×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
「こちらが本日分の宅配物になります」
「そうか」
普段どおり帝国に届いた手紙を含む宅配物に目もくれず、影山は手元の書類を眺めた。
そこには今期入学を果たした帝国サッカー部に入部した者のデータが事細かに書かれている。
出身校は勿論のこと、サッカーを始めてからの年数、経歴、入学前までどのチームに在籍しどんな戦歴を挙げていたか、身長、体重、果ては家族構成など様々な情報が載っている。
一つ一つを読み情報を漏らさず頭に叩き込んだ上でその人物に適したポジションやグループ、連携を考えるのが監督としての影山の仕事だ。
選手の層が厚いということは、つまりそれだけの人数が所属すると言い換えられる。
分厚いデータファイルに新たに追加された資料を挟みながら流し読みし、短く息を吐き出した。
ここ数年求めるレベルに達した選手は数えるほども居ない。
原因はわかっていたが、そればかりはどうしようもない。
手の届く位置に『理想』が形として具現化した今、影山の基準が上向いてきているのだ。
本人だけ自覚できる程度に微かに口角を持ち上げ、不意に気がついた。
普段なら荷物を届けてすぐに退室するはずの事務員が未だに室内に存在し続けているのに。
紙の上を滑らせていたペンを止め顔を上げると、困ったように眉尻を下げて両手に白い箱を持った男は、惑いながらもそれを差し出した。
「それは何だ」
「その・・・それが、影山先生宛ての荷物に混じってまして。受け取りはしたものの中身は不明でどうしようか迷ったのですが、一応お持ちしました」
「誰から」
「鬼道財閥の直属のものだと」
「鬼道財閥?」
ぴくりと眉が動く。
鬼道財閥直属の人間が影山宛に直接何かを送るなど、年に数度もない。
手を伸ばし受け取ると、箱は大体両の掌で丁度支えれるサイズで、少しひんやりしたそれは飾り気もなく洒落っ気もない。
しかしながら宛名のない箱は、受け取り指名にはしっかりと『影山零治殿』と記入されている。
パソコンで印字したようなきっちりとした美しい文字は、確かに見覚えがあるものだった。
「───これは私が処理をしておこう。君はもう下がっていい」
「はい」
一礼して男が退室するのを見送ってから、四角い箱を机に置く。
良く見れば薄いブルーが混じった包装紙のテープを丁寧に剥がし捨てれば、汚れひとつない真っ白な面が現れた。
薄さは幅10cmほどで重さはそれほどでもない。
手紙ひとつないそれが誰からのものか確信に至り、くつりと喉を震わせた。
名前がなくともこんなことを影山に仕掛ける人間など、ただひとりしか知らない。
今月は遠いイタリアの空の下に居るはずの少女を思い出し、ゆっくりと箱の蓋を開ける。
そこで見たものに、今度こそ声を上げて笑ってしまう。
でかでかと『義理』とホワイトチョコレートでペイントされたハート型のチョコは、この年にしてもらうのは初めてだ。
子供と大人の面が混在している愛弟子は、料理も教育の一環として学んでいたが、年々と腕が上がっている気がする。
イタリアから空輸したのだろう、昨年までとは違い生チョコやトリュフ、チョコレートケーキではなく固形のチョコだが、それでも綺麗にトッピングがしてあり工夫がそこかしこに見える。
付き合いで貰うブランドで市販されているものと比べても見た目には遜色はない。
何事もそつなくこなす彼女らしい器用さで、センスのよい彩なのに『義理』と達筆な文字が真正面にあるため全て台無しだ。
直径15cmはあるだろうチョコを箱から取り出して一口齧れば、仄かなブランデーの香りとほろ苦いカカオの味。
甘いものが苦手な影山でも美味しく食べれる、好みを熟知した味わいに目を眇めた。
そしてチョコをどけた事で下から現れたメッセージカードに目が行く。
流暢な筆記体で書かれたカードを手に取ると、『あなたの可愛い愛弟子より』と一言だけ添えられていた。
いかにも勝気な教え子らしい文章は、ユーモアに満ち小生意気で憎めない。
「・・・本当に、仕方がないな」
苦笑と共に出た言葉は、苦々しいながらもどこか優しい響きが混じる。
施設で一人きりだった彼女を見つけた当初、望まぬ運命に対する復讐だと思った。
自分をどんぞこに叩き落す切欠になった『円堂大介』。
その孫で、同じく飛びぬけたサッカーセンスを持つ『守』。
乾いたスポンジのように、あるいは砂漠の砂のように、影山の技術を注げば注ぐほど全て吸収しさらに己で磨き昇華する天賦の才を持ち、仲間を惹き付けるカリスマ性や、言葉を実現する実力。
何でも出来るゆえに何事にも執着しない少女が唯一執着した『サッカー』は、イタリアへ渡ってからも溢れんばかりの向上心でどんどんと上達していた。
影山の『理想』が形になった最高の『愛弟子』は、見つけた当初からは予想もつかない深さで心の奥底に居座っている。
自身が与えた『MF』というポジションで、どうすればもっと彼女を伸ばせるか。
どうすれば新たな技術を授けれるか、どうすればもっといい経験をさせれるか。
どうすれば、どうすれば───。
気がつけば帝国のレギュラー陣を指導していても、遠い空の下でプレイする彼女を想っている。
磨けば磨くほど、手塩にかければかけるほど輝く掌中の珠。
影山が見つけた最上の逸材を、今更誰かにくれてやる気はない。
あれは、『守』という存在は、影山のために存在する『生き物』だ。
『円堂大介』に対する復讐のために育て始めた才能は、いつしか影山の目標へと変わっていた。
彼女を世界に通用する最高のプレイヤーにしたい。
他の誰かではなく、影山の持ちうる全てを使い、影山のサッカーで世界に立たせたい。
今はまだその一歩を踏み出したばかりだが、イタリアの中でも彼女の実力は認められつつある。
男子リーグで活躍しても違和感はなくなり固定ファンも出来た。
『守』には才能がある。
それこそ、現在帝国学園に存在するサッカー部の面々など比べ物にもならない才能が。
「お前はいつか私のサッカーで世界に立つ」
言葉にすればなお現実的に響く宣言に、ゆるりと口に端を持ち上げる。
気がつけばあれだけあったチョコレートは最後の一口になっていた。
それを口に放り込み、じわりと広がる濃厚な味わいに眦を下げる。
影山の味覚を知るからこその味付けに、よく覚えているものだと感心した。
社交辞令で貰うどんなものより美味に感じるチョコレートを租借し終えると、ぺろりと指先についたものも舐め取る。
書類整理の最中の気分転換になった贈り物に、さて来月は何をお返しするべきかと、意外とイベントに五月蝿い少女を想い小さく微笑んだ。
自覚すらない笑みは、彼らしくなく優しげだったが、それを目撃できる人間は当たり前に存在しない。
PR
翌日がチーム練習のない土曜日。
守からメールを貰って誘われるままに彼女の家に足を踏み入れたフィディオは、執事の登場を待つでもなく自身で扉を開けた守が動きを止めたのにひょいと眉を上げた。
「どうかしたの、マモル?」
「どうかしたかっですって?ええ、そうですね、どうかしたと言えばそうですし、そうじゃないと言えばそうではありませんわね」
学校帰りなため未だにお嬢様モードの守は、こちらを向くと頬に手をあて小首を傾げる。
眉尻を下げて淡い苦笑を浮かべた彼女は、ノンフレームの眼鏡の奥の瞳を細め煌かせた。
ちらりと浮かんだ表情は複雑そうで、一体何があったのかと好奇心が胸を誘う。
我慢しきれずに玄関のノブを奪うとそのまま一気に開け放った。
「・・・・・・薔薇?」
「ええ、薔薇ですわね」
広いエントランスにぽつんと落ちた一輪の薔薇。
夕日の赤よりワインの赤に近いそれは、正式な名称は知らずとも美しく、端整に手を篭めて作られたものだと知れた。
がくの上から花だけを摘み取られたのだろう。可憐な花びらが白い床に散り、艶やかなコントラストを描いている。
「何で、薔薇」
「今日だからでしょうね」
「今日?今日、何かあったっけ?」
「ええ、一応。───どうやら私宛に来客があったようです」
嘆息しながら床へとしゃがみ込んだ守は、花弁が落ちきらないよう気をつけながら薔薇を己の掌に掬った。
そうしてポケットからハンカチを取り出しそっと乗せる。
「全く仕方ない方。これでは花も可哀想でしょうに」
リビングまでの道のりに点々と続く薔薇を拾いながら、呆れも含んだ息を吐き出す。
いつもならこの過程で数人の使用人とすれ違うはずなのに、今日に限っては一人も顔を合わせない。
守に忠実な老執事も、きっちりと仕事をこなすメイドたちも一体何処に消えてしまったのか。
呆れ交じりの表情で迷いなく進む彼女は何処に居いるか判っているようだが、今までにない不思議にフィディオは目を瞬かせた。
だがその驚きはリビングに入るまでで、足を踏み入れたそこで新たな驚きに塗りつぶされた。
日当たりのいい大きな窓が特徴的な居心地のいいリビングの、10人は軽く座れそうな大きなテーブル。
飾られた一輪挿しの花瓶には床に落ちていたものより淡い色合いのピンクの愛らしい薔薇が、そしてテーブルの上には所狭しと葉がついたままの真紅の薔薇が絨毯のように敷き詰められていた。
そんな中ポツリと一箇所だけ色が違う場所があり、近づけば青が混じった白いカードが置かれている。
思わず手を伸ばそうとし、横から伸びた手に静止された。
「マモル?」
「・・・これは一応私宛ですわ」
囁き、開いたカードには文章は何も書かれていない。
それでも明確に自分宛と断じた守は丁寧にカードを閉じると裏面を向けた。
そこに書かれた文字に、フィディオはひょいと眉を上げると口笛を鳴らす。
「Secret Admirerer?」
「日本人の感覚からすると、あまり忍んでいるようには見えませんけれども。───いらっしゃるのでしょう、エドガー様?」
「エドガー?」
小首を傾げて守が声を掛けた奥の部屋に通じるドアを見れば、ゆっくりと開いたそこから端正な顔をした長身の少年が顔を出す。
彼が来ていると知らなかったフィディオは素直に驚きを表現したが、隣の少女は呆れ混じりのため息を吐き出しただけだった。
ポーカーフェイスを気取りながらも目尻を淡く染め上げたエドガーは、守に向け微かに笑んだ。
「こんにちは、エドガー様。ご機嫌麗しゅうございます」
お嬢様モード特有のたおやかでお淑やかな仕草でスカートの端を掴み一礼をした守の動作は、流れるような洗練された上品なもので流石財閥の令嬢と言ったところだ。
しかしながら普段の守を知っているフィディオとしては、感心はしても今更上辺の態度に感慨を受けるでもない。
あくまで一般人のフィディオには上流階級のやりとりは少し面倒にも見えるが、エドガーと守のやり取りは彼ら自身の気品が浮き立つようで見ていて飽きるものじゃなかった。
一礼した守に軽く胸に手を添えて礼を返したエドガーは、彼女の手を取り甲に唇を落とす。
絵画の一枚のように絵になる二人は、視線を絡ませるとそのまま距離を置いた。
「一月近くぶりだな、マモル。健勝だったか?」
「はい、エドガー様。エドガー様こそお元気そうで何よりですわ」
「フィディオも、久しいな」
「はは、てっきり忘れられてるかと思ったよ。エドガーも相変わらだね」
「・・・どういう意味か聞きたくなる言い回しだが、今回は止めとこう」
守に見せた甘い笑みとは違い、愉快そうに口の端を持ち上げたエドガーが差し出した手を握るとフィディオも同じように笑みを返す。
以前はもう少しつんとしたイメージだったが、守を通じて随分と親しくなった。
フィディオとエドガーが世間話をしている内に手早くテーブルの上の薔薇をかき集めた守の合図で、どこからか現れた老執事が紅茶セットを持ってくる。
薔薇で膨らんだハンカチを彼に渡すと、自身は両手いっぱいに抱えた守は花瓶を用意するように伝えた。
「あの薔薇、君が用意したのかエドガー?」
「───何のことだ?」
「何って・・・」
「フィディオ様、今日が何の日かご存知?」
「今日?今日は2月14日、Festa degli innamoratiだけど?」
「そう。つまりはそういうことですわ」
「・・・全く判らないよ」
要領を得ない守に首を傾げる。
遠まわしな言い回しは彼女らしくないが、ある意味彼女らしい。
眉根を寄せたフィディオに苦笑した守は、用意された花瓶に薔薇をいけると片手を上げて合図して使用人たちを部屋から退出させた。
広いリビングから自分たち以外の人影が消えるのを待ち、ノンフレームの眼鏡を外す。
それをテーブルに置きこちらを向けば、もう彼女の雰囲気は一変していた。
「とりあえず、座れよフィディオ。エドガーも。うちの執事の紅茶は美味いぞ」
「そうだな。紅茶に関しては君よりも腕前は上だろう。もっとも、それも君がその気になればすぐに逆転するのだろうが」
「でも俺は紅茶じゃなくて珈琲派だからな。極める気もないし。それに、俺が美味い紅茶を飲みたいときはお前が淹れてくれるんだろう?」
「───全く、君という人は」
くつくつと喉奥で笑ったエドガーは招かれるままに席に腰を下ろし、彼に釣られフィディオも指定席としている椅子に座る。
すぐに上品な意匠のカップが置かれ、湯気が立つ琥珀色の飲み物はすっきりとした独特の芳香を運んだ。
給仕を終えた少女が腰掛けるのを見計らい、恥じらいを浮かべながらエドガーが何処からともなく小花柄の紙袋を差し出す。
「何?」
「私が作ったスコーンだ。良ければお茶請けにしてくれ」
「お前ね、そう言うのは座る前に言えよ。日本じゃ頂き物は出すのが礼儀なんだぞ」
「日本の礼儀など知らない。私は君へのプレゼントとして持ってきたんだ」
「───それもバレンタイン?」
「そんなわけなかろう」
「はいはい。皿に盛ってくるからちょっと待ってろ」
鋭い視線を向けたエドガーにひょいと肩を竦めた守は、嘆息すると席を立ち上がり部屋から出て行った。
皿が置いてあるキッチンはここじゃない別室にあるので、帰ってくるまでに紅茶も冷めてしまうだろう。
もっとも守は本人が言うとおりに紅茶通でもないので冷えた紅茶でも平然と飲み下す。
イギリス人らしく紅茶に五月蝿いエドガーがその様をじとりとした目で睨んでも全く意に介さない。
しかしながら今回の場合は彼が原因であるので流石にそんなに睨んだりもしないだろうけど。
そこまで考えて、当初の疑問を思い出し優雅に紅茶を啜る少年に視線を戻し口を開いた。
「それで、エドガー。この薔薇は結局君が用意したものじゃないのか?」
一輪挿しのピンクの薔薇と、新たな花瓶に豪奢に飾られた真紅の薔薇を指差し小首を傾げる。
紅茶のカップに口をつけたエドガーは、フィディオの言葉に顔を上げた。
「マモルがヒントも与えたし、お前も言っていただろう?」
「何を?」
「今日はイタリアで言うFesta degli innamoratiだ」
「だから?恋人たちの日は恋人同士が祝う日だろ?───それとも、許婚は恋人同士に入るのか?」
問いかけて胸のどこかがずきりと痛む。
風邪でも引いたのだろうかとセーターの上から心臓の上を掴むが、もう疼痛は失せていた。
気のせいかと再びエドガーに視線を戻すと、優雅に微笑んだ少年は人差し指を振りウィンクをした。
「そのイベントは世界に多く広まっているが、各国において特色が少しずつ違う。例えばイタリアでは恋人の日であるように、日本では女性から男性に愛を告白したり、親しい人間に義理を篭めてチョコを贈ったりもする。そして我が国イギリスでは、好いた相手に密かに想いを伝える日だ」
「密かに?」
「そうだ。直接愛を告白するのではなく、贈り主不明の相手から情熱的なプレゼントを渡されるのはミステリアスで驚きに満ちているだろう?」
「じゃあ、やっぱりあれはエドガーからなんだ。どうしてカードの宛名に名前を書かないで『あなたを密かに想う誰かより』ってしたの」
「名前を書くのはスマートじゃない。本来ならロマンチックな詩を添えたり、『Be my Valentine』とか『My Heart belongs to you』もしくは『SWALK』などと記入するのが一般的だ」
「SWALK?」
「『Sealed with a loving kiss』の略だ。ちなみに以前それを書いて贈ったのだが、英語を勉強中のユウトに詰め寄られマモルに笑顔で怒られたのでやめている」
納得いかないと眉根を寄せたエドガーは、それでも満足げだった。
イタリアのイベントが恋人限定なのが基本なのに対し、イギリスや日本は少し赴きは違っても好きな相手に想いを伝える日らしい。
そしてイギリスでは随分とロマンチックな日らしい。
女性に対しての扱いを考えると、ある意味らしいと言えばらしいけれど。
「それでマモルは相手が誰か判っても知らないフリをしたんだな」
ぽつりと呟いた言葉にエドガーが口角を持ち上げた。
きっと相手が誰か判っていても言わぬが花と言うのだろう。
「恋にはスリルがつきものだ」
訳知り顔で頷いた彼は、まさしく恋する少年だった。
初恋もまだのフィディオには時折彼が大人びて見える。
守は、彼の想いを一身に注がれる少女はどうなのだろう。
彼女は確かにエドガーに気を許しているが、溺愛する弟のようにあけすけに愛を注いでいない。
むしろどこか冷たく厳しさすら漂う態度をしているが、それすら特別と知っている自分は、一体何が納得し切れていないのだろう。
もやもやとする感情を嚥下出来ずに柳眉を顰めると、軽快なノックの後勢い良くドアが開いた。
「・・・マモル、もう少し品良く行動できないのか?」
エドガーの言葉に眉を吊り上げた守はわざとらしいまでにお淑やかにドアを閉めると、彼をぎろりと睨み付けた。
怒り心頭に発するとばかりにきりきりと苛立ちを露にする愛らしい顔は珍しく紅潮している。
一体何があったのかと先ほどまでのもやもやした感情も忘れて注視した。
「品良く行動できないのか、じゃねーよ!お前なんだよ、これ!」
「・・・スコーンだが?」
「スコーンだが?じゃない!お前この間手作りスコーンを有人に渡してたよな」
「ああ。君に作り方を教わり私が作ったものを謝礼代わりに渡した。君も見ていただろう?」
「お前、こんな劇物人の弟に渡してくれたのか!?ふざけるなよ!!」
「劇物?」
「さっき皿を取りに行ったとき、使用人に勧められて一口齧ったんだ。そしたらなんだ、このスコーン!じゃりっとしてぬめっとしてかさついた挙句に、口内の水分全部奪って激辛成分が支配したわ!お前日本人の美食文化舐めんじゃねえぞ!こんなのスコーンと認めるか!!人の弟になんてもの食わしてくれてんだ!」
流れるような罵倒にぱちりと瞬きをする。
口は悪いが寛容で気が長い守のあからさまな怒りを初めて見るフィディオはもとより、普段から少しばかり冷たい扱いを受けているエドガーも戸惑うように瞬きを繰り返す。
怒りで頬を赤らめたままの守が皿に綺麗に盛られたスコーンをエドガーに差し出すと、彼はゆるりと首を傾げて一口齧った。
「・・・普通のスコーンの味だが」
「嘘付け!それが普通なら全世界で普及しているスコーンに謝罪しろ!フィディオ、お前も何とか言ってくれ!」
「なんとかって言われても・・・じゃあ、俺も一口」
綺麗に焼けているスコーンを齧ると、なんとも言えない不快感が広がる。
中は生焼け外は見た目より遥かに乾燥し、子供の頃戯れで口にした砂のような食感だ。
口内の唾液が乾いたスポンジに奪われるよう水分を失くし、最後にはなんとも言えない刺激が下に広がった。
なんだろう。麻痺したように痺れる舌は、辛いというより痛い。
期待した眼差しを向けるエドガーを正面から見つめ、フィディオは評価を下した。
「これ、食べ物じゃないと思う」
「!!?」
ショックを受けた顔でよろめいたエドガーに、弟に劇物を食べさせたと詰め寄る守は容赦なかった。
それでも結局は最後までスコーンを食べきった守は律儀とでも言うべきか義理堅いと言うべきなのか。
何だかんだで優しい彼女の感情は、やはりフィディオには読みきれなかった。
とりあえず理解できたのは、目の前の端正な顔立ちの少年の味覚が、些か残念だという部分だけ確信は出来た。
守からメールを貰って誘われるままに彼女の家に足を踏み入れたフィディオは、執事の登場を待つでもなく自身で扉を開けた守が動きを止めたのにひょいと眉を上げた。
「どうかしたの、マモル?」
「どうかしたかっですって?ええ、そうですね、どうかしたと言えばそうですし、そうじゃないと言えばそうではありませんわね」
学校帰りなため未だにお嬢様モードの守は、こちらを向くと頬に手をあて小首を傾げる。
眉尻を下げて淡い苦笑を浮かべた彼女は、ノンフレームの眼鏡の奥の瞳を細め煌かせた。
ちらりと浮かんだ表情は複雑そうで、一体何があったのかと好奇心が胸を誘う。
我慢しきれずに玄関のノブを奪うとそのまま一気に開け放った。
「・・・・・・薔薇?」
「ええ、薔薇ですわね」
広いエントランスにぽつんと落ちた一輪の薔薇。
夕日の赤よりワインの赤に近いそれは、正式な名称は知らずとも美しく、端整に手を篭めて作られたものだと知れた。
がくの上から花だけを摘み取られたのだろう。可憐な花びらが白い床に散り、艶やかなコントラストを描いている。
「何で、薔薇」
「今日だからでしょうね」
「今日?今日、何かあったっけ?」
「ええ、一応。───どうやら私宛に来客があったようです」
嘆息しながら床へとしゃがみ込んだ守は、花弁が落ちきらないよう気をつけながら薔薇を己の掌に掬った。
そうしてポケットからハンカチを取り出しそっと乗せる。
「全く仕方ない方。これでは花も可哀想でしょうに」
リビングまでの道のりに点々と続く薔薇を拾いながら、呆れも含んだ息を吐き出す。
いつもならこの過程で数人の使用人とすれ違うはずなのに、今日に限っては一人も顔を合わせない。
守に忠実な老執事も、きっちりと仕事をこなすメイドたちも一体何処に消えてしまったのか。
呆れ交じりの表情で迷いなく進む彼女は何処に居いるか判っているようだが、今までにない不思議にフィディオは目を瞬かせた。
だがその驚きはリビングに入るまでで、足を踏み入れたそこで新たな驚きに塗りつぶされた。
日当たりのいい大きな窓が特徴的な居心地のいいリビングの、10人は軽く座れそうな大きなテーブル。
飾られた一輪挿しの花瓶には床に落ちていたものより淡い色合いのピンクの愛らしい薔薇が、そしてテーブルの上には所狭しと葉がついたままの真紅の薔薇が絨毯のように敷き詰められていた。
そんな中ポツリと一箇所だけ色が違う場所があり、近づけば青が混じった白いカードが置かれている。
思わず手を伸ばそうとし、横から伸びた手に静止された。
「マモル?」
「・・・これは一応私宛ですわ」
囁き、開いたカードには文章は何も書かれていない。
それでも明確に自分宛と断じた守は丁寧にカードを閉じると裏面を向けた。
そこに書かれた文字に、フィディオはひょいと眉を上げると口笛を鳴らす。
「Secret Admirerer?」
「日本人の感覚からすると、あまり忍んでいるようには見えませんけれども。───いらっしゃるのでしょう、エドガー様?」
「エドガー?」
小首を傾げて守が声を掛けた奥の部屋に通じるドアを見れば、ゆっくりと開いたそこから端正な顔をした長身の少年が顔を出す。
彼が来ていると知らなかったフィディオは素直に驚きを表現したが、隣の少女は呆れ混じりのため息を吐き出しただけだった。
ポーカーフェイスを気取りながらも目尻を淡く染め上げたエドガーは、守に向け微かに笑んだ。
「こんにちは、エドガー様。ご機嫌麗しゅうございます」
お嬢様モード特有のたおやかでお淑やかな仕草でスカートの端を掴み一礼をした守の動作は、流れるような洗練された上品なもので流石財閥の令嬢と言ったところだ。
しかしながら普段の守を知っているフィディオとしては、感心はしても今更上辺の態度に感慨を受けるでもない。
あくまで一般人のフィディオには上流階級のやりとりは少し面倒にも見えるが、エドガーと守のやり取りは彼ら自身の気品が浮き立つようで見ていて飽きるものじゃなかった。
一礼した守に軽く胸に手を添えて礼を返したエドガーは、彼女の手を取り甲に唇を落とす。
絵画の一枚のように絵になる二人は、視線を絡ませるとそのまま距離を置いた。
「一月近くぶりだな、マモル。健勝だったか?」
「はい、エドガー様。エドガー様こそお元気そうで何よりですわ」
「フィディオも、久しいな」
「はは、てっきり忘れられてるかと思ったよ。エドガーも相変わらだね」
「・・・どういう意味か聞きたくなる言い回しだが、今回は止めとこう」
守に見せた甘い笑みとは違い、愉快そうに口の端を持ち上げたエドガーが差し出した手を握るとフィディオも同じように笑みを返す。
以前はもう少しつんとしたイメージだったが、守を通じて随分と親しくなった。
フィディオとエドガーが世間話をしている内に手早くテーブルの上の薔薇をかき集めた守の合図で、どこからか現れた老執事が紅茶セットを持ってくる。
薔薇で膨らんだハンカチを彼に渡すと、自身は両手いっぱいに抱えた守は花瓶を用意するように伝えた。
「あの薔薇、君が用意したのかエドガー?」
「───何のことだ?」
「何って・・・」
「フィディオ様、今日が何の日かご存知?」
「今日?今日は2月14日、Festa degli innamoratiだけど?」
「そう。つまりはそういうことですわ」
「・・・全く判らないよ」
要領を得ない守に首を傾げる。
遠まわしな言い回しは彼女らしくないが、ある意味彼女らしい。
眉根を寄せたフィディオに苦笑した守は、用意された花瓶に薔薇をいけると片手を上げて合図して使用人たちを部屋から退出させた。
広いリビングから自分たち以外の人影が消えるのを待ち、ノンフレームの眼鏡を外す。
それをテーブルに置きこちらを向けば、もう彼女の雰囲気は一変していた。
「とりあえず、座れよフィディオ。エドガーも。うちの執事の紅茶は美味いぞ」
「そうだな。紅茶に関しては君よりも腕前は上だろう。もっとも、それも君がその気になればすぐに逆転するのだろうが」
「でも俺は紅茶じゃなくて珈琲派だからな。極める気もないし。それに、俺が美味い紅茶を飲みたいときはお前が淹れてくれるんだろう?」
「───全く、君という人は」
くつくつと喉奥で笑ったエドガーは招かれるままに席に腰を下ろし、彼に釣られフィディオも指定席としている椅子に座る。
すぐに上品な意匠のカップが置かれ、湯気が立つ琥珀色の飲み物はすっきりとした独特の芳香を運んだ。
給仕を終えた少女が腰掛けるのを見計らい、恥じらいを浮かべながらエドガーが何処からともなく小花柄の紙袋を差し出す。
「何?」
「私が作ったスコーンだ。良ければお茶請けにしてくれ」
「お前ね、そう言うのは座る前に言えよ。日本じゃ頂き物は出すのが礼儀なんだぞ」
「日本の礼儀など知らない。私は君へのプレゼントとして持ってきたんだ」
「───それもバレンタイン?」
「そんなわけなかろう」
「はいはい。皿に盛ってくるからちょっと待ってろ」
鋭い視線を向けたエドガーにひょいと肩を竦めた守は、嘆息すると席を立ち上がり部屋から出て行った。
皿が置いてあるキッチンはここじゃない別室にあるので、帰ってくるまでに紅茶も冷めてしまうだろう。
もっとも守は本人が言うとおりに紅茶通でもないので冷えた紅茶でも平然と飲み下す。
イギリス人らしく紅茶に五月蝿いエドガーがその様をじとりとした目で睨んでも全く意に介さない。
しかしながら今回の場合は彼が原因であるので流石にそんなに睨んだりもしないだろうけど。
そこまで考えて、当初の疑問を思い出し優雅に紅茶を啜る少年に視線を戻し口を開いた。
「それで、エドガー。この薔薇は結局君が用意したものじゃないのか?」
一輪挿しのピンクの薔薇と、新たな花瓶に豪奢に飾られた真紅の薔薇を指差し小首を傾げる。
紅茶のカップに口をつけたエドガーは、フィディオの言葉に顔を上げた。
「マモルがヒントも与えたし、お前も言っていただろう?」
「何を?」
「今日はイタリアで言うFesta degli innamoratiだ」
「だから?恋人たちの日は恋人同士が祝う日だろ?───それとも、許婚は恋人同士に入るのか?」
問いかけて胸のどこかがずきりと痛む。
風邪でも引いたのだろうかとセーターの上から心臓の上を掴むが、もう疼痛は失せていた。
気のせいかと再びエドガーに視線を戻すと、優雅に微笑んだ少年は人差し指を振りウィンクをした。
「そのイベントは世界に多く広まっているが、各国において特色が少しずつ違う。例えばイタリアでは恋人の日であるように、日本では女性から男性に愛を告白したり、親しい人間に義理を篭めてチョコを贈ったりもする。そして我が国イギリスでは、好いた相手に密かに想いを伝える日だ」
「密かに?」
「そうだ。直接愛を告白するのではなく、贈り主不明の相手から情熱的なプレゼントを渡されるのはミステリアスで驚きに満ちているだろう?」
「じゃあ、やっぱりあれはエドガーからなんだ。どうしてカードの宛名に名前を書かないで『あなたを密かに想う誰かより』ってしたの」
「名前を書くのはスマートじゃない。本来ならロマンチックな詩を添えたり、『Be my Valentine』とか『My Heart belongs to you』もしくは『SWALK』などと記入するのが一般的だ」
「SWALK?」
「『Sealed with a loving kiss』の略だ。ちなみに以前それを書いて贈ったのだが、英語を勉強中のユウトに詰め寄られマモルに笑顔で怒られたのでやめている」
納得いかないと眉根を寄せたエドガーは、それでも満足げだった。
イタリアのイベントが恋人限定なのが基本なのに対し、イギリスや日本は少し赴きは違っても好きな相手に想いを伝える日らしい。
そしてイギリスでは随分とロマンチックな日らしい。
女性に対しての扱いを考えると、ある意味らしいと言えばらしいけれど。
「それでマモルは相手が誰か判っても知らないフリをしたんだな」
ぽつりと呟いた言葉にエドガーが口角を持ち上げた。
きっと相手が誰か判っていても言わぬが花と言うのだろう。
「恋にはスリルがつきものだ」
訳知り顔で頷いた彼は、まさしく恋する少年だった。
初恋もまだのフィディオには時折彼が大人びて見える。
守は、彼の想いを一身に注がれる少女はどうなのだろう。
彼女は確かにエドガーに気を許しているが、溺愛する弟のようにあけすけに愛を注いでいない。
むしろどこか冷たく厳しさすら漂う態度をしているが、それすら特別と知っている自分は、一体何が納得し切れていないのだろう。
もやもやとする感情を嚥下出来ずに柳眉を顰めると、軽快なノックの後勢い良くドアが開いた。
「・・・マモル、もう少し品良く行動できないのか?」
エドガーの言葉に眉を吊り上げた守はわざとらしいまでにお淑やかにドアを閉めると、彼をぎろりと睨み付けた。
怒り心頭に発するとばかりにきりきりと苛立ちを露にする愛らしい顔は珍しく紅潮している。
一体何があったのかと先ほどまでのもやもやした感情も忘れて注視した。
「品良く行動できないのか、じゃねーよ!お前なんだよ、これ!」
「・・・スコーンだが?」
「スコーンだが?じゃない!お前この間手作りスコーンを有人に渡してたよな」
「ああ。君に作り方を教わり私が作ったものを謝礼代わりに渡した。君も見ていただろう?」
「お前、こんな劇物人の弟に渡してくれたのか!?ふざけるなよ!!」
「劇物?」
「さっき皿を取りに行ったとき、使用人に勧められて一口齧ったんだ。そしたらなんだ、このスコーン!じゃりっとしてぬめっとしてかさついた挙句に、口内の水分全部奪って激辛成分が支配したわ!お前日本人の美食文化舐めんじゃねえぞ!こんなのスコーンと認めるか!!人の弟になんてもの食わしてくれてんだ!」
流れるような罵倒にぱちりと瞬きをする。
口は悪いが寛容で気が長い守のあからさまな怒りを初めて見るフィディオはもとより、普段から少しばかり冷たい扱いを受けているエドガーも戸惑うように瞬きを繰り返す。
怒りで頬を赤らめたままの守が皿に綺麗に盛られたスコーンをエドガーに差し出すと、彼はゆるりと首を傾げて一口齧った。
「・・・普通のスコーンの味だが」
「嘘付け!それが普通なら全世界で普及しているスコーンに謝罪しろ!フィディオ、お前も何とか言ってくれ!」
「なんとかって言われても・・・じゃあ、俺も一口」
綺麗に焼けているスコーンを齧ると、なんとも言えない不快感が広がる。
中は生焼け外は見た目より遥かに乾燥し、子供の頃戯れで口にした砂のような食感だ。
口内の唾液が乾いたスポンジに奪われるよう水分を失くし、最後にはなんとも言えない刺激が下に広がった。
なんだろう。麻痺したように痺れる舌は、辛いというより痛い。
期待した眼差しを向けるエドガーを正面から見つめ、フィディオは評価を下した。
「これ、食べ物じゃないと思う」
「!!?」
ショックを受けた顔でよろめいたエドガーに、弟に劇物を食べさせたと詰め寄る守は容赦なかった。
それでも結局は最後までスコーンを食べきった守は律儀とでも言うべきか義理堅いと言うべきなのか。
何だかんだで優しい彼女の感情は、やはりフィディオには読みきれなかった。
とりあえず理解できたのは、目の前の端正な顔立ちの少年の味覚が、些か残念だという部分だけ確信は出来た。
「マモル!」
いつもの練習場所で両手を振るフィディオに小さく笑うと、守は彼に駆け寄った。
いくら日本より南に位置する国だとしても冬は寒く、白いダウンジャケットに同色のセーター、更に黒いパンツとスニーカーを合わせた守は、パーカーにジーパン姿のフィディオに小首を傾げる。
彼が寒さに強いとしても寒すぎる格好に、こちらが身震いしてしまいそうだ。
イギリスの冬で鍛えられた守ですら少し寒いと思うくらいだから、現地育ちのフィディオはもっと寒さを感じているだろう。
「久し振り、フィディオ。約三週間ぶりか?」
「ああ。久し振り!今日来るならメールくれれば良かったのに。そうしたらこの間渡しそびれたクリスマスプレゼントを渡せた」
「別にいいって言ったのに。でも、サンキュ。一月は少し予定がずれたから、三月の初旬までこっちに居る予定なんだ。四月には向こうで学年が上がるから一度戻るけど、一月きっかりは居られるからまだ時間はあるし」
「そう?それならいいけど」
「・・・ってか、お前それ寒くないの?イギリスの冬で鍛えられた俺ですら肌寒いのに」
「ああ、サッカーをしてたから。それに俺もジャケットとマフラーと手袋は持ってきてるし。あ、あと守からのプレゼントの帽子も」
「お、あれ使ってくれてんの?」
「当然だろ。あれ本当に手編み?毛糸もほわほわで気持ちいいし、サッカーボールのワンポイントがお洒落だよね」
「気に入った?」
「ああ。ありがとう」
にこり、と笑ったフィディオは、嬉しそうに頷いた。
その様子に守も笑顔を返す。
喜んでくれたなら編んだ甲斐があるというものだ。
実は守が手編みの品をプレゼントしたのは、チームメイトにフィディオにエドガー、一郎太に鬼道の父、さらに影山と世話になっている使用人と結構な人数に上る。
一人一人デザインを考えて編んでいるので、九月からこつこつと作っていた。
基本的に値段は毛糸代のみだが、その分手間がかかっているので喜んでもらえると嬉しい。
手作りだと少し重いかと思ったが、フィディオやチームメイトにはその心配はなかったらしい。
フィディオに贈ったのは彼のイメージである瞳の青をベースに、サッカーボールのワンポイントと、イニシャルを縫いこんだ帽子だ。
大々的に柄を入れていないのでスタイリッシュなデザインに仕上がり、中々の自信作だった。
多少寝不足になる夜もあったが、ありがとうの一言で報われる。
にへらと笑み崩れた守に目を丸くしたフィディオは、ふと何かを思い出したように柳眉を寄せた。
「そう言えば、思い出したけどこの間の試合はなんだったんだ?」
「この間?っていうと、新年のあれ?」
「そう。あんなマモルらしくない試合初めてだ。何かあったのか?」
「うーん、あったと言えばあったな。実は、あの日エドガーの実家で開かれるパーティーに出席予定だったんだけど、俺がどうしてもあの試合に出たくて、あいつを巻き込んでイタリアへ来たんだ。それで試合の途中でタイムアップ。チームの皆にも俺の我侭聞いてもらって、昨日一人一人に謝りに行ったんだ」
「どうしてって、聞いてもいい?」
彼らしい気遣いのある聞き方に、少しだけ微笑む。
するとそれこそが答えだと気がついたフィディオは、肩を竦めると話題を変えた。
「あの試合のシュート、凄く綺麗だった。『ムーンダスト』だったっけ。やっぱり、名前の通り月をイメージして作ったんだろ?銀に鈍く光る月が砕けて、欠片が花弁のように舞い散るさまは壮観だった」
「ありがと」
本当は月ではなく、同じ名を持つ花のイメージだと訂正するのは簡単だが、どうせ二度と使う気がない技なので言葉を受け流した。
確かにあの技は名前や印象から考えると月にちなんだものだと勘違いしやすいだろう。
本当のことを知るのは守が自分から種明かしをした許婚と、伝えたいと願った相手だけ。
スペインの国花を模した技は、天国の彼にも見えただろうか。
少なくとも、彼の父に託した献花だけでも届けばいいと、彼の旅立ちに立場的に立ち会えぬ身としては密かに願う。
もっと時間があったなら、きっと彼とは親友になれた。
サッカーを愛する人間として、男女を越えた枠で友情を結べただろう。
今でも胸を締め付ける寂寥に首を振ると、不思議そうに蒼い瞳を瞬かせる彼に微笑みかけた。
「実は、また他にも新しい技を開発中なんだ」
「え!?本当なのか?」
「おう、マジ。今度もシュート技。だから特訓付き合ってくれよ」
「勿論!でもマモルがまたシュートを会得すると俺としては困るのか?」
「はは、ライバルには張り合いがあるほうがいいだろ?それに、なんならお前も俺の技を盗めばいい」
「マモルの技を?」
「ああ。もっとも、そう簡単に盗ませる気も、態々解説する気もねえけどな」
ぱちり、とウィンクをすると、じわじわと頬を興奮で赤らめたフィディオは好戦的に瞳を輝かせる。
咄嗟の話題変更は彼の好奇心を擽ったらしい。
気がつけば吐息が触れ合う距離に顔があり、こつりと額をつき合わせた。
「俺に君の技が奪えないと思う?」
「お前に俺の技が奪えると思うのか?」
年齢にしてはふてぶてしい笑みを浮かべた二人組みは、暫くお互いの瞳を見詰め合い───不意に声を大にして笑った。
けらけらと先ほどまでの緊迫感溢れる雰囲気は嘘だったかのように笑い、そしてゆるりと口角を上げる。
笑いの発作は互いに治まらず、くつくつと喉を震わせたまま。
「何、その尊大な言い草」
「マモルこそ。どれだけ自信家なんだ」
腹を抱えて笑うのは久し振りな気がする。
冬の青一色の空に声が響き吸い込まれる。
そんな些細なことが楽しくて面白くて仕方ない。
笑いすぎて目尻に浮かんだ涙を指先で拭うと、同じような仕草をフィディオもしていて、視線が絡みまた笑えてくる。
互いの背中を叩き合い、肩を組んで体を揺らす。
「頼むぜ、ライバル。切磋琢磨したほうがいい技が生まれるってもんだ」
「任せろ、ライバル。君とプレイするのは楽しくて刺激的だ」
ぱちり、と至近距離でウィンクし、くすくすと喉を震わす。
久し振りに戻ったイタリアの空は、覚えている通りの親友の瞳と同じ蒼さで守を迎えてくれた。
いつもの練習場所で両手を振るフィディオに小さく笑うと、守は彼に駆け寄った。
いくら日本より南に位置する国だとしても冬は寒く、白いダウンジャケットに同色のセーター、更に黒いパンツとスニーカーを合わせた守は、パーカーにジーパン姿のフィディオに小首を傾げる。
彼が寒さに強いとしても寒すぎる格好に、こちらが身震いしてしまいそうだ。
イギリスの冬で鍛えられた守ですら少し寒いと思うくらいだから、現地育ちのフィディオはもっと寒さを感じているだろう。
「久し振り、フィディオ。約三週間ぶりか?」
「ああ。久し振り!今日来るならメールくれれば良かったのに。そうしたらこの間渡しそびれたクリスマスプレゼントを渡せた」
「別にいいって言ったのに。でも、サンキュ。一月は少し予定がずれたから、三月の初旬までこっちに居る予定なんだ。四月には向こうで学年が上がるから一度戻るけど、一月きっかりは居られるからまだ時間はあるし」
「そう?それならいいけど」
「・・・ってか、お前それ寒くないの?イギリスの冬で鍛えられた俺ですら肌寒いのに」
「ああ、サッカーをしてたから。それに俺もジャケットとマフラーと手袋は持ってきてるし。あ、あと守からのプレゼントの帽子も」
「お、あれ使ってくれてんの?」
「当然だろ。あれ本当に手編み?毛糸もほわほわで気持ちいいし、サッカーボールのワンポイントがお洒落だよね」
「気に入った?」
「ああ。ありがとう」
にこり、と笑ったフィディオは、嬉しそうに頷いた。
その様子に守も笑顔を返す。
喜んでくれたなら編んだ甲斐があるというものだ。
実は守が手編みの品をプレゼントしたのは、チームメイトにフィディオにエドガー、一郎太に鬼道の父、さらに影山と世話になっている使用人と結構な人数に上る。
一人一人デザインを考えて編んでいるので、九月からこつこつと作っていた。
基本的に値段は毛糸代のみだが、その分手間がかかっているので喜んでもらえると嬉しい。
手作りだと少し重いかと思ったが、フィディオやチームメイトにはその心配はなかったらしい。
フィディオに贈ったのは彼のイメージである瞳の青をベースに、サッカーボールのワンポイントと、イニシャルを縫いこんだ帽子だ。
大々的に柄を入れていないのでスタイリッシュなデザインに仕上がり、中々の自信作だった。
多少寝不足になる夜もあったが、ありがとうの一言で報われる。
にへらと笑み崩れた守に目を丸くしたフィディオは、ふと何かを思い出したように柳眉を寄せた。
「そう言えば、思い出したけどこの間の試合はなんだったんだ?」
「この間?っていうと、新年のあれ?」
「そう。あんなマモルらしくない試合初めてだ。何かあったのか?」
「うーん、あったと言えばあったな。実は、あの日エドガーの実家で開かれるパーティーに出席予定だったんだけど、俺がどうしてもあの試合に出たくて、あいつを巻き込んでイタリアへ来たんだ。それで試合の途中でタイムアップ。チームの皆にも俺の我侭聞いてもらって、昨日一人一人に謝りに行ったんだ」
「どうしてって、聞いてもいい?」
彼らしい気遣いのある聞き方に、少しだけ微笑む。
するとそれこそが答えだと気がついたフィディオは、肩を竦めると話題を変えた。
「あの試合のシュート、凄く綺麗だった。『ムーンダスト』だったっけ。やっぱり、名前の通り月をイメージして作ったんだろ?銀に鈍く光る月が砕けて、欠片が花弁のように舞い散るさまは壮観だった」
「ありがと」
本当は月ではなく、同じ名を持つ花のイメージだと訂正するのは簡単だが、どうせ二度と使う気がない技なので言葉を受け流した。
確かにあの技は名前や印象から考えると月にちなんだものだと勘違いしやすいだろう。
本当のことを知るのは守が自分から種明かしをした許婚と、伝えたいと願った相手だけ。
スペインの国花を模した技は、天国の彼にも見えただろうか。
少なくとも、彼の父に託した献花だけでも届けばいいと、彼の旅立ちに立場的に立ち会えぬ身としては密かに願う。
もっと時間があったなら、きっと彼とは親友になれた。
サッカーを愛する人間として、男女を越えた枠で友情を結べただろう。
今でも胸を締め付ける寂寥に首を振ると、不思議そうに蒼い瞳を瞬かせる彼に微笑みかけた。
「実は、また他にも新しい技を開発中なんだ」
「え!?本当なのか?」
「おう、マジ。今度もシュート技。だから特訓付き合ってくれよ」
「勿論!でもマモルがまたシュートを会得すると俺としては困るのか?」
「はは、ライバルには張り合いがあるほうがいいだろ?それに、なんならお前も俺の技を盗めばいい」
「マモルの技を?」
「ああ。もっとも、そう簡単に盗ませる気も、態々解説する気もねえけどな」
ぱちり、とウィンクをすると、じわじわと頬を興奮で赤らめたフィディオは好戦的に瞳を輝かせる。
咄嗟の話題変更は彼の好奇心を擽ったらしい。
気がつけば吐息が触れ合う距離に顔があり、こつりと額をつき合わせた。
「俺に君の技が奪えないと思う?」
「お前に俺の技が奪えると思うのか?」
年齢にしてはふてぶてしい笑みを浮かべた二人組みは、暫くお互いの瞳を見詰め合い───不意に声を大にして笑った。
けらけらと先ほどまでの緊迫感溢れる雰囲気は嘘だったかのように笑い、そしてゆるりと口角を上げる。
笑いの発作は互いに治まらず、くつくつと喉を震わせたまま。
「何、その尊大な言い草」
「マモルこそ。どれだけ自信家なんだ」
腹を抱えて笑うのは久し振りな気がする。
冬の青一色の空に声が響き吸い込まれる。
そんな些細なことが楽しくて面白くて仕方ない。
笑いすぎて目尻に浮かんだ涙を指先で拭うと、同じような仕草をフィディオもしていて、視線が絡みまた笑えてくる。
互いの背中を叩き合い、肩を組んで体を揺らす。
「頼むぜ、ライバル。切磋琢磨したほうがいい技が生まれるってもんだ」
「任せろ、ライバル。君とプレイするのは楽しくて刺激的だ」
ぱちり、と至近距離でウィンクし、くすくすと喉を震わす。
久し振りに戻ったイタリアの空は、覚えている通りの親友の瞳と同じ蒼さで守を迎えてくれた。
マフラーを掴んだ瞬間に雰囲気の変わった少年に目を見張る。
先ほどまでディフェンスをしていたときはおっとりとしていたのに、今では目つきや態度、口調まで違う。
面白い。
緩やかに口角が上がる。
約束どおり染岡は正面からぶつかっているが、熱くなっている状態じゃきっと攻めきれない。
吹雪士郎は予想より遥かに優れた選手らしい。
柔軟な体の動きや、打たれたシュートの軌跡を完璧に読む動体視力。
ディフェンスとしての能力はぴか一だったが、さてオフェンスとしての才能はいかほどか。
一之瀬のショルダーチャージを超え、風丸と鬼道のスライディングタックルも強引に突破した。
その後鮮やかに土門のカットをかわし一直線にゴールへと向かう。
わくわくと鼓動が高鳴る。
体は万全ではないが、充実した気力がそれを補って有り余る。
たった一人で雷門イレブンをごぼう抜きした吹雪が、唇をなめてボールを構えた。
「吹き荒れろ」
挟み込んだボールを中心に回転をかけ、そこから彼の名に相応しく小さな吹雪が現れる。
一度こちらに背を向けた彼は、体を回して勢いをつけて宙に上がった。
「エターナルブリザード!!」
雪の結晶を撒き散らしながら勢いよく向かってくるボールをぎりぎりまで観察する。
風を巻き込み、十分にスピードを乗せたそれは、微かなカーブを描いて円堂に向かった。
真正面。
舐められているのか、それとも様子見のつもりなのか。
どちらにせよ面白い。
拳を脇にためて宙に翳す。
「ゴッドハンド!」
咄嗟に選択した技は、負担は少ないが彼のシュートを完璧に止めるには多少タイミングがずれたらしい。
ボールの軌跡は変えれたがキャッチには至らず、ゴッドハンドが端から凍りついて行く。
ゆるり、と口角が持ち上がる。
甲高い音を立てて破壊された技の咄嗟のカバーもせずに、横を流れるボールを見送った。
ちらり、と視線で瞳子を見れば、一つ頷いた彼女は制止の声を響かせた。
「そこまで!試合、終了よ!」
瞳を見開いた染岡が納得できないとボールを奪い相手ゴールへと責め行く。
瞳子から鋭い視線を向けられたが、そ知らぬ顔で口笛を吹いた。
染岡の足元へボールを戻したのは円堂だ。
鬱憤が溜まっていた染岡は真正面から吹雪に挑み、ボールを宙に上げた。
だが。
「染岡!」
単純な力比べに押し負けたのは、吹雪よりも背丈も体格もいい染岡で、吹っ飛ばされて地面へと彼は叩きつけられた。
受身も取れない状態に流石に心配になり駆け寄る。
地に伏した染岡に嗤いかけた吹雪は、挑発的に雷門の面々を睨んだ。
「この程度じゃ話にならねぇ!もっと楽しませろ!!」
彼の言い草にぴりぴりとした雰囲気を漂わせる仲間たちは、白恋中を格下とみなすのはやめたらしい。
否、白恋中をと言うより、吹雪士郎をと言った方が確実だろうか。
仲間の一人をやられて気を引き締めた仲間を横目に、円堂は吹雪を観察し続けた。
どうもおかしい。
ディフェンダーとして動いていたときと比べ、何もかもが違いすぎる。
基本的な性能はともかく、動き、口調、態度、雰囲気。そして何よりもあの好戦的な目の輝き。
どれをとってもまるで『別人』のようだ。
再び攻め入るのかと身構えた仲間を嘲笑うようにセンターからシュート体勢に入った吹雪は、超ロングシュートを打ってきた。
「井の中の蛙大海を知らず、か」
彼は確かにいいプレイヤーだが、まるで自分が最強と信じ込んでいるようだ。
きっと同年代の相手に負けたことがないのだろう。
負けを知らぬプレイヤーは本当の意味で強くなれない。
今度は様子見ではなく本気で取るつもりで迫りくるボールを睨み付ける。
しかし直接叩き込まれるかと思ったシュートは、間に入った二人に勢いを殺された。
「ザ・タワー!!」
「ザ・ウォール!!」
塔子と壁山の技の出現に目を見張る。
つい先日までならこのタイミングで技を出せたりしなかっただろう。
地道な特訓は実を結び、彼らに確かな実力を与えている。
吹雪のシュートの前に二人の力は及ばないが、大した成長だと円堂は小さく微笑んだ。
おかげさまで吹雪士郎のシュートと、その特徴を十分に観察させてもらえた。
砕けたタワーと土壁を確認し、そこから技の体勢に移行する。
完全に間に合うタイミング。実践により目と体を強制的に慣らしたお陰で、完璧に止められるはずだった。
「マジン───」
ずくり、と心臓が脈動し息が詰まる。
全身が凍りつき、どっと冷や汗が流れた。
嫌な感覚に心臓に集まりかけていた気が僅かに弱まり、技が発動する前に霧散しそうになる。
飛び散りそうな気を無理やりにかき集め、痛みを堪えて開放した。
「ザ・ハンド!!」
黄金色の魔人が円堂の呼び声に応えて出現する。
しかし当然技にはいつもの切れはなく、吹雪のエターナルブリザードに掠めた瞬間魔人は掻き消えた。
それでも軌道をずらすのには成功したらしく、ボールはネットではなくポストの上に逸れて行く。
くっと息を飲み込み片膝をつくと、周囲に気取られないよう心臓を押さえた。
「守!」
「───大丈夫。あーあ、止めれると思ったんだけどな」
駆け寄ろうとした一之瀬を片手で制すると、ゆっくりと体を起こす。
一之瀬だけではなく周囲の視線は集中していて、ことさら余裕を見せるように微笑んだ。
心配そうにこちらを見ていた仲間たちの表情があからさまに緩み、少しだけ驚いたようにしている吹雪にウィンクする。
緩やかに呼吸を整えながら、未だに倒れ付す壁山と塔子に近づき二人の腕を掴んで起こした。
力を篭めた瞬間、一瞬だけ強く胸が痛み、ゆっくりと引いていく。
流した冷や汗をさり気無い仕草で拭い、二人の顔を覗きこんだ。
「二人とも大丈夫か?」
「はい、キャプテン」
「しっかし凄いな。ディフェンス二人がかりでもコースを外させるので精一杯」
「なーに言ってんの。あのシュートのコースを外させたお前らも十分凄いよ。少なくともこの間のエイリア学園戦のお前らなら無理だった。この短期間で大分成長してるぞ」
「え・・・?」
「そうっすか?」
「ああ、そうだ。それにどんな強力なシュートでもゴールに入らなきゃ意味はない。点にならないんだからな」
少しだけ落ち込み気味の二人の頭を撫でれば、褒められて嬉しかったのか目尻を染めて頷いた。
「姉さん、この方法使えませんか?どんな強力なシュートでもこの方法なら」
「ああ。少しばかり消極的だが、それでもいい手だと思う。もっとも、ディフェンスに負担が掛かりすぎるとこは要改良だけどな」
「ですが勝利への足掛けは見えました。───俺たちは、勝てます」
「ああ」
強い眼差しを向けた弟に、小さく微笑む。
そして視線を吹雪へと向けた。
悔しげに睨み付けていた少年は、マフラーに触れるとおっとりとした態度に変わる。
円堂が彼を見ているのに気づくと、小さく微笑んだ。
また雰囲気が一変している。いいや、一変したというより元に戻ったというべきか。
どうやら一癖ありそうな少年を眺め、ずれた眼鏡を指の腹を使い押し上げた。
今度こそ瞳子の終了の合図が響き試合は中断される。
悔しげに地面を蹴りつける染岡を横目に、円堂は吹雪へと近づいた。
「凄いぜ吹雪。あんなびりびり来るシュート久し振りだ」
「久し振り?君は前にも僕と同じくらいの威力のシュートを受けたことがあるの?」
きょとんと瞬きをして問う吹雪に笑顔を浮かべる。
彼よりも円堂の世界はもう少しだけ広い。
しかし『是』と答え過去を露出する気がない円堂は、ただ黙っていた。
そうすれば人は大体自分が知りたい方向へ勘違いするものだ。
「ああ、そうか。君はエイリア学園とやらとプレイしているんだっけ?なら凄いシュートも何発も受けてるんだろうね」
「そうだな」
否定でも肯定でもなく同意をすれば、勝手に納得してくれたらしい吹雪はまた笑顔を見せた。
端整な顔に浮かぶ無邪気な笑顔は、純粋に可愛い。
「でも僕のシュートに触れることが出来たのも君が始めてさ」
「ああ、やっぱりな」
「やっぱり?」
「いーや、こっちの台詞」
不思議そうに小首を傾げる吹雪の頭をくしゃくしゃと撫でてやる。
すると先日頭を拭いてやったときと同じように、『わぷっ』と変な声を上げた。
ぐらぐらと遠慮なく首を揺する勢いで頭を撫でつつ、『吹雪士郎』を観察する。
円堂の考察どおり、彼は『井の中の蛙』だ。
確かに今雷門に居る誰よりシュート力を持ちエースになる期待はあるが、反して危うい気配がする。
受け止められたことがないシュート。
それが止められたとき、彼は今と同じ戦力で居続けるのだろうか。
誘ってもいいものか。否、誘うべきなのか。
監督である瞳子の視線で窺えば、こくりと一つ頷いた。
監督からの合図にほんの一瞬だけ惑うように視線を彷徨わせ、それでも彼女の無言の指示に従った。
先ほどまでディフェンスをしていたときはおっとりとしていたのに、今では目つきや態度、口調まで違う。
面白い。
緩やかに口角が上がる。
約束どおり染岡は正面からぶつかっているが、熱くなっている状態じゃきっと攻めきれない。
吹雪士郎は予想より遥かに優れた選手らしい。
柔軟な体の動きや、打たれたシュートの軌跡を完璧に読む動体視力。
ディフェンスとしての能力はぴか一だったが、さてオフェンスとしての才能はいかほどか。
一之瀬のショルダーチャージを超え、風丸と鬼道のスライディングタックルも強引に突破した。
その後鮮やかに土門のカットをかわし一直線にゴールへと向かう。
わくわくと鼓動が高鳴る。
体は万全ではないが、充実した気力がそれを補って有り余る。
たった一人で雷門イレブンをごぼう抜きした吹雪が、唇をなめてボールを構えた。
「吹き荒れろ」
挟み込んだボールを中心に回転をかけ、そこから彼の名に相応しく小さな吹雪が現れる。
一度こちらに背を向けた彼は、体を回して勢いをつけて宙に上がった。
「エターナルブリザード!!」
雪の結晶を撒き散らしながら勢いよく向かってくるボールをぎりぎりまで観察する。
風を巻き込み、十分にスピードを乗せたそれは、微かなカーブを描いて円堂に向かった。
真正面。
舐められているのか、それとも様子見のつもりなのか。
どちらにせよ面白い。
拳を脇にためて宙に翳す。
「ゴッドハンド!」
咄嗟に選択した技は、負担は少ないが彼のシュートを完璧に止めるには多少タイミングがずれたらしい。
ボールの軌跡は変えれたがキャッチには至らず、ゴッドハンドが端から凍りついて行く。
ゆるり、と口角が持ち上がる。
甲高い音を立てて破壊された技の咄嗟のカバーもせずに、横を流れるボールを見送った。
ちらり、と視線で瞳子を見れば、一つ頷いた彼女は制止の声を響かせた。
「そこまで!試合、終了よ!」
瞳を見開いた染岡が納得できないとボールを奪い相手ゴールへと責め行く。
瞳子から鋭い視線を向けられたが、そ知らぬ顔で口笛を吹いた。
染岡の足元へボールを戻したのは円堂だ。
鬱憤が溜まっていた染岡は真正面から吹雪に挑み、ボールを宙に上げた。
だが。
「染岡!」
単純な力比べに押し負けたのは、吹雪よりも背丈も体格もいい染岡で、吹っ飛ばされて地面へと彼は叩きつけられた。
受身も取れない状態に流石に心配になり駆け寄る。
地に伏した染岡に嗤いかけた吹雪は、挑発的に雷門の面々を睨んだ。
「この程度じゃ話にならねぇ!もっと楽しませろ!!」
彼の言い草にぴりぴりとした雰囲気を漂わせる仲間たちは、白恋中を格下とみなすのはやめたらしい。
否、白恋中をと言うより、吹雪士郎をと言った方が確実だろうか。
仲間の一人をやられて気を引き締めた仲間を横目に、円堂は吹雪を観察し続けた。
どうもおかしい。
ディフェンダーとして動いていたときと比べ、何もかもが違いすぎる。
基本的な性能はともかく、動き、口調、態度、雰囲気。そして何よりもあの好戦的な目の輝き。
どれをとってもまるで『別人』のようだ。
再び攻め入るのかと身構えた仲間を嘲笑うようにセンターからシュート体勢に入った吹雪は、超ロングシュートを打ってきた。
「井の中の蛙大海を知らず、か」
彼は確かにいいプレイヤーだが、まるで自分が最強と信じ込んでいるようだ。
きっと同年代の相手に負けたことがないのだろう。
負けを知らぬプレイヤーは本当の意味で強くなれない。
今度は様子見ではなく本気で取るつもりで迫りくるボールを睨み付ける。
しかし直接叩き込まれるかと思ったシュートは、間に入った二人に勢いを殺された。
「ザ・タワー!!」
「ザ・ウォール!!」
塔子と壁山の技の出現に目を見張る。
つい先日までならこのタイミングで技を出せたりしなかっただろう。
地道な特訓は実を結び、彼らに確かな実力を与えている。
吹雪のシュートの前に二人の力は及ばないが、大した成長だと円堂は小さく微笑んだ。
おかげさまで吹雪士郎のシュートと、その特徴を十分に観察させてもらえた。
砕けたタワーと土壁を確認し、そこから技の体勢に移行する。
完全に間に合うタイミング。実践により目と体を強制的に慣らしたお陰で、完璧に止められるはずだった。
「マジン───」
ずくり、と心臓が脈動し息が詰まる。
全身が凍りつき、どっと冷や汗が流れた。
嫌な感覚に心臓に集まりかけていた気が僅かに弱まり、技が発動する前に霧散しそうになる。
飛び散りそうな気を無理やりにかき集め、痛みを堪えて開放した。
「ザ・ハンド!!」
黄金色の魔人が円堂の呼び声に応えて出現する。
しかし当然技にはいつもの切れはなく、吹雪のエターナルブリザードに掠めた瞬間魔人は掻き消えた。
それでも軌道をずらすのには成功したらしく、ボールはネットではなくポストの上に逸れて行く。
くっと息を飲み込み片膝をつくと、周囲に気取られないよう心臓を押さえた。
「守!」
「───大丈夫。あーあ、止めれると思ったんだけどな」
駆け寄ろうとした一之瀬を片手で制すると、ゆっくりと体を起こす。
一之瀬だけではなく周囲の視線は集中していて、ことさら余裕を見せるように微笑んだ。
心配そうにこちらを見ていた仲間たちの表情があからさまに緩み、少しだけ驚いたようにしている吹雪にウィンクする。
緩やかに呼吸を整えながら、未だに倒れ付す壁山と塔子に近づき二人の腕を掴んで起こした。
力を篭めた瞬間、一瞬だけ強く胸が痛み、ゆっくりと引いていく。
流した冷や汗をさり気無い仕草で拭い、二人の顔を覗きこんだ。
「二人とも大丈夫か?」
「はい、キャプテン」
「しっかし凄いな。ディフェンス二人がかりでもコースを外させるので精一杯」
「なーに言ってんの。あのシュートのコースを外させたお前らも十分凄いよ。少なくともこの間のエイリア学園戦のお前らなら無理だった。この短期間で大分成長してるぞ」
「え・・・?」
「そうっすか?」
「ああ、そうだ。それにどんな強力なシュートでもゴールに入らなきゃ意味はない。点にならないんだからな」
少しだけ落ち込み気味の二人の頭を撫でれば、褒められて嬉しかったのか目尻を染めて頷いた。
「姉さん、この方法使えませんか?どんな強力なシュートでもこの方法なら」
「ああ。少しばかり消極的だが、それでもいい手だと思う。もっとも、ディフェンスに負担が掛かりすぎるとこは要改良だけどな」
「ですが勝利への足掛けは見えました。───俺たちは、勝てます」
「ああ」
強い眼差しを向けた弟に、小さく微笑む。
そして視線を吹雪へと向けた。
悔しげに睨み付けていた少年は、マフラーに触れるとおっとりとした態度に変わる。
円堂が彼を見ているのに気づくと、小さく微笑んだ。
また雰囲気が一変している。いいや、一変したというより元に戻ったというべきか。
どうやら一癖ありそうな少年を眺め、ずれた眼鏡を指の腹を使い押し上げた。
今度こそ瞳子の終了の合図が響き試合は中断される。
悔しげに地面を蹴りつける染岡を横目に、円堂は吹雪へと近づいた。
「凄いぜ吹雪。あんなびりびり来るシュート久し振りだ」
「久し振り?君は前にも僕と同じくらいの威力のシュートを受けたことがあるの?」
きょとんと瞬きをして問う吹雪に笑顔を浮かべる。
彼よりも円堂の世界はもう少しだけ広い。
しかし『是』と答え過去を露出する気がない円堂は、ただ黙っていた。
そうすれば人は大体自分が知りたい方向へ勘違いするものだ。
「ああ、そうか。君はエイリア学園とやらとプレイしているんだっけ?なら凄いシュートも何発も受けてるんだろうね」
「そうだな」
否定でも肯定でもなく同意をすれば、勝手に納得してくれたらしい吹雪はまた笑顔を見せた。
端整な顔に浮かぶ無邪気な笑顔は、純粋に可愛い。
「でも僕のシュートに触れることが出来たのも君が始めてさ」
「ああ、やっぱりな」
「やっぱり?」
「いーや、こっちの台詞」
不思議そうに小首を傾げる吹雪の頭をくしゃくしゃと撫でてやる。
すると先日頭を拭いてやったときと同じように、『わぷっ』と変な声を上げた。
ぐらぐらと遠慮なく首を揺する勢いで頭を撫でつつ、『吹雪士郎』を観察する。
円堂の考察どおり、彼は『井の中の蛙』だ。
確かに今雷門に居る誰よりシュート力を持ちエースになる期待はあるが、反して危うい気配がする。
受け止められたことがないシュート。
それが止められたとき、彼は今と同じ戦力で居続けるのだろうか。
誘ってもいいものか。否、誘うべきなのか。
監督である瞳子の視線で窺えば、こくりと一つ頷いた。
監督からの合図にほんの一瞬だけ惑うように視線を彷徨わせ、それでも彼女の無言の指示に従った。
円堂に連れられて現れた染岡の表情に、風丸はほっと胸を撫で下ろす。
ずっと張り詰めていた空気が緩み、雷門中でサッカーをしていた頃と酷似していた。
何故か頬を赤らめ隣を歩く円堂から不自然に顔を逸らしているし、間に入った秋が何事か言って彼を宥めているように見えたが、円堂があっけらかんと笑っているので大丈夫なのだろう。
グランドで二人を待ちきれなくていつの間にか始まっていた雪遊びの手を止め、彼らの到着を待つ。
少しだけ滑りやすい階段を余裕で降り切った円堂は、ひらひらと手を振った。
「一体何処に行ってたんですか。いきなりいなくなるから、心配したんですよ」
「はは、悪い悪い。でも姿を見たから安心だろ?」
「・・・無断で行動するのは感心しないわ円堂君」
「申し訳ありません、監督。以後注意するよう善処します」
注意する、ではなく注意するよう善処するという言い回しはいかにも円堂らしくて、風丸は小さく笑った。
とどのつまり、気をつけるだけで端から言いなりになる気はないらしい。
一見するとしおらしく言い訳もしないで謝罪しているのに、随分と不遜で彼女らしい。
言質をとらずに要領よく振舞った円堂は、壁山と目金の合作雪だるまを見て目を輝かせる。
「すっげーな、この雪だるま!超特徴捉えててウケる!」
「自信作っす」
「特にここのディティールに僕たちの拘りが出てるんですよ」
胸を張る二人の話を聞き、更に幾つかオプションを付け加える円堂は、監督に名を呼ばれ鎌倉へ向かう。
その様子を見送ってから、風丸は遅れてきた二人に近づいた。
「随分と遅かったんだな。もう少し早ければ、一緒に雪合戦が出来たのに」
「ふふふ、それで皆ずぶ濡れなのね?風邪を引かないようにケアしなきゃ駄目よ」
「ああ、判ってる。ちゃんとタオルも準備万端だ」
そっぽを向いたままの染岡を気にせず話す秋に、風丸は胸を撫で下ろした。
どうやらこんな態度が出来るくらいまで、染岡の気力は回復したらしい。
とげとげしい雰囲気が和らぎ、不機嫌と言うよりどこか拗ねているだけに見えた。
「染岡も、少しはリフレッシュ出来たのか?さっきより随分と雰囲気が柔らかくなってる」
「あのね、染岡君はねぇ」
「ば!木野!止めろ!風丸にその話はやば過ぎる!」
「じゃあ、一之瀬君か鬼道君」
「木野!!」
顔を真っ赤にして怒鳴る染岡に、風丸の勘がぴんと働いた。
先ほど円堂と染岡と秋の三人でどこかに消えた。
そこで風丸と鬼道と一之瀬に聞かれたらまずい何かがあった。
導き出される共通点なんて一つしかなくて、きりきりと眉がつり上がる。
「・・・染岡?」
「いやいやいやいや、本当に何もなかった!何もなかったって言ってるだろ!?」
「何もないなら何故そこまで慌てるんだ・・・?」
「何もないのに疑うからだろ!」
声を裏返して叫ぶ染岡に、すっと瞳を細める。
白か黒かで考えれば、どう考えてもこれは黒だ。
絶対に、何かあったはず。
ぴりぴりと苛立つ風丸に、流石に憐れに思ったのか秋が間に入った。
「そう言えば!円堂君ってすごくマイペースに見えるけど、面倒見いいよね?昔からああだったの?」
強引な話題変更だったが、あまりにも必死な様子に嘆息した。
もう少し染岡を問い詰めたかったが、話題が円堂がらみなので気が緩む。
吊り上げていた目尻を和らげると、こくりと一つ頷いた。
「円堂は昔からああだ。いつだって我侭でマイペースで自由気ままに動いてるようでいて、本音の部分では他人のためばかり動いてる」
「他人のためにばかり?」
「そう。小さい頃からあの人は変わらないんだ。好き勝手やってるように見えるのに、いつだって俺が足を止めれば手を差し伸べてくれる。困ってる人が居れば最初に気がつくし、それと判らないように絶妙のタイミングで手助けをする。まも姉はさ、凄く器用だけど不器用なんだ。俺はあの人の誰かのためじゃない我侭なんて、一つしか知らないよ」
そう、本当に一つしか知らない。
生まれてから十四年の付き合いがあるのに、彼女が本音の部分で訴えた『我侭』なんて、たった一つだけだ。
『サッカーがしたい』
夕日が沈むまでずっとずっと一人きりでサッカーをしている子供を眺めているくせに、家に帰れば本音の願いすら仕舞いこんで笑ってた。
何かをしたい、なんて自発的に望むことはほとんどなかったのに、一番したいと望んでいた唯一すら、彼女は最後まで両親に我を通せなかった。
風丸は覚えている。
サッカーをしてる誰かを見ていた円堂の横顔を。
ガラス玉みたいな大きな瞳で、ただ黙り込んで静かに座っていたあの姿を。
「上辺だけしか見ない奴は、まも姉を明るくて元気で朗らかでって簡単に言うけど、あの人はそんなに自由じゃない。何でも器用に出来るからこそ多くを望まないし、必要としていない。相手に何かを求めたりしないんだ。必要なことを与えるだけ与えて、与えたことすら知らない顔で笑ってる」
「・・・風丸」
「だから、俺はまも姉を守りたい。まも姉が強がりを言わなくて済むくらい、守られるんじゃなくて守れるくらい強くなりたい」
それはずっと前からの風丸の目標。
物心付いたときには、もう彼女しか見えてなかった。
笑顔の裏で空虚な心を抱える円堂の支えになりたかった
大人たちが円堂の笑顔に騙されて本当の『心』を見つけれないなら、自分が見つけて守ればいい。
誰かお姉ちゃんを守って、という願いは、年を経るごとに自分が守るから、に変化して、それは今でも変わらない。
風丸の言葉に目を丸くしていた二人は、顔を見合わせると緩やかに息を吐き出した。
「風丸君って」
「ん?」
「本当に、円堂君が好きなのね」
しみじみとした秋の言葉に、何故か染岡が顔を赤らめた。
どうして何を言われたでもない彼が恥らうのかと首を傾げながら、微かに笑う。
「俺がまだ赤ん坊だった頃、一番最初に呼んだのは円堂の名前だそうだ」
答えにならない答えを返し、誇らしげに胸を張る。
風丸の言葉にきょとんと瞬きを繰り返した秋は、口を押さえて破顔した。
蒼穹にやさしい笑い声が響く。
寒い空だからこそ澄み切った青に目を細め、風丸も声を上げて笑った。
ずっと張り詰めていた空気が緩み、雷門中でサッカーをしていた頃と酷似していた。
何故か頬を赤らめ隣を歩く円堂から不自然に顔を逸らしているし、間に入った秋が何事か言って彼を宥めているように見えたが、円堂があっけらかんと笑っているので大丈夫なのだろう。
グランドで二人を待ちきれなくていつの間にか始まっていた雪遊びの手を止め、彼らの到着を待つ。
少しだけ滑りやすい階段を余裕で降り切った円堂は、ひらひらと手を振った。
「一体何処に行ってたんですか。いきなりいなくなるから、心配したんですよ」
「はは、悪い悪い。でも姿を見たから安心だろ?」
「・・・無断で行動するのは感心しないわ円堂君」
「申し訳ありません、監督。以後注意するよう善処します」
注意する、ではなく注意するよう善処するという言い回しはいかにも円堂らしくて、風丸は小さく笑った。
とどのつまり、気をつけるだけで端から言いなりになる気はないらしい。
一見するとしおらしく言い訳もしないで謝罪しているのに、随分と不遜で彼女らしい。
言質をとらずに要領よく振舞った円堂は、壁山と目金の合作雪だるまを見て目を輝かせる。
「すっげーな、この雪だるま!超特徴捉えててウケる!」
「自信作っす」
「特にここのディティールに僕たちの拘りが出てるんですよ」
胸を張る二人の話を聞き、更に幾つかオプションを付け加える円堂は、監督に名を呼ばれ鎌倉へ向かう。
その様子を見送ってから、風丸は遅れてきた二人に近づいた。
「随分と遅かったんだな。もう少し早ければ、一緒に雪合戦が出来たのに」
「ふふふ、それで皆ずぶ濡れなのね?風邪を引かないようにケアしなきゃ駄目よ」
「ああ、判ってる。ちゃんとタオルも準備万端だ」
そっぽを向いたままの染岡を気にせず話す秋に、風丸は胸を撫で下ろした。
どうやらこんな態度が出来るくらいまで、染岡の気力は回復したらしい。
とげとげしい雰囲気が和らぎ、不機嫌と言うよりどこか拗ねているだけに見えた。
「染岡も、少しはリフレッシュ出来たのか?さっきより随分と雰囲気が柔らかくなってる」
「あのね、染岡君はねぇ」
「ば!木野!止めろ!風丸にその話はやば過ぎる!」
「じゃあ、一之瀬君か鬼道君」
「木野!!」
顔を真っ赤にして怒鳴る染岡に、風丸の勘がぴんと働いた。
先ほど円堂と染岡と秋の三人でどこかに消えた。
そこで風丸と鬼道と一之瀬に聞かれたらまずい何かがあった。
導き出される共通点なんて一つしかなくて、きりきりと眉がつり上がる。
「・・・染岡?」
「いやいやいやいや、本当に何もなかった!何もなかったって言ってるだろ!?」
「何もないなら何故そこまで慌てるんだ・・・?」
「何もないのに疑うからだろ!」
声を裏返して叫ぶ染岡に、すっと瞳を細める。
白か黒かで考えれば、どう考えてもこれは黒だ。
絶対に、何かあったはず。
ぴりぴりと苛立つ風丸に、流石に憐れに思ったのか秋が間に入った。
「そう言えば!円堂君ってすごくマイペースに見えるけど、面倒見いいよね?昔からああだったの?」
強引な話題変更だったが、あまりにも必死な様子に嘆息した。
もう少し染岡を問い詰めたかったが、話題が円堂がらみなので気が緩む。
吊り上げていた目尻を和らげると、こくりと一つ頷いた。
「円堂は昔からああだ。いつだって我侭でマイペースで自由気ままに動いてるようでいて、本音の部分では他人のためばかり動いてる」
「他人のためにばかり?」
「そう。小さい頃からあの人は変わらないんだ。好き勝手やってるように見えるのに、いつだって俺が足を止めれば手を差し伸べてくれる。困ってる人が居れば最初に気がつくし、それと判らないように絶妙のタイミングで手助けをする。まも姉はさ、凄く器用だけど不器用なんだ。俺はあの人の誰かのためじゃない我侭なんて、一つしか知らないよ」
そう、本当に一つしか知らない。
生まれてから十四年の付き合いがあるのに、彼女が本音の部分で訴えた『我侭』なんて、たった一つだけだ。
『サッカーがしたい』
夕日が沈むまでずっとずっと一人きりでサッカーをしている子供を眺めているくせに、家に帰れば本音の願いすら仕舞いこんで笑ってた。
何かをしたい、なんて自発的に望むことはほとんどなかったのに、一番したいと望んでいた唯一すら、彼女は最後まで両親に我を通せなかった。
風丸は覚えている。
サッカーをしてる誰かを見ていた円堂の横顔を。
ガラス玉みたいな大きな瞳で、ただ黙り込んで静かに座っていたあの姿を。
「上辺だけしか見ない奴は、まも姉を明るくて元気で朗らかでって簡単に言うけど、あの人はそんなに自由じゃない。何でも器用に出来るからこそ多くを望まないし、必要としていない。相手に何かを求めたりしないんだ。必要なことを与えるだけ与えて、与えたことすら知らない顔で笑ってる」
「・・・風丸」
「だから、俺はまも姉を守りたい。まも姉が強がりを言わなくて済むくらい、守られるんじゃなくて守れるくらい強くなりたい」
それはずっと前からの風丸の目標。
物心付いたときには、もう彼女しか見えてなかった。
笑顔の裏で空虚な心を抱える円堂の支えになりたかった
大人たちが円堂の笑顔に騙されて本当の『心』を見つけれないなら、自分が見つけて守ればいい。
誰かお姉ちゃんを守って、という願いは、年を経るごとに自分が守るから、に変化して、それは今でも変わらない。
風丸の言葉に目を丸くしていた二人は、顔を見合わせると緩やかに息を吐き出した。
「風丸君って」
「ん?」
「本当に、円堂君が好きなのね」
しみじみとした秋の言葉に、何故か染岡が顔を赤らめた。
どうして何を言われたでもない彼が恥らうのかと首を傾げながら、微かに笑う。
「俺がまだ赤ん坊だった頃、一番最初に呼んだのは円堂の名前だそうだ」
答えにならない答えを返し、誇らしげに胸を張る。
風丸の言葉にきょとんと瞬きを繰り返した秋は、口を押さえて破顔した。
蒼穹にやさしい笑い声が響く。
寒い空だからこそ澄み切った青に目を細め、風丸も声を上げて笑った。
更新内容
|
(06/28)
(04/07)
(04/07)
(04/07)
(03/31)
(03/30)
(03/30)
(03/30)
(03/30)
(03/25)
(03/25)
(03/25)
(03/25)
(03/24)
(03/24)
(03/24)
(03/23)
(03/14)
(03/14)
(03/13)
(03/13)
(03/13)
(03/11)
(03/10)
(03/08)
カテゴリー
|
リンク
|
フリーエリア
|