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「今日、雷門中と試合をしました」


淡々と報告する息子に目をやり、鬼道はゆっくりと瞼を閉じた。
いつかこんな日が来ると思っていた。


「父さんは姉さんの全てをご存知だったんですね?」
「・・・ああ。お前は何処までを聞いた?」
「二年前事故に合い、治療のためにアメリカに渡ったと。その際、事故の影響で二度とサッカーは出来ないと宣告されたと」


そうか、と呟き手を組んで瞼を閉じる。
最愛の娘である守が交通事故で入院したのは二年前。
そして彼女が昏睡状態なのを有人に伝えない方がいいと助言をくれたのは守の恩師である影山で、それに従ったのは有人がどれだけ守に依存していたか知っているからだ。

勉学においても運動においても、何においても守は優れた娘だった。
一回目にしたことは何でも覚え、鬼道家の娘として恥ずかしくない気品と教養を持ち、いつだって冷静で賢い子供だった。
何においても一通りこなした守は、中でも飛びぬけたサッカーの才能を持っていた。

九歳で日本とイタリアを行き来し、最年少でジュニアユースのメンバーに選ばれるなど、性別の壁も特例で乗り越えられたほどの天才プレイヤーだった。
ミッドフィルダーとしてイタリアで活躍する様子を、有人と一緒に応援に行った回数も数知れない。
フィールドを駆ける守を見るたびに、有人は守への尊敬を深め、誰よりも何よりも慕うようになっていた。
仲の良い兄弟は見ていて微笑ましく、息子も娘も愛しくて仕方ない。
思えばあの頃ほど幸せだった日々はなかった。

異変があったのは守が十二歳の時だった。
体調管理の一環として行われた検査で、守の胸部X線検査の結果に異変が見つかったのだ。


医者はすぐさま精密検査を勧め判った病状に目の前が暗くなった。
後天性の、詳しい要因も未だに解析されていない難病指定されている病気で、十年生存率も考えたくない数値のそれは、今のところ有効な治療法は心臓移植くらいだと言われている。
守の病状は天が味方したのか早期発見だったが、それでも絶望は容赦なく襲った。
すなわち、サッカーを二度としてはいけないという宣告だ。

天才でありながら努力を惜しまなかった守の体にはすでに微細ながら症状が現れており、このまま続ければただではすまないと申告された。
父としてサッカーはしないで欲しいと願った鬼道に、守は黙って俯いた。
それまで何を頼んでもすぐに『是』と頷いた守の遠まわしの拒否に、それでも鬼道は譲れなかった。
愛しい娘に、生きていて欲しかったのだ。
手術をすれば胸に傷が残る。一生痕が残るだろうが、勿論最高の医者を用意して最高のオペを受けさせてやるつもりだった。
日に日に口数が少なくなる守が唯一笑顔を見せるのは有人と一緒に居るときだけで、それ以外は部屋に篭るようになった。

どうしてか有人は守の帰国は帝国のサッカー部に入部するためと思い込んでいて、夕食で嬉しそうに守に話を振るたびに幾度叫びそうになっただろうか。
止めろと怒鳴りつける衝動を抑え切れたのは、『守本人』が有人に何も言わないでくれと願ったからだ。
せめて自分の口から伝えたいとそう言ったから、刻一刻と過ぎていく日々を確認しつつ鬼道も口を噤んだ。

そして更なる不幸は襲ってきた。

通いなれた病院での検診の帰り道、守は交通事故にあった。
病院の表で待機していた鬼道家の迎えの車を無視して何故か裏門から出て行った守は、交通違反をしていた車に撥ねられた。
衝撃により体中が傷だらけになり、心臓への負荷も凄まじいものだった。
今でも瞼を閉じるだけで思い出せる恐怖は、守を撥ねた車の運転手を刑務所に入れても薄まらない。
日本の病院で集中治療をさせて落ち着いたところで、更なる高度な治療をと影山に助言されアメリカの心臓移植も行う病院へと転院させた。

守の意識は一月も戻らず、アメリカで意識を取り戻したと聞いたときは、取るものも取らずに渡米したほどだ。
日本の病院で一週間付ききりで眺めた寝顔ではなく、横になったままでも瞳を開けた少女の姿に、身も世もなく泣きじゃくった。

尊い命が失われずに済んだことに神様に感謝した。
例え彼女が死にたかったのだとしても、感謝せずに居られなかった。
鬼道にとって、守は愛してやまない一人娘なのだから。

仕事の合間を縫い、一週間に一度は病院に顔を出した。
オーバーワークだと部下に諌められても全てを振り切り、少女の傍についていた。
守はほとんど眠って過ごしていたが、寝顔を見るだけで構わなかった。
上下する胸に何度安心しただろう。繰り返し喜びを噛み締めて───空いている時間に彼女が何を考えているかなど、想像もしていなかった。


『私を、鬼道家の養子から外してください』
『───守?』
『私は鬼道家の娘として役目を果たせません。父さんも聞いたでしょう?十年後、私が生きている確率は極めて低い。それに病院の近くで事故にあったからすぐにオペを受けれたし、先生が最良の治療をしてくれたけれど、この背中の傷は消えません』
『何を言ってるんだ、守。そんなもの気にしなくていい。私は傷跡などで娘を捨てたりしないし、お前は十年後も生きている』
『・・・・・・』


真っ直ぐにこちらを見る瞳に、鬼道は戦慄した。
あれほど光り輝いていた栗色の瞳は、暗く濁り何も映していない。
出来の悪いガラス玉のように、ただものを反射しているだけだ。
守はいつだって笑っている子供だった。
聡明で大人顔負けに肝が据わってどんな場面でも諦めずに物事に立ち向かう、誰にでも自慢できる素晴らしい娘だ。
美人ではないが愛嬌があって可愛らしい、そんな子なのに。

感情の一切を抜け落としたようにピクリとも表情を動かさない少女は、一体誰だろうか。
その瞳に希望はなく、深い絶望だけが横たわる。
どうしてこうなってしまったのかが判らずに動揺する鬼道の前で、守はゆっくりと瞼を閉ざす。
再び規則的に聞こえた寝息に、頭は混乱した。

始めは一時の気の迷いだと思い込んでいた発言は、幾度も繰り返される内に本気なのだと否応無しに納得させられた。
生気のない声で訴える守は、心臓の手術すら拒み、ただ自分の世界に閉じこもった。

サッカーと隔絶した世界に置いたと思い込んでいたアメリカで、守をサッカーに誘う少年が居たのを知ったのもその時期だった。
少年の名前は『一之瀬一哉』。何でもアメリカで有名な天才サッカー少年だったが、事故で二度とサッカーは出来ないと宣告された子供らしい。
守と酷似する状況に眉根を寄せて、彼がリハビリを受ける施設へ怒鳴り込んだのは、今では懐かしい思い出になる。
二度と守をサッカーに誘うなと怒鳴った自分に、彼は不思議そうに瞬きを繰り返しながら首を傾げた。


『どうして、サッカーに誘ったらいけないの?鬼道守はイタリアジュニアユース代表の天才サッカープレイヤーじゃないか』
『守は二度とサッカーは出来ないと医者に宣告されている!リハビリをすれば続けられる君とは違うんだ!』
『俺も同じだよ』
『何?』
『俺も二度とサッカー出来ないって先生に言われた。でも、諦められなかった。努力したら絶対にもう一度プレイ出来る。そう信じているから、俺はリハビリをしてるんだ』
『・・・君と守は根本的に違う。あの子には心臓に疾患があって』
『だから、どうしておじさんがサッカーを出来ないって断言するの?鬼道守はサッカーを諦めたの?本人がもうやりたくないって、そう言ったの?』
『それは・・・』
『俺、毎日サッカーしようって誘うけど、いっつも断られるんだ。それっておじさんの所為?』
『何故、私の所為だと』
『あの子、俺がサッカーボール持っていくと一瞬だけ嬉しそうにして、次に泣きそうに顔を歪めるんだ。そうして感情を全部押し殺して、もうサッカーはしないって、二度と来るなって諦めたように目を閉じる。まるで世界そのものを拒絶して自分の殻の中に閉じこもってるみたいだ』
『君に何が判る!?あの子はサッカーを続ければこのままでは確実に死んでしまうんだぞ!?』
『今も死んでるのと同じだよ。少なくとも俺はそうだった。毎日毎日サッカーボールを抱いて泣いた。サッカーをしてない俺は、生きてないのと同じだ。───俺ね、あの子がサッカーしてるのテレビで見たよ。凄かった。天才ってこういう子を言うんだと思った。攻守に優れるミッドフィルダーで、天性の柔軟性を持っていて、どんな場面でも決して諦めないで、きらきらと光ってた。不屈のポラリスの呼び名どおりに』


憧れていると衒いもなく続けた少年は、だから信じてるんだと笑った。
『不屈のポラリス』。それは守がジュニアユースで走っていた頃の二つ名だ。
仲間の誰が諦めても絶対に勝利を諦めずに輝き続け、空に君臨する北極星のように惑う仲間の導となり続けた。
どん底に居ても仲間を自身の存在で奮い立たせた、自慢の娘の呼び名だった。
折れない心で勝利へと進む姿は、どれほど誇らしかったろう。
年齢も性別もハンデとせず、自分より大きな体の相手にも一歩も引かずに勝ちをもぎ取る守は、フィールドの上で輝いていた。
何故忘れていたのだろう。
愛しい娘はサッカーをしている最中が一番楽しそうだったのを。

一之瀬の言葉に心を揺さぶられた鬼道は、次に守の見舞いに来るときに、息子の勇姿を映したDVDを持参した。
それを見た守が再びサッカーを志すのであれば、今度こそ邪魔をしなと心に決めて。

結果的にサッカーをもう一度始めた彼女は、再び前を向いて歩き出した。
親として、子供の命を縮める選択をした自分が正しいのか、鬼道には未だ結論が出ない。
悩んで迷ってそれでも守の邪魔をしないのは、やはりサッカーを愛してやまない少女がその瞬間だけでも本当の笑顔を浮かべていたからだろう。
賢い守は自分を待ち受けている未来を正確に予想している。
そして、こちらが道を提示する前に選んでしまった。
器用でそれでいてこの上なく不器用な配慮は、鬼道の胸を締め付ける。
だがもう彼女にどうやって手を伸ばせばいいか判らず、せめて思うとおりに生かしてやりたかった。

ゆるゆると腹に溜まった思いを吐息として吐き出すと、自分を見詰める息子に視線をやる。
気がつけば普段からつけられるようになっていたゴーグル越しの瞳は見えないが、今にも泣きそうに顔を歪めていた。
姉が居なければ年齢よりも落ち着いた少年だったが、こと守に関しては喜怒哀楽の激しい子供だったから。

だから守は最後の最後で本当にサッカーを出来ないと宣告された理由を隠した。
誰よりも弟を可愛がり愛しんだ少女は、全てを口にしないと選択した。
娘ならそうすると判っていたが、それだけに鬼道はやりきれない思いで一杯になる。
何もかもを抱え込み、それでいて再び笑っている少女は、彼女が抱え込んだ想いは、一体何処へ消えていくのか。
こんなときでも甘えさせてやれない自分は、だからこそ拒絶されたのだろうか。

目の前で泣きそうに眉を顰める息子をじっと見詰め、鬼道は彼にとって残酷な事実を口にした。


「有人」
「はい」
「厳密な意味では、もうお前に姉は居ない」
「・・・え?」
「彼女は自分を『円堂守』と名乗ったのだろう?それは、そのままの意味だ。『鬼道守』との養子縁組は今日を持って解消した」
「そんな・・・。何故ですか、父さん!!姉さんは誰よりも優秀な人です。今日共にプレイして確信しました。二度と出来ないと宣告されたとは思えないサッカーの腕も、人を惹き付けるカリスマ性も、常に冷静な判断力も、状況を見抜く目も何もかも備わっている。あの人ほど鬼道の跡取りに相応しい人は居ないでしょう!?それなのに、どうして・・・っ?」
「鬼道の跡取りはお前だ、有人。私はもう決めた。翻ることはないからお前も今から覚悟を決めておきなさい」
「父さん!!」
「そしてお前に朗報だ。お前の妹の『春奈』を養子として迎える準備を整えた。あとはお前の妹の了承と、確認だけだ」
「・・・何故ですか?俺はまだ約束を果たしていません。フットボールフロンティアで三年間優勝する条件の三分の一しか満たしていません」
「それが『鬼道守』の最後の願いだからだ。再びフィールドに立つことを決めた守はお前に負けない自分を知っていた」


いや、正確に言えばそれも本当ではない。
自分が勝つことで有人に何かを教えたかったのだろう。
きっとそれは鬼道が見逃してしまっている『何か』で、彼女じゃなければ気づかせれない『何か』。
血は繋がっていないが、二人は互いを本当に大事にしていた『兄弟』だった。


「私はお前の妹を娘にする。それが、私が愛する娘の願いだから。それをお前の望みだと笑い、娘を失う父への購いと思い込んだ我が子の願いだから」
「・・・違う。俺は、ずっと、姉さんと、春奈と三人で、ただ一緒に暮らしたかっただけなのに。家族として、今度こそ一緒に・・・俺は、姉さんは」
「守は近い内にまた留学するつもりだ。そうすれば今度こそ、お前とは二度と顔を合わせることはないだろう。あの子に日本は狭すぎる」


まるで死期を悟った猫のように、その姿を隠すつもりの少女は生きることを諦めている。
サッカーに執着し望んだ癖に、病状を理解している故に生命を放棄した。
口では医者になるために勉強したいと言っているが、それが何処まで本心か鬼道は見抜けない。
あの子が感情を制御出来なかったのは入院していた初期の状態の頃だけで、大多数の大人と接している鬼道ですら笑顔の奥に隠れた想いは触れさせてくれない。

ならばせめて、残りの時間を思うままに生きさせてやりたい。
日本は狭すぎると口にしたのは嘘ではなく、羽が生えたように軽やかな少女は世界を舞台とした方が似つかわしい。
傷だらけでぼろぼろの羽でも羽ばたきを諦めずに行くのなら、せめてその先で祝福を。
何もしてやれない親として、娘を愛する父として、尽くしてくれた我が子にしてやれる最後の手段。
選んだ道が間違っているとしても、もう自分は止められない。
笑って歩き出した少女は、鬼道では止められない。

日本へ帰国して学校に通いたいと願い出た守は、有人が居る帝国学園ではなく、自分が幼い頃暮らしていた稲妻町にある雷門中学へ編入した。
あの子の学力であれば日本のどの進学校でもトップで入学できたはずなのに、あえてその場所を選んだ。
アメリカで守を変えた少年、一之瀬に日本へ来てくれるよう頼んだのは鬼道だ。
いつ発作が起こってもおかしくない守のお目付け役を快く引き受けてくれた少年は、今もあの時と同じように少女の傍に居続ける。
断られても断られても幾度も守をサッカーに誘い続けた自分の咎だと、命を削り続ける守から離れようとしない。
避けられぬ別れを予感しながら、花火のように短い時間でも輝こうと足掻く娘に恋した子供は、気がつけば男の目をしていた。
以前ならそんな目で娘を見る人間を同居させたりしなかったろうが、今は違う。
何をおいてでも娘の命を優先すると確信出来るから、『一之瀬一哉』を選んだ。
彼の将来を思えば良策ではないが、選択は間違ってなかったと信じている。

目の前で深い混乱に陥る息子に、全てを話す日は来るのだろうか。
守が留学すれば、有人は何も知らずに二度とあの子に関われなくなる。
それは果たしてこの子にとって本当にいい事か、鬼道には判らない。
もし守の現状を理解すれば、誰よりも傷を負うのは全身で彼女を慕う有人だろう。
遠い異国を死地と定めた守は、その命が尽きる瞬間も、否、尽きた後も何も教えぬ気だ。
飛びぬけて秀でた頭脳を誇る彼女だからこそ出来る手段だが、何も知らされないのは幸せなのだろうか。
傷つく権利すら与えて貰えぬ子供は生涯を捧げてでも姉を探そうとするだろう。
周到な守の所在を奇跡的に突き止めることがあれば、彼は今度こそ壊れてしまうのではないか。

声すら上げずに知らぬ内に切られていた縁に慟哭する子供は、自らに触れる手を本能で拒絶している。
もう二年も悩み続けているのに、いい道が何か、鬼道は見つけることは出来ない。

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>>ゆずね様

初めまして、ゆずね様!
イナイレ連載読んで下さってありがとうございますw

そうなんです。鬼道さんが言っている全員は、守さんも含めた三人です。
元々子供の頃からずっとそのつもりで努力してました。
鬼道さんはずっと姉の背中を追い続け、盲目的に尊敬と憧れを抱いてました。
二人がまた顔を会わせて話す日は近いです!
ちょこちょこと顔を出そうとする一之瀬君と風丸君を抑えて、何とか頑張りたいところですw
一応次回は鬼道ターンの予定ですので、またお時間ございましたら覗いてやって下さいねw
ゆずね様も体調など崩されないよう、ご自愛くださいw
Web拍手、アンド温かいお言葉ありがとうございました!

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「せーんせ、こんにちは」


ひょこりと唐突に顔を出した少女は、明るい笑顔を勝也に向けた。
晴れ晴れとして清々しい表情は何かを吹っ切ったように嬉しげで、眩しいものを見るように目を細める。
笑顔らしきものを見たことはあったが、こんなに幸せそうのは初めてだ。
時間帯は平日の昼。学校をサボって来たのだろう、赤いパーカーとジーパンはスタイリッシュな彼女に良く似合っている。
休憩中でありながらパソコンに向かい仕事をこなしていた勝也は、その手を止めると小さな客人に微笑みかけた。


「こんにちは。何かいいことがあったのかね?」
「うん!あのね、弟と一緒にサッカーの試合したんだ!あいつ凄く上手くなってて驚いちゃった」
「・・・試合を?君も、選手としてサッカーをプレイしたのか?」
「うん」
「鬼道さんは、知っているのか?」
「さあ、どうだろう?言ってないけれど、知ってるんじゃないかな?」


言葉を聞いて、勝也は衝撃で息が詰まった。
彼女がどれほど才能豊かな選手だったか話は聞いている。
自分の息子もそこそこだと思うが、彼女は遥かにそれを超えていた。
イタリアでサッカー留学し、最年少でジュニアユースに上がるほど、性別の壁を押し越える特例を作るほどの有り余る才能。
それを自慢気に話してくれたのは、彼女自身の父である鬼道だったのに。

彼はサッカーを二度と娘にさせたくないと、この病院に初めて現れたときに語っていなかったか。
もしかして彼女の名前が『鬼道』ではなく『円堂』なのは、それに関連するのだろうか。
どちらにせよ、そんな無理をすれば、彼女は。


「君は死にたいのか?」
「俺が?」
「リハビリ程度ならともかく、試合でサッカーをするという意味を、聡明な君が判らないはずがないだろう?何を考えているんだ!」
「・・・でもさ、先生。俺からサッカーを取り上げたら、本当に何も残らなくなる。俺にはサッカー以外何もないもん」
「っ!?」


子供らしくない深い感情を覗かせる瞳。
先ほどまでの歓喜など一瞬で消し飛び、一切の感情を消して首を傾げた。
淡々としているだけに嫌でも彼女の闇が理解でき、勝也はぞっと背筋を凍らせた。
この子は、何という重さを抱えているのか。
ずば抜けた知性、一度見せたことは覚える記憶力、それを自分のものにする技術、豊か過ぎる感性。
何でも出来る子供は、代わりに何も執着していない。
天才とは紙一重な存在だというが、彼女以上にその言葉に相応しい存在を目にしたことはなかった。


「父さんの名前を借りてFXやネット株でお金は稼げる。そこそこ資産も溜まったし、もう独立だって出来る。法律により後見人が必要だから父さんにお願いしたけど、本当ならあの人とはもう繋がりも無くなってるはずなんだ。俺の才能に投資してくれるって言ってたけど、鬼道の娘にはもうなれない。傷が残ったこの体じゃ将来性のある男に嫁ぐのも無理だし、鬼道家には有人っていう有能な跡継ぎも居る。俺が居たら派閥が生まれる可能性が高いから、本当なら全部の縁を切りたいところだ」
「君は」
「二年前、父さんに言われて病院に来たとき先生に病名を知らされて、どうしてって思ったよ。どうして俺なんだって思ったよ。人間なんて世界中に溢れんばかりにいるのに、どうして神様は俺を選んだんだろうって悩んだよ。でも誰を怨めばいいのか、何を憎めばいいのか判らなかった。サッカーを続けるのは無理だって宣告されて、生きている意味を最初に考えた」
「・・・・・・」
「何回死にたいって思ったか判らない。何回絶望したか覚えてない。でも笑ってられたのは、有人が居てくれて、あいつがボールを持って笑ってたからだ。サッカーは楽しいって、嬉しそうにしてたからだ。・・・俺は事故に合わなくとも、どうせサッカーは出来なくなってたはずだった。それでも諦めきれずに努力したのは、サッカーが俺とみんなの縁を結んでくれたものだったからだ。俺にとってサッカーは命と同じだよ。やっててもやらなくても死ぬんなら、全力でやって死にたい」


年よりも遥かに大人びた少女だと知っていた。
けれど抱えた闇の深さに決められた覚悟は、もう誰が何を言っても拒否されるのだろう。
彼女に病名を告げたのは、主治医として選ばれた勝也本人。
そして少女の華奢な体が過度の運動に耐えられないのを本人より理解しているのも、きっと医者である自分だ。

子供を持つ親として、彼女の言葉を否定したい。
同時に病気と折り合いをつける患者として、どうあっても彼女を止めたい。


「弟とサッカーをプレイしたとき、楽しかった。今の俺は試合中に昔ほど動けないけれど、動悸が激しくて眩暈がして苦しくて、それでもとても嬉しかった。───きっと、あの瞬間に死んだとしても、俺は後悔しなかった」
「───それでも。それでも、私も鬼道さんも、君にまだ生きていて欲しい。私が君の父親なら、何が何でもサッカーを止めてもらいたい」
「心配してくれてありがとう、先生。でも俺はもう選んだんだ。親不孝をするって決めたとき、もっといい娘を父さんに作ってあげたいって。俺みたいな欠陥品じゃなくて、ちゃんとしたいいお嬢さんを見つけてあげたいって」


微笑んだ少女に緩く首を振る。
この子は自分の価値を理解していない。
どんな親にとっても、我が子に代わる相手など居ないと判っていないのだ。

二年前、彼女が病院帰りに事故にあったと聞いた鬼道の青褪めた顔は、その錯乱振りは一生忘れないだろう。
無常な宣告を下されたばかりの娘に心を痛めていた彼は、自分の命を与えてもいいから娘を助けてくれと懇願してきた。
普段の鬼道家の当主としての冷静さはそこになく、仕事もせずに意識の戻らない娘から離れようとしなかった。
影山の勧めでアメリカに病院を移しても足蹴く通い、意識を取り戻したと報告があったときの喜びようはなかった。
ぼろぼろと大の大人が涙を零し、失われずに済んだ命に神に土下座して感謝せんばかりだった。
同じ娘を持つ親として、勝也も涙して喜んだほどだったのに。


「父さんには感謝している。俺に最高の治療を受けさせてくれて、養子から外してくれって我侭も聞いてくれて、それなのに後見人になってくれるばかりか分不相応な家まで与えてくれた。この恩は感謝しても仕切れなくて、一生掛かってでも返したい。けどね、だからこそ負担になりたくないんだ」
「君は間違っている。鬼道さんは」
「父さんにはもうすぐ新しい娘が出来るよ。俺と違って可愛くていい子だ。有人の本当の妹なんだ」
「違う、鬼道さんが欲しいのは新しい娘なんかじゃなくて」
「俺はまた留学するつもり。アメリカか、ドイツか迷ってるけど、近い内に国外へ渡るつもりだ。特待生制度を設けている学校で、勉強をする気だよ。俺は先生みたいな医者になりたい。サッカーは止めないけどね」


微笑む少女に絶望する。
もう何もかも決めてしまっているように見えた。
部外者の勝也が何を言っても、初めから届かないのだ。
サッカーがなくとも頭脳のみで留学権利を持つ彼女は、それでも自分を欠陥品だと見下している。

本当は違うのに。
彼女の父親が望むのは新しい娘じゃなくて、彼女自身であるというのに、どうして想いは届かない。
もし鬼道がサッカーをしているのを知った上で口を出さないなら、それこそが答えだと何故気がつかない。


「夕香ちゃん、早く目を覚ますといいね」
「・・・・・・」
「それじゃ、薬も貰ったから俺は帰るよ。またね、豪炎寺先生」


ぺこりと頭を下げた少女は、未練なく部屋を出て行った。

二年前にサッカーを続けれないと宣告したのは自分自身だ。
勝也はサッカーをしたいと望む少女より、サッカーを止めて欲しいと願った父親に共感した。
今だってそれは変わらない。
自分の子供が命を削ってまでプレイする価値をサッカーに見出せない。

事故にあいながらも奇跡的に命を取り留めた少女に残った病状は、今も尚解決していない。

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夕暮れ時の帰り道、二人で肩を並べて帰る。
優勝の祝賀会は結局部室ではなく雷雷軒で行われ、ラーメン大盛りと餃子を完食した円堂の襟首を強引に掴んで用事があるからと連れ出した一之瀬は、隣を歩く彼女の顔をそっと覗いた。
エクステをつけた髪はさらりと風に揺れて、夕日で明るく見えるそれが明日には取られてしまうのは惜しいなと密かに考える。


「守」
「何だ?」
「髪さ、また伸ばしなよ」
「そうだな」


曖昧な返事で答えを濁した円堂に、むっと眉間の皺を寄せる。
まるで小さな子供の我侭を聞くように瞳を細めて笑う姿に、無性に悔しくなった。
一之瀬は他のやつらが知らない円堂の秘密をもう一つ知っている。
だからその分だけ傍に居ることが出来るのに、どうしてこんなに距離を感じるのか。
どれだけ腕を伸ばしても届かない存在に焦れて、きゅっと掌を握る。
キーパーの特訓を始めてから何度も肉刺が潰れた掌は、一之瀬のそれより固くてカサついていた。
何度注意してもちっとも聞き入れてくれないので、今では無理やりハンドクリームを塗りたくって手入れしているが荒れた手は中々戻らない。
女の子なのにと悲しくなるのに、瞳を伏せた一之瀬を慰めるのは原因である彼女で、メビウスの輪を走っているようにループは終らなかった。


「守はあれで良かったの?」


主語がない質問。
意味が理解されないなんて微塵も思わないので、手を握ったまま真摯に伝える。
こちらを見詰める栗色の瞳も夕日の所為か明るく見えて、ああ、綺麗だな、と見当違いに感心した。


「俺は満足してるぞ?」
「でも、守はそれで何を得たんだ?『有人』は妹を得たかもしれないけど、『守』はどうなの?」
「嬉しそうな『弟』が見れた。あいつにした仕打ちを考えれば、俺が得るのはそれで十分だな」
「───・・・俺は納得出来ない。守はもっと受け取っていいはずなのに、どうして与えるだけなんだ?搾取されるだけされて、どうして笑ってるんだよ」
「搾取なんてされてねえよ。俺は最初から最後まで自分のエゴを通しただけだ。何も与えてないし、何も失ってない」
「守は変だ!もっともっと幸せになっていいはずなのに、なんで守ばっかりっ」


言葉が詰まってそれ以上何も言えなくなった。
かっと頭が真っ白になり、抑えきれない感情が目尻から流れ落ちていく。
いきなり叫んだ一之瀬に驚いた円堂の目がまん丸になって、少しだけ気分がよくなった。
いつだってどんなときも飄々とした雰囲気を崩さない彼女が、慌てたように鞄を探るとハンカチを取り出し目元を拭う。
格好悪いとこなど見せたくないのに、今だってそう思ってるのに、堰を切ったように流れる涙で動揺してくれるなら泣くのも悪くないと歪んだ感情を抱く。
困ったように眉を下げて繋いでいない方の手でハンカチを操っていた円堂は、涙を止めれない一之瀬に淡い苦笑を浮かべた。


「一哉はいい奴だな」
「・・・いい奴は男には禁句だ」
「悪い、悪い。んじゃ、いい男だな」
「それなら、許す」


嗚咽を堪えながら声を震わして必死に虚勢を張る。
ぼたぼたと止まらない涙を零しながら唇を噛んで胸を張れば、くっと仕方ないとばかりに笑われた。


「俺はシンデレラに出てくる魔法使いのおばあさんと同じだ」
「・・・魔法使いの、おばあさん?」
「そ。頑張る主人公の背中を押して、ちょっとだけ協力してやるおばあさん。魔法使いはワイルドカードだ。普通なら有り得ない手段で主人公を手助けするけど、でも最後まで残ったりしない。何でか判るか?」
「いいや」
「ほんの少しの手助けをしてやれば、後は主人公が自分で道を切り開くからさ。魔法は便利だけど頼りすぎる力じゃない。きっと、魔法使いのおばあさんはそれを知ってるから、物語の最後にはおめでとうって笑って消える。願いを叶えた代償を求めないのは必要がないから。自分がやりたいと思ったことをしてるだけだからだ」
「おばあさんはそれで何を得るんだ」
「満足感だよ。言ったろ、ただのエゴだって」


くすくすと悪戯っぽく笑った円堂は、手を繋いだままの一之瀬を引っ張ると沈む夕日に向かって歩き出す。
茜色の空にカラスが飛んで、かあかあと間抜けな鳴き声が響いた。
すれ違う人が泣いている一之瀬の顔に驚き、足を止めたり首を傾げたりするけれど、全てを無視して歩き続ける。
手を引く強さだけ感じれば、どれだけ人とすれ違っても、世界は二人だけのようだった。

そう言えば彼女がもう一度サッカーをしたいと慟哭した日も、こんな夕日が窓から射し込んでいた。
父親という人が持ってきたDVDは一之瀬が遊びに行った時にはとうに終ってメニュー画面になっていて、それにも気づかぬとばかりに必死の形相をした彼女は、ベッドのシーツを手が白くなるくらいに握り締めて呟いた。

『サッカーがしたい。もう一度、サッカーを。───止めなきゃいけない。他の誰でもなく、あいつを変えてしまった俺が。そのためにも、サッカーを、』

搾り出すような声で、呪文のように繰り返す姿は壮絶な想いを背負っていた。
まだ意識を取り戻して三月しかたっておらず、彼女はリハビリを始めたばかりだった。
満足に立ち上がることも出来ず、医者の宣告を諾々と聞き入れていた人形のようだったのに、幾度誘っても願っても頷かなかった彼女の瞳は、全ての諦めを捨てていた。
つい数時間前の暗く濁った瞳ではなく、諦めの悪い鮮烈な光を宿して、ぐっと奥歯を噛み締めて呻るように囁いて。

医者に二度とサッカーが出来ないと言われる苦しみも、未だに思うように動かせない体のためのリハビリも、どれだけ辛いか一之瀬には判る。
同じように事故で将来を閉ざさた過去を持つ自分以上に彼女の気持ちが理解できる存在はいないだろう。
だから、囁きに混じる覚悟に敏感に気がついた。
その言葉の意味を正確に理解した上で───『鬼道守』がサッカーを諦めないと知り、残酷にも歓喜した。

その当時はサッカーを続ける理由はなんだって良かった。
天才と名高く憧れていた人が、またフィールドで走る姿を見たかった。
華麗なボール裁きも、天性の反射神経も、どんな状況でも諦めない輝きも、底知れないカリスマ性も、ずっとずっと憧れたものだから。
鬼気迫る勢いでリハビリを繰り返し、やっとサッカーを再開したのは、それから一年近くたってからだ。
未だに麻痺が残るはずの体を感じさせない動きで走る人は、やっぱり一之瀬の憧れだった。

例えこの先彼女がサッカーをプレイ出来なくなったとしても一生胸に刻まれると、愚かで無邪気な喜びを抱いていた。


「ありがとな、一哉。ずっと俺に付き合ってくれて」
「───俺が君にサッカーを続けて欲しかっただけだ。俺は、『知っていて』望んだんだ。感謝なんて、筋違いだ」
「何言ってんだよ。筋違いなんかじゃない。焦って技術だけを取り戻そうとしていた俺に、大切なことを思い出させたのはお前も含めたアメリカの仲間だ。特にしつこく粘ったお前のお陰だよ。あんだけ拒絶して全てを知って、それでもお前は俺にサッカーを突きつけた。もう笑うしかなかったもんなぁ」


からからと暢気に笑っているが、彼女が背負うものは自分より遥かに大きい。
もし自分が同じ状況になったとして、円堂のように笑っていられただろうか。
何もかも全て知った上で、それでも笑えただろうか。
何度考えても答えは『否』で、だからこそ一之瀬はまた涙を流す。

どうして彼女ばかりがこんな目に合うのだろう。
自分のことではなく、他人ばかり優先するこの人は、どうして泣いてくれないのだろう。
泣いて叫んで縋ってくれれば、一之瀬だって一緒に苦しむのに。
慟哭し、絶望し、残酷な神様に怨嗟を吐き出して呪ってやるのに。


「俺、サッカーを続けてよかったよ。お陰でお前やアメリカの仲間や雷門の皆に会えた。そして帝国のメンバーとサッカーする『有人』と試合が出来た。ボールを蹴って、無心になれた」
「守」
「サッカーをしてると嫌なことなんて全部忘れられる。なぁ、一哉。俺は本当に幸せだよ」


一歩前に進んでこちらを振り向いた円堂の顔は、逆光でよく見えなかった。
唇が孤を描いていたけれど、笑っているかも判らなかった。
確固としているのは、繋がれた手に力が篭り、慰めるように撫でられた頬の感触だけ。

ぐっと奥歯に力を入れて目元を腕で適当に擦る。
無理やりに涙を止め、くしゃくしゃな顔でもいいから笑ってみせた。

神様は残酷だ。
彼だか彼女だかが与えるものに平等なものは一つもなく、こんなに真っ直ぐな人から特別を取り上げようとする。
自身で与えた才能を無駄にするのなら、何故こんなにサッカーを愛する人間として生んだのだ。


「俺も、サッカーを続けてよかった。守と一緒にプレイ出来て、幸せだよ」


なんだって人並み以上にこなすのに、サッカー以外は望まない人。
気がつけば憧れは恋に変わり、恋は愛へと育っていく。

涙が溢れるのは彼女が泣いてくれないからだ。
それでも代わりに泣くのすら止めるというのなら。
『全て』を知る人間として、何もかも包んで自分も一緒に笑うだけ。

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>>KS様

初めまして、KS様!
とても嬉しい感想をありがとうございますw
かなりあれな自覚が在るだけに、男前と言っていただけて嬉しいです!
きゃー!!
もしかして毎日いらしていただいてるんでしょうか?
だとしたら本当にありがとうございます!
こちらこそ読んだ下さって幸せでございます!
これからも頑張りますので、是非また遊びにいらして下さいw
Web拍手、ありがとうございました!

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