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舞台から流れる甘いテノールは、プロだけあって流石なものだった。
伴奏がヴァイオリンのみと言うのも珍しく、土岐は気持ち良さそうに歌う男を眺める。

自分と少しだけ似た髪色をした男は、波打つ髪を後ろで一本に結んでいた。
男の色気が滲み出る年齢で、中年に差し掛かっているのだろうが、そんな言葉は似合わない。
少なくとも歌を歌っている男は随分と色っぽく艶やかだ。

「君が八木沢君の幼馴染?」
「ああ、俺は違います。あっちで星奏の理事長さんと話してるのがそう」
「ああ、そうなんだ。ごめんね。八木沢君には神南の生徒って聞いていたから、間違えちゃったみたいだ」

あははと爽やかな笑顔を見せた人は、確か八木沢の中学時代の恩師だった。確か、火原だったろうか。
八木沢ほど大人しくないが、タイプは違えど爽やか系だ。
八木沢を清純派の爽やか系とすれば、この男はワンコ系の爽やかさ。
新とタイプが似ているな、と笑顔の裏で観察する。

「俺に何か用ですか?」
「用・・・て程じゃないんだけどさ。君、小日向さん好きでしょう?」
「はぁ?」
「あれ?違った?柚木もそうだって言ってたし、絶対に当たりだと思ったんだけど」

へらり、と邪気がない笑顔を浮かべる彼は、見た目ほど素直じゃないのかもしれない。
警戒心を強めると、益々笑顔を深めた火原は土岐へ顔を近づけた。

「かなでちゃん、可愛いよね!小動物的可愛さって言うのかな?ぎゅって抱きしめてかいぐりしたくなる感じ」
「・・・本当にそれしたら訴えられますよ」

段々と敬語を使うのが面倒になってきた土岐の心を読んだかのように、敬語はなくていいよと朗らかに彼は笑った。
空気が読めないかと思ったら、AKYの方だったらしい。
面倒な相手に捕まったものだと思いながらため息を吐く。

「それで、訴えるのはかなでちゃん?それとも土岐君?」
「俺やなくてもここにいる誰かが絶対にすると思うけど?俺は先にすることがあるし」
「すること?」
「あんたを殴らんといかんやろ。本気で好きでもないくせに、好奇心だけで手を出すのはやめてんか。あんただって日野さんに興味本位で手を出したら報復するやろ」
「ははは」

『是』とも『否』とも答えずに、ただ静かに笑った火原は視線を舞台に向ける。
人の観察をするのが好きで、感情の機微に聡いはずの土岐にもその横顔から何を考えているか判らない。
見た目以上に厄介なのと関わったと己の不運に目元を指先で押さえると、隣の火原は小さく笑った。

「今舞台で歌ってる人さ、俺らが学生時代に先生だったんだ」
「あの金澤紘人が?」
「そう。毎日煙草吸ってさ、よれよれの白衣着て野球中継の話ばかりするやる気なしだったんだよ」
「へぇ」

伸び伸びと歌を歌う姿からは想像出来ない言葉に、目を見張り金澤を観察する。
男はまるで歌を歌うために生まれてきたと全身で表現せんばかりに、体を使って謳っていた。
曲目はアヴェ・マリア。
馴染みが深く、かなでも庭で弾いていた。
ゆったりと余裕を持ち、穏やかな声で響く音は、確かに彼の楽器に違いない。
自分たちが持つそれと同じくらいに魅力的で、よく鍛錬されたものだった。

「金やん、俺たちが卒業する年に外国に渡ったんだ」
「ああ・・・確か、喉を治しにやな。前に雑誌で読んだ」

雑誌で特集を組まれるほど有名な男は、そんな過去を感じさせない。
歌を歌うのが楽しいと、歌を歌うのは幸せだと、気持ち良さそうにしている。
こんな顔をして謳うくせに、よく歌と離れていられたものだ。
全身で歌を愛していると、好きで仕方ないと訴えているくせに。

「きっと金やんが歌を取り戻す切欠になったのは香穂ちゃんだと思う」
「へぇ」
「ああ、興味ないか」
「そうやな。それ自体にはあんまり興味ないわ。でも、あの人の切欠が日野さんだったとして、それを欠片も感じさせない態度には興味ある」
「辛口だね、土岐君は」
「あんただって相当なもんやろ」

気付きたいわけじゃなかったが、気付いてしまった。
にこにこしてるようでいて、彼は少しも笑っていない。
その目は真っ直ぐに日野に向けられているのに、好意と呼ぶには歪だった。

「あんた、日野さんが好きなんやないの?」
「どうして?」
「あんたの目、好きな人を見る眼やない。愛しくて可愛くて大切でどうしようもない、そんな誰かを見る眼と違う」
「・・・そう、かな。そうかもしれないね」

無作法な言葉に少し目を丸くした彼は、ついで淡く苦笑した。
それは苦笑だけれど、きっと彼が始めて見せた本当の笑顔で、だからこそ渋い顔になった。

「俺はかなでちゃんが好きや。千秋や八木沢君たちも同じ感情を持っとるって知っとうても引けん。俺の心に無遠慮に土足で入り込んで、すっかり居座った天然娘に、本気で恋しとうよ」
「・・・そう」
「あんたは?あんたは、日野さんをどう思っとうの?好きやから見とるんと違うの?好きやから追いかけとるんと違うの?好きやからここに居るんと違うの?」

火原を見たら無性に苛々した。
それは無理やりに押し殺そうとする感情を抱え、鬱屈した態度を取っているからで、その癖土岐を眩しいものでも見るような顔をするからだ。
押し込めるなら押し込める。
きっちりと隠し切ればいい。
事実、舞台で歌っている男は、日野への恋情の欠片も見せない。
金澤の本心は、この場の誰にも悟れない。
それが金澤の愛し方なのだとしたら、随分と不器用だと思う。
けれど何も言わない愛の形は、自分には真似出来ないが全否定する気もない。

「俺はね」
「・・・」
「俺はもう、香穂ちゃんを好きなのか判らないんだ。もうずっと、何年も想っている内に形は歪んで原型を留めなくなった。柚木や志水君みたいに甘やかに楽器を謳わせれない。土浦みたいに情熱を捧げるのも出来ない。桐也君みたいに同じ立場で対等に居られない。金やんみたいに全部隠して笑ってられない。長く、長く想いすぎた所為で、純粋な感情はもうなくなっちゃった」

泣きそうな顔で笑った火原に、土岐は顔を歪めた。
これもまた一つの恋の形であると知り、その切なさに悲しくなった。

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