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■エピローグ
それからの話を少しだけしよう。桃色の髪の少女が去った後、江戸のシンボルであった城は見るも無残に焼き崩れた。城の面影も残さず燃えたそこからは、おかしいことに死傷者は出なかった。重症を負ったものも、火傷を負ったものもいた。けれど、あれほどの惨事でありながら誰も命を落とす事がなかった。──少なくとも、確認できる範囲で、だが。
江戸城に火をつけたのは過激派を気取っていた晋助の手によるものだと、町には噂が広まっている。だが過激派の一派が最も活躍していた、惑乱の時代は一年ほどで呆気なく終結を迎えた。今でも、高杉派と名乗る攘夷志士がテロを起こす事はあるが、当時と比べれば頻度は極端に少ない。それは、晋助自身が表に出なくなった理由と密接に関係していると言われているが、真実のところは定かではない。
──焼け落ちた城とともに、桃色の髪をした少女が万事屋から姿を消してから、五度目の春を迎えようとしていた。
「くぁ・・・・・・」
小さく口を開け、だらしない声を出しながらあくびをする。掌で隠すという事などは、考えも付かない。あくびが出ても仕方がないと納得できるほどに、彼のいる場所は暖かだった。麗らかな陽射しを一心に受ける窓辺に、背もたれも心地よい使い慣れた椅子。机の上に両足を投げ出し、新聞を顔に乗せただけの格好は何と気だるく気持ちがいいのだろうか。だらしなさ全開の格好で、死んだ魚のような目をした青年は顔に乗せていた新聞をゆっくりとどけた。
開いてあるページに乗っている見出しを見て、目を細める。
『江戸の城が焼けてから五度目の春』
新しくなったシンボルに、住人たちも慣れてきた。五年という歳月は、それだけの長さがあるのだ。もう何年も開けていない、机の引き出しを睨みつける。そこには、此処にはいないもう一人の万事屋メンバーが身に着けていた髪飾りがある。時が過ぎるにつれ、周りの人間はそのもう一人の話題を持ち出さなくなった。可愛い顔をしていながら、どうしようもなく凶暴で毒舌家だった幼い少女。桃色の髪と、澄んだ瞳が印象的だった彼女。城が焼け落ちた日、きっと銀時は彼女と最後に会った人間だろう。天守閣に消えていく背中を追えばよかったと、何度も後悔した。
本当に、学習しないものだ。あの日、彼女が家を出て行ったときも後悔したのに、同じ事を二度も繰り返すとは。拒絶されて、動けなかったなんて、言い訳にもなりゃしない。嫌がり泣き叫ばれたとしても、銀時はその手を掴むべきだったのだ。変わらない表情の奥で、少女が泣いているのを知っていた。深く傷つき絶望に塗れていたのも。迷ってはいけなかったのに、一瞬の躊躇が銀時から彼女を切り離した。
あの日の火事は彼女が起こしたものではないかと銀時は考えていた。事実、下からつければ周りが早かっただろう火は、一番回りが遅いとかんがえられる天守閣から上がったものだ。下から上にくらべ、上から下というのは結構な時間差が出る。あの時、天守閣に居たと考えられるのは、晋助本人とその腹心たち。彼女と、晋助たちの間でどんな会話がされたかは、今となっては知りようがない。そしてこれから先もしる機会はないのだろう。わかっている事実は、あの日あの時から、彼女の姿を見るものが居なくなったということだけだ。
そこまで考え、銀時は苦笑した。先程から、思い出の中でも彼女の名前を持ち出さない頑固さに、我ながらあきれるくらいだ。だがそれでも、彼女の名前を意識する時を、銀時は決めていた。周りの人間は、彼女がいなくなり死んだものだと考えているが銀時はそうは思っていない。あの食い意地の張った、しぶといチャイナ娘がそう簡単にくたばるところなど考えたこともなかった。この意見には、同じ万事屋のメンバーである新八も同意してくれている。信じているのが一人ではないという事実は、銀時の心を軽くした。
その時、玄関の方で音がした。遠くに行きかけた意識を手繰り寄せ、再び新聞で顔を隠す。今の表情は誰にも見られたくないものだった。それが例え、この家の合鍵を持っている新八だったとしても。
(噂をすれば、影だな)
ゆっくりと苦笑を浮かべ、銀時は新聞の下で瞼を閉じる。そこら辺の母親よりも口うるさい新八は、だらしない格好をしているとすぐに注意してくるが、己のポリシーという事で、銀時が譲るなど滅多になかった。今日は休みのはずだが、何か急用でも出来たのだろうか。最近、また姉の妙に対するストーカーが酷くなっていたといっていたからそのことかもしれない。そろそろ素直になればいいのに、と考えているのは銀時だけではなかろうが恐ろしくて口に出せるものはまだ居なかった。
カタン、と音がし気配が止まる。動かない銀時に変わり、動いたのはそばで寝ていた定春だった。珍しい、と寝たふりをしながら不思議に思う。この白いケモノは主が居なくなってから、自分から行動をめっきりと活発性を失ったのに。
「ワンワン!!」
久しぶりに聞く鳴き声に、少しだけ驚く。彼が声を上げるのを聞くのは、実に何年ぶりだろう。忠犬ハチ公よろしく、彼女の帰りを毎日寝て待つだけの日々を送っていたケモノは一体何を見つけたのか。
「新八ー、今日は休みのはずだろ?何かあったのか?面倒ごとなら他所に相談してくれ。銀さん、今日は昼寝して過ごすって決めたから。夜になっても昼寝するって決めたから」
だるそうな雰囲気を崩す事無く、頭の後ろで腕を組む。のんびりとした口調もやる気がない態度も何も変わらない。当然新八のこ五月蝿い説教も変わらず、マシンガンの如く降って来るそれをどうかわそうか考えれば。
「ク・・・っ、クク」
ゆったりとした体勢で器用にも体を強張らせる。聞こえてきたのは、新八の声ではなかった。聞き覚えのない──だが、何処か懐かしい声。まさか、という思いに少しずつ新聞を持ち上げる。最初に視界に入ってきたのは、鮮烈な赤。派手と言っても過言でないほどのそれからは見事な体の凹凸にぴったりと沿い男なら十中八九見惚れるほどのプロポーションに喉を鳴らす。だが銀時が意識を取られたのはそんなものではない。恐る恐る少しずつ視線をあげる。すらりとした長い足、引き締まった腰に、形の良い大き目の胸。そして──。
「相変わらずアルな、銀ちゃん」
何よりも、特別に思っていた空の青を映した瞳。あの頃いつもお団子にしていた桃色の髪は、真っ直ぐに腰元まで流れていた。癖一つないそれは、極上な絹糸を思い起こさせる滑らかで艶やか。体つき同様美しくなった面は、嘗ての面影を残しているものの、女だと強烈に意識させる。十人居れば九人は振り返るだろう程の美女は化粧も施していないのに、赤い唇を緩やかに持ち上げた。長すぎる睫に彩られた瞳が好奇心に煌く。子供のように悪戯っぽい表情を浮かべた女性は、鈴を転がしたような声で笑った。
「か・・・ぐら」
漸くの思いで絞り出した声は、掠れて情けなくも震えていた。生きていると思っていたし、信じていたけれど、実際に目の前に現れると驚きは強烈なものだ。五年間、一度も連絡を寄越さなかったくせに、とか、あの日から何してたんだ、とか、ドカンと説教垂れてやろうとか、色々と再び会った時のことをシュミレーションしてたのに、頭は真白になって何も言葉が思いつかない。
「私なりに、整理が付いたから帰ってきたアル。過去が帳消しになるわけじゃなし、私の罪は消えないけど。償う方法を探して来たネ」
微笑みは鮮やかで、考える意識を削ぐ。見知らぬ女性のそれなのに、覚えているあどけない表情とその笑顔は重なった。
「この五年で、色々なことが判ったアル。色んな星を旅して、色んなことを学んだのヨ。本当は、一生此処に帰ってこないでいようかとも思ったアル」
じゃれ付く定春の頭を撫で、何でもないことのように彼女は言った。まるで、会わなかった日々などなかったような自然な口調。千切れんばかりに尻尾を振る定春は、昨日までの老獪な雰囲気を漂わせた犬ではなく、活発で愛らしい子犬と同じ。嬉しくて嬉しくて仕方ないと素直に現し、がぶりがぶりと彼女にかぶりつく。それを片手でいなした神楽は、美しくなっていたが、笑い方に変わりはない。
「銀ちゃんに、話したいことが一杯あるネ。一杯、一杯、たくさんなのヨ。あのね、銀ちゃ──」
「ちっと、黙れ」
話し続ける神楽を、抱きしめる事で無理やり黙らせた。むぐっと胸の奥から声が聞こえたが、構わず全身の力を篭めて抱きしめる。間に机があって体勢的には苦しいし、青い行動は恥ずかしいし、何をどうすればいいのか、考えなんて纏まらない。解決しなきゃいけないことは沢山残っているし、伝えたい事だって沢山あった。けどこれだけは、最初に言おうと決めていた。
「銀ちゃん・・・?」
不安げな声を出し、自分を見つめる青の瞳に、昔を思い出し表情が綻ぶ。上目遣いで見上げる距離は随分と近づいたが、神楽はやはり神楽のまま。安心させるように滑らかな手触りの髪を撫でると唇を耳元に近づける。
「──おかえり、神楽」
思っていたよりも、随分とかっこ悪い声。震えて今にも泣きそうに聞こえる。情けなく揺れた声に、それでも腕の中の神楽は嬉しそうに、幸せそうに微笑んだ。
「ただいま、銀ちゃん」
笑顔で告げられ、銀時はホッと息を吐く。何年もただこの言葉が聞きたかった。自分が居て、新八が居て、定春が居て神楽が居る。そんな暖かい日常を取り戻したかった。失うことに怯えていた日常に、いつの間にか土足で入り込み居心地よく改造してしまった神楽。机の引き出しを探ると、久しぶりに手にし髪飾りを転がす。銀時のところにそれは二つとも揃っていて、久しぶりに見たそれに目元を綻ばせる。
「髪、結ってやるよ。その間に、お前の土産話聞かせろ」
「うん!!」
嬉しそうな声。見た目は変わっても変わらない態度に銀時も安堵する。
それから、夜になって晩御飯を差し入れに来た新八に『どうしてすぐに教えてくれなかったのか』と怒鳴られ、大家であるババアに殴られ、天人である濃い顔をした猫耳の女にあざ笑われ、微笑みの魔王である妙に笑顔でいびられるのだけれど。久しぶりの夜は、ただ、暖かく過ぎて行った。
「銀ちゃん、大好きヨ」
優しい声は、寂しかった日々の全てを帳消しにする力を持って響く。それは腕の中の神楽にだけ使える魔法。可愛らしいよう容姿と裏腹に、天邪鬼で毒舌家の彼女との生活は、嘗てのように騒然とした日々になるのだろう。悩む事もあるだろう。
苦しむ事もあるだろう。神楽の罪は消えないし、過去を償う必要もある。それでも神楽と暮らすことでの苦労は、きっと幸せを含んでいる。明日からは、また優しく騒がしい生活で、自分の人生は埋もれていく。──それが、自分の幸せだ。
随分と柔らかくなった体を腕に抱き、その存在をかみ締める。伝わってくる温もりに、漸く戻った幸せに。誰にも見えないよう、銀時はふわりと微笑んだ。
それからの話を少しだけしよう。桃色の髪の少女が去った後、江戸のシンボルであった城は見るも無残に焼き崩れた。城の面影も残さず燃えたそこからは、おかしいことに死傷者は出なかった。重症を負ったものも、火傷を負ったものもいた。けれど、あれほどの惨事でありながら誰も命を落とす事がなかった。──少なくとも、確認できる範囲で、だが。
江戸城に火をつけたのは過激派を気取っていた晋助の手によるものだと、町には噂が広まっている。だが過激派の一派が最も活躍していた、惑乱の時代は一年ほどで呆気なく終結を迎えた。今でも、高杉派と名乗る攘夷志士がテロを起こす事はあるが、当時と比べれば頻度は極端に少ない。それは、晋助自身が表に出なくなった理由と密接に関係していると言われているが、真実のところは定かではない。
──焼け落ちた城とともに、桃色の髪をした少女が万事屋から姿を消してから、五度目の春を迎えようとしていた。
「くぁ・・・・・・」
小さく口を開け、だらしない声を出しながらあくびをする。掌で隠すという事などは、考えも付かない。あくびが出ても仕方がないと納得できるほどに、彼のいる場所は暖かだった。麗らかな陽射しを一心に受ける窓辺に、背もたれも心地よい使い慣れた椅子。机の上に両足を投げ出し、新聞を顔に乗せただけの格好は何と気だるく気持ちがいいのだろうか。だらしなさ全開の格好で、死んだ魚のような目をした青年は顔に乗せていた新聞をゆっくりとどけた。
開いてあるページに乗っている見出しを見て、目を細める。
『江戸の城が焼けてから五度目の春』
新しくなったシンボルに、住人たちも慣れてきた。五年という歳月は、それだけの長さがあるのだ。もう何年も開けていない、机の引き出しを睨みつける。そこには、此処にはいないもう一人の万事屋メンバーが身に着けていた髪飾りがある。時が過ぎるにつれ、周りの人間はそのもう一人の話題を持ち出さなくなった。可愛い顔をしていながら、どうしようもなく凶暴で毒舌家だった幼い少女。桃色の髪と、澄んだ瞳が印象的だった彼女。城が焼け落ちた日、きっと銀時は彼女と最後に会った人間だろう。天守閣に消えていく背中を追えばよかったと、何度も後悔した。
本当に、学習しないものだ。あの日、彼女が家を出て行ったときも後悔したのに、同じ事を二度も繰り返すとは。拒絶されて、動けなかったなんて、言い訳にもなりゃしない。嫌がり泣き叫ばれたとしても、銀時はその手を掴むべきだったのだ。変わらない表情の奥で、少女が泣いているのを知っていた。深く傷つき絶望に塗れていたのも。迷ってはいけなかったのに、一瞬の躊躇が銀時から彼女を切り離した。
あの日の火事は彼女が起こしたものではないかと銀時は考えていた。事実、下からつければ周りが早かっただろう火は、一番回りが遅いとかんがえられる天守閣から上がったものだ。下から上にくらべ、上から下というのは結構な時間差が出る。あの時、天守閣に居たと考えられるのは、晋助本人とその腹心たち。彼女と、晋助たちの間でどんな会話がされたかは、今となっては知りようがない。そしてこれから先もしる機会はないのだろう。わかっている事実は、あの日あの時から、彼女の姿を見るものが居なくなったということだけだ。
そこまで考え、銀時は苦笑した。先程から、思い出の中でも彼女の名前を持ち出さない頑固さに、我ながらあきれるくらいだ。だがそれでも、彼女の名前を意識する時を、銀時は決めていた。周りの人間は、彼女がいなくなり死んだものだと考えているが銀時はそうは思っていない。あの食い意地の張った、しぶといチャイナ娘がそう簡単にくたばるところなど考えたこともなかった。この意見には、同じ万事屋のメンバーである新八も同意してくれている。信じているのが一人ではないという事実は、銀時の心を軽くした。
その時、玄関の方で音がした。遠くに行きかけた意識を手繰り寄せ、再び新聞で顔を隠す。今の表情は誰にも見られたくないものだった。それが例え、この家の合鍵を持っている新八だったとしても。
(噂をすれば、影だな)
ゆっくりと苦笑を浮かべ、銀時は新聞の下で瞼を閉じる。そこら辺の母親よりも口うるさい新八は、だらしない格好をしているとすぐに注意してくるが、己のポリシーという事で、銀時が譲るなど滅多になかった。今日は休みのはずだが、何か急用でも出来たのだろうか。最近、また姉の妙に対するストーカーが酷くなっていたといっていたからそのことかもしれない。そろそろ素直になればいいのに、と考えているのは銀時だけではなかろうが恐ろしくて口に出せるものはまだ居なかった。
カタン、と音がし気配が止まる。動かない銀時に変わり、動いたのはそばで寝ていた定春だった。珍しい、と寝たふりをしながら不思議に思う。この白いケモノは主が居なくなってから、自分から行動をめっきりと活発性を失ったのに。
「ワンワン!!」
久しぶりに聞く鳴き声に、少しだけ驚く。彼が声を上げるのを聞くのは、実に何年ぶりだろう。忠犬ハチ公よろしく、彼女の帰りを毎日寝て待つだけの日々を送っていたケモノは一体何を見つけたのか。
「新八ー、今日は休みのはずだろ?何かあったのか?面倒ごとなら他所に相談してくれ。銀さん、今日は昼寝して過ごすって決めたから。夜になっても昼寝するって決めたから」
だるそうな雰囲気を崩す事無く、頭の後ろで腕を組む。のんびりとした口調もやる気がない態度も何も変わらない。当然新八のこ五月蝿い説教も変わらず、マシンガンの如く降って来るそれをどうかわそうか考えれば。
「ク・・・っ、クク」
ゆったりとした体勢で器用にも体を強張らせる。聞こえてきたのは、新八の声ではなかった。聞き覚えのない──だが、何処か懐かしい声。まさか、という思いに少しずつ新聞を持ち上げる。最初に視界に入ってきたのは、鮮烈な赤。派手と言っても過言でないほどのそれからは見事な体の凹凸にぴったりと沿い男なら十中八九見惚れるほどのプロポーションに喉を鳴らす。だが銀時が意識を取られたのはそんなものではない。恐る恐る少しずつ視線をあげる。すらりとした長い足、引き締まった腰に、形の良い大き目の胸。そして──。
「相変わらずアルな、銀ちゃん」
何よりも、特別に思っていた空の青を映した瞳。あの頃いつもお団子にしていた桃色の髪は、真っ直ぐに腰元まで流れていた。癖一つないそれは、極上な絹糸を思い起こさせる滑らかで艶やか。体つき同様美しくなった面は、嘗ての面影を残しているものの、女だと強烈に意識させる。十人居れば九人は振り返るだろう程の美女は化粧も施していないのに、赤い唇を緩やかに持ち上げた。長すぎる睫に彩られた瞳が好奇心に煌く。子供のように悪戯っぽい表情を浮かべた女性は、鈴を転がしたような声で笑った。
「か・・・ぐら」
漸くの思いで絞り出した声は、掠れて情けなくも震えていた。生きていると思っていたし、信じていたけれど、実際に目の前に現れると驚きは強烈なものだ。五年間、一度も連絡を寄越さなかったくせに、とか、あの日から何してたんだ、とか、ドカンと説教垂れてやろうとか、色々と再び会った時のことをシュミレーションしてたのに、頭は真白になって何も言葉が思いつかない。
「私なりに、整理が付いたから帰ってきたアル。過去が帳消しになるわけじゃなし、私の罪は消えないけど。償う方法を探して来たネ」
微笑みは鮮やかで、考える意識を削ぐ。見知らぬ女性のそれなのに、覚えているあどけない表情とその笑顔は重なった。
「この五年で、色々なことが判ったアル。色んな星を旅して、色んなことを学んだのヨ。本当は、一生此処に帰ってこないでいようかとも思ったアル」
じゃれ付く定春の頭を撫で、何でもないことのように彼女は言った。まるで、会わなかった日々などなかったような自然な口調。千切れんばかりに尻尾を振る定春は、昨日までの老獪な雰囲気を漂わせた犬ではなく、活発で愛らしい子犬と同じ。嬉しくて嬉しくて仕方ないと素直に現し、がぶりがぶりと彼女にかぶりつく。それを片手でいなした神楽は、美しくなっていたが、笑い方に変わりはない。
「銀ちゃんに、話したいことが一杯あるネ。一杯、一杯、たくさんなのヨ。あのね、銀ちゃ──」
「ちっと、黙れ」
話し続ける神楽を、抱きしめる事で無理やり黙らせた。むぐっと胸の奥から声が聞こえたが、構わず全身の力を篭めて抱きしめる。間に机があって体勢的には苦しいし、青い行動は恥ずかしいし、何をどうすればいいのか、考えなんて纏まらない。解決しなきゃいけないことは沢山残っているし、伝えたい事だって沢山あった。けどこれだけは、最初に言おうと決めていた。
「銀ちゃん・・・?」
不安げな声を出し、自分を見つめる青の瞳に、昔を思い出し表情が綻ぶ。上目遣いで見上げる距離は随分と近づいたが、神楽はやはり神楽のまま。安心させるように滑らかな手触りの髪を撫でると唇を耳元に近づける。
「──おかえり、神楽」
思っていたよりも、随分とかっこ悪い声。震えて今にも泣きそうに聞こえる。情けなく揺れた声に、それでも腕の中の神楽は嬉しそうに、幸せそうに微笑んだ。
「ただいま、銀ちゃん」
笑顔で告げられ、銀時はホッと息を吐く。何年もただこの言葉が聞きたかった。自分が居て、新八が居て、定春が居て神楽が居る。そんな暖かい日常を取り戻したかった。失うことに怯えていた日常に、いつの間にか土足で入り込み居心地よく改造してしまった神楽。机の引き出しを探ると、久しぶりに手にし髪飾りを転がす。銀時のところにそれは二つとも揃っていて、久しぶりに見たそれに目元を綻ばせる。
「髪、結ってやるよ。その間に、お前の土産話聞かせろ」
「うん!!」
嬉しそうな声。見た目は変わっても変わらない態度に銀時も安堵する。
それから、夜になって晩御飯を差し入れに来た新八に『どうしてすぐに教えてくれなかったのか』と怒鳴られ、大家であるババアに殴られ、天人である濃い顔をした猫耳の女にあざ笑われ、微笑みの魔王である妙に笑顔でいびられるのだけれど。久しぶりの夜は、ただ、暖かく過ぎて行った。
「銀ちゃん、大好きヨ」
優しい声は、寂しかった日々の全てを帳消しにする力を持って響く。それは腕の中の神楽にだけ使える魔法。可愛らしいよう容姿と裏腹に、天邪鬼で毒舌家の彼女との生活は、嘗てのように騒然とした日々になるのだろう。悩む事もあるだろう。
苦しむ事もあるだろう。神楽の罪は消えないし、過去を償う必要もある。それでも神楽と暮らすことでの苦労は、きっと幸せを含んでいる。明日からは、また優しく騒がしい生活で、自分の人生は埋もれていく。──それが、自分の幸せだ。
随分と柔らかくなった体を腕に抱き、その存在をかみ締める。伝わってくる温もりに、漸く戻った幸せに。誰にも見えないよう、銀時はふわりと微笑んだ。
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【完結:銀時編】
その瞳を見た瞬間、酷く後悔した。愛しんでいた青天のような青い瞳は、輝きを失いどんよりと濁っていて、虚ろな眼差しは自分の姿を映しても変わることはない。瞳は開いていても少女は何も見ていない。小作りな顔に表情は一切なく、端整な面立ちから精巧な人形のようだ。そこまで考え己の迂闊さに拳を握る。殴ってでも、傷つけてでも止めるべきだったのだ。感情を破壊された少女が、生きる人形になる前に。
木刀を握り締めた手に力を込め、己の罪を深く懺悔する。あの頃の、感情を読むことが出来た無表情ではなく、全く何を考えてるか読み取らせない表情で彼女は血塗れで立っていた。慈しんだ瞳は硝子玉と変わらない。
「・・・・・・何の用アルか」
淡々とした声が響く。その場にいた相手は、神楽以外全員地に伏していた。江戸の象徴を護るべき城の護衛がこの程度とは、笑えるくらいに呆気ない。美しかった庭は、神楽一人の行動で元の姿を想像できないくらいに破壊されつくされていた。仲間とは呼べずとも同士と呼べた人間はいない。きっと、今頃は天守閣にたどり着く頃だろう。
だがそんなことはもう『どうでもいい』。月の光に照らされながら、神楽は傘を差し直す。闇に浮かぶシルエットはとても小さく華奢に見えた。手にした傘の柄を肩に置き、くるりと回す。染み付いた血の鉄錆び臭いにおいが傘の動きに比例し飛散した。本来なら鼻につく噎せ返るような血の匂いは、けれどとうに麻痺した嗅覚のお陰で今更気にならない。
「お前、一人で何しに来たアルか?」
銀髪の、衣服をだらしなく着こなした青年は手に木刀を握っていた。空いている手を着物の胸元に入れ、無造作な格好で神楽を見ている。その姿に見覚えがあるような気がして首を傾げる。死んだ魚のような目は、きりきりと釣りあがっているのに。
暫く考えたものの、薄霧がかった思考では何も思い出せない。きっと見知った気がするのは気のせいに違いない。最近の神楽は長い事ものを覚えておくことが出来ず、留めておこうと思った記憶もまるで砂のようにサラサラと零れ落ちる。何も覚えていれないならば、この感情はおかしいものだ。
記憶を留めていない間はとても楽だ。何をしても苦しいと思う気持ちがなく、『あの時』のように罪悪感を抱くことも無い。不意に思い出した『あの時』に眉を寄せる。だが結局何を指すのか神楽には判らず、どうでもいいと感情は立ち消えた。
今の神楽は晋助に何を命令されても気にならない。何故晋助の言葉を聞き彼と共にいるのかも思い出せないが、それはそれで気にならない。ただ一人で、城のお庭番全員を相手にせよと命令されても、揺らぐような意思はとうの昔に捨て去った。
「──随分と、酷くやらかしたな神楽」
「・・・・・・」
自分の名前を言い当てた青年に、少し驚く。だが表情にそれを表すことはない。最近神楽の名は裏で広まっていると聞いた。ならば彼はきっと指名手配書で知ったのだろう。
「何だよ、この血生クセェ場所。どいつもこいつも致命傷じゃねぇか。何、らしくない事やらかしてんだ」
「お前、何わけ判らないこと言ってるアル」
右足に力を込め青年との距離を一気に詰める。瞬きの間に目の前に現れた神楽に、けれど青年は驚く事もしない。微動だにせずそこに居る青年に、傘を振りかぶった。
「帰ろう、神楽」
振り下ろす寸前、聞こえてきた声にギリギリで傘を止める。目と鼻の先にあるそれに、青年はやはりピクリともしない。まるで、神楽の構えている武器など見えていないかのように振舞う。余程豪胆な性格をしているのか、それともこの傘が神楽の武器だと言うことを知らないのだろうか。夜に光る月と酷似した、銀色の髪が空からの光に鈍く光る。青白く美しいそれは、神楽が一番好きな色。
「──・・・ッ」
不意に酷い頭痛がして、一息跳びで距離を取った。警戒するように瞳を眇め油断なく傘を構える。
「お前、誰アルか?」
意図せず声は揺れていた。誰の血を浴びても何の感情も沸き起こらなかったのに、それなのに目の前の青年の言葉に情けないほど動揺する。知らない。自分は、目の前の青年など知らない。自分は晋助の駒で、彼が言うとおりに動けばいいだけの存在のはずだ。何も考えず、何も知らず、何に傷つくこともなく。事実、高杉がここで敵を食い止めろと命令したから自分はここに残っている。襲い掛かる惰弱な人間を屠り、囮役をこなすだけ。自分にこんな風に声をかけてくれる存在は、もういないはずなのだ。だって──。
「真選組の奴らで、死んだのは一人もいねぇよ。奴らゴキブリ並にしぶとくて、あんな酷い傷だったのに早い奴はもう退院してる」
「・・・・・・」
真選組。脳に直接釘を打たれ、ぐりぐりとかき回されるように痛みが広がる。それと同時におぼろげな思考が少しずつ埋まり、薄れていた記憶に色が付き始めた。
「ここにいる奴らも死なせねぇ。お前の手を、これ以上汚させる気はねぇんだ」
銀髪の青年は、無造作に手に持っていた木刀を構える。気は緩やかなのに、全く隙がない。温和とも取れる表情を浮かべた青年に、神楽の眉根が寄せられる。人形めいた面立ちに初めて感情らしいものが伺えた。それを見て、銀髪の青年は少し笑った。
「お前がいる場所はここじゃねぇだろ。お前の居場所は万事屋の押入れの中で、銀さんの隣だ。お前がいねぇから定春なんて痩せちまって、今じゃもう小力くらいにガリガリだ」
「──小力はガリガリとはいはないアル。何馬鹿なこと言ってるんですか、コノヤロー」
傘を構えたまま、神楽はポツリと言葉を発した。頭痛がどんどん酷くなる。これ以上思い出すなと警告するように。嫌だと反論する理性と裏腹に、思い出そうと本能が足掻いた。
「お前がいないと、昼ドラ見ても楽しくないし、新八が大量に作った飯は残るし、定春には噛まれるし、ババアにはいびられるし、ジャンプは週一しかでねぇし」
「後半は私は関係ないネ。人の所為にしないで欲しいアル、銀ちゃん」
突っ込みと同時に無意識に口走った名前。発した瞬間に驚きで固まる。目の前の青年は、先ほどとは違いにんまりと品のよくない笑みを浮かべた。
「ようやく、呼んだな」
「・・・・・・」
舌打したい気分だった。
「帰って来いよ、神楽」
空に太陽が浮かんでいるのを説明するような当たり前の口調で彼は微笑む。こんな時なのに、いつもと同じ死んだ魚のような目をした彼に、少しだけ面白く思った。瞼を閉じて少しだけ笑う。彼が言う通りに、その暖かい手に自分の手を重ねれればどれ程幸せであるだろう。感傷だと、理解しつつも神楽はそう思う。けれど、後戻りするには進みすぎている自分を、神楽は誰より知っていた。
ゆっくりと上がった瞼の下から、銀時の愛する綺麗な青が除き見えた。空の青よりも濃くて、海の青よりも薄い青。綺麗な綺麗なこの世に唯一つの宝玉。飾り物ではなく、意思をしっかりと持った瞳が銀時を射抜くと、やんわりと綻んだ。自分にしか見せない神楽の笑顔。それを見た銀時は、ホッと肩の力を抜いた。一緒に帰る気になったのだと、何の心配もなくそう思った。
だが、実際の答えは正反対のものだった。
「──駄目アルヨ、銀ちゃん」
温かみがあるのに、何処か寂しげな声で神楽はキッパリと言った。浮かぶ表情は柔らかな微苦笑で、まるで聞き分けのない子供に言い聞かせるような母親の表情みたいだと、冷静な頭が考える。困惑する銀時に、一緒に暮らしてた頃より大人っぽい仕草で首を傾げた。
「な・・・んで、だよ」
情けなくも、声が震える。震える体を押さえられず、動揺は隠せない。目の前の少女は、ただ一人、銀時の自制心をあっさりと奪える存在であるのを嫌になるほど自覚した。動揺している銀時を認めても、神楽は一切の容赦をしない。輝くような笑みで、自分の将来はもう決めてしまったと。
(何だよ・・・コレじゃまるで・・・)
さよならを、言われているみたいじゃないか。飲み込もうとした唾液が、咽喉に絡みつく。先程までは心地よかったはずの風も、突然冷え込んできた気がした。寒いと感じるのは実際に体感温度が下がったのか、それとも心が冷えたからか。
動けないでいる銀時に、
「バイバイアル、銀ちゃん」
囁いた後、高く高く神楽は跳躍した。一飛びで城の二階の屋根まで飛び退く脚力は、さすがとしか言いようがない。相棒である傘を肩に置いた神楽は、小さな子供のようにクルクルと楽しげにそれを回した。
「パピーはこの星の人間の、政治のおもちゃにされたアル。私、この星の事、恨んでいるアル」
声は淡々としていて、逆光で表情は見えない。だから銀時は、その時の神楽の気持ちがわからなかった。神楽が悲しんでいるのは判るのに、根本の部分が理解できなくそれがもどかしくて仕方ない。他でもない今この瞬間、理解しなくてはいけないのに。歯痒さに唇を噛み締めれば、切れた唇から血が滴った。その様子に少しだけ悲しそうに神楽が目を伏せる。
「パピーは何も悪い事してないネ。この星の人間よりも少しばかり強くて、えいりあんはんたーをしていただけだったアル」
神楽はすぐそこに居る。けれど手を伸ばしても届く事はない。人間である銀時は、いくらなんでも一跳びで屋根まで上がるほどの脚力はない。近くて遠い場所。見えるのに手を伸ばしても届かないそこに神楽は一人佇んだ。
「でもね、銀ちゃん。私、この星の人間の全員を嫌っていたわけじゃないアル。本当は、将軍様が好き好んでパピーを殺したわけじゃない事も知っていたネ。何度も話したし、私のマブダチの兄ちゃんだったし」
「神楽」
「それでも、私は弱いから。私は、私の本能に逆らう事が出来なかったヨ。どうしても、どうしても。許すことが出来なかったネ。──でもきっと、本当に許すことが出来なかったのは。パピーが殺されるのを、ただ黙って見つめていた自分だったのヨ」
息が詰まり、咽喉が焼け付くように痛い。気管は呼吸を繰り返すたびに、悲鳴を上げた。まだ子供であったはずの少女は、どんな気持ちでこんな言葉を吐いているのだろうか。元々大人びていたが、ちゃんと子供の部分も持っていたのに。それをどんな気持ちで切り捨てたのか。
「私、銀ちゃんと会えてよかった。あなたに会えて、幸せだった」
訛りのない標準語。それが神楽の想いを嫌になるほど真っ直ぐに伝える。握った拳からは、いつの間にか血が滴っていた。
「万事屋の皆と暮らした時間は、私にとってかけがえのないものでした。銀ちゃんも、新八も。姐御も、ババアもキャサリンも。ついでに、ヅラも、エリーも真選組の奴らも。・・・割と、嫌いじゃなかったアル」
素直じゃない神楽の、精一杯素直な言葉。不器用なその言葉は、温かな想いが溢れていた。
「だから、私は私なりの後始末をつけなきゃいけないネ」
まわしていた傘を止めると、肩から下ろしてしゅるりと畳む。
「最後に、思い出させてくれてありがとうアル。思い出せなかったら、きっと私はここで死んでたネ。本当に、ありがとうございました」
影が、ぺこりと頭を下げた。ずっと前から用意されていた言葉を読み上げるように淀みなく告げ、ふわりと柔らかく微笑する。それは滅多に見せない愛らしく優しい神楽独特の微笑み。
ゆっくりと頭を上げると、頭に手を伸ばし一つになった飾りを外す。そして、銀時に向かって思い切り投げた。顔面すれすれでそれを受け取る。それは一瞬。飾りに意識が逸れた時には、神楽の気配は消える寸前だった。
「さよなら」
聞こえた声は、幻だろうか。見えぬ姿に瞠目し、体の力が一気に抜ける。残されたのは手に収まった飾り一つ。父から贈られたといっていたそれは、神楽の宝物だった。
「神楽ァァァァァァァァァ!!」
喉も裂けよと叫んでみても、陽だまりの中当然のように返って来ていた声は、闇に飲まれてもう聞こえない。
その瞳を見た瞬間、酷く後悔した。愛しんでいた青天のような青い瞳は、輝きを失いどんよりと濁っていて、虚ろな眼差しは自分の姿を映しても変わることはない。瞳は開いていても少女は何も見ていない。小作りな顔に表情は一切なく、端整な面立ちから精巧な人形のようだ。そこまで考え己の迂闊さに拳を握る。殴ってでも、傷つけてでも止めるべきだったのだ。感情を破壊された少女が、生きる人形になる前に。
木刀を握り締めた手に力を込め、己の罪を深く懺悔する。あの頃の、感情を読むことが出来た無表情ではなく、全く何を考えてるか読み取らせない表情で彼女は血塗れで立っていた。慈しんだ瞳は硝子玉と変わらない。
「・・・・・・何の用アルか」
淡々とした声が響く。その場にいた相手は、神楽以外全員地に伏していた。江戸の象徴を護るべき城の護衛がこの程度とは、笑えるくらいに呆気ない。美しかった庭は、神楽一人の行動で元の姿を想像できないくらいに破壊されつくされていた。仲間とは呼べずとも同士と呼べた人間はいない。きっと、今頃は天守閣にたどり着く頃だろう。
だがそんなことはもう『どうでもいい』。月の光に照らされながら、神楽は傘を差し直す。闇に浮かぶシルエットはとても小さく華奢に見えた。手にした傘の柄を肩に置き、くるりと回す。染み付いた血の鉄錆び臭いにおいが傘の動きに比例し飛散した。本来なら鼻につく噎せ返るような血の匂いは、けれどとうに麻痺した嗅覚のお陰で今更気にならない。
「お前、一人で何しに来たアルか?」
銀髪の、衣服をだらしなく着こなした青年は手に木刀を握っていた。空いている手を着物の胸元に入れ、無造作な格好で神楽を見ている。その姿に見覚えがあるような気がして首を傾げる。死んだ魚のような目は、きりきりと釣りあがっているのに。
暫く考えたものの、薄霧がかった思考では何も思い出せない。きっと見知った気がするのは気のせいに違いない。最近の神楽は長い事ものを覚えておくことが出来ず、留めておこうと思った記憶もまるで砂のようにサラサラと零れ落ちる。何も覚えていれないならば、この感情はおかしいものだ。
記憶を留めていない間はとても楽だ。何をしても苦しいと思う気持ちがなく、『あの時』のように罪悪感を抱くことも無い。不意に思い出した『あの時』に眉を寄せる。だが結局何を指すのか神楽には判らず、どうでもいいと感情は立ち消えた。
今の神楽は晋助に何を命令されても気にならない。何故晋助の言葉を聞き彼と共にいるのかも思い出せないが、それはそれで気にならない。ただ一人で、城のお庭番全員を相手にせよと命令されても、揺らぐような意思はとうの昔に捨て去った。
「──随分と、酷くやらかしたな神楽」
「・・・・・・」
自分の名前を言い当てた青年に、少し驚く。だが表情にそれを表すことはない。最近神楽の名は裏で広まっていると聞いた。ならば彼はきっと指名手配書で知ったのだろう。
「何だよ、この血生クセェ場所。どいつもこいつも致命傷じゃねぇか。何、らしくない事やらかしてんだ」
「お前、何わけ判らないこと言ってるアル」
右足に力を込め青年との距離を一気に詰める。瞬きの間に目の前に現れた神楽に、けれど青年は驚く事もしない。微動だにせずそこに居る青年に、傘を振りかぶった。
「帰ろう、神楽」
振り下ろす寸前、聞こえてきた声にギリギリで傘を止める。目と鼻の先にあるそれに、青年はやはりピクリともしない。まるで、神楽の構えている武器など見えていないかのように振舞う。余程豪胆な性格をしているのか、それともこの傘が神楽の武器だと言うことを知らないのだろうか。夜に光る月と酷似した、銀色の髪が空からの光に鈍く光る。青白く美しいそれは、神楽が一番好きな色。
「──・・・ッ」
不意に酷い頭痛がして、一息跳びで距離を取った。警戒するように瞳を眇め油断なく傘を構える。
「お前、誰アルか?」
意図せず声は揺れていた。誰の血を浴びても何の感情も沸き起こらなかったのに、それなのに目の前の青年の言葉に情けないほど動揺する。知らない。自分は、目の前の青年など知らない。自分は晋助の駒で、彼が言うとおりに動けばいいだけの存在のはずだ。何も考えず、何も知らず、何に傷つくこともなく。事実、高杉がここで敵を食い止めろと命令したから自分はここに残っている。襲い掛かる惰弱な人間を屠り、囮役をこなすだけ。自分にこんな風に声をかけてくれる存在は、もういないはずなのだ。だって──。
「真選組の奴らで、死んだのは一人もいねぇよ。奴らゴキブリ並にしぶとくて、あんな酷い傷だったのに早い奴はもう退院してる」
「・・・・・・」
真選組。脳に直接釘を打たれ、ぐりぐりとかき回されるように痛みが広がる。それと同時におぼろげな思考が少しずつ埋まり、薄れていた記憶に色が付き始めた。
「ここにいる奴らも死なせねぇ。お前の手を、これ以上汚させる気はねぇんだ」
銀髪の青年は、無造作に手に持っていた木刀を構える。気は緩やかなのに、全く隙がない。温和とも取れる表情を浮かべた青年に、神楽の眉根が寄せられる。人形めいた面立ちに初めて感情らしいものが伺えた。それを見て、銀髪の青年は少し笑った。
「お前がいる場所はここじゃねぇだろ。お前の居場所は万事屋の押入れの中で、銀さんの隣だ。お前がいねぇから定春なんて痩せちまって、今じゃもう小力くらいにガリガリだ」
「──小力はガリガリとはいはないアル。何馬鹿なこと言ってるんですか、コノヤロー」
傘を構えたまま、神楽はポツリと言葉を発した。頭痛がどんどん酷くなる。これ以上思い出すなと警告するように。嫌だと反論する理性と裏腹に、思い出そうと本能が足掻いた。
「お前がいないと、昼ドラ見ても楽しくないし、新八が大量に作った飯は残るし、定春には噛まれるし、ババアにはいびられるし、ジャンプは週一しかでねぇし」
「後半は私は関係ないネ。人の所為にしないで欲しいアル、銀ちゃん」
突っ込みと同時に無意識に口走った名前。発した瞬間に驚きで固まる。目の前の青年は、先ほどとは違いにんまりと品のよくない笑みを浮かべた。
「ようやく、呼んだな」
「・・・・・・」
舌打したい気分だった。
「帰って来いよ、神楽」
空に太陽が浮かんでいるのを説明するような当たり前の口調で彼は微笑む。こんな時なのに、いつもと同じ死んだ魚のような目をした彼に、少しだけ面白く思った。瞼を閉じて少しだけ笑う。彼が言う通りに、その暖かい手に自分の手を重ねれればどれ程幸せであるだろう。感傷だと、理解しつつも神楽はそう思う。けれど、後戻りするには進みすぎている自分を、神楽は誰より知っていた。
ゆっくりと上がった瞼の下から、銀時の愛する綺麗な青が除き見えた。空の青よりも濃くて、海の青よりも薄い青。綺麗な綺麗なこの世に唯一つの宝玉。飾り物ではなく、意思をしっかりと持った瞳が銀時を射抜くと、やんわりと綻んだ。自分にしか見せない神楽の笑顔。それを見た銀時は、ホッと肩の力を抜いた。一緒に帰る気になったのだと、何の心配もなくそう思った。
だが、実際の答えは正反対のものだった。
「──駄目アルヨ、銀ちゃん」
温かみがあるのに、何処か寂しげな声で神楽はキッパリと言った。浮かぶ表情は柔らかな微苦笑で、まるで聞き分けのない子供に言い聞かせるような母親の表情みたいだと、冷静な頭が考える。困惑する銀時に、一緒に暮らしてた頃より大人っぽい仕草で首を傾げた。
「な・・・んで、だよ」
情けなくも、声が震える。震える体を押さえられず、動揺は隠せない。目の前の少女は、ただ一人、銀時の自制心をあっさりと奪える存在であるのを嫌になるほど自覚した。動揺している銀時を認めても、神楽は一切の容赦をしない。輝くような笑みで、自分の将来はもう決めてしまったと。
(何だよ・・・コレじゃまるで・・・)
さよならを、言われているみたいじゃないか。飲み込もうとした唾液が、咽喉に絡みつく。先程までは心地よかったはずの風も、突然冷え込んできた気がした。寒いと感じるのは実際に体感温度が下がったのか、それとも心が冷えたからか。
動けないでいる銀時に、
「バイバイアル、銀ちゃん」
囁いた後、高く高く神楽は跳躍した。一飛びで城の二階の屋根まで飛び退く脚力は、さすがとしか言いようがない。相棒である傘を肩に置いた神楽は、小さな子供のようにクルクルと楽しげにそれを回した。
「パピーはこの星の人間の、政治のおもちゃにされたアル。私、この星の事、恨んでいるアル」
声は淡々としていて、逆光で表情は見えない。だから銀時は、その時の神楽の気持ちがわからなかった。神楽が悲しんでいるのは判るのに、根本の部分が理解できなくそれがもどかしくて仕方ない。他でもない今この瞬間、理解しなくてはいけないのに。歯痒さに唇を噛み締めれば、切れた唇から血が滴った。その様子に少しだけ悲しそうに神楽が目を伏せる。
「パピーは何も悪い事してないネ。この星の人間よりも少しばかり強くて、えいりあんはんたーをしていただけだったアル」
神楽はすぐそこに居る。けれど手を伸ばしても届く事はない。人間である銀時は、いくらなんでも一跳びで屋根まで上がるほどの脚力はない。近くて遠い場所。見えるのに手を伸ばしても届かないそこに神楽は一人佇んだ。
「でもね、銀ちゃん。私、この星の人間の全員を嫌っていたわけじゃないアル。本当は、将軍様が好き好んでパピーを殺したわけじゃない事も知っていたネ。何度も話したし、私のマブダチの兄ちゃんだったし」
「神楽」
「それでも、私は弱いから。私は、私の本能に逆らう事が出来なかったヨ。どうしても、どうしても。許すことが出来なかったネ。──でもきっと、本当に許すことが出来なかったのは。パピーが殺されるのを、ただ黙って見つめていた自分だったのヨ」
息が詰まり、咽喉が焼け付くように痛い。気管は呼吸を繰り返すたびに、悲鳴を上げた。まだ子供であったはずの少女は、どんな気持ちでこんな言葉を吐いているのだろうか。元々大人びていたが、ちゃんと子供の部分も持っていたのに。それをどんな気持ちで切り捨てたのか。
「私、銀ちゃんと会えてよかった。あなたに会えて、幸せだった」
訛りのない標準語。それが神楽の想いを嫌になるほど真っ直ぐに伝える。握った拳からは、いつの間にか血が滴っていた。
「万事屋の皆と暮らした時間は、私にとってかけがえのないものでした。銀ちゃんも、新八も。姐御も、ババアもキャサリンも。ついでに、ヅラも、エリーも真選組の奴らも。・・・割と、嫌いじゃなかったアル」
素直じゃない神楽の、精一杯素直な言葉。不器用なその言葉は、温かな想いが溢れていた。
「だから、私は私なりの後始末をつけなきゃいけないネ」
まわしていた傘を止めると、肩から下ろしてしゅるりと畳む。
「最後に、思い出させてくれてありがとうアル。思い出せなかったら、きっと私はここで死んでたネ。本当に、ありがとうございました」
影が、ぺこりと頭を下げた。ずっと前から用意されていた言葉を読み上げるように淀みなく告げ、ふわりと柔らかく微笑する。それは滅多に見せない愛らしく優しい神楽独特の微笑み。
ゆっくりと頭を上げると、頭に手を伸ばし一つになった飾りを外す。そして、銀時に向かって思い切り投げた。顔面すれすれでそれを受け取る。それは一瞬。飾りに意識が逸れた時には、神楽の気配は消える寸前だった。
「さよなら」
聞こえた声は、幻だろうか。見えぬ姿に瞠目し、体の力が一気に抜ける。残されたのは手に収まった飾り一つ。父から贈られたといっていたそれは、神楽の宝物だった。
「神楽ァァァァァァァァァ!!」
喉も裂けよと叫んでみても、陽だまりの中当然のように返って来ていた声は、闇に飲まれてもう聞こえない。
夏だ。海だ。海ときたら水着だ。
短絡的思考でありながらも、年頃の男として健全だと琉夏は絶対的に主張したい。
その主張相手は兄であったり幼馴染であったりと様々だが、呆れを含む彼らを宥めすかし漸く目的を達成した琉夏は、至極満足気な笑みを浮かべる。
周りには布面積の少ない過激な衣装の美女の軍団。
彼女達が着ている布と、ひんやりとした白い肌の間に指先を入れ、胸を覆う布を取り払う。
手にした布を握り締め、その薄さに唇が持ち上がる。
艶やかな微笑みに見惚れる周囲を無視し、彼女から取り上げたばかりの布を手に琉夏は呟いた。
「これ、君よりも俺の女の方が似合うよ」
ぱちり、とウィンクを決め、儚げな見た目と裏腹に大層シュールな性格をした琉夏は、陽気にその場を後にした。
「この、馬鹿!!」
ごつんと後頭部に酷い衝撃が走り、首が揺れる。
加減抜きの拳骨はとても痛く、頭を抱えしゃがみ込んだ。
涙目になりながら、ぶれる視界に映る黒のスニーカーは見慣れたものだ。
持ち主など聞こえた声で判っていたが、今は声すら出せない状態なのでだんまりを決め込んだ。
「何恥ずかしいことやってんだ!?ああ?」
低い唸り声は、苛立ちと怒りを露にしている。
琉夏の方こそいきなり何するんだと怒りたいが、あまりの痛みに反撃の気力すら萎えた。
「・・・本当に、マネキン相手に何してるの。危うく琥一君と一緒に他人のふりして帰ろうかと思っちゃったよ」
心底呆れたとばかりの声は、涼やかに鼓膜を揺らす。
黒のスニーカーの隣に並ぶ白のミュールは、顔を上げてにぱっと笑う。
先ほどのシュールな笑みではなく、子供みたいな無邪気な顔は、彼が相手を選び披露するものだ。
右手に握った戦利品を掲げると、幼馴染へと差し出す。
「これ、絶対に冬姫に似合う」
「似合う、じゃねえよ!何、展示のマネキンから抜き取ってんだ!」
「だって、同じのがなかったし。冬姫は絶対にこの色が似合う」
「・・・琉夏君。これ、フェミニンなイメージだけど、極端に布面積少なくない?」
「いいでしょ?下は流石に取れなかったけど、際どいハイレグ」
「───・・・ため息しか出ないよ、本当に。ねぇ、琥一君」
「っ、ああ。そうだな」
「コウのむっつり。今、絶対に冬姫のハイレグ想像しただろ」
「!?うるせぇ!」
顔を赤らめる兄は正直だ。
そして隣に立っている幼馴染が彼へと向ける視線も生温いものに変わり、慌てていいわけを始める琥一に、琉夏はにんまりと笑う。
「ね、冬姫。試着だけでいいから、これ着て?」
「いや」
「お願い。コウも見たいってさ」
「言ってねぇだろ、そんなこと!!」
唾を飛ばしながら否定すればするほど嘘臭い。
普段の冷静な彼に判るだろうことも、動揺し崩れている彼には判らない。
冬姫の視線もだんだんと冷たいものに変わってくのも、彼の焦りに拍車をかける一端だろう。
大体言わせてもらうが、琥一がむっつりなのは嘘じゃない。
可愛い格好が好きな琉夏と対照的に、ワイルドな格好を好む琥一は、水着もそれなりのものを好む。
兄弟だから知り尽くしている互いの好み。
それを省みるに、琉夏が手にしているこの水着は、兄弟の欲求を満たすものだと自信をもって宣言できる。
「・・・とにかく。そんな水着、絶対に着ないから」
「どうしても?」
「どうしても!」
怒りと羞恥で頬を赤らめる冬姫は、腕に抱きしめてずっと閉じ込めていたいくらいに愛らしい。
しかし今それをすれば、絶対に兄である琥一からもれなく拳骨をもらうので、代わりに微笑みながら左手に握っていたものを差し出した。
「・・・何これ」
警戒心を解かない刺々しい声。
それすら胸をときめかすなんて、自分は相当末期だと思う。
胸を焼く慕わしい想いを笑顔で隠し、こてり、と小首を傾げる。
「水着」
「まだ持ってたの?」
「うん。でも、こっちはワンピース。駄目?」
「ワンピース?」
「そう。白と薄桃が混じった奴。ワンポイントのハイビスカスが夏っぽいよ。これも駄目?」
「・・・さっきのに比べると、随分まともだね。露出も少ないし」
「可愛いでしょ?」
「まぁ、確かに」
先ほど差し出した水着より、余程大人しい見目のそれは冬姫のお気に召したらしい。
『元々』、そちらを望んでいた琉夏は、予定通りの展開に笑みを深くする。
琉夏の表情を見て琥一が渋い顔をした。
きっと、兄である彼は、琉夏の目的を正確に理解したのだろう。
一つ舌打すると、髪を掻き盛大なため息を落とした。
「ね、試着してきて?で、気に入ったらそれにして?」
命令ではなく、お願いをする。
それに冬姫が弱いのは承知している。
実際に冬姫は頷き、琉夏の差し出した水着を受け取ってくれた。
試着室に向かう冬姫を見送りながら上機嫌でいると、琥一が呆れを含んだ声をかける。
「お前の思惑通りで満足か?」
「まあね。コウには出来ない芸当でしょ?」
「したくもねぇよ」
苦々しげに呟かれる言葉に、冬姫を騙まし討ちした事に関する以外のものが含められているのに気づくが、知らない素振りでにこりと微笑む。
今度のため息は苦々しいものではなく、我侭な弟を窘めるようなものだった。
輝かしい笑みを浮かべたまま、琉夏は右手を差し出し彼の手を握る。
違和感に眉を上げる兄に、弟としてお願いした。
「それ、マネキンに返してきて」
「嫌なこった!」
落とされた拳は、やはり遠慮なく痛かった。
短絡的思考でありながらも、年頃の男として健全だと琉夏は絶対的に主張したい。
その主張相手は兄であったり幼馴染であったりと様々だが、呆れを含む彼らを宥めすかし漸く目的を達成した琉夏は、至極満足気な笑みを浮かべる。
周りには布面積の少ない過激な衣装の美女の軍団。
彼女達が着ている布と、ひんやりとした白い肌の間に指先を入れ、胸を覆う布を取り払う。
手にした布を握り締め、その薄さに唇が持ち上がる。
艶やかな微笑みに見惚れる周囲を無視し、彼女から取り上げたばかりの布を手に琉夏は呟いた。
「これ、君よりも俺の女の方が似合うよ」
ぱちり、とウィンクを決め、儚げな見た目と裏腹に大層シュールな性格をした琉夏は、陽気にその場を後にした。
「この、馬鹿!!」
ごつんと後頭部に酷い衝撃が走り、首が揺れる。
加減抜きの拳骨はとても痛く、頭を抱えしゃがみ込んだ。
涙目になりながら、ぶれる視界に映る黒のスニーカーは見慣れたものだ。
持ち主など聞こえた声で判っていたが、今は声すら出せない状態なのでだんまりを決め込んだ。
「何恥ずかしいことやってんだ!?ああ?」
低い唸り声は、苛立ちと怒りを露にしている。
琉夏の方こそいきなり何するんだと怒りたいが、あまりの痛みに反撃の気力すら萎えた。
「・・・本当に、マネキン相手に何してるの。危うく琥一君と一緒に他人のふりして帰ろうかと思っちゃったよ」
心底呆れたとばかりの声は、涼やかに鼓膜を揺らす。
黒のスニーカーの隣に並ぶ白のミュールは、顔を上げてにぱっと笑う。
先ほどのシュールな笑みではなく、子供みたいな無邪気な顔は、彼が相手を選び披露するものだ。
右手に握った戦利品を掲げると、幼馴染へと差し出す。
「これ、絶対に冬姫に似合う」
「似合う、じゃねえよ!何、展示のマネキンから抜き取ってんだ!」
「だって、同じのがなかったし。冬姫は絶対にこの色が似合う」
「・・・琉夏君。これ、フェミニンなイメージだけど、極端に布面積少なくない?」
「いいでしょ?下は流石に取れなかったけど、際どいハイレグ」
「───・・・ため息しか出ないよ、本当に。ねぇ、琥一君」
「っ、ああ。そうだな」
「コウのむっつり。今、絶対に冬姫のハイレグ想像しただろ」
「!?うるせぇ!」
顔を赤らめる兄は正直だ。
そして隣に立っている幼馴染が彼へと向ける視線も生温いものに変わり、慌てていいわけを始める琥一に、琉夏はにんまりと笑う。
「ね、冬姫。試着だけでいいから、これ着て?」
「いや」
「お願い。コウも見たいってさ」
「言ってねぇだろ、そんなこと!!」
唾を飛ばしながら否定すればするほど嘘臭い。
普段の冷静な彼に判るだろうことも、動揺し崩れている彼には判らない。
冬姫の視線もだんだんと冷たいものに変わってくのも、彼の焦りに拍車をかける一端だろう。
大体言わせてもらうが、琥一がむっつりなのは嘘じゃない。
可愛い格好が好きな琉夏と対照的に、ワイルドな格好を好む琥一は、水着もそれなりのものを好む。
兄弟だから知り尽くしている互いの好み。
それを省みるに、琉夏が手にしているこの水着は、兄弟の欲求を満たすものだと自信をもって宣言できる。
「・・・とにかく。そんな水着、絶対に着ないから」
「どうしても?」
「どうしても!」
怒りと羞恥で頬を赤らめる冬姫は、腕に抱きしめてずっと閉じ込めていたいくらいに愛らしい。
しかし今それをすれば、絶対に兄である琥一からもれなく拳骨をもらうので、代わりに微笑みながら左手に握っていたものを差し出した。
「・・・何これ」
警戒心を解かない刺々しい声。
それすら胸をときめかすなんて、自分は相当末期だと思う。
胸を焼く慕わしい想いを笑顔で隠し、こてり、と小首を傾げる。
「水着」
「まだ持ってたの?」
「うん。でも、こっちはワンピース。駄目?」
「ワンピース?」
「そう。白と薄桃が混じった奴。ワンポイントのハイビスカスが夏っぽいよ。これも駄目?」
「・・・さっきのに比べると、随分まともだね。露出も少ないし」
「可愛いでしょ?」
「まぁ、確かに」
先ほど差し出した水着より、余程大人しい見目のそれは冬姫のお気に召したらしい。
『元々』、そちらを望んでいた琉夏は、予定通りの展開に笑みを深くする。
琉夏の表情を見て琥一が渋い顔をした。
きっと、兄である彼は、琉夏の目的を正確に理解したのだろう。
一つ舌打すると、髪を掻き盛大なため息を落とした。
「ね、試着してきて?で、気に入ったらそれにして?」
命令ではなく、お願いをする。
それに冬姫が弱いのは承知している。
実際に冬姫は頷き、琉夏の差し出した水着を受け取ってくれた。
試着室に向かう冬姫を見送りながら上機嫌でいると、琥一が呆れを含んだ声をかける。
「お前の思惑通りで満足か?」
「まあね。コウには出来ない芸当でしょ?」
「したくもねぇよ」
苦々しげに呟かれる言葉に、冬姫を騙まし討ちした事に関する以外のものが含められているのに気づくが、知らない素振りでにこりと微笑む。
今度のため息は苦々しいものではなく、我侭な弟を窘めるようなものだった。
輝かしい笑みを浮かべたまま、琉夏は右手を差し出し彼の手を握る。
違和感に眉を上げる兄に、弟としてお願いした。
「それ、マネキンに返してきて」
「嫌なこった!」
落とされた拳は、やはり遠慮なく痛かった。
その曲は一風変わった合奏で奏でられた。
何が変わっているかというと、本来なら伴奏であるはずのピアノと、堂々としたヴァイオリンが二人とも主旋律を奏でていたのだ。
しかし別にくどい印象はなく、どころかぴったりと息の合った内容は賞賛に値する。
力強く繊細なピアノ。伸びやかで自由なヴァイオリン。
軽やかに飛び回るヴァイオリンを、ピアノの音が追いかける。
楽しげに、けれど時には切なげに。
狂おしく優しく、そして時には一歩引いて。
きっとこれが彼の思いなんだろうと、音を聞きながら大地は目を細める。
優しいだけじゃなく、強引で強気。
今まで聞いてきた音の中でも、この音が一番大地をひきつけた。
見た感じ淡々としているように見えたのに、この情熱的な部分は憧れる。
「相変わらずだなぁ、土浦は。言葉は素っ気無いくせに、嫌になるくらい情熱的だ」
「・・・葵さん」
いつの間に隣に居たのかと、驚きで目を見開きながら隣を見れば、にこり、と若くして役職つきの彼は内心を読み取らせない。
ポーカーフェイスが得意な大地ですらその足元に及ばないと認めるほど、彼は食えない男だった。
そして幼い頃から実家の関係で知る彼を兄と慕う大地は、とても彼を尊敬している。
兄として、男として。
彼が高校時代にはもう付き合いがあったので、大地はしっかり知っていた。
彼が一途に目の前で演奏を続ける彼女に惚れ続けていることを。
立場的にも見た目的にも魅力溢れる彼には誘惑が多いはずだが、彼の心が動くことは微塵もない。
この何年かの間、一人も女がいなかったとは思わないが、彼の心は欠片も彼女以外を求めてないだろうと、大地は『知って』いた。
そして、彼と自分が、似ているだろうことも。
「聞いてよ、あの音。腹立たしいほどいい音だよね」
「俺は普段の彼の音をさほど知らないですし、さっきも十分良いと思ったけれど、きっと耳がいい葵さんが言うなら本当にいい音なんだろうね」
「嫌になるくらいだよ。あの曲、土浦が一番大事にしてる曲なんだ。好みは別の癖に。・・・どうしてか判る?」
「日野さんに関連する内容ですか?」
「そう。あの曲、星奏の学内コンクールの最終セレクションで二人が演奏した曲なんだって。むかつくよね」
笑顔で放たれた言葉は、背筋がぞくりとくるくらいに恐ろしい。
自分はよく彼に似ているといわれたが、本当にそうだろうかと首を傾げる。
正直、彼みたいに自分を使い分けれていると思わないし、どう考えても経験の差から来る圧力の違いが壁となって立ちはだかっている。
日野の音を理想とし、今でも追いかけ続けている加地は、彼女に何を求めているのか。
そして彼と自分が近いなら、自分はかなでに何を求めているのか。
考え込むでもなく、答えは一つで、淡く苦笑する。
「───葵さんは」
「ん?」
「相変わらず日野さんが好きですよね」
幼い時分、一度だけ彼女と会ったことがある。
公園でヴァイオリンを弾いていた彼女の近くに居た加地を、見たことがある。
何かラインを引かれたように、離れた場所で彼女を見詰める加地の目は、今と変わらず熱の篭った熱いもの。
流れるピアノの音と変わらず、熱く狂おしく切なく焦がれるものだったのに、それでも彼は彼女の隣に居なかった。
その理由を、きっとこの場にいる仲間の中で唯一自分だけが明確に知っている。
茶化すように告げた一言に、端整な顔を綻ばせた加地は照れたように笑った。
「好きだよ。───自分でも、どうしようもないくらいに。彼女は、僕の理想だから」
普段は冷酷なまでに現実主義者の加地が、少年のように微笑む姿は稀なのだと彼女は知っているだろうか。
「土浦の音にも苦しいほど嫉妬する。彼女の音も彼女自身も独占したい。束縛して、僕の傍だけにいて欲しい。僕のために音楽を奏でて欲しい。いい年なのに、子供みたいな青臭い恋を続けてる」
ピアノの音が激しさを増す。
逃げるヴァイオリンを負うように、その手を伸ばし捕まえようとするように。
瞼を閉じれば今も思い出す、あの秋の日の思いで。
あの日演奏する彼女の隣に居たのは、ピアノを奏でる彼でも、彼女の音に焦がれ続ける彼でもなかった。
幼い日の楽しげな演奏が耳に蘇る。
隣に座る加地は、先ほどまで口にしていた言葉が全て嘘のように満足気に音に聞き惚れていた。
もし。
もし本当に自分と彼が似ているなら、かなでには早々に諦めてもらいたいことが一つある。
例え彼女が誰かのものになったとしても、自分は一生彼女を諦めないだろう。
その執着心は、どうしようもないなと。
自分の想いを『青い』と呆気なく称した、大人の彼に倣えるよう、早く大人になりたいと望んだ。
何が変わっているかというと、本来なら伴奏であるはずのピアノと、堂々としたヴァイオリンが二人とも主旋律を奏でていたのだ。
しかし別にくどい印象はなく、どころかぴったりと息の合った内容は賞賛に値する。
力強く繊細なピアノ。伸びやかで自由なヴァイオリン。
軽やかに飛び回るヴァイオリンを、ピアノの音が追いかける。
楽しげに、けれど時には切なげに。
狂おしく優しく、そして時には一歩引いて。
きっとこれが彼の思いなんだろうと、音を聞きながら大地は目を細める。
優しいだけじゃなく、強引で強気。
今まで聞いてきた音の中でも、この音が一番大地をひきつけた。
見た感じ淡々としているように見えたのに、この情熱的な部分は憧れる。
「相変わらずだなぁ、土浦は。言葉は素っ気無いくせに、嫌になるくらい情熱的だ」
「・・・葵さん」
いつの間に隣に居たのかと、驚きで目を見開きながら隣を見れば、にこり、と若くして役職つきの彼は内心を読み取らせない。
ポーカーフェイスが得意な大地ですらその足元に及ばないと認めるほど、彼は食えない男だった。
そして幼い頃から実家の関係で知る彼を兄と慕う大地は、とても彼を尊敬している。
兄として、男として。
彼が高校時代にはもう付き合いがあったので、大地はしっかり知っていた。
彼が一途に目の前で演奏を続ける彼女に惚れ続けていることを。
立場的にも見た目的にも魅力溢れる彼には誘惑が多いはずだが、彼の心が動くことは微塵もない。
この何年かの間、一人も女がいなかったとは思わないが、彼の心は欠片も彼女以外を求めてないだろうと、大地は『知って』いた。
そして、彼と自分が、似ているだろうことも。
「聞いてよ、あの音。腹立たしいほどいい音だよね」
「俺は普段の彼の音をさほど知らないですし、さっきも十分良いと思ったけれど、きっと耳がいい葵さんが言うなら本当にいい音なんだろうね」
「嫌になるくらいだよ。あの曲、土浦が一番大事にしてる曲なんだ。好みは別の癖に。・・・どうしてか判る?」
「日野さんに関連する内容ですか?」
「そう。あの曲、星奏の学内コンクールの最終セレクションで二人が演奏した曲なんだって。むかつくよね」
笑顔で放たれた言葉は、背筋がぞくりとくるくらいに恐ろしい。
自分はよく彼に似ているといわれたが、本当にそうだろうかと首を傾げる。
正直、彼みたいに自分を使い分けれていると思わないし、どう考えても経験の差から来る圧力の違いが壁となって立ちはだかっている。
日野の音を理想とし、今でも追いかけ続けている加地は、彼女に何を求めているのか。
そして彼と自分が近いなら、自分はかなでに何を求めているのか。
考え込むでもなく、答えは一つで、淡く苦笑する。
「───葵さんは」
「ん?」
「相変わらず日野さんが好きですよね」
幼い時分、一度だけ彼女と会ったことがある。
公園でヴァイオリンを弾いていた彼女の近くに居た加地を、見たことがある。
何かラインを引かれたように、離れた場所で彼女を見詰める加地の目は、今と変わらず熱の篭った熱いもの。
流れるピアノの音と変わらず、熱く狂おしく切なく焦がれるものだったのに、それでも彼は彼女の隣に居なかった。
その理由を、きっとこの場にいる仲間の中で唯一自分だけが明確に知っている。
茶化すように告げた一言に、端整な顔を綻ばせた加地は照れたように笑った。
「好きだよ。───自分でも、どうしようもないくらいに。彼女は、僕の理想だから」
普段は冷酷なまでに現実主義者の加地が、少年のように微笑む姿は稀なのだと彼女は知っているだろうか。
「土浦の音にも苦しいほど嫉妬する。彼女の音も彼女自身も独占したい。束縛して、僕の傍だけにいて欲しい。僕のために音楽を奏でて欲しい。いい年なのに、子供みたいな青臭い恋を続けてる」
ピアノの音が激しさを増す。
逃げるヴァイオリンを負うように、その手を伸ばし捕まえようとするように。
瞼を閉じれば今も思い出す、あの秋の日の思いで。
あの日演奏する彼女の隣に居たのは、ピアノを奏でる彼でも、彼女の音に焦がれ続ける彼でもなかった。
幼い日の楽しげな演奏が耳に蘇る。
隣に座る加地は、先ほどまで口にしていた言葉が全て嘘のように満足気に音に聞き惚れていた。
もし。
もし本当に自分と彼が似ているなら、かなでには早々に諦めてもらいたいことが一つある。
例え彼女が誰かのものになったとしても、自分は一生彼女を諦めないだろう。
その執着心は、どうしようもないなと。
自分の想いを『青い』と呆気なく称した、大人の彼に倣えるよう、早く大人になりたいと望んだ。
*ルフィたちが海賊王になった後の設定です。
海賊王。
そう呼ばれる男が率いる海賊団にはずば抜けた金額を持つ賞金首の幹部たちが勢ぞろいしている。
個性的で、強くて、勇敢で、信念を持っている。
誰もかもが一級品の腕を持ち、若くして名声と富を手に入れた。
「久しぶりだな。ニコ・ロビン」
背後から聞こえた声に、ロビンはぴたりと足を止めた。
その声は忘れたくとも忘れれない、ロビンにとって特別な響きを持つ声。
正義の名の下に己の親友を殺した人。
殺せるはずだった自分を敢えて逃がした人。
二十年も泳がせ監視していた人。
己の選択を見据え親友の想いを汲み取った人。
その人はロビンの敵でありながら、縁が深い存在。
額から汗が滲み出て、頬を伝い顎から地に落ちる。
本能的な恐怖はもうどうしようもない。
彼を見れば必ず過去を思い出す。
懐かしく悲しく切ない、苦々しい過去を。
それをなかった事にしたいと望まないけれど、それでも進んで関わりたいと思えるような容易な相手でもない。
昔も今も彼は敵でしかなく、それはロビンが生きている限り一生変わらない事実だった。
すっと息を吸い込むと、ブーツの踵に力を入れる。
右足を引きターンの要領で振り返れば、やはりそこに居たのは想像通りの男だった。
ロビンにしては珍しく、苦々しい表情を隠さないまま口を開く。
それは恐怖心を悟られないように作った精一杯の虚勢だったが、本当は相手に通用してないと判っていた。
「───久しぶりね、大将青キジ。いいえ、今は元帥だったかしら」
「どっちでもいい。好きなように呼べ。おれがおれであるのに変わりはないからな。久しぶりに会って話も尽きないところだが、まあおれたちはそんなものを語る間柄じゃない。本題から言わせてもらう。ニコ・ロビン。お前はここで何をしてる?」
海軍元帥の服を着た青キジ───クザンは腕を組み、同じく正義の衣装を纏いサングラスをかけたロビンにうっそりと笑う。
その表情は何も言わずとも答えを知っていると伝えるもので、目の前の男が飄々とした雰囲気に似合わず機微に聡いと教えてくれる。
海軍元帥まで上り詰めるほどなのだから頭の回転が速いのは判るが、こちらにとっては何とも不都合なことだ。
大体、彼がこの場に居るのは予定外だった。
今回海軍の要塞に忍び込んだのは、お宝の情報を相手にした海兵からナミが聞き出したからだ。
何でもその海兵たちの乗っていた軍艦は、とある国から寄付という名の献上品を運んだらしく、それを聞いた瞬間にナミの目がベリーに変わる。
ロビンとナミが乗る船は海賊王のものであるが、特別裕福な暮らしはしていない。
何しろお金に頓着しない船長が中心にいて、宴会好きの船員と並べば結果は一目瞭然。
そして我らが船長の食欲は旺盛で、海賊王の家計簿はいつだって火の車だ。
ロビンが仲間に入った当初から金品に対するナミの執着は中々のものだったが、年を経た現在もそれは変わっていない。
ファミリーの財布は彼女が握っており、その現状を誰より理解する彼女がお宝に飛びつくのも仕方ないだろう。
得た情報ではこの要塞の財宝庫に宝は隠され、それを狙った一味の皆は変装しつつ散らばっている。
一路財宝を目指す彼らとは別に、ロビンは帰路の確保ろ、ここでしか見つけれない海軍の情報を得るのために海兵に変装し必要な情報のある部屋まで忍び込んだというのに。
よりにもよって、海軍を取りまとめる男がこの場にいるなど、何て運が悪いのか。
「どうした?ニコ・ロビン。口が利けなくなったのか?」
淡々と問いかける男は戦闘態勢にすら入ってない。
それなのにこの背筋を駆け抜ける怖気は何なのか。
魂に刻まれた恐怖心。
目の前で自分の大切な人を殺された想いが湧き上がる。
無意識に後ずされば背中に壁が当たり、窓から外が見えてもそこが行き止まりだと理解した。
「ここには大した情報もない。それなのに、態々捕まりに来たか?」
「───どうして、あなたがここに?」
「何、偶々だ。雑務が面倒で自転車で旅をしててな。ここの管理者に会うついでに、休暇を取ってた」
「海軍のトップであるあなたが動くほどのものがここにあると思えないけど」
「そうか?現に目の前に、海賊王の仲間がいるだろう?」
どこから仕組まれていたのか。
自分たちがここに忍び込んだときか。
それともここの情報を知ったときか。
もしかしたら偶然を装った軍艦が自分たちの前を堂々と横行したときか。
それすら判断できないが、今がとてつもなくやばいことだけはわかる。
今すぐにでも逃げたいのに、崖の切り立つ場所に建てられたこの外は海。
海に嫌われる悪魔の実の能力者であるロビンには、窓から外に出ても助かる確率はとても低い。
せめて仲間にこの状況を伝え逃げて欲しいのに、それすら今はままならない。
「私をどうする気?」
「さて、どうするかねぇ」
面倒そうに呟いた彼は、気だるげに頭を掻く。
用がないなら去って欲しいが、自分と相手の関係を省みれば無理だろう。
時間稼ぎをするために話を続けているが、これすら見破られているはず。
面倒だが相手はロビンより一枚も二枚も上手だ。
「どうもしなくても構わないがな」
「・・・どういう、意味?」
「そのままだ。お前がここに居るだけで、お前の仲間は必ずおれの前に現れる。それが誰かは賭けになるが、誰だろうとお前を『見捨てない』。過去、世界政府の旗を打ち抜いた馬鹿どもが変わったとは思えないからな」
「っ!?」
しまった、と臍を噛む。
時間稼ぎをしていたのは相手も同じで、ロビンは初めから餌でしかなかった。
彼は確信している。
ロビンの仲間がロビンを助けに来ることを。
そしてそれは、十割の確率で果たされることを。
「ロビン!迎えに来たぞ!」
とんでもない破壊音と共に壁を崩した相手は、おそらく目の前の男がもっとも望んでいた賞金首。
世界を自由に駆ける海賊王、モンキー・D・ルフィ。
彼の姿を見た瞬間に、クザンの唇はゆるやかに弧を描き部屋の温度が徐々に下がる。
力の発動を前に、それでもロビンしか見ていない彼は、にかっと笑う。
「お宝はもうナミたちが船に積み込んだ。食料もかっぱらったし、今日は宴会だ!」
「───ルフィ」
「すげえんだぞ、ここ!何とみずみず肉があった!どうやって運んだのかしらねぇけど、あれ美味ぇ~んだ!ほっぺたがおっこちるぞ!」
「ルフィ」
「ゾロも上等の酒を手に入れて上機嫌だし、サンジが食材の下準備を始めてる!」
「ルフィ」
「───だから、とっとと帰るぞ、ロビン」
それからは一瞬だった。
こちらが怯むほどの覇気を放ったルフィは、腕を伸ばしてロビンの腰を掴むと壁に手を掛けにいと笑う。
その笑い方は先ほどまでの無邪気なものじゃなくて、随分と物騒な笑顔は実に海賊らしいものだった。
「久しぶりだな、青キジ」
「・・・・・・」
「んで、じゃあな!」
相手が反応する前に、己の拳を床に叩きつける。
突然の事に一瞬反応が遅れたクザンを尻目に、ルフィは壁の外───つまり海へと飛び出した。
「ちっ・・・アイス・ブロック パルチザン!」
叫び声と同時に顕現された力を覇気で弾いたルフィは、反転すると腕を伸ばす。
その先には集中砲火を浴びながらも、徐々に力を蓄えているサニー号の姿。
縁を掴んだルフィを追うように飛び出したクザンの姿に目を見張り、体を強張らせる。
そんなロビンを安心させるように、抱く腕に力を篭めたルフィはサニー号へと距離を縮めた。
「遅いぜ、麦わら!もう準備は出来てる!」
「よっしゃ、ナイス!フランキー!皆掴まれ!」
『了解!』
「行くぞ!風来バースト!!」
空気の圧が一気に掛かり、自分を抱き寄せるルフィへしがみ付く。
ロビンを抱きしめたまま視線を上げたルフィは、しししっと笑うと声を張り上げた。
「仲間と宝はもらってくぞ!青キジ!」
「っ───ならばその首置いていけ!」
「そりゃ無理だ!おれはまだ冒険したりねぇからな!」
「氷河時代!!」
ルフィの言葉に眉を跳ね上げた男が、海に着くと同時に力を発現し瞬く間に海が凍りだす。
だがサニー号を捕まえるには、そのタイミングは些か遅すぎた。
「ししししっ!お前にロビンはやんねぇよ!」
満足そうに笑い小さくなる姿に向け笑うルフィは、邪気がない子供みたいだ。
悪気ない言葉にクザンが苛立ち、その力を向けるも双頭と名高い彼らが呆気なく散らした。
クザンが本気であればもっと手間取っただろう脱出も、随分とあっさり決行された。
一人では分が悪いと、さすがの彼も判断せざるを得なかったのだろう。
ルフィだけならともかく、彼の副官たちとて大将クラスの実力を持つ。
三対一でクザンの勝ち目は薄い。
ルフィに釣られけたけたと笑う仲間達は、心底愉快だと満足気だ。
昔苦渋を舐めさせられただけあって、今回の件は爽快だったのだろう。
彼らは過去を引きずるタイプではないが、やられたことはきっちり返すから。
笑っていたルフィがロビンを見る。
その黒々とした瞳は出会った当初から変わらず好奇心で輝き、とても魅力的な力を放っていた。
魅入られるように見詰めていると、くしゃりと頭を撫でられる。
いつの間にか上空でも船は安定し、縁を掴んでいた手は放されていた。
幾度も幾度も掌で髪を掻き混ぜるルフィに、頬が段々と熱くなる。
ロビンの方がずっと年上なのに、彼はたまにほんの子供を扱うようにロビンに接し、それが恥ずかしいのに嫌いじゃない・・・どころか喜ぶ自分に恥じらいを覚えた。
「おかえり、ロビン」
「・・・ただいま」
幾度繰り返しても心が満ちる言葉に、ロビンは少女のように笑った。
はにかんだ笑みを浮かべたロビンに頷くと、ルフィは高らかに宣言する。
「よぉし、野郎ども!今夜は宴会だー!!」
『おう!』
西の海に太陽が隠れ始める時間。
優しい居場所に、ロビンは笑った。
ルーキーと呼ばれた時分から、ルフィの傍こそがロビンの居場所。
海賊王になった彼は何年経っても変わらず、やはりロビンの居場所を作り続ける特別な人だった。
海賊王。
そう呼ばれる男が率いる海賊団にはずば抜けた金額を持つ賞金首の幹部たちが勢ぞろいしている。
個性的で、強くて、勇敢で、信念を持っている。
誰もかもが一級品の腕を持ち、若くして名声と富を手に入れた。
「久しぶりだな。ニコ・ロビン」
背後から聞こえた声に、ロビンはぴたりと足を止めた。
その声は忘れたくとも忘れれない、ロビンにとって特別な響きを持つ声。
正義の名の下に己の親友を殺した人。
殺せるはずだった自分を敢えて逃がした人。
二十年も泳がせ監視していた人。
己の選択を見据え親友の想いを汲み取った人。
その人はロビンの敵でありながら、縁が深い存在。
額から汗が滲み出て、頬を伝い顎から地に落ちる。
本能的な恐怖はもうどうしようもない。
彼を見れば必ず過去を思い出す。
懐かしく悲しく切ない、苦々しい過去を。
それをなかった事にしたいと望まないけれど、それでも進んで関わりたいと思えるような容易な相手でもない。
昔も今も彼は敵でしかなく、それはロビンが生きている限り一生変わらない事実だった。
すっと息を吸い込むと、ブーツの踵に力を入れる。
右足を引きターンの要領で振り返れば、やはりそこに居たのは想像通りの男だった。
ロビンにしては珍しく、苦々しい表情を隠さないまま口を開く。
それは恐怖心を悟られないように作った精一杯の虚勢だったが、本当は相手に通用してないと判っていた。
「───久しぶりね、大将青キジ。いいえ、今は元帥だったかしら」
「どっちでもいい。好きなように呼べ。おれがおれであるのに変わりはないからな。久しぶりに会って話も尽きないところだが、まあおれたちはそんなものを語る間柄じゃない。本題から言わせてもらう。ニコ・ロビン。お前はここで何をしてる?」
海軍元帥の服を着た青キジ───クザンは腕を組み、同じく正義の衣装を纏いサングラスをかけたロビンにうっそりと笑う。
その表情は何も言わずとも答えを知っていると伝えるもので、目の前の男が飄々とした雰囲気に似合わず機微に聡いと教えてくれる。
海軍元帥まで上り詰めるほどなのだから頭の回転が速いのは判るが、こちらにとっては何とも不都合なことだ。
大体、彼がこの場に居るのは予定外だった。
今回海軍の要塞に忍び込んだのは、お宝の情報を相手にした海兵からナミが聞き出したからだ。
何でもその海兵たちの乗っていた軍艦は、とある国から寄付という名の献上品を運んだらしく、それを聞いた瞬間にナミの目がベリーに変わる。
ロビンとナミが乗る船は海賊王のものであるが、特別裕福な暮らしはしていない。
何しろお金に頓着しない船長が中心にいて、宴会好きの船員と並べば結果は一目瞭然。
そして我らが船長の食欲は旺盛で、海賊王の家計簿はいつだって火の車だ。
ロビンが仲間に入った当初から金品に対するナミの執着は中々のものだったが、年を経た現在もそれは変わっていない。
ファミリーの財布は彼女が握っており、その現状を誰より理解する彼女がお宝に飛びつくのも仕方ないだろう。
得た情報ではこの要塞の財宝庫に宝は隠され、それを狙った一味の皆は変装しつつ散らばっている。
一路財宝を目指す彼らとは別に、ロビンは帰路の確保ろ、ここでしか見つけれない海軍の情報を得るのために海兵に変装し必要な情報のある部屋まで忍び込んだというのに。
よりにもよって、海軍を取りまとめる男がこの場にいるなど、何て運が悪いのか。
「どうした?ニコ・ロビン。口が利けなくなったのか?」
淡々と問いかける男は戦闘態勢にすら入ってない。
それなのにこの背筋を駆け抜ける怖気は何なのか。
魂に刻まれた恐怖心。
目の前で自分の大切な人を殺された想いが湧き上がる。
無意識に後ずされば背中に壁が当たり、窓から外が見えてもそこが行き止まりだと理解した。
「ここには大した情報もない。それなのに、態々捕まりに来たか?」
「───どうして、あなたがここに?」
「何、偶々だ。雑務が面倒で自転車で旅をしててな。ここの管理者に会うついでに、休暇を取ってた」
「海軍のトップであるあなたが動くほどのものがここにあると思えないけど」
「そうか?現に目の前に、海賊王の仲間がいるだろう?」
どこから仕組まれていたのか。
自分たちがここに忍び込んだときか。
それともここの情報を知ったときか。
もしかしたら偶然を装った軍艦が自分たちの前を堂々と横行したときか。
それすら判断できないが、今がとてつもなくやばいことだけはわかる。
今すぐにでも逃げたいのに、崖の切り立つ場所に建てられたこの外は海。
海に嫌われる悪魔の実の能力者であるロビンには、窓から外に出ても助かる確率はとても低い。
せめて仲間にこの状況を伝え逃げて欲しいのに、それすら今はままならない。
「私をどうする気?」
「さて、どうするかねぇ」
面倒そうに呟いた彼は、気だるげに頭を掻く。
用がないなら去って欲しいが、自分と相手の関係を省みれば無理だろう。
時間稼ぎをするために話を続けているが、これすら見破られているはず。
面倒だが相手はロビンより一枚も二枚も上手だ。
「どうもしなくても構わないがな」
「・・・どういう、意味?」
「そのままだ。お前がここに居るだけで、お前の仲間は必ずおれの前に現れる。それが誰かは賭けになるが、誰だろうとお前を『見捨てない』。過去、世界政府の旗を打ち抜いた馬鹿どもが変わったとは思えないからな」
「っ!?」
しまった、と臍を噛む。
時間稼ぎをしていたのは相手も同じで、ロビンは初めから餌でしかなかった。
彼は確信している。
ロビンの仲間がロビンを助けに来ることを。
そしてそれは、十割の確率で果たされることを。
「ロビン!迎えに来たぞ!」
とんでもない破壊音と共に壁を崩した相手は、おそらく目の前の男がもっとも望んでいた賞金首。
世界を自由に駆ける海賊王、モンキー・D・ルフィ。
彼の姿を見た瞬間に、クザンの唇はゆるやかに弧を描き部屋の温度が徐々に下がる。
力の発動を前に、それでもロビンしか見ていない彼は、にかっと笑う。
「お宝はもうナミたちが船に積み込んだ。食料もかっぱらったし、今日は宴会だ!」
「───ルフィ」
「すげえんだぞ、ここ!何とみずみず肉があった!どうやって運んだのかしらねぇけど、あれ美味ぇ~んだ!ほっぺたがおっこちるぞ!」
「ルフィ」
「ゾロも上等の酒を手に入れて上機嫌だし、サンジが食材の下準備を始めてる!」
「ルフィ」
「───だから、とっとと帰るぞ、ロビン」
それからは一瞬だった。
こちらが怯むほどの覇気を放ったルフィは、腕を伸ばしてロビンの腰を掴むと壁に手を掛けにいと笑う。
その笑い方は先ほどまでの無邪気なものじゃなくて、随分と物騒な笑顔は実に海賊らしいものだった。
「久しぶりだな、青キジ」
「・・・・・・」
「んで、じゃあな!」
相手が反応する前に、己の拳を床に叩きつける。
突然の事に一瞬反応が遅れたクザンを尻目に、ルフィは壁の外───つまり海へと飛び出した。
「ちっ・・・アイス・ブロック パルチザン!」
叫び声と同時に顕現された力を覇気で弾いたルフィは、反転すると腕を伸ばす。
その先には集中砲火を浴びながらも、徐々に力を蓄えているサニー号の姿。
縁を掴んだルフィを追うように飛び出したクザンの姿に目を見張り、体を強張らせる。
そんなロビンを安心させるように、抱く腕に力を篭めたルフィはサニー号へと距離を縮めた。
「遅いぜ、麦わら!もう準備は出来てる!」
「よっしゃ、ナイス!フランキー!皆掴まれ!」
『了解!』
「行くぞ!風来バースト!!」
空気の圧が一気に掛かり、自分を抱き寄せるルフィへしがみ付く。
ロビンを抱きしめたまま視線を上げたルフィは、しししっと笑うと声を張り上げた。
「仲間と宝はもらってくぞ!青キジ!」
「っ───ならばその首置いていけ!」
「そりゃ無理だ!おれはまだ冒険したりねぇからな!」
「氷河時代!!」
ルフィの言葉に眉を跳ね上げた男が、海に着くと同時に力を発現し瞬く間に海が凍りだす。
だがサニー号を捕まえるには、そのタイミングは些か遅すぎた。
「ししししっ!お前にロビンはやんねぇよ!」
満足そうに笑い小さくなる姿に向け笑うルフィは、邪気がない子供みたいだ。
悪気ない言葉にクザンが苛立ち、その力を向けるも双頭と名高い彼らが呆気なく散らした。
クザンが本気であればもっと手間取っただろう脱出も、随分とあっさり決行された。
一人では分が悪いと、さすがの彼も判断せざるを得なかったのだろう。
ルフィだけならともかく、彼の副官たちとて大将クラスの実力を持つ。
三対一でクザンの勝ち目は薄い。
ルフィに釣られけたけたと笑う仲間達は、心底愉快だと満足気だ。
昔苦渋を舐めさせられただけあって、今回の件は爽快だったのだろう。
彼らは過去を引きずるタイプではないが、やられたことはきっちり返すから。
笑っていたルフィがロビンを見る。
その黒々とした瞳は出会った当初から変わらず好奇心で輝き、とても魅力的な力を放っていた。
魅入られるように見詰めていると、くしゃりと頭を撫でられる。
いつの間にか上空でも船は安定し、縁を掴んでいた手は放されていた。
幾度も幾度も掌で髪を掻き混ぜるルフィに、頬が段々と熱くなる。
ロビンの方がずっと年上なのに、彼はたまにほんの子供を扱うようにロビンに接し、それが恥ずかしいのに嫌いじゃない・・・どころか喜ぶ自分に恥じらいを覚えた。
「おかえり、ロビン」
「・・・ただいま」
幾度繰り返しても心が満ちる言葉に、ロビンは少女のように笑った。
はにかんだ笑みを浮かべたロビンに頷くと、ルフィは高らかに宣言する。
「よぉし、野郎ども!今夜は宴会だー!!」
『おう!』
西の海に太陽が隠れ始める時間。
優しい居場所に、ロビンは笑った。
ルーキーと呼ばれた時分から、ルフィの傍こそがロビンの居場所。
海賊王になった彼は何年経っても変わらず、やはりロビンの居場所を作り続ける特別な人だった。
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