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「・・・何、その格好」
ぽかんと間抜けに口を開けたフィディオは、有り得ない格好の守を思わず指差した。
するときゅっと眉間に皺を寄せた守は、驚きの根本である布を体から払う。
「って言うか、本当にマモル?別人がコスプレしてるの?」
「・・・正真正銘マモル・キドウだよ。見て判るだろ」
「見て判らないから質問したんだ。ゴーグルは普段から下げてるからまだわかるとして、何そのマント。意味が判らない」
「五月蝿い。今日の俺は絶対に負けないヒーローだからな」
「いやいやいやいや、ヒーローって」
北のリーグの決勝戦なので応援に駆けつけたが、最早関心は試合から逸れている。
それくらい今の守の格好はフィディオに衝撃を与えていた。
身に着けるユニフォームは赤をベースに肩口に白い小さな星が印字されているいつもどおりのものなのだが、それに付随する青い布が不思議さを醸し出している。
彼女が言うヒーローは日本ではマントを纏うものなのだろうか。
普段は首から提げているゴーグルでしっかりと顔を覆っているのもインパクトが凄いのかもしれない。
せめてどちらか一方なら、フィディオもここまで驚かなかったはずだ。
しかもそれが堂々としていて無駄に似合っているのがなんともコメントし辛かった。
サッカー中はいつも二つで結んでいる髪は一本で結い上げられ、オレンジ色のバンダナで結ばれている。
愛らしい顔は半分以上が隠れていて、背番号すら見えないし、それ以上の目印があっても彼女のファンもさぞかし戸惑うだろうと苦笑した。
隣で無言を通していたエドガーも同じ気持ちらしく、苦々しい表情でうっそりとため息を吐き出した。
「本気でその格好で試合に出るつもりか、マモル」
「そうだよ。つーか、何でエドガーまでいるわけ?お前忙しいんだろ」
「・・・私が婚約者の応援に来て何が悪い」
「婚約者じゃねえし。単なる許婚だし」
「同じようなものだろう」
「違う」
つん、と顎をそらした守にエドガーは黙り込んだ。
上下関係、あるいは力関係がはっきりした姿に口を手で覆いこっそりと笑う。
第一印象の通りにエドガーは取り澄まして年齢以上に落ち着いた少年だったが、ただ一人、守の前ではそのペースも崩れるようだった。
普段のエドガーはイギリス男性らしく女性には紳士に振舞うのに、じゃじゃ馬の守にだけはその態度も型崩れだ。
今だって眉間に皺を寄せて渋い顔をしているが、内心ではへそを曲げたように見える守に気を揉んでいることだろう。
フィディオからすれば喜劇のようだが、本人が至って真面目なのがまた笑いを誘う。
困りきったエドガーがこちらに視線をやり助けを求めたのに慌てて笑いを引っ込ませると、こほんと一つ咳払いをして姿勢を正した。
「でも、今日の試合は地元のテレビも来るんだよ?一応イタリア全土に放映されるのに、本気でいいのか?」
「いいよ。録画して送ればどれが俺か有人もすぐに判るしな」
「ユウト、ユウト、ユウト、ユウト。君はいつも弟のことばかりだ。たまには自分自身のことを考えて行動したらどうだ?」
「俺自身のことを考えて行動した結果だ。俺は有人に俺を見つけて欲しいからな」
嬉しげに笑う彼女は本気で言っているに違いない。
何しろ先月顔を合わせた弟を心から可愛がっているのは一月で理解できた。
猫可愛がりを絵に描いたらこんなのだろうと感心してしまう仲良し兄弟だったのだから。
何でも器用にこなす守の弱点を敢えて上げるなら、弟の有人だろう。
いつか彼女に何かあるとしたら、彼が原因なんじゃないかと危惧してしまうほどに、守は弟を溺愛していた。
エドガーの言葉は嫉妬も含まれるが、その心配も多分にあるのだと思う。
フィディオもその気持ちが良く理解できた。
彼にとっても自分にとっても認めたくないけれど、ある意味、フィディオとエドガーは良く似ている。
苦笑すると、もう仕方ないとフィディオは肩を竦めた。
「マモルがいいなら、もういいけど」
「フィディオ!」
「だって仕方ないじゃないか。マモルが一度言い出したら聞かないって君も知ってるだろ」
出会った当初からすれば考えられないほど砕けた口調で告げれば、何とも言えない渋い表情でエドガーは黙り込んだ。
見た目や態度や身分からとっつきにくい奴かと思えば、守の前では形無しの苦労性。
多大に同情も含み、今では彼は年相応の少年として認識している。
生真面目な彼にしては随分と性質が悪い相手に恋をしたものだ、と苦笑せずに居られないほど心の距離は近くなっていた。
エドガーの方も素の守を知っているフィディオを友人として認識し始め、たまに焼もちを妬くこともあるが概ね寛大な気持ちで見てくれている。
今回もフィディオとの二人掛りの説得で駄目だったのだから、と許婚の権限が公式の場以外限りなく低い彼は、重苦しいため息を吐き出して妥協した。
「・・・せめて毎回は止めてくれ」
「当たり前じゃん。毎回こんな格好してたら、俺ただの変人じゃん。有人が見てない試合でこんなわけのわかんない格好する必要なんてないし」
「───そこまで思いながらどうして今これを着るんだ」
「俺が有人のヒーローだから。姉として、格好いいとこ見せたいんだよ」
ぷくっと頬を膨らませて子供っぽい表情を見せた守に、思わずとばかりにエドガーが笑った。
慌てて咳払いをして表情を隠したが、あれは可愛いものを見た女の子と同じような反応だった。
懸命にもそれに突っ込みを入れなかったフィディオは、頑固に腕を組む彼女の肩をぽんと叩いた。
「まあ、俺としてはこの試合勝ってくれれば文句ないよ。この試合に勝てばマモルたちのチームが北の代表。そうしたら俺たちとイタリア一を争うのはマモルのチームだ」
「勝者の余裕か、フィディオ?俺がこの試合に勝ったら、お前たちのイタリア一の夢は潰えるけど、俺の応援してていいのか?」
漸く普段どおりに少しばかりの意地の悪さを含んだ笑みを見せた守に、フィディオは会心の笑みを浮かべた。
「大丈夫。君たちが勝っても、俺たちのイタリア優勝の夢は叶えられるからね」
「言ってろ」
くつりと喉を奮わせた守は、仲間の呼び声に手を上げると背中を向けた。
振り返らずにマントを翻して去っていく親友の姿を見送ると、ちらりと視線だけで隣を窺う。
きっちりとVIP席を場所取りさせているエドガーは、沈痛な顔で首を振った。
「全く・・・本当に頑固だ」
「仕方ないさ。あれがマモルだし」
「判ってるがな。もう少し、自分を優先してもらいたいものだ」
嘆いているエドガーの気持ちがフィディオはきっちりと理解できた。
本人は気にしないようだが、どう考えても奇抜な格好だとやはり思う。
確かにテレビに映っても一目で誰か理解できるだろうが、それでもあれはないんじゃないだろうか。
マントにゴーグル姿が地味に似合っているからまた複雑な気分にさせられる。
堂々とフィールドに上がった守は、物怖じしない態度で敵対チームの前に立った。
流石に面食らっているが、仲間たちは何も気にしていない。
あのチームは要である守に対して一種宗教的な崇拝でもしてるのだろうか、と失礼な疑問を抱きつつフィディオは座席に向かおうとエドガーを促した。
絶好調で司令塔として活躍した守は、チーム優勝へと導いた貢献者として北リーグのMVPを受賞した。
その頃になれば観客含めて奇抜な格好も見慣れ、盛大な拍手で彼女は迎えられていた。
人間の順応力の凄さに、この日ほど感心したことはないとフィディオは後に語ることになるが、今はまだ苦笑を湛えて観客の一人として笑うだけ。
ぽかんと間抜けに口を開けたフィディオは、有り得ない格好の守を思わず指差した。
するときゅっと眉間に皺を寄せた守は、驚きの根本である布を体から払う。
「って言うか、本当にマモル?別人がコスプレしてるの?」
「・・・正真正銘マモル・キドウだよ。見て判るだろ」
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「五月蝿い。今日の俺は絶対に負けないヒーローだからな」
「いやいやいやいや、ヒーローって」
北のリーグの決勝戦なので応援に駆けつけたが、最早関心は試合から逸れている。
それくらい今の守の格好はフィディオに衝撃を与えていた。
身に着けるユニフォームは赤をベースに肩口に白い小さな星が印字されているいつもどおりのものなのだが、それに付随する青い布が不思議さを醸し出している。
彼女が言うヒーローは日本ではマントを纏うものなのだろうか。
普段は首から提げているゴーグルでしっかりと顔を覆っているのもインパクトが凄いのかもしれない。
せめてどちらか一方なら、フィディオもここまで驚かなかったはずだ。
しかもそれが堂々としていて無駄に似合っているのがなんともコメントし辛かった。
サッカー中はいつも二つで結んでいる髪は一本で結い上げられ、オレンジ色のバンダナで結ばれている。
愛らしい顔は半分以上が隠れていて、背番号すら見えないし、それ以上の目印があっても彼女のファンもさぞかし戸惑うだろうと苦笑した。
隣で無言を通していたエドガーも同じ気持ちらしく、苦々しい表情でうっそりとため息を吐き出した。
「本気でその格好で試合に出るつもりか、マモル」
「そうだよ。つーか、何でエドガーまでいるわけ?お前忙しいんだろ」
「・・・私が婚約者の応援に来て何が悪い」
「婚約者じゃねえし。単なる許婚だし」
「同じようなものだろう」
「違う」
つん、と顎をそらした守にエドガーは黙り込んだ。
上下関係、あるいは力関係がはっきりした姿に口を手で覆いこっそりと笑う。
第一印象の通りにエドガーは取り澄まして年齢以上に落ち着いた少年だったが、ただ一人、守の前ではそのペースも崩れるようだった。
普段のエドガーはイギリス男性らしく女性には紳士に振舞うのに、じゃじゃ馬の守にだけはその態度も型崩れだ。
今だって眉間に皺を寄せて渋い顔をしているが、内心ではへそを曲げたように見える守に気を揉んでいることだろう。
フィディオからすれば喜劇のようだが、本人が至って真面目なのがまた笑いを誘う。
困りきったエドガーがこちらに視線をやり助けを求めたのに慌てて笑いを引っ込ませると、こほんと一つ咳払いをして姿勢を正した。
「でも、今日の試合は地元のテレビも来るんだよ?一応イタリア全土に放映されるのに、本気でいいのか?」
「いいよ。録画して送ればどれが俺か有人もすぐに判るしな」
「ユウト、ユウト、ユウト、ユウト。君はいつも弟のことばかりだ。たまには自分自身のことを考えて行動したらどうだ?」
「俺自身のことを考えて行動した結果だ。俺は有人に俺を見つけて欲しいからな」
嬉しげに笑う彼女は本気で言っているに違いない。
何しろ先月顔を合わせた弟を心から可愛がっているのは一月で理解できた。
猫可愛がりを絵に描いたらこんなのだろうと感心してしまう仲良し兄弟だったのだから。
何でも器用にこなす守の弱点を敢えて上げるなら、弟の有人だろう。
いつか彼女に何かあるとしたら、彼が原因なんじゃないかと危惧してしまうほどに、守は弟を溺愛していた。
エドガーの言葉は嫉妬も含まれるが、その心配も多分にあるのだと思う。
フィディオもその気持ちが良く理解できた。
彼にとっても自分にとっても認めたくないけれど、ある意味、フィディオとエドガーは良く似ている。
苦笑すると、もう仕方ないとフィディオは肩を竦めた。
「マモルがいいなら、もういいけど」
「フィディオ!」
「だって仕方ないじゃないか。マモルが一度言い出したら聞かないって君も知ってるだろ」
出会った当初からすれば考えられないほど砕けた口調で告げれば、何とも言えない渋い表情でエドガーは黙り込んだ。
見た目や態度や身分からとっつきにくい奴かと思えば、守の前では形無しの苦労性。
多大に同情も含み、今では彼は年相応の少年として認識している。
生真面目な彼にしては随分と性質が悪い相手に恋をしたものだ、と苦笑せずに居られないほど心の距離は近くなっていた。
エドガーの方も素の守を知っているフィディオを友人として認識し始め、たまに焼もちを妬くこともあるが概ね寛大な気持ちで見てくれている。
今回もフィディオとの二人掛りの説得で駄目だったのだから、と許婚の権限が公式の場以外限りなく低い彼は、重苦しいため息を吐き出して妥協した。
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「当たり前じゃん。毎回こんな格好してたら、俺ただの変人じゃん。有人が見てない試合でこんなわけのわかんない格好する必要なんてないし」
「───そこまで思いながらどうして今これを着るんだ」
「俺が有人のヒーローだから。姉として、格好いいとこ見せたいんだよ」
ぷくっと頬を膨らませて子供っぽい表情を見せた守に、思わずとばかりにエドガーが笑った。
慌てて咳払いをして表情を隠したが、あれは可愛いものを見た女の子と同じような反応だった。
懸命にもそれに突っ込みを入れなかったフィディオは、頑固に腕を組む彼女の肩をぽんと叩いた。
「まあ、俺としてはこの試合勝ってくれれば文句ないよ。この試合に勝てばマモルたちのチームが北の代表。そうしたら俺たちとイタリア一を争うのはマモルのチームだ」
「勝者の余裕か、フィディオ?俺がこの試合に勝ったら、お前たちのイタリア一の夢は潰えるけど、俺の応援してていいのか?」
漸く普段どおりに少しばかりの意地の悪さを含んだ笑みを見せた守に、フィディオは会心の笑みを浮かべた。
「大丈夫。君たちが勝っても、俺たちのイタリア優勝の夢は叶えられるからね」
「言ってろ」
くつりと喉を奮わせた守は、仲間の呼び声に手を上げると背中を向けた。
振り返らずにマントを翻して去っていく親友の姿を見送ると、ちらりと視線だけで隣を窺う。
きっちりとVIP席を場所取りさせているエドガーは、沈痛な顔で首を振った。
「全く・・・本当に頑固だ」
「仕方ないさ。あれがマモルだし」
「判ってるがな。もう少し、自分を優先してもらいたいものだ」
嘆いているエドガーの気持ちがフィディオはきっちりと理解できた。
本人は気にしないようだが、どう考えても奇抜な格好だとやはり思う。
確かにテレビに映っても一目で誰か理解できるだろうが、それでもあれはないんじゃないだろうか。
マントにゴーグル姿が地味に似合っているからまた複雑な気分にさせられる。
堂々とフィールドに上がった守は、物怖じしない態度で敵対チームの前に立った。
流石に面食らっているが、仲間たちは何も気にしていない。
あのチームは要である守に対して一種宗教的な崇拝でもしてるのだろうか、と失礼な疑問を抱きつつフィディオは座席に向かおうとエドガーを促した。
絶好調で司令塔として活躍した守は、チーム優勝へと導いた貢献者として北リーグのMVPを受賞した。
その頃になれば観客含めて奇抜な格好も見慣れ、盛大な拍手で彼女は迎えられていた。
人間の順応力の凄さに、この日ほど感心したことはないとフィディオは後に語ることになるが、今はまだ苦笑を湛えて観客の一人として笑うだけ。
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「顔を上げろよ、豪炎寺」
場に似合わぬ笑いを含んだ声に、咄嗟に言われるがままに顔を上げて横にいる彼女を眺めた。
いつの間に取得したのか、口に駄菓子のドーナツを咥えた円堂は、面白そうに瞳を細めて武方三兄弟を観察した。
まじまじとした遠慮ない視線が気に食わなかったのか、真ん中の勝が唇を歪める。
だが彼女は全く気にせず、同じく駄菓子を口に含んだ一之瀬がぱちぱちと瞬きをした。
「誰あれ?守の知り合い?」
「んーにゃ。でも情報は持ってるぞ。木戸川清修のストライカー武方三兄弟。三つ子ならではの息の合ったプレイでゴールを狙う、最近になって頭角を現した奴らだな。一度試合を見に行ったが、トライアングルZは中々の威力だったぜ」
「へぇ・・・運だけで勝ち抜いた弱小サッカー部にも俺たちのこと知ってる奴がいるんだな」
「それだけ俺たちの知名度が上がってきたみたいな?お前なんか超えたって証明だな、豪炎寺」
自慢気に胸を張った勝を横目に、円堂は手に持っていたドーナツをまた一口齧る。
お嬢様だったにしては豪炎寺ですら足を踏み入れたことがない駄菓子屋に異常に馴染んでいたが、子供とも仲が良い様子からもしかしたらたびたび足を運んでいるのかもしれない。
彼女の隣に立っている一之瀬も口に大きな飴を入れて頬を膨らませてるのに違和感もないし、しかも両手にはちゃっかりと袋一杯に駄菓子を持っている。
もしかして普段円堂家に置いてある山積みのお菓子は、学校での差し入れ以外はここで購入しているのかもしれない。
ころころとリスのように頬の中で飴を転がす一之瀬は暢気に円堂の肩へ手を置いた。
それにより鬼道の視線が鋭くなったが、彼は全く気にしない。
「・・・てか何でそんなに豪炎寺に拘るわけ?」
「ああ、そっか。一哉は知らないんだっけ?豪炎寺はな、サッカーの名門木戸川清修からの転校生なんだぜ」
「ふーん。じゃ、こいつら元チームメイトってことか。それにしては嫌われてるなあ」
にこにこと無邪気な笑顔で辛辣な言葉を吐く一之瀬に、武方三兄弟がやや引きつった表情になる。
そしてそれを態々煽るように円堂が付け足した。
「そりゃそうだろ。去年のあいつらはただの補欠メンバーだったからな。一年生にしてレギュラー、さらにエースストライカーの名を欲しいままにしていた豪炎寺は憧れで、ついでに夢も託してたんだろ。自分たちは出場できなくとも、誰よりも輝いてるあいつならってな」
くつくつと喉を奮わせた円堂は、無邪気に見えるが確信犯に違いない。
こういうとき経験の差を見せ付けられる気がした。武方三兄弟の憤怒の視線を一身に浴びてもぶれることない胆の据わり方は尋常じゃない。
むしろ怒りの激しさに円堂を庇うように前に出た鬼道の方が敏感に空気を察知していて、きょとりとした表情の一之瀬は状況を理解してるのかどうかわからない。
笑顔で円堂を見た一之瀬は、ぽんと手を打つと晴れやかに頷いた。
「ああ、じゃこいつらは俺と同じってこと?」
「んー・・・まあ、そうなるのかな?」
「俺たちはっ」
だが暢気に会話する二人の間に、勝が割り込んだ。
怒りで紅潮した顔を盛大に歪めて豪炎寺を指差した。
「俺たちはこいつに憧れてない!こいつは俺たちの期待を裏切った臆病者だ」
「そうだ!豪炎寺のせいで、去年の俺たちがどれだけ屈辱を味わったか・・・」
「豪炎寺。君は最悪な敗者だ。敵に恐れをなし、仲間を見捨てて逃げ出した負け犬でしかない」
「そんな奴に、俺たちが憧れる!?有り得ない妄想みたいな」
吐き出すように告げられた言葉は一つ一つが心に突き刺さった。
彼らの言葉は全て嘘がなく、円堂が言うように自分に憧れているとか云々抜きにして仲間をおろそかにした行為に映っただろう。
実際罵られて仕方ないと思っているので反論など出来ようはずもなく、唇を噛んで視線を落とした。
「だから顔を上げろって言ってんだろ、豪炎寺。俯く必要はない。お前は自分の行動を恥じてなんかないだろう?」
「・・・何を言ってるんだ?」
円堂は不思議そうに首を傾げる鬼道に微笑むと、彼の頭を優しく撫でた。
その手つきは妹を前にしたときの嘗ての自分を思い出させ、豪炎寺はぐっと歯を食いしばる。
優しさや慈しみを惜しみなく注ぎ、瞳で愛しいと語っていた。
血の繋がりがなくとも円堂が鬼道に向ける親愛は本物で、春の日差しのように暖かく柔らかだ。
面白くなさそうに頬を膨らませる一之瀬の頭も同様に撫でると、小動物にするよう頬を擽って笑った。
そうしてると確かに少女は年上の貫禄を出していて、一気に機嫌がよくなったらしい一之瀬はほにゃりと満足げに緩んだ顔になる。
今度は鬼道が眉を吊り上げ、最近では定番になっている遣り取りに飽きが来ないのを不思議に思った。
そんな豪炎寺に悪戯っぽく微笑んだ円堂は、眼鏡のつるを指の腹で押し上げると口角を持ち上げる。
「例え時間を巻き戻しても、お前は同じ行動をするはずだ。なら俯くな。真っ直ぐに前を見て、あいつらを受け止めるのがお前の役目だ」
「円堂・・・」
「後悔なんて好きなだけしろ。けれど自分を恥じようとするな。お前はただ、自分の大切なものを選んだだけだ」
ふわりと微笑んだ円堂は、豪炎寺の中に沈殿していた黒くて重たい何かを掬い上げた。
それはきっと彼女が言う後悔や、それに付随する苦しみや悲しみ、そして悔しさなどの負の感情。
ずっと、ずっと豪炎寺を苦しめてきたもので、吐き出す先すら見つけれなかった心の叫び。
いつもと変わらぬ何食わぬ笑顔のままであっさりと人の心を照らす彼女の苦笑する。
今にも泣きそうに歪んでいたが、それは確かに笑顔だった。
「ああ、判ってる。───俺は、幾度時間を巻き戻しても絶対に同じ道を選ぶ。誰に何を言われても、責められても嘲られようとも、絶対に」
「そうだろうよ。俺も同じだ。だからお前の気持ちはよく判る」
豪炎寺の肩を抱いた円堂の目には嘘がない。
それに背中を押されるように、こちらを睨む武方たちの視線を真っ向から受け止めた。
彼女が言うとおりだ。
後悔なんて幾らでもした。何故、どうしてと幾度も考えた。
けど出せる結論はいつだって一つで、それを恥じる気は絶対にない。
「お前たちが俺に言いたいことが山ほどあるのは判っている。怨み辛み、憎しみ悲しみ。それらを全て俺は受け止める」
「豪炎寺・・・」
「言葉で語りつくせぬ想いはサッカーで聞く。俺たちには結局それが一番だから」
嘗ては仲間として戦い、今は自分を憎んでいる彼らに返せる精一杯の誠意で最低限の礼儀だ。
そのときは全力で挑み正面からぶつかる。
自分が居なくなったことで彼らに与えた影響は計り知れず、その想いが彼らを強くした。
今の木戸川清修は例年以上に強豪に違いない。
言い訳はしない。理解してもらいたいなんて望まない。
ただ本気のサッカーを。
「俺たちはお前なんかに絶対に負けない」
「勝つのは俺たち武方三兄弟だ」
「フィールドで敗北を噛み締めるといい、豪炎寺修也」
先ほどの嘲笑を含んだ声でなく、より一層真剣な色を宿した彼らに頷いた。
「っ!見つけた、武方三兄弟!!」
「え?」
「お前、西垣!!?」
「ん?一哉、西垣知ってるの?」
「ああ。アメリカで昔同じチームでプレイしてた幼馴染だよ。って、守こそどうして知ってるんだ?」
「言ったろ、試合を一度見たって。いい動きしてたから名前を覚えといたんだ。木戸川清修の西垣守、二年生。ポジションディフェンスの背番号2。カットが上手いよな」
「・・・良く、知ってるな」
驚きに瞳を丸めた西垣に円堂が綺麗にウィンクした。
「俺も守って言うんだ。宜しくな」
笑顔で差し出された右手を、咄嗟に掴んだ西垣は小首を傾げた。
「・・・男、だよな?」
訝しげに眉間に皺を寄せて問う西垣に、円堂は悪戯っぽく笑った。
唐突な西垣の疑問に武方三兄弟が馬鹿にしたように鼻を鳴らし、その問いに答える前に邪魔が入った。
「西垣、武方たちは見つかったか?」
「はい、監督。やっぱり雷門へ来てました」
「ったく、仕方がないなお前らは」
「・・・ご無沙汰してます、二階堂監督」
「おう、豪炎寺。元気にしてるか?」
「はい」
「そうか」
変わらぬ笑顔を向けてくれる人から視線を逸らすと、どんと背中を力強く叩かれたたらを踏んだ。
驚いて顔を背後に向けると、円堂が立っていた。
「格好いい監督じゃん、豪炎寺」
「ああ。それだけじゃなく指導力も素晴らしいんだ」
「へえ、じゃあ凄くお世話になったんだな。んじゃ、俺も挨拶しなきゃ。今、豪炎寺が所属する雷門サッカー部のキャプテンを務める円堂守と申します。ご高名な二階堂監督にお会いできて嬉しいです」
「高名?」
「ええ。プロリーグで活躍され、中学サッカー界でも名監督として名高い方です。今の豪炎寺の基礎を作ったのは、彼の努力もあるでしょうが監督の力も大きいはずです」
「・・・参ったな」
中学生らしからぬ円堂の物言いに困ったように眉を下げて頭を掻いた二階堂は、彼女の顔を正面から見て不意に眉間に皺を寄せた。
まじまじと顔を見詰め、まさかな、と呟くと首を振る。
「どうかしたんですか、監督?」
「いや・・・円堂君の顔が知っている子に似てたものでね。と言っても、こちらが一方的に知っているだけなんだが、彼女がこんなところに居る訳がないか」
後半は独り言のように呟いた二階堂はもう一度豪炎寺を見て、嬉しそうに表情を綻ばせた。
そして隣にいる円堂、鬼道、一之瀬の順に視線をやると顎に手を当てる。
「───いい仲間を得たようだな、豪炎寺」
「はい」
「次の試合、楽しみにしている。お互いベストを尽くそう」
楽しみだと笑った彼に、体の力が抜けた。
緊張していたのだと始めて気がつき、支えるように肩に円堂の手が触れる。
振り返らなくてもそこに居てくれる存在に、豪炎寺は心から感謝した。
「全力で戦います。俺の、今の持てる力全てで勝ちに行きます」
「勇ましいな。けれど俺たちも負ける気はない。試合、楽しみにしてる」
行くぞと告げた二階堂に、四人は着き従った。
去っていく背中を視線で見送り、ぐっと拳を握り締める。
彼らと顔を合わせるまで常に心に落ちていた悔恨と言う名の闇は拭い去られ、いつもと同じ高揚感に包まれた。
「ありがとう、円堂」
振り返らずに囁けば、くくくっと小さく声が聞こえた。
「どーいたしまして」
笑いを含んだ声音の彼女の表情は見ずとも脳裏に鮮やかに浮かび、釣られたように豪炎寺も笑った。
場に似合わぬ笑いを含んだ声に、咄嗟に言われるがままに顔を上げて横にいる彼女を眺めた。
いつの間に取得したのか、口に駄菓子のドーナツを咥えた円堂は、面白そうに瞳を細めて武方三兄弟を観察した。
まじまじとした遠慮ない視線が気に食わなかったのか、真ん中の勝が唇を歪める。
だが彼女は全く気にせず、同じく駄菓子を口に含んだ一之瀬がぱちぱちと瞬きをした。
「誰あれ?守の知り合い?」
「んーにゃ。でも情報は持ってるぞ。木戸川清修のストライカー武方三兄弟。三つ子ならではの息の合ったプレイでゴールを狙う、最近になって頭角を現した奴らだな。一度試合を見に行ったが、トライアングルZは中々の威力だったぜ」
「へぇ・・・運だけで勝ち抜いた弱小サッカー部にも俺たちのこと知ってる奴がいるんだな」
「それだけ俺たちの知名度が上がってきたみたいな?お前なんか超えたって証明だな、豪炎寺」
自慢気に胸を張った勝を横目に、円堂は手に持っていたドーナツをまた一口齧る。
お嬢様だったにしては豪炎寺ですら足を踏み入れたことがない駄菓子屋に異常に馴染んでいたが、子供とも仲が良い様子からもしかしたらたびたび足を運んでいるのかもしれない。
彼女の隣に立っている一之瀬も口に大きな飴を入れて頬を膨らませてるのに違和感もないし、しかも両手にはちゃっかりと袋一杯に駄菓子を持っている。
もしかして普段円堂家に置いてある山積みのお菓子は、学校での差し入れ以外はここで購入しているのかもしれない。
ころころとリスのように頬の中で飴を転がす一之瀬は暢気に円堂の肩へ手を置いた。
それにより鬼道の視線が鋭くなったが、彼は全く気にしない。
「・・・てか何でそんなに豪炎寺に拘るわけ?」
「ああ、そっか。一哉は知らないんだっけ?豪炎寺はな、サッカーの名門木戸川清修からの転校生なんだぜ」
「ふーん。じゃ、こいつら元チームメイトってことか。それにしては嫌われてるなあ」
にこにこと無邪気な笑顔で辛辣な言葉を吐く一之瀬に、武方三兄弟がやや引きつった表情になる。
そしてそれを態々煽るように円堂が付け足した。
「そりゃそうだろ。去年のあいつらはただの補欠メンバーだったからな。一年生にしてレギュラー、さらにエースストライカーの名を欲しいままにしていた豪炎寺は憧れで、ついでに夢も託してたんだろ。自分たちは出場できなくとも、誰よりも輝いてるあいつならってな」
くつくつと喉を奮わせた円堂は、無邪気に見えるが確信犯に違いない。
こういうとき経験の差を見せ付けられる気がした。武方三兄弟の憤怒の視線を一身に浴びてもぶれることない胆の据わり方は尋常じゃない。
むしろ怒りの激しさに円堂を庇うように前に出た鬼道の方が敏感に空気を察知していて、きょとりとした表情の一之瀬は状況を理解してるのかどうかわからない。
笑顔で円堂を見た一之瀬は、ぽんと手を打つと晴れやかに頷いた。
「ああ、じゃこいつらは俺と同じってこと?」
「んー・・・まあ、そうなるのかな?」
「俺たちはっ」
だが暢気に会話する二人の間に、勝が割り込んだ。
怒りで紅潮した顔を盛大に歪めて豪炎寺を指差した。
「俺たちはこいつに憧れてない!こいつは俺たちの期待を裏切った臆病者だ」
「そうだ!豪炎寺のせいで、去年の俺たちがどれだけ屈辱を味わったか・・・」
「豪炎寺。君は最悪な敗者だ。敵に恐れをなし、仲間を見捨てて逃げ出した負け犬でしかない」
「そんな奴に、俺たちが憧れる!?有り得ない妄想みたいな」
吐き出すように告げられた言葉は一つ一つが心に突き刺さった。
彼らの言葉は全て嘘がなく、円堂が言うように自分に憧れているとか云々抜きにして仲間をおろそかにした行為に映っただろう。
実際罵られて仕方ないと思っているので反論など出来ようはずもなく、唇を噛んで視線を落とした。
「だから顔を上げろって言ってんだろ、豪炎寺。俯く必要はない。お前は自分の行動を恥じてなんかないだろう?」
「・・・何を言ってるんだ?」
円堂は不思議そうに首を傾げる鬼道に微笑むと、彼の頭を優しく撫でた。
その手つきは妹を前にしたときの嘗ての自分を思い出させ、豪炎寺はぐっと歯を食いしばる。
優しさや慈しみを惜しみなく注ぎ、瞳で愛しいと語っていた。
血の繋がりがなくとも円堂が鬼道に向ける親愛は本物で、春の日差しのように暖かく柔らかだ。
面白くなさそうに頬を膨らませる一之瀬の頭も同様に撫でると、小動物にするよう頬を擽って笑った。
そうしてると確かに少女は年上の貫禄を出していて、一気に機嫌がよくなったらしい一之瀬はほにゃりと満足げに緩んだ顔になる。
今度は鬼道が眉を吊り上げ、最近では定番になっている遣り取りに飽きが来ないのを不思議に思った。
そんな豪炎寺に悪戯っぽく微笑んだ円堂は、眼鏡のつるを指の腹で押し上げると口角を持ち上げる。
「例え時間を巻き戻しても、お前は同じ行動をするはずだ。なら俯くな。真っ直ぐに前を見て、あいつらを受け止めるのがお前の役目だ」
「円堂・・・」
「後悔なんて好きなだけしろ。けれど自分を恥じようとするな。お前はただ、自分の大切なものを選んだだけだ」
ふわりと微笑んだ円堂は、豪炎寺の中に沈殿していた黒くて重たい何かを掬い上げた。
それはきっと彼女が言う後悔や、それに付随する苦しみや悲しみ、そして悔しさなどの負の感情。
ずっと、ずっと豪炎寺を苦しめてきたもので、吐き出す先すら見つけれなかった心の叫び。
いつもと変わらぬ何食わぬ笑顔のままであっさりと人の心を照らす彼女の苦笑する。
今にも泣きそうに歪んでいたが、それは確かに笑顔だった。
「ああ、判ってる。───俺は、幾度時間を巻き戻しても絶対に同じ道を選ぶ。誰に何を言われても、責められても嘲られようとも、絶対に」
「そうだろうよ。俺も同じだ。だからお前の気持ちはよく判る」
豪炎寺の肩を抱いた円堂の目には嘘がない。
それに背中を押されるように、こちらを睨む武方たちの視線を真っ向から受け止めた。
彼女が言うとおりだ。
後悔なんて幾らでもした。何故、どうしてと幾度も考えた。
けど出せる結論はいつだって一つで、それを恥じる気は絶対にない。
「お前たちが俺に言いたいことが山ほどあるのは判っている。怨み辛み、憎しみ悲しみ。それらを全て俺は受け止める」
「豪炎寺・・・」
「言葉で語りつくせぬ想いはサッカーで聞く。俺たちには結局それが一番だから」
嘗ては仲間として戦い、今は自分を憎んでいる彼らに返せる精一杯の誠意で最低限の礼儀だ。
そのときは全力で挑み正面からぶつかる。
自分が居なくなったことで彼らに与えた影響は計り知れず、その想いが彼らを強くした。
今の木戸川清修は例年以上に強豪に違いない。
言い訳はしない。理解してもらいたいなんて望まない。
ただ本気のサッカーを。
「俺たちはお前なんかに絶対に負けない」
「勝つのは俺たち武方三兄弟だ」
「フィールドで敗北を噛み締めるといい、豪炎寺修也」
先ほどの嘲笑を含んだ声でなく、より一層真剣な色を宿した彼らに頷いた。
「っ!見つけた、武方三兄弟!!」
「え?」
「お前、西垣!!?」
「ん?一哉、西垣知ってるの?」
「ああ。アメリカで昔同じチームでプレイしてた幼馴染だよ。って、守こそどうして知ってるんだ?」
「言ったろ、試合を一度見たって。いい動きしてたから名前を覚えといたんだ。木戸川清修の西垣守、二年生。ポジションディフェンスの背番号2。カットが上手いよな」
「・・・良く、知ってるな」
驚きに瞳を丸めた西垣に円堂が綺麗にウィンクした。
「俺も守って言うんだ。宜しくな」
笑顔で差し出された右手を、咄嗟に掴んだ西垣は小首を傾げた。
「・・・男、だよな?」
訝しげに眉間に皺を寄せて問う西垣に、円堂は悪戯っぽく笑った。
唐突な西垣の疑問に武方三兄弟が馬鹿にしたように鼻を鳴らし、その問いに答える前に邪魔が入った。
「西垣、武方たちは見つかったか?」
「はい、監督。やっぱり雷門へ来てました」
「ったく、仕方がないなお前らは」
「・・・ご無沙汰してます、二階堂監督」
「おう、豪炎寺。元気にしてるか?」
「はい」
「そうか」
変わらぬ笑顔を向けてくれる人から視線を逸らすと、どんと背中を力強く叩かれたたらを踏んだ。
驚いて顔を背後に向けると、円堂が立っていた。
「格好いい監督じゃん、豪炎寺」
「ああ。それだけじゃなく指導力も素晴らしいんだ」
「へえ、じゃあ凄くお世話になったんだな。んじゃ、俺も挨拶しなきゃ。今、豪炎寺が所属する雷門サッカー部のキャプテンを務める円堂守と申します。ご高名な二階堂監督にお会いできて嬉しいです」
「高名?」
「ええ。プロリーグで活躍され、中学サッカー界でも名監督として名高い方です。今の豪炎寺の基礎を作ったのは、彼の努力もあるでしょうが監督の力も大きいはずです」
「・・・参ったな」
中学生らしからぬ円堂の物言いに困ったように眉を下げて頭を掻いた二階堂は、彼女の顔を正面から見て不意に眉間に皺を寄せた。
まじまじと顔を見詰め、まさかな、と呟くと首を振る。
「どうかしたんですか、監督?」
「いや・・・円堂君の顔が知っている子に似てたものでね。と言っても、こちらが一方的に知っているだけなんだが、彼女がこんなところに居る訳がないか」
後半は独り言のように呟いた二階堂はもう一度豪炎寺を見て、嬉しそうに表情を綻ばせた。
そして隣にいる円堂、鬼道、一之瀬の順に視線をやると顎に手を当てる。
「───いい仲間を得たようだな、豪炎寺」
「はい」
「次の試合、楽しみにしている。お互いベストを尽くそう」
楽しみだと笑った彼に、体の力が抜けた。
緊張していたのだと始めて気がつき、支えるように肩に円堂の手が触れる。
振り返らなくてもそこに居てくれる存在に、豪炎寺は心から感謝した。
「全力で戦います。俺の、今の持てる力全てで勝ちに行きます」
「勇ましいな。けれど俺たちも負ける気はない。試合、楽しみにしてる」
行くぞと告げた二階堂に、四人は着き従った。
去っていく背中を視線で見送り、ぐっと拳を握り締める。
彼らと顔を合わせるまで常に心に落ちていた悔恨と言う名の闇は拭い去られ、いつもと同じ高揚感に包まれた。
「ありがとう、円堂」
振り返らずに囁けば、くくくっと小さく声が聞こえた。
「どーいたしまして」
笑いを含んだ声音の彼女の表情は見ずとも脳裏に鮮やかに浮かび、釣られたように豪炎寺も笑った。
かりかりかりと静かな部室にシャープペンの走る音がする。
雨により部活中止の連絡が入ったので、部室の中は静かなものだ。
ゆったりした空気は久々で、鬼道の胸を甘く締め上げる。
トタンを叩く雨音すら極上のクラシックに匹敵するBGMで、目の前で分厚い本を捲る姿は一枚の絵画のようだった。
懐かしさすら覚える光景に、すっと目を細める。
昔、まだ彼女が鬼道の家に住んでいる頃、良く勉強を見てもらっていた。
普段は家庭教師に学んでいたが、姉が日本にいる間はいつでも彼女に勉強をみてもらっていた。
利発な姉はともすれば家庭教師より余程上手に勉強を教えてくれて、姉を独占できる唯一の手段である勉強はお陰で好きになれた。
彼女が勉強してる姿は一度として目にしたことはないが、全国模試でも常に一位で、一度覚えたことを忘れない彼女は神童として扱われてた。
「・・・どうかしたか、有人。わからない問題でもあったか?」
いつの間にかまじまじと見詰めすぎていたのだろう。
本から顔を上げた円堂と視線が正面から絡み、こくりと喉を鳴らす。
らしくなく動揺してしまうのは、相手が円堂だから。
昔はノンフレームの眼鏡だったが、今は黒縁のお洒落眼鏡の奥から栗色の大きな瞳が覗いている。
太めのフレームだけで印象は随分と変わり、夢破れてからも儚げな雰囲気の姉を好んでいた幼馴染を思い出し、この姿を見せてやりたいと意地悪く笑った。
もっともそれは本心ではなく、どんな姿でも愛しい人をライバルに晒す気はなかったけれど。
じっとこちらを眺めながら小首を傾げて返事を待つ円堂に口を開きかけた瞬間、最近では通例になる邪魔が入った。
「守、俺ここが判んない」
横から顔を出して甘えるように円堂にすりつく一之瀬の姿に、鬼道はぎりぎりと奥歯を噛み締める。
帰国子女である彼はどうしてか姉と同居しているらしいが、鬼道には未だにそれは承服しかねた。
何しろ鬼道自身は姉が何処に住んでいるかすら知らないのだ。
父からもたらされた限りある情報の一つに、目付け役として一之瀬一哉の名前が入っていたときの衝撃は忘れられない。
聞くところによると、彼はアメリカ時代の円堂の恩人らしい。
廃人同様に無気力になった彼女にもう一度サッカーをさせ、そして笑顔を取り戻させた。
彼女の過去を知りつつそれでも現在の姿に失望せずに一心に慕い、裏表ない態度に彼を信頼した父が直々に円堂の目付けを頼んだそうだが、そんなのは納得できない。
以前ならともかく今はもう完全とは言えなくとも姉との関係は随分と緩和されていた。
どうせなら鬼道自身が彼女と同居した方がずっとずっと安心できるはずだ。
けれどそれを訴えれば父は苦い顔をして許可をくれなかった。
否、正確には『守がいいと言うなら』と許可をくれたが、姉は未だに在宅の許可どころか自宅のありかすら教えてくれない。
思い余って後を付けようとしたら、そんなことしたら絶交だと言い渡された。
一之瀬と並んで帰る姿を震える拳を握り締め怒りに堪えていたら、横から豪炎寺に慰められた。
一瞬だけ心が慰められたが、あいつも円堂の自宅を知っていると言われた瞬間から一切の慰めは不要だと手を振り払ったのは記憶に新しい。
やっぱり受け入れてもらえないのだろうかと落ち込んでいると、何処からともなく現れた妹に慰められた。
それがまた一層情けない気分だと嘆息すると、『いざとなったら泣き落としだよ』と拳を握って宣言された。
妹がどうやって自分のところへ円堂を送り出したか思い出したが、それをしても動いてくれないだろう姉の厳しさを知ってるだけに苦笑しか浮かばない。
今では学校の限られた時間をなるべく傍に居ることで何とか心を慰めているが、その内絶対に家に向かうと心に決めていた。
そしてそうなったとき、一番のお邪魔虫は目の前の一之瀬だろうと確信している。
一之瀬自身も鬼道を嫌いだと断言したが、彼の実力を認めつつも鬼道も彼が好きじゃない。
特に、今みたいに甘える姿を見ると、怒りを堪えるだけで精一杯だった。
「・・・姉さんは俺に聞いたんだ、一之瀬」
「何で未だに姉さんて呼んでるんだよ。守はもう鬼道の姉じゃないだろ」
「苗字が違っても姉さんは姉さんだ。公私は分けて事情を知ってる人間の前以外では口にしてないんだ、放っておいてくれ」
「放っておけないね。俺は守が大事だ。今の守の生活を、お前なんかに乱して欲しくない」
「俺が姉さんの邪魔になると言いたいのか?」
「それ以外にどう聞こえるって言うんだ?」
可愛らしい顔をしているくせに、欧米仕込のはっきりした態度で睨む一之瀬に舌打ちする。
どんなときでも冷静であれ。
そう教えられてきたが、鬼道とて逆鱗はある。
触れられれば理性など消失し、怒りで全身が支配される。
未熟だと思うがこればかりはどうしようもない。
もう子供の頃から刷り込まれた条件反射なのだから。
「俺は姉さんを傷つけたりしない」
「どうだか。───守のこと、何も知らないくせに」
「・・・お前こそ。姉さんのこと、何も知らないくせに」
ぎらぎらとした目をする彼から一切視線を逸らさぬままに睨み返した。
彼は鬼道が知らないこの二年間の円堂を知っている。
けど同じように、この二年間以外の過去を彼は知らない。
円堂に対する情報は鬼道の方がずっと上で、ずっとずっと知っている。
一触即発とばかりに睨み合っていると、呆れたような声で仲裁が入った。
「はいはい、もうやめ。ったく、お前らは本当に相性が悪いな~。これが試合に影響しないのが心底不思議だ、俺は」
「俺も円堂の言葉に納得。そもそも二人と円堂に教えを請うてるけど、円堂ってそんなに勉強できるの?帰国子女の一之瀬はともかく、鬼道さんなんて勉強教わる必要ないだろ」
「・・・何言ってるの、土門。守はダブってるけど、勉強はむちゃくちゃ出来るよ」
「そうだ。姉さんは鬼道の長子だ。何をしても一番を取れと言われる生活をしていたんだぞ?俺なんか足元にも及ばない知識量だし、基本的に何でも出来る。料理、裁縫、ダンス、音楽、武芸、語学、日舞にお茶やお花も何でもござれだ」
「───マジ?」
「マジだぞ、土門。前も言ったろ?俺って見た目よりお嬢様」
一之瀬と鬼道の言葉を円堂が肯定すれば、今まで息すら殺すように自分の勉強を進めていた土門は驚きで目を丸めた。
一応転校生の鬼道と、帰国子女である二人のために開かれた勉強会だが、土門が発言したのは一時間経って始めてだ。
人の感情の機微に聡い彼が遠慮していたのに気づくと恥じ入るばかりだが、それでも目の前のあからさまなライバルに牙を剥かずにいられない。
漸く普通の空気に戻ったことに安堵したらしい彼に苦笑すると、一瞬だけ視線を一之瀬に送ってから円堂を見た。
「姉さん、俺は古典が少し苦手なんで教えてもらえますか?」
「古典なら俺も苦手。帰国子女だから」
もう一度空気を立て直そうとしたところで、また絶妙の邪魔を入れた一之瀬を睨む。
その様子を眺めて呆れたと苦笑した円堂は肩を竦めると土門を見た。
「なら、お前も同条件だな、土門。確か、お前んとこも俺のとこと担当教師は同じだったよな?課題のプリント出てるだろ。教えてやるからノート広げてみ」
「っ、ああ。ありがと、円堂」
頷いた土門は鞄からプリントとノートを取り出した。
一之瀬と睨み合いながらも、同じようにプリントとノートを取り出す。
円堂もプリントを手に持つと、そのまま文章を一通り長し読みして解説を始めた。
久し振りに受ける姉の授業は相変わらず判り易く、するすると入る内容に土門は次の授業を予約していた。
「姉さん」
「ん?」
「今度は二人きりで教えてください」
一之瀬と土門が話してる隙に耳元で囁けば、苦笑した円堂は否とも是とも言わずにプリントを振った。
けれど曖昧に誤魔化されてなるものか、と彼女の手を取ると無理やりに小指を絡める。
「約束です」
にこり、と微笑めば仕方ないな、と苦笑された。
弟としての経験は、今でもやっぱり活かされていて、その様子を見た土門は存外に甘え上手な鬼道に感心し、一之瀬は頬を膨らませて不服をあらわにした。
雨により部活中止の連絡が入ったので、部室の中は静かなものだ。
ゆったりした空気は久々で、鬼道の胸を甘く締め上げる。
トタンを叩く雨音すら極上のクラシックに匹敵するBGMで、目の前で分厚い本を捲る姿は一枚の絵画のようだった。
懐かしさすら覚える光景に、すっと目を細める。
昔、まだ彼女が鬼道の家に住んでいる頃、良く勉強を見てもらっていた。
普段は家庭教師に学んでいたが、姉が日本にいる間はいつでも彼女に勉強をみてもらっていた。
利発な姉はともすれば家庭教師より余程上手に勉強を教えてくれて、姉を独占できる唯一の手段である勉強はお陰で好きになれた。
彼女が勉強してる姿は一度として目にしたことはないが、全国模試でも常に一位で、一度覚えたことを忘れない彼女は神童として扱われてた。
「・・・どうかしたか、有人。わからない問題でもあったか?」
いつの間にかまじまじと見詰めすぎていたのだろう。
本から顔を上げた円堂と視線が正面から絡み、こくりと喉を鳴らす。
らしくなく動揺してしまうのは、相手が円堂だから。
昔はノンフレームの眼鏡だったが、今は黒縁のお洒落眼鏡の奥から栗色の大きな瞳が覗いている。
太めのフレームだけで印象は随分と変わり、夢破れてからも儚げな雰囲気の姉を好んでいた幼馴染を思い出し、この姿を見せてやりたいと意地悪く笑った。
もっともそれは本心ではなく、どんな姿でも愛しい人をライバルに晒す気はなかったけれど。
じっとこちらを眺めながら小首を傾げて返事を待つ円堂に口を開きかけた瞬間、最近では通例になる邪魔が入った。
「守、俺ここが判んない」
横から顔を出して甘えるように円堂にすりつく一之瀬の姿に、鬼道はぎりぎりと奥歯を噛み締める。
帰国子女である彼はどうしてか姉と同居しているらしいが、鬼道には未だにそれは承服しかねた。
何しろ鬼道自身は姉が何処に住んでいるかすら知らないのだ。
父からもたらされた限りある情報の一つに、目付け役として一之瀬一哉の名前が入っていたときの衝撃は忘れられない。
聞くところによると、彼はアメリカ時代の円堂の恩人らしい。
廃人同様に無気力になった彼女にもう一度サッカーをさせ、そして笑顔を取り戻させた。
彼女の過去を知りつつそれでも現在の姿に失望せずに一心に慕い、裏表ない態度に彼を信頼した父が直々に円堂の目付けを頼んだそうだが、そんなのは納得できない。
以前ならともかく今はもう完全とは言えなくとも姉との関係は随分と緩和されていた。
どうせなら鬼道自身が彼女と同居した方がずっとずっと安心できるはずだ。
けれどそれを訴えれば父は苦い顔をして許可をくれなかった。
否、正確には『守がいいと言うなら』と許可をくれたが、姉は未だに在宅の許可どころか自宅のありかすら教えてくれない。
思い余って後を付けようとしたら、そんなことしたら絶交だと言い渡された。
一之瀬と並んで帰る姿を震える拳を握り締め怒りに堪えていたら、横から豪炎寺に慰められた。
一瞬だけ心が慰められたが、あいつも円堂の自宅を知っていると言われた瞬間から一切の慰めは不要だと手を振り払ったのは記憶に新しい。
やっぱり受け入れてもらえないのだろうかと落ち込んでいると、何処からともなく現れた妹に慰められた。
それがまた一層情けない気分だと嘆息すると、『いざとなったら泣き落としだよ』と拳を握って宣言された。
妹がどうやって自分のところへ円堂を送り出したか思い出したが、それをしても動いてくれないだろう姉の厳しさを知ってるだけに苦笑しか浮かばない。
今では学校の限られた時間をなるべく傍に居ることで何とか心を慰めているが、その内絶対に家に向かうと心に決めていた。
そしてそうなったとき、一番のお邪魔虫は目の前の一之瀬だろうと確信している。
一之瀬自身も鬼道を嫌いだと断言したが、彼の実力を認めつつも鬼道も彼が好きじゃない。
特に、今みたいに甘える姿を見ると、怒りを堪えるだけで精一杯だった。
「・・・姉さんは俺に聞いたんだ、一之瀬」
「何で未だに姉さんて呼んでるんだよ。守はもう鬼道の姉じゃないだろ」
「苗字が違っても姉さんは姉さんだ。公私は分けて事情を知ってる人間の前以外では口にしてないんだ、放っておいてくれ」
「放っておけないね。俺は守が大事だ。今の守の生活を、お前なんかに乱して欲しくない」
「俺が姉さんの邪魔になると言いたいのか?」
「それ以外にどう聞こえるって言うんだ?」
可愛らしい顔をしているくせに、欧米仕込のはっきりした態度で睨む一之瀬に舌打ちする。
どんなときでも冷静であれ。
そう教えられてきたが、鬼道とて逆鱗はある。
触れられれば理性など消失し、怒りで全身が支配される。
未熟だと思うがこればかりはどうしようもない。
もう子供の頃から刷り込まれた条件反射なのだから。
「俺は姉さんを傷つけたりしない」
「どうだか。───守のこと、何も知らないくせに」
「・・・お前こそ。姉さんのこと、何も知らないくせに」
ぎらぎらとした目をする彼から一切視線を逸らさぬままに睨み返した。
彼は鬼道が知らないこの二年間の円堂を知っている。
けど同じように、この二年間以外の過去を彼は知らない。
円堂に対する情報は鬼道の方がずっと上で、ずっとずっと知っている。
一触即発とばかりに睨み合っていると、呆れたような声で仲裁が入った。
「はいはい、もうやめ。ったく、お前らは本当に相性が悪いな~。これが試合に影響しないのが心底不思議だ、俺は」
「俺も円堂の言葉に納得。そもそも二人と円堂に教えを請うてるけど、円堂ってそんなに勉強できるの?帰国子女の一之瀬はともかく、鬼道さんなんて勉強教わる必要ないだろ」
「・・・何言ってるの、土門。守はダブってるけど、勉強はむちゃくちゃ出来るよ」
「そうだ。姉さんは鬼道の長子だ。何をしても一番を取れと言われる生活をしていたんだぞ?俺なんか足元にも及ばない知識量だし、基本的に何でも出来る。料理、裁縫、ダンス、音楽、武芸、語学、日舞にお茶やお花も何でもござれだ」
「───マジ?」
「マジだぞ、土門。前も言ったろ?俺って見た目よりお嬢様」
一之瀬と鬼道の言葉を円堂が肯定すれば、今まで息すら殺すように自分の勉強を進めていた土門は驚きで目を丸めた。
一応転校生の鬼道と、帰国子女である二人のために開かれた勉強会だが、土門が発言したのは一時間経って始めてだ。
人の感情の機微に聡い彼が遠慮していたのに気づくと恥じ入るばかりだが、それでも目の前のあからさまなライバルに牙を剥かずにいられない。
漸く普通の空気に戻ったことに安堵したらしい彼に苦笑すると、一瞬だけ視線を一之瀬に送ってから円堂を見た。
「姉さん、俺は古典が少し苦手なんで教えてもらえますか?」
「古典なら俺も苦手。帰国子女だから」
もう一度空気を立て直そうとしたところで、また絶妙の邪魔を入れた一之瀬を睨む。
その様子を眺めて呆れたと苦笑した円堂は肩を竦めると土門を見た。
「なら、お前も同条件だな、土門。確か、お前んとこも俺のとこと担当教師は同じだったよな?課題のプリント出てるだろ。教えてやるからノート広げてみ」
「っ、ああ。ありがと、円堂」
頷いた土門は鞄からプリントとノートを取り出した。
一之瀬と睨み合いながらも、同じようにプリントとノートを取り出す。
円堂もプリントを手に持つと、そのまま文章を一通り長し読みして解説を始めた。
久し振りに受ける姉の授業は相変わらず判り易く、するすると入る内容に土門は次の授業を予約していた。
「姉さん」
「ん?」
「今度は二人きりで教えてください」
一之瀬と土門が話してる隙に耳元で囁けば、苦笑した円堂は否とも是とも言わずにプリントを振った。
けれど曖昧に誤魔化されてなるものか、と彼女の手を取ると無理やりに小指を絡める。
「約束です」
にこり、と微笑めば仕方ないな、と苦笑された。
弟としての経験は、今でもやっぱり活かされていて、その様子を見た土門は存外に甘え上手な鬼道に感心し、一之瀬は頬を膨らませて不服をあらわにした。
いつか どうしても 悲しいときに
--お題サイト:afaikさまより--
*4部作です。
■と 吐息に全部を溶かすから、言葉は信じないでくれ
「跳ね馬ディーノ。あなたには日本へ渡ってもらう」
顔色一つ変えずに告げれば、珍しいことにマフィアのボスとして綱吉の前に立つ彼はぴくりと眉を動かした。
兄貴分としてなら表情豊かな人だが、今の彼はただのディーノとしているのではない。
ボンゴレの同盟ファミリーの一員として存在するはずなのに、誰よりそれを理解している彼らしくない表情の変化だった。
自身の机の上に両肘をつき、汲んだ掌の上に顎を乗せた綱吉はそれを下から見上げるように観察しながら目を細める。
今の自分は彼の弟分ではなくディーノの上に立つ人間として指示を出しているのだ。
これしきで動揺されてはとても先に進めない。
何しろ彼は重要な駒の一つとして組み込まれている。
綱吉の僅かな表情の変化に気がついたのか、ディーノはまた表情を消した。
黒のスーツといういでだちも含め、今の彼を普段の陽気な兄貴と捉えるものは居ないだろう。
それくらいぴりぴりとした雰囲気を纏った彼は、薄い唇をゆっくりと持ち上げた。
「お言葉ですが、ドン・ボンゴレ。それではイタリア本部の守りが手薄になります。それとも───強固なボンゴレの守りには私のような中堅マフィアなど必要ないということでしょうか?」
「・・・本当に言葉が過ぎるな、跳ね馬。だがその疑問も最もだ」
「なら」
「しかし君に質問権はない。『Si o No?』と聞いている」
猛獣が獲物を狙うよう、じりじりとディーノを追い詰める。
普段の穏やかとも言える気性を知る人間からすればこの変化は劇的らしい。
兄弟子である彼も優秀だったろうが、綱吉はリボーンに最高傑作と言わしめた『作品』だ。
瞬き一つで雰囲気を一変させる術も、相手を精神的に追い詰める術も心得ている。
露にした苛立ちは作り出したもので本気ではないが関係ない。
見せるための怒りがあると、この立場になり始めて知った。
権力を最大限に利用しなくてはいけない場面が時としてあり、綱吉にとっては今この瞬間がまさしくそれだった。
「俺はお願いしてるんじゃない」
「・・・・・・」
「キャバッローネファミリーの長、跳ね馬ディーノ。同盟ファミリーの中でも一際篤い忠心を捧げる君を俺は信頼している。その信頼に応えて欲しいと、そう望んでいるだけだ」
言葉は全くの嘘じゃない。
ドン・キャバッローネとして彼の耳にも様々な情報が入ってきているはずだ。
イタリアはボンゴレだけでなくキャバッローネの本拠地もある。
それを含めてこの地を離れ難いのだろうが、彼の気持ちを理解した上で、それでも綱吉はディーノに動いてもらわなくてはならなかった。
彼自身が育てたと言っても過言ではない、過去の雲雀のサポート役として。
現代のリボーンが居ない今、雲雀を扱えるのはディーノくらいだ。
ぎりぎりまでイタリアに残ってもらって構わないが、最悪過去と現在が入れ替わる頃には日本に居て欲しい。
「出発時期は再来週の俺が奴らと対談する当日。一番奴らの監視が薄くなる時間帯に立ってくれ」
「っ!?それじゃ俺はドン・ボンゴレの護衛にすら加わるなと言うことですか?」
「そうなるな。話はそれだけだ」
行っていいと手を振れば、ぎりりと奥歯を噛み締める音がここまで聞こえた。
だが、前言を撤回する気はない。
信頼しているファミリーだと告げながら、その実一番重要に見えるミルフィオーレとの会談には連れて行かないと言われればこの反応も妥当だろう。
場には綱吉だけでなく幾人かの同盟ファミリーのボスも同席する手筈になっている。
大よそ処刑を見届けるメンバーとして連れて来いという意味だろうから、誰にするかも選び終えていた。
少なくとも───綱吉の盾になろうとする忠臣は、そこに居てはいけない。
筋書きが狂うし、役立つ人物は書いた筋書きに登場してもらいたかった。
一礼すると背を向けたディーノは真っ直ぐに出口へ向かう。
ドアノブに手を掛けたところで動きを止めると、溜まらずに口に出したとばかりに迸る感情を露にした。
「これは独り言です」
「・・・・・・」
「頼むから、死なないでくれツナ。お前まで居なくなれば、俺は───本気で死にたくなる」
苦渋を滲ませた声は、ファミリーの長として綱吉の前で出すには不適切だ。
だが信頼する師を失った弟を心配する兄としては妥当なもので、だからこそ何も言わず綱吉はそれを許容した。
静かに姿を消した彼の残像を追うように瞳を細め、うっそりと溜め込んだ気持ちを吐き出す。
「それは俺の台詞です、ディーノさん。どうか、ご武運を」
今からバトンタッチする綱吉ではなく、きっと彼にこそ必要な祈りであろうから。
■き 君を愛するのはあまりにも簡単すぎた
背後をちょろちょろとする気配に綱吉は嘆息した。
運よく今日は連れてる護衛が笹川で、ちらりと視線を上げると心得たように頷く。
一言と断ってから業とらしく離れた彼の背を見送ると、そのまま路地へ足を向けた。
本来、ドン・ボンゴレである綱吉が護衛もつけず一人歩きなど考えられない。
実際今も距離を置いて気配を隠してもらっただけで、何かあったときすぐに駆けつけれる距離に笹川はいる。
それ以外にも数人のSPが居たが、笹川一人で十分、むしろ足手まといだと告げたお陰で彼らは今日は留守番だ。
知っているとは思わないが、運がいい子だったなと思い返しながらまた一つ路地を曲がる。
初めて足を踏み入れる場所だが何処が安全か、何処に向かえば都合がいいかは優秀な血が教えてくれた。
足早に連続して角を曲がり、空いていた隙間に身を隠す。
すると目的の人物は焦ったように走りこみ、そこが行き止まりと知ると息を呑んだ。
「一体何処へ・・・」
「ここだよ」
「っ!!?」
背後から判りやすく気配を出現させて近寄れば、びくりと体を竦ませた子供はこちらを振り返った。
特徴的な癖毛に、端整でありながらも垂れ目のお陰で締まらない顔。優男の雰囲気を全身から発する弟分に、綱吉は息を吐き出した。
昔は無駄に自信満々で威勢が良かった弟分は、何処でどうしてこうなったのかわからないヘタレた空気を醸し出している。
壁に体を凭れ掛けさせ腕を組んで呆れを露にすれば、今にも泣きそうな顔でこちらを見てきた。
「・・・ボンゴレ」
「どういうつもりだ、ランボ。今日の仕事はお前に頼んでなかったと思ったけど?」
「・・・・・・」
「故意に俺の後をつけてきたな。ヒットマンとして俺に何か用事でも?」
「違います!俺がボンゴレを狙うなんて、そんなっ」
じとりと眉間に皺を寄せれば、びくりと面白いくらいに震えた子供は涙目になった。
涙腺の緩さは昔と少しも変わらない。
幹部の中でも一番幼い泣き虫ランボ。
その異質さゆえに本来はもっと厳しく当たらなくてはいけないのだが、どうにも彼を前にすると兄としての面が強く出てしまう。
嘆息して瞬きの内に気分を切り替えると、兄としての表情からドン・ボンゴレへと変貌する。
このままではいけないと、誰より綱吉が理解していた。
「自分の立場を理解してるのか、ランボ」
「でも・・・俺だって、ボンゴレを護りたいです!!ただでさえファミリーが違って予定から外されがちですし、せめてプライベートの時間だけでもあなたのために働きたいんです!」
「・・・はぁ」
意気込みは買ってやりたい。
けれど全てが空回りだ。
確かに年齢の割りにランボは経験豊富で強い。だが、それはあくまで年齢の割りに、だ。
綱吉や他の守護者の面々に比べるとどうしても未熟さが前面に来てしまう彼に足りないのは落ち着きと自信、そしていざと言うときの判断力。
若さゆえの未熟さ結構。後先考えず行動する情熱も時には必要だろう。
だが、それはあくまでフォローできる余裕がこちらにあれば許容できる話だ。
今の綱吉にその余裕も余力もなく、先走られれば自分だけでなく彼の命すら危うい。
甘いと罵られても仕方ないが、この年下の仲間を死なせたくなかった。
彼が子供の時分から面倒を見ているのだ、思い入れも一際強い。
贔屓するのではないが、他の守護者は共に死んでも、万が一でもこの子供には生き延びて欲しかった。
「今日はもう俺も屋敷に帰る。だからお前も自分のファミリーへ帰れ」
「ですがっ」
「このままじゃ俺も仕事にならないんだ。今日の同行者が笹川さんだから良かったものの、雲雀さんや獄寺君ならお前五体満足で帰れなかったぞ」
「・・・・・・」
「俺に俺の仕事があるように、お前にはお前の仕事があるはずだ。行け。お前が帰るべき場所へ」
唇を噛み締めて俯いた子は、身長こそ高くなってもいつまで経っても泣き虫ランボでしかなくて、だからこそこの手を放さなくてはと強く感じる。
子供の頃から成長を見守ってきた未熟で生意気でませたヒットマン。
だからこそ容易に手放せる彼に、昔と同じ微笑を向けた。
顔を歪めるランボは、葡萄飴が欲しいとダダを捏ねていた頃と全く変わっていない。
並ぼうと足掻く彼には申し訳ないけれど、将来を見て欲しい子供でしかなかった。
■に 二番目で幸せと言ったら怒るのでしょうね
「ついに明日か・・・」
正一と雲雀と三人で綿密に立てた計画を実行する日を目前に、自室のベッドの上で綱吉は苦笑した。
部屋に明かりは灯されてないが、闇に強い瞳は部屋の隅々まで見渡せる。
眠るときでも肌身離さず持っている銃を取り出し、片手で弄んだ。
武器の一つとして扱いを覚えこまされたそれを慣れた仕草で回して両手の間を行き来させる。
最大の武器であるXグローブはポケットの中に入れてあり、最近では眠る前には付けるようにしていた。
ボンゴレの最奥部にある綱吉の自室だが、ここも今では安全とは言い難い。
いつ敵の襲来に合うか判らず、ボンゴレの長として死ぬわけにいかない綱吉は日々用心を深めている。
ごろり、とベッドに寝転んで大の字になった。
耳が痛くなるくらいの静寂の中、壁に掛けられた時計の音だけが響く。
規則的な音を聞きながら思い出すのはただ一人の面影。
綱吉をドン・ボンゴレとして作り上げ、ニヒルな笑顔で去っていった最強のヒットマン。
「リボーン」
その名を呼んだのは、彼が死んだと報告を受けて以来だ。
口にするだけで複雑な想いがこみ上げるが、何故か悲しみは感じない。
未だに諦め悪く心の奥深くで彼の死を信じきれない自分がいるからで、その勘を綱吉は信じていた。
何しろ綱吉の磨きぬかれた直感は、リボーンにより成長させられたものだ。
ブラッド・オブ・ボンゴレ。
リボーンのしごきにより研ぎ澄まされた感覚を、他の何より信頼している。
これは経験による直感と違い、本当に山勘だ。だが外れることはない。
「お前はまだ生きている。そして、俺も」
心臓の上に手を置いてその鼓動を確かめる。
ドクリ、ドクリと鳴り響く音こそ綱吉の命そのもので、これが動き続ける限り諦めないと決めていた。
綱吉は一人じゃない。
沢山の仲間がいて護るべきファミリーがいる。
綱吉の命は綱吉だけのものじゃない。
絶対に天国には行けない穢れた魂だったとしても、ミルフィオーレにくれてやれるほど安価じゃないのだ。
「打てる手は全て打った。お前がいれば酷評するだろう作戦だけど、俺はそれを決行するよ。何しろお前のお陰で無駄に度胸だけはついた。俺には背負う者がいる。護るべき未来がある。だから一世一代の賭けに出るよ」
くつくつと喉を震わせて笑う。
賭けに負ければ綱吉は二度と目覚めない。
初めからイカサマと知っているレースで、勝負は一体どうつくのか。
今綱吉が生きている未来は他に例のない手段をとる。
様々な因果が交差して、新たな道を切り開ける幸運を持っている。
だから。
「眠ってるとこ悪いがお前にも協力してもらうよ、リボーン。過去の俺には過去のお前が必要だ。何しろ、お前は俺の家庭教師だからな」
悪戯を思いついたような子供の顔で楽しげに囁く。
声は闇に紛れて消えてしまったが、それでも高揚した気分は消えない。
何しろ綱吉は自分の勝利を疑ってない。
自分が呼ぶのは一番可能性があった頃の自分だ。
今よりも覚悟もなくて未熟で弱く頭も悪いが、それでもあの頃の成長は目を見張るものがあった。
まだ何色にも染まりきってないからこそ彼らには道がある。
そしてありがたいことに、自分は一人ではなかった。
「守護者の皆、何も言わずに巻き込んでごめん。それでも君たちが俺には必要だ。ヴァリアーの皆、俺が居ない間ここの守りを頼んだ。ディーノさん、雲雀さんのフォローよろしく。そして俺の最凶の先生、俺たちのこと頼んだよ」
明日の今頃には綱吉は死んでいる。
否、正確には仮死状態に陥ってるだろう。
医者ですら判別つかない状態まで深く意識を落とし、過去の人間に自分の未来を全て委ねる。
負ければ綱吉は存在から消える。
過去が死んだら『今』の自分は存在しないからだ。
眠ったまま『なかったこと』にされるのだろう。
「それでも俺は後悔しない。俺は俺自身を信じてる。お前が教育した俺を、俺を助けてくれる仲間を、そして───最悪な家庭教師を信じてる」
瞼を閉じれば小ばかにしたような独特の笑みが脳裏に浮かぶ。
この場に居ない彼に背中を押された気がして、あの日から初めて一粒だけ涙を零した。
■いつか どうしても 悲しいときに
「君なら僕に協力してくれるかなって思ってたんだけどな」
食えない笑顔を浮かべる真っ白な青年に、綱吉は艶やかな視線を送る。
余裕たっぷりな態度は圧倒的劣勢に立つ人間とは思えないほどふてぶてしい。
机の上に肘をつき両手を組んでその上に顎を乗せると、目元を綻ばして微笑みと酷似した表情を浮かべた。
軍服のような服を纏う白蘭と違い、同色であるがきっちりとしたクラシコスーツを着た綱吉は、ファニーフェイスで小首を傾げる。
「俺がお前に協力する?寝言は寝てから言った方がいい。そうじゃなければ今すぐ病院へ行くんだな。そうだな・・・お前なら、脳外科か精神科か、それとも小児科になるのかな?」
魅力的な笑顔と反して放たれる毒舌に、白蘭ではなく周りの幹部がざわめいた。
今綱吉がいるのは味方に囲まれた安全地ではなく、ミルフィオーレしかいない彼らの本拠地の一室だ。
そこにたった一人で招待され白蘭と対峙し、それでも一切態度は変えない。
座った度胸を気に入ったのか、面白い玩具を見つけた子供みたいな顔で白蘭が頷いた。
「さすが綱吉君。いい度胸をしてるよね。ミルフィオーレの本拠地でそのボスを前にして、さらに幹部に囲われながらも全く態度に怯みがない。どころか普段通りの冷静さ、恐れ入るよ」
「俺にもお前に感心される部分があったのか。それは驚きだな」
「あれ?勘違いしないでよ、綱吉君。僕は君が結構好きだし尊敬してる。何しろ、君は何処の世界にいても『沢田綱吉』だ。それはいっそ、不思議なくらいにね」
「お前の言葉だと褒められてる気がしないな。それに俺は俺で比較の対象はない」
「・・・残念だな。君はいつだって僕と友達になってくれない。僕は毎回こうして場を設けているのに、『僕の欲しい君』は、『ドン・ボンゴレ』は、絶対に僕のものになってくれない。どうしてだろうね?」
「真っ当な価値観があるからだろうよ。───とにかく交渉は決裂だ。俺たちのリングはお前に渡さない」
「その結果残された君の仲間が烏合の集と化したとしても?抵抗の術なく死ねと彼らに言うの?」
「俺の部下はそんなに弱くない。俺よりずっと心が強い奴らばかりだ」
「そう」
笑みを深めた白蘭が、机の上のマシュマロを一つ摘んで口に入れた。
美味しそうに租借しながら、すっと片手を上げて合図をする。
斜め後ろに立って控えていた正一がそれに頷くと、懐から銃を出してスライドをずらした。
弾が装填された音が響き、瞳をすっと細める。
「俺を殺すか?」
「うん。どうやったって君は友達になってくれなさそうだし、また次の世界で誘ってみるよ」
「・・・次があるかな?」
「あるよ。僕、君より強いから」
ふふふと邪気なく笑う男の瞳は暗く濁っていた。
名前負けした奴だ、と緩く口端を持ち上げる。
ちらりと視線を正一へ向ければ、一切感情をそぎ落とした表情で、けれど僅かに銃口を震わせていた。
頭脳派の正一には暴力沙汰は似合わない。思わず素で苦笑した。
「おいおい、どうせなら一発でやってくれよ。無駄に苦しみたくない」
「それもそうだね。正ちゃん、それ僕に貸して」
「え?でも」
「いいな。俺も一幹部に命を取られるより、ボスにやられた方が箔がつく」
正一から銃を無理やりに奪った白蘭が、今度は震えなく真っ直ぐな銃口を向けてきた。
笑顔の奥に狂気を宿す彼の瞳を覗きこみ、精々同じように笑ってやる。
親指で心臓を叩くと、小首を傾げた。
「きっちりと狙ってくれよ。この距離で外されたら俺も浮かばれない」
「まかせて、綱吉君。おやすみ。そして───また何処かの世界で遊ぼうね」
ぱん、と乾いた音が聞こえるか聞こえないかの間に意識が暗転する。
ついに動き出した歯車に、誰にも気づかれぬよううっそりと嗤った。
この別れは一時のもの。
どうか嘆かないで下さい。これは始まりに過ぎません。
どうか諦めないで下さい。これは終わりではありません。
勝つために選んだ布石の一つで、更なる可能性に賭けた結果です。
愛すべき我が家族よ、愛しき仲間たちよ。
ほんの暫しの別れです。
次に目覚めた時、笑顔で君たちに会いに行きます。
怒りも嘆きもその時に受け止めます。
だからどうか───俺が行くまで、死なずに生きていてください。
いつか、どうしても悲しい時は。
どうか俺の言葉を、俺の行動を、俺の全てを思い出して。
ほんの暫しの別れです。
どうか生き抜いて、また会いましょう。
--お題サイト:afaikさまより--
*4部作です。
■と 吐息に全部を溶かすから、言葉は信じないでくれ
「跳ね馬ディーノ。あなたには日本へ渡ってもらう」
顔色一つ変えずに告げれば、珍しいことにマフィアのボスとして綱吉の前に立つ彼はぴくりと眉を動かした。
兄貴分としてなら表情豊かな人だが、今の彼はただのディーノとしているのではない。
ボンゴレの同盟ファミリーの一員として存在するはずなのに、誰よりそれを理解している彼らしくない表情の変化だった。
自身の机の上に両肘をつき、汲んだ掌の上に顎を乗せた綱吉はそれを下から見上げるように観察しながら目を細める。
今の自分は彼の弟分ではなくディーノの上に立つ人間として指示を出しているのだ。
これしきで動揺されてはとても先に進めない。
何しろ彼は重要な駒の一つとして組み込まれている。
綱吉の僅かな表情の変化に気がついたのか、ディーノはまた表情を消した。
黒のスーツといういでだちも含め、今の彼を普段の陽気な兄貴と捉えるものは居ないだろう。
それくらいぴりぴりとした雰囲気を纏った彼は、薄い唇をゆっくりと持ち上げた。
「お言葉ですが、ドン・ボンゴレ。それではイタリア本部の守りが手薄になります。それとも───強固なボンゴレの守りには私のような中堅マフィアなど必要ないということでしょうか?」
「・・・本当に言葉が過ぎるな、跳ね馬。だがその疑問も最もだ」
「なら」
「しかし君に質問権はない。『Si o No?』と聞いている」
猛獣が獲物を狙うよう、じりじりとディーノを追い詰める。
普段の穏やかとも言える気性を知る人間からすればこの変化は劇的らしい。
兄弟子である彼も優秀だったろうが、綱吉はリボーンに最高傑作と言わしめた『作品』だ。
瞬き一つで雰囲気を一変させる術も、相手を精神的に追い詰める術も心得ている。
露にした苛立ちは作り出したもので本気ではないが関係ない。
見せるための怒りがあると、この立場になり始めて知った。
権力を最大限に利用しなくてはいけない場面が時としてあり、綱吉にとっては今この瞬間がまさしくそれだった。
「俺はお願いしてるんじゃない」
「・・・・・・」
「キャバッローネファミリーの長、跳ね馬ディーノ。同盟ファミリーの中でも一際篤い忠心を捧げる君を俺は信頼している。その信頼に応えて欲しいと、そう望んでいるだけだ」
言葉は全くの嘘じゃない。
ドン・キャバッローネとして彼の耳にも様々な情報が入ってきているはずだ。
イタリアはボンゴレだけでなくキャバッローネの本拠地もある。
それを含めてこの地を離れ難いのだろうが、彼の気持ちを理解した上で、それでも綱吉はディーノに動いてもらわなくてはならなかった。
彼自身が育てたと言っても過言ではない、過去の雲雀のサポート役として。
現代のリボーンが居ない今、雲雀を扱えるのはディーノくらいだ。
ぎりぎりまでイタリアに残ってもらって構わないが、最悪過去と現在が入れ替わる頃には日本に居て欲しい。
「出発時期は再来週の俺が奴らと対談する当日。一番奴らの監視が薄くなる時間帯に立ってくれ」
「っ!?それじゃ俺はドン・ボンゴレの護衛にすら加わるなと言うことですか?」
「そうなるな。話はそれだけだ」
行っていいと手を振れば、ぎりりと奥歯を噛み締める音がここまで聞こえた。
だが、前言を撤回する気はない。
信頼しているファミリーだと告げながら、その実一番重要に見えるミルフィオーレとの会談には連れて行かないと言われればこの反応も妥当だろう。
場には綱吉だけでなく幾人かの同盟ファミリーのボスも同席する手筈になっている。
大よそ処刑を見届けるメンバーとして連れて来いという意味だろうから、誰にするかも選び終えていた。
少なくとも───綱吉の盾になろうとする忠臣は、そこに居てはいけない。
筋書きが狂うし、役立つ人物は書いた筋書きに登場してもらいたかった。
一礼すると背を向けたディーノは真っ直ぐに出口へ向かう。
ドアノブに手を掛けたところで動きを止めると、溜まらずに口に出したとばかりに迸る感情を露にした。
「これは独り言です」
「・・・・・・」
「頼むから、死なないでくれツナ。お前まで居なくなれば、俺は───本気で死にたくなる」
苦渋を滲ませた声は、ファミリーの長として綱吉の前で出すには不適切だ。
だが信頼する師を失った弟を心配する兄としては妥当なもので、だからこそ何も言わず綱吉はそれを許容した。
静かに姿を消した彼の残像を追うように瞳を細め、うっそりと溜め込んだ気持ちを吐き出す。
「それは俺の台詞です、ディーノさん。どうか、ご武運を」
今からバトンタッチする綱吉ではなく、きっと彼にこそ必要な祈りであろうから。
■き 君を愛するのはあまりにも簡単すぎた
背後をちょろちょろとする気配に綱吉は嘆息した。
運よく今日は連れてる護衛が笹川で、ちらりと視線を上げると心得たように頷く。
一言と断ってから業とらしく離れた彼の背を見送ると、そのまま路地へ足を向けた。
本来、ドン・ボンゴレである綱吉が護衛もつけず一人歩きなど考えられない。
実際今も距離を置いて気配を隠してもらっただけで、何かあったときすぐに駆けつけれる距離に笹川はいる。
それ以外にも数人のSPが居たが、笹川一人で十分、むしろ足手まといだと告げたお陰で彼らは今日は留守番だ。
知っているとは思わないが、運がいい子だったなと思い返しながらまた一つ路地を曲がる。
初めて足を踏み入れる場所だが何処が安全か、何処に向かえば都合がいいかは優秀な血が教えてくれた。
足早に連続して角を曲がり、空いていた隙間に身を隠す。
すると目的の人物は焦ったように走りこみ、そこが行き止まりと知ると息を呑んだ。
「一体何処へ・・・」
「ここだよ」
「っ!!?」
背後から判りやすく気配を出現させて近寄れば、びくりと体を竦ませた子供はこちらを振り返った。
特徴的な癖毛に、端整でありながらも垂れ目のお陰で締まらない顔。優男の雰囲気を全身から発する弟分に、綱吉は息を吐き出した。
昔は無駄に自信満々で威勢が良かった弟分は、何処でどうしてこうなったのかわからないヘタレた空気を醸し出している。
壁に体を凭れ掛けさせ腕を組んで呆れを露にすれば、今にも泣きそうな顔でこちらを見てきた。
「・・・ボンゴレ」
「どういうつもりだ、ランボ。今日の仕事はお前に頼んでなかったと思ったけど?」
「・・・・・・」
「故意に俺の後をつけてきたな。ヒットマンとして俺に何か用事でも?」
「違います!俺がボンゴレを狙うなんて、そんなっ」
じとりと眉間に皺を寄せれば、びくりと面白いくらいに震えた子供は涙目になった。
涙腺の緩さは昔と少しも変わらない。
幹部の中でも一番幼い泣き虫ランボ。
その異質さゆえに本来はもっと厳しく当たらなくてはいけないのだが、どうにも彼を前にすると兄としての面が強く出てしまう。
嘆息して瞬きの内に気分を切り替えると、兄としての表情からドン・ボンゴレへと変貌する。
このままではいけないと、誰より綱吉が理解していた。
「自分の立場を理解してるのか、ランボ」
「でも・・・俺だって、ボンゴレを護りたいです!!ただでさえファミリーが違って予定から外されがちですし、せめてプライベートの時間だけでもあなたのために働きたいんです!」
「・・・はぁ」
意気込みは買ってやりたい。
けれど全てが空回りだ。
確かに年齢の割りにランボは経験豊富で強い。だが、それはあくまで年齢の割りに、だ。
綱吉や他の守護者の面々に比べるとどうしても未熟さが前面に来てしまう彼に足りないのは落ち着きと自信、そしていざと言うときの判断力。
若さゆえの未熟さ結構。後先考えず行動する情熱も時には必要だろう。
だが、それはあくまでフォローできる余裕がこちらにあれば許容できる話だ。
今の綱吉にその余裕も余力もなく、先走られれば自分だけでなく彼の命すら危うい。
甘いと罵られても仕方ないが、この年下の仲間を死なせたくなかった。
彼が子供の時分から面倒を見ているのだ、思い入れも一際強い。
贔屓するのではないが、他の守護者は共に死んでも、万が一でもこの子供には生き延びて欲しかった。
「今日はもう俺も屋敷に帰る。だからお前も自分のファミリーへ帰れ」
「ですがっ」
「このままじゃ俺も仕事にならないんだ。今日の同行者が笹川さんだから良かったものの、雲雀さんや獄寺君ならお前五体満足で帰れなかったぞ」
「・・・・・・」
「俺に俺の仕事があるように、お前にはお前の仕事があるはずだ。行け。お前が帰るべき場所へ」
唇を噛み締めて俯いた子は、身長こそ高くなってもいつまで経っても泣き虫ランボでしかなくて、だからこそこの手を放さなくてはと強く感じる。
子供の頃から成長を見守ってきた未熟で生意気でませたヒットマン。
だからこそ容易に手放せる彼に、昔と同じ微笑を向けた。
顔を歪めるランボは、葡萄飴が欲しいとダダを捏ねていた頃と全く変わっていない。
並ぼうと足掻く彼には申し訳ないけれど、将来を見て欲しい子供でしかなかった。
■に 二番目で幸せと言ったら怒るのでしょうね
「ついに明日か・・・」
正一と雲雀と三人で綿密に立てた計画を実行する日を目前に、自室のベッドの上で綱吉は苦笑した。
部屋に明かりは灯されてないが、闇に強い瞳は部屋の隅々まで見渡せる。
眠るときでも肌身離さず持っている銃を取り出し、片手で弄んだ。
武器の一つとして扱いを覚えこまされたそれを慣れた仕草で回して両手の間を行き来させる。
最大の武器であるXグローブはポケットの中に入れてあり、最近では眠る前には付けるようにしていた。
ボンゴレの最奥部にある綱吉の自室だが、ここも今では安全とは言い難い。
いつ敵の襲来に合うか判らず、ボンゴレの長として死ぬわけにいかない綱吉は日々用心を深めている。
ごろり、とベッドに寝転んで大の字になった。
耳が痛くなるくらいの静寂の中、壁に掛けられた時計の音だけが響く。
規則的な音を聞きながら思い出すのはただ一人の面影。
綱吉をドン・ボンゴレとして作り上げ、ニヒルな笑顔で去っていった最強のヒットマン。
「リボーン」
その名を呼んだのは、彼が死んだと報告を受けて以来だ。
口にするだけで複雑な想いがこみ上げるが、何故か悲しみは感じない。
未だに諦め悪く心の奥深くで彼の死を信じきれない自分がいるからで、その勘を綱吉は信じていた。
何しろ綱吉の磨きぬかれた直感は、リボーンにより成長させられたものだ。
ブラッド・オブ・ボンゴレ。
リボーンのしごきにより研ぎ澄まされた感覚を、他の何より信頼している。
これは経験による直感と違い、本当に山勘だ。だが外れることはない。
「お前はまだ生きている。そして、俺も」
心臓の上に手を置いてその鼓動を確かめる。
ドクリ、ドクリと鳴り響く音こそ綱吉の命そのもので、これが動き続ける限り諦めないと決めていた。
綱吉は一人じゃない。
沢山の仲間がいて護るべきファミリーがいる。
綱吉の命は綱吉だけのものじゃない。
絶対に天国には行けない穢れた魂だったとしても、ミルフィオーレにくれてやれるほど安価じゃないのだ。
「打てる手は全て打った。お前がいれば酷評するだろう作戦だけど、俺はそれを決行するよ。何しろお前のお陰で無駄に度胸だけはついた。俺には背負う者がいる。護るべき未来がある。だから一世一代の賭けに出るよ」
くつくつと喉を震わせて笑う。
賭けに負ければ綱吉は二度と目覚めない。
初めからイカサマと知っているレースで、勝負は一体どうつくのか。
今綱吉が生きている未来は他に例のない手段をとる。
様々な因果が交差して、新たな道を切り開ける幸運を持っている。
だから。
「眠ってるとこ悪いがお前にも協力してもらうよ、リボーン。過去の俺には過去のお前が必要だ。何しろ、お前は俺の家庭教師だからな」
悪戯を思いついたような子供の顔で楽しげに囁く。
声は闇に紛れて消えてしまったが、それでも高揚した気分は消えない。
何しろ綱吉は自分の勝利を疑ってない。
自分が呼ぶのは一番可能性があった頃の自分だ。
今よりも覚悟もなくて未熟で弱く頭も悪いが、それでもあの頃の成長は目を見張るものがあった。
まだ何色にも染まりきってないからこそ彼らには道がある。
そしてありがたいことに、自分は一人ではなかった。
「守護者の皆、何も言わずに巻き込んでごめん。それでも君たちが俺には必要だ。ヴァリアーの皆、俺が居ない間ここの守りを頼んだ。ディーノさん、雲雀さんのフォローよろしく。そして俺の最凶の先生、俺たちのこと頼んだよ」
明日の今頃には綱吉は死んでいる。
否、正確には仮死状態に陥ってるだろう。
医者ですら判別つかない状態まで深く意識を落とし、過去の人間に自分の未来を全て委ねる。
負ければ綱吉は存在から消える。
過去が死んだら『今』の自分は存在しないからだ。
眠ったまま『なかったこと』にされるのだろう。
「それでも俺は後悔しない。俺は俺自身を信じてる。お前が教育した俺を、俺を助けてくれる仲間を、そして───最悪な家庭教師を信じてる」
瞼を閉じれば小ばかにしたような独特の笑みが脳裏に浮かぶ。
この場に居ない彼に背中を押された気がして、あの日から初めて一粒だけ涙を零した。
■いつか どうしても 悲しいときに
「君なら僕に協力してくれるかなって思ってたんだけどな」
食えない笑顔を浮かべる真っ白な青年に、綱吉は艶やかな視線を送る。
余裕たっぷりな態度は圧倒的劣勢に立つ人間とは思えないほどふてぶてしい。
机の上に肘をつき両手を組んでその上に顎を乗せると、目元を綻ばして微笑みと酷似した表情を浮かべた。
軍服のような服を纏う白蘭と違い、同色であるがきっちりとしたクラシコスーツを着た綱吉は、ファニーフェイスで小首を傾げる。
「俺がお前に協力する?寝言は寝てから言った方がいい。そうじゃなければ今すぐ病院へ行くんだな。そうだな・・・お前なら、脳外科か精神科か、それとも小児科になるのかな?」
魅力的な笑顔と反して放たれる毒舌に、白蘭ではなく周りの幹部がざわめいた。
今綱吉がいるのは味方に囲まれた安全地ではなく、ミルフィオーレしかいない彼らの本拠地の一室だ。
そこにたった一人で招待され白蘭と対峙し、それでも一切態度は変えない。
座った度胸を気に入ったのか、面白い玩具を見つけた子供みたいな顔で白蘭が頷いた。
「さすが綱吉君。いい度胸をしてるよね。ミルフィオーレの本拠地でそのボスを前にして、さらに幹部に囲われながらも全く態度に怯みがない。どころか普段通りの冷静さ、恐れ入るよ」
「俺にもお前に感心される部分があったのか。それは驚きだな」
「あれ?勘違いしないでよ、綱吉君。僕は君が結構好きだし尊敬してる。何しろ、君は何処の世界にいても『沢田綱吉』だ。それはいっそ、不思議なくらいにね」
「お前の言葉だと褒められてる気がしないな。それに俺は俺で比較の対象はない」
「・・・残念だな。君はいつだって僕と友達になってくれない。僕は毎回こうして場を設けているのに、『僕の欲しい君』は、『ドン・ボンゴレ』は、絶対に僕のものになってくれない。どうしてだろうね?」
「真っ当な価値観があるからだろうよ。───とにかく交渉は決裂だ。俺たちのリングはお前に渡さない」
「その結果残された君の仲間が烏合の集と化したとしても?抵抗の術なく死ねと彼らに言うの?」
「俺の部下はそんなに弱くない。俺よりずっと心が強い奴らばかりだ」
「そう」
笑みを深めた白蘭が、机の上のマシュマロを一つ摘んで口に入れた。
美味しそうに租借しながら、すっと片手を上げて合図をする。
斜め後ろに立って控えていた正一がそれに頷くと、懐から銃を出してスライドをずらした。
弾が装填された音が響き、瞳をすっと細める。
「俺を殺すか?」
「うん。どうやったって君は友達になってくれなさそうだし、また次の世界で誘ってみるよ」
「・・・次があるかな?」
「あるよ。僕、君より強いから」
ふふふと邪気なく笑う男の瞳は暗く濁っていた。
名前負けした奴だ、と緩く口端を持ち上げる。
ちらりと視線を正一へ向ければ、一切感情をそぎ落とした表情で、けれど僅かに銃口を震わせていた。
頭脳派の正一には暴力沙汰は似合わない。思わず素で苦笑した。
「おいおい、どうせなら一発でやってくれよ。無駄に苦しみたくない」
「それもそうだね。正ちゃん、それ僕に貸して」
「え?でも」
「いいな。俺も一幹部に命を取られるより、ボスにやられた方が箔がつく」
正一から銃を無理やりに奪った白蘭が、今度は震えなく真っ直ぐな銃口を向けてきた。
笑顔の奥に狂気を宿す彼の瞳を覗きこみ、精々同じように笑ってやる。
親指で心臓を叩くと、小首を傾げた。
「きっちりと狙ってくれよ。この距離で外されたら俺も浮かばれない」
「まかせて、綱吉君。おやすみ。そして───また何処かの世界で遊ぼうね」
ぱん、と乾いた音が聞こえるか聞こえないかの間に意識が暗転する。
ついに動き出した歯車に、誰にも気づかれぬよううっそりと嗤った。
この別れは一時のもの。
どうか嘆かないで下さい。これは始まりに過ぎません。
どうか諦めないで下さい。これは終わりではありません。
勝つために選んだ布石の一つで、更なる可能性に賭けた結果です。
愛すべき我が家族よ、愛しき仲間たちよ。
ほんの暫しの別れです。
次に目覚めた時、笑顔で君たちに会いに行きます。
怒りも嘆きもその時に受け止めます。
だからどうか───俺が行くまで、死なずに生きていてください。
いつか、どうしても悲しい時は。
どうか俺の言葉を、俺の行動を、俺の全てを思い出して。
ほんの暫しの別れです。
どうか生き抜いて、また会いましょう。
更新内容
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(06/28)
(04/07)
(04/07)
(04/07)
(03/31)
(03/30)
(03/30)
(03/30)
(03/30)
(03/25)
(03/25)
(03/25)
(03/25)
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(03/14)
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