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■エピローグ




 大き目の黒い服に眉根を寄せる。少し素材が硬く感じるのは、きっとこの服がまだ卸し立てだからだろう。首元に巻いたスカーフが窮屈な気がして指を突っ込んで調整する。呼吸が楽になると、ようやく一歩を踏み出した。
 和風の部屋から抜け出ると、長い廊下を只管に歩く。小さく軋みを上げる廊下にも、賑やかな話し声にもようやく慣れた。幾つか角を曲がると、目的の場所まで辿り着く。

「おはよーアル!」

 元気に声を上げて障子を開ければ、軽やかな声にざわめきが一瞬止まり。

『おはよーございます!チャイナさん!!』

 野太い合唱が大きく響いた。満面の笑みで迎えてくれるむさ苦しい男達をかき分けて自分の指定席に潜り込む。その間にも左右から伸ばされる掌が幾度も桃色の髪を撫でた。それを厭うでもなく好きにさせれば、さらさらの髪が僅かに乱れる。 
 左右の席はもう埋まっている指定席に、その姿のまま座り込んだ。

「おっせーぞ、チャイナ。朝食は7時だっていつも言ってンだろ」
「寝すぎると、ただでさえ少ない脳みそが蒸発しちゃいますぜィ」

 黒髪の硬質な顔立ちの美青年に、金茶の優男風の美男子。タイプの違う色男に両側を挟まれても神楽の表情はピクリとも動かない。自らも並び立つものが少ない美貌を動かすことなく、神楽はひょいと肩を竦めた。首を越すくらいの短さになり、随分と軽くなった頭を振ってにたりと笑う。愛らしい容姿に似合わない表情は、なのに不思議なほど少女には似合う。

「やれやれ。乙女は身支度に時間がかかるのは常識アル。これだからもてない男は」

 首を振ると、左隣の金茶の髪の男と同程度の長さの桃色の髪が頬を掠めた。神楽の皮肉にスッと一瞬目を細めた沖田は、やはり無表情なままに応戦する。

「乙女?乙女なんて此処にいましたかィ?仮にも武装警察真選組の屯所に?悪いけど一度もここで女なんか見たことないねィ」
「ああん?私のどこを見ると女以外の何かにみえるって言うんですか、コノヤロー」

 額を押し付け合い、ギリギリと睨みあう二人は、一見すれば人形のように端整な面立ちの似合いのカップルに見えなくもないのに、小憎らしい表情で互いを貶める日課に予断はない。毎日の恒例とも言える遣り取りに土方はため息を漏らし、正面に座る近藤は高らかに笑い声を上げた。それは聞くものを不快にさせるものではなく、思わず和んでしまうほど裏表がない快活さを持ち、毒気を抜かれた二人は眼垂れあいながらも額を離す。

「まあまあ、二人とも。朝飯ぐらいは仲良く食おうや」
「チッ、ウルセーゴリラが」
「もてない男筆頭のゴリラが」
「え?オレを責めるの?オレ、何か悪い事した!?」

 先ほどまで喧嘩していたとは思えない息の合い方をする二人に、近藤は戸惑ったような声を上げる。相性最悪と常々豪語する二人は、時に他の追随を許さぬコンビネーションを見せる瞬間があった。苛立ち混じりに舌打ちした素直じゃない二人が、何だかんだ言いつつも言う事を聞くのは目の前の男の言葉だからだ。何もかもを包み込む器を持った近藤を、彼らは密かに尊敬している。
 神楽の為そうとした望みは叶わなかったけど、代わりに得たものもある。以前と違う環境に場所。復讐は果たせなかったけど、それでも神楽は満足だ。燻る火種は胸の奥に仕舞い、きっと二度と顔を出さない。
 真選組の人間は鷹揚だった。全員神楽自身が殺しかけたのに、わだかまりの『わ』の字も出さない。馬鹿な奴らだ、と思う。馬鹿で、馬鹿で大馬鹿で、でも大馬鹿だけど気持ちがいい奴らだ。
 鬼の副長は無言でご飯にマヨネーズを只管練って、マイペースなサド王子は神楽の後ろから土方にちょっかいを出す。鈍感な局長は、それを見て呵呵大笑。釣られた隊士も呵呵大笑。
 居心地のいい場所。もう戻れないと思っていた陽だまりの中神楽は笑う。それは、本当に奇跡だ。



 あの日、神楽は一人で死ぬつもりだった。江戸の象徴を全てを破壊しつくして、それを道連れに終わる気だった。なのに、この馬鹿な男達はその身をもって全力で止めた。
 手加減なんか一切していない。振るう傘に迷いはなく、目的の為に躊躇もなかった。負ける要素はなかったはずの戦いで、それでも非力なはずの人間に夜兎である神楽は敗れ去った。
 どうしようもない程強引な手管。彼らを気絶させた後、向かうはずだった江戸城の仕掛けが爆発し、炎上した柱に巻かれ長かった髪は短くなった。
 罪が消え去ったわけではない。汚した手は一生血に濡れたまま。それでも、監視という名目で彼らは神楽を懐にしまいこんだ。これから先、一生を真選組で過ごさなくてはいけない。犯罪者のレッテルも消えない。罪を償えと近藤は言い、守ってやると宣言した。自由を失い鎖で繋がれる。篭に閉じ込められたと同様の一生が神楽を待っているが、幸せは沢山転がっていた。万事屋のメンバーにも会いたいだけ会えるし、休日だってないわけじゃない。闇に沈むのではなく、傘を差して陽の下を歩ける。
 悲しんでいる時間は終わった。復讐したくても、自分は彼らに止められてしまう。全てを捨てても果たしたい願いだったのに、──自分が止まる、言い訳が出来た。それにどうしようもない程安堵した自分がいた。
 大丈夫。
 喧騒に包まれた食堂で、顔を俯ける。拳を開いて手に色がついてないのに微笑んだ。

(私はもう、大丈夫アル。パピー)

 穏やかな気持ちは表情に出る。何も知らないフリしてその安らかな顔を真選組の隊士が覗いてるのに、神楽は気づかない。それほどに彼らに心を許していた。
 大丈夫。
 もう一度だけ心の中で囁くと、思い出の中の父親が穏やかに笑ったような気がした。

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【エピローグ】




 血に塗られた道を好んで歩んできた。ただ一人、尊敬したいた人を理不尽に亡くしてから、誰を信じることもなく。肩を並べるものもなく、誰を信頼するわけでもなく、誰に依存をするのでもなく。
 攘夷戦争の時とは全く真逆の生活。死線を掻い潜る日はいつでも命がけだったけれど、信頼できる仲間がいて、貫き通したい信念があり、守りたいと願う人がいた。
 その存在がなくなって、守るべき信念も踏みにじられ、仲間は死に希望は絶望に変わった。地の中に深く潜り、ただ江戸を破壊する事だけを目的に生きてきた。そこには信念などはない。狂おしいばかりの衝動に突き動かされ生き急ぐ。
 全てを失った晋助には、あの人を自分から奪った世界への復讐しか残っていなかった。だからこそ、あの少女に惹かれたのだろう。
 自分によく似ていて、そして全く似ていなかった神楽に。彼女の大切な相手も、下らない政治の犠牲者になった。目の前で、実の父親の首に刀が振り下ろされるのを見届けるのはどんな気分だったろう。それに同情は欠片もないが、得たであろう感情は想像できた。
 堕ちる、と確信していた。真っ直ぐである物ほど、いざという時に折れやすい。事実、万事屋を去り自分の手の内に転がり込んできた存在は、相手を傷つけることを躊躇しなかった。
 自分と、同じだ。そう、思い笑っていたのは最初の内だけだった。
 神楽は、晋助とは決定的に違う。憎しみに支配され、幕府の連中を憎んでいるくせに、実の父を奪ったこの世界を恨んでいるくせに、憎しみに囚われた自分と違い、神楽は江戸を愛していた。矛盾する感情に折り合いを付け、憎悪と同時に江戸の住人を、愛していたのだ。
 神楽は自分の罪の重さを知っている。血に濡れた手を隠す事もなかったが、誇る事もしなかった。自身の強さを誇らず、驕りもなく、誰を消しても慶ばなかった。殺す相手は殺したが、傷つけない相手は絶対に守った。

『私には、私の正義がアルね』

 ずっと前に、彼女が言った言葉を思い出し晋助は目を細める。神楽の生き様は、その言葉に相応しいものだった。だから、なのだろう。有言実行を潔く成し遂げた彼女だからこそ、自分もここまで惹かれたのだ。自分と良く似て、そして正反対の道を選んだ小さな子供に。

「馬鹿な子供だ」

 紛れもない、本音。嘲るような口調だが、声には優しさすら含まれる。そんなもの、とうに無くしたと思っていたのに。

「だが、それに付き合おうって言うオレも大概馬鹿だな」

 聳え立つ江戸城を見上げて、晋助は唇を歪める。幹部はとうに戦線の離脱をし、城から離れた場所に逃げた。多少の部下は残っているだろうが、助けるつもりなどサラサラない。遅かれ早かれ武装警察たちもここに来る。討伐されようがどうされようが、それは晋助に関係ない。
 この場に残っていてメリットなど何もない。覚悟を決めた眼差しに、生への道は見受けれなかった。
 それでも。彼は、城に向かい歩を進める。目標は天守閣。そこには、己が欲する存在がいる。有終の美を飾るため、神楽が何をするつもりなのか、晋助には痛いほど理解できた。万事屋を、そして仲間を愛しているからこその、彼女の行動の行く末を。だからこそ、神楽の傍に居たいと願う。

「一人で死のうったってそうはいかねぇぞ、じゃじゃ馬。オレからは逃げられないって、教えておいてやっただろう?」

 上機嫌な猫のように咽喉を鳴らすと、自らの望む結末を手にする為彼の姿は消えて行った。江戸のシンボルが焼け崩れたのは、それから僅かに30分後の事だった。

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【完結:高杉編】





 まるで、遅効性の毒を飲んでいるようだった。少しずつ四肢は絡め取られ、身動きできる幅は狭まる。痛みはとっくに麻痺した。それでも、思考だけは冴え冴えと研ぎ澄まされる。変に冴えた頭のどこかが、他人に命令されてしているのではなく自分の意思でしているのだと、はっきりとした自覚を持った。



「・・・・・・これで、終わりアル」

 静かな声。目の前には、嘗て夜の間だけ友達のような関係だった男。待っていたと囁いた彼は、現状を理解しているのかと問いたくなるくらい優しく微笑んでいた。

「また、来ると思っていた」

 真っ赤に飛び散る血の中で、伏して動かない部下の間で。その微笑は、本当に場違いなもの。緩く手首を振り、右手の傘を構えなおした。青かったはずの傘は、血を吸い過ぎて変色し、今では元が何色か判らない。使い込まれたそれは体の延長と同じで、息を吸うのと同じくらい自然に扱える。もう、この傘が青かったのを知っていた存在は随分と減った。

「止まれないアルヨ」
「判っている」
「お前のこと、嫌いじゃなかったネ」
「──それも、判っていた」
「そよちゃんは、傷一つつけずに逃がしたアル。私が一番信頼でいる人たちが助け出したから、絶対安心ヨ」
「そうか。・・・それは、あの万事屋のことか?」

 神楽は返事をしない。返事をしないのが、何よりの返事だった。瞬きすらせず将軍は真っ直ぐな目で神楽を見る。銀時は、この将軍は飾りみたいなものだと言っていたけれど、彼は一本筋の入った男でもあった。命を今まさに刈り取られるのに慌てた様子すら見せない。

「あいつらの、勢力を殺ぐ事も出来、そよも安全。なるほど、一石二鳥だな」
「・・・そうアルネ。でも、本当は一石三鳥ヨ」

 チラリと神楽が微笑む。初めて見た微笑に、将軍が言葉に詰まった。年相応の笑顔に何故と唇を動かす前に、意味は間もなく理解させられた。
 激しい音とともに、城が揺れる。江戸のシンボルとしてなまじの攻撃ではビクともしないこの城が。発信源は足の下。

「まさか・・・」
「そのまさか、ネ。この城は、なくなるアル。パピーを殺した幕府の象徴。天導衆も潰したアル。これで、私の復讐は完結ヨ」
「お主、まさか・・・」
「バイバイ、将軍様」

 手を伸ばしてきた男に、ふっと目を細める。傘のトリガーを引くのに躊躇はない。必死な眼差しで伸ばされた手が届く前に。
パンッ
 響いた音は、一発。けれど、それだけで十分だった。倒れ行く男の目は見開かれ、訴えかけるように神楽を捉える。絶命する間際までも人を心配するのかと、神楽の唇が歪んだ。
 考えに沈む間もなく二度目の振動が神楽を襲う。木造である部分が大半のこの建物だ。火は簡単に燃え広がる。行きに爆弾を数十箇所仕掛けた。時限性のそれは、ちょうどいいタイミングで威力を上げる。一つを引き金に爆発の音は段々と感覚が狭くなった。きっと、この炎の中なら、大丈夫だ。
 全てが終わったと瞼を閉じる。瞑ったそこに映るのは、いつだって銀の鈍い輝き。大好きで、憧れていた存在。死んだ魚の目をしているくせに、馬鹿みたいに懐と器の大きかった男。何度も何度もひどい目に合わされながら、それでも神楽に手を伸ばし続けてくれた、神楽を神楽で居させてくれた人。
 でも。

「もう、必要ないアルヨ、銀ちゃん。私は、初めから終わりを決めてたネ」

 まるで彼が目の前に立っているように、ちょうど彼の目線を見上げ神楽は笑った。そう。始めから終わりなんて決めていた。
 三度目の振動。火の手はまだ下のはずだが、気のせいか室温も上がった気がする。

「私がいなくなっても、銀ちゃんの所為じゃないアル。気にしないでいいのヨ」

 穏やかな微笑みはとても深く、年を取った老人が昔を懐かしむような色をしている。手が届かない過去を見て、諦観に彩られていた。

「悲しまないでね、銀ちゃん。私は、大丈夫なんだから。自分で選んだ道アル。自分のケツは、自分で拭くネ」

 天守閣からも夜空は見える。嘗て将軍と呼ばれた男が立っていた場所に視線を向ければ、神楽の大好きな青白い月。ずっと眺めていたいけど、最後に月を眺めるつもりはなかった。きっと、上空からはヘリが取材をしているはずで、城の消化のための手段もそろそろ講じられるだろう。
 四度目の振動。今度は、すぐ下からのそれに苦笑する。室温は自覚できるほどに上がり、額から汗が吹き出てきた。考える時間は、もう僅かしかない。

「・・・熱い、アルな。汗が止まらないアル」

 一人で、神楽は話し続ける。

「死ぬって、こういうことだったネ。何度も死に掛けてるけど、焼死っていうのは案外とキッツイアル」

 床に胡坐を掻くと傘をクルクルとまわす。幼い仕草は無邪気で、血に塗れたその場所に似つかわしくないものだった。だが、他にする事など何もない。神楽に出来るのは死体に囲まれたこの部屋で、ただ死を待つ、それだけ。

「こいつらと、心中カ。はっきり言って、色気もへったくれもないアル。折角美少女に生まれたのに、王子様は現れなかったネ」

 『オー、ゴット』とおどけた調子で肩を竦めた瞬間。

「なーにが、『オー、ゴット』だ。お前、またオレが買ってやった服、穴だらけにしたな」
「・・・・・・!?」

 聞こえるはずのない声に、神楽の肩がびくりと動く。空耳かと思ったが、それにしてはあまりにもはっきりとした声だった。背後に生まれた気配に、何故、という言葉が頭を廻る。自分の知っている彼なら、この場にいるはずがないのに。

「一人漫才してて楽しいか?」
「・・・晋助?」
「何だよ、じゃじゃ馬姫」

 出会った当初の懐かしい呼び名。今日と同じ青白い月の日に初めて神楽を見た時も、彼は同じ呼び名で神楽を呼んだ。昨日のように鮮やかで、思い出せないくらいに昔に感じる過去に。

「何しに来たアルか・・・?」
「何って・・・自殺しようって言う馬鹿の見物」

 ゆっくりと振り返った先には、脳裏に浮かんだ通りの男の姿。腕を組んで柱にもたれた彼は、うっそりと笑う。間もなく火の手が回る、この天守閣の一角で。心底楽しそうな笑みは、此処が死線であるからだろう。生と死の狭間で、彼は一番生き生きと輝く。

「随分といい趣味してるアル」
「我ながら、そう思うぜ。何てったって、逃げる手段を思いつく前に此処にたどり着いちまったしな」
「・・・何て言ったアル?」
「だから、逃げる手段を考えてないって言ったんだよ」
「・・・・・・」

 晋助の言葉に、神楽は一拍を置いた後。

「ぎゃー!?」

 これ以上ない位の大声で叫んだ。

「いやー!!最後の最後がこんな変態片目と心中だなんて!絶対にイヤー!!」
「・・・何だよ?オレじゃ不満ってのか?」
「不満だらけアル。例えて言うならたこ焼きの中にタコが入っていなかった時くらい不満ネ」
「だから、そのワケのわかんねぇ例えはやめろとけ」
「ごっさ、判りやすいアル!──お前、本気カ!?」

 叫んだ瞬間、最後の仕掛けが爆発した。一拍置き、周りの壁が火に包まれる。熱波が髪を揺らし、晋助のトレードマークである女物の羽織を飛ばす。
 正真正銘、逃げ場は何処にもなくなった。ここは天守閣。飛び降りて助かる、何て奇跡は人には使えない。
 今や汗は止まらず、呼吸も段々と苦しくなってきた。黒い煙が部屋を汚染し、しゃがみ込んでいる神楽にも襲い掛かる。それなのに炎の中に立つ晋助は、息苦しさなど欠片も感じさせない飄々とした態度を崩さず、あまりにも堂々としている彼に、やはり彼は支配する側にいるんだと気づく。

「・・・な?逃げ場も、逃げ道もなくなった」

 ニヤリ、と彼は満足そうに笑った。眼帯に隠されていない隻眼は不可思議な色を湛え、今まさに死に直結する場面であるのにそれすら愉快だと哂っている。狂っている。背筋にぞわりと産毛が逆立つ。死の淵でさえ、こんなに満足そうに笑った相手を神楽は今まで見たことがない。

「お前、頭がおかしいアル」
「はッ・・・そうかも知れねぇな。でなきゃ、他人の自殺に付き合ってやるなんて酔狂なマネできないだろうよ」
「・・・おかしいアル」

 もう一度だけ呟くと、神楽はがくりと腕をついた。視界がくらくらと揺れ、真っ直ぐ体を立てるのすら辛い。煙のまわりが予定より早く、意識が朦朧としてきた。最後の力を振り絞り顔を上げる。平然と立っている男は、やはり変態だ。
 動けない神楽に近づくと、さも当然のように高杉は隣に腰を下ろした。そして、神楽が動けないのをいい事に、ひょいと抱き上げ膝の上に乗せる。

「・・・熱いアル」
「そりゃ、周りが燃えてんだから仕方ねぇな」

 弱々しくもがく神楽を抱きしめた。その力は弱くなく、振り解くのは難しい。晋助の熱が移り、一層熱さが募り呼吸が早くなる。

「な、死ぬまで話してようぜ」
「はァ?」
「話だよ、話。暗い死に方は似あわねぇからな」
「・・・馬鹿アルな、お前。でも、話してもいいアル。昔の銀ちゃんの話を聞かせてヨ」
「銀時?あいつは、昔も今もそうかわらねぇ」
「・・・・・・」
「昔も今みたいな目して、授業はほとんど寝てばかり。剣の修行も人が見てるとこじゃ、手抜いてばかりだったな」
「・・・・・・」

 珍しく穏やかな晋助の声。彼が過去を語るのは初めてだと、薄れる意識で気がついた。物語のように紡がれる話は神楽の知らない銀時を教え、もっともっとと望むのに、段々と瞼が重くなる。篭った煙の所為だろうか。サウナよりも遙かに暑い場所なのに、段々と眠気が襲ってきた。頭ががんがんと痛み視界がぼやける。彼の声を子守唄に、神楽はついに意識を手放した。



「・・・じゃじゃ馬?」

 腕の中の体が力を失ったのに気がついて、晋助は軽く腕を揺らしたが全くの無反応。まるで幼子のような邪気のない姿に、晋助は淡く苦笑した。それは、何時以来からか見せなくなった優しい微笑み。誰も見てないからこそ浮かべた笑みに、自分が笑えるんだと思い出す。随分と長い間忘れていた感覚だった。

「お前は、よくやったよ」

 心からの賞賛の言葉。髪飾りのなくなった髪を緩やかに撫でる。さらり、と熱を持った桃色の髪は晋助の手に留まることなく零れ落ちた。自分のものだと言う印をつけたくて、馬鹿みたいに真っ黒な服を彼女に贈った。初めそれは銀時に見せ付けるためだと思っていたが、最近になって違うという事に気がついた。本当の理由は簡単。独占欲というものだ。
 晋助は、この無鉄砲で馬鹿なまでに自分の正義を貫いた少女を気に入っていた。何時の頃からか目的と手段が入れ替わり、手放さないためならどんな事も出来るくらいに。

「このオレが、女の後追い自殺とはな。中々に笑える結末だぜ」

 江戸の騒乱。神楽の望んだ通りに、幕府は相当な打撃を受けた。復旧には時間がかかるだろうし、新たな象徴を選ぶのに詮議も重ねられるだろう。その間都市は機能せず、政治家達は惑い揺れる。彼女流の復讐は見事に果たしたと言えるだろう。

「本当に、たいしたものだ」

 額にかかる髪を上げ、秀でたそこに唇を落とす。暖かというより熱い肌は、もうほとんど動く事はない。掌を翳せば微かな呼気が感じられ、それだけが神楽の生を実感させる。

「火事、か。火事と喧嘩は江戸の花。花になって死んでくっていうのも、まあ一興なのかもな」

 呟くと同時に、天上の梁が音を立て始める。柱はもう数本焼けて折れていた。天上が落ちてくるのもあと僅かの間だろう。火の爆ぜる音は絶え間なく、舐めるように肌を焼く。

「我が心 焼くも我れなり はしきやし 君に恋ふるも 我が心から」

 焼け崩れた天井に晋助はうっそりと哂った。威勢を誇る炎に飲み込まれ、彼らの姿はすぐに赤い勢力に消えていった。



*我が心焼くも我れなりはしきやし君に恋ふるも我が心から
【釈】私の心を憎しみの炎で焼くのも自分なら、あなたを愛する心も同じ私の心から

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■エピローグ



 それからの話を少しだけしよう。桃色の髪の少女が去った後、江戸のシンボルであった城は見るも無残に焼き崩れた。城の面影も残さず燃えたそこからは、おかしいことに死傷者は出なかった。重症を負ったものも、火傷を負ったものもいた。けれど、あれほどの惨事でありながら誰も命を落とす事がなかった。──少なくとも、確認できる範囲で、だが。
 江戸城に火をつけたのは過激派を気取っていた晋助の手によるものだと、町には噂が広まっている。だが過激派の一派が最も活躍していた、惑乱の時代は一年ほどで呆気なく終結を迎えた。今でも、高杉派と名乗る攘夷志士がテロを起こす事はあるが、当時と比べれば頻度は極端に少ない。それは、晋助自身が表に出なくなった理由と密接に関係していると言われているが、真実のところは定かではない。
 ──焼け落ちた城とともに、桃色の髪をした少女が万事屋から姿を消してから、五度目の春を迎えようとしていた。



「くぁ・・・・・・」

 小さく口を開け、だらしない声を出しながらあくびをする。掌で隠すという事などは、考えも付かない。あくびが出ても仕方がないと納得できるほどに、彼のいる場所は暖かだった。麗らかな陽射しを一心に受ける窓辺に、背もたれも心地よい使い慣れた椅子。机の上に両足を投げ出し、新聞を顔に乗せただけの格好は何と気だるく気持ちがいいのだろうか。だらしなさ全開の格好で、死んだ魚のような目をした青年は顔に乗せていた新聞をゆっくりとどけた。
 開いてあるページに乗っている見出しを見て、目を細める。
『江戸の城が焼けてから五度目の春』
 新しくなったシンボルに、住人たちも慣れてきた。五年という歳月は、それだけの長さがあるのだ。もう何年も開けていない、机の引き出しを睨みつける。そこには、此処にはいないもう一人の万事屋メンバーが身に着けていた髪飾りがある。時が過ぎるにつれ、周りの人間はそのもう一人の話題を持ち出さなくなった。可愛い顔をしていながら、どうしようもなく凶暴で毒舌家だった幼い少女。桃色の髪と、澄んだ瞳が印象的だった彼女。城が焼け落ちた日、きっと銀時は彼女と最後に会った人間だろう。天守閣に消えていく背中を追えばよかったと、何度も後悔した。
 本当に、学習しないものだ。あの日、彼女が家を出て行ったときも後悔したのに、同じ事を二度も繰り返すとは。拒絶されて、動けなかったなんて、言い訳にもなりゃしない。嫌がり泣き叫ばれたとしても、銀時はその手を掴むべきだったのだ。変わらない表情の奥で、少女が泣いているのを知っていた。深く傷つき絶望に塗れていたのも。迷ってはいけなかったのに、一瞬の躊躇が銀時から彼女を切り離した。
 あの日の火事は彼女が起こしたものではないかと銀時は考えていた。事実、下からつければ周りが早かっただろう火は、一番回りが遅いとかんがえられる天守閣から上がったものだ。下から上にくらべ、上から下というのは結構な時間差が出る。あの時、天守閣に居たと考えられるのは、晋助本人とその腹心たち。彼女と、晋助たちの間でどんな会話がされたかは、今となっては知りようがない。そしてこれから先もしる機会はないのだろう。わかっている事実は、あの日あの時から、彼女の姿を見るものが居なくなったということだけだ。
 そこまで考え、銀時は苦笑した。先程から、思い出の中でも彼女の名前を持ち出さない頑固さに、我ながらあきれるくらいだ。だがそれでも、彼女の名前を意識する時を、銀時は決めていた。周りの人間は、彼女がいなくなり死んだものだと考えているが銀時はそうは思っていない。あの食い意地の張った、しぶといチャイナ娘がそう簡単にくたばるところなど考えたこともなかった。この意見には、同じ万事屋のメンバーである新八も同意してくれている。信じているのが一人ではないという事実は、銀時の心を軽くした。
 その時、玄関の方で音がした。遠くに行きかけた意識を手繰り寄せ、再び新聞で顔を隠す。今の表情は誰にも見られたくないものだった。それが例え、この家の合鍵を持っている新八だったとしても。

(噂をすれば、影だな)

 ゆっくりと苦笑を浮かべ、銀時は新聞の下で瞼を閉じる。そこら辺の母親よりも口うるさい新八は、だらしない格好をしているとすぐに注意してくるが、己のポリシーという事で、銀時が譲るなど滅多になかった。今日は休みのはずだが、何か急用でも出来たのだろうか。最近、また姉の妙に対するストーカーが酷くなっていたといっていたからそのことかもしれない。そろそろ素直になればいいのに、と考えているのは銀時だけではなかろうが恐ろしくて口に出せるものはまだ居なかった。
 カタン、と音がし気配が止まる。動かない銀時に変わり、動いたのはそばで寝ていた定春だった。珍しい、と寝たふりをしながら不思議に思う。この白いケモノは主が居なくなってから、自分から行動をめっきりと活発性を失ったのに。

「ワンワン!!」

 久しぶりに聞く鳴き声に、少しだけ驚く。彼が声を上げるのを聞くのは、実に何年ぶりだろう。忠犬ハチ公よろしく、彼女の帰りを毎日寝て待つだけの日々を送っていたケモノは一体何を見つけたのか。

「新八ー、今日は休みのはずだろ?何かあったのか?面倒ごとなら他所に相談してくれ。銀さん、今日は昼寝して過ごすって決めたから。夜になっても昼寝するって決めたから」

 だるそうな雰囲気を崩す事無く、頭の後ろで腕を組む。のんびりとした口調もやる気がない態度も何も変わらない。当然新八のこ五月蝿い説教も変わらず、マシンガンの如く降って来るそれをどうかわそうか考えれば。

「ク・・・っ、クク」

 ゆったりとした体勢で器用にも体を強張らせる。聞こえてきたのは、新八の声ではなかった。聞き覚えのない──だが、何処か懐かしい声。まさか、という思いに少しずつ新聞を持ち上げる。最初に視界に入ってきたのは、鮮烈な赤。派手と言っても過言でないほどのそれからは見事な体の凹凸にぴったりと沿い男なら十中八九見惚れるほどのプロポーションに喉を鳴らす。だが銀時が意識を取られたのはそんなものではない。恐る恐る少しずつ視線をあげる。すらりとした長い足、引き締まった腰に、形の良い大き目の胸。そして──。

「相変わらずアルな、銀ちゃん」

 何よりも、特別に思っていた空の青を映した瞳。あの頃いつもお団子にしていた桃色の髪は、真っ直ぐに腰元まで流れていた。癖一つないそれは、極上な絹糸を思い起こさせる滑らかで艶やか。体つき同様美しくなった面は、嘗ての面影を残しているものの、女だと強烈に意識させる。十人居れば九人は振り返るだろう程の美女は化粧も施していないのに、赤い唇を緩やかに持ち上げた。長すぎる睫に彩られた瞳が好奇心に煌く。子供のように悪戯っぽい表情を浮かべた女性は、鈴を転がしたような声で笑った。

「か・・・ぐら」

 漸くの思いで絞り出した声は、掠れて情けなくも震えていた。生きていると思っていたし、信じていたけれど、実際に目の前に現れると驚きは強烈なものだ。五年間、一度も連絡を寄越さなかったくせに、とか、あの日から何してたんだ、とか、ドカンと説教垂れてやろうとか、色々と再び会った時のことをシュミレーションしてたのに、頭は真白になって何も言葉が思いつかない。

「私なりに、整理が付いたから帰ってきたアル。過去が帳消しになるわけじゃなし、私の罪は消えないけど。償う方法を探して来たネ」

 微笑みは鮮やかで、考える意識を削ぐ。見知らぬ女性のそれなのに、覚えているあどけない表情とその笑顔は重なった。

「この五年で、色々なことが判ったアル。色んな星を旅して、色んなことを学んだのヨ。本当は、一生此処に帰ってこないでいようかとも思ったアル」

 じゃれ付く定春の頭を撫で、何でもないことのように彼女は言った。まるで、会わなかった日々などなかったような自然な口調。千切れんばかりに尻尾を振る定春は、昨日までの老獪な雰囲気を漂わせた犬ではなく、活発で愛らしい子犬と同じ。嬉しくて嬉しくて仕方ないと素直に現し、がぶりがぶりと彼女にかぶりつく。それを片手でいなした神楽は、美しくなっていたが、笑い方に変わりはない。

「銀ちゃんに、話したいことが一杯あるネ。一杯、一杯、たくさんなのヨ。あのね、銀ちゃ──」
「ちっと、黙れ」

 話し続ける神楽を、抱きしめる事で無理やり黙らせた。むぐっと胸の奥から声が聞こえたが、構わず全身の力を篭めて抱きしめる。間に机があって体勢的には苦しいし、青い行動は恥ずかしいし、何をどうすればいいのか、考えなんて纏まらない。解決しなきゃいけないことは沢山残っているし、伝えたい事だって沢山あった。けどこれだけは、最初に言おうと決めていた。

「銀ちゃん・・・?」

 不安げな声を出し、自分を見つめる青の瞳に、昔を思い出し表情が綻ぶ。上目遣いで見上げる距離は随分と近づいたが、神楽はやはり神楽のまま。安心させるように滑らかな手触りの髪を撫でると唇を耳元に近づける。

「──おかえり、神楽」

 思っていたよりも、随分とかっこ悪い声。震えて今にも泣きそうに聞こえる。情けなく揺れた声に、それでも腕の中の神楽は嬉しそうに、幸せそうに微笑んだ。

「ただいま、銀ちゃん」

 笑顔で告げられ、銀時はホッと息を吐く。何年もただこの言葉が聞きたかった。自分が居て、新八が居て、定春が居て神楽が居る。そんな暖かい日常を取り戻したかった。失うことに怯えていた日常に、いつの間にか土足で入り込み居心地よく改造してしまった神楽。机の引き出しを探ると、久しぶりに手にし髪飾りを転がす。銀時のところにそれは二つとも揃っていて、久しぶりに見たそれに目元を綻ばせる。

「髪、結ってやるよ。その間に、お前の土産話聞かせろ」
「うん!!」

 嬉しそうな声。見た目は変わっても変わらない態度に銀時も安堵する。
 それから、夜になって晩御飯を差し入れに来た新八に『どうしてすぐに教えてくれなかったのか』と怒鳴られ、大家であるババアに殴られ、天人である濃い顔をした猫耳の女にあざ笑われ、微笑みの魔王である妙に笑顔でいびられるのだけれど。久しぶりの夜は、ただ、暖かく過ぎて行った。



「銀ちゃん、大好きヨ」

 優しい声は、寂しかった日々の全てを帳消しにする力を持って響く。それは腕の中の神楽にだけ使える魔法。可愛らしいよう容姿と裏腹に、天邪鬼で毒舌家の彼女との生活は、嘗てのように騒然とした日々になるのだろう。悩む事もあるだろう。
苦しむ事もあるだろう。神楽の罪は消えないし、過去を償う必要もある。それでも神楽と暮らすことでの苦労は、きっと幸せを含んでいる。明日からは、また優しく騒がしい生活で、自分の人生は埋もれていく。──それが、自分の幸せだ。
 随分と柔らかくなった体を腕に抱き、その存在をかみ締める。伝わってくる温もりに、漸く戻った幸せに。誰にも見えないよう、銀時はふわりと微笑んだ。

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【完結:銀時編】


 その瞳を見た瞬間、酷く後悔した。愛しんでいた青天のような青い瞳は、輝きを失いどんよりと濁っていて、虚ろな眼差しは自分の姿を映しても変わることはない。瞳は開いていても少女は何も見ていない。小作りな顔に表情は一切なく、端整な面立ちから精巧な人形のようだ。そこまで考え己の迂闊さに拳を握る。殴ってでも、傷つけてでも止めるべきだったのだ。感情を破壊された少女が、生きる人形になる前に。
 木刀を握り締めた手に力を込め、己の罪を深く懺悔する。あの頃の、感情を読むことが出来た無表情ではなく、全く何を考えてるか読み取らせない表情で彼女は血塗れで立っていた。慈しんだ瞳は硝子玉と変わらない。

「・・・・・・何の用アルか」

 淡々とした声が響く。その場にいた相手は、神楽以外全員地に伏していた。江戸の象徴を護るべき城の護衛がこの程度とは、笑えるくらいに呆気ない。美しかった庭は、神楽一人の行動で元の姿を想像できないくらいに破壊されつくされていた。仲間とは呼べずとも同士と呼べた人間はいない。きっと、今頃は天守閣にたどり着く頃だろう。
 だがそんなことはもう『どうでもいい』。月の光に照らされながら、神楽は傘を差し直す。闇に浮かぶシルエットはとても小さく華奢に見えた。手にした傘の柄を肩に置き、くるりと回す。染み付いた血の鉄錆び臭いにおいが傘の動きに比例し飛散した。本来なら鼻につく噎せ返るような血の匂いは、けれどとうに麻痺した嗅覚のお陰で今更気にならない。

「お前、一人で何しに来たアルか?」

銀髪の、衣服をだらしなく着こなした青年は手に木刀を握っていた。空いている手を着物の胸元に入れ、無造作な格好で神楽を見ている。その姿に見覚えがあるような気がして首を傾げる。死んだ魚のような目は、きりきりと釣りあがっているのに。
 暫く考えたものの、薄霧がかった思考では何も思い出せない。きっと見知った気がするのは気のせいに違いない。最近の神楽は長い事ものを覚えておくことが出来ず、留めておこうと思った記憶もまるで砂のようにサラサラと零れ落ちる。何も覚えていれないならば、この感情はおかしいものだ。
 記憶を留めていない間はとても楽だ。何をしても苦しいと思う気持ちがなく、『あの時』のように罪悪感を抱くことも無い。不意に思い出した『あの時』に眉を寄せる。だが結局何を指すのか神楽には判らず、どうでもいいと感情は立ち消えた。
 今の神楽は晋助に何を命令されても気にならない。何故晋助の言葉を聞き彼と共にいるのかも思い出せないが、それはそれで気にならない。ただ一人で、城のお庭番全員を相手にせよと命令されても、揺らぐような意思はとうの昔に捨て去った。

「──随分と、酷くやらかしたな神楽」
「・・・・・・」

自分の名前を言い当てた青年に、少し驚く。だが表情にそれを表すことはない。最近神楽の名は裏で広まっていると聞いた。ならば彼はきっと指名手配書で知ったのだろう。

「何だよ、この血生クセェ場所。どいつもこいつも致命傷じゃねぇか。何、らしくない事やらかしてんだ」
「お前、何わけ判らないこと言ってるアル」

 右足に力を込め青年との距離を一気に詰める。瞬きの間に目の前に現れた神楽に、けれど青年は驚く事もしない。微動だにせずそこに居る青年に、傘を振りかぶった。

「帰ろう、神楽」

 振り下ろす寸前、聞こえてきた声にギリギリで傘を止める。目と鼻の先にあるそれに、青年はやはりピクリともしない。まるで、神楽の構えている武器など見えていないかのように振舞う。余程豪胆な性格をしているのか、それともこの傘が神楽の武器だと言うことを知らないのだろうか。夜に光る月と酷似した、銀色の髪が空からの光に鈍く光る。青白く美しいそれは、神楽が一番好きな色。

「──・・・ッ」

 不意に酷い頭痛がして、一息跳びで距離を取った。警戒するように瞳を眇め油断なく傘を構える。

「お前、誰アルか?」

 意図せず声は揺れていた。誰の血を浴びても何の感情も沸き起こらなかったのに、それなのに目の前の青年の言葉に情けないほど動揺する。知らない。自分は、目の前の青年など知らない。自分は晋助の駒で、彼が言うとおりに動けばいいだけの存在のはずだ。何も考えず、何も知らず、何に傷つくこともなく。事実、高杉がここで敵を食い止めろと命令したから自分はここに残っている。襲い掛かる惰弱な人間を屠り、囮役をこなすだけ。自分にこんな風に声をかけてくれる存在は、もういないはずなのだ。だって──。

「真選組の奴らで、死んだのは一人もいねぇよ。奴らゴキブリ並にしぶとくて、あんな酷い傷だったのに早い奴はもう退院してる」
「・・・・・・」

 真選組。脳に直接釘を打たれ、ぐりぐりとかき回されるように痛みが広がる。それと同時におぼろげな思考が少しずつ埋まり、薄れていた記憶に色が付き始めた。

「ここにいる奴らも死なせねぇ。お前の手を、これ以上汚させる気はねぇんだ」

 銀髪の青年は、無造作に手に持っていた木刀を構える。気は緩やかなのに、全く隙がない。温和とも取れる表情を浮かべた青年に、神楽の眉根が寄せられる。人形めいた面立ちに初めて感情らしいものが伺えた。それを見て、銀髪の青年は少し笑った。

「お前がいる場所はここじゃねぇだろ。お前の居場所は万事屋の押入れの中で、銀さんの隣だ。お前がいねぇから定春なんて痩せちまって、今じゃもう小力くらいにガリガリだ」
「──小力はガリガリとはいはないアル。何馬鹿なこと言ってるんですか、コノヤロー」

 傘を構えたまま、神楽はポツリと言葉を発した。頭痛がどんどん酷くなる。これ以上思い出すなと警告するように。嫌だと反論する理性と裏腹に、思い出そうと本能が足掻いた。

「お前がいないと、昼ドラ見ても楽しくないし、新八が大量に作った飯は残るし、定春には噛まれるし、ババアにはいびられるし、ジャンプは週一しかでねぇし」
「後半は私は関係ないネ。人の所為にしないで欲しいアル、銀ちゃん」

 突っ込みと同時に無意識に口走った名前。発した瞬間に驚きで固まる。目の前の青年は、先ほどとは違いにんまりと品のよくない笑みを浮かべた。

「ようやく、呼んだな」
「・・・・・・」

 舌打したい気分だった。

「帰って来いよ、神楽」

 空に太陽が浮かんでいるのを説明するような当たり前の口調で彼は微笑む。こんな時なのに、いつもと同じ死んだ魚のような目をした彼に、少しだけ面白く思った。瞼を閉じて少しだけ笑う。彼が言う通りに、その暖かい手に自分の手を重ねれればどれ程幸せであるだろう。感傷だと、理解しつつも神楽はそう思う。けれど、後戻りするには進みすぎている自分を、神楽は誰より知っていた。



 ゆっくりと上がった瞼の下から、銀時の愛する綺麗な青が除き見えた。空の青よりも濃くて、海の青よりも薄い青。綺麗な綺麗なこの世に唯一つの宝玉。飾り物ではなく、意思をしっかりと持った瞳が銀時を射抜くと、やんわりと綻んだ。自分にしか見せない神楽の笑顔。それを見た銀時は、ホッと肩の力を抜いた。一緒に帰る気になったのだと、何の心配もなくそう思った。
 だが、実際の答えは正反対のものだった。

「──駄目アルヨ、銀ちゃん」

 温かみがあるのに、何処か寂しげな声で神楽はキッパリと言った。浮かぶ表情は柔らかな微苦笑で、まるで聞き分けのない子供に言い聞かせるような母親の表情みたいだと、冷静な頭が考える。困惑する銀時に、一緒に暮らしてた頃より大人っぽい仕草で首を傾げた。

「な・・・んで、だよ」

 情けなくも、声が震える。震える体を押さえられず、動揺は隠せない。目の前の少女は、ただ一人、銀時の自制心をあっさりと奪える存在であるのを嫌になるほど自覚した。動揺している銀時を認めても、神楽は一切の容赦をしない。輝くような笑みで、自分の将来はもう決めてしまったと。

(何だよ・・・コレじゃまるで・・・)

 さよならを、言われているみたいじゃないか。飲み込もうとした唾液が、咽喉に絡みつく。先程までは心地よかったはずの風も、突然冷え込んできた気がした。寒いと感じるのは実際に体感温度が下がったのか、それとも心が冷えたからか。
 動けないでいる銀時に、

「バイバイアル、銀ちゃん」

 囁いた後、高く高く神楽は跳躍した。一飛びで城の二階の屋根まで飛び退く脚力は、さすがとしか言いようがない。相棒である傘を肩に置いた神楽は、小さな子供のようにクルクルと楽しげにそれを回した。

「パピーはこの星の人間の、政治のおもちゃにされたアル。私、この星の事、恨んでいるアル」

 声は淡々としていて、逆光で表情は見えない。だから銀時は、その時の神楽の気持ちがわからなかった。神楽が悲しんでいるのは判るのに、根本の部分が理解できなくそれがもどかしくて仕方ない。他でもない今この瞬間、理解しなくてはいけないのに。歯痒さに唇を噛み締めれば、切れた唇から血が滴った。その様子に少しだけ悲しそうに神楽が目を伏せる。

「パピーは何も悪い事してないネ。この星の人間よりも少しばかり強くて、えいりあんはんたーをしていただけだったアル」

 神楽はすぐそこに居る。けれど手を伸ばしても届く事はない。人間である銀時は、いくらなんでも一跳びで屋根まで上がるほどの脚力はない。近くて遠い場所。見えるのに手を伸ばしても届かないそこに神楽は一人佇んだ。

「でもね、銀ちゃん。私、この星の人間の全員を嫌っていたわけじゃないアル。本当は、将軍様が好き好んでパピーを殺したわけじゃない事も知っていたネ。何度も話したし、私のマブダチの兄ちゃんだったし」
「神楽」
「それでも、私は弱いから。私は、私の本能に逆らう事が出来なかったヨ。どうしても、どうしても。許すことが出来なかったネ。──でもきっと、本当に許すことが出来なかったのは。パピーが殺されるのを、ただ黙って見つめていた自分だったのヨ」

 息が詰まり、咽喉が焼け付くように痛い。気管は呼吸を繰り返すたびに、悲鳴を上げた。まだ子供であったはずの少女は、どんな気持ちでこんな言葉を吐いているのだろうか。元々大人びていたが、ちゃんと子供の部分も持っていたのに。それをどんな気持ちで切り捨てたのか。

「私、銀ちゃんと会えてよかった。あなたに会えて、幸せだった」

 訛りのない標準語。それが神楽の想いを嫌になるほど真っ直ぐに伝える。握った拳からは、いつの間にか血が滴っていた。

「万事屋の皆と暮らした時間は、私にとってかけがえのないものでした。銀ちゃんも、新八も。姐御も、ババアもキャサリンも。ついでに、ヅラも、エリーも真選組の奴らも。・・・割と、嫌いじゃなかったアル」

 素直じゃない神楽の、精一杯素直な言葉。不器用なその言葉は、温かな想いが溢れていた。

「だから、私は私なりの後始末をつけなきゃいけないネ」

まわしていた傘を止めると、肩から下ろしてしゅるりと畳む。

「最後に、思い出させてくれてありがとうアル。思い出せなかったら、きっと私はここで死んでたネ。本当に、ありがとうございました」

 影が、ぺこりと頭を下げた。ずっと前から用意されていた言葉を読み上げるように淀みなく告げ、ふわりと柔らかく微笑する。それは滅多に見せない愛らしく優しい神楽独特の微笑み。
 ゆっくりと頭を上げると、頭に手を伸ばし一つになった飾りを外す。そして、銀時に向かって思い切り投げた。顔面すれすれでそれを受け取る。それは一瞬。飾りに意識が逸れた時には、神楽の気配は消える寸前だった。

「さよなら」

 聞こえた声は、幻だろうか。見えぬ姿に瞠目し、体の力が一気に抜ける。残されたのは手に収まった飾り一つ。父から贈られたといっていたそれは、神楽の宝物だった。

「神楽ァァァァァァァァァ!!」

 喉も裂けよと叫んでみても、陽だまりの中当然のように返って来ていた声は、闇に飲まれてもう聞こえない。

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