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ベッド脇の明かりだけが灯された室内は静かだった。
そのお陰で、普段なら気にならないだろう大きさのすうすうとした微かな寝息が耳まで届く。
靴音を立てないようにゆっくりとベッドに近寄れば、こちらを振り向かない背中がぴくりと揺れた。
「・・・ごめんなさい、父さん」
息子の手をきゅっと握った少女は、今にも消え入りそうな声で囁いた。
心から罪悪感を搾り出したらこんな声になるのではないだろうか。
少なくとも、まだ十五歳の少女が出すようなものではないだろう、鎮痛で重苦しい雰囲気を持っていた。
「ごめんなさい、父さん。私は、最後の最後で振り切れなかった。サッカー以外は望まないと決めたのに、この子の伸ばす手を拒みきれなかった。有人を本当に想うなら、この手を取ってはいけなかったのに。そのために、鬼道の家から出たのに、ごめんなさい・・・我侭を通してもらって、結局私は」
「───守」
「この子は鬼道財閥の跡取りで、私はその補助すら出来ないのに、十年後、隣に立っていることすら出来ないのに、無責任な真似をして、ごめんなさい」
「守」
「父さん・・・私は、あなたに何の恩返しも出来ません。孤児だった私を引き取り、留学までさせてもらって、色々と良くしていただいたのに、新しい娘も、鬼道のお役に立つことも、有人の手を放すことも、何一つ満足に出来ない。ごめんなさ」
「やめなさい、守」
震える声で懺悔する娘の背中はとても小さく、泣きたくなるような哀切を運ぶ。
いつだって完璧で、誇らしかった自慢の娘。
与える全てを吸収し、自制心に優れ、臨機応変に長けた娘は、女の身であっても自分の後継者に指名したいほの天賦の才の持ち主だった。
特にサッカーに関して言えば神に愛されたとしかいいようのない才能を有し、将来的には財閥の一員になってもらうとしても、留学すらさせても惜しくなかった。
親馬鹿と言われようと誰に向けても自慢で、愛しく可愛い我が子。
「お前は何も悪くない。謝らなくていい。───謝らなくて、いいんだ」
「でも」
「鬼道の家を出てもお前は私の可愛い一人娘だ。有人の妹ではなく、お前が私の娘なんだ。娘は、お前だけでいい」
「・・・父さんっ」
「娘のために何かしたいと思うのは、父として当然だ。例え籍が抜けたとしても、守は私の娘であるのに変わりはない。何、恩ならたっぷり返してもらう。お前は、十年後だって生きている。私の娘は天寿を全うして、大往生してもらう。いつか最高の伴侶を得て、子供をなし、孫に囲まれて、そうしてお前は人生を終える」
背中から抱きしめた体は、また一段と痩せたようだった。
口にした言葉は何の根拠もない、彼女に言わせると妄言に入る部類だろう。
それでも鬼道は信じている。
今まで幾度もサッカーをする上で奇跡と呼ばれる行為を起こした娘だ。
きっと、今回だって、諦めなければ先はある。
こんなときでもやっぱり涙を流さない子供は、抱きしめる鬼道の腕に空いていた手を添えた。
きゅうっと手に力を篭めてしがみ付くなど、いつ以来だろう。
早熟な子供は甘えるのをやめるのも早かった。
空気を読み、先を読み、動くのが常だった。
鬼道の娘としては良い傾向だが、父親としては複雑だった。
「神がお前を欲したとしても、私は渡す気はない。私はお前のバージンロードをエスコートする夢がある。お前を手に入れる幸運な男を一発殴り、お前の子供を腕に抱く野望がある。私がぼけたら面倒見てもらい、死に際も看取ってもらうつもりだ」
「・・・父さんったら」
気が早いよ、と笑った娘を強い力で抱きしめた。
そう、神が望んだとしてもくれてやる気はない。
この子は、娘は、他の何を差し出したとしても、絶対に与えてやらない。
「ごめんなさい、父さん。私は本当に親不孝な娘です。───あなたの些細な夢は、私では叶えられないけれど、でも、悔いがない人生を送ります。差し伸べてくださる手を取れなくてごめんなさい。でも、私には、サッカーが必要で」
「それがなければ生きているとは言えない、か」
「はい」
漸くこちらを見た守は、昔のような笑顔を見せた。
サッカーは二度と出来ないと、宣告される前の、庭で弟と戯れていたときのような、明るく穏やかな笑顔。
猛烈に泣きたくなった。
二年ぶりに笑った娘は最愛の弟と手を繋ぎ、それでも自分の『生きる未来』を欠片も信じていない。
夢物語と朽ちた希望に縋ることもせず、諦念を抱いて消える日を待っている。
ちらり、と姉の手を握り眠り込む息子に視線を向けた。
有人が守に抱く想いなら、『守』を変えてくれるのだろうか。
ただ一人、守が特別と定めた子供は、頑固な心を解せるだろうか。
「覚えておきなさい、守。お前は私の娘で、掛け替えのない家族だ」
「はい」
素直に頷いた少女の頭を優しく撫ぜる。
縋りつく手は小さくて、まだ本当に子供なのだと腕の中にかき抱いた。
「ねえ、父さん。もし、私が」
続く囁きに、きつく瞼を閉じて息を呑む。
もしも、この子が変わらなければ。
「───判った」
果たさねばならない約束は、親としての義務なのだろう。
それがどれだけ鬼道の心を刻むものでも、子を守る親として、果たさねばいけない義務なのだろう。
そのお陰で、普段なら気にならないだろう大きさのすうすうとした微かな寝息が耳まで届く。
靴音を立てないようにゆっくりとベッドに近寄れば、こちらを振り向かない背中がぴくりと揺れた。
「・・・ごめんなさい、父さん」
息子の手をきゅっと握った少女は、今にも消え入りそうな声で囁いた。
心から罪悪感を搾り出したらこんな声になるのではないだろうか。
少なくとも、まだ十五歳の少女が出すようなものではないだろう、鎮痛で重苦しい雰囲気を持っていた。
「ごめんなさい、父さん。私は、最後の最後で振り切れなかった。サッカー以外は望まないと決めたのに、この子の伸ばす手を拒みきれなかった。有人を本当に想うなら、この手を取ってはいけなかったのに。そのために、鬼道の家から出たのに、ごめんなさい・・・我侭を通してもらって、結局私は」
「───守」
「この子は鬼道財閥の跡取りで、私はその補助すら出来ないのに、十年後、隣に立っていることすら出来ないのに、無責任な真似をして、ごめんなさい」
「守」
「父さん・・・私は、あなたに何の恩返しも出来ません。孤児だった私を引き取り、留学までさせてもらって、色々と良くしていただいたのに、新しい娘も、鬼道のお役に立つことも、有人の手を放すことも、何一つ満足に出来ない。ごめんなさ」
「やめなさい、守」
震える声で懺悔する娘の背中はとても小さく、泣きたくなるような哀切を運ぶ。
いつだって完璧で、誇らしかった自慢の娘。
与える全てを吸収し、自制心に優れ、臨機応変に長けた娘は、女の身であっても自分の後継者に指名したいほの天賦の才の持ち主だった。
特にサッカーに関して言えば神に愛されたとしかいいようのない才能を有し、将来的には財閥の一員になってもらうとしても、留学すらさせても惜しくなかった。
親馬鹿と言われようと誰に向けても自慢で、愛しく可愛い我が子。
「お前は何も悪くない。謝らなくていい。───謝らなくて、いいんだ」
「でも」
「鬼道の家を出てもお前は私の可愛い一人娘だ。有人の妹ではなく、お前が私の娘なんだ。娘は、お前だけでいい」
「・・・父さんっ」
「娘のために何かしたいと思うのは、父として当然だ。例え籍が抜けたとしても、守は私の娘であるのに変わりはない。何、恩ならたっぷり返してもらう。お前は、十年後だって生きている。私の娘は天寿を全うして、大往生してもらう。いつか最高の伴侶を得て、子供をなし、孫に囲まれて、そうしてお前は人生を終える」
背中から抱きしめた体は、また一段と痩せたようだった。
口にした言葉は何の根拠もない、彼女に言わせると妄言に入る部類だろう。
それでも鬼道は信じている。
今まで幾度もサッカーをする上で奇跡と呼ばれる行為を起こした娘だ。
きっと、今回だって、諦めなければ先はある。
こんなときでもやっぱり涙を流さない子供は、抱きしめる鬼道の腕に空いていた手を添えた。
きゅうっと手に力を篭めてしがみ付くなど、いつ以来だろう。
早熟な子供は甘えるのをやめるのも早かった。
空気を読み、先を読み、動くのが常だった。
鬼道の娘としては良い傾向だが、父親としては複雑だった。
「神がお前を欲したとしても、私は渡す気はない。私はお前のバージンロードをエスコートする夢がある。お前を手に入れる幸運な男を一発殴り、お前の子供を腕に抱く野望がある。私がぼけたら面倒見てもらい、死に際も看取ってもらうつもりだ」
「・・・父さんったら」
気が早いよ、と笑った娘を強い力で抱きしめた。
そう、神が望んだとしてもくれてやる気はない。
この子は、娘は、他の何を差し出したとしても、絶対に与えてやらない。
「ごめんなさい、父さん。私は本当に親不孝な娘です。───あなたの些細な夢は、私では叶えられないけれど、でも、悔いがない人生を送ります。差し伸べてくださる手を取れなくてごめんなさい。でも、私には、サッカーが必要で」
「それがなければ生きているとは言えない、か」
「はい」
漸くこちらを見た守は、昔のような笑顔を見せた。
サッカーは二度と出来ないと、宣告される前の、庭で弟と戯れていたときのような、明るく穏やかな笑顔。
猛烈に泣きたくなった。
二年ぶりに笑った娘は最愛の弟と手を繋ぎ、それでも自分の『生きる未来』を欠片も信じていない。
夢物語と朽ちた希望に縋ることもせず、諦念を抱いて消える日を待っている。
ちらり、と姉の手を握り眠り込む息子に視線を向けた。
有人が守に抱く想いなら、『守』を変えてくれるのだろうか。
ただ一人、守が特別と定めた子供は、頑固な心を解せるだろうか。
「覚えておきなさい、守。お前は私の娘で、掛け替えのない家族だ」
「はい」
素直に頷いた少女の頭を優しく撫ぜる。
縋りつく手は小さくて、まだ本当に子供なのだと腕の中にかき抱いた。
「ねえ、父さん。もし、私が」
続く囁きに、きつく瞼を閉じて息を呑む。
もしも、この子が変わらなければ。
「───判った」
果たさねばならない約束は、親としての義務なのだろう。
それがどれだけ鬼道の心を刻むものでも、子を守る親として、果たさねばいけない義務なのだろう。
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>>ゆずね様
こんばんは、ゆずね様!
またコメントいただけて嬉しいですw
染岡さんはあのまま色々な意味で天寿を全うしそうになりました(笑)
私もSけが強い方じゃないと思いたいのですが、このお話の守さんは構いたい病に掛かってます。
弟の面倒を見てきた所為か、色々な意味で趣味が偏ってしまってます。
そんな彼女に気に入られている染岡さん。合掌としか言いようがないですw
鬼道さんは話を聞いた後猛烈に染岡さんに皇帝ペンギンを打ち込むでしょう(笑)
高笑いしながら佐久間を従えてやってきたりしたら、自分的には最高ですw
吹雪とヒロトはあっさりとかわされ、こちらも報われないですね★
このお話は設定上どうしても守さんが選ぶタイプがあれなので・・・。
彼らも可愛いの一言で纏まってるんですけど、恋人にするなら弄り甲斐があるタイプがいいんです!
シリアス調な本編も漸く進展が見え始め、そろそろ第一部の佳境に入りつつありますw
帝国戦からここまで長いなと自分で自分に突っ込みを入れつつ、それぞれの心境を絡めて話を進めました。
ここからアフロディさん登場までは、また日常プラスアルファの明るいノリを書いてきますw
鬼道さん、一之瀬君と同居しているのに絶叫とか、合鍵持ってる豪炎寺君に嫉妬めらめらとか、幼馴染で自分の知らない姉を知ってる風丸に苛立ったりとか、気がつけば姉の傍に居る土門にもやもやとかしてもらいたいですw
基本守さん総受けなので、彼の気苦労は耐えないですw
日常篇の女王様な守さんも含めてこれからも頑張りますので、また是非遊びにいらして下さいw
Web拍手、ありがとうございました!!
こんばんは、ゆずね様!
またコメントいただけて嬉しいですw
染岡さんはあのまま色々な意味で天寿を全うしそうになりました(笑)
私もSけが強い方じゃないと思いたいのですが、このお話の守さんは構いたい病に掛かってます。
弟の面倒を見てきた所為か、色々な意味で趣味が偏ってしまってます。
そんな彼女に気に入られている染岡さん。合掌としか言いようがないですw
鬼道さんは話を聞いた後猛烈に染岡さんに皇帝ペンギンを打ち込むでしょう(笑)
高笑いしながら佐久間を従えてやってきたりしたら、自分的には最高ですw
吹雪とヒロトはあっさりとかわされ、こちらも報われないですね★
このお話は設定上どうしても守さんが選ぶタイプがあれなので・・・。
彼らも可愛いの一言で纏まってるんですけど、恋人にするなら弄り甲斐があるタイプがいいんです!
シリアス調な本編も漸く進展が見え始め、そろそろ第一部の佳境に入りつつありますw
帝国戦からここまで長いなと自分で自分に突っ込みを入れつつ、それぞれの心境を絡めて話を進めました。
ここからアフロディさん登場までは、また日常プラスアルファの明るいノリを書いてきますw
鬼道さん、一之瀬君と同居しているのに絶叫とか、合鍵持ってる豪炎寺君に嫉妬めらめらとか、幼馴染で自分の知らない姉を知ってる風丸に苛立ったりとか、気がつけば姉の傍に居る土門にもやもやとかしてもらいたいですw
基本守さん総受けなので、彼の気苦労は耐えないですw
日常篇の女王様な守さんも含めてこれからも頑張りますので、また是非遊びにいらして下さいw
Web拍手、ありがとうございました!!
『俺はもうお前の姉じゃない』
その言葉を残酷と感じるのはきっと自分勝手だからだ。
『俺たちは本物の兄弟じゃない』
笑顔で告げられた内容に、頭の奥がずきりと痛む。
『鬼道家という繋がりを失くした俺は、お前とはもう何の関係もない赤の他人だ』
あくまでさり気無く、他に何もないだろうと柔らかく微笑んで。
『俺とお前は兄弟じゃくなったけど、サッカーをしてれば繋がってるさ』
でも、それだけじゃ足りない。他の誰にでも与えられるような簡易な繋がりは望んでいない。
毎日毎日繋がりを感じるために死に物狂いでサッカーをしたけれど、欠漏が上回り希求する心が育つだけ。
ひゅっと息を呑み、緊張で震える体を宥めようと脳裏で数を数える。
これから願うのは自分の都合のみで相手の意思や主義を握りこむ酷いもの。
こんなのは間違っている。間違っていると判ってる。
判っていても、それでも愚かにも望んでしまう。
ごめんなさい。
手放せなくて、ごめんなさい。
どうしたって、無理なんです。あなたがいる世界を知れば、失った時間を思い出せない。
「父さん、お願いがあります。───もしも俺が優勝出来たら、あの人に勝つことが出来たなら」
だから、これは罰なのだ。
どうしたってあの人しか望めなかった自分への、神が下した断罪だろう。
「・・・・・・」
鬼道家の息子に与えられた個室の窓のカーテンは開きっぱなしで、目に眩しい夕日が容赦なく世界を照らす。
日差しだけでは薄暗く、電気をつけるには明るい時間。
一人で過ごす時間に思い返すのは、圧倒的な敗北を与えられた試合のみ。
真っ白なシーツを握り、ぎりぎりと歯を食いしばる。
きつく閉じた瞼の裏に浮かぶのは、両腕を広げて立ちはだかった仲間の姿。
『・・・あなたは、ここで終っちゃいけない』
微笑を浮かべ、彼らは自分を庇って全員倒れた。
全くノーマークのチームだった。
無名で、情報すら出回ってない、注目の集まってない相手。
油断していた、としか言いようがない。
連日の酷使で錆付いた体は思い通りに動かず、目の前で倒れてく仲間の姿だけが嫌になるくらい明確に記憶された。
『あなただけは、絶対に守る!』
一人、また一人と、動けない自分の盾となり仲間が失われる。
もっと冷静になっていたら。
どんな相手だろうと、一切の手抜き無しで挑まねばならないと知っていたのに。
何故、と思考が空回りする。
格下の相手だろうが、ノーマークの出場校だろうが、獅子が全力で獲物を狩るように本気で闘わねばならなかったのに。
今日の鬼道は司令塔としてもキャプテンとしても失格だった。
勝つためのゲームメイクをするどころか、チームを機能させる前に全てが終っていた。
苦しくて、悔しくて仕方ない。
自分のことしか考えてなかったのに、仲間は鬼道を想ってくれていた。
これでは駄目だ。
先日からずっと空回りしてばかりで、挙句の果てに全て失った。
サッカーを通して取り戻すどころか、薄い絆も仲間の信頼も、全て掌から零れ落ちる。
不自然に喉が鳴る。
空が茜色から藍色へと変わり、鬼道は嗚咽が零れそうになるのを堪え、ゆるゆると唇を持ち上げた。
「───どうして、ですか」
不自然に歪んだ問いかけは、それでもきっちりと音になった。
唇をきつく噛みすぎたのか口内に鉄錆臭い味が広がり、ぎゅっと眉間に皺を寄せる。
全てを振り払うように瞼を閉じて、泣きたい気持ちを堪えた。
「何故、あなたがここにいるんです・・・っ」
個室の入り口に背を凭せ掛け、腕を組んでこちらを見る人に問いかける。
いつの間に入り込んだのか知らないが、気がつけばその人はそこにいた。
今、一番傍に居て欲しくて、一番近寄りたくない人。
押さえ込みたい感情は、激しく揺さぶられ表に出たいと心を震わす。
傍に居てくれるだけで溢れそうになる想いに蓋をし、駄目だと上半身をベッドへ埋める。
姿は見えなくなったのに、声だって何も聞こえないのに、それでも全身で存在を感じ取る自分は、なんて浅ましいのだろう。
かさり、と衣ずれの音がして、床を鳴らして気配が近づく。
一歩一歩距離が縮まるたびに体が強張って、押さえ込もうとする心が歓喜する。
噎せ返るほどの想いに、涙が零れそうになり、噛み切った唇を更に噛み締める。
「───泣き落としだよ」
「・・・」
「お前の妹に泣き落とされた。授業が終わって部活を始めましょうって時に、『お兄ちゃんが・・・っ』って走りこまれてさ。『涙が女の武器ならば、今使わせてもらいます』ってさ。全く、先が恐ろしいな」
必死な形相の妹が脳裏に浮かび、情けなさに消えたくなる。
こんな醜態、この人だけには見られたくなかった。
誰よりも格好つけて見栄を張りたい相手なのに、無防備な様子ばかり見られてる。
「本当にお前ら兄弟は嫌になる。俺の都合なんて考えないで、馬鹿みたいに縋ってくる。勘弁してくれよ」
「・・・すみ、ません」
「お前は鬼道の跡取りだ。判ってんだろ?いつまでも俺に甘えてちゃ駄目なんだ。俺はお前の傍に居続けることは出来ないんだぞ?正義のヒーローはマントを外して仮面も取ってもう隠居生活を送ってるんだよ。自分の生活をまったり楽しんでるの。それなのにどうしてお前らは俺を引っ張り出そうとするんだ?」
「ごめ、なさ」
「いい加減にしてくれよ。何でそうなんだよ。どうしてお前はいつまでも手が掛かるんだ───有人」
「ごめ・・・っ」
反射的に出た謝罪が中途半端なところで止まる。
何を言われたか理解できず、暫く脳が活動を停止した。
脳が答えを弾き出す前に、体が勝手に反応し、ゆっくりと視界が色を取り戻す。
布団に蹲っていた体を伸ばして前を見ると、痛みを堪えるような表情をした人が、瞳に悲しみを湛えていた。
「どうして俺なんだ。どうして俺じゃなきゃいけないんだ。お前は俺を選べば不幸になる。お前は、俺だけは選んじゃいけないんだぞ『有人』」
ふっくらとした唇から呼ばれた名前に、瞬きすると目尻から涙が零れ落ちた。
ゴーグルは外してベッド脇に置いてあるので、雫は顎を伝ってシーツへ落ちる。
はたはたと止め処なく流れる涙は、喜びの証だった。
少しだけ放れた場所にいる彼女へ自然と腕が伸び、それでも彼女は眉間の皺を深くしただけで避けようとしない。
思うままに動かない体を叱咤して、ベッドに片腕をついて四つんばいになる。
「俺を求めるな、有人。俺を求めれば、お前は今まで以上の地獄を見る。お前が俺を欲するほどに、絶望の淵に叩き落され今度こそ立ち直れなくなる」
空が藍色からより濃い色へ変色する。
室内も徐々に闇に包まれ、すぐ傍のその人の姿すら消えてしまいそうだった。
言葉の意味は理解できない。
昔から姉は自分より遥かに賢く、及ばない場所に立ってる人だ。
そして正しい目を持ち、判断はいつだって的確だった。
きっと、その姉が言うのだから、今彼女を捕まえれば地獄を見るのかもしれない。
目先の欲に駆られ縋れば、酷い絶望が待っているのかもしれない。
けれど。
「もし、俺が優勝したら」
「・・・」
「俺は、あなたをもう一度鬼道へ引き取るように父さんに願い出ました。あなたの意思なんて関係ない。どうしても、俺の傍に居て欲しかった。望まぬ強さで縛り付けて、雁字搦めにして身動き取れないようにして、怨まれても、憎まれてもいいから、今度こそ解けない絆で結び付けようとしてました。俺には出来なくても、父さんにはきっとその力があるはずだから」
「・・・・・・」
「俺は、最低です。倒れていく仲間を見ながら、それでもあなたを想った。勝たなければあなたを得られないのにと、仲間に庇われながら考えたんです。最低です。俺は、最悪です。あなたが言うとおりに、自分のことしか考えてない」
ぽろぽろと涙が零れシーツに染みが広がる、
視認するのすら難しくなった人に、それでも必死に手を伸ばす。
後どれくらい進めばベッドの端なのか、落ちたらきっと受身も取れないだろうとか、どうでもいい考えが脳裏に浮かんで消えていく。
「俺は今あなたを求めることで将来地獄を見るのかもしれない。酷い絶望に叩き落されるのかもしれない。でも───それは、ここであなたを捕まえなくても同じなんです」
伸ばした手が何かに触れると同時に、がくりと体がバランスを崩す。
来るべき衝撃に身を強張らせるが、柔らかな感触にしっかりと受け止められた。
「あなたじゃなきゃ駄目なんです。あなたがいいんです。俺の世界は大切なものは幾つかあるけれど、あなたはその中でも特別なんです。我侭だって判ってます。負担に思われるのも当然です。嫌がられたって理解できます。けどそれでもどうしたってあなたを求めずにいられない。鬼道の家に引き取られたその日から、俺の心はあなたを希求してやまないんです」
暖かな体にぎゅっとしがみ付く。
昔は身長差があって、良く抱き上げてもらっていた。
ほのかな香りは昔と変わらず、懐かしさに鼻0の奥がつんとなる。
他の誰にも見せれない心の柔らかな部分は、彼女の前でだけ無防備になった。
さらけ出した弱さは苦笑と共に受け止められ、触れる優しさに幾度安堵したことか。
こんな想いは迷惑にしかならない。
それでも、ずっと捨てれなかった。
兄弟として暮らしていた間は、ずっと気づかないふりが出来た。
二年前に捨てられたと思い込んでからも、憎しみの裏には強い想いがあった。
やっと再会して、解かれた手に絶望した。
何でもいいから縋るものが欲しいと、相手の都合も鑑みずに動くほどに。
「ごめんなさい・・・あなたを望んで、ごめんなさい」
ごめんなさいと繰り返す。
ただただ涙が零れ落ち、酷い奴だと自分を詰る。
仲間が斃れたというのに、試合に負けたというのに、それでもこの人がいるだけでどうしたって幸せなのだ。
迷惑だと拒絶されても、勘弁してくれと訴えられても、この人が良くて、この人じゃなきゃ駄目なのだ。
歓ぶ自分に嫌気がさす。
呆れるくらいに勝手すぎる。
嫌悪と羞恥で死にたくなるのに、この腕は絶対に放せない。
「俺はまだ子供です。だから我侭を言わせてください。俺の我侭を聞いてください。───お願いです、姉さん」
最低な言い草だ。
鬼道家の人間とは思えない甘ったれた態度に、同情を誘うような引きつった声。
縋りつく腕に力を篭めて、柔らかな体に頬を摺り寄せる。
「お前は馬鹿だ」
「・・・はい」
「俺が思ってたよりも、ずっと大馬鹿だよ有人」
「はい」
「その上甘ったれで泣き虫で、ちっとも成長していない。本当に手が掛かる、俺の『弟』」
抱きつくだけだった体が抱きしめられぎゅっと力を篭められた。
連日の暴挙も合わせ体が軋んで悲鳴を訴えているが、それでも拒絶しようと思えない。
むしろもっときつく抱きしめて欲しかった。
久し振りに感じる温もり。
大好きな人からの抱擁に、涙腺は決壊し益々勢いを増して涙が溢れる。
馬鹿だ馬鹿だと繰り返す声は優しくて、我を通したことを後悔できない。
「ごめんなさい、姉さん。あなたを自由にしてあげれなくてごめんなさい」
「もういい。お前は絶対いつか俺の手を取ったことを後悔する日が来るだろうけど、居られる間は傍にいてやる。お前が───俺以外の誰かを見つけられるまで、その間はお前の傍に居てやるよ」
俺の負けだ、と苦笑する人に、口の端が上がった。
それは永遠に俺の傍に居てくれるという意味ですか、と聞かなかったのは、最後の理性が働いたからに違いない。
倒れた仲間も、負けた試合も決して忘れはしない。
けれど今だけは。
取り戻した温もりに甘えれば、優しい手のひらが髪を梳いた。
久方ぶりの安息に、徐々に意識が闇へと落ちる。
懐かしい闇は、彼女に包まれて眠った幼いあの日と同じものだった。
その言葉を残酷と感じるのはきっと自分勝手だからだ。
『俺たちは本物の兄弟じゃない』
笑顔で告げられた内容に、頭の奥がずきりと痛む。
『鬼道家という繋がりを失くした俺は、お前とはもう何の関係もない赤の他人だ』
あくまでさり気無く、他に何もないだろうと柔らかく微笑んで。
『俺とお前は兄弟じゃくなったけど、サッカーをしてれば繋がってるさ』
でも、それだけじゃ足りない。他の誰にでも与えられるような簡易な繋がりは望んでいない。
毎日毎日繋がりを感じるために死に物狂いでサッカーをしたけれど、欠漏が上回り希求する心が育つだけ。
ひゅっと息を呑み、緊張で震える体を宥めようと脳裏で数を数える。
これから願うのは自分の都合のみで相手の意思や主義を握りこむ酷いもの。
こんなのは間違っている。間違っていると判ってる。
判っていても、それでも愚かにも望んでしまう。
ごめんなさい。
手放せなくて、ごめんなさい。
どうしたって、無理なんです。あなたがいる世界を知れば、失った時間を思い出せない。
「父さん、お願いがあります。───もしも俺が優勝出来たら、あの人に勝つことが出来たなら」
だから、これは罰なのだ。
どうしたってあの人しか望めなかった自分への、神が下した断罪だろう。
「・・・・・・」
鬼道家の息子に与えられた個室の窓のカーテンは開きっぱなしで、目に眩しい夕日が容赦なく世界を照らす。
日差しだけでは薄暗く、電気をつけるには明るい時間。
一人で過ごす時間に思い返すのは、圧倒的な敗北を与えられた試合のみ。
真っ白なシーツを握り、ぎりぎりと歯を食いしばる。
きつく閉じた瞼の裏に浮かぶのは、両腕を広げて立ちはだかった仲間の姿。
『・・・あなたは、ここで終っちゃいけない』
微笑を浮かべ、彼らは自分を庇って全員倒れた。
全くノーマークのチームだった。
無名で、情報すら出回ってない、注目の集まってない相手。
油断していた、としか言いようがない。
連日の酷使で錆付いた体は思い通りに動かず、目の前で倒れてく仲間の姿だけが嫌になるくらい明確に記憶された。
『あなただけは、絶対に守る!』
一人、また一人と、動けない自分の盾となり仲間が失われる。
もっと冷静になっていたら。
どんな相手だろうと、一切の手抜き無しで挑まねばならないと知っていたのに。
何故、と思考が空回りする。
格下の相手だろうが、ノーマークの出場校だろうが、獅子が全力で獲物を狩るように本気で闘わねばならなかったのに。
今日の鬼道は司令塔としてもキャプテンとしても失格だった。
勝つためのゲームメイクをするどころか、チームを機能させる前に全てが終っていた。
苦しくて、悔しくて仕方ない。
自分のことしか考えてなかったのに、仲間は鬼道を想ってくれていた。
これでは駄目だ。
先日からずっと空回りしてばかりで、挙句の果てに全て失った。
サッカーを通して取り戻すどころか、薄い絆も仲間の信頼も、全て掌から零れ落ちる。
不自然に喉が鳴る。
空が茜色から藍色へと変わり、鬼道は嗚咽が零れそうになるのを堪え、ゆるゆると唇を持ち上げた。
「───どうして、ですか」
不自然に歪んだ問いかけは、それでもきっちりと音になった。
唇をきつく噛みすぎたのか口内に鉄錆臭い味が広がり、ぎゅっと眉間に皺を寄せる。
全てを振り払うように瞼を閉じて、泣きたい気持ちを堪えた。
「何故、あなたがここにいるんです・・・っ」
個室の入り口に背を凭せ掛け、腕を組んでこちらを見る人に問いかける。
いつの間に入り込んだのか知らないが、気がつけばその人はそこにいた。
今、一番傍に居て欲しくて、一番近寄りたくない人。
押さえ込みたい感情は、激しく揺さぶられ表に出たいと心を震わす。
傍に居てくれるだけで溢れそうになる想いに蓋をし、駄目だと上半身をベッドへ埋める。
姿は見えなくなったのに、声だって何も聞こえないのに、それでも全身で存在を感じ取る自分は、なんて浅ましいのだろう。
かさり、と衣ずれの音がして、床を鳴らして気配が近づく。
一歩一歩距離が縮まるたびに体が強張って、押さえ込もうとする心が歓喜する。
噎せ返るほどの想いに、涙が零れそうになり、噛み切った唇を更に噛み締める。
「───泣き落としだよ」
「・・・」
「お前の妹に泣き落とされた。授業が終わって部活を始めましょうって時に、『お兄ちゃんが・・・っ』って走りこまれてさ。『涙が女の武器ならば、今使わせてもらいます』ってさ。全く、先が恐ろしいな」
必死な形相の妹が脳裏に浮かび、情けなさに消えたくなる。
こんな醜態、この人だけには見られたくなかった。
誰よりも格好つけて見栄を張りたい相手なのに、無防備な様子ばかり見られてる。
「本当にお前ら兄弟は嫌になる。俺の都合なんて考えないで、馬鹿みたいに縋ってくる。勘弁してくれよ」
「・・・すみ、ません」
「お前は鬼道の跡取りだ。判ってんだろ?いつまでも俺に甘えてちゃ駄目なんだ。俺はお前の傍に居続けることは出来ないんだぞ?正義のヒーローはマントを外して仮面も取ってもう隠居生活を送ってるんだよ。自分の生活をまったり楽しんでるの。それなのにどうしてお前らは俺を引っ張り出そうとするんだ?」
「ごめ、なさ」
「いい加減にしてくれよ。何でそうなんだよ。どうしてお前はいつまでも手が掛かるんだ───有人」
「ごめ・・・っ」
反射的に出た謝罪が中途半端なところで止まる。
何を言われたか理解できず、暫く脳が活動を停止した。
脳が答えを弾き出す前に、体が勝手に反応し、ゆっくりと視界が色を取り戻す。
布団に蹲っていた体を伸ばして前を見ると、痛みを堪えるような表情をした人が、瞳に悲しみを湛えていた。
「どうして俺なんだ。どうして俺じゃなきゃいけないんだ。お前は俺を選べば不幸になる。お前は、俺だけは選んじゃいけないんだぞ『有人』」
ふっくらとした唇から呼ばれた名前に、瞬きすると目尻から涙が零れ落ちた。
ゴーグルは外してベッド脇に置いてあるので、雫は顎を伝ってシーツへ落ちる。
はたはたと止め処なく流れる涙は、喜びの証だった。
少しだけ放れた場所にいる彼女へ自然と腕が伸び、それでも彼女は眉間の皺を深くしただけで避けようとしない。
思うままに動かない体を叱咤して、ベッドに片腕をついて四つんばいになる。
「俺を求めるな、有人。俺を求めれば、お前は今まで以上の地獄を見る。お前が俺を欲するほどに、絶望の淵に叩き落され今度こそ立ち直れなくなる」
空が藍色からより濃い色へ変色する。
室内も徐々に闇に包まれ、すぐ傍のその人の姿すら消えてしまいそうだった。
言葉の意味は理解できない。
昔から姉は自分より遥かに賢く、及ばない場所に立ってる人だ。
そして正しい目を持ち、判断はいつだって的確だった。
きっと、その姉が言うのだから、今彼女を捕まえれば地獄を見るのかもしれない。
目先の欲に駆られ縋れば、酷い絶望が待っているのかもしれない。
けれど。
「もし、俺が優勝したら」
「・・・」
「俺は、あなたをもう一度鬼道へ引き取るように父さんに願い出ました。あなたの意思なんて関係ない。どうしても、俺の傍に居て欲しかった。望まぬ強さで縛り付けて、雁字搦めにして身動き取れないようにして、怨まれても、憎まれてもいいから、今度こそ解けない絆で結び付けようとしてました。俺には出来なくても、父さんにはきっとその力があるはずだから」
「・・・・・・」
「俺は、最低です。倒れていく仲間を見ながら、それでもあなたを想った。勝たなければあなたを得られないのにと、仲間に庇われながら考えたんです。最低です。俺は、最悪です。あなたが言うとおりに、自分のことしか考えてない」
ぽろぽろと涙が零れシーツに染みが広がる、
視認するのすら難しくなった人に、それでも必死に手を伸ばす。
後どれくらい進めばベッドの端なのか、落ちたらきっと受身も取れないだろうとか、どうでもいい考えが脳裏に浮かんで消えていく。
「俺は今あなたを求めることで将来地獄を見るのかもしれない。酷い絶望に叩き落されるのかもしれない。でも───それは、ここであなたを捕まえなくても同じなんです」
伸ばした手が何かに触れると同時に、がくりと体がバランスを崩す。
来るべき衝撃に身を強張らせるが、柔らかな感触にしっかりと受け止められた。
「あなたじゃなきゃ駄目なんです。あなたがいいんです。俺の世界は大切なものは幾つかあるけれど、あなたはその中でも特別なんです。我侭だって判ってます。負担に思われるのも当然です。嫌がられたって理解できます。けどそれでもどうしたってあなたを求めずにいられない。鬼道の家に引き取られたその日から、俺の心はあなたを希求してやまないんです」
暖かな体にぎゅっとしがみ付く。
昔は身長差があって、良く抱き上げてもらっていた。
ほのかな香りは昔と変わらず、懐かしさに鼻0の奥がつんとなる。
他の誰にも見せれない心の柔らかな部分は、彼女の前でだけ無防備になった。
さらけ出した弱さは苦笑と共に受け止められ、触れる優しさに幾度安堵したことか。
こんな想いは迷惑にしかならない。
それでも、ずっと捨てれなかった。
兄弟として暮らしていた間は、ずっと気づかないふりが出来た。
二年前に捨てられたと思い込んでからも、憎しみの裏には強い想いがあった。
やっと再会して、解かれた手に絶望した。
何でもいいから縋るものが欲しいと、相手の都合も鑑みずに動くほどに。
「ごめんなさい・・・あなたを望んで、ごめんなさい」
ごめんなさいと繰り返す。
ただただ涙が零れ落ち、酷い奴だと自分を詰る。
仲間が斃れたというのに、試合に負けたというのに、それでもこの人がいるだけでどうしたって幸せなのだ。
迷惑だと拒絶されても、勘弁してくれと訴えられても、この人が良くて、この人じゃなきゃ駄目なのだ。
歓ぶ自分に嫌気がさす。
呆れるくらいに勝手すぎる。
嫌悪と羞恥で死にたくなるのに、この腕は絶対に放せない。
「俺はまだ子供です。だから我侭を言わせてください。俺の我侭を聞いてください。───お願いです、姉さん」
最低な言い草だ。
鬼道家の人間とは思えない甘ったれた態度に、同情を誘うような引きつった声。
縋りつく腕に力を篭めて、柔らかな体に頬を摺り寄せる。
「お前は馬鹿だ」
「・・・はい」
「俺が思ってたよりも、ずっと大馬鹿だよ有人」
「はい」
「その上甘ったれで泣き虫で、ちっとも成長していない。本当に手が掛かる、俺の『弟』」
抱きつくだけだった体が抱きしめられぎゅっと力を篭められた。
連日の暴挙も合わせ体が軋んで悲鳴を訴えているが、それでも拒絶しようと思えない。
むしろもっときつく抱きしめて欲しかった。
久し振りに感じる温もり。
大好きな人からの抱擁に、涙腺は決壊し益々勢いを増して涙が溢れる。
馬鹿だ馬鹿だと繰り返す声は優しくて、我を通したことを後悔できない。
「ごめんなさい、姉さん。あなたを自由にしてあげれなくてごめんなさい」
「もういい。お前は絶対いつか俺の手を取ったことを後悔する日が来るだろうけど、居られる間は傍にいてやる。お前が───俺以外の誰かを見つけられるまで、その間はお前の傍に居てやるよ」
俺の負けだ、と苦笑する人に、口の端が上がった。
それは永遠に俺の傍に居てくれるという意味ですか、と聞かなかったのは、最後の理性が働いたからに違いない。
倒れた仲間も、負けた試合も決して忘れはしない。
けれど今だけは。
取り戻した温もりに甘えれば、優しい手のひらが髪を梳いた。
久方ぶりの安息に、徐々に意識が闇へと落ちる。
懐かしい闇は、彼女に包まれて眠った幼いあの日と同じものだった。
「お兄ちゃんを、お願いです、お兄ちゃんを助けてくださいっ」
きょとりとした顔でこちらを見詰める彼女にそれを願うのは随分と虫がいい話だ。
つい数日前に『他人の癖に』と詰ったくせに、他に頼れる相手が浮かばなかった。
両脇に番犬のように控える風丸と一之瀬が視線を鋭くし、また怒られると恐怖に体が震える。
それまで穏やかな雰囲気を保っていただけに彼らの憤怒はギャップが激しく、思い出すだけで体が強張った。
睨み付ける眼光を正面から受け止めたのは、せめても彼らに誠意を見せるつもりだから。
逃げ道を用意せず身一つで挑み、何を言われてもあえて享受すると示したかったからだ。
部活が終わり、キャプテンとして戸締りが残っていた円堂と、先日から彼女から離れようとしない二人以外室内には誰もいない。
数十分前まで部活で賑わっていたグランドからも生徒の声はほとんど聞こえず、限りなく静寂に近い部室は恐怖を更に煽り立てる。
微かに震える体の横で白くなるほどに拳を握り、それでも真っ直ぐに視線は逸らさない。
「お願いします!お兄ちゃんを、助けてください!」
「・・・随分と虫がいいな。『他人の癖に』と詰った口で、君はそれを願うの?」
ひやり、と底冷えする怒りを表に現した一之瀬は、瞳を眇めただけで雰囲気を一変させた。
風丸は何も言わなかったけれど、決して助け舟を出してくれそうにない。
腕を組み静観の姿勢は見せているが、瞳に宿る激情は一之瀬と対して変わらなかった。
反射的に怯みそうになる心を奮い立たせ、ぐっと奥歯を噛み締める。
一度出した言葉は二度と口には戻らない。
どれだけ後悔しても一度は口にした暴言は戻らず、目の前の人が許してくれても事実が消えることはない。
円堂が責めない分だけ自分を責めても、なかったことには出来ない。
泣きたくなるくらい自分が情けなくなり、けれど泣くのは卑怯だと言われたのを思い出し嗚咽を堪えた。
「厚かましいのも、図々しいのも判ってます。あなたを詰った私が、お兄ちゃんのことを頼むのも筋違いだって判ってます。でも、私じゃ駄目なんです。庇われるだけの私じゃ、お兄ちゃんの拠り所にはなれないんです!」
「・・・今の俺は鬼道と本当の意味で赤の他人だよ。今更お前以上の支えにも拠り所にもなれないんだけど?」
「私はっ・・・私は、鬼道の家の子供にはなりません!」
ぐっと拳を握り、声を大にして叫ぶ。
そうしなければ勢いに飲まれて何も伝えられなくなりそうで、それは駄目だと脳裏に浮かぶ人のために、足を踏ん張り肺から息を一気に吐き出す。
この言葉を言えば、全てが丸く収まると信じて。
自分が鬼道の家に行かないと知れば、きっと円堂はまた戻ってくれる。
居場所を奪う気がないと理解してもらえれば、兄との関係も改善される。
そう、信じていた。
けれど。
「だから?」
「え?」
「お前が鬼道の家の養子になるかならないかはお前の自由だ。あの人の娘になるのがお前ならいいと思ってたけど、別に嫌ならそれでいい。けどな、勘違いしないでくれ。お前が鬼道の娘になることと、俺が円堂のままで居るのと別の話だ」
机の上に腰掛けた彼女は、淡々とした口調でそう告げた。
普段の子供っぽくも見える感情豊かな面は微塵も窺えず、酷く冷静で大人びた姿に瞠目する。
自分を鬼道の家の娘にしたいから、自身を鬼道から外したのだと思い込んでいた。
それなのに、鬼道の娘になる気はないと申し出ても、彼女の心は揺らがない。
凪いだ湖面のように、波紋一つ立たずそこに居る。
「俺は自分の意思で鬼道から抜けたんだ。その重みは、きっとお前には判らないだろうな。ああ、けどお前は鬼道にならないから知らなくていい。これからも知る必要はない。───お前の兄が背負い、俺が背負っていたものは、『捨てました。けれど後悔したのでもう一度仲間に入れてください』つって抱えれるような安易なものじゃないんだよ」
「でも、キャプテンは」
「俺があっさりと鬼道の家を捨てたと思ってる?なぁ、音無。お前は俺を何だと思ってるんだ?へらへらして周りの言葉に動かされない、単純馬鹿か?」
「ちがっ」
「まあ、お前の評価はどうでもいい。けどな、これだけは理解しろ。───俺は、お前と違ってあいつの傍に居続けることは出来ない」
黒縁眼鏡が窓から差し込む夕日で反射し、円堂の表情は見えない。
普段は生き生きと輝く栗色の瞳は、今はどんな色をしているのだろう。
机に腰掛けてリラックスしているように見えるが、張り詰めた緊張の糸はいつ切れてもおかしくないように感じた。
まるで底が見えない深い闇に手を伸ばしてるようだ。
必死に縋り付こうとしてるのに、実態を掴ませず本音すら探せない。
これが鬼道家の娘と言うのなら、自分は絶対に無理だ。
人生で踏んだ場数が違いすぎる。
大人相手でもこれほど緊張を強いられる状況に陥ったこともなく、冷や汗がとめどなく流れ落ちた。
勘違いしていた。
この場で注意するべきは、嘲るように口角を上げる一之瀬でも、警戒心をむき出しに様子を窺っている風丸でもない。
目の前で王者の貫禄を惜しみなく晒す、絶対の君臨者だ。
「それでも、私はあなたに願い続けます」
「・・・・・・」
「『血が繋がらない他人の癖に』。私はそうあなたを詰りました。後悔してます。あなたが責めない分だけ自分を責めて、それでも自分を許せません。───だって、その言葉はそのまま私に反射するものでもあるんですから」
真っ直ぐに、恐怖に震える心を叱咤して視線を上げる。
一歩でも引いてしまえば、二度と向き合えない気がした。
怒りを露にするでもなく、語気荒く詰るでもない。
ただ静かな眼差しを向ける人を、ここで逃げれば正面から見れなくなる気がした。
「私は『音無春奈』。私の両親は音無のお父さんとお母さんです」
大事なのは血の繋がりなんかじゃない。
そんなのは、他の誰より知っていた。
親が亡くなり施設へ預けられ、先に貰われた兄とも会えなくなり寂しさで泣いた夜に、優しさを与えてくれたのは『血の繋がりがない』家族だ。
夜の闇に恐怖した日、友達と喧嘩して帰った日、兄を想って涙した日、差し伸べてくれた掌は温かく幸せを運んだ。
血は繋がってなくても、自分は『音無家』の『春奈』。
自分たちは家族で、それを誰に否定させる気もない。
そして───愛されている自分は、誰よりも否定してはいけない。
「一度口から出た言葉は消えません。言った人間の脳裏にも、言われた人間の心にも、言葉は刻まれ消せません。謝罪は無意味と知ってます。だから、都合がいいと知りながら、私は言葉を上書きします。あなたは『鬼道有人』の『姉』です。血の繋がりなんて関係なく、彼の『家族』なんです」
「・・・・・・」
「私を許せないなら、許さなくていいです。嫌っても、憎んでもいい。だから・・・お願いです!お兄ちゃんを助けてください。あの日からお兄ちゃんはご飯も碌に食べてないです。毎日気絶寸前まで体を酷使してサッカーをして、そうしないと眠れないって。このままじゃお兄ちゃん遠からず倒れちゃいます!」
言いたいことを言って、ぐっと頭を下げる。
望まれたら、先日の兄と同じように土下座をしても構わなかった。
脳裏に浮かぶのは痩せた兄の姿。
雷門中に姿を現したときよりも酷く衰弱し、そのくせ瞳だけがぎらぎらと輝いていた。
自分と姉を繋ぐ絆はもうサッカーしかないのだから、と、それだけでも認めてもらいたいと。
怖かった。このまま彼が消えてしまうのではないかと、狂おしい想いに恐怖した。
体に流れる血だけが家族の証になるわけでないと理解しつつ、矛盾して、たった一人の血の繋がった兄を失いたくなかった。
沈黙が暫く続き、ふうとため息が聞こえる。
それは対して大きな音ではなかったけれど、静寂に包まれていた部室には響いた。
「顔を上げてよ、音無」
「キャプテンが了承してくれるまで上げません」
「・・・なら、そのまま聞いてくれ。あのな、俺は別に憎くてあいつを放置してるわけじゃないんだ。今ここで手を差し伸べるのは容易い」
「それなら」
「けどな、さっきも言ったように俺はずっと傍に居ることは出来ない。いつか来る別れを知りながら、それでも依存させろと言うのか?より深い絶望を与えると知りながら、この場だけを凌げと?」
聞こえる声に感情はない。
けれど、どうしてだろう。
優しさを感じさせない声なのに、兄を深く気遣っているように聞こえた。
「私も、一生お兄ちゃんと一緒にいられるわけじゃないです」
「・・・そうじゃない。俺とお前は根本的に違うんだ、音無」
「違わない。あなたは何があってもお兄ちゃんにとっては大切な家族です。どれだけ仲がいい兄弟だっていつか道は分かたれる。それぞれの人生を歩くために、背中を向けるかもしれない。けど、それがなんだって言うんですか?例え傍に居られなくても、例え姿が見えなくても、絆は一生の残ります。目に見える何かより、そっちの方が大切なんです。少なくとも、今のお兄ちゃんにはあなたが必要で、あなた以上の何かはないんです」
代わりになれるなら、とうに代わりになっている。
あの様子を見ていないからそんなことが言えるのだ。
幽鬼のような姿は、普段の落ち着いていて冷静な彼とは全く違う。
何かあれば駆けつけて助けてくれた頼りになる兄ではなく、単なる『鬼道有人』でしかない人は、こちらを頼る対象としてみていない。
あくまで守るべき、庇護する対象でしかないから、ボロボロになっても笑おうとする。
弱みを見せる相手にはなれないのだ。
彼が、『鬼道有人』が全てをさらけ出せて無防備に甘えれるとしたら、目の前のこの人以外にはきっとない。
「本当に、勝手だな」
「っ」
「お前ら兄弟は相手の都合を考えるって配慮、持ってないのか?」
冷たく突き放した口調に、唇を噛み締める。
何を言われても否定出来ない。
彼女の都合など欠片も考えておらず、兄のことしか見てないのは本当だから。
冷たいと感じることすら厚かましいのかもしれない。
「すみません。キャプテンの都合なんて、私は考えられません。私はどうしたってお兄ちゃんが大切で、そのために必要ならなんだってする気です」
「───それじゃ、俺が音無の両親を捨てろって言ったら、お前は捨てられる?お兄ちゃんが大事だからって、今までの絆を全部なかったことに出来るのか?」
「・・・・・・はい」
「即答できなかった時点でアウトだ、音無。話はそれだけなら俺は家に帰る。今日は外せない用事があるんだ。もう約束の時間をオーバーしてる」
無常な言葉に顔を上げれば、いつの間に用意したのか鞄を片手にドアに手を掛けるところだった。
取り縋ろうと動く前に、一之瀬が間に入り込み体を張って邪魔をされ、掴もうとした体はするりと外に出てしまう。
「風丸、悪いんだけど部室のかぎ閉めを頼めるか?」
「構わないが・・・円堂はどうするんだ?」
「俺は一哉と用事を済ませてから帰るよ。頼りにしてるから、お願いな。あと暗くなってきたから音無を家まで送ってやれ。女の子を一人で帰らせるのは危ないから」
「・・・判った」
「ほら一哉、行こうぜ?んな警戒心ばりばりな小型犬みたいな顔してないで一緒に帰ろ」
「でも」
「いいから。言いたいこと言ったら後悔するのはお前だろ。俺のために怒る必要はない。俺が怒ってないんだからな」
「・・・うん」
渋々と了承した一之瀬を引き寄せると、淡い苦笑を浮かべる。
年上を実感させる態度に、普段の子供っぽさはない。
優しく慈しみに満ちていてとても穏やかで、促す仕草はあくまで自然。
肩を並べてゆっくりと去っていく二人に、喉の奥にこびりついた言葉は吐き出される前に消えていく。
夕日に向かうあの姿は、昔は兄の場所だったのだろうか。
背筋を伸ばして歩く人は、子供の頃の自分と同じで兄の手を握って歩いたのだろうか。
鬼道の家は一般家庭じゃないと言いつつ、そんな普通もあったのだろうか。
「───帰ろう、音無」
「はい・・・」
涙で滲む視界の先で、仲良さげな二人は夕闇へ解けて消え去った。
きょとりとした顔でこちらを見詰める彼女にそれを願うのは随分と虫がいい話だ。
つい数日前に『他人の癖に』と詰ったくせに、他に頼れる相手が浮かばなかった。
両脇に番犬のように控える風丸と一之瀬が視線を鋭くし、また怒られると恐怖に体が震える。
それまで穏やかな雰囲気を保っていただけに彼らの憤怒はギャップが激しく、思い出すだけで体が強張った。
睨み付ける眼光を正面から受け止めたのは、せめても彼らに誠意を見せるつもりだから。
逃げ道を用意せず身一つで挑み、何を言われてもあえて享受すると示したかったからだ。
部活が終わり、キャプテンとして戸締りが残っていた円堂と、先日から彼女から離れようとしない二人以外室内には誰もいない。
数十分前まで部活で賑わっていたグランドからも生徒の声はほとんど聞こえず、限りなく静寂に近い部室は恐怖を更に煽り立てる。
微かに震える体の横で白くなるほどに拳を握り、それでも真っ直ぐに視線は逸らさない。
「お願いします!お兄ちゃんを、助けてください!」
「・・・随分と虫がいいな。『他人の癖に』と詰った口で、君はそれを願うの?」
ひやり、と底冷えする怒りを表に現した一之瀬は、瞳を眇めただけで雰囲気を一変させた。
風丸は何も言わなかったけれど、決して助け舟を出してくれそうにない。
腕を組み静観の姿勢は見せているが、瞳に宿る激情は一之瀬と対して変わらなかった。
反射的に怯みそうになる心を奮い立たせ、ぐっと奥歯を噛み締める。
一度出した言葉は二度と口には戻らない。
どれだけ後悔しても一度は口にした暴言は戻らず、目の前の人が許してくれても事実が消えることはない。
円堂が責めない分だけ自分を責めても、なかったことには出来ない。
泣きたくなるくらい自分が情けなくなり、けれど泣くのは卑怯だと言われたのを思い出し嗚咽を堪えた。
「厚かましいのも、図々しいのも判ってます。あなたを詰った私が、お兄ちゃんのことを頼むのも筋違いだって判ってます。でも、私じゃ駄目なんです。庇われるだけの私じゃ、お兄ちゃんの拠り所にはなれないんです!」
「・・・今の俺は鬼道と本当の意味で赤の他人だよ。今更お前以上の支えにも拠り所にもなれないんだけど?」
「私はっ・・・私は、鬼道の家の子供にはなりません!」
ぐっと拳を握り、声を大にして叫ぶ。
そうしなければ勢いに飲まれて何も伝えられなくなりそうで、それは駄目だと脳裏に浮かぶ人のために、足を踏ん張り肺から息を一気に吐き出す。
この言葉を言えば、全てが丸く収まると信じて。
自分が鬼道の家に行かないと知れば、きっと円堂はまた戻ってくれる。
居場所を奪う気がないと理解してもらえれば、兄との関係も改善される。
そう、信じていた。
けれど。
「だから?」
「え?」
「お前が鬼道の家の養子になるかならないかはお前の自由だ。あの人の娘になるのがお前ならいいと思ってたけど、別に嫌ならそれでいい。けどな、勘違いしないでくれ。お前が鬼道の娘になることと、俺が円堂のままで居るのと別の話だ」
机の上に腰掛けた彼女は、淡々とした口調でそう告げた。
普段の子供っぽくも見える感情豊かな面は微塵も窺えず、酷く冷静で大人びた姿に瞠目する。
自分を鬼道の家の娘にしたいから、自身を鬼道から外したのだと思い込んでいた。
それなのに、鬼道の娘になる気はないと申し出ても、彼女の心は揺らがない。
凪いだ湖面のように、波紋一つ立たずそこに居る。
「俺は自分の意思で鬼道から抜けたんだ。その重みは、きっとお前には判らないだろうな。ああ、けどお前は鬼道にならないから知らなくていい。これからも知る必要はない。───お前の兄が背負い、俺が背負っていたものは、『捨てました。けれど後悔したのでもう一度仲間に入れてください』つって抱えれるような安易なものじゃないんだよ」
「でも、キャプテンは」
「俺があっさりと鬼道の家を捨てたと思ってる?なぁ、音無。お前は俺を何だと思ってるんだ?へらへらして周りの言葉に動かされない、単純馬鹿か?」
「ちがっ」
「まあ、お前の評価はどうでもいい。けどな、これだけは理解しろ。───俺は、お前と違ってあいつの傍に居続けることは出来ない」
黒縁眼鏡が窓から差し込む夕日で反射し、円堂の表情は見えない。
普段は生き生きと輝く栗色の瞳は、今はどんな色をしているのだろう。
机に腰掛けてリラックスしているように見えるが、張り詰めた緊張の糸はいつ切れてもおかしくないように感じた。
まるで底が見えない深い闇に手を伸ばしてるようだ。
必死に縋り付こうとしてるのに、実態を掴ませず本音すら探せない。
これが鬼道家の娘と言うのなら、自分は絶対に無理だ。
人生で踏んだ場数が違いすぎる。
大人相手でもこれほど緊張を強いられる状況に陥ったこともなく、冷や汗がとめどなく流れ落ちた。
勘違いしていた。
この場で注意するべきは、嘲るように口角を上げる一之瀬でも、警戒心をむき出しに様子を窺っている風丸でもない。
目の前で王者の貫禄を惜しみなく晒す、絶対の君臨者だ。
「それでも、私はあなたに願い続けます」
「・・・・・・」
「『血が繋がらない他人の癖に』。私はそうあなたを詰りました。後悔してます。あなたが責めない分だけ自分を責めて、それでも自分を許せません。───だって、その言葉はそのまま私に反射するものでもあるんですから」
真っ直ぐに、恐怖に震える心を叱咤して視線を上げる。
一歩でも引いてしまえば、二度と向き合えない気がした。
怒りを露にするでもなく、語気荒く詰るでもない。
ただ静かな眼差しを向ける人を、ここで逃げれば正面から見れなくなる気がした。
「私は『音無春奈』。私の両親は音無のお父さんとお母さんです」
大事なのは血の繋がりなんかじゃない。
そんなのは、他の誰より知っていた。
親が亡くなり施設へ預けられ、先に貰われた兄とも会えなくなり寂しさで泣いた夜に、優しさを与えてくれたのは『血の繋がりがない』家族だ。
夜の闇に恐怖した日、友達と喧嘩して帰った日、兄を想って涙した日、差し伸べてくれた掌は温かく幸せを運んだ。
血は繋がってなくても、自分は『音無家』の『春奈』。
自分たちは家族で、それを誰に否定させる気もない。
そして───愛されている自分は、誰よりも否定してはいけない。
「一度口から出た言葉は消えません。言った人間の脳裏にも、言われた人間の心にも、言葉は刻まれ消せません。謝罪は無意味と知ってます。だから、都合がいいと知りながら、私は言葉を上書きします。あなたは『鬼道有人』の『姉』です。血の繋がりなんて関係なく、彼の『家族』なんです」
「・・・・・・」
「私を許せないなら、許さなくていいです。嫌っても、憎んでもいい。だから・・・お願いです!お兄ちゃんを助けてください。あの日からお兄ちゃんはご飯も碌に食べてないです。毎日気絶寸前まで体を酷使してサッカーをして、そうしないと眠れないって。このままじゃお兄ちゃん遠からず倒れちゃいます!」
言いたいことを言って、ぐっと頭を下げる。
望まれたら、先日の兄と同じように土下座をしても構わなかった。
脳裏に浮かぶのは痩せた兄の姿。
雷門中に姿を現したときよりも酷く衰弱し、そのくせ瞳だけがぎらぎらと輝いていた。
自分と姉を繋ぐ絆はもうサッカーしかないのだから、と、それだけでも認めてもらいたいと。
怖かった。このまま彼が消えてしまうのではないかと、狂おしい想いに恐怖した。
体に流れる血だけが家族の証になるわけでないと理解しつつ、矛盾して、たった一人の血の繋がった兄を失いたくなかった。
沈黙が暫く続き、ふうとため息が聞こえる。
それは対して大きな音ではなかったけれど、静寂に包まれていた部室には響いた。
「顔を上げてよ、音無」
「キャプテンが了承してくれるまで上げません」
「・・・なら、そのまま聞いてくれ。あのな、俺は別に憎くてあいつを放置してるわけじゃないんだ。今ここで手を差し伸べるのは容易い」
「それなら」
「けどな、さっきも言ったように俺はずっと傍に居ることは出来ない。いつか来る別れを知りながら、それでも依存させろと言うのか?より深い絶望を与えると知りながら、この場だけを凌げと?」
聞こえる声に感情はない。
けれど、どうしてだろう。
優しさを感じさせない声なのに、兄を深く気遣っているように聞こえた。
「私も、一生お兄ちゃんと一緒にいられるわけじゃないです」
「・・・そうじゃない。俺とお前は根本的に違うんだ、音無」
「違わない。あなたは何があってもお兄ちゃんにとっては大切な家族です。どれだけ仲がいい兄弟だっていつか道は分かたれる。それぞれの人生を歩くために、背中を向けるかもしれない。けど、それがなんだって言うんですか?例え傍に居られなくても、例え姿が見えなくても、絆は一生の残ります。目に見える何かより、そっちの方が大切なんです。少なくとも、今のお兄ちゃんにはあなたが必要で、あなた以上の何かはないんです」
代わりになれるなら、とうに代わりになっている。
あの様子を見ていないからそんなことが言えるのだ。
幽鬼のような姿は、普段の落ち着いていて冷静な彼とは全く違う。
何かあれば駆けつけて助けてくれた頼りになる兄ではなく、単なる『鬼道有人』でしかない人は、こちらを頼る対象としてみていない。
あくまで守るべき、庇護する対象でしかないから、ボロボロになっても笑おうとする。
弱みを見せる相手にはなれないのだ。
彼が、『鬼道有人』が全てをさらけ出せて無防備に甘えれるとしたら、目の前のこの人以外にはきっとない。
「本当に、勝手だな」
「っ」
「お前ら兄弟は相手の都合を考えるって配慮、持ってないのか?」
冷たく突き放した口調に、唇を噛み締める。
何を言われても否定出来ない。
彼女の都合など欠片も考えておらず、兄のことしか見てないのは本当だから。
冷たいと感じることすら厚かましいのかもしれない。
「すみません。キャプテンの都合なんて、私は考えられません。私はどうしたってお兄ちゃんが大切で、そのために必要ならなんだってする気です」
「───それじゃ、俺が音無の両親を捨てろって言ったら、お前は捨てられる?お兄ちゃんが大事だからって、今までの絆を全部なかったことに出来るのか?」
「・・・・・・はい」
「即答できなかった時点でアウトだ、音無。話はそれだけなら俺は家に帰る。今日は外せない用事があるんだ。もう約束の時間をオーバーしてる」
無常な言葉に顔を上げれば、いつの間に用意したのか鞄を片手にドアに手を掛けるところだった。
取り縋ろうと動く前に、一之瀬が間に入り込み体を張って邪魔をされ、掴もうとした体はするりと外に出てしまう。
「風丸、悪いんだけど部室のかぎ閉めを頼めるか?」
「構わないが・・・円堂はどうするんだ?」
「俺は一哉と用事を済ませてから帰るよ。頼りにしてるから、お願いな。あと暗くなってきたから音無を家まで送ってやれ。女の子を一人で帰らせるのは危ないから」
「・・・判った」
「ほら一哉、行こうぜ?んな警戒心ばりばりな小型犬みたいな顔してないで一緒に帰ろ」
「でも」
「いいから。言いたいこと言ったら後悔するのはお前だろ。俺のために怒る必要はない。俺が怒ってないんだからな」
「・・・うん」
渋々と了承した一之瀬を引き寄せると、淡い苦笑を浮かべる。
年上を実感させる態度に、普段の子供っぽさはない。
優しく慈しみに満ちていてとても穏やかで、促す仕草はあくまで自然。
肩を並べてゆっくりと去っていく二人に、喉の奥にこびりついた言葉は吐き出される前に消えていく。
夕日に向かうあの姿は、昔は兄の場所だったのだろうか。
背筋を伸ばして歩く人は、子供の頃の自分と同じで兄の手を握って歩いたのだろうか。
鬼道の家は一般家庭じゃないと言いつつ、そんな普通もあったのだろうか。
「───帰ろう、音無」
「はい・・・」
涙で滲む視界の先で、仲良さげな二人は夕闇へ解けて消え去った。
「あ、守さんに胸がある」
「本当だ。円堂君に胸がある」
「おい!?お前ら何言ってんだ!!?」
玄関で突き当たって右から聞こえてきた声に、ついっと視線を向けると、そこには気が合わなさそうで意外と合っているFW三人組の姿。
リカと二人で買い物にでも繰り出そうとしていたのだが、どうやら彼らも自主トレに行こうとしていたらしい。
お揃いのイナズマジャパンのジャージとスパイク、タオルとペットボトルを手にして並んで歩いている。
ヒロトを真ん中に左右を染岡と吹雪が固めているが、平然とした顔でセクハラ発言を繰り出した二人組みはにこやかな笑顔を浮かべていて、反してその発言に慌てている染岡は顔が真っ赤になっている。
ちなみ当然だが円堂には普段も胸はある。
いつもはプロテクターで覆っているため視認出来ない胸が存在を主張していると言いたいのだろう。
現在はタンクトップの上に七部丈のプリントパーカー、デニムのハーフパンツといういでだちだ。
別に今更その程度の発言で胸を隠すほど初心ではないが、羞恥心の欠片も見えない彼らの将来を危ぶまないでもない。
「顔を合わせて早々にセクハラか?」
「いや、だってねぇ、ヒロト君。守さん、滅多に私服でも女の子らしい曲線を出さないから」
「うんうん。判るよ、吹雪君。円堂君、折角スタイルいいのにいっつも隠しちゃってるもんね」
「やっぱ健全な男の子としては、つい視線が行っちゃうよね」
「そうだよね。」
「お前ら正気か!?」
にこやかにスケベ発言を繰り出した二人に、染岡は憤死しそうだ。
呆れ混じりに吹雪とヒロトの言葉を聞いていた円堂は、隣で黙りこくっているリカに気がつき顔を覗き込んだ。
腕を組み眉間に皺を寄せたリカは随分と渋い表情で瞼を閉じて呻っている。
「どうした、リカ?」
「いや、この場合顔が良くても微妙やな~って思うてな。円堂的にはどうや?好みのタイプがないならこいつらもセーフか?」
「え?リカはどうなの?」
「顔はありや。性格的にもスマートに女のエスコート出来るし、並ぶと自慢は出来ると思う」
「つまり?」
「一緒に歩くだけならありやな」
「イケメンだけど、恋人としてはアウトってこと?」
「せやな」
こっくりとリカが頷くと、駄目判定された二人は対して気にするでもなく受け流した。
その様子は全く物怖じせず、むしろ何も言われてない染岡の方が渋い顔だ。
吹雪もヒロトも気がつけば逆ナンされているタイプなので、見られるのも勝手な判定を下されるのも慣れているのだろう。
嫌な顔をするどころか好奇心に瞳を輝かせて寄って来ると、にこりと王子様スマイルを浮かべて詰め寄る。
「守さんはどうなの?」
「どうって?」
「俺たちが恋人としてありかなしか。むしろ、俺たちの中で誰が一番いい?」
端正な顔立ちでじっと見詰める二人は、どちらも自分が選ばれると自信があるらしい。
円堂より身長は劣るものの、以前よりもきりりとした雰囲気になった綺麗な顔立ちの吹雪。
切れ長の瞳にどこか危うい雰囲気が放っておけない、スタイル抜群で格好いいヒロト。
二人を順にじっと眺め、ふむと腕を組んで首を傾げる。
そしてその様子を眉を顰めて眺めていた染岡をちょいちょいと指先で招き、訝しげな様子でこちらを窺う彼が射程範囲に入ったのを見計らってにこりと微笑んだ。
「えい」
「ぶわっ!?な、何すんだ、円堂!!?」
「俺なら染岡がいいなー。見ろよ、このリアクション。滅茶苦茶ツボだ」
「って、染岡あんたの胸に顔埋まっとるで!?あんた無駄に肉付きいいし、冗談や抜きに窒息するんとちゃうか!?」
「はははははっ、健全な青少年なら巨乳に顔を埋めて窒息死ならバッチコイだよな。な、染岡?」
「馬鹿なこと言ってんじゃねえ!放せ、放しやがれ!!」
「やっ!?染岡、何処触ってんだ!?エッチ!」
「え!?ち、違う!誤解だ!俺は何も疚しい気持ちで触ったんじゃなくて・・・」
「なーんて、うっそー」
「テメェ!!」
ぎゅうぎゅうに頭を胸に抱きこんでやると、引き剥がしたいが何処に触れればいいか判らないと、もがく手が宙に浮く。
長身の彼にとっては苦しい体勢だろうに、何とか必死にバランスを取りながら膂力だけで体を離そうとしていた。
顔どころか見えている部分全体を真っ赤に染め上げて、今にも湯気が出てきそうだ。
反応が初心でとても可愛く、益々胸に押し付けてやると悲鳴とも奇声とも取れる情けない声を上げた。
「染岡可愛いー」
「・・・この顔にこの雰囲気の染岡を可愛いと言い切るあんたは強者やで」
「だってさ、これが吹雪かヒロトだと状況を満喫するぞ。にこにこしながらラッキーとばかりにむしろ顔を埋めるぞ。そんな奴らに比べて染岡の初心なことったらないな。嫌がる仕草がさいっこうだ!」
「前々から薄々気づいとったけどな、あんた結構Sっけ強いよな?しかも普段からちょっとツンとしてるタイプが嫌がる様見るの大好きやろ」
「さっすが、親友!判ってるー。嫌がる奴に無理やり構ってやるのが楽しいんだよな。有人然り、不動然り、染岡然り。何だかんだで染岡と有人は素直だから、一番のツンツンブームは不動だな。あの嫌そうに眉を顰めて無駄な抵抗を繰り返す仕草が超可愛いんだ!!」
「・・・あんたの趣味が曲がっとるのはようわかったわ」
うんざりとした眼差しを向けるリカに、にっこりと微笑む。
リカからすれば不動のあれはツンツンなんて可愛いものではない。
『あぁ?』と低い声で威嚇する様も、鋭く眇められた眼光も、正直お近付きになりたいものではないのに。
「結局のところ、俺は誰でもいい部分あると思うし付き合うのも全然いいけど、あえて自分から迫るとしたらこういうタイプだな。恋人にするなら構い甲斐がある染岡か不動。リアクションは大事だよな」
「大物や。あんたは本当に大物や」
呆れ交じりの声で賞賛したリカは、半眼になり動きの鈍くなってきた染岡に視線をやった。
ちなみに彼の背後にいる二人は絶賛氷河期に入っている。
好意を持っている女性に袖にされた上に、目の前でその胸に顔を埋める行幸に授かる男がいるのだ。
それは不機嫌にもなろうもの。
ちなみに全部を判って染岡を抱きしめ続けた円堂は、窒息寸前の彼を呆気なく手放すと綺麗にウィンクを決めた。
「じゃあ、染岡。生きてたら、夕食に買ってきた土産を贈与しよう」
「はぁ?」
「・・・染岡君」
「俺たちはシュート練習だよ。ねえ、吹雪君。俺、君となら二人でも新技を開発できる気がする。グランドファイアを上回る何かが出来る気がする」
「奇遇だね、ヒロト君。僕も君となら新しい何かが生まれる気がする。クロスファイアなんて児戯だと笑える真必殺技が生まれる気がする」
「お、おい、二人とも?」
「染岡君はキーパー役ね」
「俺たちの新技、その身で確かめてね」
「ちょ、待てぇぇぇえ!?何で俺がぁぁぁあ!!?」
酸欠で頭をふらふらとさせながらも渾身の勢いで発せられた絶叫は、鮮やかな笑顔でスルーされた。
魔王降臨時の立向居のように禍々しいオーラを噴出させた彼らは、喚く染岡の腕を片方ずつ掴んで有無を言わさず引き摺っていく。
笑顔でそれを見送った円堂に、恐ろしい奴、と改めて年上の親友の底知れなさに、思わず拍手してしまった。
ちなみに、夕食時瀕死の重傷で生き残った染岡は、話を聞いた立向居や鬼道に更に酷い目に合わされたのは、二次災害としか言いようがないだろう。
「本当だ。円堂君に胸がある」
「おい!?お前ら何言ってんだ!!?」
玄関で突き当たって右から聞こえてきた声に、ついっと視線を向けると、そこには気が合わなさそうで意外と合っているFW三人組の姿。
リカと二人で買い物にでも繰り出そうとしていたのだが、どうやら彼らも自主トレに行こうとしていたらしい。
お揃いのイナズマジャパンのジャージとスパイク、タオルとペットボトルを手にして並んで歩いている。
ヒロトを真ん中に左右を染岡と吹雪が固めているが、平然とした顔でセクハラ発言を繰り出した二人組みはにこやかな笑顔を浮かべていて、反してその発言に慌てている染岡は顔が真っ赤になっている。
ちなみ当然だが円堂には普段も胸はある。
いつもはプロテクターで覆っているため視認出来ない胸が存在を主張していると言いたいのだろう。
現在はタンクトップの上に七部丈のプリントパーカー、デニムのハーフパンツといういでだちだ。
別に今更その程度の発言で胸を隠すほど初心ではないが、羞恥心の欠片も見えない彼らの将来を危ぶまないでもない。
「顔を合わせて早々にセクハラか?」
「いや、だってねぇ、ヒロト君。守さん、滅多に私服でも女の子らしい曲線を出さないから」
「うんうん。判るよ、吹雪君。円堂君、折角スタイルいいのにいっつも隠しちゃってるもんね」
「やっぱ健全な男の子としては、つい視線が行っちゃうよね」
「そうだよね。」
「お前ら正気か!?」
にこやかにスケベ発言を繰り出した二人に、染岡は憤死しそうだ。
呆れ混じりに吹雪とヒロトの言葉を聞いていた円堂は、隣で黙りこくっているリカに気がつき顔を覗き込んだ。
腕を組み眉間に皺を寄せたリカは随分と渋い表情で瞼を閉じて呻っている。
「どうした、リカ?」
「いや、この場合顔が良くても微妙やな~って思うてな。円堂的にはどうや?好みのタイプがないならこいつらもセーフか?」
「え?リカはどうなの?」
「顔はありや。性格的にもスマートに女のエスコート出来るし、並ぶと自慢は出来ると思う」
「つまり?」
「一緒に歩くだけならありやな」
「イケメンだけど、恋人としてはアウトってこと?」
「せやな」
こっくりとリカが頷くと、駄目判定された二人は対して気にするでもなく受け流した。
その様子は全く物怖じせず、むしろ何も言われてない染岡の方が渋い顔だ。
吹雪もヒロトも気がつけば逆ナンされているタイプなので、見られるのも勝手な判定を下されるのも慣れているのだろう。
嫌な顔をするどころか好奇心に瞳を輝かせて寄って来ると、にこりと王子様スマイルを浮かべて詰め寄る。
「守さんはどうなの?」
「どうって?」
「俺たちが恋人としてありかなしか。むしろ、俺たちの中で誰が一番いい?」
端正な顔立ちでじっと見詰める二人は、どちらも自分が選ばれると自信があるらしい。
円堂より身長は劣るものの、以前よりもきりりとした雰囲気になった綺麗な顔立ちの吹雪。
切れ長の瞳にどこか危うい雰囲気が放っておけない、スタイル抜群で格好いいヒロト。
二人を順にじっと眺め、ふむと腕を組んで首を傾げる。
そしてその様子を眉を顰めて眺めていた染岡をちょいちょいと指先で招き、訝しげな様子でこちらを窺う彼が射程範囲に入ったのを見計らってにこりと微笑んだ。
「えい」
「ぶわっ!?な、何すんだ、円堂!!?」
「俺なら染岡がいいなー。見ろよ、このリアクション。滅茶苦茶ツボだ」
「って、染岡あんたの胸に顔埋まっとるで!?あんた無駄に肉付きいいし、冗談や抜きに窒息するんとちゃうか!?」
「はははははっ、健全な青少年なら巨乳に顔を埋めて窒息死ならバッチコイだよな。な、染岡?」
「馬鹿なこと言ってんじゃねえ!放せ、放しやがれ!!」
「やっ!?染岡、何処触ってんだ!?エッチ!」
「え!?ち、違う!誤解だ!俺は何も疚しい気持ちで触ったんじゃなくて・・・」
「なーんて、うっそー」
「テメェ!!」
ぎゅうぎゅうに頭を胸に抱きこんでやると、引き剥がしたいが何処に触れればいいか判らないと、もがく手が宙に浮く。
長身の彼にとっては苦しい体勢だろうに、何とか必死にバランスを取りながら膂力だけで体を離そうとしていた。
顔どころか見えている部分全体を真っ赤に染め上げて、今にも湯気が出てきそうだ。
反応が初心でとても可愛く、益々胸に押し付けてやると悲鳴とも奇声とも取れる情けない声を上げた。
「染岡可愛いー」
「・・・この顔にこの雰囲気の染岡を可愛いと言い切るあんたは強者やで」
「だってさ、これが吹雪かヒロトだと状況を満喫するぞ。にこにこしながらラッキーとばかりにむしろ顔を埋めるぞ。そんな奴らに比べて染岡の初心なことったらないな。嫌がる仕草がさいっこうだ!」
「前々から薄々気づいとったけどな、あんた結構Sっけ強いよな?しかも普段からちょっとツンとしてるタイプが嫌がる様見るの大好きやろ」
「さっすが、親友!判ってるー。嫌がる奴に無理やり構ってやるのが楽しいんだよな。有人然り、不動然り、染岡然り。何だかんだで染岡と有人は素直だから、一番のツンツンブームは不動だな。あの嫌そうに眉を顰めて無駄な抵抗を繰り返す仕草が超可愛いんだ!!」
「・・・あんたの趣味が曲がっとるのはようわかったわ」
うんざりとした眼差しを向けるリカに、にっこりと微笑む。
リカからすれば不動のあれはツンツンなんて可愛いものではない。
『あぁ?』と低い声で威嚇する様も、鋭く眇められた眼光も、正直お近付きになりたいものではないのに。
「結局のところ、俺は誰でもいい部分あると思うし付き合うのも全然いいけど、あえて自分から迫るとしたらこういうタイプだな。恋人にするなら構い甲斐がある染岡か不動。リアクションは大事だよな」
「大物や。あんたは本当に大物や」
呆れ交じりの声で賞賛したリカは、半眼になり動きの鈍くなってきた染岡に視線をやった。
ちなみに彼の背後にいる二人は絶賛氷河期に入っている。
好意を持っている女性に袖にされた上に、目の前でその胸に顔を埋める行幸に授かる男がいるのだ。
それは不機嫌にもなろうもの。
ちなみに全部を判って染岡を抱きしめ続けた円堂は、窒息寸前の彼を呆気なく手放すと綺麗にウィンクを決めた。
「じゃあ、染岡。生きてたら、夕食に買ってきた土産を贈与しよう」
「はぁ?」
「・・・染岡君」
「俺たちはシュート練習だよ。ねえ、吹雪君。俺、君となら二人でも新技を開発できる気がする。グランドファイアを上回る何かが出来る気がする」
「奇遇だね、ヒロト君。僕も君となら新しい何かが生まれる気がする。クロスファイアなんて児戯だと笑える真必殺技が生まれる気がする」
「お、おい、二人とも?」
「染岡君はキーパー役ね」
「俺たちの新技、その身で確かめてね」
「ちょ、待てぇぇぇえ!?何で俺がぁぁぁあ!!?」
酸欠で頭をふらふらとさせながらも渾身の勢いで発せられた絶叫は、鮮やかな笑顔でスルーされた。
魔王降臨時の立向居のように禍々しいオーラを噴出させた彼らは、喚く染岡の腕を片方ずつ掴んで有無を言わさず引き摺っていく。
笑顔でそれを見送った円堂に、恐ろしい奴、と改めて年上の親友の底知れなさに、思わず拍手してしまった。
ちなみに、夕食時瀕死の重傷で生き残った染岡は、話を聞いた立向居や鬼道に更に酷い目に合わされたのは、二次災害としか言いようがないだろう。
更新内容
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(03/25)
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(03/13)
(03/13)
(03/13)
(03/11)
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