瞳を閉じた。灼熱のこてを当てられたように、肌が発熱し空気に触れるだけで痛みを訴える。それを何とか堪えゆっくりと呼吸を繰り返した。
もし、あの男を・・・自分の父を殺した男を目にしたら、躊躇いもなく殺せると思っていた。それ位、憎しみは強かった。それなのに気がつけばこの様だ。己を嘲ることすら出来ず、甘さを痛感し絶望する。
うっすらと閉じていた瞳を開ける。残された力を振り絞り見上げた空には、月すらも神楽を見放して煌々と光る星しかなかった。
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