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まるで光に包まれているようだ。
否、光を発している、の方が正確だろうか。
目の前で音楽を奏でる幼馴染と、尊敬するヴァイオリニストを前に律は思う。
かなでが弾く『愛の挨拶』を聞くのは何年ぶりだろう。
あの日、彼女の演奏が変わってしまった日。
あれを最後に、律は長い間この曲を聴いていなかった。
「ああ、もう。悔しくなるくらいに、いい音で弾くね」
ふと聞こえた声に、視線を隣にやる。
淡い微苦笑を浮かべた青年、王崎は眼鏡のつるを指先で押し上げると、じっと日野を見詰めていた。
その眼差しは鈍いと言われる律でも判るほど、複雑な色が混じっている。
「王崎さん?」
「ああ、ごめん。折角聞いていたのに邪魔をしてしまって」
「いえ・・・」
優しげな風貌で微笑む人に首を振る。
彼も星奏学院の出身だが、同じく世界を巡る相手として日野の技術に嫉妬でもしたのだろうか。
律からしたら二人の演奏はそれぞれ甲乙つけがたく、彼の演奏には彼のよさがあるように感じたのだけれど。
じっと見詰めていると、視線から意味を読み取ったのか、笑みを深めた王崎が声を顰めて聞いてきた。
「僕の言葉、気になるの?」
「少しだけ」
「ふふ、如月君は正直だな。でも、君にならわかるかと思ってたよ。小日向さんのあの演奏を聞いても、君は何も感じないの?」
柔らかく問いかけられ、瞳を丸くする。
改めてかなでに向き直り音を聞くが、素晴らしいの一言だ。
律は昔から、かなでの弾く伸びやかで活き活きとした音が大好きで、今回の優勝も彼女なしでは成し遂げられなかっただろうと考えている。
奏者として置いていかれるのは少しだけ悔しいが、かなでが羽を広げて飛び立つ様は見ていて気持ちがいい。
「・・・すみません。俺には判らないみたいです」
「そう」
律の言葉に気分を害すでもなく頷いた王崎は、すっと視線を舞台へ映した。
「ねえ、如月君」
「はい」
「鈍いのは罪だよ。後で気付いても、後悔してもしきれない。君にとって小日向さんは特別なんでしょう?」
「・・・・・・」
ぱちり、と一つ瞬きする。
確かにかなでは特別だが、突然何を言い出すのか。
訳がわからず戸惑っていると、再び王崎がこちらを向いた。
「星奏学院に伝わるヴァイオリンロマンス。君もここの学園の生徒なら一度くらいは聞いたことあるよね?」
「・・・はい」
「もし、もしも、だよ?あの話が噂じゃなく真実だったらどうする?この学校には音楽を愛する妖精が居て、彼らが想いを運ぶ手助けをしたとしたら、彼女の音は誰に届くんだろうって、考えたりしない?」
いきなりの言葉に面食らう。
妖精など、御伽噺の中の生き物だ。
実際三年間この学校に通ったが律は一度も妖精なんてみたことない。
優しい音が響きを増し、かなでへと視線を戻す。
丁度佳境に入った曲は彼女達を中心に輝くマエストロフィールドを展開してた。
香穂子のそれが輝く太陽なら、かなでのそれは優しげな日向。
発する光の種類は違っても、それぞれが眩しく温かい。
技術面も情緒面でも日野の演奏の方が秀でていたが、どうしてか律はかなでの演奏を好んだ。
『彼らが想いを運ぶ手助けをしたとしたら、彼女の音は誰に届くんだろうって、考えたりしない?』
脳裏に先ほどの王崎の言葉が繰り返される。
どういう意味だと眉間に皺を寄せ考え込んでいると、不躾にドアが開けられる音が響いた。
「・・・冥加?」
彼らしくなく息を乱し、呼吸を荒げたままで舞台の一点を食い入るように見詰めている。
身だしなみに気を使うくせに、くしゃくしゃになった髪も直す余裕はなさそうだった。
『彼女の音は誰に届くんだろうって、考えたりしない?』
再び浮かんだ言葉に、じとりと眉を寄せる。
ざらりとしたいやな感情が胸の奥から溢れそうで、ぐっとベストを握った。
「ああ、やっぱり。君は来てしまうんだね───月森君」
哀切を含んだ声が聞こえた気がしたが、最早それを気にする余裕は律にはなかった。
否、光を発している、の方が正確だろうか。
目の前で音楽を奏でる幼馴染と、尊敬するヴァイオリニストを前に律は思う。
かなでが弾く『愛の挨拶』を聞くのは何年ぶりだろう。
あの日、彼女の演奏が変わってしまった日。
あれを最後に、律は長い間この曲を聴いていなかった。
「ああ、もう。悔しくなるくらいに、いい音で弾くね」
ふと聞こえた声に、視線を隣にやる。
淡い微苦笑を浮かべた青年、王崎は眼鏡のつるを指先で押し上げると、じっと日野を見詰めていた。
その眼差しは鈍いと言われる律でも判るほど、複雑な色が混じっている。
「王崎さん?」
「ああ、ごめん。折角聞いていたのに邪魔をしてしまって」
「いえ・・・」
優しげな風貌で微笑む人に首を振る。
彼も星奏学院の出身だが、同じく世界を巡る相手として日野の技術に嫉妬でもしたのだろうか。
律からしたら二人の演奏はそれぞれ甲乙つけがたく、彼の演奏には彼のよさがあるように感じたのだけれど。
じっと見詰めていると、視線から意味を読み取ったのか、笑みを深めた王崎が声を顰めて聞いてきた。
「僕の言葉、気になるの?」
「少しだけ」
「ふふ、如月君は正直だな。でも、君にならわかるかと思ってたよ。小日向さんのあの演奏を聞いても、君は何も感じないの?」
柔らかく問いかけられ、瞳を丸くする。
改めてかなでに向き直り音を聞くが、素晴らしいの一言だ。
律は昔から、かなでの弾く伸びやかで活き活きとした音が大好きで、今回の優勝も彼女なしでは成し遂げられなかっただろうと考えている。
奏者として置いていかれるのは少しだけ悔しいが、かなでが羽を広げて飛び立つ様は見ていて気持ちがいい。
「・・・すみません。俺には判らないみたいです」
「そう」
律の言葉に気分を害すでもなく頷いた王崎は、すっと視線を舞台へ映した。
「ねえ、如月君」
「はい」
「鈍いのは罪だよ。後で気付いても、後悔してもしきれない。君にとって小日向さんは特別なんでしょう?」
「・・・・・・」
ぱちり、と一つ瞬きする。
確かにかなでは特別だが、突然何を言い出すのか。
訳がわからず戸惑っていると、再び王崎がこちらを向いた。
「星奏学院に伝わるヴァイオリンロマンス。君もここの学園の生徒なら一度くらいは聞いたことあるよね?」
「・・・はい」
「もし、もしも、だよ?あの話が噂じゃなく真実だったらどうする?この学校には音楽を愛する妖精が居て、彼らが想いを運ぶ手助けをしたとしたら、彼女の音は誰に届くんだろうって、考えたりしない?」
いきなりの言葉に面食らう。
妖精など、御伽噺の中の生き物だ。
実際三年間この学校に通ったが律は一度も妖精なんてみたことない。
優しい音が響きを増し、かなでへと視線を戻す。
丁度佳境に入った曲は彼女達を中心に輝くマエストロフィールドを展開してた。
香穂子のそれが輝く太陽なら、かなでのそれは優しげな日向。
発する光の種類は違っても、それぞれが眩しく温かい。
技術面も情緒面でも日野の演奏の方が秀でていたが、どうしてか律はかなでの演奏を好んだ。
『彼らが想いを運ぶ手助けをしたとしたら、彼女の音は誰に届くんだろうって、考えたりしない?』
脳裏に先ほどの王崎の言葉が繰り返される。
どういう意味だと眉間に皺を寄せ考え込んでいると、不躾にドアが開けられる音が響いた。
「・・・冥加?」
彼らしくなく息を乱し、呼吸を荒げたままで舞台の一点を食い入るように見詰めている。
身だしなみに気を使うくせに、くしゃくしゃになった髪も直す余裕はなさそうだった。
『彼女の音は誰に届くんだろうって、考えたりしない?』
再び浮かんだ言葉に、じとりと眉を寄せる。
ざらりとしたいやな感情が胸の奥から溢れそうで、ぐっとベストを握った。
「ああ、やっぱり。君は来てしまうんだね───月森君」
哀切を含んだ声が聞こえた気がしたが、最早それを気にする余裕は律にはなかった。
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「君が、円堂君かい?」
瞳を眇めてこちらを『観察』してきた財前に、にこりと無邪気に見える笑みを浮かべた。
情報の中に彼は大のサッカー好きとあった。
もしかしたら過去の円堂の活動を知っているのかもしれない。
「初めまして、財前総理。円堂守と申します。雷門中サッカー部のキャプテンで、今回のイナズマイレブンでも同じくキャプテンを務めてます」
「・・・そうか。そうだな。私もあの試合見させてもらった。君のプレイは素晴らしかったよ」
「ありがとうございます」
にこり、と笑顔で牽制する。
余計な会話は情報を引き出される危険性を増すだけだ。
ならば最小限の会話で済まそうと差し出された右手を握って握手を交わす。
「うん、いい目をしている。塔子が君達と一緒に行きたがる理由が判るよ。娘をよろしく頼む」
「・・・はい」
「私は私で出来ることをする。だから君たちも力を貸して欲しい」
「過分な言葉、痛み入ります。こちらこそよろしくお願いいたします。大丈夫です、俺たちは絶対に勝利を収めてみせます」
にいっと口角を持ち上げて笑うと、空いている手で眼鏡のつるを持ち上げる。
そうして握手していた右手を離し、きっちりと九十度に頭を下げた。
もう一度だけ視線を絡めると、踵を返しバスへと戻る。
塔子も二人きりの別れがしたいだろうと配慮したのだが、予想以上に早く彼女はバスへ戻ってきた。
「何だ、早いな。もういいのか?」
「うん!一生の別れでもないしね。次に会うのは全部が終ってからだ。ありがとう、円堂」
猫のように釣りあがった瞳を悪戯っぽく輝かせた塔子に、釣られて笑う。
勝気でありながらお茶目な部分があり、とても可愛い。
もし自分が男ならなと考えつつ、微笑ましい気分で頭を撫でてやればきょとんと不思議そうに小首を傾げた。
「とにかく、これからもよろしく頼むな!」
「おう!よーし、皆出発だ!」
一人増えた仲間に歓迎の意を唱えると、バスの座席に歩き出す。
昨夜と同じ席順で、円堂は自然と風丸の隣に座った。
すると前の席の鬼道がひょこりと顔を出してこちらを恨めしそうな眼差しで見詰める。
「・・・どうして、また風丸の隣なんですか」
「なんでって、昨日からそうだったし。な、ちろた」
「ちろたは止めろ」
「いいじゃん、別に。お前も昔みたいにまも姉って呼んでいいぞ」
「遠慮する!───とにかく、円堂がいいって言ってるんだ。鬼道が口出しすることじゃないだろう」
「風丸には聞いてない。俺は姉さんに聞いてるんだ」
走り出した車内での言い争いを気にする仲間は今更居ない。
それくらい風丸と鬼道の口喧嘩は頻繁で、間に一之瀬が居ない分今日はまだマシな方だからだ。
仲間はそれぞれ好きな話題を話しておりこちらに注意を向けるものは居なかった─── 一人を除いて。
「なあなあ」
「ん?どうした、塔子?そんな変なバランスだとこけたとき危ないぞ」
「大丈夫!ちゃんとシートベルトしてるし、鬼道よりマシだから。じゃなくてさ、聞きたいことあったんだけどいいか?」
「何?」
「前から思ってたんだけどさ、なんで円堂が『姉さん』なんだ?円堂は男だろ?」
当たり前と言えば当たり前な塔子の発言に、三人は思わず顔を合わせた。
自分たちにとって自然だったので口にしてなかったが、そう言えば彼女には何も説明をしていない。
どう説明すればいいかと黙り込んでしまった年少組みに苦笑すると、きょとりと瞬きした塔子に説明を始めた。
「あー・・・実はな、俺は男じゃなくて女だ」
「ええ!?円堂が女!!?フットボールフロンティアに参加できるのは男だけだろ?」
「いや、色々と事情があって、俺は特別枠の参加なんだ。もっとも事情を知るのは大会の運営委員会でも一握りだろうけどね」
「じゃあ、姉さんっていうのは?円堂はあたしたちと同じ学年だろ?」
「まあ学年は同じなんだけどね、俺留年してるんだ」
「留年?」
「そ。本当なら、俺は中学三年生。つまりお前より年上。よって、『姉さん』」
「ふーん。そうなのか」
色々と省いたが塔子は納得してくれたらしい。
例えばどうして『先輩』と呼ばずに『姉さん』なのか、とか、どうして留年したんだとか聞かれたら、また説明が面倒なのでありがたいと言えばありがたいけれど。
「そんでもってこの二人は昔なじみだ」
「と言っても、俺と鬼道が対面したのは最近だ。俺は鬼道の存在を知っていたが、鬼道は違う」
「姉さんは俺には何も教えてくれてなかったけどな」
「だからそれは事情があったって言ってるだろ。有人はいつまでも拗ねるなぁ」
「拗ねてない」
塔子は唇を尖らせてそっぽを向いた鬼道に瞳を丸め、そして噴出した。
けらけらと笑う彼女に驚いたらしく、鬼道は動きを止める。
そんな彼の肩をばんばんと叩くと、可愛らしい笑顔で爆弾を落とした。
「あははは!つまり鬼道は、風丸にやきもち妬いちゃうほど円堂が好きなんだな!」
「なっ!!?」
唐突な言葉に声を詰まらせた鬼道は、徐々に首筋から赤くなった。
肌の色が白い所為で赤くなるとすぐ判る弟は、可哀想に茹蛸のになっている。
金魚みたいにぱくぱくと口を動かす鬼道に、不機嫌になった風丸が低い声で呟いた。
「俺の方がずっとまも姉を想ってる」
嫉妬ゆえの発言を聞かなかったフリをしながら、円堂は苦笑した。
普段は年齢以上に落ち着いている二人なのに、自分が間に入ると昔に戻ってしまう二人に挟まれるとどうにも不思議な感覚に陥る。
まるで自分の時間も昔のままだと錯覚してしまいそうになる。
首を振って下らない妄想を振り払うと、笑い続ける塔子の頭を撫でてやる。
「どうかした?」
「いーや?塔子は可愛いなって思ってな」
「・・・ありがと、円堂」
はにかむように礼を告げた彼女の頭をもう一度撫でると、精々意地の悪い笑顔を意識して浮かべる。
恨めしげな眼差しでこちらを見詰める二人に、わざとらしくため息を落とした。
「やっぱ、素直な子が一番可愛いよな」
その後みるみると剥れた二人の機嫌を直すのは手間だったが、新たな友情が築けたのでよしとした。
白恋中へ向けての旅はまだ暫く続きそうだ。
瞳を眇めてこちらを『観察』してきた財前に、にこりと無邪気に見える笑みを浮かべた。
情報の中に彼は大のサッカー好きとあった。
もしかしたら過去の円堂の活動を知っているのかもしれない。
「初めまして、財前総理。円堂守と申します。雷門中サッカー部のキャプテンで、今回のイナズマイレブンでも同じくキャプテンを務めてます」
「・・・そうか。そうだな。私もあの試合見させてもらった。君のプレイは素晴らしかったよ」
「ありがとうございます」
にこり、と笑顔で牽制する。
余計な会話は情報を引き出される危険性を増すだけだ。
ならば最小限の会話で済まそうと差し出された右手を握って握手を交わす。
「うん、いい目をしている。塔子が君達と一緒に行きたがる理由が判るよ。娘をよろしく頼む」
「・・・はい」
「私は私で出来ることをする。だから君たちも力を貸して欲しい」
「過分な言葉、痛み入ります。こちらこそよろしくお願いいたします。大丈夫です、俺たちは絶対に勝利を収めてみせます」
にいっと口角を持ち上げて笑うと、空いている手で眼鏡のつるを持ち上げる。
そうして握手していた右手を離し、きっちりと九十度に頭を下げた。
もう一度だけ視線を絡めると、踵を返しバスへと戻る。
塔子も二人きりの別れがしたいだろうと配慮したのだが、予想以上に早く彼女はバスへ戻ってきた。
「何だ、早いな。もういいのか?」
「うん!一生の別れでもないしね。次に会うのは全部が終ってからだ。ありがとう、円堂」
猫のように釣りあがった瞳を悪戯っぽく輝かせた塔子に、釣られて笑う。
勝気でありながらお茶目な部分があり、とても可愛い。
もし自分が男ならなと考えつつ、微笑ましい気分で頭を撫でてやればきょとんと不思議そうに小首を傾げた。
「とにかく、これからもよろしく頼むな!」
「おう!よーし、皆出発だ!」
一人増えた仲間に歓迎の意を唱えると、バスの座席に歩き出す。
昨夜と同じ席順で、円堂は自然と風丸の隣に座った。
すると前の席の鬼道がひょこりと顔を出してこちらを恨めしそうな眼差しで見詰める。
「・・・どうして、また風丸の隣なんですか」
「なんでって、昨日からそうだったし。な、ちろた」
「ちろたは止めろ」
「いいじゃん、別に。お前も昔みたいにまも姉って呼んでいいぞ」
「遠慮する!───とにかく、円堂がいいって言ってるんだ。鬼道が口出しすることじゃないだろう」
「風丸には聞いてない。俺は姉さんに聞いてるんだ」
走り出した車内での言い争いを気にする仲間は今更居ない。
それくらい風丸と鬼道の口喧嘩は頻繁で、間に一之瀬が居ない分今日はまだマシな方だからだ。
仲間はそれぞれ好きな話題を話しておりこちらに注意を向けるものは居なかった─── 一人を除いて。
「なあなあ」
「ん?どうした、塔子?そんな変なバランスだとこけたとき危ないぞ」
「大丈夫!ちゃんとシートベルトしてるし、鬼道よりマシだから。じゃなくてさ、聞きたいことあったんだけどいいか?」
「何?」
「前から思ってたんだけどさ、なんで円堂が『姉さん』なんだ?円堂は男だろ?」
当たり前と言えば当たり前な塔子の発言に、三人は思わず顔を合わせた。
自分たちにとって自然だったので口にしてなかったが、そう言えば彼女には何も説明をしていない。
どう説明すればいいかと黙り込んでしまった年少組みに苦笑すると、きょとりと瞬きした塔子に説明を始めた。
「あー・・・実はな、俺は男じゃなくて女だ」
「ええ!?円堂が女!!?フットボールフロンティアに参加できるのは男だけだろ?」
「いや、色々と事情があって、俺は特別枠の参加なんだ。もっとも事情を知るのは大会の運営委員会でも一握りだろうけどね」
「じゃあ、姉さんっていうのは?円堂はあたしたちと同じ学年だろ?」
「まあ学年は同じなんだけどね、俺留年してるんだ」
「留年?」
「そ。本当なら、俺は中学三年生。つまりお前より年上。よって、『姉さん』」
「ふーん。そうなのか」
色々と省いたが塔子は納得してくれたらしい。
例えばどうして『先輩』と呼ばずに『姉さん』なのか、とか、どうして留年したんだとか聞かれたら、また説明が面倒なのでありがたいと言えばありがたいけれど。
「そんでもってこの二人は昔なじみだ」
「と言っても、俺と鬼道が対面したのは最近だ。俺は鬼道の存在を知っていたが、鬼道は違う」
「姉さんは俺には何も教えてくれてなかったけどな」
「だからそれは事情があったって言ってるだろ。有人はいつまでも拗ねるなぁ」
「拗ねてない」
塔子は唇を尖らせてそっぽを向いた鬼道に瞳を丸め、そして噴出した。
けらけらと笑う彼女に驚いたらしく、鬼道は動きを止める。
そんな彼の肩をばんばんと叩くと、可愛らしい笑顔で爆弾を落とした。
「あははは!つまり鬼道は、風丸にやきもち妬いちゃうほど円堂が好きなんだな!」
「なっ!!?」
唐突な言葉に声を詰まらせた鬼道は、徐々に首筋から赤くなった。
肌の色が白い所為で赤くなるとすぐ判る弟は、可哀想に茹蛸のになっている。
金魚みたいにぱくぱくと口を動かす鬼道に、不機嫌になった風丸が低い声で呟いた。
「俺の方がずっとまも姉を想ってる」
嫉妬ゆえの発言を聞かなかったフリをしながら、円堂は苦笑した。
普段は年齢以上に落ち着いている二人なのに、自分が間に入ると昔に戻ってしまう二人に挟まれるとどうにも不思議な感覚に陥る。
まるで自分の時間も昔のままだと錯覚してしまいそうになる。
首を振って下らない妄想を振り払うと、笑い続ける塔子の頭を撫でてやる。
「どうかした?」
「いーや?塔子は可愛いなって思ってな」
「・・・ありがと、円堂」
はにかむように礼を告げた彼女の頭をもう一度撫でると、精々意地の悪い笑顔を意識して浮かべる。
恨めしげな眼差しでこちらを見詰める二人に、わざとらしくため息を落とした。
「やっぱ、素直な子が一番可愛いよな」
その後みるみると剥れた二人の機嫌を直すのは手間だったが、新たな友情が築けたのでよしとした。
白恋中へ向けての旅はまだ暫く続きそうだ。
結局吹雪士郎を調べても、あやふやな噂しか出てこなかった。
こんな人材をどうやって響木は調べてきたんだとむしろ感心してしまう。
彼独自のネットワークがあるのだろうが、それにしても大したものだ。
画像も公式記録もほとんど残っていないのなら、吹雪にはそれを残せない理由があるのだろうか。
そんなことを考えながらバスの窓から夜景を見ていると、後ろからひそひそとした声が聞こえた。
シートベルトをしているので身動きはせずすっと瞼を閉じ聴覚を鋭くする。
暢気な寝息に混じって聞こえたのは、どうやら土門の声らしい。
「なあ、伝説のエースストライカー吹雪ってどんな奴だろう」
「うちのエースストライカーは豪炎寺に決まってるだろ」
「いや」
不機嫌な染岡の声に、円堂は瞼を閉じたまま苦笑した。
きっと土門からしたら気を使って声を掛けたつもりだろうに、予想以上の強さで跳ね返されている。
以前は俺がエースストライカーだと豪炎寺と張り合っていたはずなのに。
豪炎寺を想うからこそ強くなる言葉に、染岡らしいと考えながら八つ当たりされた土門に同情する。
もしかすると、染岡の怒りは円堂が思う以上に根深いのかもしれない。
だとしたら今向かっている白恋中でもひと波乱ありそうだと、ゆるゆると息を吐き出した。
今日一日無理をした所為で体は休息を欲している。
あざだらけな外の部分だけでなく、内部から痛みを感じた。
気を利かせて酸素や薬を持ってきてくれた一之瀬様様だ。
過保護な部分はあるが、人をよく見ている彼ならではのタイミングで抜け出してくれたのだろうと思うと感謝の念が絶えない。
どくどくと脈打つ心臓の上の部分の服を握り締めると、不意にバスの中に機械音が響いた。
「えっ・・・!?パパが見つかった!!!?」
思わず、とばかりに声を張り上げた塔子に、ぱちりと瞼を持ち上げる。
あまりの大きな声に眠っていた仲間も目を覚まし、視線を彼女に集中させた。
話が聞こえていたらしい監督の指示でバスが路肩に停車される。
しっかりと動きが止まったのを確認してからシートベルトを外すと、前に座っている塔子へ身を乗り出した。
「親父さんが見つかったって本当か、塔子」
「ああ。今、連絡があって」
「皆さん、見てください!今テレビでも緊急ニュースが流れてるみたいです!」
春奈の言葉に席を立ち、彼女の持つパソコンを中心に並ぶ。
確かに、キャスターが報道する番組で、緊急速報と銘打って情報が流されていた。
居なくなっていた数日間所在は未だに判明していないらしいが、財前総理その人が映像にも映っている。
ちらり、と視線だけで塔子を見れば、勝気な瞳が微かに潤んでいるのが見て取れた。
「良かったじゃない」
「お父さんに会えますね!」
秋と春奈が笑顔で塔子を見上げる。
けれど強張った表情をした塔子は、体の脇で拳を握り締めると強い口調で断言した。
「東京には戻らないよ」
「え?」
「あんな奴らは絶対に許せない。だから、皆と一緒にサッカーで戦う」
静かだがきっぱりとした声に円堂は嘆息した。
強い子だ。震えるほどの怒りを漸く宥めている塔子の決意は固く揺ぎ無い。
責任を感じているのだろう。
彼女の脳裏には幾度も一方的にやられた円堂の姿が刻まれているに違いない。
それは決して彼女の責任ではないけれど、自分が巻き込まなければ、とどこかで感じているのだ。
だから今、我慢しようとしている。
自分が円堂たちを仲間にと誘ったのだから、父親と会うのは全てのかたがついてからだと。
そんな意地を張る必要は、どこにもないのに。
「円堂、一緒に戦おう」
つり上がり気味の瞳に強い光を宿して訴えた塔子に、小さく笑う。
こういう勝気な子は嫌いじゃない。
「よし。地上最強のチームになろうぜ」
にっと口角を持ち上げ、拳を付き合わせる。
一瞬だけ見せた泣きそうな表情に気づかないフリをして、呆れ半分のマネージャーの視線を無視すると笑いあった。
深夜の道路。
全員が寝静まったのを確認して、のそりと身を起こす。
本来ならあまり芳しくないが、シートベルトを外すと走行中の車内で座席を立った。
バランスを取りながら最前列へ辿り着くと、腕を組んで静かに前を見ている瞳子へ声を掛ける。
「監督」
「・・・何かしら」
「東京に戻ってください」
「何故?」
「塔子を父親と会わせたいんです」
静かな眼差しを向ける瞳子は、円堂の発言に驚いた様子も見せずに瞬きを一つした。
きっと自分が言わなくても他の誰かが言い出すと予想していたに違いない。
たまたま円堂が一番初めだっただけで、そうじゃなくても仲間の誰かが『戻りたい』と口にしたはずだ。
座ったまま腕を組んだ瞳子はため息を一つ落とすと髪を払った。
「誰かが言い出すとは思っていたけど、あなたではないと思っていたわ」
「あれ?俺そんなに冷たい人間に見えます?」
「いいえ。でもあなたはとても合理的で理性的に見えたわ。この場に居る誰よりも冷静で状況を判断する目を持っている。あの鬼道君よりもずっと」
「はは、それは買いかぶり過ぎですよ」
頭を掻きながら笑うと、すいっと観察するように目を細めた。
一挙一動、不振な部分はないかと眺められ首を傾げる。
「大丈夫です」
「何がかしら」
「心配しなくても、今日は大した怪我は負ってません。体中にあざが出来たくらいで、それも一週間もあれば消えます」
「・・・そう」
心配しているとの言葉を否定しなかった瞳子に、小さく笑う。
その理由が世界最強のチームを作るためだとは言え、正直な人だ。
思えば辛辣な言葉を吐いてきたが、彼女は嘘はついていない。
ぎりぎりの部分で騙しは入れるが根本的に嘘をつくのに向いていない人種なのだろう。
真っ直ぐで飾らない言葉はきついが的を得ている。
中立の立場を保つつもりの円堂から見れば、この監督はそれほど外れではないというのが今のところの見解だ。
選手を潰すのではなく、伸ばす方向で考えてくれている。
それは仲間を重んじる円堂にとって一番大事な事項だった。
「それで?俺のお願いは聞いてもらえるんですか?」
「・・・どうせ断ってもまた別の子が来るだけでしょ。戻ったってそれほどのタイムロスにはならないわ」
「さすが監督。ありがとうございます」
「あなたのためにすることじゃないからお礼は不要よ。・・・宜しいですか?」
「勿論です!じゃあ、帰りは高速を使いますか!その方が早くつくし、こちらも休める」
「お願いします」
快く引き返すことを承諾してくれた運転手の彼にも礼を言うと、そのまま席に戻る。
先ほど窓際の席を交換してもらい通路側に換わっていた円堂は、仲間の寝息が聞こえる中ひっそりと瞼を閉じた。
「・・・俺も、適当なとこで父さんに連絡入れなきゃな」
何もかもを知り、あえて好きなようにさせてくれる父はきっと心配してくれているだろう。
セカンドオピニオンではないけれど、全国の何処の病院でもすぐにカルテを送れるように準備してくれている彼は、今頃どうしているだろうか。
明日は小さな親孝行をしようと便箋と切手を買うことを心に誓いつつ、ゆっくりと意識を闇へと沈めた。
こんな人材をどうやって響木は調べてきたんだとむしろ感心してしまう。
彼独自のネットワークがあるのだろうが、それにしても大したものだ。
画像も公式記録もほとんど残っていないのなら、吹雪にはそれを残せない理由があるのだろうか。
そんなことを考えながらバスの窓から夜景を見ていると、後ろからひそひそとした声が聞こえた。
シートベルトをしているので身動きはせずすっと瞼を閉じ聴覚を鋭くする。
暢気な寝息に混じって聞こえたのは、どうやら土門の声らしい。
「なあ、伝説のエースストライカー吹雪ってどんな奴だろう」
「うちのエースストライカーは豪炎寺に決まってるだろ」
「いや」
不機嫌な染岡の声に、円堂は瞼を閉じたまま苦笑した。
きっと土門からしたら気を使って声を掛けたつもりだろうに、予想以上の強さで跳ね返されている。
以前は俺がエースストライカーだと豪炎寺と張り合っていたはずなのに。
豪炎寺を想うからこそ強くなる言葉に、染岡らしいと考えながら八つ当たりされた土門に同情する。
もしかすると、染岡の怒りは円堂が思う以上に根深いのかもしれない。
だとしたら今向かっている白恋中でもひと波乱ありそうだと、ゆるゆると息を吐き出した。
今日一日無理をした所為で体は休息を欲している。
あざだらけな外の部分だけでなく、内部から痛みを感じた。
気を利かせて酸素や薬を持ってきてくれた一之瀬様様だ。
過保護な部分はあるが、人をよく見ている彼ならではのタイミングで抜け出してくれたのだろうと思うと感謝の念が絶えない。
どくどくと脈打つ心臓の上の部分の服を握り締めると、不意にバスの中に機械音が響いた。
「えっ・・・!?パパが見つかった!!!?」
思わず、とばかりに声を張り上げた塔子に、ぱちりと瞼を持ち上げる。
あまりの大きな声に眠っていた仲間も目を覚まし、視線を彼女に集中させた。
話が聞こえていたらしい監督の指示でバスが路肩に停車される。
しっかりと動きが止まったのを確認してからシートベルトを外すと、前に座っている塔子へ身を乗り出した。
「親父さんが見つかったって本当か、塔子」
「ああ。今、連絡があって」
「皆さん、見てください!今テレビでも緊急ニュースが流れてるみたいです!」
春奈の言葉に席を立ち、彼女の持つパソコンを中心に並ぶ。
確かに、キャスターが報道する番組で、緊急速報と銘打って情報が流されていた。
居なくなっていた数日間所在は未だに判明していないらしいが、財前総理その人が映像にも映っている。
ちらり、と視線だけで塔子を見れば、勝気な瞳が微かに潤んでいるのが見て取れた。
「良かったじゃない」
「お父さんに会えますね!」
秋と春奈が笑顔で塔子を見上げる。
けれど強張った表情をした塔子は、体の脇で拳を握り締めると強い口調で断言した。
「東京には戻らないよ」
「え?」
「あんな奴らは絶対に許せない。だから、皆と一緒にサッカーで戦う」
静かだがきっぱりとした声に円堂は嘆息した。
強い子だ。震えるほどの怒りを漸く宥めている塔子の決意は固く揺ぎ無い。
責任を感じているのだろう。
彼女の脳裏には幾度も一方的にやられた円堂の姿が刻まれているに違いない。
それは決して彼女の責任ではないけれど、自分が巻き込まなければ、とどこかで感じているのだ。
だから今、我慢しようとしている。
自分が円堂たちを仲間にと誘ったのだから、父親と会うのは全てのかたがついてからだと。
そんな意地を張る必要は、どこにもないのに。
「円堂、一緒に戦おう」
つり上がり気味の瞳に強い光を宿して訴えた塔子に、小さく笑う。
こういう勝気な子は嫌いじゃない。
「よし。地上最強のチームになろうぜ」
にっと口角を持ち上げ、拳を付き合わせる。
一瞬だけ見せた泣きそうな表情に気づかないフリをして、呆れ半分のマネージャーの視線を無視すると笑いあった。
深夜の道路。
全員が寝静まったのを確認して、のそりと身を起こす。
本来ならあまり芳しくないが、シートベルトを外すと走行中の車内で座席を立った。
バランスを取りながら最前列へ辿り着くと、腕を組んで静かに前を見ている瞳子へ声を掛ける。
「監督」
「・・・何かしら」
「東京に戻ってください」
「何故?」
「塔子を父親と会わせたいんです」
静かな眼差しを向ける瞳子は、円堂の発言に驚いた様子も見せずに瞬きを一つした。
きっと自分が言わなくても他の誰かが言い出すと予想していたに違いない。
たまたま円堂が一番初めだっただけで、そうじゃなくても仲間の誰かが『戻りたい』と口にしたはずだ。
座ったまま腕を組んだ瞳子はため息を一つ落とすと髪を払った。
「誰かが言い出すとは思っていたけど、あなたではないと思っていたわ」
「あれ?俺そんなに冷たい人間に見えます?」
「いいえ。でもあなたはとても合理的で理性的に見えたわ。この場に居る誰よりも冷静で状況を判断する目を持っている。あの鬼道君よりもずっと」
「はは、それは買いかぶり過ぎですよ」
頭を掻きながら笑うと、すいっと観察するように目を細めた。
一挙一動、不振な部分はないかと眺められ首を傾げる。
「大丈夫です」
「何がかしら」
「心配しなくても、今日は大した怪我は負ってません。体中にあざが出来たくらいで、それも一週間もあれば消えます」
「・・・そう」
心配しているとの言葉を否定しなかった瞳子に、小さく笑う。
その理由が世界最強のチームを作るためだとは言え、正直な人だ。
思えば辛辣な言葉を吐いてきたが、彼女は嘘はついていない。
ぎりぎりの部分で騙しは入れるが根本的に嘘をつくのに向いていない人種なのだろう。
真っ直ぐで飾らない言葉はきついが的を得ている。
中立の立場を保つつもりの円堂から見れば、この監督はそれほど外れではないというのが今のところの見解だ。
選手を潰すのではなく、伸ばす方向で考えてくれている。
それは仲間を重んじる円堂にとって一番大事な事項だった。
「それで?俺のお願いは聞いてもらえるんですか?」
「・・・どうせ断ってもまた別の子が来るだけでしょ。戻ったってそれほどのタイムロスにはならないわ」
「さすが監督。ありがとうございます」
「あなたのためにすることじゃないからお礼は不要よ。・・・宜しいですか?」
「勿論です!じゃあ、帰りは高速を使いますか!その方が早くつくし、こちらも休める」
「お願いします」
快く引き返すことを承諾してくれた運転手の彼にも礼を言うと、そのまま席に戻る。
先ほど窓際の席を交換してもらい通路側に換わっていた円堂は、仲間の寝息が聞こえる中ひっそりと瞼を閉じた。
「・・・俺も、適当なとこで父さんに連絡入れなきゃな」
何もかもを知り、あえて好きなようにさせてくれる父はきっと心配してくれているだろう。
セカンドオピニオンではないけれど、全国の何処の病院でもすぐにカルテを送れるように準備してくれている彼は、今頃どうしているだろうか。
明日は小さな親孝行をしようと便箋と切手を買うことを心に誓いつつ、ゆっくりと意識を闇へと沈めた。
自分を家族として迎えたい相手が居る。
黒服にサングラスをかけた長身の男は、不適な笑みを浮かべてそう告げた。
それは両親を事故で亡くし自動養護施設に預けられてから数ヶ月したある日のことだった。
鬼道財閥。
子供の有人は知らないが、とてもお金持ちの家が自分を欲したと聞いてはじめに浮かんだのは疑問だった。
有人には妹が居る。だが彼は女児は欲しておらず、男児である有人だけを引き取りたいらしい。
金持ちであるなら二人同時に引き取ってくれればいいのに、と思ったが、先方は跡取りとなりうる男児を望んでいた。
迷ったのは僅かな時間。
男が囁いた一言で有人の心の天秤は傾いだ。
『いつか、妹を迎えに行けばいい。鬼道家ならばもう一人くらい十分養う余裕はあるし、お前が実力を示せば妹も引き取ってくれるかもしれない』
一抹の望みに縋り付いたのは、施設の子供たちがどのように養子縁組されていくか見てきたからだろう。
兄弟全員を一度に引き取る、なんて短い期間で一度もなかった。
だがもしかしたら、裕福であるらしい鬼道家なら努力しだいで引き取ってくれるかもしれないと男は言った。
その一言はとても大きく抗いようがないほど魅力的だった。
こくり、と一つ喉を鳴らす。
心配げに施設の管理人が見守る中、有人はゆっくりと口唇を持ち上げた。
答えは勿論、『是』だった。
黒塗りの大きな車に乗せられ、ソファのような座り心地の真紅の椅子に身を沈める。
座る、と言うより埋もれるという表現がぴったりな様子で有人は両膝に手を当てて座っていた。
両脇にはあの日有人を迎えに来た男ではなく、同じ黒服であるがドラマの中の執事のような格好をした白髪交じりの男だった。
大よそ有人が知っている車とは違う広い車内の真ん中に座り、ひたすらに俯きながら高鳴る緊張感に耐える。
窓は外から覗けないよう薄暗くなっていて、膝の上に白く握られた拳だけをじっと見詰める。
「もうすぐつきます」
「・・・はい」
丁寧で物腰が柔らかい態度だが一部の隙もない身のこなしは益々有人を萎縮させたが、それを悟られたくなく必死に歯を食いしばり顔を上げた。
向かっている鬼道家には娘が一人いるらしい。
有人より一つ年上で、彼女が女であるから今回有人が引き取られることになった。
どんな相手か知りたかったが、『賢い方です』の一言しか情報は与えられず、優しげな風貌の執事はそれきり口を開かない。
気がつけば車は止まっており、家よりは屋敷と表現したほうがぴったりの見上げるばかりの建築物の前に居た。
唖然と口を開ける有人を促すと木でできた大きな門を開きロビーに案内される。
ふかふかの毛足の長い絨毯が敷かれたそこには十人を軽く超す人数の男女が恭しく頭を下げて有人を迎えた。
どう反応すればいいか戸惑ううちに車から一緒の初老の男に廊下を案内される。
有人が二人並んで手を広げて漸く端に届くくらいの広さの廊下をいくばくか歩き、男は足を止めた。
ノックを四回の後入室の許可を得ると扉の外から頭を下げる。
一礼の後ノブに手を伸ばすと、重厚なドアは音もなく開いた。
「有人様、こちらへ」
「はい」
促されるままに室内に入室すると、広々とした部屋は一度だけ足を踏み入れた小学校の校長室のように整っていた。
幾つも置かれた本棚に、観葉植物、壁にかけられた絵画や、足の低い机とソファ。それとは別にある正面の大きな机に両肘をつき顎を乗せた男が、じろりと観察するように有人を見下ろす。
震えそうになる体を必死に宥め乾いた唇を無理やりに動かす。
「ゆうとです、よろしくおねがいします」
「ふむ。私が今日から君の父親となる鬼道だ。判っていると思うが君は今日から鬼道家の一員となる。鬼道家の人間は常に優秀であるのを求められる」
「はい」
「幼い君には酷だろうが鬼道家の一員としての自覚を持ち、日々を過ごすよう勤めてくれ。なにすぐに慣れるだろう」
椅子に座っていた彼は立ち上がると、そのまま有人を目の前のソファへ腰掛けるよう誘導した。
そうして自分は有人の正面に腰を落ち着けると、丁度いいタイミングで紅茶が出される。
今まで使ったことがない繊細なカップにいい香りの紅茶が注がれていた。
緊張の続く中暫く会話を続けていると、思い出した、とばかりに彼が手を打ち鳴らす。
先ほどまでは顰められていた眉間の皺を解き笑みらしき表情を見せ、有人にクッキーを勧めながら話を続けた。
「そうそう、言い忘れていたが家にはもう一人子供が居る。君の姉になるのだが聞いているか?」
「ええ、少しだけ・・・」
「そうか。彼女の名前は『守』と言う。漢字ではこう書く。誰かを守る、守護するという意味だ。気遣いも出来るいい子だから、きっと君とも仲良くなれるだろう」
鬼道家の人間としての心得や、基本的な過ごし方を淡々と話していたときと違い、娘の話をする彼は常に笑顔が耐えない。
子供の有人にも態度でどれだけ娘を可愛がっているか知れ、内心で渋面を作る。
正直年上と折り合いが悪い自分を知っているので、『姉』との付き合いが難関だと自覚していた。
どうやらまだ見ぬ『姉』は、父親の鬼道の心をがっちりと掴んでいるらしい。
もし彼女に気に入られなかったら、この家での居場所はなくなる。
そうなれば妹の春奈を引き取るなんて夢のまた夢で、なんのために態々離れたのか判らない。
だがどうすれば年上と仲良くなれるかも判らなかった。
何しろ有人の世界は今までとても狭かった。
両親が生きているときは家に居る家政婦と付き合うくらいで、施設に預けられてから妹を苛める年上の相手との喧嘩ばかりだった。
長男として年上気質の自分がすんなりと馴染めるか全く自信がない。
心密かに焦っていると、不意に部屋がノックされた。
機嫌よく返事をした鬼道の仕草でそれが誰か悟り、こくりと喉を鳴らす。
室内に姿を現したのは白のワンピースを着た、表情の薄い少女だった。
大きな栗色の瞳にはノンフレームの眼鏡がかけられ、少しばかり癖のある長い栗色の髪はツインテールにしてオレンジのゴムで結んである。
少しばかり低い鼻とまろい頬は幼さを強調させ、美しい、と言うより可愛いという言葉が似合う上品な仕草の少女。
今まで対応したこともない種類の人種に自然と顔が強張る。
何しろ有人の周りに居たのは年相応の子供だ。
一つ年上だろうともっと元気で明るく活発な雰囲気を持っていた。
それこそ施設の中で殴り合いの喧嘩もするくらいに。
どうしようと混乱する頭で必死に考えながら、とりあえず挨拶をと震える唇を開く。
「・・・ゆうとです」
何とか搾り出した声は掠れ、けれど必死に瞳だけは反らすまいと真っ直ぐに前を見た。
瞬きすら惜しむようこちらを覗き込む栗色の瞳に、体の脇で握った掌が緊張で震える。
やがて印象的な目を閉じた彼女は、次いで瞼を開けたときには、今しがたまでの雰囲気を一新する魅力的な笑みを浮かるとそのまま右手を差し出した。
「私の名前は守。君と同じで、お父さんに貰われてきました。だから緊張することはないですよ。私も君と同じです」
「守は一年ほど前に君と違う施設で引き取った子供だ。優秀な子で勉強もスポーツも何でもこなす。有人、君も何か判らないことがあれば守に聞けばいい。守、影山さんに君がいる間は有人の面倒を君に任すよう言われている。頼めるか?」
「はい、お父さん。宜しくね、有人君」
「・・・」
無表情でいたときとの第一印象とは違い、はきはきとした口調で挨拶する。
いかにもお嬢様といった格好だったが、もしかしたら本人はもっと活発なのかもしれない。
名乗りを上げた守の補足を相貌を崩した鬼道がし、自慢気に胸を反らす。
自分の面倒を彼女が見ると言われ瞳を見開く有人を他所に、にこにことした笑みの守は父親に頷いていた。
反応出来ずにいると、そのまま守が話を進める。
「父さん、有人君の部屋に案内してきていいですか?」
「構わない。だが夕食までにきちんと戻ってきなさい」
「はい!有人君、行きましょう」
再び声を掛けられ差し出されたままの右手をじっと見詰めてから、ゆっくりと手を伸ばした。
重なった掌はすぐに力を篭めて握られる。
誰かと手を繋ぐなんて経験妹以外とはほとんどなくて戸惑っていると、笑顔を浮かべた守は父親に挨拶をするとさっさと室内から出てしまった。
釣られて有人も外へ出る。
途中黒服の男とすれ違ったが顔を見る余裕はなかった。
絶えず話し続ける彼女はそのままの勢いで歩き続け、唐突に足を止める。
「ここが有人君の部屋です」
一言告げてからドアノブをあけると、広がる世界に唖然と口を開いた。
大きな窓には木の枠が嵌めてあり、小さな花が飾られている。
本棚に専用テレビ、ソファに机。鬼道の部屋には劣るが、施設なら子供の集まる視聴覚室と同じかそれ以上の大きさだった。
毛足の長い絨毯が広がり、スリッパを脱げば床でそのまま横になってもすぐに眠れそうだ。
鬼ごっこをしてもすぐに捕まえられそうにない広い部屋は、今まで暮らしてきた場所と雲泥の差だった。
「ひろい」
無意識の内に口から言葉が漏れる。
「そんで豪華だろ?判るぜ、戸惑うの。俺も最初そうだったもん」
そして思わぬ部分で肯定を受け、ぐるりと顔を回した。
腕を組み立っている守は、入り口のドアをきっちりと閉めて背を預けた形でこちらを見ている。
服装も髪型も顔も変わっていない。
それなのに器用に雰囲気だけ一変させ、まるで男のような口調で話している。
何が起きたのか理解できず警戒して眉間に皺を寄せると、背をドアに持たせていた守がぽんと手を打った。
訝しげに見上げる有人の頭を撫でるとその顔を覗き込む。
「悪い。俺、こっちが素なんだ」
「・・・・・・」
「父さんの前では流石にしないけどな。お前の前ではこのままだから、慣れてくれよ」
「・・・・・・」
ぱちりと綺麗にウィンクをした人は、飄々と告げる。
騙していたのかと思ったが、それにしては態度は柔らかい。
一体どういうことかと見ていると、視線を合わせた守は楽しそうに破顔した。
「あ、苛めようとかそんなのは別にない。むしろお前が可愛くて嬉しいぞ、有人」
言葉通りに優しげな笑顔を浮かべた人は、にこにこと笑顔を振りまく。
可愛いと面と向かって言われたのは何年ぶりだろう。
両親がしょっちゅう海外へ行くお陰で有人は必要以上に大人びた子供に育った。
妹に手を出す輩を追い払う内に気がつけば施設でも問題児だったし、持て余されたお陰で可愛いなんて称する大人は居なかった。
それに他人に馴れ馴れしくされるのも苦手で、テリトリーに無断で入られるのは嫌いだ。
警戒心が強すぎるのも可愛くないと称される一端を担っていた。
それなのに。
「なまえ」
「呼び捨ては嫌か?」
「・・・、いや、じゃない」
初対面でいきなり名前を呼び捨てにされたのに、全く嫌じゃなかった。
近距離で顔を覗かれても緊張しないし、嫌悪感はない。
どうしてと自分に疑問を抱いている有人を他所に守は笑顔で問いかける。
「そっか。あ、お前は俺を何て呼ぶ?お姉ちゃん?お姉さま?守さん?」
「ねえさん」
「・・・地味に可愛くないな。お前子供の癖に」
「・・・だめ?」
「お?今の顔は可愛い。よし、可愛いから許してやるぞ、有人!」
上から目線の言葉なのに腹も立たない。
きっと問いかける守があまりにも楽しそうに、本当に可愛いものを見る瞳で有人を見るからだろう。
初対面なのに警戒心を抱けない。
守は不思議な空気の持ち主で、有人の心の壁をたやすく乗り越えて内まで入り込む。
けれど嫌悪が沸かない。きっと彼女は距離を測るのが上手いのだろう。
久し振りに感じる優しい眼差しに照れて俯くと、いきなり抱きしめられた。
ぎゅうぎゅうに遠慮のない力の抱擁に硬直する。
固まった有人に頬を摺り寄せた守にそのままひょいと抱き上げられた。
一つしか違わないが頭一つ分は身長差があるので成すがままにされていると、意外と力があるらしい守はお嬢様らしからぬさかさかした足取りで部屋の隅に進む。
大きな本棚がある一点で足を止めると、真新しい本の中にある少しだけ古びた本の中から一つを掌で押し込んだ。
「これは・・・?」
「俺の部屋への直通ドア。ほら」
音もなくスライドした棚に驚いていると、その裏から現れたドアを引く。
すると有人が居る部屋とが違いベッドが置かれた部屋にはサッカー雑誌やDVDが数多く見れた。
言葉通りならここは守の部屋なのだろう。
作りが違う部屋にきょろきょろと瞳を動かしていると、柔らかなベッドの上に宝物のようにそっと置かれた。
そしてそのまま守は壁に向かい歩き、掛かっていたサッカーボールを手に取った。
ぽん、とリフティングをする。
大よそ動くのには不向きなワンピース姿なのに器用に頭でリフティングを繰り返した技術に自然と瞳が輝いた。
サッカーは有人にとって特別なものだった。
両親が残してくれた唯一の形見がサッカー雑誌で、サッカーをしていると両親を感じられた。
施設にいる誰より上手い自信があったが、彼女と比べたらどうだろう。
ぽんぽんと安定して繰り返される仕草を眺めていたら、不意にボールがこちらに飛ばされた。
慌てて立ち上がろうとしてベッドの上でバランスを崩し、ふわふわの布団に埋もれてしまい、ついでにボールは頭に当たって跳ねる。
あまりの失態に自分でも驚いていると、頭上で軽快な笑い声が響いた。
「あはは、有人だっせぇ!」
「ちがう!ばしょがわるいだけだ!おれはもっとうまい!」
「ふーん。でも、俺のが上手いけどな」
「おれのがうまい!」
「じゃ、勝負してみるか?どっちが長くリフティング続けれるか」
「・・・でもそのスカートじゃまそう」
「ハンデだよ、ハンデ。俺はヘディングだけでやるしー」
「っ、ならおれも!ヘディングだけでする?」
「あーん?生意気、有人。んじゃ、勝った方の部屋で今日は一緒に寝るんだぞ」
「わかった!」
からからと笑う守に悔しくなって、顔を真っ赤にして訴える。
すると余裕の表情を浮かべた彼女はにっと意地の悪い笑顔で腰に手を当てて聞いてきた。
ムキになって返事をすると、嬉しげに頷いた彼女はまた手を差し伸べてきた。
今度は迷いなくその手を握る。
きゅっと握り返された手を繋ぐのに、不思議と迷いも戸惑いもなかった。
ハリネズミみたいだと言われた警戒心が消えていたのに気がついたのは、彼女のベッドで一緒に眠った翌朝だった。
黒服にサングラスをかけた長身の男は、不適な笑みを浮かべてそう告げた。
それは両親を事故で亡くし自動養護施設に預けられてから数ヶ月したある日のことだった。
鬼道財閥。
子供の有人は知らないが、とてもお金持ちの家が自分を欲したと聞いてはじめに浮かんだのは疑問だった。
有人には妹が居る。だが彼は女児は欲しておらず、男児である有人だけを引き取りたいらしい。
金持ちであるなら二人同時に引き取ってくれればいいのに、と思ったが、先方は跡取りとなりうる男児を望んでいた。
迷ったのは僅かな時間。
男が囁いた一言で有人の心の天秤は傾いだ。
『いつか、妹を迎えに行けばいい。鬼道家ならばもう一人くらい十分養う余裕はあるし、お前が実力を示せば妹も引き取ってくれるかもしれない』
一抹の望みに縋り付いたのは、施設の子供たちがどのように養子縁組されていくか見てきたからだろう。
兄弟全員を一度に引き取る、なんて短い期間で一度もなかった。
だがもしかしたら、裕福であるらしい鬼道家なら努力しだいで引き取ってくれるかもしれないと男は言った。
その一言はとても大きく抗いようがないほど魅力的だった。
こくり、と一つ喉を鳴らす。
心配げに施設の管理人が見守る中、有人はゆっくりと口唇を持ち上げた。
答えは勿論、『是』だった。
黒塗りの大きな車に乗せられ、ソファのような座り心地の真紅の椅子に身を沈める。
座る、と言うより埋もれるという表現がぴったりな様子で有人は両膝に手を当てて座っていた。
両脇にはあの日有人を迎えに来た男ではなく、同じ黒服であるがドラマの中の執事のような格好をした白髪交じりの男だった。
大よそ有人が知っている車とは違う広い車内の真ん中に座り、ひたすらに俯きながら高鳴る緊張感に耐える。
窓は外から覗けないよう薄暗くなっていて、膝の上に白く握られた拳だけをじっと見詰める。
「もうすぐつきます」
「・・・はい」
丁寧で物腰が柔らかい態度だが一部の隙もない身のこなしは益々有人を萎縮させたが、それを悟られたくなく必死に歯を食いしばり顔を上げた。
向かっている鬼道家には娘が一人いるらしい。
有人より一つ年上で、彼女が女であるから今回有人が引き取られることになった。
どんな相手か知りたかったが、『賢い方です』の一言しか情報は与えられず、優しげな風貌の執事はそれきり口を開かない。
気がつけば車は止まっており、家よりは屋敷と表現したほうがぴったりの見上げるばかりの建築物の前に居た。
唖然と口を開ける有人を促すと木でできた大きな門を開きロビーに案内される。
ふかふかの毛足の長い絨毯が敷かれたそこには十人を軽く超す人数の男女が恭しく頭を下げて有人を迎えた。
どう反応すればいいか戸惑ううちに車から一緒の初老の男に廊下を案内される。
有人が二人並んで手を広げて漸く端に届くくらいの広さの廊下をいくばくか歩き、男は足を止めた。
ノックを四回の後入室の許可を得ると扉の外から頭を下げる。
一礼の後ノブに手を伸ばすと、重厚なドアは音もなく開いた。
「有人様、こちらへ」
「はい」
促されるままに室内に入室すると、広々とした部屋は一度だけ足を踏み入れた小学校の校長室のように整っていた。
幾つも置かれた本棚に、観葉植物、壁にかけられた絵画や、足の低い机とソファ。それとは別にある正面の大きな机に両肘をつき顎を乗せた男が、じろりと観察するように有人を見下ろす。
震えそうになる体を必死に宥め乾いた唇を無理やりに動かす。
「ゆうとです、よろしくおねがいします」
「ふむ。私が今日から君の父親となる鬼道だ。判っていると思うが君は今日から鬼道家の一員となる。鬼道家の人間は常に優秀であるのを求められる」
「はい」
「幼い君には酷だろうが鬼道家の一員としての自覚を持ち、日々を過ごすよう勤めてくれ。なにすぐに慣れるだろう」
椅子に座っていた彼は立ち上がると、そのまま有人を目の前のソファへ腰掛けるよう誘導した。
そうして自分は有人の正面に腰を落ち着けると、丁度いいタイミングで紅茶が出される。
今まで使ったことがない繊細なカップにいい香りの紅茶が注がれていた。
緊張の続く中暫く会話を続けていると、思い出した、とばかりに彼が手を打ち鳴らす。
先ほどまでは顰められていた眉間の皺を解き笑みらしき表情を見せ、有人にクッキーを勧めながら話を続けた。
「そうそう、言い忘れていたが家にはもう一人子供が居る。君の姉になるのだが聞いているか?」
「ええ、少しだけ・・・」
「そうか。彼女の名前は『守』と言う。漢字ではこう書く。誰かを守る、守護するという意味だ。気遣いも出来るいい子だから、きっと君とも仲良くなれるだろう」
鬼道家の人間としての心得や、基本的な過ごし方を淡々と話していたときと違い、娘の話をする彼は常に笑顔が耐えない。
子供の有人にも態度でどれだけ娘を可愛がっているか知れ、内心で渋面を作る。
正直年上と折り合いが悪い自分を知っているので、『姉』との付き合いが難関だと自覚していた。
どうやらまだ見ぬ『姉』は、父親の鬼道の心をがっちりと掴んでいるらしい。
もし彼女に気に入られなかったら、この家での居場所はなくなる。
そうなれば妹の春奈を引き取るなんて夢のまた夢で、なんのために態々離れたのか判らない。
だがどうすれば年上と仲良くなれるかも判らなかった。
何しろ有人の世界は今までとても狭かった。
両親が生きているときは家に居る家政婦と付き合うくらいで、施設に預けられてから妹を苛める年上の相手との喧嘩ばかりだった。
長男として年上気質の自分がすんなりと馴染めるか全く自信がない。
心密かに焦っていると、不意に部屋がノックされた。
機嫌よく返事をした鬼道の仕草でそれが誰か悟り、こくりと喉を鳴らす。
室内に姿を現したのは白のワンピースを着た、表情の薄い少女だった。
大きな栗色の瞳にはノンフレームの眼鏡がかけられ、少しばかり癖のある長い栗色の髪はツインテールにしてオレンジのゴムで結んである。
少しばかり低い鼻とまろい頬は幼さを強調させ、美しい、と言うより可愛いという言葉が似合う上品な仕草の少女。
今まで対応したこともない種類の人種に自然と顔が強張る。
何しろ有人の周りに居たのは年相応の子供だ。
一つ年上だろうともっと元気で明るく活発な雰囲気を持っていた。
それこそ施設の中で殴り合いの喧嘩もするくらいに。
どうしようと混乱する頭で必死に考えながら、とりあえず挨拶をと震える唇を開く。
「・・・ゆうとです」
何とか搾り出した声は掠れ、けれど必死に瞳だけは反らすまいと真っ直ぐに前を見た。
瞬きすら惜しむようこちらを覗き込む栗色の瞳に、体の脇で握った掌が緊張で震える。
やがて印象的な目を閉じた彼女は、次いで瞼を開けたときには、今しがたまでの雰囲気を一新する魅力的な笑みを浮かるとそのまま右手を差し出した。
「私の名前は守。君と同じで、お父さんに貰われてきました。だから緊張することはないですよ。私も君と同じです」
「守は一年ほど前に君と違う施設で引き取った子供だ。優秀な子で勉強もスポーツも何でもこなす。有人、君も何か判らないことがあれば守に聞けばいい。守、影山さんに君がいる間は有人の面倒を君に任すよう言われている。頼めるか?」
「はい、お父さん。宜しくね、有人君」
「・・・」
無表情でいたときとの第一印象とは違い、はきはきとした口調で挨拶する。
いかにもお嬢様といった格好だったが、もしかしたら本人はもっと活発なのかもしれない。
名乗りを上げた守の補足を相貌を崩した鬼道がし、自慢気に胸を反らす。
自分の面倒を彼女が見ると言われ瞳を見開く有人を他所に、にこにことした笑みの守は父親に頷いていた。
反応出来ずにいると、そのまま守が話を進める。
「父さん、有人君の部屋に案内してきていいですか?」
「構わない。だが夕食までにきちんと戻ってきなさい」
「はい!有人君、行きましょう」
再び声を掛けられ差し出されたままの右手をじっと見詰めてから、ゆっくりと手を伸ばした。
重なった掌はすぐに力を篭めて握られる。
誰かと手を繋ぐなんて経験妹以外とはほとんどなくて戸惑っていると、笑顔を浮かべた守は父親に挨拶をするとさっさと室内から出てしまった。
釣られて有人も外へ出る。
途中黒服の男とすれ違ったが顔を見る余裕はなかった。
絶えず話し続ける彼女はそのままの勢いで歩き続け、唐突に足を止める。
「ここが有人君の部屋です」
一言告げてからドアノブをあけると、広がる世界に唖然と口を開いた。
大きな窓には木の枠が嵌めてあり、小さな花が飾られている。
本棚に専用テレビ、ソファに机。鬼道の部屋には劣るが、施設なら子供の集まる視聴覚室と同じかそれ以上の大きさだった。
毛足の長い絨毯が広がり、スリッパを脱げば床でそのまま横になってもすぐに眠れそうだ。
鬼ごっこをしてもすぐに捕まえられそうにない広い部屋は、今まで暮らしてきた場所と雲泥の差だった。
「ひろい」
無意識の内に口から言葉が漏れる。
「そんで豪華だろ?判るぜ、戸惑うの。俺も最初そうだったもん」
そして思わぬ部分で肯定を受け、ぐるりと顔を回した。
腕を組み立っている守は、入り口のドアをきっちりと閉めて背を預けた形でこちらを見ている。
服装も髪型も顔も変わっていない。
それなのに器用に雰囲気だけ一変させ、まるで男のような口調で話している。
何が起きたのか理解できず警戒して眉間に皺を寄せると、背をドアに持たせていた守がぽんと手を打った。
訝しげに見上げる有人の頭を撫でるとその顔を覗き込む。
「悪い。俺、こっちが素なんだ」
「・・・・・・」
「父さんの前では流石にしないけどな。お前の前ではこのままだから、慣れてくれよ」
「・・・・・・」
ぱちりと綺麗にウィンクをした人は、飄々と告げる。
騙していたのかと思ったが、それにしては態度は柔らかい。
一体どういうことかと見ていると、視線を合わせた守は楽しそうに破顔した。
「あ、苛めようとかそんなのは別にない。むしろお前が可愛くて嬉しいぞ、有人」
言葉通りに優しげな笑顔を浮かべた人は、にこにこと笑顔を振りまく。
可愛いと面と向かって言われたのは何年ぶりだろう。
両親がしょっちゅう海外へ行くお陰で有人は必要以上に大人びた子供に育った。
妹に手を出す輩を追い払う内に気がつけば施設でも問題児だったし、持て余されたお陰で可愛いなんて称する大人は居なかった。
それに他人に馴れ馴れしくされるのも苦手で、テリトリーに無断で入られるのは嫌いだ。
警戒心が強すぎるのも可愛くないと称される一端を担っていた。
それなのに。
「なまえ」
「呼び捨ては嫌か?」
「・・・、いや、じゃない」
初対面でいきなり名前を呼び捨てにされたのに、全く嫌じゃなかった。
近距離で顔を覗かれても緊張しないし、嫌悪感はない。
どうしてと自分に疑問を抱いている有人を他所に守は笑顔で問いかける。
「そっか。あ、お前は俺を何て呼ぶ?お姉ちゃん?お姉さま?守さん?」
「ねえさん」
「・・・地味に可愛くないな。お前子供の癖に」
「・・・だめ?」
「お?今の顔は可愛い。よし、可愛いから許してやるぞ、有人!」
上から目線の言葉なのに腹も立たない。
きっと問いかける守があまりにも楽しそうに、本当に可愛いものを見る瞳で有人を見るからだろう。
初対面なのに警戒心を抱けない。
守は不思議な空気の持ち主で、有人の心の壁をたやすく乗り越えて内まで入り込む。
けれど嫌悪が沸かない。きっと彼女は距離を測るのが上手いのだろう。
久し振りに感じる優しい眼差しに照れて俯くと、いきなり抱きしめられた。
ぎゅうぎゅうに遠慮のない力の抱擁に硬直する。
固まった有人に頬を摺り寄せた守にそのままひょいと抱き上げられた。
一つしか違わないが頭一つ分は身長差があるので成すがままにされていると、意外と力があるらしい守はお嬢様らしからぬさかさかした足取りで部屋の隅に進む。
大きな本棚がある一点で足を止めると、真新しい本の中にある少しだけ古びた本の中から一つを掌で押し込んだ。
「これは・・・?」
「俺の部屋への直通ドア。ほら」
音もなくスライドした棚に驚いていると、その裏から現れたドアを引く。
すると有人が居る部屋とが違いベッドが置かれた部屋にはサッカー雑誌やDVDが数多く見れた。
言葉通りならここは守の部屋なのだろう。
作りが違う部屋にきょろきょろと瞳を動かしていると、柔らかなベッドの上に宝物のようにそっと置かれた。
そしてそのまま守は壁に向かい歩き、掛かっていたサッカーボールを手に取った。
ぽん、とリフティングをする。
大よそ動くのには不向きなワンピース姿なのに器用に頭でリフティングを繰り返した技術に自然と瞳が輝いた。
サッカーは有人にとって特別なものだった。
両親が残してくれた唯一の形見がサッカー雑誌で、サッカーをしていると両親を感じられた。
施設にいる誰より上手い自信があったが、彼女と比べたらどうだろう。
ぽんぽんと安定して繰り返される仕草を眺めていたら、不意にボールがこちらに飛ばされた。
慌てて立ち上がろうとしてベッドの上でバランスを崩し、ふわふわの布団に埋もれてしまい、ついでにボールは頭に当たって跳ねる。
あまりの失態に自分でも驚いていると、頭上で軽快な笑い声が響いた。
「あはは、有人だっせぇ!」
「ちがう!ばしょがわるいだけだ!おれはもっとうまい!」
「ふーん。でも、俺のが上手いけどな」
「おれのがうまい!」
「じゃ、勝負してみるか?どっちが長くリフティング続けれるか」
「・・・でもそのスカートじゃまそう」
「ハンデだよ、ハンデ。俺はヘディングだけでやるしー」
「っ、ならおれも!ヘディングだけでする?」
「あーん?生意気、有人。んじゃ、勝った方の部屋で今日は一緒に寝るんだぞ」
「わかった!」
からからと笑う守に悔しくなって、顔を真っ赤にして訴える。
すると余裕の表情を浮かべた彼女はにっと意地の悪い笑顔で腰に手を当てて聞いてきた。
ムキになって返事をすると、嬉しげに頷いた彼女はまた手を差し伸べてきた。
今度は迷いなくその手を握る。
きゅっと握り返された手を繋ぐのに、不思議と迷いも戸惑いもなかった。
ハリネズミみたいだと言われた警戒心が消えていたのに気がついたのは、彼女のベッドで一緒に眠った翌朝だった。
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