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 目を閉ざすなどという選択肢は持っていない。それは今まさに処刑されんとする彼も同じらしく、首に刀を突きつけられた状況でも余裕を失わずふてぶてしい表情を浮かべている。さすが歴戦の戦士と言うべきなのだろう。
 唇に刷いた笑みは神楽が良く知るもので、とても死刑にされる虜囚が浮かべるものではない。今からでも『神楽ちゃん』と名を呼び駆け出してきそうな、そんな見慣れたものだった。
 神楽は何故こうなったのか判らなかった。父が今まさに処刑されようとするその理由も、彼が抵抗しない理由も。そして、彼に刀を突きつけている男や歌舞伎町では見ない豪勢な衣装を着た者達がその光景を歪な笑みで持って眺めているのかも。
 息を殺し、気配を殺し、瞬きすら惜しみその光景を眺める神楽には判らない。
 ただ、唯一理解できるのは自分の父が冤罪で殺され、そして彼がそれに抵抗していないという一点のみ。悲しみも限界を超えると涙も零れないらしい。飛んでいった父の首を眺め神楽は瞬きを繰り返す。首から上を失った体は、歪な噴水のように血を吹き出した。

 真っ赤に染まる。視界も、世界も、何もかもが。

 渦巻く感情は複雑で、どうすればいいか判らなかった。無意識の内に握っていた壁が、みしりと音を立てて砕け散る。

「どうだ、じゃじゃ馬」

 背後から声が聞こえた。それは以前にも数度聴いたことがあるもので、神楽をこの場に招いた持ち主のものでもある。傍らに置いていた傘に手をやると、振り返らずに一閃した。
 鈍い感触を伝えたそれに、笑う気配が空気を震動させる。何もかもが煩わしい。怒り、悲しみ、悔しさ、苦しみ。全てが混じり、何を発露させればいいか判らない。

「憎いだろ?親父を殺したあいつらが。お前の親父は何もしてない。ただこの国の役職の玩具になり見せしめに死んでいった。見ただろう、あいつらの笑顔を。あんなに醜悪なもの、お前は見たことあるか?なぁ、憎いだろう?殺したくて仕方ないはずだ。俺はそうだった。俺もあいつらに奪われた。俺ならお前の気持ちを理解できる。俺も目の前で殺されたからな」

 暗示を掛けるように繰り返されるそれは、沈んでいく神楽の心を縛った。優しくきつく、逃れようがない力で。

「俺と共に来い。お前の望みを果たしてやる」

 何よりも甘い誘惑に、逆らう術は見つけれなかった。

拍手[4回]

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体の一点に篭った熱を発散したく、代わりに暑い息を吐く。
しかしながら新たに吸い込んだ冷たい空気も体内に取り込まれたと同時に熱に変わり、琥一はじとりと眉を寄せた。
楽しそうに笑って目元を赤く染め上げた冬姫が、琥一の上から顔を覗き込む。
今にも吐息が触れそうな距離に、頭の奥がくらくらした。

「大丈夫だよ、琥一君。私がしてあげるから」

甘ったるい、語尾にハートでもついてるんじゃないかと思える声。
鼓動を早めた心臓を押さえきれず、堪え切れなくてその白く細い腕を掴んだ。
琥一の手で掴むと一回りしても尚余る華奢な体つきは、それでもふわりと柔らかい。

「この、悪魔めがっ」

みっともないだろうが赤く染まった顔を隠す余裕もなく、琥一は目の前の可憐な女に吐き捨てた。




「いい加減観念しなよ」

琥一の部屋で我が物顔でベッドに横掛けになった冬姫が顔を覗きこんでくる。
肩を少し超える髪が琥一の顔に掛かり擽ったいのと、距離の近さに眉間にぎゅっと皺を寄せた。
今部屋に親が入ってきたら、喜び勇んで勘違いするだろう。
何もしていない自分に向かい、責任を取れと嬉々として命じるに違いない。
実際に襲われているように見えるのが琥一だとしても、責められるのは絶対に自分だ。

ここぞとばかりに輝かしい笑顔を見せる冬姫が憎たらしい。
それを可愛いと思ってしまう自分は色々な意味で末期だ。
ちくしょう、と小さく呟くと、何か言ったと鼻先をつままれた。

「この、不義理者が」
「何言ってるの。義理堅いからここにいるんじゃない」
「何処がだ。お前本当は俺が嫌いだろ。絶対そうに違いねぇ」
「どうしたの、琥一君。そんなわけないじゃない」

目を丸くして驚きを表現した冬姫をきりきりと睨み付けた。
力が入らない腕を気力で持ち上げ髪を指先だけで握る。
一層近くなった距離に緊張しないのは、もう色々と麻痺しているからだろう。

「なら、どうして。熱を出した俺の見舞い品が座薬なんつーとんでもないもんなんだよ!!」

低く掠れた声で精一杯の力で叫べば、当然に咳き込み涙目になった。
ひゅーひゅーと荒い呼吸を繰り返すこと、白い手が宥めるように髪をかき上げた。
うっすら瞳を開ければ心配そうに眉根を寄せた女の姿。
心動かされそうになったが忘れてはならない。
この女は見舞いの品に『座薬』をセレクトする女だ。

緩みがちな警戒心を必死で締めなおし、視線に力を篭めると心外そうに肩を竦めて額に浮いた汗を拭いだす。

「言っておくけど、これは琥一君のお母さんに頼まれたから買ってきたんだよ」
「おふくろが?」
「そう。病院もいや、薬もいや。なら最終手段に訴えるわよって」
「・・・おふくろが?」
「そう」

さらに低く掠れた声に、自分でもこんな声が出せるのかと驚きつつ、自身の母親への不信感が猛烈に高まる。
よりによって身内以外にそんなものを頼むものか。
しかしながらそれ以前に気になる事が出来た。

「どうしておふくろがお前に連絡するんだよ」
「この間携帯のメール覚えたいからってアドレス交換したの。毎日メールしてるよ」
「メル友かよ」
「うん」

苦々しく突っ込めばあっさり肯定された。
自分の母親と幼馴染が仲がいいのは知っていたが、ここまでとは知らなかった。
だがよくよく考えれば、フリーパスに近い状態で桜井家に出入りしている冬姫だ。
晩御飯を一緒に作っている姿も何度か見かけていたし、父親もでれでれとその姿を見ていた。
思い出せば、母は息子ではなく娘が欲しかったと言ってなかったか。
その内普通に二人で遊びに出かけそうだと今から頭が痛くなる。

「あんまり心配かけたら駄目だよ」
「・・・・・・」
「幾ら薬の苦いのや注射の針が苦手でも、我慢しなきゃ」
「!?お前、それ誰に・・・っ」
「あ、やっぱそうなんだ。意外な弱点だね」

しまったと瞼をきつく閉じる。
頭痛が酷くて閉じた瞼の裏がちかちかと白く光った。

カマをかけられたのも癪だが、よりにもよって冬姫にばれるなどとは。
世界で誰よりも格好つけたい相手なのに、なんと情けない。
ちなみに世界で二番目に格好つけていたい相手は、シュールな弟だ。
弟も油断ならない勘の持ち主だが、彼女とて大差ないと忘れていた自分が迂闊だった。

「座薬なんていくらなんでもおかしすぎるしね。おば様も気づいてると思うよ」
「・・・そうかよ」

ならば変なヒントを冬姫に出さず、一生胸に閉まっていてくれればよかったのに。
逆恨みに近い感情が胸の奥から沸きあがる。
だが額に置かれた白い手に意識を戻し、瞼を開ければ苦笑した綺麗な顔が近くにあった。
先ほどまでより緊張しないのは、きっと色々と吹っ飛んでしまったからだろう。
何かする気力も薄く、ただ体の節々が痛み暑さに布団を蹴り上げたかった。

「粉薬が嫌ならオブラート買ってきたよ。これで飲めば苦くないから」
「喉に張り付くから嫌だ」
「座薬がいいの?」
「───・・・・・・飲めばいいんだろ、飲めば!」

力ない目で精一杯睨みつける。
だが悔しい事に相手の上位は変わらず、熱を出したままの体では抵抗もままならないのが現実だった。

「飲めばいいんだよ、飲めば。でもその前におかゆね。食べれそう?」
「いらない」
「判った。じゃあ、冷やして食べさせてあげるね」
「っ、自分で食える!」
「良かった。じゃあ、おば様から貰ってくるから大人しく待っててね。食べれる分だけでいいから、少しでもお腹に入れること。飲み物はスポーツ飲料とお茶どっちがいい?」
「茶」
「了解。いい子で待っててね」

ふわり、と先ほどまでの意地の悪さが何処かに残るものではなく、琥一の好きな無邪気な子供っぽい笑顔。
それに、眉を下げると琥一も苦笑した。

結局のところ、琥一が熱を出したと聞き、大学をサボってまで駆けつけてくれた彼女に喜びが沸かないのではないのだ。
琉夏がバイトで居ない今は彼女を独占できる滅多にないチャンスで、罪悪感を感じないでもないがそれがやっぱり嬉しい。
熱を出した琥一を甲斐甲斐しく甘やかす冬姫にくすぐったさを感じないわけではないが、たまにはそれもいいだろう。

「熱が下がったら」
「ん?」
「二人で、何処か出かけようぜ」

ドアノブに手を掛けた冬姫に言えば、くすくすと彼女は笑った。

「もちろん。だから早く元気になってね」

スカートを揺らして部屋を出て行った彼女を見送ると、布団を顔の上まで被る。
今更ながらに色々とこみ上げてきて、顔がかっかと熱かった。
布団の上を手で探り目的のものを掴むとベッドの隙間に挟み込む。
座薬の件を冗談だと言っていたが、万が一帰ってきた琉夏に知れたらことだ。
琥一を付きっ切りで看病していたと知ったら、あれでいて焼き餅妬きな弟に何をされるかわからない。

早く治って遊びに行きたい気持ちともう少し甘やかされたいと望む気持ち。
どちらが強いか、熱に湯だった頭では判断できなかった。

拍手[10回]

すみません!
Web拍手のお返事はまた明日にさせていただきます。
コメントくださった方、本当にごめんなさい!
少しだけお待ちくださいませ!

拍手[0回]

暗闇と明るみの混ざり合う中間地点。見上げれば空があり下を覗けば奈落が広がるその場所は、境目と呼ばれ絶対的対立をする天使と悪魔の停戦地帯である。
天上にはない地面に触れることが出来、奈落にはない空が仰げるそこは、天使と悪魔が出会っても見て見ぬふりをすると暗黙の了解が定まっていた。天使は悪魔に嫌悪を抱き、悪魔は天使に感心を持たない。拒絶こそすれ話を交わす存在は遥かに広がる境目で見受けられることはない。
 蝙蝠に似た漆黒の羽を持つ蓬生も勿論関心がない一人だ。細く僅かに癖を持つ藤色の髪を緩く一つで結わえた彼は、艶気のある悪魔である。一見すれば上品で柔和だが、常に弧を描いている唇や細められた瞳からは表情を読むことは出来ず彼を一角ならない悪魔たらしめている。
誰を前にしても余裕のある態度を崩さず、気だるげで儚げな雰囲気を持っていた。悪魔としての能力も中々のもので、彼の相棒であるもう一人と共に奈落でも名の知れた十指に入る有能さだ。悪魔らしく享楽的で刹那を好む一面を持つ彼は、何かを『堕とす』手腕に長けていた。
 この日蓬生が境目に遊びに来たのはただの気紛れだった。先日まで人間界に五十年ほど居座って遊んでいたのだが、そろそろ顔を出せとの相棒の言葉に渋々と故郷へと帰ってきたところで、境目に寄ったのはそこが帰り道の中間地点になるからだ。立寄る気になったのは天上から降り注ぐ日差しがあまりにも穏やかで心地よかったからだ。
蓬生は力ある悪魔としても有名だが、変わり者としても有名だった。天上の日差しを好む悪魔など、奈落中を探しても五人も居ないであろう嗜好だ。狂気の沙汰と呼ばれているが、そんなもの気にしない。所詮この世は力が全て。力なき弱きものがどれだけ群れ戯言を吐こうとも右から左へ聞き流せ、だ。我慢できぬほどに鬱陶しければ消してしまえば済む話で、指を鳴らすだけでその作業は完了する。
「ああ・・・ここがええな」
 一際大きく、立派な木の根元に体を横たえると頭の後ろで腕を組む。瞼を閉じれば息をするのと同じ自然さで力が展開され、蓬生がいる場所を中心に一キロ程度を結界で包んだ。姿を見せなくするのではなく入った瞬間に別空間に飛ばされるそれは、蓬生の力場に足を踏み込んだ瞬間この木を通り越した場所に移動する。蓬生の力を考えれば悪戯に近い可愛らしい結界は、けれど強固で強力。なまじの天使や悪魔では存在にすら気づかないだろう。
 麗らかな日差しを瞼の裏で受け止め、はぁと温い息を吐き出す。奈落では感じれない温もりは穏やかで心地よい。
「やっぱ、昼寝はええなぁ」
 体質上あまり長く光りに当たれないが、気持ちよさにうっとりとする。日差しではなく月光を好む相棒から、変な奴だと常々言われるが気持ちいいものは仕方ない。蓬生ほど力が強ければ日差しを浴びたくらいで消滅する恐れもないし、さすがに一月も毎日繰り返せば体調を崩すがその程度だ。風の心地よさに目を細める余裕すらあった。
「・・・・・・?」
 しばしまどろんでいれば、不意に空間が揺れる。違和感に目を開き気配を探るが遺物は見当たらず眉を寄せた。
 気のせいと済ますには違和感が大きすぎたが、何も見つけられないのだから仕方ない。万一蓬生の結界を潜り抜けているのであれば、その存在は強大な力を持つことになる。鉢合わせをしたら面倒だが、その相手を絞るのは容易だ。消去法でいって、蓬生より力が上の存在など、天上も奈落も含めて一握りなのだから。そして違和感は敵にしては蓬生の力に馴染んでいた。大方相棒が一向に姿を表さぬ蓬生に痺れを切らしたというところだろう。
 考えを一段楽させ、肩の力を抜く。ゆったりとした空気に身を任せた蓬生は、今度こそはっきりと感じた異変に身を起こした。
「・・・音?」
 細く高く微かに聞こえるそれに、じとりと眉を寄せる。聞いたことがあるようなないような音に、すっかりと眠気を吹き飛ばされた蓬生は不機嫌に唇を窄めた。
「誰や、人の休息を邪魔する奴は。人の眠りを邪魔する奴は、馬に蹴られて死んでまえっちゅうのを知らんのかい」
 色々と間違った人間界の諺を口にすると、ぶわり、と自慢の羽を広げる。広げられた羽は蓬生の身体よりも大きく、一羽ばたきで身体が浮いた。
 数度羽を動かして空へと昇る。空気を支配化に置けば、上昇速度が飛躍的に上がった。
 先ほどまで背を凭れ掛けていた木の天辺と同じ高さまで上がると目を瞑る。意識を集中し、心の触手を伸ばせば情報が脳裏に入りこんだ。
「居た」
 一瞬のビジョンで場所を特定させると身体を傾ける。目的地へは一息で辿りつき、羽を止めて急停止する。その勢いに木の葉が揺れ砂が巻き上がる。蓬生を中心として起こった風は、瞬きの間に周囲を揺らし去っていった。
「・・・え?」
 蓬生の登場の瞬間から、動きを止めて固まっていた存在が間抜けな声を漏らした。ぽかん、と小さな口を開け大きな瞳を零れんばかりに見開いた相手は、蓬生もよく見る大きな羽を持っていた。
 天使。
 梔子の髪を肩で揃えた小さな天使は、どうやら女性らしい。白いローブから覗く肌は滑らかな象牙色、蕩けるような琥珀色の瞳に微かに染まった淡い頬。唇はサクランボと同じく艶やかで可愛らしい。随分と小さな体をしていて、吹けば折れてしまいそうな印象だ。そして何よりも特徴的なのは胡粉の羽。それ自体が発光するように何処までも上品に白く、長く生きた蓬生ですら初めて見る美しさだ。知っている上級天使たちよりも遥かに上質な色をしている。
先ほどまで聞こえていた音はきっと少女の両手にある楽器から奏でられていたのだろう。蓬生の位置まで距離があるのにどうやって音を届けたのかは判らなかったけれど。
 呆然と口を開いたまま動かない天使を、好奇心のままじっくりと眺める。今までの天使は蓬生を見ると会話らしい会話もせずに挑んできたので、初めての機会に唇が緩んだ。何しろこの天使、随分ととろいらしく近づいても逃げないし、それどころか髪を触っても羽を弄っても動かない。
 悪戯な手がローブの中に潜り込もうとした瞬間、漸く我に返ったらしい天使の少女が慌てて身を引いた。
「な・・・何するんですか、いきなり!?」
「いきなりやなかったらええの?」
「良いわけないです!人の髪引っ張ったり、ほっぺを摘んだり、羽を弄繰り回したり、失礼じゃないですか!」
 小さい体を精一杯伸ばして怒りを伝える天使の少女の瞳はきらきらと輝いている。きっと興奮しているのだろう。肩を怒らせ腰に腕を当て柔らかな頬を河豚のように膨らませていた。
 そんな幼げな姿に蓬生は目を丸くした。元々天使とは鼻持ちならないくらいに気位が高いのが普通だ。いつでも体裁を気にし、体面を取り繕っている。つん、と取り澄ましているのが標準で、悪魔如きと唾棄するのが彼らの生き様だ。
 それがこの少女の素直な行為はなんだろう。感情を押さえない悪魔の子ほど狡猾でなく、感情を表に出さないのを誇りとする天子とも違い、真っ直ぐな想いがひしひしと伝わってくる。純粋な怒りを感じるがそれは醜いものではない。どちらかと言えば拗ねているように見え、蓬生は己の口元を掌で覆った。
「・・・可愛い」
「え?」
 聞き取れなかったらしい天使の少女はこくり、と首を傾げる。その姿ですら蓬生に変な胸の高鳴りを伝えてきた。これはあれだ。人間流なら、壷に嵌ったとでも言うのだろうか。警戒心の欠如した態度も、蓬生の行動にすぐさま反応できないとろくささも、感情を素直に訴える態度も、醜悪に映らない仕草も全てが新鮮で面白い。
 うずうず、と尻尾が揺らめく。鼠を甚振る猫と酷似した動きだが、残念にも少女は気がつかなかった。
「俺は蓬生。蓬生さんて呼んでくれてええよ」
「・・・はぁ」
「君は?天使のお嬢さん」
「お嬢さん??え・・・と、私はかなでって言います」
「かなで?・・・何処かで聞いた名やな」
 何かが蓬生のアンテナに引っかかり首を傾げる。腕を組んでしばらく考え込んでみたが、結局何も思い出せなかった。
「まぁ、ええわ。小さいことは気にせんとこ」
 取り合えず目の前の少女───かなで『で』遊ぶのを優先させた蓬生はにっこりと微笑んだ。それは優しく艶やかだが何処か油断できない色を湛えている。普通の天使であれば違和感に逃げるだろうが、蓬生が気に入った天使は何処までも鈍いらしい。蓬生の笑顔に釣られてにこり、と気の抜けた笑みを向けた。
 無意識に手を伸ばすと、くしゃり、と梔子色の髪を撫でる。突然な行為に目を白黒させながらもかなでは蓬生の手を拒絶しない。
「なぁ、さっきの音はあんたが出しとうたんやろ?」
「音・・・?」
「そうや。細くて高い音。俺が居るところまで聞こえたん。あの木の下で昼寝しとったんやけど、すっかり目が覚めてもうたわ」
「あんなとこまで聞こえたんですか・・・!?それは、ご迷惑をおかけしてすみませんでした。私、これを奏でるのが仕事なんですけど、天上では中々練習出来なくって」
「ああ、別に怒っておらんよ。ただ興味が沸いてん。切れ切れにしか聞こえんかったからやろうな。きちんと聞いてみたくて飛んで来たんや」
「飛んで・・・っ!そうだ、さっき見たんですけど、蓬生さんの羽黒くなかったですか!?」
「・・・・・・」
「もしかして・・・もしかして、蓬生さん悪魔なんじゃ」
 おずおずと見上げてきた視線に警戒の色が見えどうしたものか、と思案する。ここで肯定するのは簡単だが、何だかそれでは折角見つけた少女が逃げてしまう気がした。
だが。
「もしそうなら、凄いです!私、悪魔って始めて見ます!羽、本当に黒いんですね」
 かなでの発想は蓬生の斜め上を走っていた。嬉しそうに目を輝かせたかなでは、蓬生を好奇心一杯の目を向ける。
「なぁ、かなでちゃん。そんなに悪魔が珍しいんなら、俺と友達にでもなる?」
「え?」
「俺は当分奈落におる。かなでちゃんは、ずっと天上におるんやろ?なら、中間地点の境目のこの場所。この場所を俺らの秘密の場所にしよ。俺はここに昼寝に来て、かなでちゃんは俺の傍でその楽器の練習をする。どうや?」
 問いかけながらも答えは判っていた。何しろ蓬生はやり手の悪魔だ。天使だって今までに何人も『堕として』いる。
 嬉しそうな笑顔を答えの変わりにした少女は、素直に腕に持った楽器を構えた。

 かなでの演奏の腕は全く大した物だ。組んだ腕に頭を乗せ、ゆったりと息を吐き出しながらまどろむ。音楽など奈落には存在しない上品な趣味で、人間界くらいでしか聞いたことがなかったが全くレベルが違う。かなでが弾いた音には色があり輝きがある。視認出来るほどきらきらしいそれは美しくも眩い。
 神から与えられたと言うその楽器は、かなでの仕事の相棒でもあるらしい。音が流れる毎に溢れ出る奔流が辺りを包むと、その度に季節が変化する。蓬生が思っていたよりも、この天使の少女は強大な力を持つらしい。だが川の流れをホースに集約して花に水をやるのが難しいのと同じで、その大きすぎる力を繊細なコントロールで扱うには修練不足で、出会った日も特訓中だったそうだ。周りに与える影響が大きすぎるので誰も居ないであろう境目の奥に居たらしいが、なるほど。春の季節を誘導する音を奏でていたと言うのだから納得だ。
 風変わりとは言え悪魔の蓬生を和ませる力を持つかなでは、きっと特異体質なのだろう。すぐに厭きると思っていた会合も回を重ねる毎に楽しみになり、今では次を考える始末。
 瞼を閉じたまま、淡く苦笑する。何かに夢中になるなど、面倒だと思っていたのに。否。現在進行形で思っているのに。呆れるくらいにかなでに執着している自分を発見し、蓬生は信じられんね、と自分に向かって呟く。だがそんな淡い感情すら心地よい時間が穏やかに流れていった。

「・・・おや」
 ある日いつも通りに待ち合わせ場所に向かった蓬生は、見慣れていないが見知った気配を敏感に感じ取り、ついと眉を上げた。二対四枚の羽を持つ自分とさして体格の変わらない姿を目にし、目を細める。
「何や、久しぶりやね」
 一見普段と変わらないようでいて、僅かに口調に険が篭った。我ながら判り易過ぎると思わなくもないが、かなでと二人だけの秘密の場所に現れた乱入者に好感情は持てそうにない。黒い羽を操り近づけば、彼の表情も自分同様に歪んでいるのが見て取れた。亜麻色の緩やかな髪を持つ男は、少し垂れ目がちの瞳を尖らせる。
「かなでに近づくな」
「珍しく直球な台詞やん。いつものオブラートに包んだ言い方は何処に消えたん?」
「悪いが今はお前の言葉遊びに付き合う気はないんだ」
「上級天使の君らしくない余裕のなさやね。君、かなでちゃんの何なん?」
「───俺は、かなでの教育係だ」
「教育係?ふーん・・・教育係、ねぇ」
 腕を組み、じとりと男を眺める。何処か居心地悪そうに居住まいを正した彼も、それだけでは理由が薄いと自覚しているのだろう。自分とは違った意味で得意のポーカーフェイスも微かに目尻が染まることで崩れている。
 無性に胸の中に苛立ちが募り、気を許したら力が発現してしまいそうだ。胸に巣食う気色の悪い感情は初めてで、ここまで暴力的な気分になったのは久しぶり。これが何を意味するか聡い蓬生には判らないはずがなく、深呼吸をして昂ぶったそれを押さえ込む。
「とにかくっ、かなでにはもう会わないでくれ」
「どうして俺が君の言うことを聞かなあかんのん」
「かなでの為だと言っても、聞くつもりはないか」
「───・・・どういう意味や?」
「そのままの意味だ。最近、かなでの音は深みを増した。以前より力のコントロールも抜群で、効果を操作できるようになった」
「それなら万万歳やん」
「お前は、かなでの存在の意味を理解していないんだ」
「存在の、意味?」
「かなでは───かなでは、生まれてからまだ十七年しか経っていない」
「十七年!?」
 行動が幼いとは思っていたが、まさかそんなに若いとは思っていなかった。人間でもまだ子供と呼ばれる年齢だ。長命の天使や悪魔からしてみれば、赤子も同然。だからこそ驚愕する。かなでの持つ力は、十年やそこらで身につくものではなく、生まれ持ってのものにしては強大過ぎる。かなでの力はまだ不安定だが、安定すれば蓬生すら凌駕する力を持っているかもしれないというのに。
 唖然とする蓬生を見て、彼は苦く笑った。押し込めておくのが難しく、つい漏れてしまったような小さな笑み。淡く儚い印象のそれに、嫌な予感がして眉を顰める。
「お前も、判ってるんだろう?」
「・・・・・・」
「かなでの力はまだ赤子同然の天使に与えられるべき物じゃない。かなでは、比喩ではなく神に愛された申し子。一心に天使たちの愛も受ける、愛されるために生まれた存在。彼女の調べは矜持の高い天使の心を解し柔らかいものにする。それは神が与えたものではなく生まれ持った才能で、だからこそかなでに執着する者は多いんだ」
 その言葉の意味の裏側を蓬生は正確に読み取った。じとり、と眉間の皺が寄り不快感が競り上がる。
「つまり、俺にかなでちゃんと会うなって言うとる訳やな?」
「そうだ」
「それは脅し?」
「いいや。───かなでの身を守るための、最善の手段だ」
 真面目な顔にくつりと喉が震える。何と面白い冗談なのだろう。
「随分な言いようやな。かなでちゃんを殺されたくなかったら離れろ、なんて」
「・・・・・・」
「君たちはかなでちゃんを愛しとるんやろ?博愛主義者の天使さん」
「博愛主義者だからこそ、唯一の例外には執着するんだ。かなでは誰のものでもない。敢えて言うなら、彼女を創った神のもの。それなら俺たちも納得できる」
「でも、同族でもなく、むしろ敵対する悪魔である俺に関心を持つのは許せない。そういうことやろ?」
「───その、通りだ」
 頷いた天使に蓬生は艶やかな微笑を向ける。細められた瞳には怪しい輝きが宿り、唇が孤を描く。悪魔らしい表情に目の前の天使は嫌悪の表情を浮かべた。
「嫌やね」
「・・・・・・」
「俺はかなでちゃんを手放す気はないし。むしろ、堕とす気満万や。かなでちゃんなら、可愛い子悪魔になると思わん?」
「悪魔めが」
「せやね。俺は悪魔や。それも君より力が強い。知っとうやろ?」
 ぶわり、と力を解放する。木々がざわめき草が揺れる。蓬生を中心に力場が膨れ上がり、目の前の天使が防御を築く前に瞬く間に侵食する。二対四枚の羽を広げた天使は、辛うじて吹き飛ばされないように踏ん張った。その様子を眺めながら笑顔でじわじわと力を強める。球体状に力を纏め徐々に狭めていく途中、不意に感じた気配に力を霧散させた。
「!!?」
「こんにちは、かなでちゃん」
「こんにちは、蓬生さん」
 肩で息を吐き崩れ落ちた男に背を向け、にこり、と新たな気配に先ほどまでとは百八十度反対の微笑を浮かべる。それは天使よりも余程自愛に満ちたものだが、彼にはそれが判らない。穏やかな笑みのまま手を差し伸べ、今まさに地に足をつけようとしていたかなでの補助をする。
 すたり、とつま先から降りたかなでは、礼を言うと周りの惨状に目を瞬かせた。きょろきょろと辺りを見回すと、蓬生の後ろを覗き見て目を丸くする。
「・・・先輩?」
「かなで」
「大丈夫ですか、先輩!どうしたんです、こんなところで」
 片腕で倒れそうな身体をやっとのことで支えている天使を目にしたかなでは、慌てて駆けつける。振り解かれた手をじっと眺め、蓬生は無言のまま眦を吊り上げる。だが蓬生の苛立ちにこちらに背を向けたままのかなでは気がつかなかった。
「帰ろう、かなで」
「え?」
「ここに来ては行けない」
「・・・先輩?」
 かなでがこてりと首を傾げる。普段なら愛らしく映る仕草も、自分に向けられていないだけでどうしてこれほど苛立つのか。
 無防備な肩に手をかけると強引にこちらに振り向かせた。バランスを崩した身体を抱きとめ黒い翼を羽ばたかせる。ぐん、と一気に距離を取り眼窩の男に笑いかけた。
「なぁ、見えとう?」
 くっくっくと機嫌良く笑う。今まで何故あんなに生温い関係で満足していたのか。悪魔らしくさっさと蹴りをつけていれば良かったのに。自分より力のない存在を配下に置くなど容易に出来る。
 遥か下に居る男が息を飲むのが伝わった。人でない自分たちは視界を飛ばすことが出来る。今から蓬生が何をしようとしているのか、敏感に悟った天使は羽を広げようとしたが押しつぶすように圧力をかけ地面に縫い付けてやった。空を飛ぶ手法を持たぬ人よりも惨めな姿は、どれほどあの誇り高い天使の矜持を傷つけたか。ああ、でもそれよりももっと傷つける行為をするのだ。全てを消し飛ばさないように加減を施す。
 にたり、と微笑むと蓬生の雰囲気に飲まれるように震えたかなでの顎を掴んで顔を上げた。
「もっと、早うこうしておけばよかった」
 囁きが終わるよりも早く口付ける。大きく目を見開いたかなでが暴れないよう身体を華奢な抱きしめ口腔内を弄った。
 華奢な身体に見合う小さな舌を見付け出し絡め取る。ん、と小さな声を漏らしたかなでの喉奥まで征服する為に舌を伸ばした。上顎、歯茎、歯の裏側まで器用に舐め───蓬生の力を分け与える。少しずつ量を増やしていけば、痙攣しながら飲み込んでいく。
身体の構造を創り変えるには、それ相応の力が必要だ。一気に注いでは壊れてしまうかもしれない。注意深く量を測りなが進めれば、やがて美しい胡粉色の羽が徐々に落ち始める。ぽろぽろと落ちる羽は鱗が剥がれる様と良く似ていた。
予想外の反応に蓬生は目を見開く。今まで堕ちた天使たちは羽の色が徐々に黒く染まっていった。剥がれ落ちるのは見たことない。驚愕しつつも力を注ぐのを止めなければ、羽が舞う勢いが増した。
「やめろ、やめてくれ!!」
 裏返った天使の悲鳴が上がる。何かを恐れるように掠れた声に、蓬生は益々勢いづいた。かなでと同族だからと所有者じみた台詞を吐いた男の言葉など聞き入れるつもりは毛頭ない。
「やめろ、悪魔!かなでが、・・・かなでが消える!」
 耳に入る哀切に唇が持ちあがり気分が高揚した。そう。自分はかなでを消すのだ。そして、悪魔として創り変える。そうすれば蓬生の力を注いだかなでは、蓬生だけのものになる。想像するだけで楽しみになり、掻き抱く腕に力を篭めた。
「かなで、かなで、かなで、かなで、かなで!」
 壊れたように繰り返される名。その間にも腕の中の感触が変わっていく。
 異変に気がついたのは、かなでの羽の最後の一枚が落ちた時だった。
「・・・かなで、ちゃん?」
「あ・・・あぁ・・・」
 身体を震わせたかなでの背には、『羽は存在しなかった』。羽を毟り取られた鳥のように、剥き出しの骨がそこにある。慌てて身体を離せば、自分の身体を両腕で抱きしめ小さくなった。羽がないため宙に浮けず、蓬生が離した所為でそのまま落下する。だが、苦痛に歪んだかなではその事実に気づいていない。
 悲鳴を上げるのすら酷い苦痛を与えるらしい。掠れた声が途切れ途切れに耳に入る。負の感情を露にしたかなでを見るのは初めてで、呆然とその姿を見送った。
「かなで!!」
 地面に叩きつけられる寸前、天使がかなでの身体を抱き取る。胸に包み込んだ身体を見て、男は絶望の眼差しを浮かべた。
「・・・かなでちゃん?」
 眼窩にあるのは確かにかなでの筈だ。だが、その原型はすでに崩れ始めている。さらさらと砂が零れるように、身体がどんどん解けて行く。
「かなで!しっかりしろ、かなで!!」
 頭皮が剥がれ、眼孔が剥き出しになり、唇が失せ、骨が現れる。瞬く間に、『かなで』という存在は崩れ去っていく。何物にも囚われるのを拒むかのように。何物も触れるのを許さないとばかりに。少しの欠片もなく、彼女を欲するものにとっては最も残酷な見せ方で。
 抱き抱えていた存在が、微塵も無くなっても暫く天使は動かなかった。ぶつぶつとかなでの名を呟き、失ったものを探すために空を見詰める。
 息を詰めその光景を見ていた蓬生は、瞬く間に起きた出来事に呆然と口を開いた。
「嘘・・・やろ」
 それは本人すら聞き取るのが困難な、ささやかな声。だが、地面に足を付けた天使には敏感に聞き取れたらしい。憎しみを隠さない眼差しを蓬生に向ける。その羽が、端から見る見ると黒く染まり始めていた。堕天が始まったのだ。
「だから・・・だから、言ったんだ。俺は、お前に忠告した。かなでは、『神に愛された申し子』だと。神の寵愛を受けた、そして天使に愛された天使だとっ!その身に纏う力は、かなでだけのものにしては、大き過ぎると気づかなかったのか!幾重にも慎重に巻きつけられた呪に、気づかなかったのか!」
「・・・・・・」
「かなでには、触れてはならなかったんだ。貴様は、貴様たち穢れた存在は!俺たちの力が、かなでを滅ぼしてしまうと、俺は確かにに告げたのにっ!」
 二対四枚の羽の内、二枚は完璧な黒に染まりきる。憎しみの量は堕天の速さを促進させる。そして、負の感情は悪魔にとって力となる。ぶわり、と白いローブが翻る。天使が扱えぬ禍禍しい力が場に満ちた。
「神は最初から決めていた。万が一、かなでが汚された時には己の手で消すと。天使たちは決めていた。万が一かなでが自分たちから離れるかもしれないのなら、彼女の魂を刻んでしまおうと。彼女を独占できるのは、俺たちの唯一神のみだとっ!かなでの存在は、神以外は触れてはいけなかったんだ!!」
 一つ一つを理解するたびに、蓬生の意識は覚醒する。それは、つまり。蓬生が、かなでを消したのとどう違うのか。
「よくも、よくもかなでを奪ってくれたな!貴様など、魂すら残さず塵とかせ」
 羽ばたきすらせず天使───否、元は天使だった存在は蓬生の前に現れた。怒りで瞳は充血し、普段の落ち着いた端正な容姿は何処にも見当たらない。憎しみに染まった魂は濁り、顔は歪に引きつっている。構えられた掌に、力が終結していった。
「消えろ、悪魔め」
 最早自分こそ悪魔と呼ばれるに相応しい表情で、天使だった男は呟いた。凄みのある眼差しは、取り澄ましていた天使時代からは想像できない。だが、蓬生にはそんなことはどうでも良かった。
 かなでは消えた。消えてしまった。
 蓬生の力を全力で使い、先ほどから探しているのに何処にも居ない。欠片すら見つけられず、粉すらない。完全な消滅。存在全てを抹消された。目の前の天使や神と呼ばれる存在が、執着心故に呪を施し、何もかも残さず居なくなってしまった。
 理解した瞬間、腹の底から憤怒が沸きあがる。目の前が赤く染まり、悪魔本来の姿に戻った。黒い羽を開き、額を突き破るように角が出す。結っている髪紐が吹き飛び髪が靡いた。瞳は色を変え爪が伸びる。
「貴様ら、よくも・・・よくもかなでちゃんの存在をっ」
「貴様の所為だ!貴様がかなでに触れるから」
「平等を論じる天使の癖に、何でそんな酷いことが出来たんや!」
「かなでは貴様に汚された。もう何処を探しても存在しないし、二度と会えない。構築できない」
『憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、』
 他に何も考えられない。あるのは絶望。世界の何処にも存在が無いと判ってしまう自分への。何処にも存在しない彼女への。
 力が徐々に溜まる。空間が歪み、地面が割れた。空は暗く染まり、奈落の果てが覗き見える。目の前の天使と自分の力がぶつかればただでは済まない。自分たちは跡形もなく消滅するだろうし、天上にも奈落にも爪あとが残る。それでもいい。それでも良いから力を振るわずに居られない。この感情が何処から沸きあがり、何処へ消えていくとしても、蓬生に後悔は無い。
「消えてしまえ!俺からあの子を奪った、天使など滅べばええんや!神など消えてしまえ!貴様らが存在する価値など、最早世界の何処を探しても見受けられん!」
「消えてしまえ!俺からあの子を奪った、貴様など微塵も残らずに!かなでがどれ程愛されていたか、慈しまれていたか、特別だったか何も知らぬくせに!ぽっと出て気軽に奪おうとするから、だからかなでは消滅した!」
 平行線な意見。突き詰めれば一箇所に辿りつく答えを、蓬生が知る余地は無い。悪魔の彼は誰にもそれを教えてもらってないし、唯一教えられたかもしれない存在はもう居ない。
「うあぁぁぁァァァァあああ!!」
「うおォおォぉぉぉおおォお!!」
 真っ向から力がぶつかる。亜空間へと繋がったそれは、草を、木を、土を、空を、少女が愛した全てを飲み込み消していく。
 強大な力に飲み込まれ、身体が徐々に消えていく。指先から粉になり圧倒的な闇が侵食するが、瞼を閉じることはしない。
「あああぁぁぁァァあああ!」
「おぉぉぉォォォォおおォ!」
 閉じぬ先に憎い仇の姿がある。焼き消えていく姿を目に映し、蓬生は薄っすらと笑みを刷いた。
 それは永遠にも近く感じたが、実際は短い時間だったのだろう。消えていく身体を眺めつつ、意識だけ残った蓬生は何も無くなった空間をじっと見詰めた。
「      」
 声帯は無くなり、名を呼べぬ少女を思い浮かべる。春の日差しのように暖かな笑みを気に入っていた。穏やかな雰囲気も、何処かとろい動きも、天使らしからぬ振る舞いも、突き詰めれば彼女の存在そのものを。手に入れようと躍起になったのも、失って発狂し見境無く力を振るったのも初めての経験だ。段々と消えていく意志を認識しつつ、蓬生は自分であった名残を必死で掻き集める。
「      」
 もう一度、いつか会うことは出来るだろうか。残留思念を掻き集め、必死に生きる術を探す。悪魔でなくても良い。木でも、花でも、石でも良い。ただ、願うのは。
 ───もう一度だけ・・・。
 最後の想いを紡ぐ前に、蓬生という存在は闇に解け消えた。

拍手[19回]

「ねえ、冬姫」
「何、ルカくん」
「大きくなったら、俺のお嫁さんになって」

唐突な弟の爆弾発言に、一緒に遊んでいた琥一はぽかんと口を開けた。
今日最後のかくれんぼが終わって、夕日が沈み始めた帰り道。
いつも通り少女を間に挟んで三人で歩いている最中だった。

今までも琉夏の突拍子が無い行動に幾度か驚かされてきたが、その中でも今日のこれが一番だ。
クラスメイトの中で好きな相手が出来ただの、初恋だのと耳にすることはあっても、まだ自分には関係ないと思っていた。
実際ガキ大将でありながら男に頼られる性質である琥一に何人か相談に来ることはあっても、話を聞いて適当に頷くだけで終わりである。
琥一自身色恋沙汰の話は苦手で、どうにも照れくさくむず痒い。
第一同じ学校の女子について可愛いと思うこともなければ、嫌いじゃないと思う以上の好意も持っていなかった。
そして気づかぬ内に、琉夏もそうだと勝手に思い込んでいた。

自分よりも僅かに低い冬姫の黒目がちの瞳を見つめる琉夏の目は、きらきらと輝いている。
夕日の所為じゃなく頬は僅かに赤く染まり、はにかんだ微笑みを浮かべていた。
そうしていると琉夏は本当に綺麗な男の子で、可愛らしく華奢な冬姫と並べると一対の人形のようだ。
唐突に自分の居場所がない気がして、琥一は顔を俯けた。

胸の中が酷くもやもやとし、今まで感じたことがない消化不良な感覚に戸惑う。
唇を噛み締め顔を俯けた。
ただ、嫌だ、と何に対してかわからない気持ちが心の中で叫んだが、それを言葉にするには少しばかりプライドが高すぎた。

「私が?」
「うん」
「ルカくんのお嫁さん?」
「そう。───いや?」

こくり、と首を傾げて琉夏が冬姫を伺う。
反射的に嫌だと答えそうになった自分を、拳を強く握り締めることで押さえつけた。

冬姫が再び口を開くまで酷く長い時間が経った気がしたが、実際はそうでもなかったらしい。
ふわり、と琥一が知るどの女の子よりも可愛らしく好きだと思える笑顔を浮かべると、琉夏の手をきゅっと握った。

「いいよ」

やはり、という思いと、どうしてだよ、という想いが交差する。
琉夏は冬姫を予てから特別扱いしており、冬姫も琉夏を特別扱いしている。
彼らの間には琥一に知れない絆があり、それすら理解していたのに。
それでも二人に置いていかれた気がして、むっと唇を尖らせた。

「でも」

「コウくんも一緒ね」

ふわり、と左の手が暖かくなる。
視線を向ければ自分よりも随分と白い小さな手がつながれており、一瞬で顔が赤くなった。
気恥ずかしくて仕方ないのに、振り払えないのは冬姫の手だからだろう。
何が起きたか判らなくて、ぱちぱちと瞬きしながら冬姫を見れば、先ほど琉夏に向かっていたのと同じ、愛らしい笑顔と正面からかち合った。
益々顔に熱が集まるのを感じ、金魚のようにぱくぱく口を動かすが、結局何も言葉は出ない。

「私、ルカくんのお嫁さんになる。それで、コウくんのお嫁さんにもなる」
「コウも?」
「そう。それで、三人でずっと一緒に暮らすの。ね、いい考えでしょ?」
「───うん。そうだね。冬姫を独り占めできないのは悔しいけど、それって凄くいいアイディアだ」

冬姫の突拍子も無い言葉に、眉を寄せ難しい顔で考え込んだ琉夏は、それでも結局頷いた。

「コウくんは?」
「あ?」
「コウくんは、私がお嫁さんだと嫌?」

肩を少し超える髪を揺らし、黒目がちの瞳を僅かに潤ませた冬姫が問いかける。
その顔は卑怯だと、心の中で呟いた。
眉を下げてじっと自分を見詰める冬姫のこの表情に琥一は酷く弱い。
それこそ、大抵の無理難題は是と答えてしまうくらいに。

視線をあちこちに彷徨わせ、額に汗を掻きながら琥一が導いた応えは、結局今回も『是』の一言。
耳まで赤くなった琥一と、満足気に頷く琉夏。そして間に冬姫を挟み、三人は手を繋いで家路に着いた。

夕日に照らされた三人の長い影だけが、彼らのやりとりを見守っていた。

拍手[6回]

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