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少年の初恋は、遡ること十年近く前になる。

曇ることが多い空を見上げて、瞬く星に目を細めながら彼は目的のものを探した。
月明かりに負けることなく存在する星は、今日もほとんど変わらぬ位置に存在する。
地球の地軸を伸ばしたほぼ直線状にある星の名前は『北極星』。
少年が追いつつける相手を思い出させる、嫌な星。
迷える旅人の道標とし古来から存在する星は、夜の闇に埋もれず自身の位置を高く知らせた。


「君は今、何処にいるんだ」


吐く息が空気に触れた瞬間白く濁る。
イギリスは肌を刺す寒さが特徴的な国だ。
彼は世界を股に掛けた海賊の勇敢な血を受け継ぎ、女王の騎士として高い誇りを持つ。
女性は敬うもので、紳士としてエスコートすべき存在。
部屋に直通するベランダから空を見上げる少年にもその志は根付いており、基盤となって現在の自分があると自認する。

女性には優しくあれ。常に紳士として誇り高くあれ。
しかしながら唯一この心を素直に曝け出せない相手が居て、何も言わずに姿を消したその人に不本意ながらも心は奪われたまま。

視線を室内に戻すと、置かれたピアノへ足を向ける。
黒光りする姿が艶やかなそれは、少年が心奪われた少女のために取り寄せた一品だった。
残念ながらこのピアノが使用されたのは十年近い時間でもたった数度。片手で数えれる回数だけ。
それでも少年には、少女が触れたピアノは特別。

手入れされた鍵盤に指を置くと、流れるように音を紡ぎだす。
優しく柔らかなメロディは、少年にとって想い入れの深い曲。


「勝手なものだ。君はいつだって私のことなど考えてくれない。───これほど、私は君だけを考えているというのに」


出会いは運命だと信じてる。
再会は宿命だと信じている。
諦めるのは選択肢になく、忘れる気などさらさらにない。
瞼を閉じてピアノを奏でる。
僅かにも記憶を薄れさせないために。覚えている自分を実感するために。





少年が日本で開かれたパーティーに顔を出したのは、主催者に対し父が今後とも長く取引をする相手だろうと予想したからだ。
自分の代だけではなく、将来は息子である少年にも影響があると判断し、顔合わせも兼ねてパーティーへ連れて行かれた。
世界的に財界に幅を利かせるのは相手も自分も同じで、だからこそ顔見知りも幾人もいた。
そんな彼らによると、取引相手には子供がおらず、つい先日養子を引き取ったばかりらしい。
口かさないものは高貴な血筋に混じる異端と罵ったが、その半面いい子供を引き取ったと賞賛する者もいる。
同じ対象でも見る者により判断に差があるのは理解できるが、あまりにも分かれる反応に少年は首を傾げた。

彼自身は血統を重んじるが、血筋だけが全てと思っているわけではない。
血筋がどうであれ優秀な人間は優秀で、実力主義の世界で生き延びるには血統だけでは不十分だ。
事実少年は幼い頃から帝王学を学び、財閥のトップに立つものとして努力を欠かしたことはない。
立場に胡坐を掻けば足元を掬われるのは自分自身で、居場所を失うのは抱えている社員だ。
話を聞いているだけでもほのかに見える人間性に、どう付き合っていくか笑顔を浮かべながらも内心で判断しつつ情報を整理していると、不意に会場がざわめいた。

モーゼの十戒のように人が割れ、現れた先には鬼道財閥の現総帥と、彼に手を繋がれた華奢な少女。
真っ白なシフォンドレスに身を包み、長い栗色の髪を揺らして歩く姿は、視線が集まっているのに気づいているだろうに至極堂々としていた。
変に媚びることも怯えることもなくあくまで自然体で、胸を張り顎を引いて前を真っ直ぐに見て軽く微笑んでいる。
取り立てて美人ではないが、どこか愛嬌があり愛くるしい顔つきの少女は、誰にも不可侵の凛とした空気を纏っていた。

微笑みを浮かべた大人同士の会話が始まり、父親の後ろに控えて邪魔にならないように立つ。
同じように立つ少女は、もしかしたら英語が理解できないのかもしれない。
何を言われてもにこにこと笑顔を絶やさず、たまに日本語で父親から話しかけられて頷いている。
少女と反して少年は日本語がわからない。
何を話しているか訝しく思う感情すら隠して笑顔でいると、鬼道が会場の奥を指差し、頷いた少女が一礼するとその場を離れた。


『今からあの子に余興をさせましょう』
『余興・・・ですか?』
『はい。親馬鹿と言われると思うのですが、父親である私から見てもあの子はあらゆる才能を秘めておりましてな。今から見せるのはその一環です』
『ほう。あちらにはピアノがあったように記憶しておりますが、ならばピアノでの余興ですか』
『その通りです。先ほどまでプロに演奏してもらっておりましたが、あの子の演奏も中々どうして。まだピアノを始めてから一月にもなりませんが、大したものです』
『一月・・・?そうすると、本当に始めたばかりですな。プロの後に演奏させて宜しいのか?』
『ええ』


同じくピアノを嗜む身として言わせてもらえれば、高々一月の修練でこの場でお披露目をするのは早過ぎる。
一月と言えばまだ覚えているのは基礎程度だろう。
それなのに主催するパーティーだからと披露させるのは親馬鹿として過ぎる。
ことによっては自分の顔が潰れるのに、と皮肉な考えを抱きながら父の選んだ取引相手を眺めれば、その視線の意味を理解しているように彼は微笑んだ。
あまりにも自信たっぷりな様子に瞬きをし、視線を会場の奥にやる。
気がつけば水を打ったように会場は静まり返っていた。

そんな中でもやはり自然体で動く少女に瞠目する。
空気が読めないのかよほど肝が据わっているか。
どちらかは知れないが、どちらだとしてもある意味凄い。

そうして流れ出た音に、信じられないと頭を振った。


奏でた曲は、つい先ほどまでプロの奏者が演奏していた『愛の夢』。
情感たっぷりに響くそれは、信じられないほどに上手い。
微かな余韻、指の運び、音の雰囲気、どれをとってもプロに劣らず、むしろ。


『・・・嘘だろう?』


無意識について出た言葉は、彼女の技術への賞賛。
そして同時に空虚な音への恐怖でもある。

少女はピアノを始めて一月とは信じられない技術があり、流れるような音の奔流は素晴らしいの一言に尽きる。
今この場で音楽評論家が居たとしても絶賛するに違いない、アマチュアとは思えない演奏。
だが少年が『信じられなかった』のは、その演奏がとても聞き覚えのあるものだったことに対してだ。
彼女の演奏はまるで、そう、つい先ほどまで演奏していたプロを録音したようなものだった。
美しい旋律には彼女の感情は欠片も篭められておらず、優しげな愛の調べは全く心に響かない。
それでも惹き付けられる何かがあり、少年は呆然と口を開けた。

演奏が終わり掛けられる声に笑顔を向けながらこちらを向かう少女に、こくりと喉を鳴らす。
あの音を聞いた後ではこの笑顔は仮面にしか見えない。
送られる拍手に笑顔で如才なく対応し、こちらへ歩を向けた少女は常に背筋を伸ばしていた。
居てもたっても居られずに少女へ向かい歩を向ければ、丁度同年代の顔見知りに彼女は囲われたところだった。


『猿でも一芸に秀でますのね』
『名門鬼道家も血筋の知れぬ輩を取り入れるなんて・・・』
『しかもこの場に姿を現しながら言葉すら理解できないなんてありえませんわ。本当にお猿さんみたい』


コロコロと鈴を転がしたような声で笑い声を上げる少女たちは、一見すると美しい容貌をしている。
だがその愛らしい声で語られる内容は醜悪で、周りの大人からすれば談笑しているようにしか見えないよう計算された仕草に少年はマナー違反と知りつつ舌打ちした。
鋭く響いた音に慌てて顔を振り向かせた少女たちは、相手が誰か認めると作った笑顔の仮面を貼り付ける。
しかし少女たちから言葉が発される前に、少年は口を開いた。


『申し訳ないがレディたち、私はこちらのお嬢さんをエスコートしなければならないんだ。今日は君たちの相手が出来ない。さあ、レディ。こちらへ』


普段なら絶対にしない失礼な態度だと理解しつつ、困惑したように眉根を寄せる少女たちから視線を離し笑顔のままの彼女へ手を差し出す。
言葉が理解できずとも、仕草が伴えば理解できるだろうと考えての行動だったが、次の瞬間には少年の心遣いは打ち破られた。


『ふふふ。エスコートなんて光栄ですわ』


笑顔でドレスの端を持ち上げて礼をした少女は、滑らかなクイーンイングリッシュで返事をした。
まさか、と好き放題に言っていた少女たちの顔が青褪める。
彼女たちも名門と言われる家の出だが、鬼道家には遠く及ばない。
言葉が理解できないと思い込んでいたからこそ、好きに言っていたのだろう。
もし言い放ったそれを少女が父親に告げればただではすまない。
そんな思いもあり、なす術もなく立ち竦んだ。
少年はそれとは違い、ただ単純に驚いていた。
英語が話せるくせに、無言を通した少女は責められるべきマナー違反を犯している。
けれど利発な行動だと、判断せずに居られない。
言葉がわからない中で口にされた内容は、悪意があるものものないものも本心に近いだろう。
今この場で責めるような愚行をなさないのも、いずれ上に立つものとしては好ましい。

大人しく見えた少女のしたたかな行為に、呆然と目を丸くしていると、ころころと楽しげに口元に手を当てて微笑んだ。
長い髪を揺らして上品に笑うその姿は魅力的で見惚れてしまう。
容姿だけならこの顔見知りの少女達の方が美しい。
栗色の髪の彼女は美しいというより愛らしい顔立ちで、けれども内面からの輝きが滲み出るような笑顔は少年の心を鷲掴みにした。

どくり、と鼓動が高鳴り、色白な肌が赤く染まる。
差し出した手に手袋をつけた掌が重なると、無意識の内に覚えこんだ行動を体が取った。
小幅で歩く少女に歩幅を合わせ、ゆっくりと歩みを進める。
エスコートは口から出たでまかせだったが、父親たちの元へついたとしても、この手を放したくなくなっていた。


『ありがとうございます』
『・・・何がでしょうか、レディ』
『先ほどのことですわ。エスコートのお約束もしてませんでしたのに。父たちに頼まれたわけでもないでしょう?お嬢様方に囲われて少々困っておりましたもの』
『女性が困っているのを助けるのは紳士の嗜みです。気になさらないで下さい』
『ふふふふ』


楽しそうにくすくすと笑う少女に、少年は釘付けにる。
先ほどのからっぽな音から考えられないくらい豊かな表情は、一つ一つが鮮明で。
頭半分は低い位置にある瞳がきらきらと輝く様に心が奪われた。


『先ほどの演奏は』
『え?』
『随分と美しい音色でした。ピアノを始めて一月に満たないとは本当ですか?』
『ええ。素人の演奏では皆様のお耳汚しになると父には言ったのですが、父はどうも娘に甘くって・・・』
『いえ、とても素人とは思えないほど完成された音でした。そう。まるで、先刻演奏されたばかりのプロと比べても遜色がないほどに』


遠まわしにあなたの音じゃないと告げれば、困ったように眉を下げた少女は淡く笑った。
こんなことを言うつもりはなかったのに、気がつけ口をついて出た疑問は止まらない。
困らせたいわけじゃない。それでも口は勝手に動く。


『私は猿真似しか出来ませんの。ご不快になられたのでしたら、謝ります』
『不快になどなっていません。ただ』
『ただ?』


小首を傾げた少女に、少年は言葉に詰まる。
困窮する意思と反して、それでもするりと言葉は出た。


『あなたの音を』
『私の音?』
『・・・あなた自身の音を、聞いてみたいと。そう、思っただけです』


空虚で美しいだけの音色。
ガラスで繊細に作り上げられた工芸品のような音は、綺麗なだけに物悲しい。
少女らしさを上げるとすれば、空虚な部分だけなんて、そんなの絶対に勿体無い。

口にして、気がついた。嫌が応にも気づいてしまった。
自分の心がどれだけ彼女へ傾いてしまっているか、どれだけ少女を欲しているか。
隠れている真実を暴きたいと思うほどに、少女自身へ焦がれているのを。

気がつけば呆気なく想いは心の深い部分に落ちていて、笑顔の癖に笑っていない少女自身を得たいと希求した。


『どうかなさいました?』
『いえ、大丈夫です。・・・レディ、一つお願いをしても?』
『え?』
『次にお会いした際にもピアノを奏でていただけませんか?他の誰かの音ではなく、あなた自身の音が聞きたいのです』


驚きで見開かれた栗色の瞳を覗きこむと、少年は甘く微笑んだ。




瞼を閉じれば鮮やかに思い出せる記憶は、残念ながら美しいばかりではない。
儚げで繊細に見えた少女はその実とてもがさつで豪快で、繊細さの欠片もない剛毅な人だった。
夢破れた瞬間の絶望は果てしなく、それでも意地で追い続けた唯一の少女。
少年が甘くなりきれない。ただ一人の特別な女性は、姿を消して二年になる。

それでも軽やかに『愛の夢』を奏でながら少年は笑う。
いつか必ずけろっとした顔で現れるだろう少女を想って。
心に浮かべるだけで音が蕩けるほどに、恋した少女の無事を祈って。


「精々首を洗って待っているんだな、守。私は君を逃す気はない」


自分でも嫌になるくらい甘ったるい声で囁けば、口の悪い彼女の声が聞こえた気がした。

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