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雷門サッカー部の仲間の中心で、トロフィーを掲げ笑っている幼馴染に目を細め風丸は笑った。
肩を小突き合い腕を組んで、全員でもぎ取った優勝に、仲間で勝ち取った『結果』に喜び分かち合う。
普段の飄々とした姿ではなく、子供みたいに顔をくしゃくしゃにしている円堂に胸がぽっと温かくなった。
元々風丸がサッカーを始めた切欠は円堂にある。
子供の頃ご近所に住んでいた彼女はサッカーをしたいと強請っては母親に叱られ悲しそうにしていた。
そんな姿を何度も見た風丸は、大好きなお姉ちゃんのために両親にサッカーボールを買ってもらい、鉄塔広場で二人で始めたのが最初だった。
ボールを蹴る円堂の笑顔が眩しくて、二人でしょっちゅう内緒で遊んだ。
今思えば泥だらけの姿で帰路に着いた自分たちに疑問は色々あっただろうに、あえて不問にしていたのではないかとも思う。
だが円堂の両親はもうこの世におらず、もう二度と確認する機会はなかった。
帝国側に視線をやれば、負けたというのにどこか清々しい笑顔を浮かべるメンバーたちから少し離れた場所で、ぽつんと立って円堂を見詰める少年が一人。
特徴的なドレッドヘアとゴーグルにマントといういでだちの彼は、寂しそうに微笑を浮かべていた。
風丸はそんな少年から視線を逸らすと、彼の妹を今度は見詰める。
鬼道と同じような寂寥感漂う雰囲気で兄を見詰める少女は、円堂を見詰める彼に俯きぐっと唇を噛み締めた。
「───行かないのか?」
「え?」
揉み合って喜ぶ仲間から離れた場所に立っている少女に近づくと、端的に問いかける。
弾かれたように顔を上げた音無は、何を言われたか判らないとばかりにぱちぱちと瞬きを繰り返した。
初めから気づいていたわけではないが、途中から確信していた。
彼女こそ昔鬼道家に居た円堂から貰った手紙に書いてあった、『有人の妹』だと。
『春奈』という名前しか知らなかったので同名の他人だと思っていたが、試合が始まる直前から円堂を見詰める眼差しで気がついた。
嫉妬交じりの苦しそうな視線は、風丸にも覚えがあるものだ。
もっとも彼がその想いを抱いた相手は大好きな『まも姉』の弟になった『有人』に対してだったけれど。
「何処にですか?」
「鬼道の元へさ。君は彼の妹だろう?」
「っ!?どうしてそれを?」
「俺は円堂の幼馴染だ。子供の頃から定期的に送られてきた手紙に、『有人』のことや『有人の妹』のことがしょっちゅう書かれてた。可愛がっている弟には、大事に思ってる妹が居るってな」
「お兄ちゃんが、私の話を?」
「ああ。鬼道の口癖は『いつか春奈と一緒に暮らしたい』だったそうだ。何回も何回も手紙に書かれてたから、名前の漢字まで覚えてしまった。あれは、君のことだろう?」
「私と一緒に暮らしたいって、お兄ちゃんが・・・」
口元を押さえて瞳を潤ませた音無に苦笑する。
やはり彼女は何も知らされていなかったのだろう。
ずっと子供の頃から『有人』を知らない風丸が知っていた事実は、妹である『春奈』には何も伝わっていなかった。
だからここで二の足を踏んで兄の下へといけないのだ。
ふっと嘆息して苦笑する。
彼らは何処まで頑固で不器用な兄妹なのか。
「───俺は子供の頃からずっと『有人』が嫌いだった」
「え?」
「あいつが来る前、まも姉の特別は俺だけだった。まも姉は俺だけの姉さんだったのに、『有人』が現れてからずっと『弟』のことばかりだ。『有人が笑った』、『有人は頑張り屋だ』、『有人は努力家で真っ直ぐだ』。彼女からの手紙はいつの間にか『有人』で一杯で、急に現れて『弟』に納まったあいつを酷く嫉んだ。あいつさえ居なければ、あいつさえ来なければってね」
「そんなの!お兄ちゃんは悪くないじゃないですか!お兄ちゃんはたまたま鬼道の家に居たキャプテンの弟になっただけじゃないですか!」
「そうだ。そして円堂も、たまたま鬼道の家に来た『有人』の姉になっただけだ。音無の円堂に対する苛立ちだって筋違いだ。円堂は昔から『有人が大事にする妹なら協力してやりたい』って言ってた。『有人が望むなら、引き取ってもらえるように父さんに頼む』と」
「キャプテンが、そんなことを・・・」
「円堂は鬼道を本当に大事に思っている。大事な相手の大事な奴も大事だって笑ってる奴だ。円堂にとっては、君も大事な相手なんだ」
「・・・・・・」
「行ってやってくれ。鬼道のために、そしてあいつを大事にしている円堂のために」
背中を押してやると、泣きそうに顔を歪めて、そして一直線に鬼道へと向かった。
お兄ちゃんと呼ぶ声がピッチに響き、視線の集まる中で音無は鬼道へ抱きついた。
驚き戸惑う鬼道は、おずおずと手を伸ばすと妹の体を抱きしめる。
繊細な宝を扱うような力加減に苦笑すると、ぽんと肩を叩かれた。
「ありがと、ちろた」
「・・・まも姉。これで、良かったのか?」
「当然だろ?これでめでたくハッピーエンドってな」
嬉しそうに抱き合う二人を見詰める円堂の眼差しはとても優しげで幸せそうだ。
それでも、けれど、と思う。
この人は、幸せそうに見えるあの光景に自分を含んだことは一度もないと、風丸は知っていた。
円堂が求めた『弟』の幸せの先に、彼女は何故か存在しない。
手紙にはいつだってこう書かれていた。
『弟と弟の妹と、二人で一緒に暮らせるといい。折角兄弟がいるんだから、二人で一緒が一番いい。だから俺は弟に協力したい。二人が兄弟として暮らせるように。贋物が本物になるように』
幼い風丸は彼女の言葉の意味が判らなかった。
けれど、今になってどうしてこんなに不安になるのだろう。
愛しいものを見つめて笑う円堂は嬉しそうなのに、彼女が喜べば嬉しいはずなのに、どうして。
「さて、俺たちも帰ろうか」
「え?けど、音無は」
「兄弟水入らずの時間だぞ?野暮なこと言ってんじゃないよ。鬼道の家なら音無を送るくらい簡単だ、置いていってもいいだろう。───俺たちは雷門に戻って部室で祝勝会上げようぜ!」
『おう!!』
腕を振り上げた円堂につられるように、雷門のメンバーも声を上げる。
率先してピッチを抜け出した円堂に、風丸はそっと眉を顰めた。
───いつだってあの人は、一つも本音を教えてくれない。
優しくて強い彼女は笑顔で周りを惑わして、押し込めた感情は人知れず何処に行くのだろう。
昔は甘えるだけで気づかなかった不器用な姿に、本音を吐き出させることが出来ない無力な自分が悔しくて仕方なかった。
肩を小突き合い腕を組んで、全員でもぎ取った優勝に、仲間で勝ち取った『結果』に喜び分かち合う。
普段の飄々とした姿ではなく、子供みたいに顔をくしゃくしゃにしている円堂に胸がぽっと温かくなった。
元々風丸がサッカーを始めた切欠は円堂にある。
子供の頃ご近所に住んでいた彼女はサッカーをしたいと強請っては母親に叱られ悲しそうにしていた。
そんな姿を何度も見た風丸は、大好きなお姉ちゃんのために両親にサッカーボールを買ってもらい、鉄塔広場で二人で始めたのが最初だった。
ボールを蹴る円堂の笑顔が眩しくて、二人でしょっちゅう内緒で遊んだ。
今思えば泥だらけの姿で帰路に着いた自分たちに疑問は色々あっただろうに、あえて不問にしていたのではないかとも思う。
だが円堂の両親はもうこの世におらず、もう二度と確認する機会はなかった。
帝国側に視線をやれば、負けたというのにどこか清々しい笑顔を浮かべるメンバーたちから少し離れた場所で、ぽつんと立って円堂を見詰める少年が一人。
特徴的なドレッドヘアとゴーグルにマントといういでだちの彼は、寂しそうに微笑を浮かべていた。
風丸はそんな少年から視線を逸らすと、彼の妹を今度は見詰める。
鬼道と同じような寂寥感漂う雰囲気で兄を見詰める少女は、円堂を見詰める彼に俯きぐっと唇を噛み締めた。
「───行かないのか?」
「え?」
揉み合って喜ぶ仲間から離れた場所に立っている少女に近づくと、端的に問いかける。
弾かれたように顔を上げた音無は、何を言われたか判らないとばかりにぱちぱちと瞬きを繰り返した。
初めから気づいていたわけではないが、途中から確信していた。
彼女こそ昔鬼道家に居た円堂から貰った手紙に書いてあった、『有人の妹』だと。
『春奈』という名前しか知らなかったので同名の他人だと思っていたが、試合が始まる直前から円堂を見詰める眼差しで気がついた。
嫉妬交じりの苦しそうな視線は、風丸にも覚えがあるものだ。
もっとも彼がその想いを抱いた相手は大好きな『まも姉』の弟になった『有人』に対してだったけれど。
「何処にですか?」
「鬼道の元へさ。君は彼の妹だろう?」
「っ!?どうしてそれを?」
「俺は円堂の幼馴染だ。子供の頃から定期的に送られてきた手紙に、『有人』のことや『有人の妹』のことがしょっちゅう書かれてた。可愛がっている弟には、大事に思ってる妹が居るってな」
「お兄ちゃんが、私の話を?」
「ああ。鬼道の口癖は『いつか春奈と一緒に暮らしたい』だったそうだ。何回も何回も手紙に書かれてたから、名前の漢字まで覚えてしまった。あれは、君のことだろう?」
「私と一緒に暮らしたいって、お兄ちゃんが・・・」
口元を押さえて瞳を潤ませた音無に苦笑する。
やはり彼女は何も知らされていなかったのだろう。
ずっと子供の頃から『有人』を知らない風丸が知っていた事実は、妹である『春奈』には何も伝わっていなかった。
だからここで二の足を踏んで兄の下へといけないのだ。
ふっと嘆息して苦笑する。
彼らは何処まで頑固で不器用な兄妹なのか。
「───俺は子供の頃からずっと『有人』が嫌いだった」
「え?」
「あいつが来る前、まも姉の特別は俺だけだった。まも姉は俺だけの姉さんだったのに、『有人』が現れてからずっと『弟』のことばかりだ。『有人が笑った』、『有人は頑張り屋だ』、『有人は努力家で真っ直ぐだ』。彼女からの手紙はいつの間にか『有人』で一杯で、急に現れて『弟』に納まったあいつを酷く嫉んだ。あいつさえ居なければ、あいつさえ来なければってね」
「そんなの!お兄ちゃんは悪くないじゃないですか!お兄ちゃんはたまたま鬼道の家に居たキャプテンの弟になっただけじゃないですか!」
「そうだ。そして円堂も、たまたま鬼道の家に来た『有人』の姉になっただけだ。音無の円堂に対する苛立ちだって筋違いだ。円堂は昔から『有人が大事にする妹なら協力してやりたい』って言ってた。『有人が望むなら、引き取ってもらえるように父さんに頼む』と」
「キャプテンが、そんなことを・・・」
「円堂は鬼道を本当に大事に思っている。大事な相手の大事な奴も大事だって笑ってる奴だ。円堂にとっては、君も大事な相手なんだ」
「・・・・・・」
「行ってやってくれ。鬼道のために、そしてあいつを大事にしている円堂のために」
背中を押してやると、泣きそうに顔を歪めて、そして一直線に鬼道へと向かった。
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驚き戸惑う鬼道は、おずおずと手を伸ばすと妹の体を抱きしめる。
繊細な宝を扱うような力加減に苦笑すると、ぽんと肩を叩かれた。
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「当然だろ?これでめでたくハッピーエンドってな」
嬉しそうに抱き合う二人を見詰める円堂の眼差しはとても優しげで幸せそうだ。
それでも、けれど、と思う。
この人は、幸せそうに見えるあの光景に自分を含んだことは一度もないと、風丸は知っていた。
円堂が求めた『弟』の幸せの先に、彼女は何故か存在しない。
手紙にはいつだってこう書かれていた。
『弟と弟の妹と、二人で一緒に暮らせるといい。折角兄弟がいるんだから、二人で一緒が一番いい。だから俺は弟に協力したい。二人が兄弟として暮らせるように。贋物が本物になるように』
幼い風丸は彼女の言葉の意味が判らなかった。
けれど、今になってどうしてこんなに不安になるのだろう。
愛しいものを見つめて笑う円堂は嬉しそうなのに、彼女が喜べば嬉しいはずなのに、どうして。
「さて、俺たちも帰ろうか」
「え?けど、音無は」
「兄弟水入らずの時間だぞ?野暮なこと言ってんじゃないよ。鬼道の家なら音無を送るくらい簡単だ、置いていってもいいだろう。───俺たちは雷門に戻って部室で祝勝会上げようぜ!」
『おう!!』
腕を振り上げた円堂につられるように、雷門のメンバーも声を上げる。
率先してピッチを抜け出した円堂に、風丸はそっと眉を顰めた。
───いつだってあの人は、一つも本音を教えてくれない。
優しくて強い彼女は笑顔で周りを惑わして、押し込めた感情は人知れず何処に行くのだろう。
昔は甘えるだけで気づかなかった不器用な姿に、本音を吐き出させることが出来ない無力な自分が悔しくて仕方なかった。
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円堂が仲間に連れられて去った後も、じっと視線を逸らそうとしない鬼道に源田は眉を顰めた。
つけられたゴーグルのお陰で瞳は見えないが今にも泣いてしまうんじゃないかと思った。
どんなときでもいつだって背筋を伸ばし、凛とした姿で冷静で居た自分たちのキャプテンは、背中を丸めて唇を噛み締め震えている。
こんな鬼道の姿など想像もしたことがなくて、チームのメンバーも戸惑っていた。
「鬼道さん・・・」
どう声を掛ければいいか判らない、と伸ばしかけた腕を引っ込めた佐久間は自分ごとのように悲しそうに眉を下げている。
彼にとって鬼道は同い年ながらも憧れのプレーヤーで、いつだって存在感がある天才ゲームメイカーとして尊敬していた。
だからこそ、今にも倒れてしまうのではないかと思えるくらい青褪める彼をどう扱えばいいのか判らないのだろう。
源田だってそうだ。
同い年でありながら帝国イレブンを率いる鬼道はいつだって頼りがいがあるリーダーで、こんなあからさまに弱さを見せたことはなかっただけに戸惑っている。
知らなかった一面は、自分たちには見せる必要がないからと、我慢して堪えていた部分なのだろうか。
自分たちが頼りないから弱音一つ吐けなかったのかと思うと、不甲斐無さに眩暈がしそうだ。
先ほど影山の口から語られた内容は、とても信じられないものばかりだった。
鬼道の姿とそっくり同じ格好で現れた『円堂守』は、『鬼道守』で、鬼道の姉だったらしい。
そして自分たちと同様に影山に師事し、彼の言葉を借りれば帝国のメンバーの上を行く選手だったと想像が付いた。
実際に攻め込まれた際のシュートの威力、ドリブルのスピード、全体を見て判断する目、さらに帝国一のプレイヤーである鬼道をあっさりと抜き去るコントロールとテクニックは素直に賞賛の一言に尽きる。
幼い頃の鬼道はきっと、自分の上を悠々と行く円堂に憧れていたに違いない。
思えば初めから違和感はあった。
鬼道が変わり始めたのは雷門との試合後で、影山の指示に疑問を唱えだしたのもその頃からだ。
それまで鬼道は勝つためにと影山の教える何もかもを疑問も持たずに受け入れているように見えた。
自分たちだってそうだ。
勝つためにサッカーをしていた自分たちの価値観は、たった一球止められたシュートで根底から揺らいだ。
弱者と信じて疑わなかった廃部寸前の雷門サッカー部の部員に渾身のシュートを止められ、そして円堂が投げたボールを受け取った豪炎寺が必殺のシュートでゴールを割った。
圧倒的な点差があっても負けるなどと微塵も滲ませずに笑う彼らは底知れない何かを感じさせ、そうして自分たちのありように疑問を持つようになった。
今日の試合の前だって鬼道は言っていた。
『俺は──自分のサッカーがしたい』と。
影山に操られるままじゃなく、雷門のように自由なサッカーがしたいと、そういう意味だったのだと今なら判る。
予め勝つように細工された勝負ではなく、正々堂々と正面からぶつかって全力で試合したいと、そう望んだ。
今まで一度だって疑問に感じなかった影山の教えを疑ってでも自分たちのサッカーがしたかったのは、きっと無意識に円堂に惹かれていたからだろう。
そしてそれは鬼道だけではなく、源田や佐久間とて同じだ。
キャプテンである鬼道の言葉にすぐに賛同こそ出来なかったが、今ならはっきりと頷ける。
『自分たちのサッカーがしたい』と。
鬼道は本能で判っていたんじゃないのかと思う。『円堂守』が『鬼道守』だということに。
だからあれほどまでに円堂に拘り幾度も試合を見に行き、そしてスパイまで送り込んで雷門を探らせた。
惹かれる理由を知りたくて、きっと気がつかない内に彼が尊敬したのであろう『姉』と重なった背中を追い続けていた。
自分と同じ格好でピッチに現れた彼女に試合前の会話を忘れるほど激昂したのも、彼らしくない冷静さを欠いたプレイも、全部想いの裏返しだ。
実際降り注ぐ鉄骨に顔を青褪めた鬼道は、震える声で叫んでいたではないか。
『円堂』ではなく、『姉さん』と。
咄嗟に出る言葉は意識してないだけに深層心理を表している。
庇われたと知った瞬間、彼がどんな顔をしていたか知らない。
だが不安に揺れる声は何よりも正確に彼の心境を伝えてきた。
「俺は・・・この試合を、棄権する」
「鬼道」
「影山を疑い、探っていたのは俺なのに、冷静さを欠きお前たちを、そして正々堂々と向かってきた雷門サッカー部を危険に晒した。何も、見てなかった。何も、見えなかった。あの人が姿を表しただけで、全部一瞬で吹っ飛んだ。勝つことだけしか考えられなかった。お前たちのことも、何もかも考えていなかった」
「・・・鬼道」
罪人が背負う罪を懺悔するよう震えながら告げる鬼道は、今にも壊れてしまいそうだった。
源田とて鬼道が決めたなら棄権するのに異論はない。
何しろ一歩間違えば自分たちの監督は彼らの選手生命を潰していた。
目の前で鉄骨が降り注ぐ瞬間を見て惨事を想像し恐怖を感じなかった仲間はいないだろう。
だから、責任を取って試合を放棄するというなら、それも仕方ないと思う。
けど。
「お前は本当にそれでいいのか、鬼道」
「源田・・・?」
「本当に後悔しないのか?続きをするために控え室に戻った円堂を前に、棄権していいのか?」
「俺はっ・・・、俺は二年前あの人が姿を消してからずっと憎み続けていた。帝国で共にサッカーをしようと頼んだのに、何も言わずに居なくなったあの人を怨んだ。子供の頃鬼道家に引き取られた俺を本当の弟のようにして可愛がってくれるあの人を尊敬していた。勉強も運動も、サッカーですら一度も勝てたためしはなく、いつだって笑って俺の上を行く人だった。───強烈に憧れた。『鬼道守』という存在が、俺にとって支えだったんだ」
「・・・鬼道さん」
「あの人が姿を消し、俺は心の拠り所を失った。あの人は絶対に俺を裏切ったりしないと信じていただけに、自分を保つためにも憎むしかなかった。知らなかったんだ。誰よりもサッカーを愛し、サッカーに愛されたあの人が、二度とサッカーをプレイ出来ないと宣告されていたなんて。一月も意識を失って、その間に影山によって渡米させられていたなんて、知らなかったんだ・・・。ただあの人を憎み、彼女を育てた影山に縋り、姉さんを超えて、そして父さんに自分の約束を叶えて貰うことしか考えてなかった。そんな俺が、あの人の前でするサッカーなんて」
ないんだ、と搾り出すように告げた鬼道は悔恨に塗れていた。
涙を零していないのが不思議なくらい声は震えていて、背中を丸める彼はとても小さく見えた。
唇を噛み締めて黙り込む仲間を一人一人見て、源田はゆっくりと腹に溜まっていた息を吐き出す。
このままでは鬼道は駄目になる。
それはきっと誰も望んでいない。彼が憎んでいたと語った、彼自身の姉もそうだろう。
「円堂は、お前を『弟』と呼んだ。お前が円堂を『姉さん』と呼んでも拒絶しなかった。身を挺してお前を庇ったのは、そういうことじゃないのか?」
「・・・どういう意味だ?」
「影山も言っていただろう。『サッカーを出来なくなった自分を知ればお前が傷つくから、怨まれるのを承知で父に頼んだ』って。あいつは全てをわかった上で、お前が自分を憎むのを承知の上で、それでも黙っていたんだろう?それはお前にサッカーを続けて欲しかったからじゃないのか?」
「・・・・・・」
「お前はもし二年前に円堂がサッカーが出来ない体になったと知ったら、それでもサッカーを続けられたか?」
「俺は」
「違うだろう?お前はきっと、サッカーを出来なくなっていたはずだ。続けていたとしても、今ほどの実力は得ていなかったんじゃないか?だから、円堂は何も言わなかった」
「お前に姉さんの何が判る!?」
「何も判らん。俺が円堂と顔を合わせたのは今日が二回目だ。けどな、それでも一つ判ることがある。あいつは、サッカーが好きだ。そして恐らくお前のことも大切に思っている。だってそうだろう?あいつは自分をなんと言われても余裕を崩さなかったのに、影山がお前を傷つけようと牙を剥いた瞬間、空恐ろしくなるほどの怒りを宿した。お前の激昂など生ぬるく感じるくらい、あいつの怒りは深く鋭かった。それに、あいつは言ってただろう?『姉』が『弟』を護るのに、理由なんて要らないって」
「・・・・・・」
「お前が棄権すると言うなら、俺たちはお前の判断に従おう。だがきっと円堂は、そして雷門イレブンもそんなことは望まない。鉄骨が降ってきても俺たちを何一つ責めなかったあいつらに応えるには、全力で俺たちのサッカーをプレイするべきじゃないのか?お前が居たから強くなれたと言った円堂に、それが本気で応える術じゃないのか?お前が憧れた円堂は、こういう場面でサッカーを放棄することで満足する、そんな『姉』だったのか?」
ぎりと奥歯を噛み締めて俯いた鬼道は、白くなるまで握り締めていた拳をゆっくりと解いた。
気を落ち着けるように深呼吸を繰り返し昂ぶりすぎた感情の所為で震えていた体を治めた。
自分の体に巻かれたマントをきゅっと掴み、吐息混じりに違う、と囁く。
「俺が憧れたあの人は、サッカーを愛するあの人は、絶対にそんなことを望んだりしない。影山に教えを受けていたあのときだって、ずっと今と何一つ変わらなかった。俺たちと同じように勝つためだけのサッカーを叩き込まれたはずなのに、全部知らない顔でボールを持って、『サッカーしようぜ!』と、『サッカーは楽しいもんだ』と笑ってる人だった」
眉間の皺を失くして笑う鬼道は、初めて自分たちの上ではなく横に並んでいると感じた。
仲間だと信じていたのは今までも一緒だ。
けれど───漸く、『自分たちのサッカー』が始まると、そんな予感がした。
「弱気なことを言ってすまない。俺は帝国サッカー部のキャプテンなのにな」
「鬼道さん・・・確かにあなたは俺たちのキャプテンです。ですが同時に仲間です」
「そうです、鬼道さん。俺たちで雷門に目にもの見せてやりましょう!俺たち四十年間無敗の帝国サッカー部です!」
「俺たちは勝ちます。影山が居なくたって俺たちにはあなたが居る」
「俺たちのサッカーを見せてやろう。そして最強が誰か、証明してやるんだ」
円陣を組み掌を差し出せば、全員が同じように重ねた。
一番上に鬼道が手を置き、一人一人の顔を眺める。
その顔に迷いはなく、長い霧の中を彷徨う旅人が出口を見つけたように清々しい笑顔を浮かべていた。
「俺は勝ちたい。あの頃はずっと背中を追い続けていた。けど今の俺は昔と違う。勝って、あの人に見てもらいたい。俺がどれだけ成長したか、あの人に近づいたのか。そしてあの人を追い越せるのかを知りたい。雷門に勝利しフットボールフロンティアで優勝した暁には───父さんに約束を守ってもらい、今度こそ兄弟全員で一緒に」
言葉の途中で途切れた願いは、一般家庭ならありふれてささやかで、けれどきっと鬼道の中では何よりも重い願い。
勝ちたい、とより強く想う。
鬼道のためにも、そして自分のためにも。
鬼道が憧れ影山が執着した『鬼道守』。
そして自分たちの価値観を覆した『円堂守』。
彼女を倒し、自分たちの強さを証明したい。
「俺たちは勝つ!無敗である帝国学園の名にかけて!」
『おうっ!!』
鬨の声を上げれば間を置かずしてグランド整備終了のアナウンスが入った。
控え室のある通路から雷門サッカー部が顔を出す。
鬼道が拘るその人は先ほどまでと違い、髪をツインテールにしてあの日と同じようにオレンジ色のバンダナを頭に巻いていた。
色目に見覚えがあり、さっきまではあのバンダナで髪を結っていたのだと気づく。
鬼道とお揃いの格好で現れた円堂は、マントもゴーグルもなく、ただの『円堂』としてそこに居た。
雷門イレブンの中心に居る彼女は、今までの遣り取り全てを忘れたように仲間と一緒に笑っている。
その笑顔で、源田は自分が間違っていないのを確信した。
彼女は鬼道を怨んでいないし、憎んでもいない。
サッカーが出来なくなったと宣告されたなどと信じられないくらい明るい笑顔で、仲間とのサッカーを楽しんでいる。
そしてきっと、鬼道の言葉通りなら、彼女は絶対に勝ちにくる。
一瞬だけこちらを見た円堂と視線があった気がして、どくりと心臓が跳ねた。
試合再開のホイッスルが待ち遠しくて、全力でプレイする瞬間が楽しみで仕方なかった。
こんな高揚感長らく忘れていたと苦笑し、自分の護るべきエリアへ立つ。
同じポジションを預かる人間として、サッカーを志す一人のプレイヤーとして、円堂には絶対に負けたくなかった。
つけられたゴーグルのお陰で瞳は見えないが今にも泣いてしまうんじゃないかと思った。
どんなときでもいつだって背筋を伸ばし、凛とした姿で冷静で居た自分たちのキャプテンは、背中を丸めて唇を噛み締め震えている。
こんな鬼道の姿など想像もしたことがなくて、チームのメンバーも戸惑っていた。
「鬼道さん・・・」
どう声を掛ければいいか判らない、と伸ばしかけた腕を引っ込めた佐久間は自分ごとのように悲しそうに眉を下げている。
彼にとって鬼道は同い年ながらも憧れのプレーヤーで、いつだって存在感がある天才ゲームメイカーとして尊敬していた。
だからこそ、今にも倒れてしまうのではないかと思えるくらい青褪める彼をどう扱えばいいのか判らないのだろう。
源田だってそうだ。
同い年でありながら帝国イレブンを率いる鬼道はいつだって頼りがいがあるリーダーで、こんなあからさまに弱さを見せたことはなかっただけに戸惑っている。
知らなかった一面は、自分たちには見せる必要がないからと、我慢して堪えていた部分なのだろうか。
自分たちが頼りないから弱音一つ吐けなかったのかと思うと、不甲斐無さに眩暈がしそうだ。
先ほど影山の口から語られた内容は、とても信じられないものばかりだった。
鬼道の姿とそっくり同じ格好で現れた『円堂守』は、『鬼道守』で、鬼道の姉だったらしい。
そして自分たちと同様に影山に師事し、彼の言葉を借りれば帝国のメンバーの上を行く選手だったと想像が付いた。
実際に攻め込まれた際のシュートの威力、ドリブルのスピード、全体を見て判断する目、さらに帝国一のプレイヤーである鬼道をあっさりと抜き去るコントロールとテクニックは素直に賞賛の一言に尽きる。
幼い頃の鬼道はきっと、自分の上を悠々と行く円堂に憧れていたに違いない。
思えば初めから違和感はあった。
鬼道が変わり始めたのは雷門との試合後で、影山の指示に疑問を唱えだしたのもその頃からだ。
それまで鬼道は勝つためにと影山の教える何もかもを疑問も持たずに受け入れているように見えた。
自分たちだってそうだ。
勝つためにサッカーをしていた自分たちの価値観は、たった一球止められたシュートで根底から揺らいだ。
弱者と信じて疑わなかった廃部寸前の雷門サッカー部の部員に渾身のシュートを止められ、そして円堂が投げたボールを受け取った豪炎寺が必殺のシュートでゴールを割った。
圧倒的な点差があっても負けるなどと微塵も滲ませずに笑う彼らは底知れない何かを感じさせ、そうして自分たちのありように疑問を持つようになった。
今日の試合の前だって鬼道は言っていた。
『俺は──自分のサッカーがしたい』と。
影山に操られるままじゃなく、雷門のように自由なサッカーがしたいと、そういう意味だったのだと今なら判る。
予め勝つように細工された勝負ではなく、正々堂々と正面からぶつかって全力で試合したいと、そう望んだ。
今まで一度だって疑問に感じなかった影山の教えを疑ってでも自分たちのサッカーがしたかったのは、きっと無意識に円堂に惹かれていたからだろう。
そしてそれは鬼道だけではなく、源田や佐久間とて同じだ。
キャプテンである鬼道の言葉にすぐに賛同こそ出来なかったが、今ならはっきりと頷ける。
『自分たちのサッカーがしたい』と。
鬼道は本能で判っていたんじゃないのかと思う。『円堂守』が『鬼道守』だということに。
だからあれほどまでに円堂に拘り幾度も試合を見に行き、そしてスパイまで送り込んで雷門を探らせた。
惹かれる理由を知りたくて、きっと気がつかない内に彼が尊敬したのであろう『姉』と重なった背中を追い続けていた。
自分と同じ格好でピッチに現れた彼女に試合前の会話を忘れるほど激昂したのも、彼らしくない冷静さを欠いたプレイも、全部想いの裏返しだ。
実際降り注ぐ鉄骨に顔を青褪めた鬼道は、震える声で叫んでいたではないか。
『円堂』ではなく、『姉さん』と。
咄嗟に出る言葉は意識してないだけに深層心理を表している。
庇われたと知った瞬間、彼がどんな顔をしていたか知らない。
だが不安に揺れる声は何よりも正確に彼の心境を伝えてきた。
「俺は・・・この試合を、棄権する」
「鬼道」
「影山を疑い、探っていたのは俺なのに、冷静さを欠きお前たちを、そして正々堂々と向かってきた雷門サッカー部を危険に晒した。何も、見てなかった。何も、見えなかった。あの人が姿を表しただけで、全部一瞬で吹っ飛んだ。勝つことだけしか考えられなかった。お前たちのことも、何もかも考えていなかった」
「・・・鬼道」
罪人が背負う罪を懺悔するよう震えながら告げる鬼道は、今にも壊れてしまいそうだった。
源田とて鬼道が決めたなら棄権するのに異論はない。
何しろ一歩間違えば自分たちの監督は彼らの選手生命を潰していた。
目の前で鉄骨が降り注ぐ瞬間を見て惨事を想像し恐怖を感じなかった仲間はいないだろう。
だから、責任を取って試合を放棄するというなら、それも仕方ないと思う。
けど。
「お前は本当にそれでいいのか、鬼道」
「源田・・・?」
「本当に後悔しないのか?続きをするために控え室に戻った円堂を前に、棄権していいのか?」
「俺はっ・・・、俺は二年前あの人が姿を消してからずっと憎み続けていた。帝国で共にサッカーをしようと頼んだのに、何も言わずに居なくなったあの人を怨んだ。子供の頃鬼道家に引き取られた俺を本当の弟のようにして可愛がってくれるあの人を尊敬していた。勉強も運動も、サッカーですら一度も勝てたためしはなく、いつだって笑って俺の上を行く人だった。───強烈に憧れた。『鬼道守』という存在が、俺にとって支えだったんだ」
「・・・鬼道さん」
「あの人が姿を消し、俺は心の拠り所を失った。あの人は絶対に俺を裏切ったりしないと信じていただけに、自分を保つためにも憎むしかなかった。知らなかったんだ。誰よりもサッカーを愛し、サッカーに愛されたあの人が、二度とサッカーをプレイ出来ないと宣告されていたなんて。一月も意識を失って、その間に影山によって渡米させられていたなんて、知らなかったんだ・・・。ただあの人を憎み、彼女を育てた影山に縋り、姉さんを超えて、そして父さんに自分の約束を叶えて貰うことしか考えてなかった。そんな俺が、あの人の前でするサッカーなんて」
ないんだ、と搾り出すように告げた鬼道は悔恨に塗れていた。
涙を零していないのが不思議なくらい声は震えていて、背中を丸める彼はとても小さく見えた。
唇を噛み締めて黙り込む仲間を一人一人見て、源田はゆっくりと腹に溜まっていた息を吐き出す。
このままでは鬼道は駄目になる。
それはきっと誰も望んでいない。彼が憎んでいたと語った、彼自身の姉もそうだろう。
「円堂は、お前を『弟』と呼んだ。お前が円堂を『姉さん』と呼んでも拒絶しなかった。身を挺してお前を庇ったのは、そういうことじゃないのか?」
「・・・どういう意味だ?」
「影山も言っていただろう。『サッカーを出来なくなった自分を知ればお前が傷つくから、怨まれるのを承知で父に頼んだ』って。あいつは全てをわかった上で、お前が自分を憎むのを承知の上で、それでも黙っていたんだろう?それはお前にサッカーを続けて欲しかったからじゃないのか?」
「・・・・・・」
「お前はもし二年前に円堂がサッカーが出来ない体になったと知ったら、それでもサッカーを続けられたか?」
「俺は」
「違うだろう?お前はきっと、サッカーを出来なくなっていたはずだ。続けていたとしても、今ほどの実力は得ていなかったんじゃないか?だから、円堂は何も言わなかった」
「お前に姉さんの何が判る!?」
「何も判らん。俺が円堂と顔を合わせたのは今日が二回目だ。けどな、それでも一つ判ることがある。あいつは、サッカーが好きだ。そして恐らくお前のことも大切に思っている。だってそうだろう?あいつは自分をなんと言われても余裕を崩さなかったのに、影山がお前を傷つけようと牙を剥いた瞬間、空恐ろしくなるほどの怒りを宿した。お前の激昂など生ぬるく感じるくらい、あいつの怒りは深く鋭かった。それに、あいつは言ってただろう?『姉』が『弟』を護るのに、理由なんて要らないって」
「・・・・・・」
「お前が棄権すると言うなら、俺たちはお前の判断に従おう。だがきっと円堂は、そして雷門イレブンもそんなことは望まない。鉄骨が降ってきても俺たちを何一つ責めなかったあいつらに応えるには、全力で俺たちのサッカーをプレイするべきじゃないのか?お前が居たから強くなれたと言った円堂に、それが本気で応える術じゃないのか?お前が憧れた円堂は、こういう場面でサッカーを放棄することで満足する、そんな『姉』だったのか?」
ぎりと奥歯を噛み締めて俯いた鬼道は、白くなるまで握り締めていた拳をゆっくりと解いた。
気を落ち着けるように深呼吸を繰り返し昂ぶりすぎた感情の所為で震えていた体を治めた。
自分の体に巻かれたマントをきゅっと掴み、吐息混じりに違う、と囁く。
「俺が憧れたあの人は、サッカーを愛するあの人は、絶対にそんなことを望んだりしない。影山に教えを受けていたあのときだって、ずっと今と何一つ変わらなかった。俺たちと同じように勝つためだけのサッカーを叩き込まれたはずなのに、全部知らない顔でボールを持って、『サッカーしようぜ!』と、『サッカーは楽しいもんだ』と笑ってる人だった」
眉間の皺を失くして笑う鬼道は、初めて自分たちの上ではなく横に並んでいると感じた。
仲間だと信じていたのは今までも一緒だ。
けれど───漸く、『自分たちのサッカー』が始まると、そんな予感がした。
「弱気なことを言ってすまない。俺は帝国サッカー部のキャプテンなのにな」
「鬼道さん・・・確かにあなたは俺たちのキャプテンです。ですが同時に仲間です」
「そうです、鬼道さん。俺たちで雷門に目にもの見せてやりましょう!俺たち四十年間無敗の帝国サッカー部です!」
「俺たちは勝ちます。影山が居なくたって俺たちにはあなたが居る」
「俺たちのサッカーを見せてやろう。そして最強が誰か、証明してやるんだ」
円陣を組み掌を差し出せば、全員が同じように重ねた。
一番上に鬼道が手を置き、一人一人の顔を眺める。
その顔に迷いはなく、長い霧の中を彷徨う旅人が出口を見つけたように清々しい笑顔を浮かべていた。
「俺は勝ちたい。あの頃はずっと背中を追い続けていた。けど今の俺は昔と違う。勝って、あの人に見てもらいたい。俺がどれだけ成長したか、あの人に近づいたのか。そしてあの人を追い越せるのかを知りたい。雷門に勝利しフットボールフロンティアで優勝した暁には───父さんに約束を守ってもらい、今度こそ兄弟全員で一緒に」
言葉の途中で途切れた願いは、一般家庭ならありふれてささやかで、けれどきっと鬼道の中では何よりも重い願い。
勝ちたい、とより強く想う。
鬼道のためにも、そして自分のためにも。
鬼道が憧れ影山が執着した『鬼道守』。
そして自分たちの価値観を覆した『円堂守』。
彼女を倒し、自分たちの強さを証明したい。
「俺たちは勝つ!無敗である帝国学園の名にかけて!」
『おうっ!!』
鬨の声を上げれば間を置かずしてグランド整備終了のアナウンスが入った。
控え室のある通路から雷門サッカー部が顔を出す。
鬼道が拘るその人は先ほどまでと違い、髪をツインテールにしてあの日と同じようにオレンジ色のバンダナを頭に巻いていた。
色目に見覚えがあり、さっきまではあのバンダナで髪を結っていたのだと気づく。
鬼道とお揃いの格好で現れた円堂は、マントもゴーグルもなく、ただの『円堂』としてそこに居た。
雷門イレブンの中心に居る彼女は、今までの遣り取り全てを忘れたように仲間と一緒に笑っている。
その笑顔で、源田は自分が間違っていないのを確信した。
彼女は鬼道を怨んでいないし、憎んでもいない。
サッカーが出来なくなったと宣告されたなどと信じられないくらい明るい笑顔で、仲間とのサッカーを楽しんでいる。
そしてきっと、鬼道の言葉通りなら、彼女は絶対に勝ちにくる。
一瞬だけこちらを見た円堂と視線があった気がして、どくりと心臓が跳ねた。
試合再開のホイッスルが待ち遠しくて、全力でプレイする瞬間が楽しみで仕方なかった。
こんな高揚感長らく忘れていたと苦笑し、自分の護るべきエリアへ立つ。
同じポジションを預かる人間として、サッカーを志す一人のプレイヤーとして、円堂には絶対に負けたくなかった。
イナズマジャパンの宿舎から少し離れた場所。
日差しが当たり少し空けているそこは、練習所も宿舎の様子も良く見えるが向こうからは死角になっている穴場だった。
以前から幾度か利用していたそこに、今日は先客がいる。
強すぎる日差しを遮るように立っている木に背中を凭せ掛け、そいつは何かを一心不乱にしていた。
少しばかり業腹だが見つかると面倒だと踵を返そうとし、不意に名前を呼ばれる。
ちらりと顔だけで振り返れば相変わらずこちらを見もしないで手を動かすあいつがいて、お前は後頭部に目でもついてるのかと嫌味交じりに考えた。
無視してやろうかと思ったが、そうするとより絡まれる気がして仕方なしに近づく。
「よしよし、ほらここに座れよ。今日は木漏れ日が気持ちい絶好の昼寝日和だぞー」
「ってそういうお前は全く寝てねえだろうが。しかも何で隣に座らなきゃなんねえんだ」
「何でって、休憩しに来たんだろ?お前この場所お気に入りだからな」
「・・・・・・」
何でそんなこと知ってる、とか、いつから気づいていたとか色々と思うところがあるが、どうせ質問しても流されるのだろう。
のりは軽いのに本質を掴ませず飄々としているのが『円堂守』という女だ。
一見すると真っ直ぐに見えるのに、彼女の内部は複雑に曲がっている。
何もかも内包して放出しないだけで、絶対にどこか狂ってる。
それは不動が闇の中にいたからこそ判る同類を嗅ぎ取る嗅覚が感知していて、この手の勘が外れたことがないので余計に警戒心が強まった。
どうしてチームメイトたちは疑問もなくこんな女を一心に慕えるのか、不動には全く判らない。
お前らにはちゃんと目がついてるのか聞きたくなる衝動に駆られる自分を責めれる相手はいないはずだ。
何しろ円堂はどう考えても不動より性質が悪い。
追い詰めようとしてものらりくらりとかわされ、挑発しようにもあっさりと往なされる。
兄弟だという鬼道の方は少し煽ってやれば簡単に嫌悪感も露に突っかかるのに、『お前を信用してる』の一言で全部終らせる目の前の女が嫌いだった。
一向に動かぬ不動に漸く手を止めて顔を上げた円堂は、日差しの所為で少し眩しそうに瞳を眇めながらこちらを見る。
柔らかそうな唇が緩やかに孤を描くのを見て、もう慣れてしまった嫌な予感にじとりと眉を顰めた。
「どうした、不動?座らないのか?年上のお姉さんと二人きりの状況は、シャイな不動君には恥ずかしい展開か?いやぁ、判るぜその気持ち。お前思春期のど真ん中だもんなー」
「うるせぇ!色気の欠片もないような女と一緒で何で恥ずかしがるんだよ!?お前だって一つしか年は違わねぇだろ!年上面すんな!」
「ふーん。いいよ、不動君そんなに誤魔化さなくても。スケベな展開でも期待したんだろ?ムッツリだもんな、青少年」
「違う!座ればいいんだろ、座れば!だからお前は黙れ!!」
どかり、と示された場所に腰を下ろせば、三日月形に瞳を細めた円堂はよしよしと頷く。
してやられた、と気づくが今更立ち上がっても絶対に絡まれる。
悪態を吐きながら視線を逸らせばクスクスと声を堪えるでもなく笑う彼女をぎろりと睨む。
だがやはり暖簾に腕押し、糠に釘。怒りを宿した視線はさらりと流された。
そして不動から意識を手元に戻すと、また一心不乱に手を動かす。
よくよく見てみれば足の間に木で出来た箱状のものがあり、そこから突き出る釘に何本か纏めた糸を巻いている。
黒、白、グレー、赤。四種類の色合いの糸を操る手つきは危うげなく、とても慣れていて素早い。
「ミサンガか?」
「そう。マイ・リトルキャット用」
「・・・お前幾つだよ」
堂々と胸を張って死語を口にした円堂に、不動はうんざりと息を吐く。
全く恥ずかしげもなく口にする姿はある意味感心する。
絶対に見習おうとか思わないが、よくもまあそんなに恥ずかしい言葉をあっさりと口に出来るのもだ。
これも育った環境の違いだろうか。
日本でずっと暮らしてきた自分と違い、円堂はインターナショナルだ。
留学経験もあるし、好意を口にするのも躊躇わない。
ハグやキスを普通に挨拶と捉える感覚を持つからこうなのだろうか。
一瞬考え、違うなとすぐさま否定する。
留学経験なんてなくても、彼女は初めからこうな気がする。
好きなものに好きと言って堂々と向かう姿は、きっと留学なんてしてなくとも元々持っている資質なのだろう。
手の中で編み込まれる模様を何となく見ながら、変な奴と呟くとお前に言われたくないと間髪いれず返された。
どう考えても自分は彼女より真っ当な価値観を持っていると思うので、否定は酷く腹立たしい。
どうせ編み込まれるミサンガは自分が気に入らない彼女の弟宛だろうから邪魔をしてやろうかと考えるが、そんなことに労力を使うのも馬鹿馬鹿しくごろりと横になった。
「昼寝するのか?」
「関係ねえだろ」
「そうだな」
それきり会話は途切れ、瞼の裏に木陰越しでも感じる光を受けながらゆったりと意識を沈めていった。
頬を擽る南の島の風は心地よく、いい気分で昼寝が出来そうだった。
意識が浮上したのは唐突だ。
柔らかに髪に触れる手に促されるよう、感覚が覚醒する。
ゆっくりと瞼を持ち上げれば、すぐ目の前に円堂の顔があった。
一体何がどうなってそうなるのか状況が掴めず瞬きを繰り返すと、やっぱり彼女は小さく微笑む。
暖かな色を湛える瞳にきゅっと眉根を寄せれば、むずがる子供をあやすようにもう一度頭を撫でられた。
「ほれ、起きろ。午後練の時間だぞー」
「・・・もう、そんな時間か?」
「ああ。皆集合し始めてるからお前も行った方がいいぞ。遅刻は有人が怒る」
可愛くて仕方ないと、名前を呼ぶだけでも愛しいと、嬉しそうに弟の名を呼んだ円堂に、すっと目が細まる。
時として彼女の感情は行き過ぎている気がする。
円堂と鬼道。苗字が違い、血の繋がりがない兄弟の絆は、不動からするととても不思議なものだ。
何の繋がりがあるか知れないのに、そこらの兄弟よりもうんと仲がいい。
同年代の少年に比べれば随分と落ち着き頭の回転が速い鬼道を、まるでほんの小さな子供のように可愛がる円堂は、彼が彼女に抱く感情の意味を正確に理解しているのだろうか。
熱に浮かされたような目で彼女を見る鬼道は、確実に兄弟の枠を超えて円堂を想っている。
それはちょっと勘が鋭いものなら誰でも知れるほどあからさまで、なのにそんな熱視線を向けられる張本人は全く何も変わらない。
気づいているのかいないのか、それすら知らせぬ自然体で立っている。
「不動?どうした?」
「なんでもねえよ」
彼女の相手をしていると時折無性にイラついて仕方ない。
それは優しく聞こえる声だったり、拒絶を考えずに伸ばされた掌だったり、何もかも知ってるような顔で笑う姿だったり、───まるで、自分の全てで不動を甘やかそうとしてるような、そんな感覚が嫌で仕方ない。
求めてないのに与えようとする円堂を壊したらどれだけスッキリするのだろうかと幾度も考えた。
慈しむように瞳を細めて笑う姿を滅茶苦茶にしてやれたらどれだけ胸が空くだろう。
傷つけて泣かせて、もう二度と笑顔なんて浮かべれないくらいボロボロにしてやりたいのに、どうして拒絶しないのか。
考えてしまえば自分が自分で居られない気がして、不動は考えるのを止めた。
地面に手を付き上半身を起こすと、確かに練習場にはちらほらと人影が見えている。
連れ立って歩くのは大体が普段からつるんでいるような奴らばかりだ。
一年坊主たちと綱海、鬼道と佐久間、豪炎寺と虎丸と基山などが仲良さげに歩いてる中、一人だけ異色を放つ存在を見つけた。
特徴的な髪形をし、ズボンに手を入れてゆったりと一人で歩いている飛鷹は視線に気づいたようにこちらを向く。
不意に顔を上げた彼は、一瞬真っ直ぐに不動を見たような気がした。
あちらからは死角になっているはずなのに、気の所為か、と首を傾げると円堂に肩を叩かれる。
「早く行け不動。皆待ってるぞ」
「待ってねえ。まだ時間に余裕があるからな」
「余裕がある内に動くのが大人ってもんだぞ。五分前行動を遵守しろってな」
「うるせえ。お前は俺の母親か」
「えー?不動が子供?若い身空ででかい子供が出来たな。よっし、俺の胸に飛び込んで来い!」
「お前の母親のイメージはそんなんか。飛びこまねぇよ、腕広げんな馬鹿」
つんと顎を逸らして無視してやったのに、それでも楽しそうに円堂は笑った。
座ったままひらひらと掌を振ると動こうとしない彼女に訝しげに眉根を寄せる。
「俺は今から久遠監督に呼ばれてんの。心配しなくてもちゃんと後で行くから大丈夫だぞ」
「心配なんてしてねえよ」
けっと舌打ちして背中を向ければ、頑張れよと暢気な声が聞こえてきた。
その後いつの間にか腕に巻かれたミサンガを指摘され、非常に決まりの悪い思いをするのだが。
『マイ・リトルキャット(死語)』は絶対に鬼道だと思い込んでいる不動は、未だに右腕のそれに気がついていなかった。
日差しが当たり少し空けているそこは、練習所も宿舎の様子も良く見えるが向こうからは死角になっている穴場だった。
以前から幾度か利用していたそこに、今日は先客がいる。
強すぎる日差しを遮るように立っている木に背中を凭せ掛け、そいつは何かを一心不乱にしていた。
少しばかり業腹だが見つかると面倒だと踵を返そうとし、不意に名前を呼ばれる。
ちらりと顔だけで振り返れば相変わらずこちらを見もしないで手を動かすあいつがいて、お前は後頭部に目でもついてるのかと嫌味交じりに考えた。
無視してやろうかと思ったが、そうするとより絡まれる気がして仕方なしに近づく。
「よしよし、ほらここに座れよ。今日は木漏れ日が気持ちい絶好の昼寝日和だぞー」
「ってそういうお前は全く寝てねえだろうが。しかも何で隣に座らなきゃなんねえんだ」
「何でって、休憩しに来たんだろ?お前この場所お気に入りだからな」
「・・・・・・」
何でそんなこと知ってる、とか、いつから気づいていたとか色々と思うところがあるが、どうせ質問しても流されるのだろう。
のりは軽いのに本質を掴ませず飄々としているのが『円堂守』という女だ。
一見すると真っ直ぐに見えるのに、彼女の内部は複雑に曲がっている。
何もかも内包して放出しないだけで、絶対にどこか狂ってる。
それは不動が闇の中にいたからこそ判る同類を嗅ぎ取る嗅覚が感知していて、この手の勘が外れたことがないので余計に警戒心が強まった。
どうしてチームメイトたちは疑問もなくこんな女を一心に慕えるのか、不動には全く判らない。
お前らにはちゃんと目がついてるのか聞きたくなる衝動に駆られる自分を責めれる相手はいないはずだ。
何しろ円堂はどう考えても不動より性質が悪い。
追い詰めようとしてものらりくらりとかわされ、挑発しようにもあっさりと往なされる。
兄弟だという鬼道の方は少し煽ってやれば簡単に嫌悪感も露に突っかかるのに、『お前を信用してる』の一言で全部終らせる目の前の女が嫌いだった。
一向に動かぬ不動に漸く手を止めて顔を上げた円堂は、日差しの所為で少し眩しそうに瞳を眇めながらこちらを見る。
柔らかそうな唇が緩やかに孤を描くのを見て、もう慣れてしまった嫌な予感にじとりと眉を顰めた。
「どうした、不動?座らないのか?年上のお姉さんと二人きりの状況は、シャイな不動君には恥ずかしい展開か?いやぁ、判るぜその気持ち。お前思春期のど真ん中だもんなー」
「うるせぇ!色気の欠片もないような女と一緒で何で恥ずかしがるんだよ!?お前だって一つしか年は違わねぇだろ!年上面すんな!」
「ふーん。いいよ、不動君そんなに誤魔化さなくても。スケベな展開でも期待したんだろ?ムッツリだもんな、青少年」
「違う!座ればいいんだろ、座れば!だからお前は黙れ!!」
どかり、と示された場所に腰を下ろせば、三日月形に瞳を細めた円堂はよしよしと頷く。
してやられた、と気づくが今更立ち上がっても絶対に絡まれる。
悪態を吐きながら視線を逸らせばクスクスと声を堪えるでもなく笑う彼女をぎろりと睨む。
だがやはり暖簾に腕押し、糠に釘。怒りを宿した視線はさらりと流された。
そして不動から意識を手元に戻すと、また一心不乱に手を動かす。
よくよく見てみれば足の間に木で出来た箱状のものがあり、そこから突き出る釘に何本か纏めた糸を巻いている。
黒、白、グレー、赤。四種類の色合いの糸を操る手つきは危うげなく、とても慣れていて素早い。
「ミサンガか?」
「そう。マイ・リトルキャット用」
「・・・お前幾つだよ」
堂々と胸を張って死語を口にした円堂に、不動はうんざりと息を吐く。
全く恥ずかしげもなく口にする姿はある意味感心する。
絶対に見習おうとか思わないが、よくもまあそんなに恥ずかしい言葉をあっさりと口に出来るのもだ。
これも育った環境の違いだろうか。
日本でずっと暮らしてきた自分と違い、円堂はインターナショナルだ。
留学経験もあるし、好意を口にするのも躊躇わない。
ハグやキスを普通に挨拶と捉える感覚を持つからこうなのだろうか。
一瞬考え、違うなとすぐさま否定する。
留学経験なんてなくても、彼女は初めからこうな気がする。
好きなものに好きと言って堂々と向かう姿は、きっと留学なんてしてなくとも元々持っている資質なのだろう。
手の中で編み込まれる模様を何となく見ながら、変な奴と呟くとお前に言われたくないと間髪いれず返された。
どう考えても自分は彼女より真っ当な価値観を持っていると思うので、否定は酷く腹立たしい。
どうせ編み込まれるミサンガは自分が気に入らない彼女の弟宛だろうから邪魔をしてやろうかと考えるが、そんなことに労力を使うのも馬鹿馬鹿しくごろりと横になった。
「昼寝するのか?」
「関係ねえだろ」
「そうだな」
それきり会話は途切れ、瞼の裏に木陰越しでも感じる光を受けながらゆったりと意識を沈めていった。
頬を擽る南の島の風は心地よく、いい気分で昼寝が出来そうだった。
意識が浮上したのは唐突だ。
柔らかに髪に触れる手に促されるよう、感覚が覚醒する。
ゆっくりと瞼を持ち上げれば、すぐ目の前に円堂の顔があった。
一体何がどうなってそうなるのか状況が掴めず瞬きを繰り返すと、やっぱり彼女は小さく微笑む。
暖かな色を湛える瞳にきゅっと眉根を寄せれば、むずがる子供をあやすようにもう一度頭を撫でられた。
「ほれ、起きろ。午後練の時間だぞー」
「・・・もう、そんな時間か?」
「ああ。皆集合し始めてるからお前も行った方がいいぞ。遅刻は有人が怒る」
可愛くて仕方ないと、名前を呼ぶだけでも愛しいと、嬉しそうに弟の名を呼んだ円堂に、すっと目が細まる。
時として彼女の感情は行き過ぎている気がする。
円堂と鬼道。苗字が違い、血の繋がりがない兄弟の絆は、不動からするととても不思議なものだ。
何の繋がりがあるか知れないのに、そこらの兄弟よりもうんと仲がいい。
同年代の少年に比べれば随分と落ち着き頭の回転が速い鬼道を、まるでほんの小さな子供のように可愛がる円堂は、彼が彼女に抱く感情の意味を正確に理解しているのだろうか。
熱に浮かされたような目で彼女を見る鬼道は、確実に兄弟の枠を超えて円堂を想っている。
それはちょっと勘が鋭いものなら誰でも知れるほどあからさまで、なのにそんな熱視線を向けられる張本人は全く何も変わらない。
気づいているのかいないのか、それすら知らせぬ自然体で立っている。
「不動?どうした?」
「なんでもねえよ」
彼女の相手をしていると時折無性にイラついて仕方ない。
それは優しく聞こえる声だったり、拒絶を考えずに伸ばされた掌だったり、何もかも知ってるような顔で笑う姿だったり、───まるで、自分の全てで不動を甘やかそうとしてるような、そんな感覚が嫌で仕方ない。
求めてないのに与えようとする円堂を壊したらどれだけスッキリするのだろうかと幾度も考えた。
慈しむように瞳を細めて笑う姿を滅茶苦茶にしてやれたらどれだけ胸が空くだろう。
傷つけて泣かせて、もう二度と笑顔なんて浮かべれないくらいボロボロにしてやりたいのに、どうして拒絶しないのか。
考えてしまえば自分が自分で居られない気がして、不動は考えるのを止めた。
地面に手を付き上半身を起こすと、確かに練習場にはちらほらと人影が見えている。
連れ立って歩くのは大体が普段からつるんでいるような奴らばかりだ。
一年坊主たちと綱海、鬼道と佐久間、豪炎寺と虎丸と基山などが仲良さげに歩いてる中、一人だけ異色を放つ存在を見つけた。
特徴的な髪形をし、ズボンに手を入れてゆったりと一人で歩いている飛鷹は視線に気づいたようにこちらを向く。
不意に顔を上げた彼は、一瞬真っ直ぐに不動を見たような気がした。
あちらからは死角になっているはずなのに、気の所為か、と首を傾げると円堂に肩を叩かれる。
「早く行け不動。皆待ってるぞ」
「待ってねえ。まだ時間に余裕があるからな」
「余裕がある内に動くのが大人ってもんだぞ。五分前行動を遵守しろってな」
「うるせえ。お前は俺の母親か」
「えー?不動が子供?若い身空ででかい子供が出来たな。よっし、俺の胸に飛び込んで来い!」
「お前の母親のイメージはそんなんか。飛びこまねぇよ、腕広げんな馬鹿」
つんと顎を逸らして無視してやったのに、それでも楽しそうに円堂は笑った。
座ったままひらひらと掌を振ると動こうとしない彼女に訝しげに眉根を寄せる。
「俺は今から久遠監督に呼ばれてんの。心配しなくてもちゃんと後で行くから大丈夫だぞ」
「心配なんてしてねえよ」
けっと舌打ちして背中を向ければ、頑張れよと暢気な声が聞こえてきた。
その後いつの間にか腕に巻かれたミサンガを指摘され、非常に決まりの悪い思いをするのだが。
『マイ・リトルキャット(死語)』は絶対に鬼道だと思い込んでいる不動は、未だに右腕のそれに気がついていなかった。
額から血を流す円堂が着替えを必要としたため、鉄骨を撤去する作業の間雷門サッカー部の面々は控え室へと戻った。
彼女を女と認識した同輩たちは、学校では部活前に着替えで景気良くすぽすぽ脱いでいたのを今になって恥ずかしがっている。
ドアの前でもんどりうつ仲間を尻目に腕を組んでその様子を眺めていた豪炎寺は、心配そうにドアの傍をうろうろとしていた一之瀬に開かれたそれが直撃した瞬間を目撃した。
結構いい音が廊下に響き、悶絶して蹲った彼に土門が駆け寄る。
「大丈夫か、一之瀬?」
「・・・何とか」
「一之瀬君、ごめんなさい!まさかそんなところに居ると思わなくって」
「いや、気にしないで秋。俺も、こんなとこに居たのが悪いんだから」
「そうそう、木野は気に病む必要ナッシン!一哉の頭は石頭だからな」
「守!?もう、大丈夫なの?」
「当然だろ。ちょっと額切れただけだぞ?あんなん絆創膏張ればちょちょいのちょいだって。切れたのが頭だから出血量が多かっただけだ」
心配そうに駆け寄る一之瀬に、ヘラリと笑った円堂が手を振った。
血で汚れていたユニフォームは綺麗なものに着替えられ、額の傷も再び嵌められたバンダナで窺えない。
結い上げられた髪は自然と流されていて、初対面の時と同じ見た目だ。
黙ったまま眉間に皺を寄せると、隣で立っていた風丸が円堂へ近づき、そっと額に触れた。
「本当に病院に行かなくて大丈夫なのか、まも姉?」
「大丈夫だよ。心配してくれてありがとな、ちろた」
柔らかな笑顔を浮かべた彼女は、心配そうに瞳を細める風丸の頭を緩く撫でた。
普段から幼馴染の気安さを感じていたが、『まも姉』などと呼ぶのは始めて聞いた。
円堂の本来の性別を知る豪炎寺の前ですらなかったのに、どこか幼い呼び方は無事な姿を見て気が緩んだ証拠かもしれない。
聞き慣れない呼び名に戸惑う雷門の面々に気づくと、円堂はにっと笑った。
底なしに明るく太陽みたいな笑顔は先ほど影山と対峙していた時のものとは正反対で、絶対零度の氷のような怒りを宿す姿とは重ならない。
本当に同一人物なのか、と首を傾げたくなるが、全てを掴ませてくれない彼女にはまだ秘密がありそうだった。
「とりあえず、中に入れよ。鉄骨片付けるのに十五分は掛かるって言ってたし、今の内に説明するからさ」
「それは、俺たちが聞いてもいいことなのか?」
「ん?どうしてだ?」
「さっきの影山の言葉。あれが嘘じゃないのなら、簡単に話せる内容なのかって聞いてるんだ」
厳つい顔を更に歪めた染岡は、苦々しい顔で頭を掻きながら問う。
口調はぶっきらぼうだが内容は優しい。
染岡の言葉にうんうんと頷く仲間を見て、円堂は眉を下げて笑う。
「染岡はいい奴だなぁ」
「───馬鹿にしてんのか?」
「素直に受け取ってくれよ。本気で褒めてるんだ」
笑ってドアを広げた円堂に促されるまま室内に足を踏み入れ各々適当な場所に座る。
この場に居ないのは監督の響くらいで、彼はフィールド整備が終り次第教えに来てくれる手はずになっていた。
円陣を組むように座った自分たちの真ん中に立つ円堂は、ぽりぽりと指先で頬を掻く。
「正直、さっき影山が話したので話せる内容は全部なんだよな。俺はその昔鬼道家の養子でサッカーを影山に教えてもらっていた。風丸は知ってるだろうけど、子供の頃は思い切りサッカーをやる環境がなかったから凄く嬉しくてさ。影山が教えてくれる技術は全て吸収して糧にした」
「養子?鬼道の姉だって言ってたのにか?」
「俺も鬼道も血は繋がってないよ。そうじゃなきゃ鬼道の娘と風丸が幼馴染っておかしいだろ」
「まも姉は昔は稲妻町に住んでいたんだ。小さい頃良く一緒に遊んでもらった。まも姉が鬼道の家に行っても定期的に手紙の遣り取りして、たまに会ったりしてたんだ」
「そうそう。ちろたは昔から俺にべったりで甘えん坊だったんだぜ~」
「まも姉!!」
からかうように笑った円堂に、風丸が顔を赤く染め上げる。
その様子に首を傾げた松野が質問、と手を上げた。
「何でまも姉なんだ?僕たち同じ学年なのに」
「あー・・・俺、学年は同じだけど年は上。つまり、ダブってるってことだな」
「ええ!?じゃ、キャプテンは本当は」
「中学三年生、ってことだ。はは、事故ってアメリカでリハビリしてる間に一年が過ぎちゃってさ。気がつけば留年してた。いやぁ、笑っちまうな」
「笑えねぇよ」
からからと笑う円堂に、染岡が突っ込む。
他の面々も聞いてはいけないことを聞いてしまった、とばかりに微妙な表情をしていた。
そんな彼らとは若干異なる反応をしたのはマネージャーの木野と土門。
彼らは間に一之瀬を挟んで複雑な表情でため息を吐いた。
「それで一之瀬君が円堂君を気に掛けていたのね」
「事故でサッカーが出来ないって、一之瀬と状況は同じだもんな」
「確かに、似てるね。───最初の頃の守はそりゃもう愛想が悪かったんだ。一緒にサッカーしようって誘っても嫌だの一点張りで、どんなに頼んでも誘っても強請っても本当につれなかったんだから。『俺はもうサッカーはしない。ここにはもう来るな、一之瀬』って」
「あん時は本当にしつこかったな。何度来るなって言ってもこっちが動けないのをいいことにボール持って顔出すんだ。きついこと言っても無視してもめげないし、最終的には諦めた。こいつの主張は一つ。『俺は君とサッカーしたい!』だもんな」
「懐かしいよな。でも諦めなくて良かった。それにあの時一緒に訓練したからこそ、今こうして『君』の役に立てるんだから。それに日本に素性を隠してきたお陰で名前で呼び合う権利も貰ったし」
「だってしょうがないだろ。お前気を抜くとすぐに『鬼道』呼びするし。日本であったら名前で呼べって言っとくしかないだろ」
「うんうん。まるでステディな関係みたいだよね」
「いや、単なるフレンドだ」
漫才のように軽い遣り取りだが、中身は存外に重い。
つまり似たような経験をつんだ円堂と一之瀬は、アメリカ時代から真の意味で戦友だったのだろう。
呼びかけも『お前』から、『君』へと変わっている。自然な雰囲気から、そちらの方が慣れているのだと察した。
影山の言葉を思い出し、一之瀬が彼女に過保護だった理由を理解して豪炎寺は納得する。
時折二人にしか判らない空気で会話していたのは、きっと鬼道やアメリカ時代について話していたからだ。
顔を見合わせてくすくすと笑う彼らの雰囲気は独特で、容易に他人が踏み込めないような空気がある。
視界の端で風丸が口を尖らせたのが見え、もやもやとする感情に首を傾げつつ円堂も罪作りだと苦笑した。
「まあ、そんで事故した後に二度とサッカー出来ない宣告貰ったけど、根性でリハビリしてサッカーを続けてます!以上って感じだ。日本に戻ってきたのは、鬼道の家の父から送られたDVDで帝国で試合をしているあいつの映像を見たから。驚いた。昔の鬼道は笑顔でサッカーをしていたのに、今のあいつはサッカーを全く楽しんでいない。勝つためだけにサッカーをして、ちっとも面白そうじゃなかった。共にサッカーする仲間がいて、プレイは信頼し合ってるのに楽しくないなんて嘘だ。感情を殺す鬼道を見て、そんで思ったんだ。このままじゃ『有人』は影山の傀儡になっちまうってな」
「影山の傀儡?どういう意味だ」
「子供の頃から影山のサッカーを教えられた俺は、あいつがどんな風に歪んでいるか知っている。サッカーを愛しているが勝ち続けるためになら何でもするのもな。幸いにして鬼道はまだ無事だったが、あいつの教えを忠実に実行するなら『心』は不要。何故って?影山が欲するのは勝利に使うための『駒』だ。替えが利く存在は消耗品としてしか見られない」
「でも円堂は違ったんだろ?私の色に染まらないって言ってたもんな」
「俺は規格外だったんだ。そしてあいつにとって特別だった。何しろ俺の祖父の円堂大介こそ影山が一番憎む存在。俺を最高に仕上げて自分のサッカーで世界を制する。それがあいつの昔の野望だった」
「・・・はぁ、なんとも規模が大きい話だな。世界を取るとは」
呆然と口を開いた半田に、円堂は小さく微笑む。
唇に人差し指を当てた姿はコケティッシュで、髪が長いのも伴い少女にしか見えない。
髪が短ければ中性的な少年にも見えたのに、視覚的な要素は大きいものだと場違いにも感心する。
「あいつは色々な意味で俺に執着してたからな。俺に夢を見ちゃってるの。そんで話を戻すと、鬼道を影山から取り戻さなければヤバイって気がついたものの、今更帝国学園に入学するわけにもいかないし、どうしようって考えてたときに風丸と再会したんだ」
「俺?」
「そう。俺と再会するためにサッカーを続けてきたって言ってくれた風丸と、サッカーしたいなって思った。そんで実際にお前らとサッカーして、こいつらならいけるって思ったんだ。絶対にこいつらなら帝国学園と対等以上に試合できるって、あいつの目を覚まさせる切欠を得れるって」
「・・・円堂」
「染岡は利用されたと思ってないって言ってたけど、ごめんな。俺は結果的にお前らを利用した。一緒にサッカーしたいって思ったのも本当だけど、鬼道の目を覚まさせることが出来るって考えたのも本当だ。だから、ごめん」
真剣な顔で頭を下げた円堂は、普段の陽気な態度は一切なかった。
断罪を待つようその状態でぴくりとも動かず留まる。
円堂は自分に似ている、と強く思った。
試合前にも感じたが、より強く。
自分にとっての夕香が、彼女にとっての鬼道だと笑っていた。
きっとその言葉は、言葉以上の重みがある。
二度とサッカーが出来ないと宣告を受け、それでも努力してリハビリを続けてサッカーを出来る状態になって日本に戻ってきた。
彼女の技術は大したものだ。けれどそれも全盛期を超えれないと影山は言っていた。
同じ選手として、彼女が失ったものの大きさは理解できる。
そしてきっと誰よりも一番理解できたのが、彼女が戦友として選んだ一之瀬だったのだろう。
自分からサッカーを止めた豪炎寺だが、医者にサッカーを出来ないと宣告されたことはない。
それはきっと、自分の意思で諦めるより、遥かに痛いものだろう。
サッカーをしてる円堂の笑顔を知っている。
誰よりも楽しそうに、嬉しそうにボールを扱う彼女を知っている。
サッカーが好きで好きで仕方ない、と全身で訴える姿は眩しく、真っ直ぐに向き合う姿勢は憧れた。
諦めずにサッカーをもう一度プレイ出来たのは彼女のお陰だ。
そしてきっと、同じフィールドに居る彼らもサッカーをする円堂に惹かれているはずだ。
風丸に代わってキャプテンを務める円堂は、もう雷門サッカー部の要だった。
彼女がサッカーに取り組む姿勢に嘘はなく、それが全てだった。
「頭を上げろ、円堂。何回も言わせんな。俺は、俺たちはお前に利用されたなんて思ってねえって。利用してたってお前が言っても、否定できるくらいお前を見てる。サッカーが好きで好きで仕方ない、円堂守をな。そりゃ何も言わなかったのは水臭いと思うが、それ以外じゃ怒っちゃいねぇよ」
「むしろそんな内容を軽々しく最初に言われても戸惑ってたね」
「そうっすね、前の俺たちなら、きっと凄く重荷に思ったと思うっす」
「俺たちはキャプテンと一緒に一つ一つの試合を勝ち抜いて少しずつ自信をつけたでやんす」
「だから今の俺たちなら円堂の言葉を受け止められる」
「───それにさ、さっきの鬼道の様子を見ると、もう大丈夫なんじゃない?」
「俺もそう思う」
「きっと、鬼道さんも判ってくれてますよ!」
「・・・皆」
頭を上げた円堂は一人一人を見詰め、ありがとう、と呟く。
その笑顔は嬉しげなのに、どこか泣きそうに見えた。
始終無言で話を聞いていた豪炎寺は、立ち上がると真っ直ぐに彼女を見詰める。
思えばそんなに長い付き合いでもないのに、もう何年も一緒にいるような親近感があった。
それはきっと週の半分を彼女の家に入り浸り共に笑い、話し、過ごしていたからだろう。
秘密を抱えていても円堂の態度が嘘じゃなかったのを知っている。
そして彼女の家に行くたび、暖かな雰囲気に凝り固まった心が解れた。
今なら判る。
冗談めかした態度でも円堂はいつだって豪炎寺を気遣ってくれた。
苦しくてどうすればいいか判らず呼吸の仕方すら忘れそうになれば、さりげない仕草で手を伸ばして救ってくれた。
馬鹿馬鹿しいほどの騒がしさで、寂しさや苦しさをふっとばし、いつだって傍に居てくれた。
今度は自分が返す番だ。
「最高のサッカーをしよう。お前の『弟』が、本当のサッカーを思い出すように」
「・・・・・・ありがとう」
眩しいものを見るように目を細めて頷いた彼女は、嬉しそうに笑った。
その笑顔はサッカーをしている最中に見るものと同じで、つられるように豪炎寺も微笑んだ。
彼女を女と認識した同輩たちは、学校では部活前に着替えで景気良くすぽすぽ脱いでいたのを今になって恥ずかしがっている。
ドアの前でもんどりうつ仲間を尻目に腕を組んでその様子を眺めていた豪炎寺は、心配そうにドアの傍をうろうろとしていた一之瀬に開かれたそれが直撃した瞬間を目撃した。
結構いい音が廊下に響き、悶絶して蹲った彼に土門が駆け寄る。
「大丈夫か、一之瀬?」
「・・・何とか」
「一之瀬君、ごめんなさい!まさかそんなところに居ると思わなくって」
「いや、気にしないで秋。俺も、こんなとこに居たのが悪いんだから」
「そうそう、木野は気に病む必要ナッシン!一哉の頭は石頭だからな」
「守!?もう、大丈夫なの?」
「当然だろ。ちょっと額切れただけだぞ?あんなん絆創膏張ればちょちょいのちょいだって。切れたのが頭だから出血量が多かっただけだ」
心配そうに駆け寄る一之瀬に、ヘラリと笑った円堂が手を振った。
血で汚れていたユニフォームは綺麗なものに着替えられ、額の傷も再び嵌められたバンダナで窺えない。
結い上げられた髪は自然と流されていて、初対面の時と同じ見た目だ。
黙ったまま眉間に皺を寄せると、隣で立っていた風丸が円堂へ近づき、そっと額に触れた。
「本当に病院に行かなくて大丈夫なのか、まも姉?」
「大丈夫だよ。心配してくれてありがとな、ちろた」
柔らかな笑顔を浮かべた彼女は、心配そうに瞳を細める風丸の頭を緩く撫でた。
普段から幼馴染の気安さを感じていたが、『まも姉』などと呼ぶのは始めて聞いた。
円堂の本来の性別を知る豪炎寺の前ですらなかったのに、どこか幼い呼び方は無事な姿を見て気が緩んだ証拠かもしれない。
聞き慣れない呼び名に戸惑う雷門の面々に気づくと、円堂はにっと笑った。
底なしに明るく太陽みたいな笑顔は先ほど影山と対峙していた時のものとは正反対で、絶対零度の氷のような怒りを宿す姿とは重ならない。
本当に同一人物なのか、と首を傾げたくなるが、全てを掴ませてくれない彼女にはまだ秘密がありそうだった。
「とりあえず、中に入れよ。鉄骨片付けるのに十五分は掛かるって言ってたし、今の内に説明するからさ」
「それは、俺たちが聞いてもいいことなのか?」
「ん?どうしてだ?」
「さっきの影山の言葉。あれが嘘じゃないのなら、簡単に話せる内容なのかって聞いてるんだ」
厳つい顔を更に歪めた染岡は、苦々しい顔で頭を掻きながら問う。
口調はぶっきらぼうだが内容は優しい。
染岡の言葉にうんうんと頷く仲間を見て、円堂は眉を下げて笑う。
「染岡はいい奴だなぁ」
「───馬鹿にしてんのか?」
「素直に受け取ってくれよ。本気で褒めてるんだ」
笑ってドアを広げた円堂に促されるまま室内に足を踏み入れ各々適当な場所に座る。
この場に居ないのは監督の響くらいで、彼はフィールド整備が終り次第教えに来てくれる手はずになっていた。
円陣を組むように座った自分たちの真ん中に立つ円堂は、ぽりぽりと指先で頬を掻く。
「正直、さっき影山が話したので話せる内容は全部なんだよな。俺はその昔鬼道家の養子でサッカーを影山に教えてもらっていた。風丸は知ってるだろうけど、子供の頃は思い切りサッカーをやる環境がなかったから凄く嬉しくてさ。影山が教えてくれる技術は全て吸収して糧にした」
「養子?鬼道の姉だって言ってたのにか?」
「俺も鬼道も血は繋がってないよ。そうじゃなきゃ鬼道の娘と風丸が幼馴染っておかしいだろ」
「まも姉は昔は稲妻町に住んでいたんだ。小さい頃良く一緒に遊んでもらった。まも姉が鬼道の家に行っても定期的に手紙の遣り取りして、たまに会ったりしてたんだ」
「そうそう。ちろたは昔から俺にべったりで甘えん坊だったんだぜ~」
「まも姉!!」
からかうように笑った円堂に、風丸が顔を赤く染め上げる。
その様子に首を傾げた松野が質問、と手を上げた。
「何でまも姉なんだ?僕たち同じ学年なのに」
「あー・・・俺、学年は同じだけど年は上。つまり、ダブってるってことだな」
「ええ!?じゃ、キャプテンは本当は」
「中学三年生、ってことだ。はは、事故ってアメリカでリハビリしてる間に一年が過ぎちゃってさ。気がつけば留年してた。いやぁ、笑っちまうな」
「笑えねぇよ」
からからと笑う円堂に、染岡が突っ込む。
他の面々も聞いてはいけないことを聞いてしまった、とばかりに微妙な表情をしていた。
そんな彼らとは若干異なる反応をしたのはマネージャーの木野と土門。
彼らは間に一之瀬を挟んで複雑な表情でため息を吐いた。
「それで一之瀬君が円堂君を気に掛けていたのね」
「事故でサッカーが出来ないって、一之瀬と状況は同じだもんな」
「確かに、似てるね。───最初の頃の守はそりゃもう愛想が悪かったんだ。一緒にサッカーしようって誘っても嫌だの一点張りで、どんなに頼んでも誘っても強請っても本当につれなかったんだから。『俺はもうサッカーはしない。ここにはもう来るな、一之瀬』って」
「あん時は本当にしつこかったな。何度来るなって言ってもこっちが動けないのをいいことにボール持って顔出すんだ。きついこと言っても無視してもめげないし、最終的には諦めた。こいつの主張は一つ。『俺は君とサッカーしたい!』だもんな」
「懐かしいよな。でも諦めなくて良かった。それにあの時一緒に訓練したからこそ、今こうして『君』の役に立てるんだから。それに日本に素性を隠してきたお陰で名前で呼び合う権利も貰ったし」
「だってしょうがないだろ。お前気を抜くとすぐに『鬼道』呼びするし。日本であったら名前で呼べって言っとくしかないだろ」
「うんうん。まるでステディな関係みたいだよね」
「いや、単なるフレンドだ」
漫才のように軽い遣り取りだが、中身は存外に重い。
つまり似たような経験をつんだ円堂と一之瀬は、アメリカ時代から真の意味で戦友だったのだろう。
呼びかけも『お前』から、『君』へと変わっている。自然な雰囲気から、そちらの方が慣れているのだと察した。
影山の言葉を思い出し、一之瀬が彼女に過保護だった理由を理解して豪炎寺は納得する。
時折二人にしか判らない空気で会話していたのは、きっと鬼道やアメリカ時代について話していたからだ。
顔を見合わせてくすくすと笑う彼らの雰囲気は独特で、容易に他人が踏み込めないような空気がある。
視界の端で風丸が口を尖らせたのが見え、もやもやとする感情に首を傾げつつ円堂も罪作りだと苦笑した。
「まあ、そんで事故した後に二度とサッカー出来ない宣告貰ったけど、根性でリハビリしてサッカーを続けてます!以上って感じだ。日本に戻ってきたのは、鬼道の家の父から送られたDVDで帝国で試合をしているあいつの映像を見たから。驚いた。昔の鬼道は笑顔でサッカーをしていたのに、今のあいつはサッカーを全く楽しんでいない。勝つためだけにサッカーをして、ちっとも面白そうじゃなかった。共にサッカーする仲間がいて、プレイは信頼し合ってるのに楽しくないなんて嘘だ。感情を殺す鬼道を見て、そんで思ったんだ。このままじゃ『有人』は影山の傀儡になっちまうってな」
「影山の傀儡?どういう意味だ」
「子供の頃から影山のサッカーを教えられた俺は、あいつがどんな風に歪んでいるか知っている。サッカーを愛しているが勝ち続けるためになら何でもするのもな。幸いにして鬼道はまだ無事だったが、あいつの教えを忠実に実行するなら『心』は不要。何故って?影山が欲するのは勝利に使うための『駒』だ。替えが利く存在は消耗品としてしか見られない」
「でも円堂は違ったんだろ?私の色に染まらないって言ってたもんな」
「俺は規格外だったんだ。そしてあいつにとって特別だった。何しろ俺の祖父の円堂大介こそ影山が一番憎む存在。俺を最高に仕上げて自分のサッカーで世界を制する。それがあいつの昔の野望だった」
「・・・はぁ、なんとも規模が大きい話だな。世界を取るとは」
呆然と口を開いた半田に、円堂は小さく微笑む。
唇に人差し指を当てた姿はコケティッシュで、髪が長いのも伴い少女にしか見えない。
髪が短ければ中性的な少年にも見えたのに、視覚的な要素は大きいものだと場違いにも感心する。
「あいつは色々な意味で俺に執着してたからな。俺に夢を見ちゃってるの。そんで話を戻すと、鬼道を影山から取り戻さなければヤバイって気がついたものの、今更帝国学園に入学するわけにもいかないし、どうしようって考えてたときに風丸と再会したんだ」
「俺?」
「そう。俺と再会するためにサッカーを続けてきたって言ってくれた風丸と、サッカーしたいなって思った。そんで実際にお前らとサッカーして、こいつらならいけるって思ったんだ。絶対にこいつらなら帝国学園と対等以上に試合できるって、あいつの目を覚まさせる切欠を得れるって」
「・・・円堂」
「染岡は利用されたと思ってないって言ってたけど、ごめんな。俺は結果的にお前らを利用した。一緒にサッカーしたいって思ったのも本当だけど、鬼道の目を覚まさせることが出来るって考えたのも本当だ。だから、ごめん」
真剣な顔で頭を下げた円堂は、普段の陽気な態度は一切なかった。
断罪を待つようその状態でぴくりとも動かず留まる。
円堂は自分に似ている、と強く思った。
試合前にも感じたが、より強く。
自分にとっての夕香が、彼女にとっての鬼道だと笑っていた。
きっとその言葉は、言葉以上の重みがある。
二度とサッカーが出来ないと宣告を受け、それでも努力してリハビリを続けてサッカーを出来る状態になって日本に戻ってきた。
彼女の技術は大したものだ。けれどそれも全盛期を超えれないと影山は言っていた。
同じ選手として、彼女が失ったものの大きさは理解できる。
そしてきっと誰よりも一番理解できたのが、彼女が戦友として選んだ一之瀬だったのだろう。
自分からサッカーを止めた豪炎寺だが、医者にサッカーを出来ないと宣告されたことはない。
それはきっと、自分の意思で諦めるより、遥かに痛いものだろう。
サッカーをしてる円堂の笑顔を知っている。
誰よりも楽しそうに、嬉しそうにボールを扱う彼女を知っている。
サッカーが好きで好きで仕方ない、と全身で訴える姿は眩しく、真っ直ぐに向き合う姿勢は憧れた。
諦めずにサッカーをもう一度プレイ出来たのは彼女のお陰だ。
そしてきっと、同じフィールドに居る彼らもサッカーをする円堂に惹かれているはずだ。
風丸に代わってキャプテンを務める円堂は、もう雷門サッカー部の要だった。
彼女がサッカーに取り組む姿勢に嘘はなく、それが全てだった。
「頭を上げろ、円堂。何回も言わせんな。俺は、俺たちはお前に利用されたなんて思ってねえって。利用してたってお前が言っても、否定できるくらいお前を見てる。サッカーが好きで好きで仕方ない、円堂守をな。そりゃ何も言わなかったのは水臭いと思うが、それ以外じゃ怒っちゃいねぇよ」
「むしろそんな内容を軽々しく最初に言われても戸惑ってたね」
「そうっすね、前の俺たちなら、きっと凄く重荷に思ったと思うっす」
「俺たちはキャプテンと一緒に一つ一つの試合を勝ち抜いて少しずつ自信をつけたでやんす」
「だから今の俺たちなら円堂の言葉を受け止められる」
「───それにさ、さっきの鬼道の様子を見ると、もう大丈夫なんじゃない?」
「俺もそう思う」
「きっと、鬼道さんも判ってくれてますよ!」
「・・・皆」
頭を上げた円堂は一人一人を見詰め、ありがとう、と呟く。
その笑顔は嬉しげなのに、どこか泣きそうに見えた。
始終無言で話を聞いていた豪炎寺は、立ち上がると真っ直ぐに彼女を見詰める。
思えばそんなに長い付き合いでもないのに、もう何年も一緒にいるような親近感があった。
それはきっと週の半分を彼女の家に入り浸り共に笑い、話し、過ごしていたからだろう。
秘密を抱えていても円堂の態度が嘘じゃなかったのを知っている。
そして彼女の家に行くたび、暖かな雰囲気に凝り固まった心が解れた。
今なら判る。
冗談めかした態度でも円堂はいつだって豪炎寺を気遣ってくれた。
苦しくてどうすればいいか判らず呼吸の仕方すら忘れそうになれば、さりげない仕草で手を伸ばして救ってくれた。
馬鹿馬鹿しいほどの騒がしさで、寂しさや苦しさをふっとばし、いつだって傍に居てくれた。
今度は自分が返す番だ。
「最高のサッカーをしよう。お前の『弟』が、本当のサッカーを思い出すように」
「・・・・・・ありがとう」
眩しいものを見るように目を細めて頷いた彼女は、嬉しそうに笑った。
その笑顔はサッカーをしている最中に見るものと同じで、つられるように豪炎寺も微笑んだ。
「上だ、有人!!」
今まさに試合再開のホイッスルを審判が吹き鳴らそうとした瞬間、試合へ集中した意識を逸らすよう叫び声が聞こえた。
驚き咄嗟に上を見上げ、そこで見つけたものに体が凍りつく。
判っていたのに、どうして忘れてしまっていたのか。
ここ最近の影山の動向を見張り、調べ上げ警戒していたのは、こういった事態を予測していたからではないか。
雷門のサッカーに心動かされ、影山のサッカーを、行動を危ぶんでいたのではなかったのか。
センターサークルへ向けて容赦なく降り注ぐ鉄骨にぐっと唇を噛みしめ、全力でダッシュする。
そしてセンターライン付近に居た仲間に二人を体当たりして弾き飛ばし、来るべき衝撃へ体を強張らせた。
「諦めてんじゃねぇよ」
「っ!?」
聞こえた声に瞑っていた目を大きく見開く。
目の前に居た姿に息を呑み、構えるまもなく弾き飛ばされた。
「───!!?姉さん!!」
体を包む黄金色の掌に強引に押し出される感覚のまま地面に転がり、身を起こして正面を向く。
土煙の上がる中落ちてきた鉄骨は雷門側に多く落ちていたらしく、土煙で視界が取れない。
信じられなかった。
「円堂!」
「円堂!?」
「何故、自分からセンターサークルへ行ったんだ!俺たちに危険を促したのは、お前だろう!!」
この騒ぎの中でも怪我人一つでなかったらしい雷門イレブンの叫びが聞こえた。
どうやら『姉』は何らかの理由で影山の行動を予期し、仲間に危険を告げていたのだろう。
センターサークル付近以外には影響がなかったこちらとはちがい、雷門イレブンは全員がタッチライン付近まで非難している。
ならば何故、と尚更疑問が沸く。
どうして鬼道を助けたのか。
彼女は自分を押し出す瞬間、昔よく見た笑顔を浮かべていた。
甘ったれな『弟』に苦笑する、『姉』の表情をしていた。
『有人』を捨てたのに、どうして。
「く・・・くくく・・・はーっはっは!相変わらずだな、守!お前はいつだって弟のためなら何でもした。未だにその甘さは残っていたか!」
「・・・総・・・帥?」
「教えてやろう、鬼道。二年前、お前の姉であった『鬼道守』は交通事故に合い一月の間意識を取り戻さぬ重症に陥った。その間にお前の父である鬼道に最新の治療を受けれるよう渡米を促したのは私だ。意識を取り戻した守に待っていたのは、二度とサッカーは出来ないという宣告。そう、お前は努力などしなくとも、もうとうにお前の『姉』を超えていたのだ!」
「姉さんが・・・サッカーを、出来ない・・・?」
言われた言葉の意味が理解できなかった。
『有人』の姉の『守』は、サッカーをするために生まれてきたような人だ。
サッカーの神様に愛され、溢れんばかりの才能を有し、誰よりも早く、誰よりも凄く、誰よりもサッカーを愛していた。
その『守』が。
「二度と、サッカーが出来ない?」
「そうだ、鬼道!お前の姉『鬼道守』が居なくなってから、一度として探そうとしない父をおかしいと思わなかったのか?お前に何を言われても沈黙を通したその意味を考えようと思ったことは?仮にも鬼道の娘が居なくなり、周りが何もしなかったのに違和感を感じたことはないのか?お前はいつだって自分のことばかりだな、鬼道。守が居なくなった理由をお前に誰も教えなかったのは、守がサッカーを出来ないという事実にお前が傷つくのを防ぐためだ。誰よりも姉に憧れ近づこうと努力したお前を知る『守本人』が、お前に告げるなと、怨まれるのを承知で父に頼んだからだ。───お前は、いつだって守に護られてたんだよ、鬼道」
「っ!!?」
醜悪な笑顔を浮かべる恩師に、息が止まってしまえばいいのにと喉元を両手で押さえる。
今まで信じていた全てを根底から叩き割られたような衝撃を受けた。
嘘だと否定したいのに、理性がそれを拒絶する。
違和感は常に感じていた。
どうして鬼道家の娘が居なくなったのに財界の人間が騒がないのか。
どうしてあれほど娘を誇りに思っていた父は姉のことを口にしなくなったのか。
どうしてサッカーを愛する姉がサッカー界から去ったのか。
どうして必死に探したのに、二年もの間何の情報も得られなかったのか。
気がつけば全部辻褄は合う。
彼女自身が望み、父や周囲の人間が情報を操作し隠した真実。
「今回の『不幸な事故』に巻き込まれるなど、守もなんと運がないのか。ああ、違うな。自ら走りこんだのか。くくっ・・・必死の想いでリハビリしたのだろうに、本当に愚かな」
「───姉さんを」
「何だ?」
「姉さんを、愚弄するな!!」
「ほう?それをお前が言うのか?誰より守を憎んでいたのはお前だろう、鬼道。真実を知らず、周囲の優しさに甘え、守の苦しみも知らずに自分のことだけを考えて生きてきたお前が、今更『姉さん』と守を呼ぶ権利があるとでも?『鬼道守』は死んだ!鬼道有人、お前のために死んだのだ!!」
心底愉快だと高笑いする影山に一言も言い返せない。
自分は何も知らなかった。知ろうともしなかった。
ただ、彼女に捨てられたと思い込み、憎み怨むことで自我を保ってきた。
そうしなければ、彼女が居ないという現実に耐えられなかった。
だがそれは言い訳でしかない。影山が言うとおり、すべては自分の所為だ。
涙すら流せない絶望に、全身の力が抜けた。
「───っ!?」
「人の弟、苛めるの止めてくれよ」
「守!!?」
呻りを上げたボールが影山のすぐ傍のベンチを破壊すると同時に、冴え冴えとした声が響く。
土煙が晴れた場所で腕を組んで仁王立ちした存在は、鋭い眼差しで影山を睨み付けていた。
普段は明るい笑顔の印象が強いのに、珍しくも酷く怒りを滲ませた表情だ。
びりびりと肌を刺すような怒気に身を竦ませると、組んでいた腕を解いた。
オレンジ色のバンダナを無造作に掴むと手首に巻く。
額が切れたのか血が流れ顎へと伝って、瞳に入らないように右目を眇めていた。
「姉さん!?顔に傷が」
「そんなのどうでもいい。それより、言いたい放題言ってるその男を黙らせるのが先だ。───随分と好き勝手に言ってくれたな、影山。お前の言い草を聞くとまるで有人が俺の不幸の源みたいじゃないか」
「実際その通りだろう、守。私のお前はサッカー以外に執着を持たない強い子供だった。それがなんだ?玩具として与えた弟に執着し、お前は変わってしまった。私が作り上げた最高の作品のお前が、サッカーより他のものを優先させるなど」
「黙れ」
「黙らない。お前は昔に戻らねばならない。一途にサッカーだけを求め、サッカーだけを愛し、私の望みの上を行くお前に」
「黙れって言ってんだよ、クソ野郎」
低くドスを利かせた声を出した彼女は、鬼道を睨みつける影山の視線を遮るように二人の中間地点に入る。
もうほとんど身長も変わらないのに、自分を庇う背中は相変わらず大きく見えた。
何故、と思う。
彼女を憎み、恨み、呪い続けた鬼道を、どうして今になっても庇おうとするのか。
あれほど憎悪をぶつけられ、どうしてそれでも無防備に背中を晒すのか。
「『姉』が『弟』を護るのに理由なんて要らない。俺は有人の正義のヒーローなんだよ。ヒーローってのは最高に格好良くて最強に強いんだ。有人が居てくれたから俺は前より強くなれた。諦めようと思ったサッカーも続けれた。今の俺は昔よりも随分と劣る。それは俺だって認めるさ。けどな、諦める気はねぇよ。サッカーも、有人もな」
「───何故だ。何故お前は私に屈さない。私のサッカーに染まらない。私の・・・私の技術を誰よりも完璧に使いこなすのに、何故私を受け入れない!?」
「言ったろ?俺は俺にしか染まらない。俺は俺のサッカーをする。それはあなたの教えを受けた子供の頃から何も変わらない。・・・そろそろ、お迎えが来る時間だぜ、影山」
「迎え?」
「観念するんだな、影山。今の『不幸な事故』について、聞きたいことがある」
「お前は・・・」
「証拠不十分とは言わせないぞ。残念だが証人が居るんでな。それに、これもある」
「ボルトだと?」
「そこの円堂君が落ちていたものを提出してくれたんだ。天井に何か仕掛けられているかもしれないから、調べてくれとな。たっぷりと聞かせてもらうぞ、四十年分の全てをな」
にいっと笑う男に、鬼道も見覚えがあった。
帝国学園の試合のたびに幾度か顔を見せていた彼は、警察手帳を提示する。
手首に鎖をかけられた影山は大した抵抗もせずに微笑んだ。
視線は鬼道ではなく、真っ直ぐに彼女に向いていた。
そして初めて、彼が自分の最高傑作と豪語する彼女に歪んだ愛情を向けていたのだと気づく。
真っ向から影山の視線を受けても怯まずにいた人は、額から流れる血を無造作に拭ったらしい。
キーパーグローブに赤い血が付着して息を呑む。
背後の鬼道の動揺に気づいているのか居ないのか。
ゆったりとした声で、彼女は影山に呼びかけた。
「あなたには感謝している」
「・・・・・・」
「俺にサッカーをする場を与えてくれた。技術、経験、知識、そして共に闘う仲間を与えてくれた。何より───可愛い『弟』を与えてくれた。俺たちの道は二度と交わらない。だから最後に恩師であったあなたに、『最後のライン』をこの場で明かさなかったあなたに感謝を。今まで、ありがとうございました」
きっちりと姿勢を正して深々と頭を下げた彼女に、何か言いたげに影山が口を開く。
二、三度開け閉めして、結局言葉を捜せなかったらしくそのまま踵を返しフィールドから出て行った。
手錠を繋がれ連行されているというのに、凛と背筋を伸ばした彼は、どこか誇らしげにも見えた。
今まさに試合再開のホイッスルを審判が吹き鳴らそうとした瞬間、試合へ集中した意識を逸らすよう叫び声が聞こえた。
驚き咄嗟に上を見上げ、そこで見つけたものに体が凍りつく。
判っていたのに、どうして忘れてしまっていたのか。
ここ最近の影山の動向を見張り、調べ上げ警戒していたのは、こういった事態を予測していたからではないか。
雷門のサッカーに心動かされ、影山のサッカーを、行動を危ぶんでいたのではなかったのか。
センターサークルへ向けて容赦なく降り注ぐ鉄骨にぐっと唇を噛みしめ、全力でダッシュする。
そしてセンターライン付近に居た仲間に二人を体当たりして弾き飛ばし、来るべき衝撃へ体を強張らせた。
「諦めてんじゃねぇよ」
「っ!?」
聞こえた声に瞑っていた目を大きく見開く。
目の前に居た姿に息を呑み、構えるまもなく弾き飛ばされた。
「───!!?姉さん!!」
体を包む黄金色の掌に強引に押し出される感覚のまま地面に転がり、身を起こして正面を向く。
土煙の上がる中落ちてきた鉄骨は雷門側に多く落ちていたらしく、土煙で視界が取れない。
信じられなかった。
「円堂!」
「円堂!?」
「何故、自分からセンターサークルへ行ったんだ!俺たちに危険を促したのは、お前だろう!!」
この騒ぎの中でも怪我人一つでなかったらしい雷門イレブンの叫びが聞こえた。
どうやら『姉』は何らかの理由で影山の行動を予期し、仲間に危険を告げていたのだろう。
センターサークル付近以外には影響がなかったこちらとはちがい、雷門イレブンは全員がタッチライン付近まで非難している。
ならば何故、と尚更疑問が沸く。
どうして鬼道を助けたのか。
彼女は自分を押し出す瞬間、昔よく見た笑顔を浮かべていた。
甘ったれな『弟』に苦笑する、『姉』の表情をしていた。
『有人』を捨てたのに、どうして。
「く・・・くくく・・・はーっはっは!相変わらずだな、守!お前はいつだって弟のためなら何でもした。未だにその甘さは残っていたか!」
「・・・総・・・帥?」
「教えてやろう、鬼道。二年前、お前の姉であった『鬼道守』は交通事故に合い一月の間意識を取り戻さぬ重症に陥った。その間にお前の父である鬼道に最新の治療を受けれるよう渡米を促したのは私だ。意識を取り戻した守に待っていたのは、二度とサッカーは出来ないという宣告。そう、お前は努力などしなくとも、もうとうにお前の『姉』を超えていたのだ!」
「姉さんが・・・サッカーを、出来ない・・・?」
言われた言葉の意味が理解できなかった。
『有人』の姉の『守』は、サッカーをするために生まれてきたような人だ。
サッカーの神様に愛され、溢れんばかりの才能を有し、誰よりも早く、誰よりも凄く、誰よりもサッカーを愛していた。
その『守』が。
「二度と、サッカーが出来ない?」
「そうだ、鬼道!お前の姉『鬼道守』が居なくなってから、一度として探そうとしない父をおかしいと思わなかったのか?お前に何を言われても沈黙を通したその意味を考えようと思ったことは?仮にも鬼道の娘が居なくなり、周りが何もしなかったのに違和感を感じたことはないのか?お前はいつだって自分のことばかりだな、鬼道。守が居なくなった理由をお前に誰も教えなかったのは、守がサッカーを出来ないという事実にお前が傷つくのを防ぐためだ。誰よりも姉に憧れ近づこうと努力したお前を知る『守本人』が、お前に告げるなと、怨まれるのを承知で父に頼んだからだ。───お前は、いつだって守に護られてたんだよ、鬼道」
「っ!!?」
醜悪な笑顔を浮かべる恩師に、息が止まってしまえばいいのにと喉元を両手で押さえる。
今まで信じていた全てを根底から叩き割られたような衝撃を受けた。
嘘だと否定したいのに、理性がそれを拒絶する。
違和感は常に感じていた。
どうして鬼道家の娘が居なくなったのに財界の人間が騒がないのか。
どうしてあれほど娘を誇りに思っていた父は姉のことを口にしなくなったのか。
どうしてサッカーを愛する姉がサッカー界から去ったのか。
どうして必死に探したのに、二年もの間何の情報も得られなかったのか。
気がつけば全部辻褄は合う。
彼女自身が望み、父や周囲の人間が情報を操作し隠した真実。
「今回の『不幸な事故』に巻き込まれるなど、守もなんと運がないのか。ああ、違うな。自ら走りこんだのか。くくっ・・・必死の想いでリハビリしたのだろうに、本当に愚かな」
「───姉さんを」
「何だ?」
「姉さんを、愚弄するな!!」
「ほう?それをお前が言うのか?誰より守を憎んでいたのはお前だろう、鬼道。真実を知らず、周囲の優しさに甘え、守の苦しみも知らずに自分のことだけを考えて生きてきたお前が、今更『姉さん』と守を呼ぶ権利があるとでも?『鬼道守』は死んだ!鬼道有人、お前のために死んだのだ!!」
心底愉快だと高笑いする影山に一言も言い返せない。
自分は何も知らなかった。知ろうともしなかった。
ただ、彼女に捨てられたと思い込み、憎み怨むことで自我を保ってきた。
そうしなければ、彼女が居ないという現実に耐えられなかった。
だがそれは言い訳でしかない。影山が言うとおり、すべては自分の所為だ。
涙すら流せない絶望に、全身の力が抜けた。
「───っ!?」
「人の弟、苛めるの止めてくれよ」
「守!!?」
呻りを上げたボールが影山のすぐ傍のベンチを破壊すると同時に、冴え冴えとした声が響く。
土煙が晴れた場所で腕を組んで仁王立ちした存在は、鋭い眼差しで影山を睨み付けていた。
普段は明るい笑顔の印象が強いのに、珍しくも酷く怒りを滲ませた表情だ。
びりびりと肌を刺すような怒気に身を竦ませると、組んでいた腕を解いた。
オレンジ色のバンダナを無造作に掴むと手首に巻く。
額が切れたのか血が流れ顎へと伝って、瞳に入らないように右目を眇めていた。
「姉さん!?顔に傷が」
「そんなのどうでもいい。それより、言いたい放題言ってるその男を黙らせるのが先だ。───随分と好き勝手に言ってくれたな、影山。お前の言い草を聞くとまるで有人が俺の不幸の源みたいじゃないか」
「実際その通りだろう、守。私のお前はサッカー以外に執着を持たない強い子供だった。それがなんだ?玩具として与えた弟に執着し、お前は変わってしまった。私が作り上げた最高の作品のお前が、サッカーより他のものを優先させるなど」
「黙れ」
「黙らない。お前は昔に戻らねばならない。一途にサッカーだけを求め、サッカーだけを愛し、私の望みの上を行くお前に」
「黙れって言ってんだよ、クソ野郎」
低くドスを利かせた声を出した彼女は、鬼道を睨みつける影山の視線を遮るように二人の中間地点に入る。
もうほとんど身長も変わらないのに、自分を庇う背中は相変わらず大きく見えた。
何故、と思う。
彼女を憎み、恨み、呪い続けた鬼道を、どうして今になっても庇おうとするのか。
あれほど憎悪をぶつけられ、どうしてそれでも無防備に背中を晒すのか。
「『姉』が『弟』を護るのに理由なんて要らない。俺は有人の正義のヒーローなんだよ。ヒーローってのは最高に格好良くて最強に強いんだ。有人が居てくれたから俺は前より強くなれた。諦めようと思ったサッカーも続けれた。今の俺は昔よりも随分と劣る。それは俺だって認めるさ。けどな、諦める気はねぇよ。サッカーも、有人もな」
「───何故だ。何故お前は私に屈さない。私のサッカーに染まらない。私の・・・私の技術を誰よりも完璧に使いこなすのに、何故私を受け入れない!?」
「言ったろ?俺は俺にしか染まらない。俺は俺のサッカーをする。それはあなたの教えを受けた子供の頃から何も変わらない。・・・そろそろ、お迎えが来る時間だぜ、影山」
「迎え?」
「観念するんだな、影山。今の『不幸な事故』について、聞きたいことがある」
「お前は・・・」
「証拠不十分とは言わせないぞ。残念だが証人が居るんでな。それに、これもある」
「ボルトだと?」
「そこの円堂君が落ちていたものを提出してくれたんだ。天井に何か仕掛けられているかもしれないから、調べてくれとな。たっぷりと聞かせてもらうぞ、四十年分の全てをな」
にいっと笑う男に、鬼道も見覚えがあった。
帝国学園の試合のたびに幾度か顔を見せていた彼は、警察手帳を提示する。
手首に鎖をかけられた影山は大した抵抗もせずに微笑んだ。
視線は鬼道ではなく、真っ直ぐに彼女に向いていた。
そして初めて、彼が自分の最高傑作と豪語する彼女に歪んだ愛情を向けていたのだと気づく。
真っ向から影山の視線を受けても怯まずにいた人は、額から流れる血を無造作に拭ったらしい。
キーパーグローブに赤い血が付着して息を呑む。
背後の鬼道の動揺に気づいているのか居ないのか。
ゆったりとした声で、彼女は影山に呼びかけた。
「あなたには感謝している」
「・・・・・・」
「俺にサッカーをする場を与えてくれた。技術、経験、知識、そして共に闘う仲間を与えてくれた。何より───可愛い『弟』を与えてくれた。俺たちの道は二度と交わらない。だから最後に恩師であったあなたに、『最後のライン』をこの場で明かさなかったあなたに感謝を。今まで、ありがとうございました」
きっちりと姿勢を正して深々と頭を下げた彼女に、何か言いたげに影山が口を開く。
二、三度開け閉めして、結局言葉を捜せなかったらしくそのまま踵を返しフィールドから出て行った。
手錠を繋がれ連行されているというのに、凛と背筋を伸ばした彼は、どこか誇らしげにも見えた。
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