×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
「・・・・・・冬姫ちゃん?そういう名前やろ、自分」
背後からかけられた声に、冬姫は思わず振り向きそして全力で後悔した。
そこに居たのは、浅黒い肌をし精悍な顔に悪戯っぽい笑みを浮かべた、年上の男の人。
自慢じゃないがこの手のタイプに絡まれた経験は幾度も持つ冬姫は、またナンパかと渋い顔をし、しかしある一点に気がつくと表情を訝しげに歪めた。
琥一のバイト先のスタリオン石油に再び弁当を届けに来ていたのだが、そう言えば前にも似たような展開があったと思い出す。
あの時は冬姫一人ではなく、琉夏と一緒に連れ立っていたのだが、琥一のバイト仲間から琉夏と勘違いされて声をかけられた。
すると自分の名を知っている目の前の男も、琥一の知り合いかもしれない。
眉を顰めながら目の前の男を観察すると、にへら、と気の抜けた笑みが返って来た。
見れば見るほど端整な顔立ちをしてる彼は、いかにも女の子にもてそうで、ついでに女の扱いが上手そうなタイプに見える。
肩を超える髪を一本で結び、耳にはピアスが光っていた。
Tシャツにチノパンというシンプルないでだちだが、それ故に素材の良さが引き立っている。
袖から伸びる腕は引き締まり、鍛えているのが容易に見て取れた。
「・・・どちら様でしょうか」
警戒心を解かぬまま問いかける。
幼馴染に常日頃から警戒心が薄すぎると言われているが、冬姫とて常識は持っている。
警戒すべき相手を見誤るつもりはない。
例え目の前の彼が、悪い人には見えなくても、だ。
「あれ?もしかして俺警戒されてる?」
「・・・・・・」
「大丈夫、大丈夫。俺、怪しいもんやないで」
軽快な関西弁らしきものを操る男は、益々妖しく見えた。
大体怪しい人間が自ら怪しいと認めるだろうか。否、だ。
眉間の皺を深くした冬姫を見て取り、困ったように男は眉尻を下げて笑う。
「嫌やな。俺、そないに怪しい?」
「・・・少し」
「ははっ、正直な子や。琥一に用なんやろ?」
「琥一君を知ってるんですか?」
「もちろんや。ここでバイトしとるからな」
からからと笑う相手に一気に親しみを持つ。
琥一の名を出されただけで油断しすぎかもしれないが、冬姫にとって彼の名前はそれだけ価値があった。
「俺は姫条まどか。女みたいな名前やけど、実はこう見えても女やねん」
「・・・は?」
「アカン・・・外してもうた。普通の子は受けてくれんのに、秋姫といいなんで駄目なんやろな」
寒いギャグらしきものを放った相手を呆然と見れば、渋い顔でぶつぶつと呟き始める。
やはり悪い人ではなさそうだが、変わった人ではあるようだ。
「おい、冬姫。何してんだ?」
「あ、琥一君。琉夏君に頼まれてお弁当届けに来たんだけど・・・この人、姫条さん?に話しかけられて。・・・この人本当に琥一君の知り合い?」
「姫条さん?」
眉を跳ね上げた琥一は、冬姫の奥に居る人物を見て目を丸くした。
「何してんすか、姫条さん!?」
「いやぁ、琥一のいい子を見ておこうと思うてな。───何や中々可愛い子やないか。琥一も隅に置けんな」
「なぁっ!?何、言ってんすか!こいつは、別に・・・っ」
「何でもない?嘘やな。そんならこの子を紹介してっていっとる奴ら相手にあんなに威嚇せんやろ」
「姫条さん!」
「はいはい、判ったって。これ以上苛めんのは止めといたるわ」
ひょい、と肩を竦めた姫条を、琥一は頬を紅潮させ睨みつける。
まるで年相応な少年のような素直な反応に、冬姫の方が驚いてしまう。
学校で気を許している大迫相手ですら、こんなにからかわれる琥一は見たことがない。
普段の琥一は冬姫と琉夏相手に兄貴分であるから、珍しい一面だった。
ぽかん、と口を開けて眺めていた冬姫に気づいた琥一が、咳払いして慌てて体裁を整える。
そんな琥一を面白そうに姫条がにやにやと見ていた。
「弁当」
「え?」
「寄越せ。んで、もういいから帰れ」
「・・・・・・他には」
「あ?」
「他に言うことないの?」
「───届けてくれて、サンキュ」
視線を逸らし、頬を指先でかきながらぼそぼそと言う琥一に微笑みかける。
不機嫌そうな顔は作られたものだと知っているから少しも怖くない。
見た目こそ昔より強面になったけど、琥一の内面はぶっきらぼうでけれど優しいままだったから。
素直じゃない態度にくすくす笑うと、視線だけで睨まれた。
「おー、いいなぁ、若いもんは。俺も秋姫に会いとうなったわ」
「秋姫?」
「姫条さんの片思い相手だ。───姫条さん曰く、どえらい別嬪さんらしい」
「へぇ」
「信じとらんな、琥一。ほんまに秋姫は三国一の別嬪さんやで。世界一のいい女や」
そう言って笑った姫条は少し照れくさそうに、でもそれ以上にその人のことを話せるのが嬉しくて仕方ないとばかりに頬を紅潮させて桃色のオーラを垂れ流しにしていた。
「本当に『秋姫さん』が好きなんだねぇ」
「みたいだな。見てるこっちが恥ずかしい」
呆れを含んだ声音で呟く琥一をじっと見上げる。
視線に気づいた彼が見下ろしてきて視線が絡んだ。
「どうかしたか?」
「・・・私も」
「ん?」
「私も、姫条さんみたいな恋がしたいな」
大事で大切で特別で仕方ない宝物を見せびらかす子供みたいに、幸せそうで擽ったそうに微笑んで。
柔らかで優しい眼差しはここに居ない誰かを見ていて、愛しくて恋しくて仕方ないと感情を目一杯溢れさせる。
度肝を抜かれたように目をまん丸にした琥一に、冬姫は白百合のような艶やかで繊細な微笑みを見せた。
「私、姫条さんみたいな恋がしたい」
今にも呼吸を止めてしまいそうになっている琥一の、この時抱いた感情は一生冬姫には理解し得ないだろう。
罪のない笑顔を浮かべる恋に恋する年頃の少女は、恋に悩める年頃の少年には罪深い存在だった。
背後からかけられた声に、冬姫は思わず振り向きそして全力で後悔した。
そこに居たのは、浅黒い肌をし精悍な顔に悪戯っぽい笑みを浮かべた、年上の男の人。
自慢じゃないがこの手のタイプに絡まれた経験は幾度も持つ冬姫は、またナンパかと渋い顔をし、しかしある一点に気がつくと表情を訝しげに歪めた。
琥一のバイト先のスタリオン石油に再び弁当を届けに来ていたのだが、そう言えば前にも似たような展開があったと思い出す。
あの時は冬姫一人ではなく、琉夏と一緒に連れ立っていたのだが、琥一のバイト仲間から琉夏と勘違いされて声をかけられた。
すると自分の名を知っている目の前の男も、琥一の知り合いかもしれない。
眉を顰めながら目の前の男を観察すると、にへら、と気の抜けた笑みが返って来た。
見れば見るほど端整な顔立ちをしてる彼は、いかにも女の子にもてそうで、ついでに女の扱いが上手そうなタイプに見える。
肩を超える髪を一本で結び、耳にはピアスが光っていた。
Tシャツにチノパンというシンプルないでだちだが、それ故に素材の良さが引き立っている。
袖から伸びる腕は引き締まり、鍛えているのが容易に見て取れた。
「・・・どちら様でしょうか」
警戒心を解かぬまま問いかける。
幼馴染に常日頃から警戒心が薄すぎると言われているが、冬姫とて常識は持っている。
警戒すべき相手を見誤るつもりはない。
例え目の前の彼が、悪い人には見えなくても、だ。
「あれ?もしかして俺警戒されてる?」
「・・・・・・」
「大丈夫、大丈夫。俺、怪しいもんやないで」
軽快な関西弁らしきものを操る男は、益々妖しく見えた。
大体怪しい人間が自ら怪しいと認めるだろうか。否、だ。
眉間の皺を深くした冬姫を見て取り、困ったように男は眉尻を下げて笑う。
「嫌やな。俺、そないに怪しい?」
「・・・少し」
「ははっ、正直な子や。琥一に用なんやろ?」
「琥一君を知ってるんですか?」
「もちろんや。ここでバイトしとるからな」
からからと笑う相手に一気に親しみを持つ。
琥一の名を出されただけで油断しすぎかもしれないが、冬姫にとって彼の名前はそれだけ価値があった。
「俺は姫条まどか。女みたいな名前やけど、実はこう見えても女やねん」
「・・・は?」
「アカン・・・外してもうた。普通の子は受けてくれんのに、秋姫といいなんで駄目なんやろな」
寒いギャグらしきものを放った相手を呆然と見れば、渋い顔でぶつぶつと呟き始める。
やはり悪い人ではなさそうだが、変わった人ではあるようだ。
「おい、冬姫。何してんだ?」
「あ、琥一君。琉夏君に頼まれてお弁当届けに来たんだけど・・・この人、姫条さん?に話しかけられて。・・・この人本当に琥一君の知り合い?」
「姫条さん?」
眉を跳ね上げた琥一は、冬姫の奥に居る人物を見て目を丸くした。
「何してんすか、姫条さん!?」
「いやぁ、琥一のいい子を見ておこうと思うてな。───何や中々可愛い子やないか。琥一も隅に置けんな」
「なぁっ!?何、言ってんすか!こいつは、別に・・・っ」
「何でもない?嘘やな。そんならこの子を紹介してっていっとる奴ら相手にあんなに威嚇せんやろ」
「姫条さん!」
「はいはい、判ったって。これ以上苛めんのは止めといたるわ」
ひょい、と肩を竦めた姫条を、琥一は頬を紅潮させ睨みつける。
まるで年相応な少年のような素直な反応に、冬姫の方が驚いてしまう。
学校で気を許している大迫相手ですら、こんなにからかわれる琥一は見たことがない。
普段の琥一は冬姫と琉夏相手に兄貴分であるから、珍しい一面だった。
ぽかん、と口を開けて眺めていた冬姫に気づいた琥一が、咳払いして慌てて体裁を整える。
そんな琥一を面白そうに姫条がにやにやと見ていた。
「弁当」
「え?」
「寄越せ。んで、もういいから帰れ」
「・・・・・・他には」
「あ?」
「他に言うことないの?」
「───届けてくれて、サンキュ」
視線を逸らし、頬を指先でかきながらぼそぼそと言う琥一に微笑みかける。
不機嫌そうな顔は作られたものだと知っているから少しも怖くない。
見た目こそ昔より強面になったけど、琥一の内面はぶっきらぼうでけれど優しいままだったから。
素直じゃない態度にくすくす笑うと、視線だけで睨まれた。
「おー、いいなぁ、若いもんは。俺も秋姫に会いとうなったわ」
「秋姫?」
「姫条さんの片思い相手だ。───姫条さん曰く、どえらい別嬪さんらしい」
「へぇ」
「信じとらんな、琥一。ほんまに秋姫は三国一の別嬪さんやで。世界一のいい女や」
そう言って笑った姫条は少し照れくさそうに、でもそれ以上にその人のことを話せるのが嬉しくて仕方ないとばかりに頬を紅潮させて桃色のオーラを垂れ流しにしていた。
「本当に『秋姫さん』が好きなんだねぇ」
「みたいだな。見てるこっちが恥ずかしい」
呆れを含んだ声音で呟く琥一をじっと見上げる。
視線に気づいた彼が見下ろしてきて視線が絡んだ。
「どうかしたか?」
「・・・私も」
「ん?」
「私も、姫条さんみたいな恋がしたいな」
大事で大切で特別で仕方ない宝物を見せびらかす子供みたいに、幸せそうで擽ったそうに微笑んで。
柔らかで優しい眼差しはここに居ない誰かを見ていて、愛しくて恋しくて仕方ないと感情を目一杯溢れさせる。
度肝を抜かれたように目をまん丸にした琥一に、冬姫は白百合のような艶やかで繊細な微笑みを見せた。
「私、姫条さんみたいな恋がしたい」
今にも呼吸を止めてしまいそうになっている琥一の、この時抱いた感情は一生冬姫には理解し得ないだろう。
罪のない笑顔を浮かべる恋に恋する年頃の少女は、恋に悩める年頃の少年には罪深い存在だった。
PR
「行くつもりか、望美」
軽快なノックの後、主の返事も聞かずに部屋に入り込んだ男を、望美はじとりと睨む。
だが今更この程度の威嚇でどうこうなる関係ではない幼馴染兼従者であり護衛である将臣は、不満げな顔に鮮やかな笑みを返した。
揺れない地面の上は違和感がある。そんなこと数年前まで当たり前だったはずなのに。
締まる襟元を指先で広げ、久方ぶりのドレスアップに苦笑する。
船の上の楽な格好と違いきっちりと正装した将臣は、同じく白にクリーム色が混ざったマーメイドラインのドレス姿の望美に手を差し伸べる。
「愚問だな。お互いにこんな格好させられてるってのに」
「そうだね。まさかお父様から勅命が下ると思ってなかった。少なくとも、私の自由期間中に」
「だな。貴族としての勤めを前面に出されたら断れねぇな。───九郎も出るらしいぞ」
「へぇ、じゃあ知盛と銀は?」
「銀は出るんじゃねえの?お前が行くんだし。知盛は、今日はどうだろうな」
「気紛れな猫と同じだからね。面白そうなことがあれば出てくるんじゃない?」
「ま、あいつが好む面白みはない方がいいけどな」
「全くだよ」
髪をアップにまとめ所々に真珠のピンを止めた望美は一見すると非の打ち所ない令嬢だが、その顔に浮かぶ笑みはコケティッシュで貴族らしからぬもの。
春日家の護家として追従する運命を持つ有川の長男として、彼女を主と頂くのはこの上なく誇らしい。
何しろこの姫君らしくない姫は、将臣の好奇心と探究心を飽くなく刺激し常に向上心を持たせる。
彼女についていくには並大抵の努力では駄目だ。
何しろ将臣の主は型破りでありながら、破格の才能を持つ。
美しく頭も良く機転が利き剣も銃も腕前は確か。なまじの男では太刀打ちにならないどころか、それ以前に対等であらせてくれない。
今回の件にしても、単なる父親からの命令だけなら動かなかったに違いない。
人の一歩前を読むのが春日の当主として求められる資質なら、彼女はまさしく時期当主の格にある。
「ご当主からの手紙になんてあったんだ」
「何も。ただ今夜の舞踏会に出席しろとだけ。───でも、だからこそ調べる価値はあった」
「何が判った」
「今、花盛りを迎える橘と、当方より来るジェイドとの繋がり。そして彼らが抱える宝物の意味」
「───へぇ」
唇に白魚の指を当てた望美は、綺麗にウィンクを決める。
菫青石の飾りがついたイヤリングを耳に付け、差し伸べた将臣の手に優雅に掌を重ねると、座っていた椅子から立ち上がる。
優雅でいて優美。
手の甲に恭しく唇を送るフリをして、秀麗な顔を覗きこんだ。
「ミッションレベルは?」
「トリプルS。でも上手くいけば求める情報は手に入る」
「そうか」
くつくつと秘密を共有する笑みを交わし、額を付き合わせた。
これは主従としての関係ではなく、幼馴染としての二人の距離。
二人で夢を叶えると誓い、その為に努力し続ける相棒への信頼。
「行こうか、将臣君」
「了解、お姫様」
ドアを開ければ、二人はただの主従へと変じる。
彼女のために最大の努力を。
過去に誓った通りに、将臣は振舞うつもりだった。
軽快なノックの後、主の返事も聞かずに部屋に入り込んだ男を、望美はじとりと睨む。
だが今更この程度の威嚇でどうこうなる関係ではない幼馴染兼従者であり護衛である将臣は、不満げな顔に鮮やかな笑みを返した。
揺れない地面の上は違和感がある。そんなこと数年前まで当たり前だったはずなのに。
締まる襟元を指先で広げ、久方ぶりのドレスアップに苦笑する。
船の上の楽な格好と違いきっちりと正装した将臣は、同じく白にクリーム色が混ざったマーメイドラインのドレス姿の望美に手を差し伸べる。
「愚問だな。お互いにこんな格好させられてるってのに」
「そうだね。まさかお父様から勅命が下ると思ってなかった。少なくとも、私の自由期間中に」
「だな。貴族としての勤めを前面に出されたら断れねぇな。───九郎も出るらしいぞ」
「へぇ、じゃあ知盛と銀は?」
「銀は出るんじゃねえの?お前が行くんだし。知盛は、今日はどうだろうな」
「気紛れな猫と同じだからね。面白そうなことがあれば出てくるんじゃない?」
「ま、あいつが好む面白みはない方がいいけどな」
「全くだよ」
髪をアップにまとめ所々に真珠のピンを止めた望美は一見すると非の打ち所ない令嬢だが、その顔に浮かぶ笑みはコケティッシュで貴族らしからぬもの。
春日家の護家として追従する運命を持つ有川の長男として、彼女を主と頂くのはこの上なく誇らしい。
何しろこの姫君らしくない姫は、将臣の好奇心と探究心を飽くなく刺激し常に向上心を持たせる。
彼女についていくには並大抵の努力では駄目だ。
何しろ将臣の主は型破りでありながら、破格の才能を持つ。
美しく頭も良く機転が利き剣も銃も腕前は確か。なまじの男では太刀打ちにならないどころか、それ以前に対等であらせてくれない。
今回の件にしても、単なる父親からの命令だけなら動かなかったに違いない。
人の一歩前を読むのが春日の当主として求められる資質なら、彼女はまさしく時期当主の格にある。
「ご当主からの手紙になんてあったんだ」
「何も。ただ今夜の舞踏会に出席しろとだけ。───でも、だからこそ調べる価値はあった」
「何が判った」
「今、花盛りを迎える橘と、当方より来るジェイドとの繋がり。そして彼らが抱える宝物の意味」
「───へぇ」
唇に白魚の指を当てた望美は、綺麗にウィンクを決める。
菫青石の飾りがついたイヤリングを耳に付け、差し伸べた将臣の手に優雅に掌を重ねると、座っていた椅子から立ち上がる。
優雅でいて優美。
手の甲に恭しく唇を送るフリをして、秀麗な顔を覗きこんだ。
「ミッションレベルは?」
「トリプルS。でも上手くいけば求める情報は手に入る」
「そうか」
くつくつと秘密を共有する笑みを交わし、額を付き合わせた。
これは主従としての関係ではなく、幼馴染としての二人の距離。
二人で夢を叶えると誓い、その為に努力し続ける相棒への信頼。
「行こうか、将臣君」
「了解、お姫様」
ドアを開ければ、二人はただの主従へと変じる。
彼女のために最大の努力を。
過去に誓った通りに、将臣は振舞うつもりだった。
塞き止めろ
--お題サイト:afaikさまより--
■せ 接触は駄目、心臓を盗られるに違いない
昔から、要領が良くない子だった。
白いスーツを着こなし、隙のない、けれど矛盾して穏やかにさえ見える笑顔を浮かべた彼を見て雲雀は腕を組む。
ボンゴレの日本基地の視察。
その名目で訪れた青年は、昔とは違い、限りなく金色に近くなった茶髪の髪をふわふわと揺らして歩く。
革靴が真新しい廊下に響き、こつこつと音を立てた。
珍しくも彼自身の腹心の部下であり忠臣の嵐や雨を引き連れずの行動に、雲雀はひっそりと柳眉を顰める。
そんな雲雀の不機嫌に気づいたらしく、情けなく眉を下げた青年は、困ったように微笑した。
マフィアのドンとは一見して判らない童顔の所為か、それとも彼自身が纏う穏やかな雰囲気の所為か。
まるで波乱万丈だった中学時代に戻ったかと錯覚させる無防備なそれに雲雀は一つため息を吐く。
「君は、相変わらず弱そうだね」
「ははっ。久しぶりに会って早々の言葉がそれだと、雲雀さんなんだなぁって思いますよ」
「何それ?僕を馬鹿にしてるの?」
「まさか!!俺如きが雲雀さんを馬鹿にするなんて、本当に命が幾つあっても足りません!」
慌てたように両手を顔の前で振る綱吉をじっと眺め、ふいっと顔を逸らす。
無視して歩き出せば、焦った足音がすかさずついて来た。
かつかつかつと廊下に響く自分の足音とは別に、もう少しだけアップテンポな足音が響く。
「君」
「はい?」
「足が短いんだね」
「んなっ!?」
びびくん、と体を揺らして声を上げた姿は、中学生の頃とほとんど変わりはないのに。
見えないように小さく笑い、早くおいでよと声をかけた。
■き 軌跡をなぞる応酬は、不意に未知の軌道へとる
この子は本当に馬鹿なんじゃないかよつくづく思う。
屋上のフェンス越しに赤ん坊姿のヒットマンがしている姿を眺めこくりと首を傾げる。
日が傾き茜色に染まるこの場所は、応接室と同じくらい居心地がいい場所で、風に靡く学ランがゆらゆらと陰になり映る。
肩に乗るヒバードを指先で撫でれば心地良さそうに頭を摺り寄せもっと撫でろと強要してきた。
「──君が小動物じゃなかったら噛み殺しているところだよ」
くりくりと指先に力を入れれば不満があったのか嘴で突付く様にして反撃された。
痛みなど全くないに等しいが、むっと唇を窄める。
ヒバードの噛みつきなど雲雀にとってささやかなダメージにもなりはしないが、反抗したこと自体が面白くない。
頭を撫でていた指先に力を篭めると、くぐもった変な声をヒバードが漏らし、それがおかしくて小さく笑う。
「雲雀」
「何、赤ん坊」
「お前、ツナをどう思う」
狙撃の手を一切緩めないまま、漆黒のスーツを纏う赤ん坊が問いかけた。
こちらを見ない視線は真っ直ぐに彼の不詳の弟子にだけ向けられる。
お気に入りの赤ん坊の仕草は面白くなかったが、彼に釣られるようにして半泣きで校庭を走り回ってる草食動物を見た。
ずっと一人で居ることが多かった彼の後ろには、銀髪を靡かせた問題児と、笑顔がうそ臭い野球少年。
群れが嫌いな雲雀は一瞬いらっとしたが、それを飲み下し頬に擦り寄るヒバードに触れた。
「咬み殺す価値もない草食動物」
「妥当な線だな」
「弱いくせに群れるから苛立つ」
「弱いから群れるんだ」
くつくつと喉を震わせて赤ん坊らしくはないが、とても彼らしい表情で笑ったリボーンに雲雀は僅かに目を見張る。
ポーカーフェイスは崩れてないが、瞳の奥は楽しそうに煌いていた。
「見てろ、雲雀。十年後のあいつは今とは比べ物にならないくらいに化けるぞ」
「・・・根拠は?」
「俺があいつの家庭教師だ。これ以上に何か必要か?」
「いいや。───楽しみだ」
自信たっぷりなリボーンの発言に、雲雀も少しだけ笑った。
■と 徒労感があなたの声で、低く囁きかけてくる
「これでおしまいなの?」
トンファーをクルリと回し腕を下ろす。
呼吸を荒げて床に寝そべる子供は目に薄い膜を張り、大きな瞳で雲雀を見上げてきた。
その表情は雲雀が知る今の彼とは違うもので、視線を逸らし舌打する。
雲雀の彼はもっと強かった。噛み殺し甲斐があり、甚振り甲斐のある獲物だった。
それがなんだ。
今目の前に居るのは紛うことなく草食動物で、牙を抜かれた獣以下。
雲雀を真っ直ぐに見詰めた琥珀色の瞳とよく似た瞳は怯えを湛え、むかつくくらいに余裕を湛えていた唇は見っとも無く震え、対等以上に渡り合った体技すら失われた。
自らの体の延長戦とばかりに銃を扱い、琥珀色の瞳の色を濃くして笑った彼が懐かしい。
強大な敵相手でも怯むことなく微笑んで、うざったいくらいに頭が回り、その癖気を許した相手の前で見せる百面相が嫌いじゃなかった。
自分の最強で最凶の武器、Xグローブを嵌めてオレンジ色の火を灯したか彼は、誰よりも一目を引き美しい生き物だったはずなのに。
「立ちなよ」
「・・・・・・」
「立たなくても止めないけどね」
ラル・ミルチが外野から何かを叫んでいる。
恐怖で見開かれた大きな目が雲雀を凝視していた。
目の前の草食動物は、雲雀が知る彼ではない。
それが酷く雲雀を苛立たせ、そして落胆させている。
彼の作戦を聞き、片棒を担ぐ役目を担ったが、これをあれ以上に叩き上げるなんて出来ないだろう。
だがそれは許されざる仮定だ。
雲雀は何があっても目の前の子供を彼以上にしなくてはならない。そうしなければ雲雀の望む彼は一生帰ってこない。
ぺろり、と舌で唇を舐める。
振り下ろしたトンファーは、寸でのところで避けられた。
悲鳴すら殺した子供は、青ざめた目でこちらを見詰める。
そんな子供に向け、雲雀は凄絶な笑みを向けた。
もっと、もっと、もっともっともっともっと。
もっと彼は強くならなければならない。
彼を託した『彼』に報いるために、『彼』を生かすために。
恐怖を誘い実力を引き出すために、雲雀はトンファーを振り回す。
■め 迷走する視線の最後、必ず在ったただひとつ
「君は死ぬつもりなの?」
初めてその作戦を聞いたとき、雲雀は琥珀色の瞳を見つめて問うた。
ふわふわの纏まりない金茶色の髪を揺らした綱吉は、目を丸くして雲雀を見詰める。
何を言われたか判らないとばかりに何度か目を瞬いた後、彼はふわりと微笑んだ。
情けなく眉を下げ目をすっと細めた彼独特の笑い方は、癪だが嫌いじゃなかった。
「俺が、死ぬ?」
「だってそうでしょ。君の作戦は穴がありすぎる。過去の自分を呼んで今の君の代わりにするなんて有り得ない」
「そう。有り得ないですよね。過去の俺が今の俺の話聞いたら卒倒しちゃいますよ」
「笑い事じゃないよ。───僕は草食動物は嫌いだ。群れて集まり役に立たない」
「・・・でも、一番可能性がある賭けなんです」
苛立つ雲雀を見て笑いながら、綱吉は静かに言った。
普段出入りしないボンゴレ本部ではなく、雲雀のあじとの一つに急に訪れた綱吉の話は突拍子もなかった。
最近ボンゴレ狩りは益々激化し、彼が慕った家庭教師も帰らなくなったと聞く。
黒い革張りのソファに身を沈めた彼も覚えているより随分と瘠せ、青白い肌と目元にこびり付いた隈が痛々しい。
眠れていないのかもしれない。
───彼自身が最強と信じた存在が帰ってこないのは、雲雀たちが思う以上に彼にダメージを与えているのだろう。
それでも今暢気な顔で笑ってられるのは、きっとその元・家庭教師の教育に違いなく、雲雀は苛立ちに紛れて舌打した。
「俺は死ぬつもりはありません。だから可能性に賭けると決めた」
玲瓏な声は静かに響く。
いつの間にか雰囲気は一変し、薄く立ち上るオーラが見えるようだ。
雲雀の愛する並盛の応接室を模した部屋の中で、彼の存在は異彩を放つ。
背筋を伸ばし僅かに口角を上げた男。
彼は草食動物にはなりえず、列記とした肉食動物で、普段との対比が激しい獰猛さを隠し持つ相手だった。
びりびりと気迫で肌が痺れ、自然と雲雀の唇も持ち上がる。
「打てる布石は全て投じたい。だから俺はあなたに話した。ボンゴレが───俺が勝つための布石の一つとして」
「僕を利用しようって言うの?」
「ええ、そうです。ボンゴレ十世の最強の守護者。十年前の『俺』の教育者に雲雀恭弥を俺は選んだ。返答は?」
手を組んだ彼は傲慢な表情をしている。
己の望みは叶って当然だと言わんばかりの支配者の笑み。
他の誰がしても間違いなく噛み殺したくなるのに、綱吉のその表情は雲雀を酷く興奮させた。
くつり、と喉を震わせる。答えなど本当は初めから一つしか用意されていないに違いない。
繊細な美貌を凄絶に冴え渡らせ、雲雀はゆるりと唇を持ち上げた。
■ろ 篭絡された心臓は、ひときわ熱く高鳴った
「君は後悔してないの?」
不意に口をついて出た言葉は、予てからの疑問でもあった。
爆音で耳がおかしくなりそうな中、普段と変わらぬ声量の声は届かないかもしれない。
嵐の守護者が操るダイナマイトが熱風を撒き散らす。
吹き起こる風と埃の間を縫い晴と雨の守護者が切り込む。
冴える剣技で静かに敵を屠る雨とは対照的に、晴は派手に敵を吹っ飛ばす。
霧は背後から襲う敵を夢幻へと誘い、哂いながら敵を狂わせる。
雷こそこの場に居ないが、ボンゴレに所属する守護者は全員綱吉へ従った。
ドン・ボンゴレに就任して初めて守護者全員を引き連れることになったこの戦いは、裏切り者の粛清を兼ねている。
綱吉は自身の甘さから就任後初めて身内で仲間殺しを起こした。
その手に彼自身の最強の武器、Xグローブをしっかりと嵌め額に揺らめく炎を宿す。
熱量を感じさせない瞳に宿るのは強い覚悟。
切り札として封印していた武器を開放した理由は単純明快。
裏切り者が逃げ出した先のファミリーも全て粛清すると決めたからだ。
裏切りを許した果てに得た敵対ファミリー粛清のチャンス。
代替わりしたばかりのボンゴレを甘く見た敵に力を示すまたとない機会だが、それを喜ぶ綱吉ではない。
事実決断した瞬間の彼には辛酸を舐めた敗北者の表情しかなかった。
悔しげに唇を噛み固く瞼を閉じ組んだ掌に額を押しつけて黙り込んだ彼の姿を一生忘れない。
きっとその場で彼の判断を待った守護者は全員そうだろう。
女だからという理由で外されたもう一人の霧の守護者は、今頃屋敷で気を揉んでいるに違いない。
爆風に呷られた黒の外套がヒラリと揺れる。
その姿は悲しいくらい孤高を保ち、切ないくらい綺麗だった。
「俺は、後悔しない。後悔しないと、そう決めた」
風に乗りささやかな声が聞こえた気がした。
だから雲雀もトンファーを構え躍り出た。
大空を支える天候の一角として。
牙を抜かれた草食動物の群れへと、制裁を加えるために。
彼が後悔しないと決めたなら、雲雀はそれに付き合うだけだ。
群れに混じらないというポリシーも、たまになら曲げてやってもいい。
■塞き止めろ
「弱いばかりに群れをなし」
予定通りのタイミングで踏み込んできた敵に、ゆるりと口角を上げる。
純和風の美貌が敵を前にして冴え渡る。
くるり、と右手首を返しトンファーを回す。
少し早いが計画の内だ。
死ぬ気の炎を武器へと移し、匣にも炎を注入する。
呼ばれるのを待っていたように飛び出た相棒に小さく笑った。
足音を隠すことすらせぬ敵は、多くとも雑魚にしか過ぎない。
雲雀ならば彼らを一掃するのに苦労しない。
たった今、逃したばかりの彼らとは違って。
くつり、と喉を震わせる。
もうすぐ、待ち望んだ瞬間が来る。
雲雀は『彼』との約束を果たした。ならば今度は『彼』が雲雀との約束を果たす番だ。
小さな子供の戦闘力は、未だ彼には遙か及ばない。
知識量も経験値も判断力も何もかも。
それでも彼が信じると決め、自分自身が鍛えた子供に賭けると決めた。
トンファーが空を切る。
今日の雲雀はいつもより気分良く戦えそうだ。
雲雀の姿を認めた敵が、徐々に足を止める。
戸惑う表情を浮かべ止まるより先に武器を手にとれば、あるいは一手くらいは負わせれたかもしれないのに。
愚鈍な相手に嘲笑しか浮かばない。
「咬み殺される、袋の鼠」
そう、彼らは贄であり供物だ。
雲雀が育てた『彼』が迷わずに進めるように除外される存在。
子供はまだ『彼』ではなく、『彼』が帰る切欠にすらなっていない。
泣き言に塗れた怯えを纏わせる子供は、『可能性』だと彼は断じた。
雲雀はボスとしての『彼』を信じ、力を貸した。
他の誰にも明かさぬ秘密を雲雀にだけ共有させた、そんな『彼』を負けさせるわけに行かない。
子供が勝利しなければ、『彼』に文句を言うことも出来ないのだから。
「早く、帰っておいで綱吉。『他の君』が為しえないことでも、『僕の君』なら出来る筈だ」
一人、また一人と草食動物を咬み殺し、雲雀は今ここに居ない存在へと語りかける。
「早く帰っておいで。君の道は僕が切り開いてあげる」
『君』が目を覚ましたら、十年前の『君』がどれだけ酷かったか一番に教えてあげる。
日本に作ったこの基地の、雲雀の自室に上等の酒を謙譲させて、懇々と説教をしてあげる。
そうしたら、あの『彼』特有の情けなく眉を下げ目を細めた笑顔がきっと見れるだろう。
だからまずは。
目の前で子供を追うために躍起になるこの雑魚たちを、全て切り崩してしまおう。
雲雀が待ってる『彼』を得るために。
--お題サイト:afaikさまより--
■せ 接触は駄目、心臓を盗られるに違いない
昔から、要領が良くない子だった。
白いスーツを着こなし、隙のない、けれど矛盾して穏やかにさえ見える笑顔を浮かべた彼を見て雲雀は腕を組む。
ボンゴレの日本基地の視察。
その名目で訪れた青年は、昔とは違い、限りなく金色に近くなった茶髪の髪をふわふわと揺らして歩く。
革靴が真新しい廊下に響き、こつこつと音を立てた。
珍しくも彼自身の腹心の部下であり忠臣の嵐や雨を引き連れずの行動に、雲雀はひっそりと柳眉を顰める。
そんな雲雀の不機嫌に気づいたらしく、情けなく眉を下げた青年は、困ったように微笑した。
マフィアのドンとは一見して判らない童顔の所為か、それとも彼自身が纏う穏やかな雰囲気の所為か。
まるで波乱万丈だった中学時代に戻ったかと錯覚させる無防備なそれに雲雀は一つため息を吐く。
「君は、相変わらず弱そうだね」
「ははっ。久しぶりに会って早々の言葉がそれだと、雲雀さんなんだなぁって思いますよ」
「何それ?僕を馬鹿にしてるの?」
「まさか!!俺如きが雲雀さんを馬鹿にするなんて、本当に命が幾つあっても足りません!」
慌てたように両手を顔の前で振る綱吉をじっと眺め、ふいっと顔を逸らす。
無視して歩き出せば、焦った足音がすかさずついて来た。
かつかつかつと廊下に響く自分の足音とは別に、もう少しだけアップテンポな足音が響く。
「君」
「はい?」
「足が短いんだね」
「んなっ!?」
びびくん、と体を揺らして声を上げた姿は、中学生の頃とほとんど変わりはないのに。
見えないように小さく笑い、早くおいでよと声をかけた。
■き 軌跡をなぞる応酬は、不意に未知の軌道へとる
この子は本当に馬鹿なんじゃないかよつくづく思う。
屋上のフェンス越しに赤ん坊姿のヒットマンがしている姿を眺めこくりと首を傾げる。
日が傾き茜色に染まるこの場所は、応接室と同じくらい居心地がいい場所で、風に靡く学ランがゆらゆらと陰になり映る。
肩に乗るヒバードを指先で撫でれば心地良さそうに頭を摺り寄せもっと撫でろと強要してきた。
「──君が小動物じゃなかったら噛み殺しているところだよ」
くりくりと指先に力を入れれば不満があったのか嘴で突付く様にして反撃された。
痛みなど全くないに等しいが、むっと唇を窄める。
ヒバードの噛みつきなど雲雀にとってささやかなダメージにもなりはしないが、反抗したこと自体が面白くない。
頭を撫でていた指先に力を篭めると、くぐもった変な声をヒバードが漏らし、それがおかしくて小さく笑う。
「雲雀」
「何、赤ん坊」
「お前、ツナをどう思う」
狙撃の手を一切緩めないまま、漆黒のスーツを纏う赤ん坊が問いかけた。
こちらを見ない視線は真っ直ぐに彼の不詳の弟子にだけ向けられる。
お気に入りの赤ん坊の仕草は面白くなかったが、彼に釣られるようにして半泣きで校庭を走り回ってる草食動物を見た。
ずっと一人で居ることが多かった彼の後ろには、銀髪を靡かせた問題児と、笑顔がうそ臭い野球少年。
群れが嫌いな雲雀は一瞬いらっとしたが、それを飲み下し頬に擦り寄るヒバードに触れた。
「咬み殺す価値もない草食動物」
「妥当な線だな」
「弱いくせに群れるから苛立つ」
「弱いから群れるんだ」
くつくつと喉を震わせて赤ん坊らしくはないが、とても彼らしい表情で笑ったリボーンに雲雀は僅かに目を見張る。
ポーカーフェイスは崩れてないが、瞳の奥は楽しそうに煌いていた。
「見てろ、雲雀。十年後のあいつは今とは比べ物にならないくらいに化けるぞ」
「・・・根拠は?」
「俺があいつの家庭教師だ。これ以上に何か必要か?」
「いいや。───楽しみだ」
自信たっぷりなリボーンの発言に、雲雀も少しだけ笑った。
■と 徒労感があなたの声で、低く囁きかけてくる
「これでおしまいなの?」
トンファーをクルリと回し腕を下ろす。
呼吸を荒げて床に寝そべる子供は目に薄い膜を張り、大きな瞳で雲雀を見上げてきた。
その表情は雲雀が知る今の彼とは違うもので、視線を逸らし舌打する。
雲雀の彼はもっと強かった。噛み殺し甲斐があり、甚振り甲斐のある獲物だった。
それがなんだ。
今目の前に居るのは紛うことなく草食動物で、牙を抜かれた獣以下。
雲雀を真っ直ぐに見詰めた琥珀色の瞳とよく似た瞳は怯えを湛え、むかつくくらいに余裕を湛えていた唇は見っとも無く震え、対等以上に渡り合った体技すら失われた。
自らの体の延長戦とばかりに銃を扱い、琥珀色の瞳の色を濃くして笑った彼が懐かしい。
強大な敵相手でも怯むことなく微笑んで、うざったいくらいに頭が回り、その癖気を許した相手の前で見せる百面相が嫌いじゃなかった。
自分の最強で最凶の武器、Xグローブを嵌めてオレンジ色の火を灯したか彼は、誰よりも一目を引き美しい生き物だったはずなのに。
「立ちなよ」
「・・・・・・」
「立たなくても止めないけどね」
ラル・ミルチが外野から何かを叫んでいる。
恐怖で見開かれた大きな目が雲雀を凝視していた。
目の前の草食動物は、雲雀が知る彼ではない。
それが酷く雲雀を苛立たせ、そして落胆させている。
彼の作戦を聞き、片棒を担ぐ役目を担ったが、これをあれ以上に叩き上げるなんて出来ないだろう。
だがそれは許されざる仮定だ。
雲雀は何があっても目の前の子供を彼以上にしなくてはならない。そうしなければ雲雀の望む彼は一生帰ってこない。
ぺろり、と舌で唇を舐める。
振り下ろしたトンファーは、寸でのところで避けられた。
悲鳴すら殺した子供は、青ざめた目でこちらを見詰める。
そんな子供に向け、雲雀は凄絶な笑みを向けた。
もっと、もっと、もっともっともっともっと。
もっと彼は強くならなければならない。
彼を託した『彼』に報いるために、『彼』を生かすために。
恐怖を誘い実力を引き出すために、雲雀はトンファーを振り回す。
■め 迷走する視線の最後、必ず在ったただひとつ
「君は死ぬつもりなの?」
初めてその作戦を聞いたとき、雲雀は琥珀色の瞳を見つめて問うた。
ふわふわの纏まりない金茶色の髪を揺らした綱吉は、目を丸くして雲雀を見詰める。
何を言われたか判らないとばかりに何度か目を瞬いた後、彼はふわりと微笑んだ。
情けなく眉を下げ目をすっと細めた彼独特の笑い方は、癪だが嫌いじゃなかった。
「俺が、死ぬ?」
「だってそうでしょ。君の作戦は穴がありすぎる。過去の自分を呼んで今の君の代わりにするなんて有り得ない」
「そう。有り得ないですよね。過去の俺が今の俺の話聞いたら卒倒しちゃいますよ」
「笑い事じゃないよ。───僕は草食動物は嫌いだ。群れて集まり役に立たない」
「・・・でも、一番可能性がある賭けなんです」
苛立つ雲雀を見て笑いながら、綱吉は静かに言った。
普段出入りしないボンゴレ本部ではなく、雲雀のあじとの一つに急に訪れた綱吉の話は突拍子もなかった。
最近ボンゴレ狩りは益々激化し、彼が慕った家庭教師も帰らなくなったと聞く。
黒い革張りのソファに身を沈めた彼も覚えているより随分と瘠せ、青白い肌と目元にこびり付いた隈が痛々しい。
眠れていないのかもしれない。
───彼自身が最強と信じた存在が帰ってこないのは、雲雀たちが思う以上に彼にダメージを与えているのだろう。
それでも今暢気な顔で笑ってられるのは、きっとその元・家庭教師の教育に違いなく、雲雀は苛立ちに紛れて舌打した。
「俺は死ぬつもりはありません。だから可能性に賭けると決めた」
玲瓏な声は静かに響く。
いつの間にか雰囲気は一変し、薄く立ち上るオーラが見えるようだ。
雲雀の愛する並盛の応接室を模した部屋の中で、彼の存在は異彩を放つ。
背筋を伸ばし僅かに口角を上げた男。
彼は草食動物にはなりえず、列記とした肉食動物で、普段との対比が激しい獰猛さを隠し持つ相手だった。
びりびりと気迫で肌が痺れ、自然と雲雀の唇も持ち上がる。
「打てる布石は全て投じたい。だから俺はあなたに話した。ボンゴレが───俺が勝つための布石の一つとして」
「僕を利用しようって言うの?」
「ええ、そうです。ボンゴレ十世の最強の守護者。十年前の『俺』の教育者に雲雀恭弥を俺は選んだ。返答は?」
手を組んだ彼は傲慢な表情をしている。
己の望みは叶って当然だと言わんばかりの支配者の笑み。
他の誰がしても間違いなく噛み殺したくなるのに、綱吉のその表情は雲雀を酷く興奮させた。
くつり、と喉を震わせる。答えなど本当は初めから一つしか用意されていないに違いない。
繊細な美貌を凄絶に冴え渡らせ、雲雀はゆるりと唇を持ち上げた。
■ろ 篭絡された心臓は、ひときわ熱く高鳴った
「君は後悔してないの?」
不意に口をついて出た言葉は、予てからの疑問でもあった。
爆音で耳がおかしくなりそうな中、普段と変わらぬ声量の声は届かないかもしれない。
嵐の守護者が操るダイナマイトが熱風を撒き散らす。
吹き起こる風と埃の間を縫い晴と雨の守護者が切り込む。
冴える剣技で静かに敵を屠る雨とは対照的に、晴は派手に敵を吹っ飛ばす。
霧は背後から襲う敵を夢幻へと誘い、哂いながら敵を狂わせる。
雷こそこの場に居ないが、ボンゴレに所属する守護者は全員綱吉へ従った。
ドン・ボンゴレに就任して初めて守護者全員を引き連れることになったこの戦いは、裏切り者の粛清を兼ねている。
綱吉は自身の甘さから就任後初めて身内で仲間殺しを起こした。
その手に彼自身の最強の武器、Xグローブをしっかりと嵌め額に揺らめく炎を宿す。
熱量を感じさせない瞳に宿るのは強い覚悟。
切り札として封印していた武器を開放した理由は単純明快。
裏切り者が逃げ出した先のファミリーも全て粛清すると決めたからだ。
裏切りを許した果てに得た敵対ファミリー粛清のチャンス。
代替わりしたばかりのボンゴレを甘く見た敵に力を示すまたとない機会だが、それを喜ぶ綱吉ではない。
事実決断した瞬間の彼には辛酸を舐めた敗北者の表情しかなかった。
悔しげに唇を噛み固く瞼を閉じ組んだ掌に額を押しつけて黙り込んだ彼の姿を一生忘れない。
きっとその場で彼の判断を待った守護者は全員そうだろう。
女だからという理由で外されたもう一人の霧の守護者は、今頃屋敷で気を揉んでいるに違いない。
爆風に呷られた黒の外套がヒラリと揺れる。
その姿は悲しいくらい孤高を保ち、切ないくらい綺麗だった。
「俺は、後悔しない。後悔しないと、そう決めた」
風に乗りささやかな声が聞こえた気がした。
だから雲雀もトンファーを構え躍り出た。
大空を支える天候の一角として。
牙を抜かれた草食動物の群れへと、制裁を加えるために。
彼が後悔しないと決めたなら、雲雀はそれに付き合うだけだ。
群れに混じらないというポリシーも、たまになら曲げてやってもいい。
■塞き止めろ
「弱いばかりに群れをなし」
予定通りのタイミングで踏み込んできた敵に、ゆるりと口角を上げる。
純和風の美貌が敵を前にして冴え渡る。
くるり、と右手首を返しトンファーを回す。
少し早いが計画の内だ。
死ぬ気の炎を武器へと移し、匣にも炎を注入する。
呼ばれるのを待っていたように飛び出た相棒に小さく笑った。
足音を隠すことすらせぬ敵は、多くとも雑魚にしか過ぎない。
雲雀ならば彼らを一掃するのに苦労しない。
たった今、逃したばかりの彼らとは違って。
くつり、と喉を震わせる。
もうすぐ、待ち望んだ瞬間が来る。
雲雀は『彼』との約束を果たした。ならば今度は『彼』が雲雀との約束を果たす番だ。
小さな子供の戦闘力は、未だ彼には遙か及ばない。
知識量も経験値も判断力も何もかも。
それでも彼が信じると決め、自分自身が鍛えた子供に賭けると決めた。
トンファーが空を切る。
今日の雲雀はいつもより気分良く戦えそうだ。
雲雀の姿を認めた敵が、徐々に足を止める。
戸惑う表情を浮かべ止まるより先に武器を手にとれば、あるいは一手くらいは負わせれたかもしれないのに。
愚鈍な相手に嘲笑しか浮かばない。
「咬み殺される、袋の鼠」
そう、彼らは贄であり供物だ。
雲雀が育てた『彼』が迷わずに進めるように除外される存在。
子供はまだ『彼』ではなく、『彼』が帰る切欠にすらなっていない。
泣き言に塗れた怯えを纏わせる子供は、『可能性』だと彼は断じた。
雲雀はボスとしての『彼』を信じ、力を貸した。
他の誰にも明かさぬ秘密を雲雀にだけ共有させた、そんな『彼』を負けさせるわけに行かない。
子供が勝利しなければ、『彼』に文句を言うことも出来ないのだから。
「早く、帰っておいで綱吉。『他の君』が為しえないことでも、『僕の君』なら出来る筈だ」
一人、また一人と草食動物を咬み殺し、雲雀は今ここに居ない存在へと語りかける。
「早く帰っておいで。君の道は僕が切り開いてあげる」
『君』が目を覚ましたら、十年前の『君』がどれだけ酷かったか一番に教えてあげる。
日本に作ったこの基地の、雲雀の自室に上等の酒を謙譲させて、懇々と説教をしてあげる。
そうしたら、あの『彼』特有の情けなく眉を下げ目を細めた笑顔がきっと見れるだろう。
だからまずは。
目の前で子供を追うために躍起になるこの雑魚たちを、全て切り崩してしまおう。
雲雀が待ってる『彼』を得るために。
>>スイミー様
こんばんは、スイミー様w
また遊びに来てくださって凄く嬉しいです。
毎日コメントありがとうございますーw
それを糧に日々生きております★
話の出だしとは未来篇の三人で勝負シリーズ(勝手に命名)ですよね?
十五禁に進んでしまおうか止めようかの地味な葛藤があの先頭の文章に集約されてます(笑)
スイミー様のツボをついているなら、それはとても嬉しいですw
琥一君は誕生日篇でちょっと酷い目にあってもらった後、また別のお話でおねだりしてもらいますw
勇気を振り絞って躊躇し照れながら頑張って欲しいです・・・っ!
この三人のストーカー、我がサイトで宜しければいつでもお願いいたしますww
前回は名なしさんでしたが、今回はきっちりと入っていましたので、大丈夫ですよ。
もし入ってないときには文章を出だしに表示させていただいておりますので、そこだけご了承くださいませw
楽しい未来篇ですが、次回の更新は高校生篇か過去篇にする予定です。
子供の頃の話も捏造するの楽しくて好きですし、高校時代のトライアングルも好きなんですw
子供時代は琥一君贔屓魂が現れ彼視点が多いです。
妄想は楽しいです。
ちなみに今回の更新の話の後。
「ねぇ、琉夏君。首尾はどう?」
「俺はばっちり。冬姫は?」
「OKだよ。じゃあ、琥一君が仕事中に予定通りに進めようか」
「うん。コウの怒った顔が想像できる」
と二人はひそひそ会話し撮った写真を現像、及び飾り付けして琥一へプレゼントします。
彼は怒りながらも無碍に出来ず、結局何処かに大事にしまってそうです★
また是非遊びにいらして下さいw
Web拍手、ありがとうございました!
こんばんは、スイミー様w
また遊びに来てくださって凄く嬉しいです。
毎日コメントありがとうございますーw
それを糧に日々生きております★
話の出だしとは未来篇の三人で勝負シリーズ(勝手に命名)ですよね?
十五禁に進んでしまおうか止めようかの地味な葛藤があの先頭の文章に集約されてます(笑)
スイミー様のツボをついているなら、それはとても嬉しいですw
琥一君は誕生日篇でちょっと酷い目にあってもらった後、また別のお話でおねだりしてもらいますw
勇気を振り絞って躊躇し照れながら頑張って欲しいです・・・っ!
この三人のストーカー、我がサイトで宜しければいつでもお願いいたしますww
前回は名なしさんでしたが、今回はきっちりと入っていましたので、大丈夫ですよ。
もし入ってないときには文章を出だしに表示させていただいておりますので、そこだけご了承くださいませw
楽しい未来篇ですが、次回の更新は高校生篇か過去篇にする予定です。
子供の頃の話も捏造するの楽しくて好きですし、高校時代のトライアングルも好きなんですw
子供時代は琥一君贔屓魂が現れ彼視点が多いです。
妄想は楽しいです。
ちなみに今回の更新の話の後。
「ねぇ、琉夏君。首尾はどう?」
「俺はばっちり。冬姫は?」
「OKだよ。じゃあ、琥一君が仕事中に予定通りに進めようか」
「うん。コウの怒った顔が想像できる」
と二人はひそひそ会話し撮った写真を現像、及び飾り付けして琥一へプレゼントします。
彼は怒りながらも無碍に出来ず、結局何処かに大事にしまってそうです★
また是非遊びにいらして下さいw
Web拍手、ありがとうございました!
「かなでは本当に可愛いなあ」
にこにこと。満面の笑みを浮かべて頭を撫で続ける手を黙って享受すれば、益々機嫌がよくなったらしい彼は長い腕でかなでの体を抱きしめる。本当に血が繋がっているのかと疑問に思うくらいにある身長差のお陰で、小柄なかなでは彼の体に誂えたようにすっぽりと収まった。
本来ならこのような行動ははしたないと慎まなければ行けない身分にある二人だが、現在大地の仕事部屋である伯爵専用の執務室には他に人の姿はなく誰も注意するものはいない。
クリーム色の壁に古いながらも質の良い家具。光を取り入れる大き目の窓の脇には花瓶が置かれ、朝摘みの薔薇が飾られていた。窓からは広い庭が見え彼が相続した屋敷の大きさを想像させる。庭師が丹精に手入れした庭は壮観で、四季折々の花を咲かせていた。
途切れず花が咲いているのは屋敷の主の指示であり、同時に彼の最愛の妹の為でもある。主人が溺愛する存在は屋敷の使用人にとっても同様で、その広い場所はただ一人の少女の為と言っても過言ではなかった。
茶色の髪に甘いマスク、長身でスタイルのいい屋敷の主人である大地は、柔らかな雰囲気を持つ華奢で愛らしいかなでとは似ていない兄妹だ。国でも名家と名高い伯爵家の似ていない彼ら二人は、けれども貴族としてはあるまじき程に仲が良いと有名でもある。それは二人の両親が幼くして他界したことも理由の一つに上げれるだろうが、寄り添うように生きてきた二人の絆は生半可なものではなかった。
「そのドレス。先日一緒に見立てたものだろう?やっぱりかなでに良く似合うね」
「ありがとう、お兄様」
「ほら兄様に良く見せてごらん」
微笑みながら告げればはにかみ微笑んだかなでは、淡い黄色のドレスの端を持ちくるりと回る。幾重にもレースが重なるそれは少し子供っぽいデザインであったが、年よりも幼い顔立ちのかなでには本当に似合った。
兄の欲目でなく、かなでは可愛らしい。大地よりも一層薄い色をした髪を肩を越すくらいで切りそろえ、頬に掛かる髪が揺れるたびに触れたいと欲し手を伸ばしてしまいたくなる。大きな瞳は好奇心旺盛にきらきらと光り、浮かべる微笑は自愛に満ちている。春の木漏れ日のように安心感を与える穏やかな雰囲気を持ちながら、決して折れない凛とした芯も持っていた。思わず突付きたくなるくらいに柔らかそうな白い肌。頬は淡く染まり唇は桜色。
傾国の美女、と言うわけではないが守ってあげたいと庇護欲を掻き立てられる男は多く、社交界デビューしてこの方、かなでに持ちこまれる縁談は絶えない。
それにかなでには人に注目される理由がもう一つあった。
「それで?今度の社交界で弾く楽曲は決まったのかい?」
「はい。先日陛下から楽譜が贈られたでしょう?あれにしました」
「・・・陛下から、か」
かなでの言葉に大地は渋い表情をした。
大地の妹が、伯爵家の令嬢としてでなく注目される理由。それは秀でた楽器を奏でる腕にある。
貴族の娘として楽器を習うものは少なくないが、かなでほど見事に弾きこなせる存在を大地は知らない。かなでの演奏する曲はどれも独特の世界観を持ち、うっとり聞き惚れたり気がつけば涙が零れていたりなんていうのは当たり前の現象で世俗に塗れ滅多なことに感情を動かさなくなった貴族の間でも人気は高い。
だが令嬢であるかなでを演奏家として呼び寄せれる相手は限られており、その陛下、とかなでが呼んだこの国の第一皇子は特権を行使できる限られた人間の一人だった。第一皇子とは言っても王が現存すれば何歳になっても皇子と呼ばれる故で、彼の年齢は大地を二倍しさらに五つほど足したものだ。子供も数人おり一番上の子供は大地と同じ年である。
容姿端麗で頭脳明晰な策士だが、穏やかな笑みの奥にある見えない感情が大地に彼を拒絶させた。
生理的嫌悪感、とでもいうのだろうか。
国を治めるものとしての資質は類を見ないほどで尊敬しているのだが、彼の何かが大地に受け入れられない。それはかなでを眺める瞳であったり、演奏を褒める口調であったりと些細なものばかりであったが、立場は違えど性格的問題で対立している彼の息子の方が余程好意的に見えた。
ひっそりと眉間に皺を寄せた大地に、きょとりと大きな瞳を瞬かせたかなでは首を傾げる。心配そうに見上げてきた妹に苦笑すると、もう一度大きな掌を頭に載せた。
くしゃりと髪を撫でれば、飼い主に可愛がられる犬の如くほんわりと安堵し微笑む。この笑顔を守り抜きたいと、守らねばいけないと心密かに誓った。
「───かなでを、嫁に貰いたいですって?」
「そや。俺は本気やよ」
「到底信じられませんね。貴方のお噂を俺が知らないとでも?」
「いややな。噂は噂やで、榊君。それにそういうのはお互い様やろ?」
可愛らしい妹ちゃんにお兄様の交友関係教えてもええの?
細く長い指を唇に当てた男に大地は唇をかみ締めた。
薄紫色の長い髪を緩く纏めた優男───に見えて実のところ相当食えないこの国の第一皇子の第一子を睨みつける。いくら大地の立場が国でも有数のものとは言え、たかだか伯爵がするには不敬ととられても仕方ない表情にけれど彼は余裕を持った笑みを浮かべた。
こんな笑顔を浮かべるこの男は性質が悪いと大地は経験で知っている。何せその身分から幼い頃から彼の遊び相手として付き合ってきた大地だ。性格の不一致はともかく、能力的にも外見的にも彼と比較され続け切磋琢磨した分彼の性分も知り尽くしている。
ついでに、認めたくないが、彼が妹に向ける想いが本物であるのも知っていた。
「・・・本気ですか」
「当たり前や。俺が子供の頃からどれくらいかなでちゃんを想うとうか知っとうやろ」
「俺は、かなでを泣かすような真似をする男にかなでをくれてやる気はない」
「泣かせんよ。誰より一等大事にして、幸せにする。でろでろに甘やかして何でも我侭聞いたって、俺から離れれんように」
「最悪だ。よりによってお前みたいな性悪に付きまとわれるなんて。おかげでかなでの縁談は全て顔合わせ前に潰されるし、今じゃ行かず後家寸前とまで噂されてるんだぞ」
「ははは、素にも戻っとうよ榊君。よう言うわ。君かてどれほど条件がいい男でも、端から聞き入れるつもりはなかった癖に。兄妹の独占欲にしては行き過ぎと違うん?」
男の言葉に唇を噛み締めた。言われなくとも大地とて判っている。
かなでは大地の妹だ。
血を分けたただ一人の存在。世界中を探しても彼女の変わりは居らず、世界中を探しても彼女以上に特別は居ない。
かなでが微笑めば世界は色を鮮やかにする。
───何故なら、かなでは大地にとって生きている理由。
かなでが悲しめば世界は全て沈み込む。
───何故なら、かなでは大地にとって感情を左右する存在。
かなでが驚けばその愛らしさに胸が詰まる。
───何故なら、かなでは大地の心臓を握る人。
かなでが居れば大地は大地で居れる。
───何故なら、かなでこそが大地を大地足らしめる大地の一部。
大地の世界の中心はかなでで、他の誰かでも何かでもない。
笑顔を愛しいと思うが他の誰かへ向けられるなら無くなってしまえばいいと心から望む。
誰かの手に触れられれば、焼け焦げるような焦燥に駆られ相手を殺しかなでを束縛したいと願う。
涙を零しているのなら、悲しんでいるかなでを存分に甘やかし、泣かせた相手に報復と同時に麗辞を告げたい。 かなでを、俺に依存させてくれてありがとう、と。
目の前で哂う男は、大地が彼を知っているのと同様に大地を理解している。この醜くおぞましい、決して妹に抱くべきではない感情を見透かしているに違いない。
妹に触れたいと希い、その肌に余す事無く自分のものであると印をつけたいと欲する大地を。いっそ孕ませて何処にも逃がさないように屋敷の奥深くに監禁出来たなら、大地の心はどれだけ潤うか。幾度も願い、望み、けれど結局それが出来ないのは、それ以上に自由である今のかなでを愛してるから。
大地を見詰めるかなでの眼差しは敬愛と信頼に溢れている。その全てを踏み躙りたいと欲し、出来ない自分を骨身に染み渡るくらいに理解していた。
鉄錆臭い味が口内に広がり、切れたかと気づくがどうでもいい。
いつの間にか握り締めていた拳に爪が食い込み、誰にも犯すことが出来ない自分たちの絆───血の繋がりを疎んだ。
「俺にしとき、榊君。君かて馬鹿やない。知っとう筈や。あの人が、動き始めた事くらい」
彼の言うあの人、とは大地にも嫌になるくらいに覚えがある。
親子の情を感じさせない呼び名で自身の父を呼んだ男は、冴え瞳に侮蔑の色を滲ませ唇を歪めた。
そう。大地も知っている。
この数年、かなでがしかるべき年齢になるまで手を拱いて待っていた男の存在くらい。父と子ほどもある年齢差を気にせず、かなでを手に入れようと動き出した醜悪な存在を。
眉間に皺を刻み込み苦汁の表情を浮かべる。認めたくない。認めたくないが、大地には万が一彼がかなでを欲した際に、逆らうべき術を持ち合わせていなかった。
苦々しい想いを吐き出す為に、胸の奥から息を吐き出す。
妹に懸想するこの歪んだ兄妹愛も、一緒に吐き出せればいいものを。囚われ、縫い付けられるのを望んでいるのは自分自身だというのに。
「───お前は」
「・・・・・・」
「お前なら、かなでを守り通せると言うのか」
掠れる声で絞り出されたそれは、悔しさが滲み出ている。
兄として、男として愛した存在を守れない、守る術を持たないと嘆く声が。
そんな大地を先ほどまでとは違い静かな眼差しで見詰めた男は、こくりと一つ頷いた。
「俺には、それが出来る」
宣言され、大地は強く目を瞑る。
仕方がないのだ。他に手がない。
年寄りの戯れで妾の一人にされるより。認めたくないが、子供の頃から本気で彼女を想う相手にくれてやる方がずっとずっと納得できた。
その相手が例え自分と反りが合わずとも、大地自身認めることが出来るくらいに有能でかなでを幸せに出来る術を持ちえる相手なら尚の事。
掌で目元を覆う。
「妹を───・・・かなでを、頼む」
囁かれた声は我ながら風が吹けば飛ばされそうなくらいにささやかなものだった。
妹が嫁に出て数年。
大地に宣言したように、今では第一皇子の身分となった彼は側室を作らず、ただ一人かなでだけを愛し欲した。
今では鴛鴦夫婦として名を響かせている妹夫婦は、先日第一子を設けた。かなでに似て愛らしい容姿を持ち、彼女の旦那と似て聡明な瞳を持つその子供は、大地にとっても可愛らしい甥っ子で目に入れても痛くない。先日顔見せに来た彼らに申し入れ、彼を無理やり預からせてもらう程度に大地は甥っ子に心を砕いていた。
それが結果として幸いした。
大地がその訃報を聞いたのは、仕事を終え可愛い甥っ子の面倒を見ようと彼専用の部屋に向かう途中だった。地面が揺れたと錯覚し、世界が暗転するほどの衝撃を生まれて初めて受けた。
かなでたちの乗った馬車が不慮の事故で崖下に転落。
さらには遺体は谷が深すぎ捜索は無理だと。それを聞いた瞬間、脳裏に浮かんだのは最後に顔を合わせた時の二人の態度だ。
『お兄様』
『お前に兄呼ばわりされる気はない。気色悪い』
『まぁ、お兄様。私の旦那様だからお兄様の義弟で間違ってないでしょう?』
『かなでは俺の妹だけど、こんなクソ生意気な義弟を持った記憶はないね』
『はは。相変わらず素直やないね、お兄様』
笑った男は昔と違い何処か安定している。
それを齎したのが自分の妹だというのは誇りだが、それでも未だに奪われた感情の方が上だ。未練がましくも尚妹に執着している自分は何処まで歪なのか。
全てを知っている上で厚かましくかなでの肩を抱く男は、大地の葛藤も憤りも判った上で鼻で笑う。性格の悪さは健在で、だからこそ安心して預けられるのだろう。以前なら苛立ちこの世から消し去ってやりたいと切望したが、今日は何とか踏みとどまる。その理由は大地の腕に抱かれた存在であり、柔らかく小さなかなでの分身にあった。
初めて腕に抱く甥っ子は小さく、掌なんて指先くらいの大きさもない。柔らかで抱きしめれば壊れしまいそうなくらいに華奢でありながら、見上げる大きな瞳は真っ直ぐで好奇心に輝く。普段は人見知りをするという彼は、何故か大地には初対面から懐いた。
未だにかなでへの想いを捨てられず、結婚相手を決められない大地からすれば本来なら別の男との間に設けられた子供など忌避すべき存在としなければいけないのだろうが、それが出来なかったのはこの子の笑顔があまりにもかなでと似ていて、尚且つ瞳の色以外彼女の旦那との相違点を見受けられなかったからだろう。
憎むには子供はかなでに瓜二つすぎた。声を上げ笑う子供に大地も笑顔を返す。すると益々嬉しそうに笑う子供は、まるで子供の頃のかなでを髣髴とさせた。
『お兄様に懐いてくれて良かったわ』
『?どういう意味だ?』
『これで、何かあってもこの子はお兄様に面倒見て貰えるやろ、と判断したっちゅうことや。あ、この子の後継人はお兄様で手続きしてあるからよろしくな』
『だからお兄様と呼ぶなと言っているだろう。・・・どういうことだ?』
『ほんなん聞くん?いけずやな、お兄様。かなでちゃんと二人きりになりたいときには面倒見たってって意味に決まっとうやん』
『・・・・・・』
『ねぇお兄様』
『何だい、かなで』
『私たちが居ない時は、この子をお願いします』
ふわり、と見せた微笑は彼が知る通りに穏やかで優しげなものだったのに、何処か悲しげでもあり。
手を伸ばし抱きしめようとしたが、その前に彼女の旦那となった男に奪われた。じとりと睨みつければ、へらりと笑う瞳の奥に怒りが宿され唇を噛み腕を下ろす。
彼が見せる執着は本物で、愛情も本物。だからこそ、認めたのだろうと嫌がる自身を納得させた。きっと彼は何があってもかなでを離さない。例え、我が子を手放したとしても。
嫌な予感は往々にして当たるものだ。外れて欲しいと願うものは特に。二人が亡くなり葬儀が行われた数日後に、彼の幼馴染であり悪友でもあった男からの手紙が届いた。
内容を確認し、そこに書いてある文章に大地は唇を噛み締める。纏めるととても単純で、けれど大地には認めようもないものだった。
曰く以前第一皇子であった男、現在国の頂点に立つ人がかなでを欲したところから文章は始まっていた。
予防線を張り手を打ち出来うる限りの策を弄したものの、強引な現王は法律を歪めてでもかなでの存在を得ようとしたと。
だがかなでが選んだ男はそれを許せなかったらしい。全てを敵にまわしても、全てが自分から離れても、かなでが居なくなることだけは耐えられないと、彼らしくもない切々とした文章が続き。
『ごめんな、榊君。俺は、かなでちゃんを手放せん』
最後にはこの一言で締めくくられていた。
それを読み終えたとき、大地は悟った。馬車の転落は事故ではなく、故意であったのを。
震える掌が無意識に手紙を握りつぶす。
こんな筈ではなかった。かなでを死なせるために、彼に嫁がせたのではない。
幸せになって欲しいから、笑っているかなでを愛していたからこそ、自分の想いを殺してまで別の男の手に委ねたのだ。それを信じたからこそ、繋がれていた手を放したのだ。温かい家庭を築き、穏やかに年を取り、最後には笑って全てを終えられるように。
それなのに現実はどうだ。
最愛の妹は死に、残された子には親はなく、なのに全ての根源である男はのうのうと何も知らぬ顔で玉座に座り我が子の死を嘆く振りをし民の同情を買い叩く。
こんなことが許されるはずはない。許されていいはずがない。
今は主の居ない嘗ては笑顔の絶えない少女の部屋だった場所に足を踏み入れる。そこはかなでが家を出て行く前と寸分も違わず保存され、大地にとって聖域であった。
誰も入れぬように鍵をかけ、大地だけが入れるその場所。ふらふらと覚束ない足でベッドまで歩み寄ると、倒れ伏す様に崩れ落ちた。
「愛してる。愛してたんだ、世界中の誰よりも。俺を、置いていかないでくれ。かなでッ・・・!!」
血を吐き出すような悲痛な叫びは、最早届かないというのに。
それからの話を少しだけしよう。
妹の残した子供を榊伯爵は成人するまで後継人を務めた。
彼の政治的手腕は秀でており、時の賢王とまで呼ばれた当時の王を凌ぐほどの信頼を民から勝ち得、国を発展させるべき貢献を残す。
そして、当時の王が隠していた数々の不正及び着服金を書面で民に公開し、王族を悉く政界から隔絶した場所へと追いやった。
頂くべき王を失い混乱をきたした国の王へと、両親が没したため継承権を大幅に下げた甥っ子を据えると彼の戴冠式の翌日に姿を消したという。
史実に刻まれるほどの実績を残した伯爵はそれ以降表舞台に姿を現すことはなかった。彼の後を追うように火がつけられた屋敷は全焼し、美しく印象的な花園も、何処か温かみを感じさせた屋敷も全て失われ使用人達は口を噤み主からの持参金を片手に故郷へと消えた。
跡継ぎのなかった伯爵家は当時最大の権力を持ちながらも、新たなる王の意向で取り潰しとなった。
父も母も、そして最期の肉親すらも失った王はそれでも穏やかに笑ったという。
『これで、彼も漸くいけた』
その言葉を真に理解できたのは、発した本人だけであったが、その意味を彼が世間に伝えることは最後までなかったという。
にこにこと。満面の笑みを浮かべて頭を撫で続ける手を黙って享受すれば、益々機嫌がよくなったらしい彼は長い腕でかなでの体を抱きしめる。本当に血が繋がっているのかと疑問に思うくらいにある身長差のお陰で、小柄なかなでは彼の体に誂えたようにすっぽりと収まった。
本来ならこのような行動ははしたないと慎まなければ行けない身分にある二人だが、現在大地の仕事部屋である伯爵専用の執務室には他に人の姿はなく誰も注意するものはいない。
クリーム色の壁に古いながらも質の良い家具。光を取り入れる大き目の窓の脇には花瓶が置かれ、朝摘みの薔薇が飾られていた。窓からは広い庭が見え彼が相続した屋敷の大きさを想像させる。庭師が丹精に手入れした庭は壮観で、四季折々の花を咲かせていた。
途切れず花が咲いているのは屋敷の主の指示であり、同時に彼の最愛の妹の為でもある。主人が溺愛する存在は屋敷の使用人にとっても同様で、その広い場所はただ一人の少女の為と言っても過言ではなかった。
茶色の髪に甘いマスク、長身でスタイルのいい屋敷の主人である大地は、柔らかな雰囲気を持つ華奢で愛らしいかなでとは似ていない兄妹だ。国でも名家と名高い伯爵家の似ていない彼ら二人は、けれども貴族としてはあるまじき程に仲が良いと有名でもある。それは二人の両親が幼くして他界したことも理由の一つに上げれるだろうが、寄り添うように生きてきた二人の絆は生半可なものではなかった。
「そのドレス。先日一緒に見立てたものだろう?やっぱりかなでに良く似合うね」
「ありがとう、お兄様」
「ほら兄様に良く見せてごらん」
微笑みながら告げればはにかみ微笑んだかなでは、淡い黄色のドレスの端を持ちくるりと回る。幾重にもレースが重なるそれは少し子供っぽいデザインであったが、年よりも幼い顔立ちのかなでには本当に似合った。
兄の欲目でなく、かなでは可愛らしい。大地よりも一層薄い色をした髪を肩を越すくらいで切りそろえ、頬に掛かる髪が揺れるたびに触れたいと欲し手を伸ばしてしまいたくなる。大きな瞳は好奇心旺盛にきらきらと光り、浮かべる微笑は自愛に満ちている。春の木漏れ日のように安心感を与える穏やかな雰囲気を持ちながら、決して折れない凛とした芯も持っていた。思わず突付きたくなるくらいに柔らかそうな白い肌。頬は淡く染まり唇は桜色。
傾国の美女、と言うわけではないが守ってあげたいと庇護欲を掻き立てられる男は多く、社交界デビューしてこの方、かなでに持ちこまれる縁談は絶えない。
それにかなでには人に注目される理由がもう一つあった。
「それで?今度の社交界で弾く楽曲は決まったのかい?」
「はい。先日陛下から楽譜が贈られたでしょう?あれにしました」
「・・・陛下から、か」
かなでの言葉に大地は渋い表情をした。
大地の妹が、伯爵家の令嬢としてでなく注目される理由。それは秀でた楽器を奏でる腕にある。
貴族の娘として楽器を習うものは少なくないが、かなでほど見事に弾きこなせる存在を大地は知らない。かなでの演奏する曲はどれも独特の世界観を持ち、うっとり聞き惚れたり気がつけば涙が零れていたりなんていうのは当たり前の現象で世俗に塗れ滅多なことに感情を動かさなくなった貴族の間でも人気は高い。
だが令嬢であるかなでを演奏家として呼び寄せれる相手は限られており、その陛下、とかなでが呼んだこの国の第一皇子は特権を行使できる限られた人間の一人だった。第一皇子とは言っても王が現存すれば何歳になっても皇子と呼ばれる故で、彼の年齢は大地を二倍しさらに五つほど足したものだ。子供も数人おり一番上の子供は大地と同じ年である。
容姿端麗で頭脳明晰な策士だが、穏やかな笑みの奥にある見えない感情が大地に彼を拒絶させた。
生理的嫌悪感、とでもいうのだろうか。
国を治めるものとしての資質は類を見ないほどで尊敬しているのだが、彼の何かが大地に受け入れられない。それはかなでを眺める瞳であったり、演奏を褒める口調であったりと些細なものばかりであったが、立場は違えど性格的問題で対立している彼の息子の方が余程好意的に見えた。
ひっそりと眉間に皺を寄せた大地に、きょとりと大きな瞳を瞬かせたかなでは首を傾げる。心配そうに見上げてきた妹に苦笑すると、もう一度大きな掌を頭に載せた。
くしゃりと髪を撫でれば、飼い主に可愛がられる犬の如くほんわりと安堵し微笑む。この笑顔を守り抜きたいと、守らねばいけないと心密かに誓った。
「───かなでを、嫁に貰いたいですって?」
「そや。俺は本気やよ」
「到底信じられませんね。貴方のお噂を俺が知らないとでも?」
「いややな。噂は噂やで、榊君。それにそういうのはお互い様やろ?」
可愛らしい妹ちゃんにお兄様の交友関係教えてもええの?
細く長い指を唇に当てた男に大地は唇をかみ締めた。
薄紫色の長い髪を緩く纏めた優男───に見えて実のところ相当食えないこの国の第一皇子の第一子を睨みつける。いくら大地の立場が国でも有数のものとは言え、たかだか伯爵がするには不敬ととられても仕方ない表情にけれど彼は余裕を持った笑みを浮かべた。
こんな笑顔を浮かべるこの男は性質が悪いと大地は経験で知っている。何せその身分から幼い頃から彼の遊び相手として付き合ってきた大地だ。性格の不一致はともかく、能力的にも外見的にも彼と比較され続け切磋琢磨した分彼の性分も知り尽くしている。
ついでに、認めたくないが、彼が妹に向ける想いが本物であるのも知っていた。
「・・・本気ですか」
「当たり前や。俺が子供の頃からどれくらいかなでちゃんを想うとうか知っとうやろ」
「俺は、かなでを泣かすような真似をする男にかなでをくれてやる気はない」
「泣かせんよ。誰より一等大事にして、幸せにする。でろでろに甘やかして何でも我侭聞いたって、俺から離れれんように」
「最悪だ。よりによってお前みたいな性悪に付きまとわれるなんて。おかげでかなでの縁談は全て顔合わせ前に潰されるし、今じゃ行かず後家寸前とまで噂されてるんだぞ」
「ははは、素にも戻っとうよ榊君。よう言うわ。君かてどれほど条件がいい男でも、端から聞き入れるつもりはなかった癖に。兄妹の独占欲にしては行き過ぎと違うん?」
男の言葉に唇を噛み締めた。言われなくとも大地とて判っている。
かなでは大地の妹だ。
血を分けたただ一人の存在。世界中を探しても彼女の変わりは居らず、世界中を探しても彼女以上に特別は居ない。
かなでが微笑めば世界は色を鮮やかにする。
───何故なら、かなでは大地にとって生きている理由。
かなでが悲しめば世界は全て沈み込む。
───何故なら、かなでは大地にとって感情を左右する存在。
かなでが驚けばその愛らしさに胸が詰まる。
───何故なら、かなでは大地の心臓を握る人。
かなでが居れば大地は大地で居れる。
───何故なら、かなでこそが大地を大地足らしめる大地の一部。
大地の世界の中心はかなでで、他の誰かでも何かでもない。
笑顔を愛しいと思うが他の誰かへ向けられるなら無くなってしまえばいいと心から望む。
誰かの手に触れられれば、焼け焦げるような焦燥に駆られ相手を殺しかなでを束縛したいと願う。
涙を零しているのなら、悲しんでいるかなでを存分に甘やかし、泣かせた相手に報復と同時に麗辞を告げたい。 かなでを、俺に依存させてくれてありがとう、と。
目の前で哂う男は、大地が彼を知っているのと同様に大地を理解している。この醜くおぞましい、決して妹に抱くべきではない感情を見透かしているに違いない。
妹に触れたいと希い、その肌に余す事無く自分のものであると印をつけたいと欲する大地を。いっそ孕ませて何処にも逃がさないように屋敷の奥深くに監禁出来たなら、大地の心はどれだけ潤うか。幾度も願い、望み、けれど結局それが出来ないのは、それ以上に自由である今のかなでを愛してるから。
大地を見詰めるかなでの眼差しは敬愛と信頼に溢れている。その全てを踏み躙りたいと欲し、出来ない自分を骨身に染み渡るくらいに理解していた。
鉄錆臭い味が口内に広がり、切れたかと気づくがどうでもいい。
いつの間にか握り締めていた拳に爪が食い込み、誰にも犯すことが出来ない自分たちの絆───血の繋がりを疎んだ。
「俺にしとき、榊君。君かて馬鹿やない。知っとう筈や。あの人が、動き始めた事くらい」
彼の言うあの人、とは大地にも嫌になるくらいに覚えがある。
親子の情を感じさせない呼び名で自身の父を呼んだ男は、冴え瞳に侮蔑の色を滲ませ唇を歪めた。
そう。大地も知っている。
この数年、かなでがしかるべき年齢になるまで手を拱いて待っていた男の存在くらい。父と子ほどもある年齢差を気にせず、かなでを手に入れようと動き出した醜悪な存在を。
眉間に皺を刻み込み苦汁の表情を浮かべる。認めたくない。認めたくないが、大地には万が一彼がかなでを欲した際に、逆らうべき術を持ち合わせていなかった。
苦々しい想いを吐き出す為に、胸の奥から息を吐き出す。
妹に懸想するこの歪んだ兄妹愛も、一緒に吐き出せればいいものを。囚われ、縫い付けられるのを望んでいるのは自分自身だというのに。
「───お前は」
「・・・・・・」
「お前なら、かなでを守り通せると言うのか」
掠れる声で絞り出されたそれは、悔しさが滲み出ている。
兄として、男として愛した存在を守れない、守る術を持たないと嘆く声が。
そんな大地を先ほどまでとは違い静かな眼差しで見詰めた男は、こくりと一つ頷いた。
「俺には、それが出来る」
宣言され、大地は強く目を瞑る。
仕方がないのだ。他に手がない。
年寄りの戯れで妾の一人にされるより。認めたくないが、子供の頃から本気で彼女を想う相手にくれてやる方がずっとずっと納得できた。
その相手が例え自分と反りが合わずとも、大地自身認めることが出来るくらいに有能でかなでを幸せに出来る術を持ちえる相手なら尚の事。
掌で目元を覆う。
「妹を───・・・かなでを、頼む」
囁かれた声は我ながら風が吹けば飛ばされそうなくらいにささやかなものだった。
妹が嫁に出て数年。
大地に宣言したように、今では第一皇子の身分となった彼は側室を作らず、ただ一人かなでだけを愛し欲した。
今では鴛鴦夫婦として名を響かせている妹夫婦は、先日第一子を設けた。かなでに似て愛らしい容姿を持ち、彼女の旦那と似て聡明な瞳を持つその子供は、大地にとっても可愛らしい甥っ子で目に入れても痛くない。先日顔見せに来た彼らに申し入れ、彼を無理やり預からせてもらう程度に大地は甥っ子に心を砕いていた。
それが結果として幸いした。
大地がその訃報を聞いたのは、仕事を終え可愛い甥っ子の面倒を見ようと彼専用の部屋に向かう途中だった。地面が揺れたと錯覚し、世界が暗転するほどの衝撃を生まれて初めて受けた。
かなでたちの乗った馬車が不慮の事故で崖下に転落。
さらには遺体は谷が深すぎ捜索は無理だと。それを聞いた瞬間、脳裏に浮かんだのは最後に顔を合わせた時の二人の態度だ。
『お兄様』
『お前に兄呼ばわりされる気はない。気色悪い』
『まぁ、お兄様。私の旦那様だからお兄様の義弟で間違ってないでしょう?』
『かなでは俺の妹だけど、こんなクソ生意気な義弟を持った記憶はないね』
『はは。相変わらず素直やないね、お兄様』
笑った男は昔と違い何処か安定している。
それを齎したのが自分の妹だというのは誇りだが、それでも未だに奪われた感情の方が上だ。未練がましくも尚妹に執着している自分は何処まで歪なのか。
全てを知っている上で厚かましくかなでの肩を抱く男は、大地の葛藤も憤りも判った上で鼻で笑う。性格の悪さは健在で、だからこそ安心して預けられるのだろう。以前なら苛立ちこの世から消し去ってやりたいと切望したが、今日は何とか踏みとどまる。その理由は大地の腕に抱かれた存在であり、柔らかく小さなかなでの分身にあった。
初めて腕に抱く甥っ子は小さく、掌なんて指先くらいの大きさもない。柔らかで抱きしめれば壊れしまいそうなくらいに華奢でありながら、見上げる大きな瞳は真っ直ぐで好奇心に輝く。普段は人見知りをするという彼は、何故か大地には初対面から懐いた。
未だにかなでへの想いを捨てられず、結婚相手を決められない大地からすれば本来なら別の男との間に設けられた子供など忌避すべき存在としなければいけないのだろうが、それが出来なかったのはこの子の笑顔があまりにもかなでと似ていて、尚且つ瞳の色以外彼女の旦那との相違点を見受けられなかったからだろう。
憎むには子供はかなでに瓜二つすぎた。声を上げ笑う子供に大地も笑顔を返す。すると益々嬉しそうに笑う子供は、まるで子供の頃のかなでを髣髴とさせた。
『お兄様に懐いてくれて良かったわ』
『?どういう意味だ?』
『これで、何かあってもこの子はお兄様に面倒見て貰えるやろ、と判断したっちゅうことや。あ、この子の後継人はお兄様で手続きしてあるからよろしくな』
『だからお兄様と呼ぶなと言っているだろう。・・・どういうことだ?』
『ほんなん聞くん?いけずやな、お兄様。かなでちゃんと二人きりになりたいときには面倒見たってって意味に決まっとうやん』
『・・・・・・』
『ねぇお兄様』
『何だい、かなで』
『私たちが居ない時は、この子をお願いします』
ふわり、と見せた微笑は彼が知る通りに穏やかで優しげなものだったのに、何処か悲しげでもあり。
手を伸ばし抱きしめようとしたが、その前に彼女の旦那となった男に奪われた。じとりと睨みつければ、へらりと笑う瞳の奥に怒りが宿され唇を噛み腕を下ろす。
彼が見せる執着は本物で、愛情も本物。だからこそ、認めたのだろうと嫌がる自身を納得させた。きっと彼は何があってもかなでを離さない。例え、我が子を手放したとしても。
嫌な予感は往々にして当たるものだ。外れて欲しいと願うものは特に。二人が亡くなり葬儀が行われた数日後に、彼の幼馴染であり悪友でもあった男からの手紙が届いた。
内容を確認し、そこに書いてある文章に大地は唇を噛み締める。纏めるととても単純で、けれど大地には認めようもないものだった。
曰く以前第一皇子であった男、現在国の頂点に立つ人がかなでを欲したところから文章は始まっていた。
予防線を張り手を打ち出来うる限りの策を弄したものの、強引な現王は法律を歪めてでもかなでの存在を得ようとしたと。
だがかなでが選んだ男はそれを許せなかったらしい。全てを敵にまわしても、全てが自分から離れても、かなでが居なくなることだけは耐えられないと、彼らしくもない切々とした文章が続き。
『ごめんな、榊君。俺は、かなでちゃんを手放せん』
最後にはこの一言で締めくくられていた。
それを読み終えたとき、大地は悟った。馬車の転落は事故ではなく、故意であったのを。
震える掌が無意識に手紙を握りつぶす。
こんな筈ではなかった。かなでを死なせるために、彼に嫁がせたのではない。
幸せになって欲しいから、笑っているかなでを愛していたからこそ、自分の想いを殺してまで別の男の手に委ねたのだ。それを信じたからこそ、繋がれていた手を放したのだ。温かい家庭を築き、穏やかに年を取り、最後には笑って全てを終えられるように。
それなのに現実はどうだ。
最愛の妹は死に、残された子には親はなく、なのに全ての根源である男はのうのうと何も知らぬ顔で玉座に座り我が子の死を嘆く振りをし民の同情を買い叩く。
こんなことが許されるはずはない。許されていいはずがない。
今は主の居ない嘗ては笑顔の絶えない少女の部屋だった場所に足を踏み入れる。そこはかなでが家を出て行く前と寸分も違わず保存され、大地にとって聖域であった。
誰も入れぬように鍵をかけ、大地だけが入れるその場所。ふらふらと覚束ない足でベッドまで歩み寄ると、倒れ伏す様に崩れ落ちた。
「愛してる。愛してたんだ、世界中の誰よりも。俺を、置いていかないでくれ。かなでッ・・・!!」
血を吐き出すような悲痛な叫びは、最早届かないというのに。
それからの話を少しだけしよう。
妹の残した子供を榊伯爵は成人するまで後継人を務めた。
彼の政治的手腕は秀でており、時の賢王とまで呼ばれた当時の王を凌ぐほどの信頼を民から勝ち得、国を発展させるべき貢献を残す。
そして、当時の王が隠していた数々の不正及び着服金を書面で民に公開し、王族を悉く政界から隔絶した場所へと追いやった。
頂くべき王を失い混乱をきたした国の王へと、両親が没したため継承権を大幅に下げた甥っ子を据えると彼の戴冠式の翌日に姿を消したという。
史実に刻まれるほどの実績を残した伯爵はそれ以降表舞台に姿を現すことはなかった。彼の後を追うように火がつけられた屋敷は全焼し、美しく印象的な花園も、何処か温かみを感じさせた屋敷も全て失われ使用人達は口を噤み主からの持参金を片手に故郷へと消えた。
跡継ぎのなかった伯爵家は当時最大の権力を持ちながらも、新たなる王の意向で取り潰しとなった。
父も母も、そして最期の肉親すらも失った王はそれでも穏やかに笑ったという。
『これで、彼も漸くいけた』
その言葉を真に理解できたのは、発した本人だけであったが、その意味を彼が世間に伝えることは最後までなかったという。
更新内容
|
(06/28)
(04/07)
(04/07)
(04/07)
(03/31)
(03/30)
(03/30)
(03/30)
(03/30)
(03/25)
(03/25)
(03/25)
(03/25)
(03/24)
(03/24)
(03/24)
(03/23)
(03/14)
(03/14)
(03/13)
(03/13)
(03/13)
(03/11)
(03/10)
(03/08)
カテゴリー
|
リンク
|
フリーエリア
|