×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
初めてその動きを映像で見た瞬間、息を忘れるくらいに興奮した。
生まれ持った体のバネ、研ぎ澄まされた感覚によるボールコントロール、フィールドを上から眺めているような的確な指示、どんな状況でも絶対に諦めない負けん気の強い瞳。
オレンジ色のバンダナの上で長い栗色の髪をツインテールにし首にゴーグルを下げて、男子で構成されているイタリアチームに一人女子として試合に参加している彼女。
けれど誰よりも速く走り、誰よりも高く飛び、誰よりもボールを、そして試合の流れを見ている子。
自分と同い年くらいなのに、サッカー大国の第一線で活躍する少女は、とてもとても輝いていた。
「・・・凄い」
この映像は、イタリア国内のジュニアユースにすらならない年齢層の子供のプレイ状況を映したものだ。
将来有望とされる子供をピックアップし、深夜枠のサッカーの試合の隙間に組まれた特集だった。
勿論言語はイタリア。下に英語で字幕テロップが出ている。
今放映されている試合はイタリア全土でのジュニアユース未満の選手のもので、決勝リーグの試合の一つらしい。
幾度もアップでカットが入るのは二人。
『白い流星』のフィディオ・アルデナ。
『不屈のポラリス』のマモル・キドウ。
FWとMFの二人はポジションこそ違うが、他のプレイヤーと一線を画すという意味では同じだ。
個人技を駆使して攻め上がるフィディオを止めるのは、長い髪を文字通り馬の尻尾のように揺らしたマモル。
体全体でボールを操る彼が一瞬の隙をついて突破しようとした瞬間、にいっと笑った彼女はすれ違いざまに踵を使ってボールをトラップした。
唖然とするフィディオに親指を立ててそのままFWへダイレクトパスを上げると、その動きに合わせた相手がシュートを決める。
目の前で悔しげに唇を噛み締めるフィディオに何事か告げると、仲間の下へ駆け寄り飛びついて喜びを表した。
ダイジェストなので残りはカットされたが、結局そのシュートが決勝点になったらしく勝利インタビューはフィディオではなくマモルへと向けられた。
アップで映る顔はどう見ても日本人だが、交される言語はイタリア語。
人前に立つのに慣れているのか物怖じせずにライバルへの賛辞や、仲間への賞賛を伝える彼女は堂々としている。
日系なのだろうか、とテロップの内容を読み取りながら首を傾げると、最後の質問でありがちな言葉が向けられた。
この勝利を誰に伝えたいですか、と問われたそれに瞬きを繰り返した彼女は、それまでのすまし顔を変えて子供っぽい表情を浮かべた。
『有人、見てる?姉さんの勝利は有人へ捧げます。もうすぐに日本へ帰るから、あと少しだけいい子で待ってて』
ピースサインをしてウィンクしながら視線をカメラに向けた少女から発せられたのは紛れもなく日本語で、インタビュアーが戸惑うのも気にせずに手を振り『Ciao!』と笑ってそのまま仲間の下へと走っていってしまった。
その途中でフィディオに捕まり、仲良さげに笑いながら並んで歩く。
ライバル関係にあってもどうやら親しい間柄らしい二人に、ツキリと胸が痛んだ。
初めての感覚に首を傾げて服の上から胸を押さえる。
その間に画面は切り替わって、中継は試合へと戻った。
先ほどまであんなに興奮して続きを楽しみにしていた試合なのに、心は初めほど躍らない。
脳裏に浮かぶのは彼女のプレイと笑顔だけで、どうにも我慢できずに枕もとの携帯へ手を伸ばす。
この携帯はサッカーの練習で遅くなる一哉に連絡用として親が買い与えたもので、登録されている番号はチームの仲間やサッカー関連の人間のみだった。
深夜二時を越える時間をディスプレイで確認しながら、アドレス帳を操作して目的の人間を探す。
迷いなく通話ボタンを押すと、数コールの内に相手は出た。
「もしもし、マーク?」
「・・・どうしたんだ、こんな時間に」
「マーク、今日の試合録画するって言ってたろ?」
「はぁ?何なんだ唐突に?」
「だから、今流れてるイタリアの試合。見てないの?」
「いや、見てるからお前の電話にすぐに出れたんだが・・・」
「じゃあ、さっきのダイジェストも録画してただろ?俺に頂戴」
「何故?」
「見てたなら判るだろ!?俺たちと同じポジションの天才!」
「・・・マモル・キドウ。フィディオ・アルデナと並びイタリアで将来を嘱望されている稀代の天才。『不屈のポラリス』と二つ名を持ち、その意味は北極星が迷える旅人の導となったように、彼女自身が仲間の標として存在していることに由来している。どんな状況でも絶対に勝利を諦めない強固な意志を持ち、個人技もさることながらチームを使った戦略を得意とする司令塔」
滔々と携帯から流れる説明に、ぱちりと瞬きをした。
眠気はとうに吹っ飛んでいるが、脳に流れる情報の濃さに驚きを禁じえない。
「詳しいな、マーク」
「去年偶々イタリア戦の合間に今日と同じようにダイジェストで映像が流れていた。何でも去年からイタリアと日本を行き来してプレイしているらしい。たった一年でイタリア全土に名を広めた天才。ヨーロッパのサッカー雑誌にもたまに載っている」
「・・・・・・なんでそんなに詳しいんだ?」
「ファンだ」
「ファンか。そうか」
きっぱりと言い切られると何も突っ込めない。
あの普段から取り澄ました顔のマークがどんな表情で言っているのか興味はあるが、何となくいつもどおりな気もする。
そう言えば、ある一時期からマークは海外のサッカー雑誌を集めるようになっていた気がする。
本屋になければネットで買いあさり、親に頼んでHDDに録画できるプレイヤーまで購入していた。
DVDも生来の気質かきっちりとラベルを貼って保存していたが、こういう理由があったとは。
「ん?それなら、マークはマモル・キドウの映像、これ以外にも持ってるってこと?」
「・・・そうなるな」
「じゃ、それも頂戴」
「何を自然に言っている。やるわけないだろう」
「どうして?」
「ファンだからだ」
「・・・そうか」
潔すぎる。
むしろいっそ清々しい断言に、図らずとも頷いた。
けれど知ってしまったからには、一哉だって欲しい。
もっともっと彼女のサッカーを見たい。
全身で楽しいと訴えるプレイ。
同年代でありながら、遥かに自分を上回るテクニックに、周りを視る観察眼、そして誰をも惹き付けるカリスマ性。
肩を並べれるフィディオが羨ましくて仕方ない。
顔を近づけて笑い合える親密さが羨ましくて、その高みにあるテクニックを嫉む。
もっともっと、彼女を知りたい。
追いついて、肩を並べて、そして一緒にプレイしたい。
同じフィールドに立って同じ空気を吸って、高揚感を共有して、全身で楽しいと訴えるサッカーをしたい。
けれど、まずは。
「とりあえず今までの録画分は明日見に行くから宜しく。あ、晩御飯もお願いできる?」
「・・・」
「マークのことだからスクラップブックもあるんだろ?ちゃんと全部準備しておいてよ。徹夜覚悟で行くから」
「・・・・・・」
長い沈黙の末、マークから許可を貰うと、満足げに笑って携帯電話を閉じる。
気がつけば試合は終っていたが、それよりも明日得る情報に心は踊りいそいそとベッドに潜り込んだ。
翌日、マークの部屋に用意されたスクラップブックの美しさと、ネットなどから引き出された情報量の多さにさり気無く気に入った雑誌の切抜きを奪ったのだが。
練習中に笑顔で返せと強要するマークに背筋を奮わせたのは一哉だけでなく、巻き込まれたチームメイトは怒りの理由を言わない彼の逆鱗に触れないよう普段よりも厳しく練習に励んだ。
生まれ持った体のバネ、研ぎ澄まされた感覚によるボールコントロール、フィールドを上から眺めているような的確な指示、どんな状況でも絶対に諦めない負けん気の強い瞳。
オレンジ色のバンダナの上で長い栗色の髪をツインテールにし首にゴーグルを下げて、男子で構成されているイタリアチームに一人女子として試合に参加している彼女。
けれど誰よりも速く走り、誰よりも高く飛び、誰よりもボールを、そして試合の流れを見ている子。
自分と同い年くらいなのに、サッカー大国の第一線で活躍する少女は、とてもとても輝いていた。
「・・・凄い」
この映像は、イタリア国内のジュニアユースにすらならない年齢層の子供のプレイ状況を映したものだ。
将来有望とされる子供をピックアップし、深夜枠のサッカーの試合の隙間に組まれた特集だった。
勿論言語はイタリア。下に英語で字幕テロップが出ている。
今放映されている試合はイタリア全土でのジュニアユース未満の選手のもので、決勝リーグの試合の一つらしい。
幾度もアップでカットが入るのは二人。
『白い流星』のフィディオ・アルデナ。
『不屈のポラリス』のマモル・キドウ。
FWとMFの二人はポジションこそ違うが、他のプレイヤーと一線を画すという意味では同じだ。
個人技を駆使して攻め上がるフィディオを止めるのは、長い髪を文字通り馬の尻尾のように揺らしたマモル。
体全体でボールを操る彼が一瞬の隙をついて突破しようとした瞬間、にいっと笑った彼女はすれ違いざまに踵を使ってボールをトラップした。
唖然とするフィディオに親指を立ててそのままFWへダイレクトパスを上げると、その動きに合わせた相手がシュートを決める。
目の前で悔しげに唇を噛み締めるフィディオに何事か告げると、仲間の下へ駆け寄り飛びついて喜びを表した。
ダイジェストなので残りはカットされたが、結局そのシュートが決勝点になったらしく勝利インタビューはフィディオではなくマモルへと向けられた。
アップで映る顔はどう見ても日本人だが、交される言語はイタリア語。
人前に立つのに慣れているのか物怖じせずにライバルへの賛辞や、仲間への賞賛を伝える彼女は堂々としている。
日系なのだろうか、とテロップの内容を読み取りながら首を傾げると、最後の質問でありがちな言葉が向けられた。
この勝利を誰に伝えたいですか、と問われたそれに瞬きを繰り返した彼女は、それまでのすまし顔を変えて子供っぽい表情を浮かべた。
『有人、見てる?姉さんの勝利は有人へ捧げます。もうすぐに日本へ帰るから、あと少しだけいい子で待ってて』
ピースサインをしてウィンクしながら視線をカメラに向けた少女から発せられたのは紛れもなく日本語で、インタビュアーが戸惑うのも気にせずに手を振り『Ciao!』と笑ってそのまま仲間の下へと走っていってしまった。
その途中でフィディオに捕まり、仲良さげに笑いながら並んで歩く。
ライバル関係にあってもどうやら親しい間柄らしい二人に、ツキリと胸が痛んだ。
初めての感覚に首を傾げて服の上から胸を押さえる。
その間に画面は切り替わって、中継は試合へと戻った。
先ほどまであんなに興奮して続きを楽しみにしていた試合なのに、心は初めほど躍らない。
脳裏に浮かぶのは彼女のプレイと笑顔だけで、どうにも我慢できずに枕もとの携帯へ手を伸ばす。
この携帯はサッカーの練習で遅くなる一哉に連絡用として親が買い与えたもので、登録されている番号はチームの仲間やサッカー関連の人間のみだった。
深夜二時を越える時間をディスプレイで確認しながら、アドレス帳を操作して目的の人間を探す。
迷いなく通話ボタンを押すと、数コールの内に相手は出た。
「もしもし、マーク?」
「・・・どうしたんだ、こんな時間に」
「マーク、今日の試合録画するって言ってたろ?」
「はぁ?何なんだ唐突に?」
「だから、今流れてるイタリアの試合。見てないの?」
「いや、見てるからお前の電話にすぐに出れたんだが・・・」
「じゃあ、さっきのダイジェストも録画してただろ?俺に頂戴」
「何故?」
「見てたなら判るだろ!?俺たちと同じポジションの天才!」
「・・・マモル・キドウ。フィディオ・アルデナと並びイタリアで将来を嘱望されている稀代の天才。『不屈のポラリス』と二つ名を持ち、その意味は北極星が迷える旅人の導となったように、彼女自身が仲間の標として存在していることに由来している。どんな状況でも絶対に勝利を諦めない強固な意志を持ち、個人技もさることながらチームを使った戦略を得意とする司令塔」
滔々と携帯から流れる説明に、ぱちりと瞬きをした。
眠気はとうに吹っ飛んでいるが、脳に流れる情報の濃さに驚きを禁じえない。
「詳しいな、マーク」
「去年偶々イタリア戦の合間に今日と同じようにダイジェストで映像が流れていた。何でも去年からイタリアと日本を行き来してプレイしているらしい。たった一年でイタリア全土に名を広めた天才。ヨーロッパのサッカー雑誌にもたまに載っている」
「・・・・・・なんでそんなに詳しいんだ?」
「ファンだ」
「ファンか。そうか」
きっぱりと言い切られると何も突っ込めない。
あの普段から取り澄ました顔のマークがどんな表情で言っているのか興味はあるが、何となくいつもどおりな気もする。
そう言えば、ある一時期からマークは海外のサッカー雑誌を集めるようになっていた気がする。
本屋になければネットで買いあさり、親に頼んでHDDに録画できるプレイヤーまで購入していた。
DVDも生来の気質かきっちりとラベルを貼って保存していたが、こういう理由があったとは。
「ん?それなら、マークはマモル・キドウの映像、これ以外にも持ってるってこと?」
「・・・そうなるな」
「じゃ、それも頂戴」
「何を自然に言っている。やるわけないだろう」
「どうして?」
「ファンだからだ」
「・・・そうか」
潔すぎる。
むしろいっそ清々しい断言に、図らずとも頷いた。
けれど知ってしまったからには、一哉だって欲しい。
もっともっと彼女のサッカーを見たい。
全身で楽しいと訴えるプレイ。
同年代でありながら、遥かに自分を上回るテクニックに、周りを視る観察眼、そして誰をも惹き付けるカリスマ性。
肩を並べれるフィディオが羨ましくて仕方ない。
顔を近づけて笑い合える親密さが羨ましくて、その高みにあるテクニックを嫉む。
もっともっと、彼女を知りたい。
追いついて、肩を並べて、そして一緒にプレイしたい。
同じフィールドに立って同じ空気を吸って、高揚感を共有して、全身で楽しいと訴えるサッカーをしたい。
けれど、まずは。
「とりあえず今までの録画分は明日見に行くから宜しく。あ、晩御飯もお願いできる?」
「・・・」
「マークのことだからスクラップブックもあるんだろ?ちゃんと全部準備しておいてよ。徹夜覚悟で行くから」
「・・・・・・」
長い沈黙の末、マークから許可を貰うと、満足げに笑って携帯電話を閉じる。
気がつけば試合は終っていたが、それよりも明日得る情報に心は踊りいそいそとベッドに潜り込んだ。
翌日、マークの部屋に用意されたスクラップブックの美しさと、ネットなどから引き出された情報量の多さにさり気無く気に入った雑誌の切抜きを奪ったのだが。
練習中に笑顔で返せと強要するマークに背筋を奮わせたのは一哉だけでなく、巻き込まれたチームメイトは怒りの理由を言わない彼の逆鱗に触れないよう普段よりも厳しく練習に励んだ。
「ったく。心配しただけこっちが損だったってわけか」
部活後、残ってマネージャーから受け取った部活の日誌を読んでいた円堂に不貞腐れて訴える。
すると眉を下げて笑う土門に気がついた円堂が、くっと口角を持ち上げた。
まるで全てお見通しと言わんばかりの視線に自然と眉が寄る。
滅多に見せない表情だが、たまに見ることがある表情に緩く首を振った。
「・・・どう考えても、皆騙されてるよな」
「誰に?」
「お前に。───明るくて元気が良くて素直で」
「まんま俺じゃん」
「何処が。お前、一之瀬に似てる。腹に持った一物を滅多に見せないとことか、その性質の悪い笑顔とか」
そんでもって、嫌になるくらいたまに見せる部分が魅力的なところとか。
口外しなかった言葉はしっかりと届いていたらしい。
くつりと喉を震わせて笑った人は小首を傾げると、いっそ無邪気に見える笑顔を浮かべた。
「何それ?酷い言い草だな。俺、傷ついちゃいそうだ」
「嘘つき」
「どうした土門。なんか不機嫌だな」
「だとしたら円堂の所為だよ」
不機嫌な声を出したら、また笑われた。
土門が見る限り、『円堂守』はとても複雑な回路を持っている。
一見すると素直で陽気で面白いことが好きで子供っぽい。
けれどよくよく観察すると言動は計算され、笑っているように見える姿も本当じゃないと気づく。
他の仲間は気づかないようだが、観察眼に優れていると自認する土門には判った。
円堂が仲間に寄せる信頼に嘘はない。
その態度も、優しさも、寛容さも本物だ。
ただ、本音を見せないだけ。それがどうしようもない違和感を生む。
性懲りもなくまた円堂の腰に懐き倒している幼馴染を一目し、また視線を鋭くする。
きっと土門の視線に気づいてるだろうに、一之瀬は優雅に無視をしていた。
夕暮れに暗くなりつつある室内で、牙を抜かれた獣のように、若しくは炬燵でまどろむ猫のようにゆったりとした雰囲気で甘える幼馴染は、土門が知る一之瀬と僅かに被らない。
彼は元々要領が良く甘え上手だが、誰かにここまで自分を晒すような行動はしなかった。
この姿を見せ付けられる分だけ、他の誰かよりもある意味において気は許してくれているのだろう。
それが喜ばしいかと問われれば、『是』と答えるのには間が空くだろうけれど。
複雑な想いの根底に流れるものの意味に気づきたくない。
目の前の幼馴染はいつだって自分の前を行き、追い付けっこなかったし勝てたためしもない。
だから、気がつかなければ、それで想いは収束する。
水に濡れた枯葉の下で燻る火種は、薄汚れた煙だけ立ち上らせて炎すら出さずに鎮火する。
土門はその時をただ待てばいい。
負けることには慣れている。こと、目の前の幼馴染に関しては特に。
「そういや、俺今日始めて円堂のお嬢様っぽい部分を見た気がする」
「ん?どういう意味」
「ピアノ、弾けたんだな。鬼道さんの『姉』って割りにお嬢様っぽい要素がないから驚いた」
「ははははは、さらりと失礼だな土門」
「だってさ、日頃からサッカーサッカー言ってるし。結局制服も男子のままだし、態度も豪快で男前だし。何より俺より女にもてる」
「まあな」
冗談交じりに訴えると、顔色も変えずに肯定された。
それはそれで男として複雑だ。
実際それが本当なので笑いしか漏れないが、同性相手なら何も考えないで居られる。
一之瀬の手前どうする気もないくせに、一丁前に嫉妬心を向けようとするなんて馬鹿らしい。
自嘲しつつもままならない心に反応するようのそりと一之瀬が体を起こした。
「お、一哉起きた?こいつに俺のお嬢様らしいとこ教えてやってよ」
「守のお嬢様らしいとこ?どこ?」
「・・・可愛い反応するじゃねえか。反抗期か、コラ」
腰にへばりついたままの一之瀬の首をヘッドロックして、ぐりぐりとこめかみに拳を押し付ける。
イタイイタイと叫ぶ彼に首を傾げた土門は、今日一日ついて回った疑問を口にした。
「ってか、一之瀬。お前今日ずっといらいらしてるな。どうしたんだ?」
「・・・別に」
ついっと視線を逸らした一之瀬の頬はぷっくりと膨らんでいた。
その頬を無遠慮に指先で突いて遊ぶ円堂に、土門は本気で感心した。
こう見えて彼は怒ると大変におっかないのだが、彼女は全く頓着していない。
「実はさ、こいつ昨日からずっとこんなんなんだよ。俺がさ、有人と話してたっつったら膨れちゃってさ。飽きもせず、ずーっと怒ってんの。おかげさまで朝食抜きだし昼飯なしだし、昼だってパフォーマンスに連れ出すまで朝からメール十五通も出させられた」
「・・・はぁ?何で一之瀬と円堂が喧嘩すると二人で飯抜きなわけ?」
「そりゃ俺たちが一緒に暮らしてるからだろ。あれ?言ってなかったっけ?」
「聞いてないな」
まさかの言葉に息を呑んで一之瀬を見れば、彼もこくりと頷いた。
日本に帰った一之瀬が何処に住んでいるかずっと疑問だったが、思わぬタイミングで疑問は氷解した。
口を開けて呆然としていると、思い切り何か突っ込まれた。
ふんがふっふと何処かのアニメ並みの声を出して租借すると、ふんわりと甘みが広まり柔らかな感触が美味だ。
「何これ」
「今日の戦利品。お前のクラスの女の子からの差し入れ」
「美味いな」
「だろ?それで、なんだっけ?俺のお嬢様らしいところ?あるぞー、とっておきの秘話が」
「秘話?」
「おう。これを聞くとお嬢様って納得だ。知りたいか?」
「・・・何?」
ぐっと顔を近づけられ、思わず息を呑んで問いかけると、にいっと円堂は意地の悪い笑みを浮かべた。
この表情は見せる相手やタイミングを選ぶものなので、実は結構気に入っていたりする。
曲がってるなと自分の嗜好に苦笑すると、声を潜めた彼女が内緒話をするように小声で囁いた。
「実はな、俺には許婚がいた」
「許婚ぇ!?」
「そう。イギリスの大財閥の一人息子。しかも出会いはパーティーで向こうの一目惚れの末、一年以上アプローチの結果俺が折れたんだぞ。ついでに奴は初恋だったらしいが、その想いは一週間で叩き折った。俺を許婚にするため態々日本語を覚えてきて鬼道の家に逗留しやがったんだけど、その時丁度俺には出来たばかりの弟ブームが来ててさ。つい、お嬢様ぶるのを忘れて素で相手したら、夢砕かれて打ちひしがれてた」
「・・・酷いな、それ。俺には円堂がお嬢様ぶってる仕草が想像できないけど、日本語まで覚えて追ってくるくらいにべた惚れだったんだろ?」
「おう。俺に一目惚れしたのが六歳で、親に頼み込んで一年間で日本語マスターするのを引き換えに鬼道の父さんに直接申し込みする権利を得て、俺がいいって言ったらって条件で日本に一月逗留して、その最初の一週間で夢砕かれた。超ウケる」
「ウケねぇよ。同情心で溢れるよ。誰だよ、その可哀想な財閥の御曹司。そんだけ酷いと顔を見たくなるだろ」
「そうだなぁ、土門なら会うかもな」
「へ?俺、お前と違ってパンピーだけど」
「あいつ、俺がサッカーしてるって聞いてサッカーやり始めたんだ。今じゃ趣味を超えるレベルだぞ。いつか、サッカーを通して顔を合わせるかもな」
まさか、と苦笑すると、わからないもんだぞとウィンクされた。
コケティッシュな笑顔を見て、益々見知らぬ男へ同情心が募る。
円堂がどれだけの勢いで化けていたか知らないが、それだけ努力した上で夢破れるとは男として憐れ過ぎる。
「ちなみに奴は六歳の俺のピアノを弾いてる姿に惚れた。真っ白なドレス着てにこやかに微笑んで、髪だって長かったからな。素で話した瞬間のあの顔ったらなかったぞ。普段は年以上に取り澄ましてたくせに、ぽかんと口を開けて間抜け面をさらしてやがった。思えば、あのときの写真を撮っておくべきだったな。約束の期間を大幅に縮めて帰ったくせに、何だかんだで意地になって一年も求婚し続けるから面倒になって受けたけど、関係が解消されるとあいつのツンデレすら懐かしくなるな」
腕を組んで頷く円堂に開いた口が塞がらない。
酷い初恋もあったものだ。
それでも求婚し続けたのだからきっと本気で彼女を好きだったんだろうけれど、どうにも流されている。
もしくは彼女の中では重要度がとても低いと言い換えた方が正しいだろうか。
どちらにせよ報われない顔も知らない相手に合掌していると、ぽんと肩を叩かれた。
「と、言うわけで、こいつの機嫌も朝よりはマシになったし、よかったら土門もうちに来るか?」
「へ?」
「今日は一哉と仲直りしようと朝からから揚げを仕込んでおいたからな。大量にあるし、お前も食ってけよ」
「・・・ホント?守、本当にから揚げ仕込んでおいてくれたのか?」
「おう。お前、好きだろ?それで仲直りしてよ。お前が笑っててくれないと、俺も調子狂う。何も言わずに居なくなって悪かったよ」
「───次は許さない。絶対に出掛ける時は連絡を入れておくこと。家に帰ってくるまで、本気で心配したんだ」
「ごめんな。音無から聞いてると思ってたんだ」
「・・・約束」
「うん、約束。嘘ついたら針千本飲ます。指切った」
鬼道と和解したことに怒っているのかと思ったが、どうやらそうではなかったらしい。
連絡なしで出かけていた円堂を単に心配したにしては過保護な気はしたが、口を出すと纏まりかけた話が拗れそうなので黙っておく。
小指を絡ませた二人は額をつき合わせ、ふわりと微笑み合った。
割り込めない空気を一瞬で作り出した二人に、胸がずきりと痛む。
昼間の豪炎寺も似たような感覚を得たのだろうか。
今の自分と同じように胸を押さえていたなと苦笑し、他人の感情までは構ってられないかと仮面をつけると痛みを隠した。
早く早くと密かに焦る。
この想いが消えてしまうように、火種が鎮火してしまうように。
見せ付けられる光景を目に焼きつけ、届かぬ宝を諦めようとそっと瞳を伏せて笑った。
部活後、残ってマネージャーから受け取った部活の日誌を読んでいた円堂に不貞腐れて訴える。
すると眉を下げて笑う土門に気がついた円堂が、くっと口角を持ち上げた。
まるで全てお見通しと言わんばかりの視線に自然と眉が寄る。
滅多に見せない表情だが、たまに見ることがある表情に緩く首を振った。
「・・・どう考えても、皆騙されてるよな」
「誰に?」
「お前に。───明るくて元気が良くて素直で」
「まんま俺じゃん」
「何処が。お前、一之瀬に似てる。腹に持った一物を滅多に見せないとことか、その性質の悪い笑顔とか」
そんでもって、嫌になるくらいたまに見せる部分が魅力的なところとか。
口外しなかった言葉はしっかりと届いていたらしい。
くつりと喉を震わせて笑った人は小首を傾げると、いっそ無邪気に見える笑顔を浮かべた。
「何それ?酷い言い草だな。俺、傷ついちゃいそうだ」
「嘘つき」
「どうした土門。なんか不機嫌だな」
「だとしたら円堂の所為だよ」
不機嫌な声を出したら、また笑われた。
土門が見る限り、『円堂守』はとても複雑な回路を持っている。
一見すると素直で陽気で面白いことが好きで子供っぽい。
けれどよくよく観察すると言動は計算され、笑っているように見える姿も本当じゃないと気づく。
他の仲間は気づかないようだが、観察眼に優れていると自認する土門には判った。
円堂が仲間に寄せる信頼に嘘はない。
その態度も、優しさも、寛容さも本物だ。
ただ、本音を見せないだけ。それがどうしようもない違和感を生む。
性懲りもなくまた円堂の腰に懐き倒している幼馴染を一目し、また視線を鋭くする。
きっと土門の視線に気づいてるだろうに、一之瀬は優雅に無視をしていた。
夕暮れに暗くなりつつある室内で、牙を抜かれた獣のように、若しくは炬燵でまどろむ猫のようにゆったりとした雰囲気で甘える幼馴染は、土門が知る一之瀬と僅かに被らない。
彼は元々要領が良く甘え上手だが、誰かにここまで自分を晒すような行動はしなかった。
この姿を見せ付けられる分だけ、他の誰かよりもある意味において気は許してくれているのだろう。
それが喜ばしいかと問われれば、『是』と答えるのには間が空くだろうけれど。
複雑な想いの根底に流れるものの意味に気づきたくない。
目の前の幼馴染はいつだって自分の前を行き、追い付けっこなかったし勝てたためしもない。
だから、気がつかなければ、それで想いは収束する。
水に濡れた枯葉の下で燻る火種は、薄汚れた煙だけ立ち上らせて炎すら出さずに鎮火する。
土門はその時をただ待てばいい。
負けることには慣れている。こと、目の前の幼馴染に関しては特に。
「そういや、俺今日始めて円堂のお嬢様っぽい部分を見た気がする」
「ん?どういう意味」
「ピアノ、弾けたんだな。鬼道さんの『姉』って割りにお嬢様っぽい要素がないから驚いた」
「ははははは、さらりと失礼だな土門」
「だってさ、日頃からサッカーサッカー言ってるし。結局制服も男子のままだし、態度も豪快で男前だし。何より俺より女にもてる」
「まあな」
冗談交じりに訴えると、顔色も変えずに肯定された。
それはそれで男として複雑だ。
実際それが本当なので笑いしか漏れないが、同性相手なら何も考えないで居られる。
一之瀬の手前どうする気もないくせに、一丁前に嫉妬心を向けようとするなんて馬鹿らしい。
自嘲しつつもままならない心に反応するようのそりと一之瀬が体を起こした。
「お、一哉起きた?こいつに俺のお嬢様らしいとこ教えてやってよ」
「守のお嬢様らしいとこ?どこ?」
「・・・可愛い反応するじゃねえか。反抗期か、コラ」
腰にへばりついたままの一之瀬の首をヘッドロックして、ぐりぐりとこめかみに拳を押し付ける。
イタイイタイと叫ぶ彼に首を傾げた土門は、今日一日ついて回った疑問を口にした。
「ってか、一之瀬。お前今日ずっといらいらしてるな。どうしたんだ?」
「・・・別に」
ついっと視線を逸らした一之瀬の頬はぷっくりと膨らんでいた。
その頬を無遠慮に指先で突いて遊ぶ円堂に、土門は本気で感心した。
こう見えて彼は怒ると大変におっかないのだが、彼女は全く頓着していない。
「実はさ、こいつ昨日からずっとこんなんなんだよ。俺がさ、有人と話してたっつったら膨れちゃってさ。飽きもせず、ずーっと怒ってんの。おかげさまで朝食抜きだし昼飯なしだし、昼だってパフォーマンスに連れ出すまで朝からメール十五通も出させられた」
「・・・はぁ?何で一之瀬と円堂が喧嘩すると二人で飯抜きなわけ?」
「そりゃ俺たちが一緒に暮らしてるからだろ。あれ?言ってなかったっけ?」
「聞いてないな」
まさかの言葉に息を呑んで一之瀬を見れば、彼もこくりと頷いた。
日本に帰った一之瀬が何処に住んでいるかずっと疑問だったが、思わぬタイミングで疑問は氷解した。
口を開けて呆然としていると、思い切り何か突っ込まれた。
ふんがふっふと何処かのアニメ並みの声を出して租借すると、ふんわりと甘みが広まり柔らかな感触が美味だ。
「何これ」
「今日の戦利品。お前のクラスの女の子からの差し入れ」
「美味いな」
「だろ?それで、なんだっけ?俺のお嬢様らしいところ?あるぞー、とっておきの秘話が」
「秘話?」
「おう。これを聞くとお嬢様って納得だ。知りたいか?」
「・・・何?」
ぐっと顔を近づけられ、思わず息を呑んで問いかけると、にいっと円堂は意地の悪い笑みを浮かべた。
この表情は見せる相手やタイミングを選ぶものなので、実は結構気に入っていたりする。
曲がってるなと自分の嗜好に苦笑すると、声を潜めた彼女が内緒話をするように小声で囁いた。
「実はな、俺には許婚がいた」
「許婚ぇ!?」
「そう。イギリスの大財閥の一人息子。しかも出会いはパーティーで向こうの一目惚れの末、一年以上アプローチの結果俺が折れたんだぞ。ついでに奴は初恋だったらしいが、その想いは一週間で叩き折った。俺を許婚にするため態々日本語を覚えてきて鬼道の家に逗留しやがったんだけど、その時丁度俺には出来たばかりの弟ブームが来ててさ。つい、お嬢様ぶるのを忘れて素で相手したら、夢砕かれて打ちひしがれてた」
「・・・酷いな、それ。俺には円堂がお嬢様ぶってる仕草が想像できないけど、日本語まで覚えて追ってくるくらいにべた惚れだったんだろ?」
「おう。俺に一目惚れしたのが六歳で、親に頼み込んで一年間で日本語マスターするのを引き換えに鬼道の父さんに直接申し込みする権利を得て、俺がいいって言ったらって条件で日本に一月逗留して、その最初の一週間で夢砕かれた。超ウケる」
「ウケねぇよ。同情心で溢れるよ。誰だよ、その可哀想な財閥の御曹司。そんだけ酷いと顔を見たくなるだろ」
「そうだなぁ、土門なら会うかもな」
「へ?俺、お前と違ってパンピーだけど」
「あいつ、俺がサッカーしてるって聞いてサッカーやり始めたんだ。今じゃ趣味を超えるレベルだぞ。いつか、サッカーを通して顔を合わせるかもな」
まさか、と苦笑すると、わからないもんだぞとウィンクされた。
コケティッシュな笑顔を見て、益々見知らぬ男へ同情心が募る。
円堂がどれだけの勢いで化けていたか知らないが、それだけ努力した上で夢破れるとは男として憐れ過ぎる。
「ちなみに奴は六歳の俺のピアノを弾いてる姿に惚れた。真っ白なドレス着てにこやかに微笑んで、髪だって長かったからな。素で話した瞬間のあの顔ったらなかったぞ。普段は年以上に取り澄ましてたくせに、ぽかんと口を開けて間抜け面をさらしてやがった。思えば、あのときの写真を撮っておくべきだったな。約束の期間を大幅に縮めて帰ったくせに、何だかんだで意地になって一年も求婚し続けるから面倒になって受けたけど、関係が解消されるとあいつのツンデレすら懐かしくなるな」
腕を組んで頷く円堂に開いた口が塞がらない。
酷い初恋もあったものだ。
それでも求婚し続けたのだからきっと本気で彼女を好きだったんだろうけれど、どうにも流されている。
もしくは彼女の中では重要度がとても低いと言い換えた方が正しいだろうか。
どちらにせよ報われない顔も知らない相手に合掌していると、ぽんと肩を叩かれた。
「と、言うわけで、こいつの機嫌も朝よりはマシになったし、よかったら土門もうちに来るか?」
「へ?」
「今日は一哉と仲直りしようと朝からから揚げを仕込んでおいたからな。大量にあるし、お前も食ってけよ」
「・・・ホント?守、本当にから揚げ仕込んでおいてくれたのか?」
「おう。お前、好きだろ?それで仲直りしてよ。お前が笑っててくれないと、俺も調子狂う。何も言わずに居なくなって悪かったよ」
「───次は許さない。絶対に出掛ける時は連絡を入れておくこと。家に帰ってくるまで、本気で心配したんだ」
「ごめんな。音無から聞いてると思ってたんだ」
「・・・約束」
「うん、約束。嘘ついたら針千本飲ます。指切った」
鬼道と和解したことに怒っているのかと思ったが、どうやらそうではなかったらしい。
連絡なしで出かけていた円堂を単に心配したにしては過保護な気はしたが、口を出すと纏まりかけた話が拗れそうなので黙っておく。
小指を絡ませた二人は額をつき合わせ、ふわりと微笑み合った。
割り込めない空気を一瞬で作り出した二人に、胸がずきりと痛む。
昼間の豪炎寺も似たような感覚を得たのだろうか。
今の自分と同じように胸を押さえていたなと苦笑し、他人の感情までは構ってられないかと仮面をつけると痛みを隠した。
早く早くと密かに焦る。
この想いが消えてしまうように、火種が鎮火してしまうように。
見せ付けられる光景を目に焼きつけ、届かぬ宝を諦めようとそっと瞳を伏せて笑った。
その日、朝から円堂の様子がおかしかった。
いつもなら朝練に顔を出すなり元気良く挨拶をするのだが、今日の彼女は片手を上げて『おはよう』と静かなものだった。
部員たちが戸惑う空気にも気づいてるだろうに、部活中きっちりとメニューをこなしながらも、いつものような陽気さもない。
横を見れば、彼女と同じでムードメイカーの一之瀬もどんよりとした空気を背負っていた。
「・・・なぁ、豪炎寺」
「ああ」
「円堂から、なんか聞いてる?」
「いいや。問い詰めても大したことじゃないとかわされた。お前こそ、一之瀬から何か聞いてないか?」
「俺も同じ。土門は気にしなくていいから、の一言で終ったんだけどさ、あれってどういう感じなのかね?やっぱ、鬼道さんがらみか?」
「さぁな」
眉間に皺を寄せる土門に、豪炎寺は緩く首を振った。
何か心配事があるなら言ってくれればいいのに、と思いながら、何処まで踏み込んでいいか判らない。
いつだって笑っている彼女の表情が曇るだけで心のバランスが傾く。
笑っていて欲しい、と思うのはきっと友達なら当然で、肝心なことを口にしてくれない円堂にもどかしさを感じた。
隣に居る土門も同じようで、渋い顔をして二人を眺めている。
円堂と一之瀬の間には他人が割り込めない空気があるが、もっと心を開いてくれればいいのに、と嘆息した。
結局授業が始まっても円堂の様子は変わらず、悶々としている内に午前中の授業は終わる。
そして始まる昼食の時間。チャイムと同時に駆け出した円堂に瞳を丸くした。
普段なら何となく一緒にご飯を食べているのだが、今日に限って脇目もふらずに教室から一直線に出て行く。
何処に向かうのか知れないが、しばし呆然として席に座っていると、ひょこりと土門が入り口から顔を出した。
「おい、豪炎寺。こっちに一之瀬来なかったか?」
「いや・・・どうしてだ?」
「授業終了と同時に走って行っちまったからさ。円堂のとこに来てるのかと思って。でも、円堂も居ないみたいだな」
「ああ」
はんなりと眉を寄せて頷けば、首を傾げた土門も目を眇める。
結局円堂が口を割らなかったように、一之瀬も彼に口を割らなかったのだろう。
水臭いと思うが、それよりもどうしてという想いの方が強い。
信頼されていると思っていたのは勘違いだったのだろうか。
不意に疼痛を感じた胸を服の上から押さえ込むと、豪炎寺の様子を見た土門が苦笑した。
「ま、あんまり気にするなよ。もしかすると、本当に大したことないのかもしれないし」
「・・・ああ」
「風丸が居れば違うのかもしれないんだけどな。今日は法事で休みだっけか」
「ああ」
幼馴染と言うだけあって円堂の機微に聡い風丸なら何かわかったかもしれない。
そう考えると益々胸が痛み、違和感を不思議に思った瞬間、それは始まった。
『はーい、皆さん。お昼の時間、楽しんでる?』
室内に響いた声にびくりと体を揺らし顔を上げる。
音源はスピーカーで、普段なら昼食時は放送委員による穏やかなBGMなどが流れるそこからは良く知った声が流れていた。
『今日、昼食前の少しの時間、放送室をハイジャックさせていただきましたのは俺、円堂守と』
『一之瀬一哉でーす!』
朝から今までの時間、どちらかと言えば暗い雰囲気を醸し出していた二人の明るい声に、土門と顔を見合わせて瞬きを繰り返す。
サッカー部の連絡事項かと思ったが、それも違うようだ。
『実は今日俺たち昼飯がないんだよね。そこでカンパを募りたいと思います』
『今から五分後に体育館で俺たち二人でパフォーマンスを行います!そんで、それをもし気に入ったら、何か昼食のおかず差し入れください』
『放課後には部活もあるし、マジで死活問題なんだ。パンやおにぎり、お菓子もOK!』
『暇な人とお弁当に余裕がある人は宜しくねー』
一方的に告げると、ぶちりと放送は切れた。
教室内はしーんと静まり返り、誰一人として状況を理解していない。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「何やってるんだ、あいつらは」
「まさか、朝から暗かったのって昼飯がなかったのが原因?」
ぽかん、と口を開けた土門の気持ちがよく判る。
まさか昼食がなくて朝から元気がなかったというのか。
何処かのクラスから『円堂ー!!一之瀬ー!!』と染岡の怒声がドップラー効果を得て遠ざかる。
それに釣られたような足音が響くと、あっという間に自教室からもクラスメイトが駆け足に出て行った。
「あー・・・俺たちも行く?」
「ああ」
困ったように眉を下げて問う土門に頷くと、きっちりと弁当箱を握って体育館へと向かった。
驚くことに、と言うべきか、それとも想像通りと言うべきか。
急な呼びかけにもかかわらず体育館には結構な人数が集まっていた。
ぐるりと見渡せば特徴的な色の頭をした染岡が、最前列で壁山や半田に押さえ込まれているのが見えそちらに足を向ける。
どうやらサッカー部の面々も全員集まっているらしく、豪炎寺と土門が最後のようだった。
「よ、お前らもやっぱ来たんだ」
「そりゃそうでしょ。あんな放送入っちゃ気になるし」
「一之瀬君も円堂君も言ってくれればご飯くらい分けてあげたのに」
「本当よ!全く、サッカー部の恥さらしだわ」
「って言いながら、何気なく雷門は一番最初に来てたよな」
「うんうん」
「うるさいわね!私は理事長代理として何が始まるか見届ける義務があるんです!」
松野と半田にからかわれて顔を真っ赤にして訴える夏未を秋が苦笑して宥める。
軽く会話をする内に五分はあっという間に経過したらしく、舞台袖から問題の二人が出てきた。
結構な人数が揃っているのに全く物怖じせずに、むしろマイクを持ってノリノリで舞台の上で手を振っている。
いっそ天晴れな強心臓だと感心していると、不意に一之瀬が口を開いた。
『皆、俺たちへの差し入れ持ってきてくれたー?』
「きゃー!!持って来ましたぁ!」
「面白い見せもんだったら、弁当全部やってもいいぜー!」
『あはは!よーし、今言ったの聞いたからな!後悔しても知らないぞ!』
ぱちり、とウィンクした一之瀬に、女子が奇声を上げる。
まるでアイドルのトークショーのようだ。
隣に立っていた円堂が一之瀬からマイクを取り上げると、視線をこちらに向けて悪戯っぽく笑う。
『んじゃ、そこのカワイコちゃん二人は舞台右端まで行ってもらえる?あそこに家庭科室から借りてきたお皿が置いてあるから、カンパの整理を宜しく』
「ええ!?いつの間にあんなの準備してたの!?」
「カワイコちゃんて、私も入るの?まさか、この私に手伝えと?」
『早く早く。準備が出来ないと余興も出来ないよー』
「・・・とりあえず、行ってきたら秋。周りの視線が痛い」
「雷門も早く」
戸惑いながら向かう秋に、憤然とした夏未。
二人が用意されたテーブルの前に着くと、円堂と一之瀬が顔を見合わせた。
盛り上がるテンションに、彼らの人気の高さを知る。
人懐っこい性格の二人だから誰とでも仲良くなれるのは知っていたが、驚きは隠せない。
呆然としている豪炎寺や染岡に、土門が苦笑した。
「あいつら、あれで結構人気があるんだよ。一之瀬も円堂も人好きがする性格だし、学年問わず顔見知りが多いし。気がつけば知らない奴と一緒に遊んでる、ってのも珍しくないんだぜ?」
「にしてもアイドルか何かみたいになってるぞ。何であいつらだけ」
「二人ともフェミニストで女の子に優しいし、男相手にも捌けた性格で人気あるんだ。購買とか行くと何気に上級生に奢ってもらったりしてる」
「・・・要領がいいやつらだな」
「本当に。羨ましくなるぜ。ファニーフェイスで可愛い雰囲気持ってるしな、本性がどうであれ」
染岡と土門の会話に耳を傾けている内に、舞台でも動きが始まる。
トークショー交じりにカンパの仕方などを説明していた彼らは、それが一通り終ったらしい。
気がつけば一之瀬はサッカーボールを持ちにこにこと笑顔を向けている。
二人で技でも披露するのかと思えば、円堂は一之瀬から離れて舞台袖まで歩き出した。
何をするのかと注視していると、彼女は体育館に置いてあるピアノの前まで行き蓋を開けるとカバーを取った。
制服の腕をまくり椅子に腰掛け、指慣らしとばかりに鍵盤に触れると舞台中央に居る一之瀬に頷く。
頷き返した一之瀬は、制服の上着を脱ぐと舞台下の土門へ投げて寄越した。
慌ててキャッチした土門に笑いかけると、マイクへ向かって一声。
『それじゃ、俺たちのパフォーマンス楽しんでいってね!』
にこにこと微笑むと、マイクのスイッチを切って脇へ避けた。
離れた場所に置かれたマイクを確認し、円堂が笑う。
「と、言うわけで行くぞ一哉」
「OK!」
「三、二、一」
軽い掛け声の後、流れるように円堂の指が動いた。
比喩表現でもなんでもなく、本当に。
ピアノの上を指が動き、どこかで聞いたことがある曲が流れる。
聞いたことはあるのだが曲名が出てこない、そんな有名曲。
「うわ、すげぇ・・・」
「超絶技巧曲の『剣の舞』だよね?円堂君、ピアノ弾けたんだ」
「マジパねぇな!一之瀬もこの曲に合わせてリフティングとか、どんだけだ」
複雑に音階が刻まれて、アップテンポなそれにあわせて一之瀬が動く。
踵、膝、腿、頭、背中、踝。
体全体を使って踊るようにボールを操る一之瀬は、フィールドの魔術師との呼び名が相応しい天才だった。
超絶技巧曲と呼ばれるだけあり、円堂の紡ぐ曲も凄い。
右と左の指がどう動いているのか不思議になるほど複雑な音がどんどんと溢れ体育館を埋め尽くす。
音楽教師ですら弾けるのかと首を傾げたくなる技術。
「何で円堂君サッカー部なの」
ぽつりと呟いたのは同じクラスの吹奏楽部の少女だ。
確かに、と頷きたくなるほど円堂のピアノは上手い。
一之瀬のサッカーテクニックも秀逸だが、同じくらい円堂のピアノテクニックにも見惚れるものがある。
これだけの曲を楽譜も見ずに弾くなど考えられない。
剣の代わりにサッカーボールを操り舞う一之瀬に、隣の土門がうなり声を上げた。
豪炎寺にもその気持ちはよく判る。
同じプレイヤーとして、彼の技術は嫉妬したくなる領域にあった。
天井に当たらぬ程度に上げられたボールが落ちてくる前にバク転を決め、最後の一音でポーズを取る。
暫くは体育館内は水を打ったように静まり、不意に大歓声が沸いた。
「円堂君、凄いー!!」
「一之瀬君格好いいー!!」
「マジ、すげえよお前ら!」
割れるような歓声に耳を押さえれば、サッカー部の面々は皆同じような反応をしていた。
しかしそんな周囲の様子にも全く余裕を崩さない彼らは、またマイク片手に壇上へ上がる。
『はーい、俺たちのパフォーマンス終了!』
『気に入ってくれた人は出口付近で受付してるカンパ所にお弁当カンパ宜しく!』
『俺たちの大切な昼飯待ってまーす!』
へらへらしながら手を振ると、二人とも夏未と秋がいる場所まで降りていく。
我先にと集まり並べられた皿にどんどんと積まれる差し入れに、豪炎寺は目を丸くした。
そして我先にと駆け寄った人数を要領よく捌く二人の手腕にも、呆れるより先に感心する。
あれだけ興奮していれば長々と捕まりそうなものだが、ものの五分で全員を体育館から追い出した彼らはちゃっかりそのまま入り口の鍵まで閉めた。
昼食後体育館へ足を伸ばす生徒もいるはずなのだが、全く遠慮ない行動だ。
「いやぁ、大量大量。これで俺たちは飢えを凌げるぞ、一哉」
「うんうん、良かった良かった。やっぱ、持つべきは一芸だな」
「・・・いや、確かに一芸だけどよ」
「呆れるくらいの強心臓だね。このてんこ盛りの料理、どうすんだよ」
「何気に手作りのマフィンとかクッキーとか混ざってるぞ」
「あ、こっちは購買限定パンっす!羨ましいっす!」
「俺たちも頑張れば集めれるかな」
「いや、無理でやんしょ。舞台に立ってあそこまで動けないでやんす」
肩を組んで笑いあう二人に、呆れるやら、感心するやらで複雑な視線が向けられる。
だが彼らは一切を気にせず、協力してくれたマネージャーに礼を言いながら自分が食べたいと思うものを物色して皿に取り分けていた。
厚かましいと言える図々しさなのに、憎めないのは彼らの雰囲気によるものだろう。
「・・・凄すぎるぜ、あいつら」
「全くだ」
多大に呆れを含んだ土門の声に頷くと、不意に円堂がこちらを振り向いた。
視線が絡み心臓が撥ねる。
そんな豪炎寺の様子に気づかないのか、箸を持って無邪気な笑みを浮かべた彼女は口を開いた。
「皆も食べようぜ!こんなにあると俺と一哉じゃ消費できねえし」
「早い者勝ちだよ」
笑顔で誘う二人に最初に乗ったのは一年生で、次いで二年の中堅組みも箸を伸ばす。
勢いに押されて豪炎寺も購買限定のパンを手に取ると、そのまま輪に加わった。
結局山と詰まれた食料は何とか昼の内に消化でき、余ったお菓子類は放課後へと回された。
その後二人が昼飯を忘れても差し入れをくれる人間が後を絶えず、一回きりのパフォーマンスで得た効果に彼らは一言こう語る。
『芸は身を助けるもんだ』
効果は立証できたが彼らの後に続こうとする猛者は当然おらず、固定ファンを得た彼らは今日もホクホクと差し入れを部員へ振舞っている。
ちなみに一週間ほどでマネージャーによりカロリーの過剰摂取と判断され、差し入れは一週間も続かずに終わったのは蛇足だろう。
いつもなら朝練に顔を出すなり元気良く挨拶をするのだが、今日の彼女は片手を上げて『おはよう』と静かなものだった。
部員たちが戸惑う空気にも気づいてるだろうに、部活中きっちりとメニューをこなしながらも、いつものような陽気さもない。
横を見れば、彼女と同じでムードメイカーの一之瀬もどんよりとした空気を背負っていた。
「・・・なぁ、豪炎寺」
「ああ」
「円堂から、なんか聞いてる?」
「いいや。問い詰めても大したことじゃないとかわされた。お前こそ、一之瀬から何か聞いてないか?」
「俺も同じ。土門は気にしなくていいから、の一言で終ったんだけどさ、あれってどういう感じなのかね?やっぱ、鬼道さんがらみか?」
「さぁな」
眉間に皺を寄せる土門に、豪炎寺は緩く首を振った。
何か心配事があるなら言ってくれればいいのに、と思いながら、何処まで踏み込んでいいか判らない。
いつだって笑っている彼女の表情が曇るだけで心のバランスが傾く。
笑っていて欲しい、と思うのはきっと友達なら当然で、肝心なことを口にしてくれない円堂にもどかしさを感じた。
隣に居る土門も同じようで、渋い顔をして二人を眺めている。
円堂と一之瀬の間には他人が割り込めない空気があるが、もっと心を開いてくれればいいのに、と嘆息した。
結局授業が始まっても円堂の様子は変わらず、悶々としている内に午前中の授業は終わる。
そして始まる昼食の時間。チャイムと同時に駆け出した円堂に瞳を丸くした。
普段なら何となく一緒にご飯を食べているのだが、今日に限って脇目もふらずに教室から一直線に出て行く。
何処に向かうのか知れないが、しばし呆然として席に座っていると、ひょこりと土門が入り口から顔を出した。
「おい、豪炎寺。こっちに一之瀬来なかったか?」
「いや・・・どうしてだ?」
「授業終了と同時に走って行っちまったからさ。円堂のとこに来てるのかと思って。でも、円堂も居ないみたいだな」
「ああ」
はんなりと眉を寄せて頷けば、首を傾げた土門も目を眇める。
結局円堂が口を割らなかったように、一之瀬も彼に口を割らなかったのだろう。
水臭いと思うが、それよりもどうしてという想いの方が強い。
信頼されていると思っていたのは勘違いだったのだろうか。
不意に疼痛を感じた胸を服の上から押さえ込むと、豪炎寺の様子を見た土門が苦笑した。
「ま、あんまり気にするなよ。もしかすると、本当に大したことないのかもしれないし」
「・・・ああ」
「風丸が居れば違うのかもしれないんだけどな。今日は法事で休みだっけか」
「ああ」
幼馴染と言うだけあって円堂の機微に聡い風丸なら何かわかったかもしれない。
そう考えると益々胸が痛み、違和感を不思議に思った瞬間、それは始まった。
『はーい、皆さん。お昼の時間、楽しんでる?』
室内に響いた声にびくりと体を揺らし顔を上げる。
音源はスピーカーで、普段なら昼食時は放送委員による穏やかなBGMなどが流れるそこからは良く知った声が流れていた。
『今日、昼食前の少しの時間、放送室をハイジャックさせていただきましたのは俺、円堂守と』
『一之瀬一哉でーす!』
朝から今までの時間、どちらかと言えば暗い雰囲気を醸し出していた二人の明るい声に、土門と顔を見合わせて瞬きを繰り返す。
サッカー部の連絡事項かと思ったが、それも違うようだ。
『実は今日俺たち昼飯がないんだよね。そこでカンパを募りたいと思います』
『今から五分後に体育館で俺たち二人でパフォーマンスを行います!そんで、それをもし気に入ったら、何か昼食のおかず差し入れください』
『放課後には部活もあるし、マジで死活問題なんだ。パンやおにぎり、お菓子もOK!』
『暇な人とお弁当に余裕がある人は宜しくねー』
一方的に告げると、ぶちりと放送は切れた。
教室内はしーんと静まり返り、誰一人として状況を理解していない。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「何やってるんだ、あいつらは」
「まさか、朝から暗かったのって昼飯がなかったのが原因?」
ぽかん、と口を開けた土門の気持ちがよく判る。
まさか昼食がなくて朝から元気がなかったというのか。
何処かのクラスから『円堂ー!!一之瀬ー!!』と染岡の怒声がドップラー効果を得て遠ざかる。
それに釣られたような足音が響くと、あっという間に自教室からもクラスメイトが駆け足に出て行った。
「あー・・・俺たちも行く?」
「ああ」
困ったように眉を下げて問う土門に頷くと、きっちりと弁当箱を握って体育館へと向かった。
驚くことに、と言うべきか、それとも想像通りと言うべきか。
急な呼びかけにもかかわらず体育館には結構な人数が集まっていた。
ぐるりと見渡せば特徴的な色の頭をした染岡が、最前列で壁山や半田に押さえ込まれているのが見えそちらに足を向ける。
どうやらサッカー部の面々も全員集まっているらしく、豪炎寺と土門が最後のようだった。
「よ、お前らもやっぱ来たんだ」
「そりゃそうでしょ。あんな放送入っちゃ気になるし」
「一之瀬君も円堂君も言ってくれればご飯くらい分けてあげたのに」
「本当よ!全く、サッカー部の恥さらしだわ」
「って言いながら、何気なく雷門は一番最初に来てたよな」
「うんうん」
「うるさいわね!私は理事長代理として何が始まるか見届ける義務があるんです!」
松野と半田にからかわれて顔を真っ赤にして訴える夏未を秋が苦笑して宥める。
軽く会話をする内に五分はあっという間に経過したらしく、舞台袖から問題の二人が出てきた。
結構な人数が揃っているのに全く物怖じせずに、むしろマイクを持ってノリノリで舞台の上で手を振っている。
いっそ天晴れな強心臓だと感心していると、不意に一之瀬が口を開いた。
『皆、俺たちへの差し入れ持ってきてくれたー?』
「きゃー!!持って来ましたぁ!」
「面白い見せもんだったら、弁当全部やってもいいぜー!」
『あはは!よーし、今言ったの聞いたからな!後悔しても知らないぞ!』
ぱちり、とウィンクした一之瀬に、女子が奇声を上げる。
まるでアイドルのトークショーのようだ。
隣に立っていた円堂が一之瀬からマイクを取り上げると、視線をこちらに向けて悪戯っぽく笑う。
『んじゃ、そこのカワイコちゃん二人は舞台右端まで行ってもらえる?あそこに家庭科室から借りてきたお皿が置いてあるから、カンパの整理を宜しく』
「ええ!?いつの間にあんなの準備してたの!?」
「カワイコちゃんて、私も入るの?まさか、この私に手伝えと?」
『早く早く。準備が出来ないと余興も出来ないよー』
「・・・とりあえず、行ってきたら秋。周りの視線が痛い」
「雷門も早く」
戸惑いながら向かう秋に、憤然とした夏未。
二人が用意されたテーブルの前に着くと、円堂と一之瀬が顔を見合わせた。
盛り上がるテンションに、彼らの人気の高さを知る。
人懐っこい性格の二人だから誰とでも仲良くなれるのは知っていたが、驚きは隠せない。
呆然としている豪炎寺や染岡に、土門が苦笑した。
「あいつら、あれで結構人気があるんだよ。一之瀬も円堂も人好きがする性格だし、学年問わず顔見知りが多いし。気がつけば知らない奴と一緒に遊んでる、ってのも珍しくないんだぜ?」
「にしてもアイドルか何かみたいになってるぞ。何であいつらだけ」
「二人ともフェミニストで女の子に優しいし、男相手にも捌けた性格で人気あるんだ。購買とか行くと何気に上級生に奢ってもらったりしてる」
「・・・要領がいいやつらだな」
「本当に。羨ましくなるぜ。ファニーフェイスで可愛い雰囲気持ってるしな、本性がどうであれ」
染岡と土門の会話に耳を傾けている内に、舞台でも動きが始まる。
トークショー交じりにカンパの仕方などを説明していた彼らは、それが一通り終ったらしい。
気がつけば一之瀬はサッカーボールを持ちにこにこと笑顔を向けている。
二人で技でも披露するのかと思えば、円堂は一之瀬から離れて舞台袖まで歩き出した。
何をするのかと注視していると、彼女は体育館に置いてあるピアノの前まで行き蓋を開けるとカバーを取った。
制服の腕をまくり椅子に腰掛け、指慣らしとばかりに鍵盤に触れると舞台中央に居る一之瀬に頷く。
頷き返した一之瀬は、制服の上着を脱ぐと舞台下の土門へ投げて寄越した。
慌ててキャッチした土門に笑いかけると、マイクへ向かって一声。
『それじゃ、俺たちのパフォーマンス楽しんでいってね!』
にこにこと微笑むと、マイクのスイッチを切って脇へ避けた。
離れた場所に置かれたマイクを確認し、円堂が笑う。
「と、言うわけで行くぞ一哉」
「OK!」
「三、二、一」
軽い掛け声の後、流れるように円堂の指が動いた。
比喩表現でもなんでもなく、本当に。
ピアノの上を指が動き、どこかで聞いたことがある曲が流れる。
聞いたことはあるのだが曲名が出てこない、そんな有名曲。
「うわ、すげぇ・・・」
「超絶技巧曲の『剣の舞』だよね?円堂君、ピアノ弾けたんだ」
「マジパねぇな!一之瀬もこの曲に合わせてリフティングとか、どんだけだ」
複雑に音階が刻まれて、アップテンポなそれにあわせて一之瀬が動く。
踵、膝、腿、頭、背中、踝。
体全体を使って踊るようにボールを操る一之瀬は、フィールドの魔術師との呼び名が相応しい天才だった。
超絶技巧曲と呼ばれるだけあり、円堂の紡ぐ曲も凄い。
右と左の指がどう動いているのか不思議になるほど複雑な音がどんどんと溢れ体育館を埋め尽くす。
音楽教師ですら弾けるのかと首を傾げたくなる技術。
「何で円堂君サッカー部なの」
ぽつりと呟いたのは同じクラスの吹奏楽部の少女だ。
確かに、と頷きたくなるほど円堂のピアノは上手い。
一之瀬のサッカーテクニックも秀逸だが、同じくらい円堂のピアノテクニックにも見惚れるものがある。
これだけの曲を楽譜も見ずに弾くなど考えられない。
剣の代わりにサッカーボールを操り舞う一之瀬に、隣の土門がうなり声を上げた。
豪炎寺にもその気持ちはよく判る。
同じプレイヤーとして、彼の技術は嫉妬したくなる領域にあった。
天井に当たらぬ程度に上げられたボールが落ちてくる前にバク転を決め、最後の一音でポーズを取る。
暫くは体育館内は水を打ったように静まり、不意に大歓声が沸いた。
「円堂君、凄いー!!」
「一之瀬君格好いいー!!」
「マジ、すげえよお前ら!」
割れるような歓声に耳を押さえれば、サッカー部の面々は皆同じような反応をしていた。
しかしそんな周囲の様子にも全く余裕を崩さない彼らは、またマイク片手に壇上へ上がる。
『はーい、俺たちのパフォーマンス終了!』
『気に入ってくれた人は出口付近で受付してるカンパ所にお弁当カンパ宜しく!』
『俺たちの大切な昼飯待ってまーす!』
へらへらしながら手を振ると、二人とも夏未と秋がいる場所まで降りていく。
我先にと集まり並べられた皿にどんどんと積まれる差し入れに、豪炎寺は目を丸くした。
そして我先にと駆け寄った人数を要領よく捌く二人の手腕にも、呆れるより先に感心する。
あれだけ興奮していれば長々と捕まりそうなものだが、ものの五分で全員を体育館から追い出した彼らはちゃっかりそのまま入り口の鍵まで閉めた。
昼食後体育館へ足を伸ばす生徒もいるはずなのだが、全く遠慮ない行動だ。
「いやぁ、大量大量。これで俺たちは飢えを凌げるぞ、一哉」
「うんうん、良かった良かった。やっぱ、持つべきは一芸だな」
「・・・いや、確かに一芸だけどよ」
「呆れるくらいの強心臓だね。このてんこ盛りの料理、どうすんだよ」
「何気に手作りのマフィンとかクッキーとか混ざってるぞ」
「あ、こっちは購買限定パンっす!羨ましいっす!」
「俺たちも頑張れば集めれるかな」
「いや、無理でやんしょ。舞台に立ってあそこまで動けないでやんす」
肩を組んで笑いあう二人に、呆れるやら、感心するやらで複雑な視線が向けられる。
だが彼らは一切を気にせず、協力してくれたマネージャーに礼を言いながら自分が食べたいと思うものを物色して皿に取り分けていた。
厚かましいと言える図々しさなのに、憎めないのは彼らの雰囲気によるものだろう。
「・・・凄すぎるぜ、あいつら」
「全くだ」
多大に呆れを含んだ土門の声に頷くと、不意に円堂がこちらを振り向いた。
視線が絡み心臓が撥ねる。
そんな豪炎寺の様子に気づかないのか、箸を持って無邪気な笑みを浮かべた彼女は口を開いた。
「皆も食べようぜ!こんなにあると俺と一哉じゃ消費できねえし」
「早い者勝ちだよ」
笑顔で誘う二人に最初に乗ったのは一年生で、次いで二年の中堅組みも箸を伸ばす。
勢いに押されて豪炎寺も購買限定のパンを手に取ると、そのまま輪に加わった。
結局山と詰まれた食料は何とか昼の内に消化でき、余ったお菓子類は放課後へと回された。
その後二人が昼飯を忘れても差し入れをくれる人間が後を絶えず、一回きりのパフォーマンスで得た効果に彼らは一言こう語る。
『芸は身を助けるもんだ』
効果は立証できたが彼らの後に続こうとする猛者は当然おらず、固定ファンを得た彼らは今日もホクホクと差し入れを部員へ振舞っている。
ちなみに一週間ほどでマネージャーによりカロリーの過剰摂取と判断され、差し入れは一週間も続かずに終わったのは蛇足だろう。
最早帝国学園専用といっても過言ではないレベルで埋め尽くされた病室に、キャプテンと呼べる人は居ない。
彼は自分たちとは違い、個室をとって入院していた。
怪我の状態も程度に差があり、彼が倒れたのはそれまでの連日の苦行とも言える練習の所為だ。
佐久間や源田、他の面々のように蹴られたボールや激しいチャージが原因ではないので、身体的なダメージは少ないだろう。
けど、と佐久間は思う。
けれど、きっと、精神面でもどん底に落ちているのだろう、と。
自分たちのキャプテンである鬼道有人は、人の何倍も責任感が強い。
冷静沈着な仮面の下には熱い想いを抱えており、本質は誰より情熱的だ。
並々ならぬ自制心で押さえ込んでいる豊かな感性は、今はきっと彼を責める方向に向いている。
ここ数日の鬼道の様子は明らかにおかしかった。
試合前だというのにオーバーワークどころではなく、取り付かれたようにサッカーをしていた。
気絶寸前まで体を痛めつけ、ふらふらになりながら帰宅していた。
クラスが違うため授業風景までは知らないが、充血した目や痩せた頬を見れば状態も想像できる。
夜もあまり眠れて居ないのだろう。
手負いの獣が周囲を警戒するように、常に神経を尖らせていた。
どうして、と不思議に思った。
ほんの数日前、『姉』である彼女との試合で、彼は変わったように見えた。
鬼道だけじゃない。
自分たちも、彼女たちとの試合で変わり、『自分たちのサッカー』を始めたばかりだった。
それなのに翌日にはもう鬼道の様子は鬼気迫るものになっており、部活を休んだかと思えば、更に次の日には尋常じゃない雰囲気でサッカーをしていた。
どうしたのかと問い詰めても決して口は割らず、ただサッカーだけを希求して。
それは影山の教えるサッカーをしているときより酷い有様だった。
自らを傷つけることを目的としていて、それ以外を望んでいなかった。
あれは鬼道のサッカーじゃない。
「横になった方がいいぞ、佐久間」
「・・・源田」
隣のベッドの男に声を掛けられ、自然と眉が寄った。
他の帝国の面々より、彼と自分は鬼道に近い。
ぐっとベッドの上で拳を握ると、震える声を絞り出した。
「鬼道さんは、どうしてるんだろうか」
「経過は良好らしい。俺たちとは違い体に受けた傷は少ないから、検査入院程度で済むと」
「そうじゃない!体じゃなく、心だ!!」
確かに、体の傷はほとんどないだろう。
勝手な判断でポジションを捨てて彼を守るのを優先させたのは、佐久間たち帝国学園のサッカー部の面々だ。
勝つことよりも、彼の無事を優先させた。
鬼道は、あんなところで終る人間ではない。
絶対に終わらせてはいけない人だ。
幸いにして連日の酷使で碌に体も動かせないくせに試合に出場していた人は、最初の一撃で倒れてしまった。
動かせぬ体で意識を保つ彼を庇い、佐久間たちは自己満足を得た。
けれど。
「俺たちは勝手にあの人を庇った。だが、俺たちが斃れ行く様を見たあの人は、大丈夫なのか?本当に、大丈夫だと言えるのか!?」
やめろ、と悲痛な声で叫んでいた。
一人、また一人と勝負を捨てて体を張る部員に、喉も張り裂けよと悲鳴を上げていた。
あんな声、一度しか聞いたことがない。
つい先日、彼の『姉』に向かい鉄骨が降り注いだ瞬間の、あの悲鳴。
「俺たちには彼を守ったという自己満足が残った。けれど、あの人には?俺たちに庇われたあの人は、五体満足でありながら試合に出ることも出来ない。常勝無敗を誇る帝国学園は、無名のチームに負けたんだ。───負けたんだっ!」
その敗北は、先日の雷門中のものと比べて遥かに意味が異なる。
得るものは何もなく、文字通り、叩き潰された。
帝国学園のサッカー部としての誇りも、プレイヤーとしての矜持も、勝って再び彼らと試合をするという野望も、何もかもを徹底的に磨り潰された。
これほど悔しい思いをしたことはない。
負けないために帝国サッカー部に入部したのに、呆気なさ過ぎる結果は最後まで試合を続けることすら出来なかった。
けど、何より悔しいのは。
「俺たちはあのフィールドへ、ただ一人だけあの人を残した。・・・誇り高いあの人に、自ら敗北を宣言させた。それが、悔しくて仕方ない・・・っ」
渾身の想いを吐露すれば、隣の男も息を呑んだ。
自分たちの中でただ一人意識を保っていた鬼道は、キャプテンとして試合の放棄を宣言した。
その屈辱はいかほどだろう。
敗北を認めた瞬間を思えば、情けなくて涙が出てくる。
「俺たちは負けた。もっとも最悪な形で、負けたんだ」
つんと鼻の奥が熱くなり、涙を堪えるために喉に力を入れた。
不自然に呼吸が乱れ、溢れる感情のままにベッドを拳で殴りつけた。
どれだけ誇りを傷つけただろう。
傷つく仲間を眺めるだけで、全てが終ってしまっていた。
自分たちはあの試合で、『サッカー』なんてしていない。
ただの絶対的な敗北者。
「・・・それでも、鬼道なら大丈夫だ」
淡々とした口調で語る男に、勢いよく顔を上げる。
怒りを宿した鋭い眼差しを向けても一切怯まず正面から受け止めた彼は、固めた拳を胸に当てた。
「鬼道は強い男だ。踏み躙られても、誇りを折られても、絶対に立ち上がる。諦めたりなんかしない。それが俺たちの、帝国学園サッカー部のキャプテン、鬼道有人だ」
「・・・源田」
「俺たちが居なくとも、あいつは一人なんかじゃない。一人なんかに、ならないさ」
ふっと笑った源田は、どこか悟ったような空気を纏う。
その意味が判らずに首を傾げると、判らないのかと苦笑された。
何となく沈黙が訪れて、視線を窓の外へ寄越す。
病室にノックの音が響いたのは、その僅か後。
「───お前たちに、話しておきたいことがある」
現れた人は、つい先日の絶望を瞳から消して、代わりに強い決意を宿していた。
迷いがない真っ直ぐな眼差しは、彼の心のありようを何より明確に教えてくれる。
「俺は雷門へ行く。そうして、お前たちの敵を取る」
誰より辛酸を舐めさせられた男は、それでも立ち上がることを諦めておらず、その心と同じに真っ直ぐと立っていた。
勝つために下した彼の判断は信じられないほどイレギュラー。
成した瞬間にブーイングを受け、悪意ある視線に晒されるだろう。
あの帝国の鬼道が、とくちがさない連中に後ろ指を指され、見下されるに違いない。
それでも。
「俺は勝つ。お前たちのために。そして、俺自身の誇りのために」
源田の言葉通り、彼は一人じゃなかった。
病室の入り口に背を凭せ掛け、腕を組んでいる人は何も言わずにただ見守っている。
彼女の入れ知恵かと視線を眇めれば、苦笑して肩を竦めた人は緩く首を振った。
「俺は何一つ意見してねぇよ。そいつが勝手に決めたんだ。誰に何を言われても、後ろ指を差されてもいい。お前らの敵を取る方法を選びたい、と。一応、これでも止めたんだ。けど帝国のキャプテンとして、お前らに勝利を捧げたいんだとさ」
飄々とした口調だが、その言葉に嘘はないと信じられた。
あるいは、信じたかったのかもしれない。
「待っていてくれ。必ず、俺は勝ってくる」
そうして背中を向けた人は、確かに一人ではなかった。
彼は自分たちとは違い、個室をとって入院していた。
怪我の状態も程度に差があり、彼が倒れたのはそれまでの連日の苦行とも言える練習の所為だ。
佐久間や源田、他の面々のように蹴られたボールや激しいチャージが原因ではないので、身体的なダメージは少ないだろう。
けど、と佐久間は思う。
けれど、きっと、精神面でもどん底に落ちているのだろう、と。
自分たちのキャプテンである鬼道有人は、人の何倍も責任感が強い。
冷静沈着な仮面の下には熱い想いを抱えており、本質は誰より情熱的だ。
並々ならぬ自制心で押さえ込んでいる豊かな感性は、今はきっと彼を責める方向に向いている。
ここ数日の鬼道の様子は明らかにおかしかった。
試合前だというのにオーバーワークどころではなく、取り付かれたようにサッカーをしていた。
気絶寸前まで体を痛めつけ、ふらふらになりながら帰宅していた。
クラスが違うため授業風景までは知らないが、充血した目や痩せた頬を見れば状態も想像できる。
夜もあまり眠れて居ないのだろう。
手負いの獣が周囲を警戒するように、常に神経を尖らせていた。
どうして、と不思議に思った。
ほんの数日前、『姉』である彼女との試合で、彼は変わったように見えた。
鬼道だけじゃない。
自分たちも、彼女たちとの試合で変わり、『自分たちのサッカー』を始めたばかりだった。
それなのに翌日にはもう鬼道の様子は鬼気迫るものになっており、部活を休んだかと思えば、更に次の日には尋常じゃない雰囲気でサッカーをしていた。
どうしたのかと問い詰めても決して口は割らず、ただサッカーだけを希求して。
それは影山の教えるサッカーをしているときより酷い有様だった。
自らを傷つけることを目的としていて、それ以外を望んでいなかった。
あれは鬼道のサッカーじゃない。
「横になった方がいいぞ、佐久間」
「・・・源田」
隣のベッドの男に声を掛けられ、自然と眉が寄った。
他の帝国の面々より、彼と自分は鬼道に近い。
ぐっとベッドの上で拳を握ると、震える声を絞り出した。
「鬼道さんは、どうしてるんだろうか」
「経過は良好らしい。俺たちとは違い体に受けた傷は少ないから、検査入院程度で済むと」
「そうじゃない!体じゃなく、心だ!!」
確かに、体の傷はほとんどないだろう。
勝手な判断でポジションを捨てて彼を守るのを優先させたのは、佐久間たち帝国学園のサッカー部の面々だ。
勝つことよりも、彼の無事を優先させた。
鬼道は、あんなところで終る人間ではない。
絶対に終わらせてはいけない人だ。
幸いにして連日の酷使で碌に体も動かせないくせに試合に出場していた人は、最初の一撃で倒れてしまった。
動かせぬ体で意識を保つ彼を庇い、佐久間たちは自己満足を得た。
けれど。
「俺たちは勝手にあの人を庇った。だが、俺たちが斃れ行く様を見たあの人は、大丈夫なのか?本当に、大丈夫だと言えるのか!?」
やめろ、と悲痛な声で叫んでいた。
一人、また一人と勝負を捨てて体を張る部員に、喉も張り裂けよと悲鳴を上げていた。
あんな声、一度しか聞いたことがない。
つい先日、彼の『姉』に向かい鉄骨が降り注いだ瞬間の、あの悲鳴。
「俺たちには彼を守ったという自己満足が残った。けれど、あの人には?俺たちに庇われたあの人は、五体満足でありながら試合に出ることも出来ない。常勝無敗を誇る帝国学園は、無名のチームに負けたんだ。───負けたんだっ!」
その敗北は、先日の雷門中のものと比べて遥かに意味が異なる。
得るものは何もなく、文字通り、叩き潰された。
帝国学園のサッカー部としての誇りも、プレイヤーとしての矜持も、勝って再び彼らと試合をするという野望も、何もかもを徹底的に磨り潰された。
これほど悔しい思いをしたことはない。
負けないために帝国サッカー部に入部したのに、呆気なさ過ぎる結果は最後まで試合を続けることすら出来なかった。
けど、何より悔しいのは。
「俺たちはあのフィールドへ、ただ一人だけあの人を残した。・・・誇り高いあの人に、自ら敗北を宣言させた。それが、悔しくて仕方ない・・・っ」
渾身の想いを吐露すれば、隣の男も息を呑んだ。
自分たちの中でただ一人意識を保っていた鬼道は、キャプテンとして試合の放棄を宣言した。
その屈辱はいかほどだろう。
敗北を認めた瞬間を思えば、情けなくて涙が出てくる。
「俺たちは負けた。もっとも最悪な形で、負けたんだ」
つんと鼻の奥が熱くなり、涙を堪えるために喉に力を入れた。
不自然に呼吸が乱れ、溢れる感情のままにベッドを拳で殴りつけた。
どれだけ誇りを傷つけただろう。
傷つく仲間を眺めるだけで、全てが終ってしまっていた。
自分たちはあの試合で、『サッカー』なんてしていない。
ただの絶対的な敗北者。
「・・・それでも、鬼道なら大丈夫だ」
淡々とした口調で語る男に、勢いよく顔を上げる。
怒りを宿した鋭い眼差しを向けても一切怯まず正面から受け止めた彼は、固めた拳を胸に当てた。
「鬼道は強い男だ。踏み躙られても、誇りを折られても、絶対に立ち上がる。諦めたりなんかしない。それが俺たちの、帝国学園サッカー部のキャプテン、鬼道有人だ」
「・・・源田」
「俺たちが居なくとも、あいつは一人なんかじゃない。一人なんかに、ならないさ」
ふっと笑った源田は、どこか悟ったような空気を纏う。
その意味が判らずに首を傾げると、判らないのかと苦笑された。
何となく沈黙が訪れて、視線を窓の外へ寄越す。
病室にノックの音が響いたのは、その僅か後。
「───お前たちに、話しておきたいことがある」
現れた人は、つい先日の絶望を瞳から消して、代わりに強い決意を宿していた。
迷いがない真っ直ぐな眼差しは、彼の心のありようを何より明確に教えてくれる。
「俺は雷門へ行く。そうして、お前たちの敵を取る」
誰より辛酸を舐めさせられた男は、それでも立ち上がることを諦めておらず、その心と同じに真っ直ぐと立っていた。
勝つために下した彼の判断は信じられないほどイレギュラー。
成した瞬間にブーイングを受け、悪意ある視線に晒されるだろう。
あの帝国の鬼道が、とくちがさない連中に後ろ指を指され、見下されるに違いない。
それでも。
「俺は勝つ。お前たちのために。そして、俺自身の誇りのために」
源田の言葉通り、彼は一人じゃなかった。
病室の入り口に背を凭せ掛け、腕を組んでいる人は何も言わずにただ見守っている。
彼女の入れ知恵かと視線を眇めれば、苦笑して肩を竦めた人は緩く首を振った。
「俺は何一つ意見してねぇよ。そいつが勝手に決めたんだ。誰に何を言われても、後ろ指を差されてもいい。お前らの敵を取る方法を選びたい、と。一応、これでも止めたんだ。けど帝国のキャプテンとして、お前らに勝利を捧げたいんだとさ」
飄々とした口調だが、その言葉に嘘はないと信じられた。
あるいは、信じたかったのかもしれない。
「待っていてくれ。必ず、俺は勝ってくる」
そうして背中を向けた人は、確かに一人ではなかった。
更新内容
|
(06/28)
(04/07)
(04/07)
(04/07)
(03/31)
(03/30)
(03/30)
(03/30)
(03/30)
(03/25)
(03/25)
(03/25)
(03/25)
(03/24)
(03/24)
(03/24)
(03/23)
(03/14)
(03/14)
(03/13)
(03/13)
(03/13)
(03/11)
(03/10)
(03/08)
カテゴリー
|
リンク
|
フリーエリア
|