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息苦しさに魘され、はっと目が開く。うっすらとぼやけた視界は徐々に鮮明になり、見上げた先には澄んだ青空。白い雲が流れる。風の赴くままに揺れるそれを眺め、神楽は数度瞬きを繰り返した。
「漸くお目覚めか?」
隣から聞こえてきた声に、びくりと体を震わせる。そこに居たのは良く見知った顔。片方の目を眼帯で隠した男は、口端を微かに持ち上げる。白い半そでのカッターシャツに黒のズボン。シンプルなそのいでだちは毎日見ているはずなのに、何故違和感を感じるのか。己の違和感に首を傾げ、神楽はその人の名を口にした。
「・・・晋助」
何処かぼんやりとした声。そんな神楽に小さく笑うと、神楽のものより一回り以上大きな掌が降ってきた。目を閉じると額の上の髪をさらりと掻き上げ──ぴん、と指先で弾く。衝撃に体を揺らした神楽は、唇を尖らせ瞑っていた目を開けた。
「・・・痛いアル」
「痛いアル、じゃねえよ。いつまで寝てるつもりだ。昼休みのチャイムはとっくに鳴ったぞ」
「え?」
「次は銀八の授業だから絶対に出るっつってたのに、幾ら起こしても目を覚まさねぇし。どんだけ寝汚いんだ、お前」
呆れを含んだ声に慌てて左手首に嵌めている時計を見れば、確かに。昼休みは十分も前に終わっていて、静かな校舎に納得がいく。舌打ちし、慌てて上半身を起こせばくらりと眩暈を起こし、見透かすように伸ばされた腕に抱えられた。
「・・・お前、日の光に弱いんだろ?腕、赤くなってるぞ」
指差され見てみれば、頭の下で組んでいた腕は確かに赤くなりひりひりと痛んだ。足は辛うじてスカートの下に履いたジャージでガードされていたが、今日に限って上を羽織っていなかった。舌打ちしまだ少しだけくらくらする頭を宥め上体を起こす。支えるように添えられた手の力も借り何とか体を安定させ、ずれかけた眼鏡を指で押さえた。同じように日に当たっていた筈の顔は、けれど少しも痛まない。それに違和感を感じないでもないが、まぁいいかと頭を振った。
「変な夢を見てたアル」
「夢?」
「そう。夢ネ」
本当に変な夢だった。セーラー服のプリーツを直しながら夢を思い出し首を傾げる。
夢の中の世界は、現代と似ていたが、全く違った。言うなれば現代と江戸時代をプラスして三足して二で割ったような世界だった。そこでは神楽は十四歳の少女で、夜兎という戦闘種族の末裔だった。口調も性格も変わらないが、現実では一度も着たことないチャイナ服を着ていた。腰の近くまでスリットが入ったそれは、とりあえず神楽とは縁がなさそうなものだった。
「お前も夢に出てきたアル」
「俺が?」
「そう。お前が」
狂気と正気を瞳に宿した青年は、今の彼よりも年上に見えたけれど。確かに彼は、何処か驚いたように瞬きを繰り返す目の前の男その人だった。退廃的な空気に、破壊衝動を纏わりつかせたその姿。唇に指先を当て暫し考え込むと、ぽんと手を打つ。その姿は、神楽が初めてこの男とあった時、彼が纏っていたものに酷似している。今では随分と緩んだが一年の時の彼は、きりきりと張り詰めた糸が切れてないのが不思議なほどに剣呑で、どこぞの歌の歌詞と同じく、ナイフみたいに尖っては触るもの皆傷つけたを体現していた。最も神楽は彼の態度がそんな状態でも気にせず話しかけていた数少ない人間の内の一人で、その姿を恐ろしいと感じたこともなかったけれど。
あの頃が嘘のように随分と柔らかくなった雰囲気の晋助は、それでもまだ学園を統治する不良のトップを張っている。風紀委員とは敵対してるし、教師陣の覚えも悪い。極端にマイペースではあるが、誰とでも仲がいい神楽が彼とつるんでいるのを不思議に思う生徒も少なくなく、忠告された回数も片手では足りない。だが晋助との縁は細く長く続き、屋上で一緒に過ごすほどになっていた。
「どんな役だよ」
「──・・・まぁ、善人ではなかったアルな」
「だろうな。何せ俺だ」
「そうヨ。お前ネ」
善人でなかったが、悪人とも思えなかった。口にする気がない言葉を、胸中だけでひっそり呟く。攘夷志士の過激派テロを繰り返し、歪な表情で哂っていた男。女物の着物を粋に着こなした晋助は、何かに追われるように生き急いでいた。夢の中の神楽は、彼を好きではなかったけれど、決して憎んでも居なかった。自分を利用してるだけだと知っていて、躊躇なくそれを告げるくせに、何処か優しい眼差しを向けてくる。皮肉に口の端を持ち上げて、神楽を傷つけるのに迷いはないのに、神楽が離れるのを拒絶し無理にでも引きとめようとしていた。夢の中の神楽は幼すぎて判らなかったろうが、晋助の眼差しは狂気ばかりではなかったのだ。
黙りこんだ神楽をじっと眺めていた晋助は、不意に手を持ち上げると。びしり、と神楽の額をデコピンする。唐突な行動に目を怒らせれば、くつり、と喉を震わせた。夢の中の晋助に比べると随分と幼い表情だ。こんな顔を、彼もしていた時代があったのだろうか。
「何、ぼうっとしてやがる。じゃじゃ馬」
「・・・・・・」
神楽をじゃじゃ馬と呼ぶ声音も酷似していた。後数年もすれば、彼に追いつく晋助は、彼と違う成長を遂げるに違いない。その時、自分たちの関係がどうなってるか判らないが、夢とは違うものだろうと断言できる。夢の中の晋助は、神楽の知る晋助と違う。神楽が見てきた晋助ではなく、酷似した別人だ。
「目開けたまま寝てんのか?それとも魂が抜けてったか?」
「・・・どちらも違うアル。失礼な男ネ」
「くくくっ。そんなの、今更だろ」
「確かに。本当に今更ネ」
軽口を交わす距離感。同い年故の気軽な関係。加減抜きの喧嘩もするし舌戦だって繰り返す。だが自分たちは夢の中の彼らとは違い、もっと近い場所にある。顔を見合わせ笑い合い、一呼吸置くと神楽は立ち上がった。直に寝転んでいたお陰で制服についていた誇りを払うと眼鏡を指先で少し摘む。ガラス越しではない青い瞳は愉しそうに煌いて、端整な顔を隠す無粋なメガネの存在を霞めた。
「またナ、晋助」
「おう」
屋上のドアに向かう神楽にピラピラを手を振った晋助は、にっと年相応の子供みたいな顔を見せた。
「──かーぐらちゃん」
背後から聞こえてきた声に、びくり、と体を震わす。その声の持ち主が誰か知っているので、中々後ろを振り返れない。廊下の真ん中で固まった神楽の肩にその人物は手を置くと、ゆっくりと引いた。それほど強い力ではないが、無言の強制に逆らう術を神楽は持たない。
ぎぎぎぎ、と音を立てそうなぎこちない仕草で振り返った神楽は、にたり、と不気味な笑みを浮かべた男を間近に見て引きつった笑みを浮かべる。くたびれた白衣に舐めすぎて煙を出すレロレロキャンディー。天然パーマがコンプレックスの死んだ魚のような目をした担任がそこにいて、居心地の悪さに頬を汗が伝った。
「・・・銀ちゃん」
「先生は」
「・・・・・・銀ちゃんセンセー」
「はい、宜しい」
ぽん、と無造作に頭に手を置かれきゅっと瞼を瞑る。乱暴に見えて優しい仕草はくすぐったく、亀のように首を竦めて享受する。神楽は肉親に愛されていたが縁が薄く、このようにスキンシップを計る大人は銀八が初めてで、背中がむず痒くなるようなそれをとても気に入っていた。
銀八は神楽の担任であると同時に隣人である。銀八曰く前者はともかく後者は学校にばれると拙いらしいが、高校三年になった今もその秘密は守られていた。基本的に神楽が自分の家に人を呼ぶことはなく、銀八の家にも家賃の回収以外で人は来ない。こう言えばまるで自分に友達が居ないみたいだが、それは断じて違う。交友関係が広いのか狭いのか判らない銀八とは違い、神楽の友人は数多い。だが遊びに行っても家に上げる気がないだけだ。理由は単純で、銀八と離されるのが嫌だから。その一つに限るが、天邪鬼な神楽がそれを口にする日はきっと来ないだろう。
出席簿を片手に、もう片方の手を白衣に突っ込んだ銀八は、レロレロキャンディーをレロレロしながらやる気のない眼差しを神楽に向ける。半眼になった眼差しは怒りよりも呆れを多く含んでいた。
「それで?」
「え?」
「何で授業をサボったわけ?理由、あるなら言ってみ」
「・・・・・・」
理由。理由はないわけではない、だが口に出すには少々勇気が要り、アンパンで作られたヒーローの頭の欠片が欲しいくらいだ。銀八の視線に含まれた意図を正確に読み取れるだけに尚更。呆れも多く含んでいるが、その目には心配も同居している。神楽は元気溌剌で運動神経もいいが、極端に体力値が少ない。抜けるように白い肌は太陽からは嫌われている。常に傘を差すほどではないが、長時間日に当たればすぐに日焼け──というよりも火傷のように肌が爛れる。それを知る銀八は、神楽が何処かで意識を飛ばしていたのではないかと案じてくれているのだろう。その銀八に向かって、言えというのか。神楽が授業に出なかった理由、それは昼休みに寝過ごしていました、などと。
真っ直ぐに目を見返すことも出来ずに、視線がウロウロと彷徨う。不審人物さながらの行動に銀八の目も据わってきた。がしり、とアイアンクローを決められ頭を締め付けられる。加減してくれてるのだろうがその痛みは随分で、うっかり涙目になりそうだ。
「・・・神楽ちゃん?」
「・・・何アルか?」
「ちょっと俺の目を見てみなさい」
「見てるアル、見てるアル。ばっちりと見てるアルヨー」
「心眼で、とか言うなよ。幾らお前の眼鏡が分厚くても、俺が判らないと思うのか?」
「・・・すみません」
一つため息を吐き、白旗を上げる。素直に謝罪し真っ直ぐに見上げた。どうしようか、と少しだけ躊躇して結局口を開く。
「夢を見ていたネ」
「夢ぇ?」
尻上がりのイントネーションに彼の怒りを感じ身を竦ませる。そろそろと見上げた顔は、多大なる呆れを前面に出していた。ついっと上がった眉がぴくぴくと動く。必死に何かを堪える表情に、もう一度慌てて謝罪を繰り返した。
「夢と言っても、なんだか凄く臨場感があったアル!銀ちゃんセンセーも出てきて、本当に凄かったネ」
「ほーう。俺も、ねぇ」
顎に手を当てた銀八は、促すように神楽に頷く。それを見て勇気付けられた神楽は、おずおずと続きを口にした。
「私は十四歳の女の子で、万事屋を営んでる銀ちゃんセンセーの家に一緒に住んでたアル。ついでにダメガネの新八も一緒だったネ。ヅラや姉御も出てきたアル」
「ふぅん」
「銀ちゃんセンセーは今と変わらないけど、他の皆は年齢も職業もばらばらで、ほとんどが着物を着てたアル。歌舞伎町は江戸にあって、天人って言う宇宙人が一緒に住んでるネ。私もその天人だったヨ。日差しに嫌われた一族で、常に傘を差してたアル」
「日差しに嫌われる、か。今よりも酷いのか?」
「うん。常に傘が手放せなくて、晴の日もずっと差してたネ。雨傘と同じくらい分厚かったアル」
「そりゃまた随分と大変だな」
「夜兎って種族だったアル。夜の兔って字を書くネ」
「へぇ・・・。月の下でしか生きれない存在ってことか。確かにお前、色だけは白いもんなぁ。兔に例えるには強暴だけどな」
「失礼な。私くらいか弱く愛らしい存在は兔に例えても全然不思議じゃないネ。──まぁ、とにかく。そんな世界で生きてる皆の話だったアル」
「そうか。──・・・嫌な夢だったのか?」
「嫌?どうしてそう思うアルか?」
「いい夢にしては、お前の表情が暗いんでな」
先生は何でもお見通しだ、とまた髪を撫でられる。これは夢の中の彼も共通の仕草だ。与える安心感もまた然り。触れられるだけで安堵できる存在は、神楽にとって彼だけだ。体温が伝わる場所から優しさが伝染する気がするもの、銀八だけ。この人の温もりだけを何も構えず享受でき、この人の優しさには反発せずに素直になれる。
本来表情をあまり変えない神楽に喜怒哀楽の感情を容易に浮かべさせれるのは、夢の中でも彼だけだった。
「嫌な夢とは言い難いアル」
「そうか」
「でも良い夢ではなかったネ。悲しくて寂しくて怖かったアル」
「・・・そうか」
夢の中の十四歳だった神楽は、その言葉を口にしなかった。でも現実の神楽の傍には銀八が居てくれて、だからこそ弱音を吐ける。神楽が欲したとき、この手は躊躇なく伸ばされる。優しい言葉はないけれど、言葉以上に優しさが伝わる方法を銀八は知っていた。
「ま、夢は何処まで行っても夢だ。一日過ごす内に忘れるだろうよ」
「そうアルか?」
「おう。お前記憶力悪いしな」
「失礼アル!訴えるアル!」
「誰に何を訴えるっつうんだ、この馬鹿。そんな言葉はテストでころころ鉛筆を使わなくなってから口にしろ。──それより、ホレ」
「?何アルか?」
「授業サボったペナルティだよ。明日までに提出な」
「えー!?マジカ!?」
「マジ、マジ、大マジ。提出しなかったら補習だから」
手渡されたプリントは、ざっと見ても十枚はある。授業をサボったペナルティにしては重過ぎないだろうか。恨みがましい瞳で見上げても、銀八は飄々とした顔を崩さない。むっと頬を膨らませ唇を尖らせれば、むにゅと片手で摘まれた。
「高杉の野郎は?」
「え?」
「一緒に居たんだろ?あいつは何処だ?」
「・・・・・・多分、まだ屋上に居るアル」
じっとりとした眼差しに早々に白状する。脳裏に裏切り者がと睨みつける晋助の姿が過ぎったが、そんなものよりわが身の保身だ。銀八の機嫌が良くないのを肌で感じ取った今、逆らう気はまるでない。
素直に返事をしたのが良かったのだろう。少しだけ怒気を和らげた銀八はレロレロキャンディーを口からだし、一つため息を吐いた。そのままの仕草で近寄ると、ぽそり、と小さな声で告げる。
「今日の夕飯、卵かけご飯だから。家に帰ったらすぐに飯炊いとけ」
「・・・うん!」
お隣さん特権で招かれる夕食に、神楽は嬉しくて頷いた。
あの夢は本当にただの夢だったのだろうか。あれから随分と時が経った今、神楽は不意に思い出す。臨場感に溢れ忘れるには印象的過ぎた、現実味に溢れるあの夢を。
登場人物は誰もが個性を持ち、それぞれの生活を確立していた。神楽は夢の中で一年を過ごし、毎日をどのように生きていたかも覚えている。
現実世界ではまず経験しない何かを殺めた感触も、生々しくて怖かった。拳を振るうたびに得た感情も、虚しさも寂寥も覚えている。
あれは本当に夢だったのだろうか。
あちらの世界では見上げることが出来なかった青空を直視する。十四歳の神楽はこの空に憧れ、太陽に焦がれていた。太陽に嫌われた一族だから、きっと尚更。
もしかしたら。もしかしたら、あれはただの夢ではなく、パラレルワールドだったのかもしれない。口にすれば隣に眠る人に笑われるだろうから、この考えはきっと墓まで持ち越すことになるのだろう。夢の中の登場人物の一人であった彼に手を伸ばし、その前髪を掻き分ける。
眠っていると端整な顔立ちが際立ち、起きているときと別人のように幼い。秀でた額に口付けを落とすと、彼の横に納まった。隣の温もりに手を伸ばせば、起きてるのかと疑いたくなるタイミングで体が抱きしめられる。訝しく思い視線を上げたが、規則的な呼吸は変わらない。それに小さく微笑み神楽もゆっくりと瞼を閉じた。
視界が闇に落ちていく。
ウサギは声帯を持たない。けれど一般的な動物と違っても、悲鳴を上げることはある。
もしあの世界がもう一つの神楽の住まいであるならば。この穏やかな感情を与えてくれる人が、傷ついた少女の隣にあるのを心から祈る。
「漸くお目覚めか?」
隣から聞こえてきた声に、びくりと体を震わせる。そこに居たのは良く見知った顔。片方の目を眼帯で隠した男は、口端を微かに持ち上げる。白い半そでのカッターシャツに黒のズボン。シンプルなそのいでだちは毎日見ているはずなのに、何故違和感を感じるのか。己の違和感に首を傾げ、神楽はその人の名を口にした。
「・・・晋助」
何処かぼんやりとした声。そんな神楽に小さく笑うと、神楽のものより一回り以上大きな掌が降ってきた。目を閉じると額の上の髪をさらりと掻き上げ──ぴん、と指先で弾く。衝撃に体を揺らした神楽は、唇を尖らせ瞑っていた目を開けた。
「・・・痛いアル」
「痛いアル、じゃねえよ。いつまで寝てるつもりだ。昼休みのチャイムはとっくに鳴ったぞ」
「え?」
「次は銀八の授業だから絶対に出るっつってたのに、幾ら起こしても目を覚まさねぇし。どんだけ寝汚いんだ、お前」
呆れを含んだ声に慌てて左手首に嵌めている時計を見れば、確かに。昼休みは十分も前に終わっていて、静かな校舎に納得がいく。舌打ちし、慌てて上半身を起こせばくらりと眩暈を起こし、見透かすように伸ばされた腕に抱えられた。
「・・・お前、日の光に弱いんだろ?腕、赤くなってるぞ」
指差され見てみれば、頭の下で組んでいた腕は確かに赤くなりひりひりと痛んだ。足は辛うじてスカートの下に履いたジャージでガードされていたが、今日に限って上を羽織っていなかった。舌打ちしまだ少しだけくらくらする頭を宥め上体を起こす。支えるように添えられた手の力も借り何とか体を安定させ、ずれかけた眼鏡を指で押さえた。同じように日に当たっていた筈の顔は、けれど少しも痛まない。それに違和感を感じないでもないが、まぁいいかと頭を振った。
「変な夢を見てたアル」
「夢?」
「そう。夢ネ」
本当に変な夢だった。セーラー服のプリーツを直しながら夢を思い出し首を傾げる。
夢の中の世界は、現代と似ていたが、全く違った。言うなれば現代と江戸時代をプラスして三足して二で割ったような世界だった。そこでは神楽は十四歳の少女で、夜兎という戦闘種族の末裔だった。口調も性格も変わらないが、現実では一度も着たことないチャイナ服を着ていた。腰の近くまでスリットが入ったそれは、とりあえず神楽とは縁がなさそうなものだった。
「お前も夢に出てきたアル」
「俺が?」
「そう。お前が」
狂気と正気を瞳に宿した青年は、今の彼よりも年上に見えたけれど。確かに彼は、何処か驚いたように瞬きを繰り返す目の前の男その人だった。退廃的な空気に、破壊衝動を纏わりつかせたその姿。唇に指先を当て暫し考え込むと、ぽんと手を打つ。その姿は、神楽が初めてこの男とあった時、彼が纏っていたものに酷似している。今では随分と緩んだが一年の時の彼は、きりきりと張り詰めた糸が切れてないのが不思議なほどに剣呑で、どこぞの歌の歌詞と同じく、ナイフみたいに尖っては触るもの皆傷つけたを体現していた。最も神楽は彼の態度がそんな状態でも気にせず話しかけていた数少ない人間の内の一人で、その姿を恐ろしいと感じたこともなかったけれど。
あの頃が嘘のように随分と柔らかくなった雰囲気の晋助は、それでもまだ学園を統治する不良のトップを張っている。風紀委員とは敵対してるし、教師陣の覚えも悪い。極端にマイペースではあるが、誰とでも仲がいい神楽が彼とつるんでいるのを不思議に思う生徒も少なくなく、忠告された回数も片手では足りない。だが晋助との縁は細く長く続き、屋上で一緒に過ごすほどになっていた。
「どんな役だよ」
「──・・・まぁ、善人ではなかったアルな」
「だろうな。何せ俺だ」
「そうヨ。お前ネ」
善人でなかったが、悪人とも思えなかった。口にする気がない言葉を、胸中だけでひっそり呟く。攘夷志士の過激派テロを繰り返し、歪な表情で哂っていた男。女物の着物を粋に着こなした晋助は、何かに追われるように生き急いでいた。夢の中の神楽は、彼を好きではなかったけれど、決して憎んでも居なかった。自分を利用してるだけだと知っていて、躊躇なくそれを告げるくせに、何処か優しい眼差しを向けてくる。皮肉に口の端を持ち上げて、神楽を傷つけるのに迷いはないのに、神楽が離れるのを拒絶し無理にでも引きとめようとしていた。夢の中の神楽は幼すぎて判らなかったろうが、晋助の眼差しは狂気ばかりではなかったのだ。
黙りこんだ神楽をじっと眺めていた晋助は、不意に手を持ち上げると。びしり、と神楽の額をデコピンする。唐突な行動に目を怒らせれば、くつり、と喉を震わせた。夢の中の晋助に比べると随分と幼い表情だ。こんな顔を、彼もしていた時代があったのだろうか。
「何、ぼうっとしてやがる。じゃじゃ馬」
「・・・・・・」
神楽をじゃじゃ馬と呼ぶ声音も酷似していた。後数年もすれば、彼に追いつく晋助は、彼と違う成長を遂げるに違いない。その時、自分たちの関係がどうなってるか判らないが、夢とは違うものだろうと断言できる。夢の中の晋助は、神楽の知る晋助と違う。神楽が見てきた晋助ではなく、酷似した別人だ。
「目開けたまま寝てんのか?それとも魂が抜けてったか?」
「・・・どちらも違うアル。失礼な男ネ」
「くくくっ。そんなの、今更だろ」
「確かに。本当に今更ネ」
軽口を交わす距離感。同い年故の気軽な関係。加減抜きの喧嘩もするし舌戦だって繰り返す。だが自分たちは夢の中の彼らとは違い、もっと近い場所にある。顔を見合わせ笑い合い、一呼吸置くと神楽は立ち上がった。直に寝転んでいたお陰で制服についていた誇りを払うと眼鏡を指先で少し摘む。ガラス越しではない青い瞳は愉しそうに煌いて、端整な顔を隠す無粋なメガネの存在を霞めた。
「またナ、晋助」
「おう」
屋上のドアに向かう神楽にピラピラを手を振った晋助は、にっと年相応の子供みたいな顔を見せた。
「──かーぐらちゃん」
背後から聞こえてきた声に、びくり、と体を震わす。その声の持ち主が誰か知っているので、中々後ろを振り返れない。廊下の真ん中で固まった神楽の肩にその人物は手を置くと、ゆっくりと引いた。それほど強い力ではないが、無言の強制に逆らう術を神楽は持たない。
ぎぎぎぎ、と音を立てそうなぎこちない仕草で振り返った神楽は、にたり、と不気味な笑みを浮かべた男を間近に見て引きつった笑みを浮かべる。くたびれた白衣に舐めすぎて煙を出すレロレロキャンディー。天然パーマがコンプレックスの死んだ魚のような目をした担任がそこにいて、居心地の悪さに頬を汗が伝った。
「・・・銀ちゃん」
「先生は」
「・・・・・・銀ちゃんセンセー」
「はい、宜しい」
ぽん、と無造作に頭に手を置かれきゅっと瞼を瞑る。乱暴に見えて優しい仕草はくすぐったく、亀のように首を竦めて享受する。神楽は肉親に愛されていたが縁が薄く、このようにスキンシップを計る大人は銀八が初めてで、背中がむず痒くなるようなそれをとても気に入っていた。
銀八は神楽の担任であると同時に隣人である。銀八曰く前者はともかく後者は学校にばれると拙いらしいが、高校三年になった今もその秘密は守られていた。基本的に神楽が自分の家に人を呼ぶことはなく、銀八の家にも家賃の回収以外で人は来ない。こう言えばまるで自分に友達が居ないみたいだが、それは断じて違う。交友関係が広いのか狭いのか判らない銀八とは違い、神楽の友人は数多い。だが遊びに行っても家に上げる気がないだけだ。理由は単純で、銀八と離されるのが嫌だから。その一つに限るが、天邪鬼な神楽がそれを口にする日はきっと来ないだろう。
出席簿を片手に、もう片方の手を白衣に突っ込んだ銀八は、レロレロキャンディーをレロレロしながらやる気のない眼差しを神楽に向ける。半眼になった眼差しは怒りよりも呆れを多く含んでいた。
「それで?」
「え?」
「何で授業をサボったわけ?理由、あるなら言ってみ」
「・・・・・・」
理由。理由はないわけではない、だが口に出すには少々勇気が要り、アンパンで作られたヒーローの頭の欠片が欲しいくらいだ。銀八の視線に含まれた意図を正確に読み取れるだけに尚更。呆れも多く含んでいるが、その目には心配も同居している。神楽は元気溌剌で運動神経もいいが、極端に体力値が少ない。抜けるように白い肌は太陽からは嫌われている。常に傘を差すほどではないが、長時間日に当たればすぐに日焼け──というよりも火傷のように肌が爛れる。それを知る銀八は、神楽が何処かで意識を飛ばしていたのではないかと案じてくれているのだろう。その銀八に向かって、言えというのか。神楽が授業に出なかった理由、それは昼休みに寝過ごしていました、などと。
真っ直ぐに目を見返すことも出来ずに、視線がウロウロと彷徨う。不審人物さながらの行動に銀八の目も据わってきた。がしり、とアイアンクローを決められ頭を締め付けられる。加減してくれてるのだろうがその痛みは随分で、うっかり涙目になりそうだ。
「・・・神楽ちゃん?」
「・・・何アルか?」
「ちょっと俺の目を見てみなさい」
「見てるアル、見てるアル。ばっちりと見てるアルヨー」
「心眼で、とか言うなよ。幾らお前の眼鏡が分厚くても、俺が判らないと思うのか?」
「・・・すみません」
一つため息を吐き、白旗を上げる。素直に謝罪し真っ直ぐに見上げた。どうしようか、と少しだけ躊躇して結局口を開く。
「夢を見ていたネ」
「夢ぇ?」
尻上がりのイントネーションに彼の怒りを感じ身を竦ませる。そろそろと見上げた顔は、多大なる呆れを前面に出していた。ついっと上がった眉がぴくぴくと動く。必死に何かを堪える表情に、もう一度慌てて謝罪を繰り返した。
「夢と言っても、なんだか凄く臨場感があったアル!銀ちゃんセンセーも出てきて、本当に凄かったネ」
「ほーう。俺も、ねぇ」
顎に手を当てた銀八は、促すように神楽に頷く。それを見て勇気付けられた神楽は、おずおずと続きを口にした。
「私は十四歳の女の子で、万事屋を営んでる銀ちゃんセンセーの家に一緒に住んでたアル。ついでにダメガネの新八も一緒だったネ。ヅラや姉御も出てきたアル」
「ふぅん」
「銀ちゃんセンセーは今と変わらないけど、他の皆は年齢も職業もばらばらで、ほとんどが着物を着てたアル。歌舞伎町は江戸にあって、天人って言う宇宙人が一緒に住んでるネ。私もその天人だったヨ。日差しに嫌われた一族で、常に傘を差してたアル」
「日差しに嫌われる、か。今よりも酷いのか?」
「うん。常に傘が手放せなくて、晴の日もずっと差してたネ。雨傘と同じくらい分厚かったアル」
「そりゃまた随分と大変だな」
「夜兎って種族だったアル。夜の兔って字を書くネ」
「へぇ・・・。月の下でしか生きれない存在ってことか。確かにお前、色だけは白いもんなぁ。兔に例えるには強暴だけどな」
「失礼な。私くらいか弱く愛らしい存在は兔に例えても全然不思議じゃないネ。──まぁ、とにかく。そんな世界で生きてる皆の話だったアル」
「そうか。──・・・嫌な夢だったのか?」
「嫌?どうしてそう思うアルか?」
「いい夢にしては、お前の表情が暗いんでな」
先生は何でもお見通しだ、とまた髪を撫でられる。これは夢の中の彼も共通の仕草だ。与える安心感もまた然り。触れられるだけで安堵できる存在は、神楽にとって彼だけだ。体温が伝わる場所から優しさが伝染する気がするもの、銀八だけ。この人の温もりだけを何も構えず享受でき、この人の優しさには反発せずに素直になれる。
本来表情をあまり変えない神楽に喜怒哀楽の感情を容易に浮かべさせれるのは、夢の中でも彼だけだった。
「嫌な夢とは言い難いアル」
「そうか」
「でも良い夢ではなかったネ。悲しくて寂しくて怖かったアル」
「・・・そうか」
夢の中の十四歳だった神楽は、その言葉を口にしなかった。でも現実の神楽の傍には銀八が居てくれて、だからこそ弱音を吐ける。神楽が欲したとき、この手は躊躇なく伸ばされる。優しい言葉はないけれど、言葉以上に優しさが伝わる方法を銀八は知っていた。
「ま、夢は何処まで行っても夢だ。一日過ごす内に忘れるだろうよ」
「そうアルか?」
「おう。お前記憶力悪いしな」
「失礼アル!訴えるアル!」
「誰に何を訴えるっつうんだ、この馬鹿。そんな言葉はテストでころころ鉛筆を使わなくなってから口にしろ。──それより、ホレ」
「?何アルか?」
「授業サボったペナルティだよ。明日までに提出な」
「えー!?マジカ!?」
「マジ、マジ、大マジ。提出しなかったら補習だから」
手渡されたプリントは、ざっと見ても十枚はある。授業をサボったペナルティにしては重過ぎないだろうか。恨みがましい瞳で見上げても、銀八は飄々とした顔を崩さない。むっと頬を膨らませ唇を尖らせれば、むにゅと片手で摘まれた。
「高杉の野郎は?」
「え?」
「一緒に居たんだろ?あいつは何処だ?」
「・・・・・・多分、まだ屋上に居るアル」
じっとりとした眼差しに早々に白状する。脳裏に裏切り者がと睨みつける晋助の姿が過ぎったが、そんなものよりわが身の保身だ。銀八の機嫌が良くないのを肌で感じ取った今、逆らう気はまるでない。
素直に返事をしたのが良かったのだろう。少しだけ怒気を和らげた銀八はレロレロキャンディーを口からだし、一つため息を吐いた。そのままの仕草で近寄ると、ぽそり、と小さな声で告げる。
「今日の夕飯、卵かけご飯だから。家に帰ったらすぐに飯炊いとけ」
「・・・うん!」
お隣さん特権で招かれる夕食に、神楽は嬉しくて頷いた。
あの夢は本当にただの夢だったのだろうか。あれから随分と時が経った今、神楽は不意に思い出す。臨場感に溢れ忘れるには印象的過ぎた、現実味に溢れるあの夢を。
登場人物は誰もが個性を持ち、それぞれの生活を確立していた。神楽は夢の中で一年を過ごし、毎日をどのように生きていたかも覚えている。
現実世界ではまず経験しない何かを殺めた感触も、生々しくて怖かった。拳を振るうたびに得た感情も、虚しさも寂寥も覚えている。
あれは本当に夢だったのだろうか。
あちらの世界では見上げることが出来なかった青空を直視する。十四歳の神楽はこの空に憧れ、太陽に焦がれていた。太陽に嫌われた一族だから、きっと尚更。
もしかしたら。もしかしたら、あれはただの夢ではなく、パラレルワールドだったのかもしれない。口にすれば隣に眠る人に笑われるだろうから、この考えはきっと墓まで持ち越すことになるのだろう。夢の中の登場人物の一人であった彼に手を伸ばし、その前髪を掻き分ける。
眠っていると端整な顔立ちが際立ち、起きているときと別人のように幼い。秀でた額に口付けを落とすと、彼の横に納まった。隣の温もりに手を伸ばせば、起きてるのかと疑いたくなるタイミングで体が抱きしめられる。訝しく思い視線を上げたが、規則的な呼吸は変わらない。それに小さく微笑み神楽もゆっくりと瞼を閉じた。
視界が闇に落ちていく。
ウサギは声帯を持たない。けれど一般的な動物と違っても、悲鳴を上げることはある。
もしあの世界がもう一つの神楽の住まいであるならば。この穏やかな感情を与えてくれる人が、傷ついた少女の隣にあるのを心から祈る。
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