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音楽とは、自分の感情を素直に表現する手段の一つだと悠人は思う。
それは今耳にしている音楽で、より一層確信できた。

目の前でチェロを奏でる人は、悠人にとって憧れの人だ。
否、チェロを扱う人間にとって彼に憧れるものは決して少なくないだろう。
作曲家として、チェリストとして、志水桂一は悠人の憧れだった。

今彼が弾いているのは、彼が作曲した曲だという。
彼と同年代の友人達は苦笑しながらその音を聞いているが、悠人は内心平静でいられなかった。
この曲は彼の未発表の曲なのに、悠人はそれを知っていたから。

オケ部で見つけたその曲は、チェロとヴァイオリンの二重奏だった。
甘く優しい弦の音。
いつかかなでと弾きたいと願っていたその曲を弾いたとき、自分はこれほど甘く楽器を歌わせることが出来るだろうか。

譜面で見た時も優しい音だと思ったが、実際に耳にすれば赤面せずに入られない甘い恋の曲だった。
ヴァイオリンの音に追随するチェロの音は、深く優しく柔らかい。
包み込む温かさと焦がれる強さを持つそれは、悠人には些か色気がありすぎた。

先ほど簡単に自己紹介した日野香穂子を、舞台に引きずり上げたのは強引な衛藤でも、気が強そうな土浦でも、子犬のような火原でもなく、テンポが独特な志水だった。
彼曰く、衛藤一人と音を合わせるのはずるい、たまには自分ともあわせて欲しい、と淡々とした、けれど逆らい難い調子で日野の腕を掴むと舞台へと上がった。
そして『僕の曲を奏でましょう』と微笑みかけると、足でリズムを取り徐にチェロを弾き始めた。
為すがままだった日野も、リズムを取られた拍子に咄嗟にヴァイオリンを構えると、そのまま志水の音に調子を合わせる。
曲名を言わずとも当たり前に同じ曲を奏でる彼らの息の合い方に感心すればいいのか、それとも以外と強引な志水に呆れればいいのか。
判断に迷うところだったが、惑いは長く続かなかった。
若くとも彼らは一流の音楽家で、その音はやはり引き込まれずにいられない魅力を持っていたから。

赤面しながら音を聞く悠人に、隣に座っていた人物がくすりと喉を鳴らす。
見上げれば、緩くウェーブした髪を一本で結んだ大人の男が、目を細めてこちらを見ていた。

「凄い赤い顔だな」
「・・・・・・放って置いてください」

笑いを含んだ声にぶっきらぼうに返してしまったのは照れがあるからだ。
金澤と名乗った彼の顔は雑誌でしか知らなかったが、確かオペラ歌手だったと記憶している。
幾年かの空白の時間を過ごした彼が返り咲いたのは、日野たちが有名になり始めてからで、彼ら目当てで買った雑誌に何回か出ている記事を読んだ。
面白おかしく書かれている経歴がどこまで本当か知らないが、少なくとも星奏学院の教師だったというのは本当だったらしい。
オペラにそれほど造詣は深くないが、甘いテノールは確かに聞き心地が良く、歌を歌ったら相当なものなのだろう。
甘い恋の歌もきっと美味く歌うだろう彼は、どこからどう見ても大人の男だ。
からかわれていると感じ、かっと頭に血が昇りそうになる。
だがそんな悠人を見て微笑ましそうにしたかれは、次には淡く苦笑した。

「あの音はお前さんにはまだ早いな。しっとりとして甘ったるい。志水が日野に向ける恋情そのものだ」
「・・・子供だとおっしゃりたいんですか?」
「子供の何がいけない?───俺は、お前さんの若さが羨ましい。昔も思ったが、今は特にな」
「・・・・・・」
「年寄りからの忠告だと思って聞いとけ。若さのままに突っ走るのも、悪くないと思うぞ。青い恋なんて子供の内にしか出来やしないさ。無駄に年を取ると身動きが取れなくなる。分別なんて糞喰らえ、と思ってもな」

苦く笑う彼の言葉は本音に聞こえた。
この甘い恋歌の中で、それはとても不思議な音を持ち悠人の胸へすとんと落ちる。

「胸に留めておきます」
「そうしとけ」

彼の向かう視線の先に居るのは、誰なのだろう。
少なくともこの言葉から恋しく想う人がいるのだろうと察せれたが、大人の彼から想い人までは判断できなかった。
金澤紘人。
声を失くしたオペラ歌手と呼ばれる相手に、悠人は初めて興味を抱いた。

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