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指折り数えて待ち望んだ朝は、予想だにしない目覚めで始まった。
「Ciao!有人。Ciao,ciao!」
ぱん、と耳元でした炸裂音に目を白黒させて慌てて上半身を起こすと、ぎゅっと何かに抱きつかれた。
一瞬で暗くなった視界と押さえつけられた体に条件反射で抵抗しかけ、ほのかに香る甘い匂いに動きを止める。
咲き誇る花のように鮮やかで、それでいてしつこくないこの香りの持ち主を有人は一人しか知らない。
痛いくらいの抱擁がとかれてゆっくりと顔を上げると、吐息が触れるほどの近い距離に栗色の大きな瞳があり、有人はぱっと微笑んだ。
「姉さん!」
「よ、有人!メリークリスマス!」
にっと笑った守は、ノンフレームの眼鏡を外すと有人の頬へリップ音を立てて口付けた。
柔らかな感触に頬が自然と赤くなる。
興奮で瞳が潤み、何故か知らないが泣きたくなった。
サンタに願った贈り物は、最新のゲームでも珍しい模型でも真新しいサッカーぼるでもない。
クリスマス当日の朝に約束どおり帰ってきてくれた姉は何よりも最高のプレゼント。
連日連夜国を跨いでパーティーめぐりだった守は、確か昨日までは許婚のエドガーの自国であるイギリスに居たはずだ。
先回日本で会ったときにクリスマスプレゼントは何がいいと聞かれたので、正直に『姉さんがいい』と言ったのだが、ちゃんと彼女のスケジュールを把握してからにすればよかった。
何しろここ十日で六回はパーティーに出ているだろう守は、鬼道の娘としての役割と、バルチナス財閥の跡取りの許婚としての役割が重なりヨーロッパとアジアを行き来している。
いくらタフな姉でも疲れないはずがない。
クリスマスパーティと銘打っても所詮は社交の場だ。飲んで騒いで羽目を外すものではなく、節度と品を保ちつつ情報交換するのが本来の目的になる。
鬼道財閥の本拠地である日本のパーティーに四回顔を出しただけで気力が萎えたのだから、彼女の疲れはもっと酷いだろう。
眉が下がり情けない表情になった有人にもう一度口付けると、また遠慮のない力で抱き込まれた。
「姉さん、苦しい」
「んー、苦しいか。そりゃよかった。生きてる証拠だ」
「姉さん!」
「嫌か?」
「・・・嫌じゃない、けど」
「ならいいだろ」
痛いくらいの力で抱きしめられるのはいつものことだが、何か違和感を感じた。
いつもなら抱きしめる間も絶えず話をしているのに、今日に限って口を開かない。
姉に抱擁されるのは大好きだが、一体どうしてしまったのか。
飛びついた守の勢いでベッドのシーツは乱れたままだし、毛布は変な形で足に挟まっている。
きっと守が部屋に入った時点で着けてくれたのだろうヒーターのお陰で寒くはないが、時計が見えないから時間の感覚がわからない。
どれくらいそうしていたのだろう。
守の手がゆっくりと有人の頭へと伸び、幾度も繰り返し撫で始めた。
「有人はあったかいな」
「?何を唐突に」
「こうして腕に抱いてるとさ、じんわりと温もりが伝わってくる。お前の方が俺より体温が高いんだよな」
「・・・姉さん、擽ったい」
頬を摺り寄せられ、目を眇める。
守にしては珍しい触れるか触れないかのスキンシップは羽毛で頬を撫でられるようで擽ったい。
思わず首を竦めると逃げるなとばかりに体を抱く腕に力が入った。
「姉さん、どうかしたのか?変だ」
「変?そうか?───もしかしたら、時差で寝ぼけてるのかも。ヨーロッパと日本じゃ半日は違うからなぁ」
「寝ぼける?姉さんが?俺より遥かに寝起きがいいのに?」
「俺だって寝ぼけるときはあるさ。有人は抱き枕代わり」
「俺が姉さんの抱き枕?」
「そう、有人は俺だけの抱き枕ー」
ぐいっと体が押されてベッドに沈み込む。
幸い着地点は柔らかなウォーターベッドだったので痛みは感じないが、また視界が真っ暗になってしまった。
時間は大丈夫だろうか、と頭のどこかが考えるが抗うなんて選択肢はない。
もしかしたら、甘えられてるのだろうか。
ぎゅうぎゅうと有人を抱きしめる守は言葉の変わりに想いを欲している気がした。
やっぱり時差など関係なく疲れているんだろう。
「姉さんが望むなら、俺はずっと抱き枕でもいい」
「マジで?ずっとってどれくらいの間?」
「姉さんが満足するまで」
「んじゃ、今日一日は離れないな」
「判った」
迷いなく頷くと、顔を離した守はまじまじと有人を見詰めて、眉を下げて笑った。
その笑顔が酷く哀しそうに見えて思わず自分からもひしっと抱きつく。
くっついたことでじんわりとした熱が伝染し、布団の中に居るより暖かくなって、またうとうとと眠気が催す。
「なぁ有人。お前は居なくなったりしないよな?」
「・・・どうしたんだ?」
「お前は俺が帰る場所で待っててくれるよな?俺が何処に行ったとしても、『おかえり』って今日みたいに抱きしめ返してくれるよな?」
半分以上眠りに落ちている状態で問いかけられ、うっすらと瞼を持ち上げて守の顔を覗き見た。
けれど視認する前に少しだけ固い掌に視界を遮られ、ぐっと眉間に皺を寄せる。
暗くなったことで意識が落ちる速度が加速し、睡魔が急激に襲ってきた。
有人にとって守の存在は強い睡眠剤のようなものだ。
誰よりも何よりも信頼し、安心できる存在の傍に居ることで心の警戒心が緩む。
この家に引き取られたときから彼女に抱きしめられて眠るのに慣れさせられた。
抵抗する隙もなく眠りに落ちるのは最早条件反射に近い。
それでも残っている意識でこれだけは、と鈍い舌を必死に動かす。
「・・・とう、ぜんだ。ねえさんがかえってくるのは、おれのとこで、おれはおかえりって、ねえさんにぎゅってだきつくんだ」
「そっか。当然か」
「うん・・・。ねえさん、ねむい」
「寝ていいよ。時間がきたら起こしてやる。子守唄は必要か」
「・・・うん」
「よし来た」
一度離れた体に眉根を寄せると、柔らかな布団と共に温もりが戻ってきた。
目の前にある温もりに頬を寄せると、甘えん坊だなと苦笑と共に優しい手が髪を梳く。
「Ninna nanna mamma tienimi con te・・・」
甘やかな声音が耳朶を震わす。
遠い異国の子守唄は、優しく可愛らしい音だった。
「・・・傍に居なくてもいいからさ、お前は生きてよ有人」
ゆったりとした気持ちで眠りに落ちる最中、温もりを分け合う距離に居ながら泣きそうな守の声を聞いた気がした。
「Ciao!有人。Ciao,ciao!」
ぱん、と耳元でした炸裂音に目を白黒させて慌てて上半身を起こすと、ぎゅっと何かに抱きつかれた。
一瞬で暗くなった視界と押さえつけられた体に条件反射で抵抗しかけ、ほのかに香る甘い匂いに動きを止める。
咲き誇る花のように鮮やかで、それでいてしつこくないこの香りの持ち主を有人は一人しか知らない。
痛いくらいの抱擁がとかれてゆっくりと顔を上げると、吐息が触れるほどの近い距離に栗色の大きな瞳があり、有人はぱっと微笑んだ。
「姉さん!」
「よ、有人!メリークリスマス!」
にっと笑った守は、ノンフレームの眼鏡を外すと有人の頬へリップ音を立てて口付けた。
柔らかな感触に頬が自然と赤くなる。
興奮で瞳が潤み、何故か知らないが泣きたくなった。
サンタに願った贈り物は、最新のゲームでも珍しい模型でも真新しいサッカーぼるでもない。
クリスマス当日の朝に約束どおり帰ってきてくれた姉は何よりも最高のプレゼント。
連日連夜国を跨いでパーティーめぐりだった守は、確か昨日までは許婚のエドガーの自国であるイギリスに居たはずだ。
先回日本で会ったときにクリスマスプレゼントは何がいいと聞かれたので、正直に『姉さんがいい』と言ったのだが、ちゃんと彼女のスケジュールを把握してからにすればよかった。
何しろここ十日で六回はパーティーに出ているだろう守は、鬼道の娘としての役割と、バルチナス財閥の跡取りの許婚としての役割が重なりヨーロッパとアジアを行き来している。
いくらタフな姉でも疲れないはずがない。
クリスマスパーティと銘打っても所詮は社交の場だ。飲んで騒いで羽目を外すものではなく、節度と品を保ちつつ情報交換するのが本来の目的になる。
鬼道財閥の本拠地である日本のパーティーに四回顔を出しただけで気力が萎えたのだから、彼女の疲れはもっと酷いだろう。
眉が下がり情けない表情になった有人にもう一度口付けると、また遠慮のない力で抱き込まれた。
「姉さん、苦しい」
「んー、苦しいか。そりゃよかった。生きてる証拠だ」
「姉さん!」
「嫌か?」
「・・・嫌じゃない、けど」
「ならいいだろ」
痛いくらいの力で抱きしめられるのはいつものことだが、何か違和感を感じた。
いつもなら抱きしめる間も絶えず話をしているのに、今日に限って口を開かない。
姉に抱擁されるのは大好きだが、一体どうしてしまったのか。
飛びついた守の勢いでベッドのシーツは乱れたままだし、毛布は変な形で足に挟まっている。
きっと守が部屋に入った時点で着けてくれたのだろうヒーターのお陰で寒くはないが、時計が見えないから時間の感覚がわからない。
どれくらいそうしていたのだろう。
守の手がゆっくりと有人の頭へと伸び、幾度も繰り返し撫で始めた。
「有人はあったかいな」
「?何を唐突に」
「こうして腕に抱いてるとさ、じんわりと温もりが伝わってくる。お前の方が俺より体温が高いんだよな」
「・・・姉さん、擽ったい」
頬を摺り寄せられ、目を眇める。
守にしては珍しい触れるか触れないかのスキンシップは羽毛で頬を撫でられるようで擽ったい。
思わず首を竦めると逃げるなとばかりに体を抱く腕に力が入った。
「姉さん、どうかしたのか?変だ」
「変?そうか?───もしかしたら、時差で寝ぼけてるのかも。ヨーロッパと日本じゃ半日は違うからなぁ」
「寝ぼける?姉さんが?俺より遥かに寝起きがいいのに?」
「俺だって寝ぼけるときはあるさ。有人は抱き枕代わり」
「俺が姉さんの抱き枕?」
「そう、有人は俺だけの抱き枕ー」
ぐいっと体が押されてベッドに沈み込む。
幸い着地点は柔らかなウォーターベッドだったので痛みは感じないが、また視界が真っ暗になってしまった。
時間は大丈夫だろうか、と頭のどこかが考えるが抗うなんて選択肢はない。
もしかしたら、甘えられてるのだろうか。
ぎゅうぎゅうと有人を抱きしめる守は言葉の変わりに想いを欲している気がした。
やっぱり時差など関係なく疲れているんだろう。
「姉さんが望むなら、俺はずっと抱き枕でもいい」
「マジで?ずっとってどれくらいの間?」
「姉さんが満足するまで」
「んじゃ、今日一日は離れないな」
「判った」
迷いなく頷くと、顔を離した守はまじまじと有人を見詰めて、眉を下げて笑った。
その笑顔が酷く哀しそうに見えて思わず自分からもひしっと抱きつく。
くっついたことでじんわりとした熱が伝染し、布団の中に居るより暖かくなって、またうとうとと眠気が催す。
「なぁ有人。お前は居なくなったりしないよな?」
「・・・どうしたんだ?」
「お前は俺が帰る場所で待っててくれるよな?俺が何処に行ったとしても、『おかえり』って今日みたいに抱きしめ返してくれるよな?」
半分以上眠りに落ちている状態で問いかけられ、うっすらと瞼を持ち上げて守の顔を覗き見た。
けれど視認する前に少しだけ固い掌に視界を遮られ、ぐっと眉間に皺を寄せる。
暗くなったことで意識が落ちる速度が加速し、睡魔が急激に襲ってきた。
有人にとって守の存在は強い睡眠剤のようなものだ。
誰よりも何よりも信頼し、安心できる存在の傍に居ることで心の警戒心が緩む。
この家に引き取られたときから彼女に抱きしめられて眠るのに慣れさせられた。
抵抗する隙もなく眠りに落ちるのは最早条件反射に近い。
それでも残っている意識でこれだけは、と鈍い舌を必死に動かす。
「・・・とう、ぜんだ。ねえさんがかえってくるのは、おれのとこで、おれはおかえりって、ねえさんにぎゅってだきつくんだ」
「そっか。当然か」
「うん・・・。ねえさん、ねむい」
「寝ていいよ。時間がきたら起こしてやる。子守唄は必要か」
「・・・うん」
「よし来た」
一度離れた体に眉根を寄せると、柔らかな布団と共に温もりが戻ってきた。
目の前にある温もりに頬を寄せると、甘えん坊だなと苦笑と共に優しい手が髪を梳く。
「Ninna nanna mamma tienimi con te・・・」
甘やかな声音が耳朶を震わす。
遠い異国の子守唄は、優しく可愛らしい音だった。
「・・・傍に居なくてもいいからさ、お前は生きてよ有人」
ゆったりとした気持ちで眠りに落ちる最中、温もりを分け合う距離に居ながら泣きそうな守の声を聞いた気がした。
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イナビカリ修練場の地下にある建物に、目を瞬かせて嘆息する。
ここを設計した誰かは一体何を予見して作ったのかと問いたくなるような内装に、けれど素直なチームメイトたちは歓声を上げていた。
興奮する彼らを一歩離れた場所で観察していると、すぐ隣に豪炎寺が並んだ。
いつも通りに淡々とした態度の彼は、心なしかつい先日までと纏う空気が違っている。
「・・・夕香ちゃん、目を覚ましたのか?」
「!!?」
鎌をかける気はなかったのだが、ぼそりと囁いた一言に大袈裟なまでに体を震わせた豪炎寺に、当たりかと小さく微笑みかける。
すると周囲を窺い誰も見ていないのを確認してから、彼も微かに笑みを浮かべた。
「ああ。優勝報告をしに行ったときに」
「そっかぁ。そりゃ嬉しかったな」
「・・・だが、こんなときだから喜んでばかりはいられない」
「何でだよ。夕香ちゃんが目を覚ましたのと関係ないだろ。そこは兄貴として存分に喜べ」
後ろから肩を組み頬を近づけてにいっと笑うと、驚いたように瞳を丸め、ついで嬉しげに頷いた。
きっと今の状況を見て嬉しくても誰にも言えなかったのだろう。
仲間なんだから一緒に分かち合えばいいのに、変なところで空気を読む豪炎寺に苦笑した。
もっとも仲間が宇宙人にやられて入院した挙句、学校まで崩壊状態では無理もないかとも思うので、代わりに一人で仲間分祝福することにする。
「おめでと、豪炎寺。またひと段落したらさ、一緒にお見舞いに行ってもいい?」
「ああ、勿論だ。夕香も円堂に会いたいと言っていた。来てくれるなら、喜ぶ」
こくりと目元を綻ばせて喜びを表現した豪炎寺の肩を叩くと、いつの間にか騒がしかった仲間が静まり返っていた。
正面には理事長が立っていて、仲間たちは固唾を呑んで彼を見ていた。
入院していたはずだが、体は大丈夫なのだろうか。
観察すれば伸びきっていない背筋や呼吸するたびに揺れる体に不調を隠しているのかと推察し、無理を通さねばならぬ場面かと気を引き締める。
宇宙人とのサッカー対決は、知らされていない何か深いものが隠されているのかもしれない。
些細な動き一つ、表情が変わる瞬間に浮かぶ微表情にこそ注意しながら眺めていると、唐突に理事長が口を開いた。
「なんとしても欠けたイレブンを集め地上最強のサッカーチームを作らなければならない」
後ろ手を組み言い放つ理事長に、他の誰にも見えないよう顔を僅かに俯かせる。
地上最強。本当にそれを望むなら、こんな狭い国の中だけを見るものじゃない。
ならば国内で収めねばならない要因があると考察するのが自然だ。
臭いな、とポーカーフェイスの奥で考えていると、一通りの説明を済ました理事長から響木へとバトンが渡った。
「円堂、頼んだぞ」
さり気無い口調で全てを任され、小首を傾げる。
今の言い草だと、まるで彼はついて来ないみたいだ。
「・・・響木監督はどうされるんです?」
当然の質問には、理事長が答えてくれた。
小難しい顔のままの彼は、いかにも大人がする言い回しを使う。
「響木監督には私から頼んでいることがある。これもエイリア学園と戦うために必要なことだ」
「そんな」
「俺、監督いないなんていやっす」
「俺もでやんす!!」
不安げな声を上げた染岡に、年少組の二人も続く。
不満を訴える仲間の中でも栗松、壁山の年少組は幼さが抜けない。
彼らだけに限らないが、確かに監督が居ないと不安ではあるがこの場合大人の監督がいないわけがないと少し考えれば判るだろうに。
未熟さゆえに曇る観察眼に苦笑しながら彼らの騒ぎっぷりを眺めていると、響木が特に騒ぐ二人の頭を優しく撫でた。
「心配するな。俺は行かないが、新しい監督が就任する」
「新しい監督?」
「ああ」
驚きに瞳を丸めた面々を端に、入り口のドアが開いた。
現れたのは綺麗な女性だった。
真っ直ぐに伸びた黒髪に、目鼻立ちのくっきりした顔。
背筋を伸ばして大股に歩き、ハイヒールがかつんかつんと音を響かせる。
スタイルのよい体にジャケットが沿い、すらりとした長い足は濃い色合いのパンツで隠されていた。
「紹介しよう、新監督の吉良瞳子君だ」
「ちょっとがっかりですね、理事長。監督が居ないと何も出来ないお子様の集まりだなんて思いませんでした。本当にこの子達に地球の未来をたくせるんですか?彼らは一度、エイリア学園に負けているんですよ?」
ふさり、と髪を掻き上げて挑戦的な笑みを浮かべ哂った。
子供相手に中々な態度じゃない、と悟られないよう俯きがちにくすくすと笑う。
勝気な女性は嫌いじゃない。自分に自信がある人間も。
そして、不意に気がついた。彼女の顔に見覚えがあるのに。
顔を合わせて話をしていれば忘れるはずがない。
ならば、脳裏に残る程度───つまりすれ違うなり何なりしたことがある人物。
自慢じゃないが記憶力には自信がある。
立場上一度目にした相手は特徴を記憶し忘れない。
声も、姿も覚えがあるなら、彼女はいつかどこかで───。
首を捻る円堂を置いて、仲間たちは突然現れた新監督を名乗る女性に突っかかっている。
「俺たちは負けたままじゃ終らねぇ!」
「そうだ。絶対に次は勝つ!」
「ああ───俺たちは諦めない」
「諦めないことこそが俺たちのサッカーだ!そうだよな、守!」
「守?」
円堂の名を呟き訝しげな顔をした瞳子は、仲間の後ろに隠れるようにしていた円堂を見つけ瞳を丸めた。
真正面から合わさる瞳に、唐突に記憶が繋がる。
にいっと口角を持ち上げて楽しげに瞳を煌かせると、瞬く間に表情を隠した瞳子に近づいた。
「負けたままで終るつもりはありません、吉良新監督。少なくとも、この場に居るみんなは負けたからこその可能性がある。二度と負けたくないと思うから、もっともっと強くなれる。そう、思われませんか?」
黒縁眼鏡を指の腹で持ち上げながら問うと、戸惑ったように瞳を揺らして首を振った。
感情の切り替えが早いタイプなのだろう。次の瞬間にはまた好戦的な笑みに変わっている。
「頼もしいわね。でも私のサッカーは今までとは違うわよ。覚悟しておいて」
腕を組んで微笑む美女は中々に手強そうで、子猫のように警戒心に毛を逆立てる仲間にふむ、と頷く。
子供ゆえの鼻の良さは波乱万丈な旅路を予感させ、クツクツと喉を奮わせた。
「夕香、暫く来ることができなくなりそうなんだ。だからこれを、俺だと思ってくれよ」
一抱えもあるピンクの熊を椅子に置くと、瞳を細めて眠る妹の姿を眺める。
少し前まで一生目覚めないんじゃないかと不安に震えていた心は、今では大分落ち着いていた。
高揚する気分は収まらず、ふわふわとした雲の上を歩いているようだ。
幾度も夢に見た。幼い妹が目を覚まし、その瞳に自分を映してくれるのを。
目を覚まし何度絶望したか。夢なら目覚めないでいてくれればいいものを、と。
宇宙人の襲来なんて事態がなければずっと傍についているのだが、仲間の無念を晴らすためにも円堂たちと一緒に戦いたかった。
円堂が戦うというのなら、彼女の力に、支えになりたかった。
彼女が居なければ、豪炎寺は未だにサッカーなどしないで病院通いしているだけで、奇跡を信じきることも出来ずにいたと思う。
大好きなサッカーを、『お兄ちゃんがサッカーをしている姿を好き』だといってくれた妹を、全てを裏切り心の殻に閉じ篭っていたに違いない。
背中を押してくれた円堂は掛け替えのない存在で、隣に並んで立ちたい戦友で、それ以上に特別な人だった。
「宇宙人を倒したら、円堂と一緒にお見舞いに来る。だから少しだけ待っていてくれ」
「・・・・・・」
眠る妹の頬を撫でると、踵を返して歩き出す。
一度は膝を屈した宇宙人との戦いだが、再び見えるのに気負いはない。
完膚なきまでに叩きのめされた過去があっても前進できると信じている。
今回は先回と違う。雷門の守護神と呼ばれる、『円堂守』その人がいるのだから。
緩やかに唇が孤を描き、ドアノブを押し開けたところで動き止った。
目の前に立つ異色の三人組に、ひっそりと眉根が寄る。
身内を守ろうとする狼のように毛を逆立てて警戒心をあらわにして、豪炎寺は問いかけた。
「豪炎寺修也か。少しお話が」
「お前たちは」
「われわれはエイリア学園の志に賛同するものだ。君にお願いしたいことがありましてね」
ひっそりと近づく底の見えない闇に、豪炎寺は喉を鳴らして唾を飲み込んだ。
ここを設計した誰かは一体何を予見して作ったのかと問いたくなるような内装に、けれど素直なチームメイトたちは歓声を上げていた。
興奮する彼らを一歩離れた場所で観察していると、すぐ隣に豪炎寺が並んだ。
いつも通りに淡々とした態度の彼は、心なしかつい先日までと纏う空気が違っている。
「・・・夕香ちゃん、目を覚ましたのか?」
「!!?」
鎌をかける気はなかったのだが、ぼそりと囁いた一言に大袈裟なまでに体を震わせた豪炎寺に、当たりかと小さく微笑みかける。
すると周囲を窺い誰も見ていないのを確認してから、彼も微かに笑みを浮かべた。
「ああ。優勝報告をしに行ったときに」
「そっかぁ。そりゃ嬉しかったな」
「・・・だが、こんなときだから喜んでばかりはいられない」
「何でだよ。夕香ちゃんが目を覚ましたのと関係ないだろ。そこは兄貴として存分に喜べ」
後ろから肩を組み頬を近づけてにいっと笑うと、驚いたように瞳を丸め、ついで嬉しげに頷いた。
きっと今の状況を見て嬉しくても誰にも言えなかったのだろう。
仲間なんだから一緒に分かち合えばいいのに、変なところで空気を読む豪炎寺に苦笑した。
もっとも仲間が宇宙人にやられて入院した挙句、学校まで崩壊状態では無理もないかとも思うので、代わりに一人で仲間分祝福することにする。
「おめでと、豪炎寺。またひと段落したらさ、一緒にお見舞いに行ってもいい?」
「ああ、勿論だ。夕香も円堂に会いたいと言っていた。来てくれるなら、喜ぶ」
こくりと目元を綻ばせて喜びを表現した豪炎寺の肩を叩くと、いつの間にか騒がしかった仲間が静まり返っていた。
正面には理事長が立っていて、仲間たちは固唾を呑んで彼を見ていた。
入院していたはずだが、体は大丈夫なのだろうか。
観察すれば伸びきっていない背筋や呼吸するたびに揺れる体に不調を隠しているのかと推察し、無理を通さねばならぬ場面かと気を引き締める。
宇宙人とのサッカー対決は、知らされていない何か深いものが隠されているのかもしれない。
些細な動き一つ、表情が変わる瞬間に浮かぶ微表情にこそ注意しながら眺めていると、唐突に理事長が口を開いた。
「なんとしても欠けたイレブンを集め地上最強のサッカーチームを作らなければならない」
後ろ手を組み言い放つ理事長に、他の誰にも見えないよう顔を僅かに俯かせる。
地上最強。本当にそれを望むなら、こんな狭い国の中だけを見るものじゃない。
ならば国内で収めねばならない要因があると考察するのが自然だ。
臭いな、とポーカーフェイスの奥で考えていると、一通りの説明を済ました理事長から響木へとバトンが渡った。
「円堂、頼んだぞ」
さり気無い口調で全てを任され、小首を傾げる。
今の言い草だと、まるで彼はついて来ないみたいだ。
「・・・響木監督はどうされるんです?」
当然の質問には、理事長が答えてくれた。
小難しい顔のままの彼は、いかにも大人がする言い回しを使う。
「響木監督には私から頼んでいることがある。これもエイリア学園と戦うために必要なことだ」
「そんな」
「俺、監督いないなんていやっす」
「俺もでやんす!!」
不安げな声を上げた染岡に、年少組の二人も続く。
不満を訴える仲間の中でも栗松、壁山の年少組は幼さが抜けない。
彼らだけに限らないが、確かに監督が居ないと不安ではあるがこの場合大人の監督がいないわけがないと少し考えれば判るだろうに。
未熟さゆえに曇る観察眼に苦笑しながら彼らの騒ぎっぷりを眺めていると、響木が特に騒ぐ二人の頭を優しく撫でた。
「心配するな。俺は行かないが、新しい監督が就任する」
「新しい監督?」
「ああ」
驚きに瞳を丸めた面々を端に、入り口のドアが開いた。
現れたのは綺麗な女性だった。
真っ直ぐに伸びた黒髪に、目鼻立ちのくっきりした顔。
背筋を伸ばして大股に歩き、ハイヒールがかつんかつんと音を響かせる。
スタイルのよい体にジャケットが沿い、すらりとした長い足は濃い色合いのパンツで隠されていた。
「紹介しよう、新監督の吉良瞳子君だ」
「ちょっとがっかりですね、理事長。監督が居ないと何も出来ないお子様の集まりだなんて思いませんでした。本当にこの子達に地球の未来をたくせるんですか?彼らは一度、エイリア学園に負けているんですよ?」
ふさり、と髪を掻き上げて挑戦的な笑みを浮かべ哂った。
子供相手に中々な態度じゃない、と悟られないよう俯きがちにくすくすと笑う。
勝気な女性は嫌いじゃない。自分に自信がある人間も。
そして、不意に気がついた。彼女の顔に見覚えがあるのに。
顔を合わせて話をしていれば忘れるはずがない。
ならば、脳裏に残る程度───つまりすれ違うなり何なりしたことがある人物。
自慢じゃないが記憶力には自信がある。
立場上一度目にした相手は特徴を記憶し忘れない。
声も、姿も覚えがあるなら、彼女はいつかどこかで───。
首を捻る円堂を置いて、仲間たちは突然現れた新監督を名乗る女性に突っかかっている。
「俺たちは負けたままじゃ終らねぇ!」
「そうだ。絶対に次は勝つ!」
「ああ───俺たちは諦めない」
「諦めないことこそが俺たちのサッカーだ!そうだよな、守!」
「守?」
円堂の名を呟き訝しげな顔をした瞳子は、仲間の後ろに隠れるようにしていた円堂を見つけ瞳を丸めた。
真正面から合わさる瞳に、唐突に記憶が繋がる。
にいっと口角を持ち上げて楽しげに瞳を煌かせると、瞬く間に表情を隠した瞳子に近づいた。
「負けたままで終るつもりはありません、吉良新監督。少なくとも、この場に居るみんなは負けたからこその可能性がある。二度と負けたくないと思うから、もっともっと強くなれる。そう、思われませんか?」
黒縁眼鏡を指の腹で持ち上げながら問うと、戸惑ったように瞳を揺らして首を振った。
感情の切り替えが早いタイプなのだろう。次の瞬間にはまた好戦的な笑みに変わっている。
「頼もしいわね。でも私のサッカーは今までとは違うわよ。覚悟しておいて」
腕を組んで微笑む美女は中々に手強そうで、子猫のように警戒心に毛を逆立てる仲間にふむ、と頷く。
子供ゆえの鼻の良さは波乱万丈な旅路を予感させ、クツクツと喉を奮わせた。
「夕香、暫く来ることができなくなりそうなんだ。だからこれを、俺だと思ってくれよ」
一抱えもあるピンクの熊を椅子に置くと、瞳を細めて眠る妹の姿を眺める。
少し前まで一生目覚めないんじゃないかと不安に震えていた心は、今では大分落ち着いていた。
高揚する気分は収まらず、ふわふわとした雲の上を歩いているようだ。
幾度も夢に見た。幼い妹が目を覚まし、その瞳に自分を映してくれるのを。
目を覚まし何度絶望したか。夢なら目覚めないでいてくれればいいものを、と。
宇宙人の襲来なんて事態がなければずっと傍についているのだが、仲間の無念を晴らすためにも円堂たちと一緒に戦いたかった。
円堂が戦うというのなら、彼女の力に、支えになりたかった。
彼女が居なければ、豪炎寺は未だにサッカーなどしないで病院通いしているだけで、奇跡を信じきることも出来ずにいたと思う。
大好きなサッカーを、『お兄ちゃんがサッカーをしている姿を好き』だといってくれた妹を、全てを裏切り心の殻に閉じ篭っていたに違いない。
背中を押してくれた円堂は掛け替えのない存在で、隣に並んで立ちたい戦友で、それ以上に特別な人だった。
「宇宙人を倒したら、円堂と一緒にお見舞いに来る。だから少しだけ待っていてくれ」
「・・・・・・」
眠る妹の頬を撫でると、踵を返して歩き出す。
一度は膝を屈した宇宙人との戦いだが、再び見えるのに気負いはない。
完膚なきまでに叩きのめされた過去があっても前進できると信じている。
今回は先回と違う。雷門の守護神と呼ばれる、『円堂守』その人がいるのだから。
緩やかに唇が孤を描き、ドアノブを押し開けたところで動き止った。
目の前に立つ異色の三人組に、ひっそりと眉根が寄る。
身内を守ろうとする狼のように毛を逆立てて警戒心をあらわにして、豪炎寺は問いかけた。
「豪炎寺修也か。少しお話が」
「お前たちは」
「われわれはエイリア学園の志に賛同するものだ。君にお願いしたいことがありましてね」
ひっそりと近づく底の見えない闇に、豪炎寺は喉を鳴らして唾を飲み込んだ。
*ルフィたちが海賊王になった後の設定です。
海賊王。
そう呼ばれる男が率いる海賊団にはずば抜けた金額を持つ賞金首の幹部たちが勢ぞろいしている。
個性的で、強くて、勇敢で、信念を持っている。
誰もかもが一級品の腕を持ち、若くして名声と富を手に入れた。
■迷わない視線
彼がふとした瞬間に見詰める先は、いつだって同じだ。
船の進行方向ではなく、お宝のある方向でもなく、振り返ることなく一直線に。
「ゾロさん」
「あ?」
気配で気がついていたのだろう。
全く驚きもなくこちらを向いた彼の瞳は、酷く静かで研ぎ澄まされていた。
彼に憧れる人間の一人として前に立つだけで震えるほど緊張する。
自分が目標とするのは海賊王であるモンキー・D・ルフィではなく、ロロノア・ゾロその人だった。
世界最強の剣士であり、海賊王の右腕として名高いその人は、普段は割りと凪いだ雰囲気を発している。
自身を強くすることにのみ心血を注ぎ、そのくせいざと言うときは柱の一つとしてきっちりと船員を取りまとめる。
孤高を漂わせる彼の強さに憧れた。
鬼神のように容赦ない剣技や、鋭く光る瞳、触れれば切れてしまいそうな殺気に憧れた。
ずっとずっと背中を追い続けている。
真っ直ぐに迷うことなく彼の背中を。
けど。
「おーい、ゾロ!」
勇気を振り絞って声を掛けても、暢気な一言に一生敵わない。
それが例え全く大したことない内容でも、ゾロはもうこちらの存在を忘れている。
彼の心に残る人物は実はとても少なく、興味があるものとないものへの線引きが激しい人だと気がついたのは最近だ。
誰にでも一歩引いて付き合う彼が対等に並ぶ相手はいつだってただ一人。
「どうしたんだ、ルフィ?」
首筋に手をやりながら、どうせまた下らないことだろと言うくせに、彼は迷いなく海賊王の隣へと歩く。
初めから決められた定位置と言外に回りに示し、誰はばかることなく信認の篤さを誇るでもなく。
ただ当たり前に、海賊王の横へと並ぶ。
「───、ずるいな、ルフィさん」
海賊王の属船の船員でありながら、海賊王その人ではなく彼の隣に並ぶ人間に憧れた自分の想いは報われることがないのだろう。
野獣と呼ばれた彼の心を支配するのはいつだって一人きりで、魂だけになっても変わらない執念を持って『世界一の剣豪』を名乗ったゾロだからこそ憧れたのに、後ろを振り返らない彼に不満を抱くのはおかしな話だった。
■馬鹿なのよと呆れる瞳の美しさ
「結局あいつは馬鹿なのよ」
多大に呆れを含んだ声で訴えた人に、少女は苦笑した。
オレンジ色の癖のある髪を腰まで伸ばし、抜群のスタイルを誇らしげに晒す美女は、少女が憧れた『航海士』だ。
文字通り世界を股に掛ける海賊王の厚い信頼を一身に受ける彼女は、超一流の腕と最高の知識を持ち、様々な経験で己を磨いて世界一周を果たした航海士仲間では知らぬ者はいない雲上人だ。
綺麗なだけでなく賢く美しい。見た目だけでなく、中身も。
磨きぬいてきた自分に誇りを持ち、凛として背筋を伸ばして笑っているナミに憧れる人間は男女問わず多い。
少しお金にがめつい部分はあるけれど、強くて優しい人だった。
海賊王の属船の船員となり直接彼女に教えを請う立場を得た自分はとても光栄だろう。
勉強することはどれも目新しい知識ばかりで、偉大なる航路を航海して常識を捨てたと思い込んでいた自分の狭視野を思い知らされる。
深い知識を持ちながら、それでも現状に満足せずに努力し続ける人に憧れた。
憧れより少しだけ強く、恋よりはもう少し憧れが強く。
ナミはふとした瞬間に、海賊王の愚痴を漏らす。
また食料庫をあさったお陰で食糧難だとか、残高気にせずお金を使うから貯金がゼロだとか、相手見ずに喧嘩売るから海軍大将と鉢合わせたとか、道を選ばず進んだ所為で船が座礁しかけたとか。
事あるごとに増えていく愚痴は決して尽きることはないのに、うんざりとした表情は偽りはないのに、それでもどこか楽しそうだ。
海賊王を語るときのナミの瞳は普段より色濃くなり、作り物ではない笑顔で彩られる。
憎まれ口を叩いているくせに嬉しげで、呆れながらも幸せそうで。
───ああ、好きなんだなと、じんわりと心の中に暖かいものが広がってく。
「ルフィは馬鹿なのよ。どうしようもなく馬鹿で仕方ないから私がついてなきゃ駄目なの。じゃなきゃ、あいつら全員死んじゃうわ。ルフィが望むままの道を行けるのは私だけよ。彼の『航海士』である私だけなの」
世界地図を描くという夢を語るときと同じように、若しくはそれよりもずっと瞳を輝かせて微笑むナミはとても綺麗だ。
海賊の世界に入ってから、ずっとこの人の背中を追い続けている。
海を自由に進むために航海士になった。
誰より自由を望む海賊王のために、誰よりも一流の腕を磨いたナミは、『航海士』として『女』として憧れる。
文句を言いながら笑うナミは、最高に格好いい人だった。
海賊王。
そう呼ばれる男が率いる海賊団にはずば抜けた金額を持つ賞金首の幹部たちが勢ぞろいしている。
個性的で、強くて、勇敢で、信念を持っている。
誰もかもが一級品の腕を持ち、若くして名声と富を手に入れた。
■迷わない視線
彼がふとした瞬間に見詰める先は、いつだって同じだ。
船の進行方向ではなく、お宝のある方向でもなく、振り返ることなく一直線に。
「ゾロさん」
「あ?」
気配で気がついていたのだろう。
全く驚きもなくこちらを向いた彼の瞳は、酷く静かで研ぎ澄まされていた。
彼に憧れる人間の一人として前に立つだけで震えるほど緊張する。
自分が目標とするのは海賊王であるモンキー・D・ルフィではなく、ロロノア・ゾロその人だった。
世界最強の剣士であり、海賊王の右腕として名高いその人は、普段は割りと凪いだ雰囲気を発している。
自身を強くすることにのみ心血を注ぎ、そのくせいざと言うときは柱の一つとしてきっちりと船員を取りまとめる。
孤高を漂わせる彼の強さに憧れた。
鬼神のように容赦ない剣技や、鋭く光る瞳、触れれば切れてしまいそうな殺気に憧れた。
ずっとずっと背中を追い続けている。
真っ直ぐに迷うことなく彼の背中を。
けど。
「おーい、ゾロ!」
勇気を振り絞って声を掛けても、暢気な一言に一生敵わない。
それが例え全く大したことない内容でも、ゾロはもうこちらの存在を忘れている。
彼の心に残る人物は実はとても少なく、興味があるものとないものへの線引きが激しい人だと気がついたのは最近だ。
誰にでも一歩引いて付き合う彼が対等に並ぶ相手はいつだってただ一人。
「どうしたんだ、ルフィ?」
首筋に手をやりながら、どうせまた下らないことだろと言うくせに、彼は迷いなく海賊王の隣へと歩く。
初めから決められた定位置と言外に回りに示し、誰はばかることなく信認の篤さを誇るでもなく。
ただ当たり前に、海賊王の横へと並ぶ。
「───、ずるいな、ルフィさん」
海賊王の属船の船員でありながら、海賊王その人ではなく彼の隣に並ぶ人間に憧れた自分の想いは報われることがないのだろう。
野獣と呼ばれた彼の心を支配するのはいつだって一人きりで、魂だけになっても変わらない執念を持って『世界一の剣豪』を名乗ったゾロだからこそ憧れたのに、後ろを振り返らない彼に不満を抱くのはおかしな話だった。
■馬鹿なのよと呆れる瞳の美しさ
「結局あいつは馬鹿なのよ」
多大に呆れを含んだ声で訴えた人に、少女は苦笑した。
オレンジ色の癖のある髪を腰まで伸ばし、抜群のスタイルを誇らしげに晒す美女は、少女が憧れた『航海士』だ。
文字通り世界を股に掛ける海賊王の厚い信頼を一身に受ける彼女は、超一流の腕と最高の知識を持ち、様々な経験で己を磨いて世界一周を果たした航海士仲間では知らぬ者はいない雲上人だ。
綺麗なだけでなく賢く美しい。見た目だけでなく、中身も。
磨きぬいてきた自分に誇りを持ち、凛として背筋を伸ばして笑っているナミに憧れる人間は男女問わず多い。
少しお金にがめつい部分はあるけれど、強くて優しい人だった。
海賊王の属船の船員となり直接彼女に教えを請う立場を得た自分はとても光栄だろう。
勉強することはどれも目新しい知識ばかりで、偉大なる航路を航海して常識を捨てたと思い込んでいた自分の狭視野を思い知らされる。
深い知識を持ちながら、それでも現状に満足せずに努力し続ける人に憧れた。
憧れより少しだけ強く、恋よりはもう少し憧れが強く。
ナミはふとした瞬間に、海賊王の愚痴を漏らす。
また食料庫をあさったお陰で食糧難だとか、残高気にせずお金を使うから貯金がゼロだとか、相手見ずに喧嘩売るから海軍大将と鉢合わせたとか、道を選ばず進んだ所為で船が座礁しかけたとか。
事あるごとに増えていく愚痴は決して尽きることはないのに、うんざりとした表情は偽りはないのに、それでもどこか楽しそうだ。
海賊王を語るときのナミの瞳は普段より色濃くなり、作り物ではない笑顔で彩られる。
憎まれ口を叩いているくせに嬉しげで、呆れながらも幸せそうで。
───ああ、好きなんだなと、じんわりと心の中に暖かいものが広がってく。
「ルフィは馬鹿なのよ。どうしようもなく馬鹿で仕方ないから私がついてなきゃ駄目なの。じゃなきゃ、あいつら全員死んじゃうわ。ルフィが望むままの道を行けるのは私だけよ。彼の『航海士』である私だけなの」
世界地図を描くという夢を語るときと同じように、若しくはそれよりもずっと瞳を輝かせて微笑むナミはとても綺麗だ。
海賊の世界に入ってから、ずっとこの人の背中を追い続けている。
海を自由に進むために航海士になった。
誰より自由を望む海賊王のために、誰よりも一流の腕を磨いたナミは、『航海士』として『女』として憧れる。
文句を言いながら笑うナミは、最高に格好いい人だった。
月光に照らされたそれを見て、ぐっと唇を噛み締める。
昨日の朝までは確かに良く見知った建物だったはずだが、砂塵が飛ぶ中で聳えるそれは、最早記憶するものと違った。
崩れ落ちたコンクリート。むき出しの鉄骨。荒れたグランドに折れた木々。
つい昨日までの穏やかな『雷門中学校』はそこになく、あるのは廃墟と呼ぶに相応しい瓦礫だけ。
虫の音すら聞こえない静かな夜は、潰された校舎の悲哀を浮き彫りにさせた。
『・・・すみません、姉さん』
拳を握り、声を震わせた鬼道は、まず一言謝罪した。
勝利の栄光に浸っているとばかりに思っていた仲間たちは、円堂が姿を消している間に天国から地獄へと叩き落された。
一緒にサッカーをして、日本一の栄光を掴み取ったばかりだったのに、白く味気ない病室で涙を堪える彼らの姿は惨めの一言だった。
積み重ねた自信や誇りを叩き折られた状態は、先日世宇子中にプライドを踏み躙られた帝国学園の面々と重なる。
自らの中学だけではなく、自称・宇宙人とやらを追いかけて他校まで行ったのに、尚且つ負けたという無力感も圧し掛かっていた。
日本一の看板を背負った歓びは最早なく、悔しさと苦しさ、そして全てを踏み躙られた不条理に悩む仲間は見ていて痛々しい。
口先だけの慰めを必要としていない彼らの姿に、比較的軽傷で動ける鬼道、豪炎寺、染岡、壁山、栗松の五人を家に帰し、円堂は一人雷門へ足を向けた。
「───やっぱ、嫌だな」
崩れた校舎を見て、ぽつりと呟く。胸がむかむかとして、眉間に皺を寄せた。
憐れにも同情が誘う姿で残る校舎は、円堂の心を波立たせる。
中途半端に形を残しているからこそ苛立つ気分に、息を吐き出して冷静になれと言い聞かせた。
目の前で惨めな姿を晒す校舎を自分と重ねるなど愚の骨頂だ。
壊れかけて無残な姿を残すくらいだったら、いっそ完膚なきまでに消えてしまえばいいなんて、酷すぎる。
学校は無機物で動くことは出来ない。死に様を晒すななどと、無茶な言い草だろう。
それにここは修理すれば以前と近しい状態で使える。『自分』とは『違う』のだ。
緩く首を振って荒れたグランドの真ん中に立つと、不意に後ろから声を掛けられた。
「守?」
「・・・一哉」
振り返れば、驚いたように瞳を丸めた一之瀬がいて、どうしたんだと小首を傾げる。
病院には顔を出さないが、てっきり秋の近くに居るものだと思っていたが。
「どうしたんだ?」
「───どうしたんだは、こっちの台詞。何でここに居るんだよ」
「何でって、まだ学校の様子を見てなかったからな。どんな風になってるのか見学しに来たんだ。お前は?」
「俺は、秋が家に帰ってないって秋の両親から連絡受けて土門と一緒に探してたんだ。本当はみんなのお見舞いにも行きたかったけど、西垣と一緒に居たから連絡受けたのも遅くて、もう面会時間が過ぎてたからそっちは明日にした」
「秋は見つかったのか?」
「うん、さっきね。学校を一人で見てた。・・・秋、泣いてたよ」
「そうか」
哀しそうに囁いた一之瀬は、体の両脇で握った拳を震わせていた。
白くなるほど力を入れているのが判り、手を添えて首を振る。
一本ずつ握っていた手を解くと、先ほどの自分と同じように深呼吸させた。
彼らの感情は真っ当だ。
酷く苦い気持ちを表に出さないよう苦労しながら、円堂は微かに俯く。
秋や、一之瀬は潰された学校を見て悲しんだのだろう。
サッカー部の思い出や、学校で過ごした時間、潰されてしまった惨めな姿に寂しくなったはずだ。
心優しい秋なら、その光景に涙を流すのも当然に思えた。
───まず始めに、苛立ちを覚える円堂こそが異常だ。
愛着がないはずがない。思い出だって沢山出来た。
それでも始めに感じたのは、無様な姿を残す校舎への嫌悪。
真っ直ぐな想いを持てない自分を嘲笑しながら、内心の思いを持て余し苦しそうに息を吐く一之瀬の頭を肩口に押し付けるとぽんぽんと撫でた。
「秋は一人で帰ったのか?」
「いいや、土門が送っていった。俺は守の姿が見えたから」
「だから俺のところへ?」
「ああ。守は、体は大丈夫だったの?」
「───父さんから聞いたのか?」
「俺は守の監視役だから」
問いかけには答えず、別の言葉を吐き出した一之瀬に嘆息する。
父が彼に監視を頼んでいたのは薄々気づいていたが、まさか本人が先に口にするとは思ってなかった。
彼が自分に抱く想いを正確に理解するから尚更。
アメリカで出遭ったとき、一之瀬の瞳は憧れの選手を前にしたファンと同じ尊敬を篭めた眼差しを向けてきた。
二年近いときを経て、気がつけば彼の瞳には熱が宿った。尊敬や憧憬だけではない、強い眼差しはいつか誰かに向けられたものと同じで、だからこそ父は一之瀬を監視役に選んだのだろう。
人は興味がない人間や嫌いな人間ではなく、愛する人間や好ましいとする人間にこそ心を篭めて尽くすものだ。
下心の有無は関係なく、大切な人を死なせたいと思う者など全体の一握りにも満たないだろう。
二心なく円堂を支える相手。いざとなれば憎まれてでも無理やりに活かそうとする相手。何があっても必ず味方で在り続け、どんなときでも優先する。
優しいだけじゃない父は、一之瀬の想いを見透かして彼を選んだ。
鬼道財閥を纏める総帥である彼が認めたのなら、一之瀬はさぞかし優秀なのだろう。
良くも悪くも円堂に関する権利を持ち、強硬手段を施行する術もある。
厄介な相手を選ばれたものだ、と嘆息すると、抱いていた一之瀬の頭を離した。
顔を上げた彼は不安げに眉を下げ、捨てられた子犬のような瞳でこちらを見詰めている。
「怒った?」
「どうして?」
「守は誰かに関与されるのを嫌うだろう?意固地なまでに『真実』を知られるのを恐れてる。死期を悟った猫のように、惨めな姿を晒すのを嫌って」
すっと目を細めれば、びくりと一之瀬が体を震わせた。
本質は猛獣のような奴なのに、まるで子ウサギみたいに怯えるさまにゆるりと口角が持ち上がる。
心の奥深い部分から冷たいものが流れ込み、感情が音を立てて凍りついた。
円堂は自分が決して優しくないのを知っている。
必要なものを取捨選択し、迷わず進む残酷さを持つ。
父が性別が女でも鬼道の跡取りにしたいと望んだ理由はここにあり、弟の鬼道よりも遥かに経営者としての才能があると賞賛されたものだ。
最終的に甘さを捨てきれない弟と違い、いざとなれば円堂は己の感情を殺すのに躊躇はない。
秤にかけて重いものをとるのに迷いがないからこそ、甘ったるく優しい弟に惹かれたのだ。
敵と認めた相手に容赦がない自分を知るのはごく僅かの人間だけだったが、どうやらたった二年の付き合いで一之瀬には看破されていたらしい。
随分と甘くなったものだと自身を嘲笑すると、ゆっくりと怒気を収めた。
普段からつけている黒縁の伊達眼鏡を外してガラス越しではなく瞳を見詰め、ふっと息を吐き出す。
怒気を失くして苦笑した円堂に胸を撫で下ろした一之瀬は、少しの距離も詰めると首に腕を回して抱きついた。
「守、勘違いしないで。俺は君の監視者だけど、それ以前に君だけの味方だよ」
「知ってるよ。そんなの、最初から知ってる。お前が何のために日本へ来てくれたか、どんな想いで俺の傍に居てくれるのか。全部判ってる」
「俺の気持ちを知った上でその態度なら、また複雑なんだけど」
「そりゃ仕方ないさ。面倒な女に惚れたこと、運がなかったと諦めてくれ」
「酷いな」
「ああ」
泣きそうな顔で笑った少年の頭を撫でる。
彼は本当にツイてない。振り回すだけ振り回して、後を濁したままで去ると知りつつ、自分みたいな厄介な相手に入れ込むなんて、心の底から同情してしまう。
「でも、守の『真実』を知るのが俺だけなら、それも特権だと思うよ。何より、俺はまだ諦めてないんだ」
「何を?」
「守と生きる未来を。二度と出来ないと言われたサッカーだって出来たんだ。諦めなければ、絶対に道は開ける」
真っ直ぐな眼差しは、心からの言葉だと言外に語る。
現実を知らないからこそ『諦めない』と言える彼が、とても羨ましくて哀しかった。
綺麗な瞳に微笑すると、何も言わずに崩れた校舎をじっと眺める。
定まっている自分の結果なんてどうでもよかった。
ただ、今、言えるのは。
「宇宙人だっけ、俺たちの学校を壊したのは」
「え?」
「落とし前、つけてもらわなきゃな。俺たちの想いを踏み躙られて、サッカーまで悪用されて、黙ってなんて居られない。それに秋を泣かせるなんて、許せないからな」
クリアな視界で微笑めば、戸惑うように息を呑んだ一之瀬は、しがみ付くような遠慮ない力で抱きついた。
まるで、そうしなければ円堂が消えてしまうと必死になる姿に、ごめんなと胸中で一度だけ謝り、自分から巻き込まれるのを望んだ少年を振り回す覚悟を決めた。
昨日の朝までは確かに良く見知った建物だったはずだが、砂塵が飛ぶ中で聳えるそれは、最早記憶するものと違った。
崩れ落ちたコンクリート。むき出しの鉄骨。荒れたグランドに折れた木々。
つい昨日までの穏やかな『雷門中学校』はそこになく、あるのは廃墟と呼ぶに相応しい瓦礫だけ。
虫の音すら聞こえない静かな夜は、潰された校舎の悲哀を浮き彫りにさせた。
『・・・すみません、姉さん』
拳を握り、声を震わせた鬼道は、まず一言謝罪した。
勝利の栄光に浸っているとばかりに思っていた仲間たちは、円堂が姿を消している間に天国から地獄へと叩き落された。
一緒にサッカーをして、日本一の栄光を掴み取ったばかりだったのに、白く味気ない病室で涙を堪える彼らの姿は惨めの一言だった。
積み重ねた自信や誇りを叩き折られた状態は、先日世宇子中にプライドを踏み躙られた帝国学園の面々と重なる。
自らの中学だけではなく、自称・宇宙人とやらを追いかけて他校まで行ったのに、尚且つ負けたという無力感も圧し掛かっていた。
日本一の看板を背負った歓びは最早なく、悔しさと苦しさ、そして全てを踏み躙られた不条理に悩む仲間は見ていて痛々しい。
口先だけの慰めを必要としていない彼らの姿に、比較的軽傷で動ける鬼道、豪炎寺、染岡、壁山、栗松の五人を家に帰し、円堂は一人雷門へ足を向けた。
「───やっぱ、嫌だな」
崩れた校舎を見て、ぽつりと呟く。胸がむかむかとして、眉間に皺を寄せた。
憐れにも同情が誘う姿で残る校舎は、円堂の心を波立たせる。
中途半端に形を残しているからこそ苛立つ気分に、息を吐き出して冷静になれと言い聞かせた。
目の前で惨めな姿を晒す校舎を自分と重ねるなど愚の骨頂だ。
壊れかけて無残な姿を残すくらいだったら、いっそ完膚なきまでに消えてしまえばいいなんて、酷すぎる。
学校は無機物で動くことは出来ない。死に様を晒すななどと、無茶な言い草だろう。
それにここは修理すれば以前と近しい状態で使える。『自分』とは『違う』のだ。
緩く首を振って荒れたグランドの真ん中に立つと、不意に後ろから声を掛けられた。
「守?」
「・・・一哉」
振り返れば、驚いたように瞳を丸めた一之瀬がいて、どうしたんだと小首を傾げる。
病院には顔を出さないが、てっきり秋の近くに居るものだと思っていたが。
「どうしたんだ?」
「───どうしたんだは、こっちの台詞。何でここに居るんだよ」
「何でって、まだ学校の様子を見てなかったからな。どんな風になってるのか見学しに来たんだ。お前は?」
「俺は、秋が家に帰ってないって秋の両親から連絡受けて土門と一緒に探してたんだ。本当はみんなのお見舞いにも行きたかったけど、西垣と一緒に居たから連絡受けたのも遅くて、もう面会時間が過ぎてたからそっちは明日にした」
「秋は見つかったのか?」
「うん、さっきね。学校を一人で見てた。・・・秋、泣いてたよ」
「そうか」
哀しそうに囁いた一之瀬は、体の両脇で握った拳を震わせていた。
白くなるほど力を入れているのが判り、手を添えて首を振る。
一本ずつ握っていた手を解くと、先ほどの自分と同じように深呼吸させた。
彼らの感情は真っ当だ。
酷く苦い気持ちを表に出さないよう苦労しながら、円堂は微かに俯く。
秋や、一之瀬は潰された学校を見て悲しんだのだろう。
サッカー部の思い出や、学校で過ごした時間、潰されてしまった惨めな姿に寂しくなったはずだ。
心優しい秋なら、その光景に涙を流すのも当然に思えた。
───まず始めに、苛立ちを覚える円堂こそが異常だ。
愛着がないはずがない。思い出だって沢山出来た。
それでも始めに感じたのは、無様な姿を残す校舎への嫌悪。
真っ直ぐな想いを持てない自分を嘲笑しながら、内心の思いを持て余し苦しそうに息を吐く一之瀬の頭を肩口に押し付けるとぽんぽんと撫でた。
「秋は一人で帰ったのか?」
「いいや、土門が送っていった。俺は守の姿が見えたから」
「だから俺のところへ?」
「ああ。守は、体は大丈夫だったの?」
「───父さんから聞いたのか?」
「俺は守の監視役だから」
問いかけには答えず、別の言葉を吐き出した一之瀬に嘆息する。
父が彼に監視を頼んでいたのは薄々気づいていたが、まさか本人が先に口にするとは思ってなかった。
彼が自分に抱く想いを正確に理解するから尚更。
アメリカで出遭ったとき、一之瀬の瞳は憧れの選手を前にしたファンと同じ尊敬を篭めた眼差しを向けてきた。
二年近いときを経て、気がつけば彼の瞳には熱が宿った。尊敬や憧憬だけではない、強い眼差しはいつか誰かに向けられたものと同じで、だからこそ父は一之瀬を監視役に選んだのだろう。
人は興味がない人間や嫌いな人間ではなく、愛する人間や好ましいとする人間にこそ心を篭めて尽くすものだ。
下心の有無は関係なく、大切な人を死なせたいと思う者など全体の一握りにも満たないだろう。
二心なく円堂を支える相手。いざとなれば憎まれてでも無理やりに活かそうとする相手。何があっても必ず味方で在り続け、どんなときでも優先する。
優しいだけじゃない父は、一之瀬の想いを見透かして彼を選んだ。
鬼道財閥を纏める総帥である彼が認めたのなら、一之瀬はさぞかし優秀なのだろう。
良くも悪くも円堂に関する権利を持ち、強硬手段を施行する術もある。
厄介な相手を選ばれたものだ、と嘆息すると、抱いていた一之瀬の頭を離した。
顔を上げた彼は不安げに眉を下げ、捨てられた子犬のような瞳でこちらを見詰めている。
「怒った?」
「どうして?」
「守は誰かに関与されるのを嫌うだろう?意固地なまでに『真実』を知られるのを恐れてる。死期を悟った猫のように、惨めな姿を晒すのを嫌って」
すっと目を細めれば、びくりと一之瀬が体を震わせた。
本質は猛獣のような奴なのに、まるで子ウサギみたいに怯えるさまにゆるりと口角が持ち上がる。
心の奥深い部分から冷たいものが流れ込み、感情が音を立てて凍りついた。
円堂は自分が決して優しくないのを知っている。
必要なものを取捨選択し、迷わず進む残酷さを持つ。
父が性別が女でも鬼道の跡取りにしたいと望んだ理由はここにあり、弟の鬼道よりも遥かに経営者としての才能があると賞賛されたものだ。
最終的に甘さを捨てきれない弟と違い、いざとなれば円堂は己の感情を殺すのに躊躇はない。
秤にかけて重いものをとるのに迷いがないからこそ、甘ったるく優しい弟に惹かれたのだ。
敵と認めた相手に容赦がない自分を知るのはごく僅かの人間だけだったが、どうやらたった二年の付き合いで一之瀬には看破されていたらしい。
随分と甘くなったものだと自身を嘲笑すると、ゆっくりと怒気を収めた。
普段からつけている黒縁の伊達眼鏡を外してガラス越しではなく瞳を見詰め、ふっと息を吐き出す。
怒気を失くして苦笑した円堂に胸を撫で下ろした一之瀬は、少しの距離も詰めると首に腕を回して抱きついた。
「守、勘違いしないで。俺は君の監視者だけど、それ以前に君だけの味方だよ」
「知ってるよ。そんなの、最初から知ってる。お前が何のために日本へ来てくれたか、どんな想いで俺の傍に居てくれるのか。全部判ってる」
「俺の気持ちを知った上でその態度なら、また複雑なんだけど」
「そりゃ仕方ないさ。面倒な女に惚れたこと、運がなかったと諦めてくれ」
「酷いな」
「ああ」
泣きそうな顔で笑った少年の頭を撫でる。
彼は本当にツイてない。振り回すだけ振り回して、後を濁したままで去ると知りつつ、自分みたいな厄介な相手に入れ込むなんて、心の底から同情してしまう。
「でも、守の『真実』を知るのが俺だけなら、それも特権だと思うよ。何より、俺はまだ諦めてないんだ」
「何を?」
「守と生きる未来を。二度と出来ないと言われたサッカーだって出来たんだ。諦めなければ、絶対に道は開ける」
真っ直ぐな眼差しは、心からの言葉だと言外に語る。
現実を知らないからこそ『諦めない』と言える彼が、とても羨ましくて哀しかった。
綺麗な瞳に微笑すると、何も言わずに崩れた校舎をじっと眺める。
定まっている自分の結果なんてどうでもよかった。
ただ、今、言えるのは。
「宇宙人だっけ、俺たちの学校を壊したのは」
「え?」
「落とし前、つけてもらわなきゃな。俺たちの想いを踏み躙られて、サッカーまで悪用されて、黙ってなんて居られない。それに秋を泣かせるなんて、許せないからな」
クリアな視界で微笑めば、戸惑うように息を呑んだ一之瀬は、しがみ付くような遠慮ない力で抱きついた。
まるで、そうしなければ円堂が消えてしまうと必死になる姿に、ごめんなと胸中で一度だけ謝り、自分から巻き込まれるのを望んだ少年を振り回す覚悟を決めた。
淡いクリーム色のプリンセスドレスに身を包んだ守は、人影に混じる人物を見つけ瞳を輝かせた。
連日連夜続くクリスマスパーティーも残り二晩で終るという今日、許婚の実家のパーティーに招待された守は、実家の主宰する日本のパーティーにクリスマスに出席するのを条件に一人でイギリスに顔を出している。
鬼道財閥の娘として適当に大人たちに愛想をふりながら探していた少年は、珍しくも壁の花になっていた。
男にしておくには勿体無いほど綺麗な顔立をアンニュイに染め、きっちりとしたタキシードを上品に着こなしてジュースの入ったグラスを弄んでいる。
立場上人に囲まれることが多いはずなのに、まるで人払いでもしたような静けさに小首を傾げた。
「お久し振りです、エドガー様」
「・・・マモル」
「ご尊顔を拝謁するのは一月振りでしょうが?ご健勝でいらっしゃいましたか?」
彼のホームグランドで、わざと日本語で問いかければ、数度瞬きしてから淡い苦笑を浮かべた。
いつもなら一月ぶりの会合ともなればもっと嬉しそうにするのに、やはり何かあったのだとそれと判らぬよう眉根を寄せる。
近づいてみれば隠せぬ隈や肌の状態の悪さが明確になり、どうしたんだと瞳に疑問を篭めて問いかけた。
「───ベランダに出ないか?」
「ですが、外は寒いでしょう?」
「上掛けを用意させる」
近くに居たボーイに手を叩くと、バルチナス家の使用人である彼はあっという間に二人分の羽織を準備した。
手ずからアンゴラの上掛けをかけてくれたエドガーは、自身も羽織ると優雅な仕草で手を差し伸べる。
彼の手に掌を重ねてエスコートされるままにベランダへと出ると、肌を刺すような冷気に身が震えた。
冬のイギリスは、日本と比べ物にならないほど寒い。
片付いているベランダを除くと、バルチナス家ご自慢の庭は一面の銀世界。イルミネーションもついているが、派手さがないそれは自然に混ざる程度で見事だが過剰な派手さはない。
外気との温度差で曇る眼鏡を外すと、クリアな視界が一層目に染みる。
吐く息が真っ白に染まる中で無言で触れる掌の温かさに浸っていると、冬の空気の中で一段と美しく輝く白銀色の月を見上げたエドガーがひっそりと口を開いた。
「久し振りだな、マモル。元気にしていたか?」
「・・・ええ。健康だけが取り柄ですもの。エドガー様はいかがお過ごしでいらしたんですか?」
「私もいつもどおりだ。勉強に趣味に、あとサッカーを始めた。君には言っていなかったが、チームを作ったんだ」
吐息混じりに教えてくれるエドガーに、、守は微笑した。
恩師からの情報はやはりガセではなかったらしい。
初めから知らないフリをすると決めていたが、予想以上にテンションが低くて少しだけ驚く。
普段の彼を知るからこその違和感に嫌な予感を感じ取りつつ、それでも小首を傾げて微笑んだ。
「エドガー様が?サッカーに興味はお持ちでいらっしゃらないとばかり思ってましたわ」
「君が・・・君が好きなものを、理解したかった。プレイしてみると思ったよりも楽しいものだな。お陰で君の凄さが身に染みて理解できる。彼も、そんな君に憧れたのだろう」
「エドガー様・・・?」
今にも泣き出しそうな笑みに、予感は確信に変わる。
エドガーは悲しみに耐えている。それも、己を保てぬほど大きな悲しみに。
繋いでいた掌に力が篭り、痛みすら感じる強さに彼の余裕のなさを知る。
青緑の瞳は押さえきれない苦しみを湛え、白く細い息を吐き出してから柳眉を吊り上げた。
嫌な予感がした。
ふつふつと不安が湧き上がり、心臓が早鐘を打つ。
聞いてはいけない、聞きたくないと望む心と裏腹に、口は自然と問うていた。
「何が、あったのですか?」
「───先日顔を合わせたヒロトを覚えているか?」
「え?ええ、勿論。先日もメールをいただいて、今日のパーティーに出席するからエドガー様も交えてお話をしようと約束を。・・・そう言えば、まだヒロト様のお顔を拝見していませんわ。まだいらしていないのでしょうか」
「ヒロトは、今日のパーティーに来ない」
沈痛な眼差しでこちらを見詰めながら、エドガーは断言した。
あまりにもきっぱりとしすぎた否定は不自然に強すぎる。
顔を蒼くしたエドガーは真正面から守に向き合うと、繋いでいた手を放して肩へと移動させた。
「・・・体調でも崩されたのですか?つい二日前にメールをいただいたときにはそんな様子は感じられませんでしたけれど。でしたら、次にお会いできるのは冬休み開けですわね。三連休にスペインから足を伸ばしてイタリアへ来てくださるって」
「違う、マモル。ヒロトはもう、何処へも行けない」
「───どういう意味、ですか?」
「聡明な君なら私の様子を見て気がついているのだろう?」
酷く静かな瞳でエドガーは守を抱きしめた。
いいや、抱きしめた、と言うよりはしがみ付いたと表現するほうが適切だろう。
一人で悲しみを抱えるには耐え切れないとばかりに強い力に、ぎゅっと眉を寄せ痛みを堪える。
額を肩口に押し付けたエドガーは、あえぐように言葉を続けた。
「ヒロトは死んだ。昨日の昼、帰宅途中に事故に合ったらしい。現場の検証に寄ると恐らく即死だったそうだ」
「・・・・・・」
唇を噛み締めてきつく瞼を閉じた。
まだ知り合って日は浅いが、幾度もメールのやり取りはしている友達だった。
直接話をしたのは先日のパーティー一度きり。それでも彼の顔は鮮やかに思い出せる。
日に焼けない白い肌に、特徴的な切れ長の瞳。
利発そうな顔立ちに情熱的な赤い髪。
サッカーを語るときは澄ました顔が年相応に笑み崩れて、全身でサッカーを好きだと語っていた。
今日久し振りに顔を合わせたら、次にサッカーをする日を選ぼうと約束していたはずなのに。
抱きついてくるエドガーのタキシードを力いっぱい握りこむ。
皺になるとか、着崩れるとか、そんなことはもう脳裏になかった。
押し寄せる悲しみに流されないよう、必死に目の前の相手にしがみ付く。
ひやりとした空気が肩に当たり、いつの間にか上掛けが飛んでいたのに気がついたが、最早気にすることも出来なかった。
「犯人は見つかっていない。車に跳ねられた痕跡が残っているのに、車両が発見されないらしい」
「どうして?」
「───吉良財閥でも、追えない相手が犯人だということだ」
一言で彼の言いたいことが理解でき、あまりの悔しさに唇を噛み締める。
つまり、財閥の総帥ですら追えない高位にいる相手がヒロトを事故で死なせたのだ。
卑怯にも一人の人間の命を奪いながら、己大事で逃げ続けている。
もしかしたら、跳ねられた瞬間に助ければ命は繋いだかもしれないのに、何故見捨てて逃げたのだろう。
彼にはまだ未来があった。
将来は世界で活躍するサッカー選手になりたいと、メールで語り合ったばかりなのに。
「どうして、ヒロトが死ななければいけないんだ」
「エドガー・・・」
「ヒロトはまだ十二歳だ、私たちとたった三つしか違わない。彼は、来年にはジュニアユースのチームに入って、活躍するはずだったんだ」
「・・・・・・」
「何故ヒロトが死ななければならない。彼が一体何をしたと言うんだ。教えてくれ、───教えてくれ、マモル」
肩口がじんわりと暖かくなる。むき出しになった襟首が濡れる感覚に、エドガーが泣いているのに気がついた。
いつだって気高く凛として背筋を伸ばす彼の涙など初めてで、戸惑いつつも慰めるため頭を撫でる。
他の誰かの前でなく、きっと自分だからこそ見せてくれた弱みを、癒したいと心から願った。
守は吉良ヒロトをそれほど知らない。
サッカーが好きで、吉良財閥の嫡男で、利発で機転が利くスマートな少年という印象しか持ってない。
きっと時間さえあればもっともっと仲良くなれたはずの彼との付き合いは浅く、それでも心にはずっしりと悲しみが圧し掛かる。
守よりずっとヒロトを知っていたエドガーは、悲しみも一入だろう。
基本的に誰相手でも心を許さない彼が、ヒロト相手には対等に向かい合って話をしていた。
年相応の態度は珍しく貴重なもので、それを露にできるほど親しい関係だった。
「全部、俺が受け止めてやる。ここを出たら、お前はまたバルチナス財閥の嫡子の仮面をつけなきゃならない。それが、俺たちが居る世界だ。だから全部吐き出しちまいな。───俺も、お前の悲しみを半分背負うから」
「・・・マモル」
「友達が亡くなるのは哀しいな、エドガー。哀しくて、辛いよ」
温もりを分かち合うように、頬を摺り寄せて掠れる声で呟く。
悲しみや苦しみは弱みになる場合がある。
立場を知るからこそエドガーはぎりぎりまで堪え、守の前でだけさらけ出した。
涙を流した頬は寒さのせいだと誤魔化せる。赤らんだ瞳は瞬きすら惜しんで星を眺めていたからだと言い訳しよう。
瞼を閉じれば鮮やかに浮かぶ友人の笑顔。
本物の星になった彼は、地上に存在する二人の友人を見つけられるだろうか。
もっと時間が欲しかった。
サッカーを愛する彼となら、きっと親友にもなれた。
お互いの立場を理解しつつ上手く距離を計って付き合えたろう。
可能性のつぼみは摘み取られ、誰かの足で踏み躙られた。
それがとても悔しくて悲しい。
「私はサッカーを続ける。友の叶えられなかった夢を、叶えてみせる」
「・・・ああ」
財閥跡取りとしての責務や義務を抱えながら、それでも選んだエドガーにひっそりと頷く。
篭められた決意の固さに、どうしようもなく泣きたくなった。
きらりと輝く星が流れる。
白い軌跡を残したそれは、鮮烈な印象だけを心に残し瞬きの間に姿を消した。
連日連夜続くクリスマスパーティーも残り二晩で終るという今日、許婚の実家のパーティーに招待された守は、実家の主宰する日本のパーティーにクリスマスに出席するのを条件に一人でイギリスに顔を出している。
鬼道財閥の娘として適当に大人たちに愛想をふりながら探していた少年は、珍しくも壁の花になっていた。
男にしておくには勿体無いほど綺麗な顔立をアンニュイに染め、きっちりとしたタキシードを上品に着こなしてジュースの入ったグラスを弄んでいる。
立場上人に囲まれることが多いはずなのに、まるで人払いでもしたような静けさに小首を傾げた。
「お久し振りです、エドガー様」
「・・・マモル」
「ご尊顔を拝謁するのは一月振りでしょうが?ご健勝でいらっしゃいましたか?」
彼のホームグランドで、わざと日本語で問いかければ、数度瞬きしてから淡い苦笑を浮かべた。
いつもなら一月ぶりの会合ともなればもっと嬉しそうにするのに、やはり何かあったのだとそれと判らぬよう眉根を寄せる。
近づいてみれば隠せぬ隈や肌の状態の悪さが明確になり、どうしたんだと瞳に疑問を篭めて問いかけた。
「───ベランダに出ないか?」
「ですが、外は寒いでしょう?」
「上掛けを用意させる」
近くに居たボーイに手を叩くと、バルチナス家の使用人である彼はあっという間に二人分の羽織を準備した。
手ずからアンゴラの上掛けをかけてくれたエドガーは、自身も羽織ると優雅な仕草で手を差し伸べる。
彼の手に掌を重ねてエスコートされるままにベランダへと出ると、肌を刺すような冷気に身が震えた。
冬のイギリスは、日本と比べ物にならないほど寒い。
片付いているベランダを除くと、バルチナス家ご自慢の庭は一面の銀世界。イルミネーションもついているが、派手さがないそれは自然に混ざる程度で見事だが過剰な派手さはない。
外気との温度差で曇る眼鏡を外すと、クリアな視界が一層目に染みる。
吐く息が真っ白に染まる中で無言で触れる掌の温かさに浸っていると、冬の空気の中で一段と美しく輝く白銀色の月を見上げたエドガーがひっそりと口を開いた。
「久し振りだな、マモル。元気にしていたか?」
「・・・ええ。健康だけが取り柄ですもの。エドガー様はいかがお過ごしでいらしたんですか?」
「私もいつもどおりだ。勉強に趣味に、あとサッカーを始めた。君には言っていなかったが、チームを作ったんだ」
吐息混じりに教えてくれるエドガーに、、守は微笑した。
恩師からの情報はやはりガセではなかったらしい。
初めから知らないフリをすると決めていたが、予想以上にテンションが低くて少しだけ驚く。
普段の彼を知るからこその違和感に嫌な予感を感じ取りつつ、それでも小首を傾げて微笑んだ。
「エドガー様が?サッカーに興味はお持ちでいらっしゃらないとばかり思ってましたわ」
「君が・・・君が好きなものを、理解したかった。プレイしてみると思ったよりも楽しいものだな。お陰で君の凄さが身に染みて理解できる。彼も、そんな君に憧れたのだろう」
「エドガー様・・・?」
今にも泣き出しそうな笑みに、予感は確信に変わる。
エドガーは悲しみに耐えている。それも、己を保てぬほど大きな悲しみに。
繋いでいた掌に力が篭り、痛みすら感じる強さに彼の余裕のなさを知る。
青緑の瞳は押さえきれない苦しみを湛え、白く細い息を吐き出してから柳眉を吊り上げた。
嫌な予感がした。
ふつふつと不安が湧き上がり、心臓が早鐘を打つ。
聞いてはいけない、聞きたくないと望む心と裏腹に、口は自然と問うていた。
「何が、あったのですか?」
「───先日顔を合わせたヒロトを覚えているか?」
「え?ええ、勿論。先日もメールをいただいて、今日のパーティーに出席するからエドガー様も交えてお話をしようと約束を。・・・そう言えば、まだヒロト様のお顔を拝見していませんわ。まだいらしていないのでしょうか」
「ヒロトは、今日のパーティーに来ない」
沈痛な眼差しでこちらを見詰めながら、エドガーは断言した。
あまりにもきっぱりとしすぎた否定は不自然に強すぎる。
顔を蒼くしたエドガーは真正面から守に向き合うと、繋いでいた手を放して肩へと移動させた。
「・・・体調でも崩されたのですか?つい二日前にメールをいただいたときにはそんな様子は感じられませんでしたけれど。でしたら、次にお会いできるのは冬休み開けですわね。三連休にスペインから足を伸ばしてイタリアへ来てくださるって」
「違う、マモル。ヒロトはもう、何処へも行けない」
「───どういう意味、ですか?」
「聡明な君なら私の様子を見て気がついているのだろう?」
酷く静かな瞳でエドガーは守を抱きしめた。
いいや、抱きしめた、と言うよりはしがみ付いたと表現するほうが適切だろう。
一人で悲しみを抱えるには耐え切れないとばかりに強い力に、ぎゅっと眉を寄せ痛みを堪える。
額を肩口に押し付けたエドガーは、あえぐように言葉を続けた。
「ヒロトは死んだ。昨日の昼、帰宅途中に事故に合ったらしい。現場の検証に寄ると恐らく即死だったそうだ」
「・・・・・・」
唇を噛み締めてきつく瞼を閉じた。
まだ知り合って日は浅いが、幾度もメールのやり取りはしている友達だった。
直接話をしたのは先日のパーティー一度きり。それでも彼の顔は鮮やかに思い出せる。
日に焼けない白い肌に、特徴的な切れ長の瞳。
利発そうな顔立ちに情熱的な赤い髪。
サッカーを語るときは澄ました顔が年相応に笑み崩れて、全身でサッカーを好きだと語っていた。
今日久し振りに顔を合わせたら、次にサッカーをする日を選ぼうと約束していたはずなのに。
抱きついてくるエドガーのタキシードを力いっぱい握りこむ。
皺になるとか、着崩れるとか、そんなことはもう脳裏になかった。
押し寄せる悲しみに流されないよう、必死に目の前の相手にしがみ付く。
ひやりとした空気が肩に当たり、いつの間にか上掛けが飛んでいたのに気がついたが、最早気にすることも出来なかった。
「犯人は見つかっていない。車に跳ねられた痕跡が残っているのに、車両が発見されないらしい」
「どうして?」
「───吉良財閥でも、追えない相手が犯人だということだ」
一言で彼の言いたいことが理解でき、あまりの悔しさに唇を噛み締める。
つまり、財閥の総帥ですら追えない高位にいる相手がヒロトを事故で死なせたのだ。
卑怯にも一人の人間の命を奪いながら、己大事で逃げ続けている。
もしかしたら、跳ねられた瞬間に助ければ命は繋いだかもしれないのに、何故見捨てて逃げたのだろう。
彼にはまだ未来があった。
将来は世界で活躍するサッカー選手になりたいと、メールで語り合ったばかりなのに。
「どうして、ヒロトが死ななければいけないんだ」
「エドガー・・・」
「ヒロトはまだ十二歳だ、私たちとたった三つしか違わない。彼は、来年にはジュニアユースのチームに入って、活躍するはずだったんだ」
「・・・・・・」
「何故ヒロトが死ななければならない。彼が一体何をしたと言うんだ。教えてくれ、───教えてくれ、マモル」
肩口がじんわりと暖かくなる。むき出しになった襟首が濡れる感覚に、エドガーが泣いているのに気がついた。
いつだって気高く凛として背筋を伸ばす彼の涙など初めてで、戸惑いつつも慰めるため頭を撫でる。
他の誰かの前でなく、きっと自分だからこそ見せてくれた弱みを、癒したいと心から願った。
守は吉良ヒロトをそれほど知らない。
サッカーが好きで、吉良財閥の嫡男で、利発で機転が利くスマートな少年という印象しか持ってない。
きっと時間さえあればもっともっと仲良くなれたはずの彼との付き合いは浅く、それでも心にはずっしりと悲しみが圧し掛かる。
守よりずっとヒロトを知っていたエドガーは、悲しみも一入だろう。
基本的に誰相手でも心を許さない彼が、ヒロト相手には対等に向かい合って話をしていた。
年相応の態度は珍しく貴重なもので、それを露にできるほど親しい関係だった。
「全部、俺が受け止めてやる。ここを出たら、お前はまたバルチナス財閥の嫡子の仮面をつけなきゃならない。それが、俺たちが居る世界だ。だから全部吐き出しちまいな。───俺も、お前の悲しみを半分背負うから」
「・・・マモル」
「友達が亡くなるのは哀しいな、エドガー。哀しくて、辛いよ」
温もりを分かち合うように、頬を摺り寄せて掠れる声で呟く。
悲しみや苦しみは弱みになる場合がある。
立場を知るからこそエドガーはぎりぎりまで堪え、守の前でだけさらけ出した。
涙を流した頬は寒さのせいだと誤魔化せる。赤らんだ瞳は瞬きすら惜しんで星を眺めていたからだと言い訳しよう。
瞼を閉じれば鮮やかに浮かぶ友人の笑顔。
本物の星になった彼は、地上に存在する二人の友人を見つけられるだろうか。
もっと時間が欲しかった。
サッカーを愛する彼となら、きっと親友にもなれた。
お互いの立場を理解しつつ上手く距離を計って付き合えたろう。
可能性のつぼみは摘み取られ、誰かの足で踏み躙られた。
それがとても悔しくて悲しい。
「私はサッカーを続ける。友の叶えられなかった夢を、叶えてみせる」
「・・・ああ」
財閥跡取りとしての責務や義務を抱えながら、それでも選んだエドガーにひっそりと頷く。
篭められた決意の固さに、どうしようもなく泣きたくなった。
きらりと輝く星が流れる。
白い軌跡を残したそれは、鮮烈な印象だけを心に残し瞬きの間に姿を消した。
更新内容
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(03/24)
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(03/14)
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