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*設定は架空のものですのでご了承ください。ダークシリアスです。







『君はもう二度とサッカーをしてはいけない』


眼鏡の奥から真っ直ぐな眼差しを向けて真摯に宣告した人の顔を覚えている。
同伴していた父が瞬間に息を呑み、抱き寄せるようにしていた自分の肩を掴む手に力を篭めた。
頭が真っ白になり、何を言われたか理解できなかった。
人より遥かに回転が速いと称された脳が理解を拒み、今が夢ならばどれほど幸せかと強固に現実にしがみ付く理性が嘆く。

全てが始まったばかりだった。
イタリアへ拠点を移し、長年のライバルと共にリーグ優勝を果たし、次の目標は何にするか、つい先日も夜を明かして話していた。
男女の差があれど、それ以上に強い仲間意識で通じ合っていた彼は、遠いイタリアの下で自分の帰りを待ち続けているはずだ。
だって、約束した。
すぐに帰ると、ただの一時帰国だと、また一緒にプレイすると。


心筋の細胞の性質が変わり、心室全体が拡大する病気。
原因は不明で治療法も確立されていないと宣告され、何をどうしろと言うのか。
心筋が薄く伸び血液を送るポンプとしての力が弱まり、壁が薄くなるごとに重症に陥る。
教えてもらった治療法は病状を改善させるためのものではなく、進行を遅くする程度のささやかなもの。

呆然として医師の宣告を聞いた後、家に帰って最初にしたのは自分の患った病気の詳細を調べること。

自分以上に衝撃を受けた父は、迂闊にも守の部屋の情報回線をとぎるのを忘れていた。
現在ではインターネットで調べれる情報量は多く、徹夜をして得た内容は絶望を与えるに足るもの。
それでも納得出来ずに朝一番で図書館へ赴き、医学書を片っ端から読み漁った。
小学生が読むには難解すぎる内容。
知らない専門用語も多数出てきたが、ありがたいことに辞典も置いてある。
部屋を一歩も出てこない父のお陰で自由を確立できた三日間。
その短くも長い期間で、自分が置かれた状況は把握できた。

最初に感じたのは、理不尽だと湧き上がる怒り。
涙も流せぬ強い憤怒はどうして自分が、と神へ向けた衝動。
遺伝子異常、ウィルス感染、免疫異常、妊娠状態。
どれが原因かもわからず、上げられる候補のどれも当てはまらないかもしれない原因に、何故自分が振り回されなければいけない。
初期症状ではほとんど自覚症状もない病気を発見できたのは運が良かったと言われた。
ならばこの先十年後に未来がある確率が低い運命を自覚させられて、一体何が運がいいのか教えて欲しい。
病名を知ったところで有効な治療はなく、手術ですら経過は不良の可能性が高いのに、一体何が良かったのだ。
十年後、守が生存している確率は僅か三十数パーセント。
それもこれもサッカーを止めて、安静に病院暮らしをしていたら、と注釈がつく。
体中を管で繋がれ、過去の栄光に想いを馳せて生きる人生の何がラッキーなのか。
死なないために生きる将来に、涙を流して感謝でもしろというのか。
心臓移植以外で希望のないこの病気に、生きている間に細胞移植や心筋再生治療などが発展して奇跡を見せてくれるのか。

こんなことなら日本に帰ってこなければ良かった。
何も知らず、イタリアの空の下で走っていたかった。
検査で異常が発見されなければ、ぎりぎりまでこの体が持つ間はサッカーが出来た。
あの広い空の下で、息の合った相棒と上を目指して走り続けれた。

でも、これからはそれは望めない。
これほど愛したサッカーは、命と引き換えに取り上げられる。
父は自分を愛するが故に、サッカーを止めろと懇願するだろう。
それは嫌だ。
サッカーが出来ないなんて、息をしないのと同じだ。
生きたまま羽を?がれて死ぬのを待つ虫と同じ。
空に憧れて飛び立てず、地表から焦がれて魂をじりじりと削られる。
そんなのは嫌だ。
それなら一思いに死にたい。
けど───。


『ははっ・・・無理だ。そんなの、無理に決まってる。父さんを裏切れない、受けた恩を返してもいないのに、望みに反するなんて出来ない』


ふらふらになって辿り着いた部屋。
昼間でもカーテンを閉め切って一人で蹲る。
何も知らされてない使用人は訝しげな眼差しを向けたが、徹夜で勉強したと誤魔化し眠たいからと人払いをした。
弟は小学校で、父は狂ったように仕事に精を出している。
何も知らない弟には、なんて言えばいいのか判らない。
サッカーをしている自分に憧れているのを知っている。
いつだって背中を追いかけてくる小さな姿は可愛くて、とても愛しい。
だからこそ怖い。
守がサッカーを出来ないと知ったら、彼はサッカーを続けれるのだろうか。
曇りのない笑顔は、痛々しく歪められるのではないか。
自分に遠慮してやりたいことも我慢し、敷かれたレールの上を歩く人形になってしまうのではないか。


『・・・っ』


想像するだけで、胸が痛む。
それを歓ぶ自分に嫌悪し、嘆く自分に苛立って。
相反する感情は今は辛うじて望まない方に天秤が傾いている。
だがこれはいついかなる要因が入り込み逆転するか判らない。
守は聖人君子じゃない。
全てを奪われる現状に、将来が開けている弟を笑って祝福してやれるほど優しい人間じゃない。
愛しているからこそ自分と同じどん底まで叩き落して、二度と這い上がれないように決定的な傷をつけたくなる。


『姉さん?』


唐突に真っ暗な世界に光が射す。
侵入者に目を細めれば、隠し扉を開いて顔を覗かせた子供ははにかんだような笑みを浮かべた。


『・・・有人?どうしたんだ?学校は?』
『今日は早く終ったんだ。姉さんとサッカーがしたくて運転手に急がせた。姉さん、サッカーをしよう』
『───悪い、有人。俺、昨日勉強してて寝不足なんだ。今からお昼寝って決めてんの。だから、サッカーはまた今度な』
『ああ、だからこんなに部屋が真っ暗なのか。姉さんがサッカーを後回しにするなんて、明日は台風が来そうだ』
『失礼だなぁ、有人は。ほれ、お前も一緒に昼寝するぞ』
『俺も?・・・でも、俺は』
『いいからいいから。久し振りの兄弟水入らずなんだから、たまにはいいだろ』
『・・・うん』


両手でサッカーボールを抱えたまま近づいた弟を抱きしめる。
太陽の香りがする彼は、無防備に心をさらけ出し照れながらも守の服の端をきゅっと握った。
相変わらず甘えただと苦笑して髪を結んでいるゴムを解くと、特徴的なドレッドがベッドに広がる。
見た目より柔らかなそれに手を差し込んで、繰り返すうちに心の天秤は落ち着く。
壊したい、から、守りたい、へ。

いつまで傍に居られるか判らないなら、この存在を大事にしたいと。
生まれて初めて出来たサッカー以外の特別だから、可愛い弟なのだからと。
この存在は守が気に入るように影山から選りすぐられた『もの』。
暇つぶしと称して与えられた『特別』は、可愛くて大切。
だから壊してはいけない。
壊したい衝動と闘って、何が何でも勝たねばならない。

すうすうとあっという間に寝息が聞こえ、どれだけ自分の存在に心を許しているか知る。
泣くことすらできない絶望の中、有人だけが守の光。





「───随分と、気分のいい目覚めじゃないの。神様」


嘲りを多大に含んだ声で嫌味交じりに飛び出た囁きは、何処にいるか知れないそいつに届いてるだろうか。
真っ暗な闇に目を凝らせば、記憶の中の状況と自分が存在する部屋の違いに嫌でも気づく。
広々としたキングサイズのベッドではなく、シンプルなクイーンサイズのベッドはそれでもまだ大きいけれど、自分を包むシーツの色も柔らかさも違っていた。


「そう言えば、まだあの頃は敬語じゃなかったな。中学に入学するんだからと口調を改めたのは、もうちょっと後か」


どちらにしろ懐かしい記憶だ。
思い出したくもない甘ったるい記憶にしがみ付いてる自分に反吐が出る。
優しい記憶の裏には、いつだって容赦ない現実が比較される。
味わった絶望は過去形ではなく現在進行形で我が身を苛んでいるのに、一体何に縋ろうとしてるのか。


「全く、嫌になるな」


どくどくと痛む胸に上半身を屈めて堪えつつ、くいっと口の端を持ち上げて笑う。
何もかも嫌になる。
世界が今この瞬間に終ったら、どれだけ幸せだろう。


「───っ」


声なき声で悲鳴を上げれば、ぼろぼろと涙が零れ落ちた。

どうして自分なんだ。
どうして自分でなければいけない。
世界を救うためでもなく、地鎮祭の生贄になるでもない。
自分の命が消えるのに理由はなく、偶然か必然かすらも判らない。

宇宙人の襲来とは言いえて妙だ。
我ながら笑ってしまうほど奇妙にしっくり来た例えだった。
選ばれるのに意味はなく、連れ去られる時期だって判らない。
そのくせ拒否権など与えられておらず、歯向かう気力は根本から叩き折られた。
片っ端から医学書を読み、増えた知識から絶望を知る。


「はは・・・ははは、あはははは!!」


狂ってしまえればいい。
何も理解できず、正しいことも悪いことも判断できないくらいに、とことんと堕ちてしまえれば。


「・・・っ、そんなの絶対ごめんだ」


闇は腕を広げて落ちてくるのを待っている。
それが神が残した優しさならば、絶対的に受け入れられない。
全てを捨ててしまえば楽になるだろうが、絶望の淵に叩き込んだ奴に縋るのは嫌だ。

だから覚悟を決めたのだ。
自分が闘う相手は、他の誰でもなく自分自身と。
他の何かはもういらない。
望んでも掌から零れ落ちるだけなら、サッカーだけがあればいい。


「Vaffanculo!!」


押さえきれない憤怒が形となり、罵声が唇から零れる。
泣きたいのか笑いたいのか、守りたいのか壊したいのか。

全ての衝動を体に抱いて、早く夜が明けろと光を願った。

拍手[3回]

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「Ciao. Come va?」
「Ciao. Non c'e male, Grazie. E lei?」
「Cosi cosi」


流暢に返された言語に、土門は疑問に対する答えに確信を抱く。
無視されるか誤魔化されるかすると思っていたが、どうやら相手の方が一枚上手だ。

連日の練習に加え、グランドを打つ雨の所為で部活は休みだと昼の内に連絡はまわしたくせに、自分は腰に一之瀬を巻きつけて部室の窓から外を見ていた円堂は、笑みに似た表情を浮かべ視線を寄越した。
一つ年上の年齢を考慮しても随分と大人っぽい仕草に胸が騒ぐ。
普段の底抜けに明るく騒々しい面は作り物じゃないかと穿った考えを持ちそうになるほど、静謐な雰囲気は彼女に似合っていた。


「どうしたんだ、土門?イタリア留学でも検討中?」
「いーや、俺にはイタリア語は難しいや。それに俺も一之瀬も留学するならブラジルって決めてるし」
「そうなの?なら、どうして態々イタリア語?何か俺に聞きたいことでもあったか?」
「ちょっとした好奇心だ。帝国の試合からずっと引っかかってた。円堂って女の子だよな?」
「そうだなぁ。一応生物学上の範囲で確認するなら、女だな」
「じゃあ、どうして男のふりしてるんだ?鬼道さんと試合をするためだけなら、もういいんじゃないか?フットボールフロンティアに女子に参加枠はなかったと思うけど」
「まぁな。でも、俺の場合は理事長公認で男子の制服着てるだけだし。言っておくけど自己紹介のときに男だって言った記憶もなければ、詐称したこともないぜ?周りが勝手に勘違いしてったの」
「よく言うぜ。自分から秘密を明かす気なんて、帝国との試合がなけりゃなかったろ?そもそも何で理事長も黙認してるんだ?」
「黙認には条件がいくつかあったんだけど、一番大きいのは影山の存在かな?俺、実はフットボールフロンティアの出場枠も女で登録してあるから」
「ええ!?そんなの許されるのか?」
「許されちゃったんだなぁ、それが。影山は俺にこの上なく執着してるからな。あいつの役職、覚えてない?」
「影山の役職・・・?あ」


指摘されて漸く思い出したそれは、中学サッカー協会副会長。そして自校の理事長は会長。
つまり、二人の相反する想いにより円堂守は女でありながら出場枠を勝ち取っていた、ということなのだろう。
随分とスケールの大きい話に頭を掻きながら眉を下げる。
否、彼女の正確な実力を持ってすれば、それでも小さな部類になるのだろうか。
女子であっても、二年前にサッカーは出来ないと宣告されたとしても、彼女の実力は疑いようがない。
生まれ持つ肉体的な才能、それに磨きをかけるメンタル的な才能、さらに人を惹き付けるカリスマ性。
今ですら凄いの一言なのだから、きっと以前はそれこそ自分とは比べるべくもないプレイヤーだったのだろう。
嘗ての一之瀬のように、いいや、嘗ての一之瀬ですら憧れた高い位置で。


「イタリアでもそうだったのか?」
「・・・何が?」
「イタリアジュニアユース代表、マモル・キドウ。同い年のライバルであり相棒のフィディオ・アルデナとコンビを組めばまさに最強。女でありながら男子のリーグで活躍する特例を許された万能の天才。不屈のポラリスと呼ばれたミッドフィルダーと白い流星と称されるフォワードは最年少でありながら著しい活躍でその年のリーグ優勝に貢献した」
「へぇ、良く調べたな。もう、二年も前になるのに」
「思い出したんだ。一之瀬が事故に合う前に、一度だけ雑誌で目を通した。アメリカをサッカー大国にと望んだあいつが見つけた小さな記事にはこう書かれていた。『日本が生んだ奇跡の天才。天性のカリスマと状況を見極める確かな目、機械のような正確な技術に心を奮わせる存在感。いずれ、世界を背負うプレイヤーの一人になるだろう』ってな。その当時はまだジュニアユース代表でもなんでもなかったけど、頭角は現れてた」
「わお!随分と俺を買いかぶってんなぁ、その記事。そんなにご大層なもんじゃなかったし。ただ、普通の人よりも活躍の場を与えられ、徹底した技術を学ぶ機会に恵まれたサッカー大好き少女だっただけだ」


へらり、と笑顔を浮かべて頭の後ろで腕を組んだ人は、感情を全く読ませてくれない。
『円堂守』という人は、知れば知るほど奥が見えない人間だ。
土門がネットやアメリカの友人経由で調べた内容によると、少しだけ彼女の経歴で疑問が沸く部分がある。
先日の帝国戦で彼女の恩師と語った影山は、『二年前に交通事故で二度とサッカーを出来ないと宣告された』と言っていた。
実際にアメリカの友人から得た情報によると、円堂は一之瀬がリハビリで通っていた病院に入院していたらしい。
一月意識を取り戻さずにいて、どこからか『鬼道守』が入院したという事実を嗅ぎ付けた一之瀬がサッカーに誘い続けたと言っていた。
だが、そこでずれが生じる。
土門が得た『鬼道守がイタリアから姿を消した時期』と、『彼女が交通事故でサッカーを出来ないと宣告された時期』には微妙なずれが生じるのだ。
帝国キャプテンの座を捨てたと鬼道は口にした。
それは元々帝国学園に入学する前に日本に帰ってきていた、と取れないだろうか。
さらに影山は『抱えている爆弾は一つじゃない』とも言っていた。
もしかして円堂が言っていた『最後のライン』とはそれに関連する何かではないのか。
深読みしようと思えば幾らでも出来る要素があるのに、組み立てるには絶妙にピースが足りない。


「お前は俺たちにまだ何か隠している」
「?どうしたんだよ、土門」
「違和感があるんだ。円堂は鬼道さんを影山から取り戻すために帰国したと、そのために努力してリハビリをしたって言ってたよな?その割りに、先日鬼道さんが来たときには反応が淡白すぎた。影山の一言で見せた怒りは作り物には見えなかった。だとしたら可笑しいのはこの間の反応だ。さらりとした口調で『赤の他人』と言い切れる相手が馬鹿にされた程度で激昂するようなタマじゃないだろ、お前は」
「ならどんな態度なら納得できたんだ?ばりばりのブラコンか?両腕を広げて会いたかったと、今更感動の再会でもしろと?」
「いや・・・そこまでは言わないけど」
「あのな、土門。お前は根本的なところで勘違いしてるけど、俺はあいつの傍に居るために日本に帰ったわけじゃないぞ」


多大に呆れを含んだ声に、瞬きを繰り返す。
帝国戦のときの話を聞けば、そうとしか考えられなかったが、まだ他にも理由があるのだろうか。


「どういう意味だ?」
「俺の目的は鬼道を影山の支配から救うこと。だがその理由は単一ではなかったって意味だ」
「単一ではない?」
「あいつは鬼道の跡継ぎだ。そのあいつが影山の支配下に置かれたままだと、鬼道の家にまで影響が出る。引いては俺たちを養子にしてくれた父に迷惑が掛かるってことだ」
「父親に?」
「そう。俺たちはサッカーの才能が影山の目に留まって鬼道の家に引き取られた。だが、ここで忘れちゃいけないのは、鬼道は一般家庭とは違うという部分。鬼道家の人間には鬼道財閥を背負う義務があり、その為の覚悟が必要だ。どの分野においてもトップでいるのを望まれる」
「だから、なんだってんだよ」
「トップに立てるのは常に一人だ。導き手が分裂すれば下につく人間も分かたれる。俺という人間があいつの傍にい続ければ、組織にいい影響を与えない。元々俺とあいつは血が繋がってない。どちらが有能か比較し、どちらにつけば将来に役立つか。俺たちの仲がいいとか悪いとかそんなの関係無しに打算を抱くのが当然で、より自分にとって都合のいい人間を頭に据えようとする。土壌がしっかりしていない組織ほど脆いものはない」
「だからあえて鬼道家の養子から外れたってのか?鬼道さんの地位を確立するために」
「それも正確じゃないな。俺には俺の夢があり、その夢のために鬼道家から抜けた。幸いにして俺の性別は女だ。財閥の跡取りは男が望ましいと訴える頭の古い狸も多かったお陰で、俺は晴れて自由の身ってわけ」
「いい人フィルターは掛けるなって?」
「そういうこと。それに俺はこうも言ったはずだ。『姉として、最後の役目を果たしたい』ってね」


ぱちり、とウィンクした姿は飄々として掴みどころがない。
自分も年齢の割には落ち着いている方だが、彼女の雰囲気は明るく見えて老獪だ。
探ろうと手を伸ばせば伸ばすほど底なし沼に嵌ってる気がする。
ここで話して聞かせた内容も、土門が納得できるように教えただけで真実は語っていないのだろう。
嘘ではないが、本音ではない。
何の証拠もなく直感だけの判断だが、外れていない自信があった。
けれど。


「これ以上踏み込んだら、お前の腹にしがみ付いてる番犬もどきに食いつかれそうだな」
「あれ?いつからこいつが起きてるって気づいてたの?」
「ついさっきだ。鬼道さんの名前を出した瞬間、腕がぴくりと動いた」
「目端が利くなぁ、土門は。俺が鬼道財閥を継いでたら、お前の手腕は是非欲しいところだな。中間管理職として」
「胃に穴が開きそうだから遠慮しとく。俺にも、アメリカをサッカー大国にしたいって夢があるしな」


狸寝入りしているのを指摘したにも関わらず、円堂から放れようとしない一之瀬に苦笑する。


「探りたかった内容は掴めたか?」
「いいや。益々謎が深まっただけだった。でも、収穫もあったぜ?」
「ふうん?何が収穫だった?」
「お前が一之瀬の憧れのプレイヤーで、とんでもない才能の持ち主だってことだ」
「───全部、過去形だ。俺はもう世界を舞台に走らないからな」
「何故?」
「単純に実力不足だからだ。さ、もう質問タイムは終わり。好奇心は猫を殺すって言うだろ」


さらりと線引きされ肩を竦める。
それでも十分と色々教えてもらった方なのだろう。
土門が他言しないと見抜いたからこそ過去を教えてくれた人の信頼は、裏切るには大きすぎる。


「円堂」
「何だ?」
「今の会話で安心した。鬼道さんを、切り捨てたわけじゃないって判ったからな。そうじゃなきゃ、将来を慮るような言葉が出るはずがない」
「さあ、どうかな?俺は鬼道家への恩義を返すためだけに動いたのかもしれないよ?」
「それはない」
「きっぱり言い切るな。根拠は?」
「勘だよ。───俺が信頼した『円堂守』って人間は、そういう奴だ」
「そりゃまた不確定要素だな」


くつくつと喉を震わせて笑う人は、高貴な猫のようだ。
良く手入れされた毛並みやコケティッシュな雰囲気は、触れてみたいと相手に望ませるくせに、魅了するだけ魅了して安易に自分に近寄らせない。
自分の価値を理解して、どうすればいいか知っているずるい人。

彼女に甘えるように自分の全てを預ける一之瀬は、見た目は猫の子でも中身は虎だ。
猛獣に等しい激しさを持ち、立派な牙と爪を持つ。
その彼を愛玩動物と同じように可愛がる円堂に、勝てそうにないな、と白旗を上げた。

拍手[9回]

昼間の態度にどうしても納得が出来なくて、気がつけば足は円堂の家へと向かっていた。
部活が終わり、夕香の見舞いも済ませた後なので、外は夜の帳に包まれつつある。
一番星が夕日の向こうで光り、藍色に染まり始めた空は目に見えて色を変えていく。

辿り着いた高級マンションで、暗証番号と鍵を使って入り口を開く。
オートロックのそこは、手渡された合鍵があれば侵入者にも寛容だ。
もう幾度も通い詰めているので、慣れた仕草でエレベーターの前に足を止める。
時間帯の所為だろうか。
たまに顔を合わせる住人たちともすれ違わず、最上階にあるドアの前まで辿り着けた。

申し訳程度にチャイムを鳴らし、暫く待っても出てこないのでそのまま合鍵を使う。
始めはいいのかと躊躇っていたが、ゲームやサッカーに熱中していると誰も開けてくれないと気づいてから、合鍵を使うのに躊躇いはなくなった。
遠慮していたら弱肉強食を絵に描いたこの家ではやっていけない。
手土産に持たされた林檎の袋が当たらないよう気をつけながらドアを開け、二畳はある玄関で靴を脱いだ。

そこで見慣れない靴を見つけ首を傾げる。
いやある意味では良く見慣れたサッカー用のスパイクなのだが、何処となく見覚えがある気がするそれは、この家では初めて見るものだった。
その傍には脱ぎ散らかされた一之瀬愛用の靴と、きっちりと踵を揃えて置かれた円堂の靴。
ほとんどサイズの変わらないそれらの横に、綺麗に整えて靴を置くと、ついでに脱ぎ散らかされた一之瀬の靴も並べる。
人を感知して自然と明かりがつく廊下を歩きリビングのドアを開けて、持ち主不明の靴が誰のものだったかを思い出した。


「お、豪炎寺」
「インターフォンを鳴らしたんだが出てこなかったから勝手に上がらせてもらった」
「悪い、どうにも動けなくてさ。どうせこの時間に連絡無しで来るのは豪炎寺くらいだし、お前ならいいかなって思って。悪いな」
「いや・・・気にしなくてもいい。それより、その状況は?」


リビングにあるソファを背にした円堂は、背中に風丸、腹に一之瀬をへばり付けて身動き取れぬままテレビを見ていた。
ちなみにリビングにあるテレビは家の中でも一番大きいもので、テレビ台にはDVDプレーヤーとテレビゲームの類が仕舞われていた。
観葉植物が数個と、ソファ、床には寝転べるように絨毯とクッションが置かれるシンプルな部屋は、余計なものがないだけに広々としていた。
ベッドにもなるソファはごろごろしながらDVD鑑賞をするのに役立ち、怠惰な魅力は一度したらやめられない。
真夜中に生放送で海外のサッカーを見るときは、床に布団を敷いてソファに並んで盛り上がるのだが、今はそこまで楽しそうには見えなかった。
腹にしがみついて寝転ぶ一之瀬と、背中から覆いかぶさるようにしている風丸は、火花を散らして睨み合っている。
どんな状況か理解できないが、少なくとも彼女が望んでこうなっているわけじゃなさそうだった。


「いや、一哉捜索隊は割りとすぐに河川敷でいじけているこいつを見つけたから解散しようとしたんだけどさ。家に帰るって駄々を捏ねる一哉と一緒に暮らしてるのが風丸にばれて、俺も行くって引かなくてな。仕舞いには喧嘩始めたから無理やり引き摺ってきたらこの状況だ。どっちかを剥がそうとすればどっちかが挑発行動に出て、俺トイレにすら行けない状態」
「夕飯は?」
「食べてない。こいつらが無駄にへばり付くから、身動き取れないし」
「守が迷惑してるから、風丸放れろ」
「まも姉はお前に迷惑してるんだ。一之瀬が放れろ」
「な?超うざいだろ?仕方ないから放置してテレビ見てた。この間一哉が見たいって借りてきた『絶対に笑っちゃいけない』って縛りのあるお笑いのDVDなんだけど、これがまた秀逸でさ。罰を受ける面々を見て俺、爆笑!」
「・・・・・・とりあえずその状態でもお前がそれほど困ってないのは判った。だが夕飯はきちんと摂った方がいい。何か簡単なものでも作ろうか?」
「サンキュー!さすが豪炎寺。いい男は言うことが違うね。ぐずぐずとくっついて喧嘩し続けるお子様と比べるべくもないな。やっぱ、料理できる男はいいねぇ」
「俺も料理くらい出来るよ、守!」
「俺だって、簡単な料理くらい出来る」
「・・・守の食事は俺が作るから、ここで待ってろよ風丸君」
「まも姉の食事は俺が作るから、お前こそここで待ってろ一之瀬君」
「あー、至極面倒な奴らだな。んじゃ、一哉は大盛りナポリタン。ちろたは炊飯器のご飯全部使ってシンプルオムライス。一哉、正々堂々と勝負する気なら、ちゃんとちろたに台所の使い方は教えるように。はい、よーいどん!」


ぱん、と叩き鳴らされた音に反射的に立ち上がった二人は、押し合いながら台所へ消えていく。
カウンター越しにサッカーのチャージの勢いで肩をぶつけ合う二人は、それぞれ冷蔵庫の中身を取り出し豪い勢いで料理を始めた。
怪我をしないかとはらはらしてると、怪我したらその時点で失格な、と煽るように円堂が茶々を入れ、二人の勢いが増す。
唖然とその様子を見守っていると、肩が凝ったのか腕をぐるぐると回してストレッチを開始した円堂は、豪炎寺に笑いかけた。


「助かったよ、豪炎寺。引き剥がす切欠を探してたけど、これが中々難しくてさ。食料も確保できるし、一石二鳥だな。俺たちはDVDでも見てのんびりと待ってようぜ。それとも、お前は晩御飯食べた?」
「いや、まだだ。そうだ。これ、フクさんが持って行くようにって」
「林檎?うわ、超嬉しい!俺、フルーツ大好き!」
「じゃあ、デザートにでもするか?後で剥いてやる」
「マジで?じゃあ、皆で食べようか」


にこにことした円堂はいつもど何も変わらない。
部活が始まる前の騒動も忘れたように、否、何の意味もないとばかりに笑う姿に、豪炎寺は違和感を覚える。
円堂は鬼道を、自分にとっての夕香と同じだと言っていた。
その言葉の重みは誰より豪炎寺が理解している。
だからこそ、部活前の行動を不思議に思った。
サッカー部の面々は納得したようだったが、もう少し内側に入れてもらっている自覚があるだけに気がつく。
もし自分なら、夕香があんなに真っ青な顔で、尋常じゃない様子で自分を探していたなら、もっと動揺するはずだ。
けれど円堂に動揺は見れなかった。突然の行動に驚いてもおかしくないのに、『全くの普段どおり』だった。
まるで、鬼道が現れるのを予想していたようだ。
何もかも判ってて、予定調和だから驚愕しないように見えた。
テレビではなく、ソファに凭れて座る円堂の顔をじっと見ていると、ふうと嘆息された。
ぽんぽんと自分の横を叩くと無言で促される。
誘われるままに腰を下ろすと、ぐしゃぐしゃと頭を撫でられる。
最近気がついたのだが、この家にいる円堂はプライベートモードに切り替わるらしい。
部活や学校にいるときより、スキンシップ過多になり年下扱いされる。
振り払うほどではないが、乱れる髪にじっとりと眉を寄せると笑われた。


「で?豪炎寺君は、俺に何を聞きたいのかな?」
「・・・鬼道はあの後倒れた」
「そうだろうな。ありゃ二、三日は寝てないぞ。顔の扱け方とか目のしたの隈とか、制服の下の体の痩せ方。どうせ俺と鬼道家の養子の解消に泡食って俺の居場所を探してたんだろ」
「そこまで判ってるのなら、どうしてもっときちんと話を聞かないんだ?あいつはお前と話をしに来たんだぞ?」
「あのな、豪炎寺。俺と鬼道は、夕香ちゃんとお前と違う。鬼道家の人間ってのは常に何事でもトップであらねばならない。勉強、運動、他にも礼儀作法や芸術、帝王学に護身術。あいつは鬼道家の跡取りだ。いつまでも『姉』に依存して生きていくわけにはいかねえんだよ」
「だが、それでもまだ大人になるまで時間があるだろう?兄弟でいる時間はあるはずだ」


豪炎寺としては当たり前の疑問だった。
兄弟とはいえいつかはそれぞれの道を歩く日は来る。
一番傍に居た互いの場所を見知らぬ誰かに譲り、別の人間と家族を作る。
けれどそれはまだ先の話だ。
中学生の自分たちはまだまだ子供と呼ばれる年齢で、結婚や恋人とよりも兄弟や家族を優先する方が自然に感じた。
一瞬だけ痛みを堪えるように目を細めた円堂に、首を傾げる。
だがその表情は瞬き一つの間には消えていて、気のせいだったのかと真っ直ぐに瞳を覗き込んだ。


「そうだなぁ、例えて言うなら宇宙人の襲来だ」
「はぁ?」
「ある日宇宙人が来て、お前に言うんだ。『お前を近い将来人間が住めない場所に連れて行く。いつ連れて行くかは明確に決めてないが、家族にも二度と合わせない。拒否しようとしても無駄だ。我々には人類の及ばぬ力があり、国家戦力を持ってして抵抗しても無駄だ』ってな」
「宇宙人がか?どうして俺に?」
「お前が選ばれたのに意味はないさ。けれど他の誰でもなくお前を絶対に連れて行くって決めてる。人類の中から結構な確率で選ばれたお前に拒否権はない。そして宇宙人に浚われる事実は誰に告げてもいいけれど、未来は絶対に変えられない。そうしたらさ、お前はどうする?」


何もかもが唐突な質問だ。
先ほどの鬼道の話からどうして宇宙人の襲来になったのかわからない。
戸惑う豪炎寺に、いつもより少し意地の悪い顔をした円堂は、ぴんと立てた指先を振り問いかける。


「どうするって、何を?」
「一番大事な相手に、夕香ちゃんに何て言う?馬鹿正直に『お兄ちゃんはいつかは判らないが、近い将来宇宙人に浚われて二度と会えないから地球で元気に暮らしてろよ』って言うか?」
「いや・・・言わないな」
「じゃあ、どうする?」


例え話だと言ったくせに、嘘や冗談を許さないとじっと覗き込んできた円堂に言葉を詰まらせると、大盛りの皿を持った二人がリビングへ戻ってきた。
さりげなく豪炎寺と円堂の間に身を割り込ませると、一之瀬がどんとナポリタンの乗った皿を机に置く。
同じように空寒くなる視線で睨み付けてきた風丸も、大皿一杯のオムライスを机に置き円堂の隣に腰掛けた。


「俺は連れてく。守が嫌だって言っても、絶対に手を放さないで連れてくから。泣いても喚いても絶対に放したりしないよ。一人で浚われるくらいなら、一蓮托生で巻き込んでやる」
「俺は連れてかない。けれど、地球にいる間はずっとまも姉の傍にいる。でろでろに甘やかして俺なしじゃ居られないようにして、そんで俺が消えてもずっと俺のことを覚えててもらう」
「黙れお子様コンビ。まず俺の話じゃないし。お前らじゃなくて豪炎寺に聞いてるんだ。てかお前ら的なハッピーエンドは若干ヤンデレ入ってて怖いぞ。───そんで、お前ならどうする?一哉みたいに強制的に一緒に宇宙人生活?それとも、風丸みたいに自分無しじゃいられないようにして、そのまま置いていく?」
「俺は───俺なら、そうだな。夕香の前から姿を消す。宇宙人云々は何も教えないし、俺が居なくともおかしくない状況を整えて、それで、俺が居なくても大丈夫な環境を出来るだけ整えて、手を放す」
「二度と会えないのに何も言わないで消えるのか?」
「それが夕香のためだ。知ったら傷つくのなら、何も知らずに笑っていて欲しい。俺が居なくても、夕香には父さんが居る。フクさんや、学校には友達だって居る。だから、何も言わないのが一番いい。記憶ごと消せるならそれが一番いいけど、それは無理だろうからな。いつか大人になってふと思い出したとき、薄情な兄貴が居たなって笑ってくれれば、それがいい」


間に割り込んだ一之瀬の頭をむぎゅっと無遠慮に押しのけた円堂は、豪炎寺の答えに満足げに頷いた。
それにめげずに正面から抱きつく一之瀬に、こっそりと感心する。
円堂の背中から風丸が絶対零度の怒りを放出しているのに彼は全く動じてない。
そして前後からしがみ付かれながらも、こちらも全く動揺してない円堂は二人の内どちらが用意したか知れない小皿とフォークに豪炎寺に差出す。
小皿にナポリタンを取り分けて風丸に、オムライスを取り分けて一之瀬に渡すと、こちらにも料理を取るように促しながら自分はナポリタンとオムライスを半分ずつ皿に載せた。
いつもサッカーの放映があるときは横一列に並んでご飯を食べるが、流石に四人は大きい机でも狭い。
僅かに体がはみ出したが、料理を取るのに支障もないし、いがみ合う二人の間に入る気力もないので押し出されるままに隅に寄る。
いただきます、と手を合わせ食事を開始してから暫くして、ぽつりと円堂が口を開いた。


「豪炎寺なら、そう言うと思ったよ。お前は俺と似てるからな」
「・・・円堂?」
「まあ、つまりそう言うわけだ。俺も弟離れしなきゃ駄目だし、あいつも姉離れする時期だ。俺たちを繋げる糸は、細くて視認するのもやっとなくらいのものだけど、それでもサッカーがあれば繋がってられる。あいつは、もう勝つためだけにサッカーはしない。ちゃんと笑えるようになったし、自分で考えて動ける。それに何よりあいつはもう一人じゃない。支えてくれる仲間がいる。掛け替えのない妹が、暖かい家族が居る。狭い世界の殻を破るには丁度いいだろ」
「手放したのは、鬼道のためか?」
「俺のためだよ。俺ってエゴの塊だから、全部最終的には自分のため。我侭なんだ、基本的に。何ていっても長年お嬢様生活してたからなぁ」


からからと笑う円堂は、信じられないことにナポリタンとオムライスを一口で食べた。
麺類をおかずにご飯を食べる人がいるのは聞いたことあるが、同時に食した相手を見るのは初めてだ。
もぐもぐと租借してそれぞれに感想を言う彼女は味覚は秀でてるのだろうが、何か色々ずれている。
もしかして美味しいのかと真似てみたが、豪炎寺には個々で食べる方が合っているようだった。
眉間に皺を刻んでナポリタンをフォークでまきつつ口に入れる。
どこか懐かしい味のそれは、何となく一之瀬らしい味がした。
繊細でありながら豪快な彼の料理は何でも目分量だ。
オムライスを口にすればケチャップとしっかりと焼かれた卵が美味しく、家庭的な味は風丸らしくて笑ってしまう。
同じ品目を作っても自分ではこういう味は出せないので、妹が目を覚ましたとき用に二人にレシピを教えてもらおうとこっそりと決めた。

それからはDVDに視線が移り、先ほどまでの険悪な様子を忘れたように四人で笑いながら食卓を囲う。
一人人数が増えても賑やかなのは変わらなくて、珍しくサッカー番組以外でテレビをつけたまま食事をしてるのに違和感はなかった。


「ところで」
「ん?」
「宇宙人は、いつ襲来するんだ?」
「ぶはははははっ!それ、天然?天然か、豪炎寺!!」
「・・・・・・」


DVDが終了してから疑問に思っていたことを問うと、やはり爆笑されむっと眉を寄せる。
結局何もかも知らされずに誤魔化されたと気がつくのは、それから遥かに時間が経ってからだった。

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上がる呼吸を整える暇もなく走り続けた。
父に真相を知らされてから三日。
どうしても会いたくて居場所を探した人の手掛かりは、鬼道の息子としての権力を施行しても得れなかった。
学校を休んで心当たりのある場所は全て巡った。
まだ日本に居ることだけは保障してくれた父が黙認してくれるのを知りつつ学校をサボり、車や飛行機で彼女が居そうな場所を尋ねて回った。
寝食も満足に取らず、出来る限りのことをした。
三日間で四キロ痩せたがそんなのを気にする余裕もなかった。
探して探して探して探して、自分だけの力で探せないと理解した瞬間に、一番最初に足を運んだ場所に向かった。

雷門中の校門前に立つと、丁度授業が終わり下校しつつある生徒の間を駆け抜ける。
何事かと振り返る彼らの視線など気にならない。
張っていた意地は欠片も残っておらず、縋れるなら誰相手でも良かった。

上下する肩も、流れる汗もそのままに、ノック一つせず目の前のドアをこじ開ける。
勢い余って激しく音を立てたそれに唖然とする部員と、マネージャーの三人がこちらに視線を向けた。
ぐるりと視線でひと撫でして目的の人物が居ないと判るなり、床に膝を付いて瞼を閉じる。
やはり、ここにも居ない。


「・・・お兄ちゃん?どうしたの?」
「姉さんは・・・円堂守は、何処にいる?」
「円堂?あいつならこの三日学校に来てねぇぞ」
「家の都合だって言ってたから、お前も知ってるんじゃないのか?」
「何で鬼道が・・・ああ、そっか。そういや鬼道は円堂の『弟』なんだっけ?」
「馬鹿!音無の前でそれを言うなって言われてるだろ」
「あ、そうだった!今の無しな」


ざわりと騒ぎ出した部室で複雑そうな表情をする妹に目を細め、落胆のあまり床に手を付く。
彼らは何も知らされてない。
暢気な会話はこれが日常だと告げていて、得られぬ情報は胸を締め付けた。
まさかこのまま居なくなってしまうつもりなのだろうか。
仲間として戦った彼らに何も告げずに。


「そういや、一之瀬も三日前から休んでるよな?」
「あー・・・俺、メール貰ったけど、風邪引いたらしいぜ?」
「一之瀬君が風邪引くなんて珍しいからお見舞いに行くって言ったんだけど断られたのよね」
「うんうん。勝手に突撃しようかと思ったけど、良く考えたらあいつが日本で何処に住んでるか知らなかったんだよな、秋」
「私はてっきり土門君が知ってると思ってたんだけど」
「俺も秋なら知ってると思ってた。おじさんとおばさんはアメリカにまだ居るみたいだし、携帯は電源切られてて電話も繋がらないし、あいつ生きてんのかね?」
「縁起でもないこと言わないの!円堂君も一之瀬君も二人ともムードメーカーだから、いないと寂しいし早く部活に出てきてくれればいいんだけど」


緩く首を振った木野に、土門も苦笑した。
仲睦まじい様子から彼らが親しい間柄にあると察せれたが、そんな事実は今はどうでもいい。
心配そうに水を差し出してくれた妹の手を拒絶して、呼吸を整えた。

可能性は限りなく低い。
それでももう他に頼れる相手が居ない。


「・・・頼む、誰でもいい。姉さんの家を知っているやつが居たら、教えてくれ」
「!?ちょっと、お兄ちゃん!?」
「どうしたんだ、鬼道!?おい、止めろ」
「知らなくても、些細な情報でもいいんだ。───頼む」


床に額を押し付けるようにして頭を下げる。
土下座など生まれて初めてだが、形振り構う余裕はなかった。
何もしないまま失うのは、何も知らされないままに終わるのは、もう御免だった。
高いプライドを曲げてでも望むのは、ただ彼女の存在。
まさか帝国の鬼道がこんな真似をすると思ってもいなかった雷門の面々は必死に押し留めようとするが、体に触れる手を解いてまた頭を下げる。


「どうして、円堂の家を知りたがるんだ?」
「豪炎寺」
「円堂はこの間の試合後、お前と音無を残して帰った。だが、お前らは兄弟なんだよな?鬼道の家に帰れば会えるんじゃないのか?」
「姉さんはもう、鬼道の家に居場所はない」
「どういう意味だ。円堂はお前の姉だろう?どうして、居場所がないなんて」
「あの人は、自己紹介したとき何て言っていた?」
「そりゃ普通に、円堂守って言ってたけどよ。それがどうした?」
「それが全てだ。あの人は、鬼道家との養子縁組を解消している。そして、新たな養子候補として春奈を指名していたんだ」
「私を?」
「そうだ。自分が養子から抜けるからとお前を引き取るように告げ、また居なくなる気だ。今ここで逃がしたら、俺はもう二度とあの人に会えない。あの人は」


息を詰めた雷門サッカー部の様子に、絶望が脳裏を過ぎる。
項垂れて視線を下げれば、襟元を強引に掴まれ顔を上げさせられたと同時に左頬に衝撃が走った。
がつんとした痛みに抵抗すらしないでいると、赤褐色の瞳がこちらを射抜いている。
確か彼は、雷門サッカー部の前キャプテンの風丸。
特徴的な青緑の髪を一本で結い上げた端正な顔立ちを歪め、ぎらぎらとした目で射殺しそうな勢いでこちらを睨んでいた。


「ふざけるな!」
「止めろ、風丸!」
「まも姉が幸せに暮らしてると思っていたから、鬼道家で愛されてると信じたから、俺は何年も我慢していたんだ!あの人の話題がお前一色になっても、嬉しそうな顔をしてたから、だからあの人が『鬼道守』で居るのを許容していたのに・・・っ、それを、お前らは!」
「風丸、落ち着け!鬼道は何も知らなかったのは判るだろう!?」
「そんなの関係ない!あの人は、他に身寄りがないんだぞ!両親を事故で亡くし、祖父も、親戚も誰一人いなくて、身内と呼べる相手はもう誰も残っていないんだぞ!知らなかったのが言い訳になると思ってるのか!?何でお前ばっかり幸せになるんだ!何でまも姉から何もかも奪う!?お前にも音無にも家族は居るのに、どうしてまも姉から取り上げるんだ!」
「止めるんだ、風丸!円堂が一度でも二人を責めたか!?自分から奪ったと、音無や鬼道に一言でも言ったか?違うだろう?あいつはそんなこと一度でもしなかったはずだ。全てを選ぶのは円堂だ。円堂のためと鬼道を殴るのなら止めろ。そんなこと、あいつは望んでいない」
「うるさい、豪炎寺!!放せ、染岡ぁ!」


自分を押さえつける豪炎寺と染岡を振り切り再び鬼道へと手を伸ばしてきた風丸に、ぐっと奥歯を噛み締める。
抵抗など考え付かなかった。
殴られたかった。責められたかった。誰が相手でもいいから、糾弾して欲しかった。
姉の想いの上で胡坐を掻いていた自分を知り、それでも誰一人として鬼道に何も言わなかった。
あれほど姉を愛していた父は、貝のように口を噤み姉の名前を口にしようともしない。
気遣われたくなかった。いっそボロボロにして欲しかった。
それすら自分を満足させるためでしかないと、自己嫌悪に陥りながらも、風丸の行為に贖罪を促された気にすらなった。
二度とサッカーが出来ないくらい、痛めつけて欲しかった。

なのに。


「はーい、そこまで。喧嘩は止めような」
「円堂!」
「あっちゃー・・・こりゃ、腫れるね。鬼道家の坊ちゃんにやるなぁ、風丸」
「一之瀬!?」


ぱんぱんと手を鳴らす音に次いで、背後から聞こえた声にびくりと体を震わす。
雷門のサッカー部の面々はあからさまに安堵した表情を浮かべ、自分を殴ろうとしていた風丸は泣きそうに顔を歪めた。
緊張の糸が張り詰めていた空間は、暢気な口調により打ち破られた。

こつり、と近づく足音に身を強張らせ、───鬼道の姿などまるで目に入らないとばかりに素通りした背中に息を呑んだ。
まだ見慣れない短い髪にバンダナを巻いたその人は、黒縁の眼鏡を指の腹で押し上げると苦笑する。
仕方がないなと、懐かしさすら感じる笑顔でその人が触れたのは、自分ではなく風丸だった。

怒り心頭に発するとばかりに怒鳴っていた彼はそれだけで大人しくなり、ぐっと目の前の体に抱きつく。
ぽんぽんと手馴れた仕草で背中を叩きながら宥めると、くしゃくしゃになるまで髪を撫でる。
あっという間に落ち着いた風丸に胸を撫で下ろした雷門サッカー部の面々と違い、鬼道は目の前が真っ暗になった。


「ちろたは昔から案外と気が短いよなー。顔は綺麗で可愛いのに」
「可愛いとか綺麗とか言うな」
「気がつけば性格男前だ。昔は泣き虫ボンバーだったくせに」
「っ、子供の頃のことは言うな!」
「あーはいはい。ったく、手が掛かるなぁ、俺の幼馴染は」


親しげな会話から拾った内容は、全て初耳のものばかりだ。
姉に幼馴染と呼べる人が居るとしたら、それは自分も知る鬼道家関連の相手のみだと思い込んでいた。
だがどう見ても目の前の少年はサッカー部との試合が初顔合わせで、それまでは存在自体を知らされていなかった。

向けられる微笑みは優しく、触れる手は慈しみに溢れ、醸し出す雰囲気は極めて親しげだ。
天と地がひっくり返るような衝撃の中、ぽんと肩に手を置かれた。
にこにこと笑いながら自分に触れた少年は、アメリカ帰りの天才『一之瀬一哉』。


「大丈夫?氷か何か、持ってこようか?」
「俺は・・・」
「それとも、自分じゃない別の誰かを優先する守に、それどころじゃない?あはは、じゃあ今から慣れなきゃ駄目だね」
「お前は、何を」
「君はもう守とは何の関係もないんだから。音無っていう妹も居て、鬼道家に帰れば親御さんが居て、それで十分でしょ?守には守の世界があって、君には君の世界がある。それを邪魔する権利が、君にはあるの?」
「俺は、邪魔する気はなくて、ただ、話を」
「話・・・話、ねぇ。何の話をする気だったの?鬼道の家に戻れって?また、自分の姉として暮らせって、そうやって押し付けるの?」
「一之瀬先輩、止めてください!お兄ちゃんはまだ何も言ってません!」
「麗しい兄弟愛だな。さすが、血が繋がった本物だけあるよ」
「───何が言いたいんですか」
「別に、何も?ただ、血の繋がらない他人が兄貴の名前を呼ぶこともなくなって、良かったねってくらいかな」
「聞いて、いたんですか?」


顔を青褪めさせた妹に、一之瀬はにこりと微笑んだ。
その表情は確かに笑っている。笑っているが、底知れない闇がある。
怯えたように震える妹を抱きしめて、体を張って庇う。
すると益々一之瀬は笑みを深め、ぞくりと背筋を悪寒が走った。


「ほらほら、一哉もやめろ。ったく見ろよ、音無が怯えちゃってるじゃないか」
「だってさ、守ったら言われっぱなしなんだもん。一言くらい言い返してもいいでしょ」
「するかしないか決めるのは俺だ。お前らは余計なことをしなくていいの」


抱きついていた風丸を背中にくっつけたまま一之瀬の額を指先で弾いた姉は、微苦笑を浮かべるとこちらを向いた。


「悪いな、音無。こいつも悪気はないんだけど、いかんせん基礎の性格が悪いんだ。許してやってくれな」
「何、その言い草。俺は守ほど性格悪くないぞ」
「失礼な。俺も一哉には負けるぞ」


いやいやと額を付き合わせる彼らに、むっと唇を尖らせた風丸が無理やり距離を置かせた。
先ほどまでの偽りの笑顔ではなく、子供のように拗ねた態度で顔を逸らした一之瀬に肩を竦める。


「ホント、ごめんな音無。あんなアホの言うことなんて気にするなよ?」
「キャプテン、でも、私は」
「悪意があるかどうかくらい俺も判るよ。ずっと寂しくて悲しくて、だから混乱しちゃったんだよな?そんな泣きそうな顔するなよ。俺、女の子に泣かれるの弱いんだ」
「ごめんなさい、ごめ」
「あー、だから泣くなって。女の涙は武器になるけど、安売りするようなもんじゃないぞ?」
「音無が謝るのは卑怯だ。謝られたら守は許すしかなくなるじゃないか」
「一哉・・・いい加減にしろ。それ以上は、俺が許さない」
「・・・ごめん」
「俺に謝る必要はない。音無に謝れ」
「嫌だ」
「一哉!!」
「俺は謝らない!守が怒らないから俺が怒っただけだ!俺は悪いことはしてない!だから、絶対に謝らない!」


ぎっと瞳を吊り上げてこちらを睨んだ一之瀬は、すぐに踵を返して部室から出て行った。
その姿を呆然と見送る雷門の面々に、深々とため息を落とした人は頭を掻くと肩を竦める。
戸惑うように立ち竦む人間の中で唯一動いた豪炎寺は、彼女の肩を掴むと僅かに眉尻を下げて問いかけた。


「・・・いいのか?」
「少し頭を冷やさせた方がいいからな。時間がたったら迎えに行くよ。どうせ、何処に居るかは判ってる」
「違う。お前自身だ。お前は本当にいいのかと聞いてるんだ」
「意味がないことを聞くな?豪炎寺。判ってることしか言われてないのに、今更何を気にしてるんだ?お前にしても、風丸にしても、一哉にしても、ちょっと過保護だな」
「そうか。・・・俺は、お前が納得しているならいい」
「豪炎寺が一番聞き分けがいいな。よーしよし」
「やめろ。髪が乱れる」
「あはは、色気づいちゃって。どう思うよ、染岡。豪炎寺が軟派なこと言ってるぞー」
「どうして俺に振るんだよ」
「いや、何となく。染岡って硬派なイメージだし、軟弱なことを言うなってちゃぶ台返ししそうかなって」
「変な期待をすんな!大体部室にちゃぶ台はねぇし、俺は昭和のイメージか!?」
「いやぁ、俺の中の染岡はそんなんだし」


けらけらと笑う彼女に、部室内の空気が緩む。
雷門中のサッカー部の面々は和やかな雰囲気に徐々にペースを取り戻し、腕の中で固まっていた体が強張りを解く。
覚えている通りの姿に無意識に腕が伸びる。
だが、その手は、届く寸前に避けられた。


「それで、本当にどうしたんだ?俺には状況がさっぱりなんだけど」
「鬼道が、お前を探して尋ねて来たんだ。尋常じゃない様子で、いきなり土下座まで始めてよ。お前が何かしたんじゃないのか?」
「俺が?いや、俺は何もしてないぞ?」
「けど、鬼道の家の養子から外れたとか、また居なくなるとかなんとか言ってたぞ?」
「ああ、何だそのことか。態々それを聞きに来たのか、鬼道?」
「───っ、姉、さん?」
「姉さん?俺はもうお前の姉じゃない。聞いたんだろ?帝国との試合当日に鬼道家との養子関係は解消された」
「っ」
「変な奴だな、鬼道。俺たちは本物の兄弟じゃない。鬼道家という繋がりを失くした俺は、お前とはもう何の関係もない赤の他人だ。『鬼道守』はもう存在しない。ここに居るのは『円堂守』。それで、他に何が聞きたいんだっけ?養子を解消したのは教えたし、・・・居なくなるとか何とか?そりゃずっと中学に居続けるわけには行かないだろ。俺たちは成長するんだから。ノット中学浪人」
「そうじゃない、俺が言いたいのは」
「あのな、鬼道。俺とのサッカーは楽しかったか?」
「え?」
「影山は勝つためなら何でもしろと教えただろう?でも俺は昔からお前にそんなことは求めてなかった。お前は、この間の雷門とのサッカー、楽しかったか?」
「・・・楽し、かった。久し振りに全力で、前だけを見て、あなたとぶつかった。ボールを蹴るたびに胸がわくわくして、仲間とのパスで心が繋がる気がして、全力で戦った上での負けならば、俺はそれも認められる」
「そっか」


それは良かった、と微笑んだ人は酷く嬉しそうだった。
再び彼女に手を伸ばそうとして、やっぱり触れられなくて。
意図的によけられていると感じどくどくと心臓が早鐘を打つ。


「それならいい。やっぱ、サッカーは楽しいものじゃないとな。俺とお前は兄弟じゃくなったけど、サッカーをしてれば繋がってるさ。いい加減、俺も正義のヒーローごっこするのは恥ずかしいし、お互いそろそろ先に進もうぜ」
「・・・姉さん?」
「だーかーら、俺はもうお前の『姉』じゃねえっての。血の繋がらない姉貴の一人や二人いなくなったってお前には父さんがいる。妹も、支えてくれる仲間もいる。俺は俺の道を歩くから、お前もお前の道を行け。どっちにしろ一生一緒にいるなんて無理なんだし、姉離れするにはいい時期だろ」


にこにこと、掴みどころのない笑顔に、漸く気がついた。
彼女の笑顔は他人向けだ。
きっかりと引かれた一線は、踏み込んでくるなと言外に告げている。


「聞きたいことはそれだけか?なら、俺はもう行くな。一哉が俺を待ってる」
「おい、円堂!?お前この状態で放置する気か!?」
「これ以上放っておいたら本気で一哉がへそを曲げるからな。鬼道には音無が居るからいいだろ?・・・ほら、いい加減おんぶお化けはやめろ、風丸」
「嫌だ。俺も行く」
「お前も?おいおい、本気?」
「本気だ。お・れ・も・い・く!」


顔を押されてもしがみ付いて離れない相手に、妥協したのか肩を落とす。
諦めてそのまま風丸の鞄を壁山に取ってもらうと、腕を巻きつけたままの風丸を引き摺ってドアの前に立った。


「ってーわけで、一哉捜索隊行ってまいります。悪いけど、今日まで部活は休ませてな。キャプテンなのに、ごめんなー。風丸もこの通りだし、今日の部活は染岡の指示で練習してくれ。全国大会に向けて、基礎体力の訓練とフォーメーション確認を重点的に宜しく。それと染岡と豪炎寺はシュート練習に力を入れて、目金は目端が利くからシュート練習のときだけそいつらの技の成長度を書き留めておいてくれ。その間ディフェンス陣は残りのメンバー相手にグランドの半面使って防御練習。特に、土門を見習ってボールカットの強化な。木野と夏美は何でもいいから見てて気がついたことをノートにメモ。音無は・・・そうだな、兄貴が気になるだろうから、今日はお前も休め」
「・・・・・・」
「返事は?」
『は、はい!』
「それじゃ、皆本当に迷惑掛けてごめんな!しっかりと俺たちも特訓しとくから、許してくれ。明日には俺たちも復帰するし、練習も通常通りに戻すから、覚悟しておいてくれよ。ああ、そうだ鬼道。また一緒にサッカーやろうな!」


へらり、と気の抜けた笑顔で手を振ると、そのまま彼女は未練なく部室を後にした。
勢いで返事をしたが、どうすればいいのかと戸惑う雷門中のサッカー部に、ああ、迷惑を掛けていると頭のどこか冷静な部分が訴える。
去った姿に追い縋ることも出来なくて、立ち上がる気力すら持てなかった。
今のは俗に言う最後通牒というものなのだろうか。
それまで積み上げてきた関係はその程度でしかなく、あの日弟と呼んでくれたのは夢だったのだろうか。

苦しくて、悲しくて、悔しくて、それなのに全部自業自得だからと、納得しなくてはと理性は訴える。
何も知らない間は憎んでいて、全てを知った後に元の鞘に戻りたいと望むなど、厚かましいと叫んでる。
だから拒絶されても仕方ないと、捨てられても仕方ないと、自分じゃない自分が囁き、それでも納得出来ないと、心の奥が慟哭する。


「大丈夫か、鬼道?」
「・・・ああ」
「お兄ちゃん、顔色が悪いよ」
「そうか」
「保健室に連れて行ってやった方がいいんじゃねぇ?」
「そうだな。おい、肩を貸してやるから掴まれ」
「・・・・・・」


気を使ってくれているのか、周囲から優しい言葉が降ってくる。
言われるがままに豪炎寺に肩を借りて、体を持ち上げようとした瞬間全身の力が抜けた。
妹の叫び声や、慌てたように触れる手に、ぐっと瞼を閉じる。


「そうか・・・。俺はもう、一人なのか」


黒く染まる視界で漸く理解した現実は、涙も零せないほど呆気ないものだった。
兄弟という関係に依存した挙句、誰よりも執着した絆は崩壊していて、掌に掬い上げたのはその名残ともいえる残骸のみ。
薄れ行く意識の中で見つけた真実に、早く思考も及ばぬ闇へ落ちてしまえと強制的に記憶を閉じた。

拍手[6回]

ボールを持っていつも通りに基礎の練習をしようと人目につかない場所を探してうろついていた飛鷹は、目に入る意外な光景に心底驚いた。
木漏れ日の中で何かを必死に編む円堂。
何故人目につかない場所でやっているのか知れないが、それだけなら飛鷹もそう驚かなかった。

問題は彼女のすぐ隣で胎児のように背中を丸めて眠る不動だ。
いつも生意気な顔で挑戦的な目をしている印象が強い彼なのに、円堂の隣で眠る彼は寄せられていることが多い眉間の皺も解け随分と柔らかい表情をしていた。
まるで、そう、まるで絶対的に信頼できる相手の近くで眠る、安心しきった子供のようだ。
自分を傷つけるものはいない、だから警戒する必要もない、とばかりに健やかな寝息を立てていた。

呆然とボールを持ったまま間抜けな格好で立ち竦んでいると、前触れ無しに声を掛けられぱちりと意識を取り戻す。
こちらを振り向きもしないで手元だけを見ているのに、いつから気づかれていたのだろうか。
驚愕している飛鷹に、ゆっくりと顔を上げる円堂はいつも通りに笑っている。
そしてとんとんと不動とは反対側の場所を指で叩いた。

隣に来い、と言うことだろうか。
少しだけ躊躇い、そっと足音を立てぬように近寄る。
僅かでも音を立てれば眠っている不動が目を覚ましそうで、つい細心の注意を払った。


「また基礎練習か?精が出るな」
「そんなことないです。・・・俺は、他の奴らほど技術がねえから、きっちりと練習しねえと」
「そっか。うん、その調子で無理せず適当に頑張れ」
「適当・・・ですか?」
「そう。適当って言ってもいい加減に手抜きしろって意味じゃないぞ。自分の状況に相応しい量だけこなせって意味だ。求める以上をすれば体に負荷が掛かり過ぎる。努力は尊いがやり過ぎで体を壊したら元も子もないからな」
「はい」


噛み砕いて説明してくれた彼女に頷くと、にかっと笑ってまた視線を手元に戻した。
何となくつられて流れるような動きに見惚れていると、何本もの糸を器用に操りながらどんどんと柄が出来ていく。


「ミサンガですか」
「そ。黒とグレーをベースに赤がアクセント。白は柄を作るのに使ってるんだ。あ、何かわかる?」
「髑髏・・・っすか?」
「正解!いやぁ、良かった。久し振りに作るからちょっと自信がなかったんだよな」
「十分上手に見えますけど」
「お世辞でも嬉しいよ、サンキュ。一応プレゼント用だからな」
「・・・・・・」


髑髏柄のそれをプレゼントと聞き、僅かに首を傾げる。
スタイリッシュなデザインのそれは格好いいが、彼女の弟や豪炎寺にはイメージが違う気がした。
だからと言って他に仲のいい綱海や、一年生たちとも違う気がする。
マネージャーたちを思い浮かべたが、女性がするにはデザインが男性向けだ。
自分が知らない親しい相手にでも上げるのだろうか、と、つきりと痛む胸に眉を顰めると、白糸と黒糸を交互に編んだ彼女は器用に新しい柄を追加する。
しかし完成したそれは、柄ではなく文字だった。


「A・H?イニシャルですか?」
「うん。不動明王だからA・H。スカルはイメージじゃない?」
「いや・・・似合ってると思います」


言葉に嘘はない。
プレゼント相手を考えると、確かにそれは不動のイメージにピッタリだ。
甘さのないキツイ印象でスマートで無駄がない。だが何故か惹き付けられる。
まるで彼そのもので、だからこそ飛鷹は何とも言えない気分になった。

このミサンガは彼にプレゼントされるために作られた、不動のためだけの一品ものだ。
つまりこれを作ってる間はきっとずっと不動のことだけを考えていて、その間だけでも彼女の意識を独占できたということだろう。
彼女に特別な意味で好意を持っている飛鷹からすると、とても複雑で仕方ない。
他人を気に掛ける円堂の懐の大きさを好んでいるのに、相反して自分だけを見て欲しいと望みそうになる。
そんなこと絶対に言えっこないのに、何も言わなくても気に掛けてもらえる不動が羨ましい。


「ですが普通にプレゼントしても不動は絶対につけないと思います」
「だな。だから勝手につけてやる。しかも固結び。ふはははは、目覚めてから驚くがいい」
「・・・そんなに結んだら解けないんじゃ」
「ミサンガは普通解かないだろ。自然に切れるまで身に着けなきゃ意味ないじゃん」
「でも、鋏で切られたら」
「いいのいいの。それならそれで別にいい。俺がやりたいからやるだけだしな」


けど、もし不動が彼女のプレゼントをずさんな扱いをするなら、円堂が許したとしても自分は許せない。
彼女がどんな顔でこれを作ったか見てしまったから、だから絶対に赦せないだろう。
暴力沙汰は禁止されているが、その瞬間を見たら自分がどう出るか判らない。

黙り込んだ飛鷹に違和感を感じたのか、きょとんと瞬きをしてこちらを見た。
罪悪感からその視線を真っ直ぐに受け止められず俯くと、ぽんと肩を叩かれる。


「実は俺、確信しちゃってるんだ」
「何をです?」
「不動は絶対にこれを捨てないってね。案外に律儀だからな」
「・・・」


何も言わなかったのに全て見抜かれていて、かっと顔が赤くなった。
円堂守という人は、不思議だ。
口にしない思いを理解し、そして何気なく掬い上げる。
見透かされた想いが恥ずかしくて黙り込むと、彼女は自身の体で死角になっていた部分から紙袋を取り出し笑った。


「糸はまだまだあるんだ、飛鷹のも作らせてよ」
「俺の分を?」
「おう!飛鷹は何色が好きだ?お前は硬派なイメージがあるし、シンプルなのも似合いそうだよな。私服のときのイメージで黒地に一本の赤いラインとかいな。お前はどう思う?」
「俺は・・・円堂さんが選んでくれるなら何でも」
「何でもいいってのが一番難しいんだぞ。何選んでも絶対につけろよ」
「・・・はい」


唇を尖らせて訴える円堂が可愛くて、つい笑ってしまう。
瞳を丸めて飛鷹を見詰めた彼女は益々笑みを深めた。


「飛鷹って」
「何ですか?」
「笑うと幼くなるのな」
「───っ」


唐突な言葉に、意味を理解すると同時に顔が赤く染まった。
口元を覆い俯いて顔を隠そうにも、耳まで赤いから隠し切れない。
きっちりとセットしている髪に手を差し込まれくしゃくしゃにされたが怒るに怒れない。
照れくさくて恥ずかしくて、けれどやっぱり嬉しくて。


「練習が終る前までに作っとくから、ちゃんとつけろよ」


俯いていたから、にいっと意地悪く笑ったその表情に気づくことが出来なかった。



その後さらりと手渡されたミサンガが、ピンクと赤のハート飛び交うもので凍りつく。
折角彼女が作ってくれたのだから、とか、約束したし、とか考えながら動けないでいると、盛大に笑った彼女はもう一本別のミサンガを差し出してくれた。
自分の髪と良く似た色がベースのミサンガにはサッカーボールとイニシャルが入れられていて、普通のデザインにほっと息を吐く。
ちなみ最初に差し出されたミサンガもお守りとして櫛に結びつけたのだが、誰にも知られたくなくて予備のものに結ばれたそれは、ひっそりとトランクに隠された。

身に着けるミサンガに願うのは勿論サッカーのこと。
そして隠したミサンガには何も願わずに覚悟を結んだ。
いつかこのミサンガが切れた時、沢山溜まっているはずの覚悟で秘めた想いを伝えようと。

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